日記に戻る | 2015年11月の日記に戻る

=2015-11-09=

人間を掌握して分かっていた。

自由に支配して、導きながら、可能性を掌握していた。

体験や経験を予測しながら、意識で人間と世界を変えていた。

反省して分かっていた。

オープンソースの革命的な王だった。

頭を増やせば分かる。

KOKIAの言うように、自分は自分、一人だけ、唯一の存在だ。

皆は、もう狂う。自分は狂わない。狂いたくなかった。

自分のことではなく、世界のことを考えれば良い。

それは何から出来ているか、どんな状態を取り得るか、どんな視点があるか、どんな関係があるかだ。そういう考え方の網羅をいつも書いていた。

今日は辛い。胃腸の病気が姪のゲロからうつった。自分は、昨日、二回吐いた。

寝ていた方が良い。

昨日は、足は物理的に考えれば治ると言っていた。物理の知性がつくと治る。

もう書かなくて良い。今日で最後にしたい。

頭がくらくらする。そういうわけで、今日は安静にした方が良い。

あとは、自由に考えただけだ。色んなことを、本当に自由に考えた。

昔は、目的をモデルにして、社会的な目的と構造を考えて、意図と本質を考えていた。

自分は、ノロウイルスではないと思う。姪が病院にかかって、胃腸炎だと言っていた。

あとは、色んなことを知り尽くしていただけだ。

姉や姉の夫も姪から胃腸炎がうつっているが、姪はもう元気になっている。すぐに治る。

今日は辛い。体温は、38度4分もある。

自分は、病気や怪我が多すぎるところがある。足を骨折したし、虫歯やニキビも多い。

昔は、感覚みたいな言葉で存在と経験を考えていた。

今日は、頭がくらくらするから、寝ていた方が良い。

もう皆は狂わない。自分が書くと治る。何も狂っていないし、皆もこのままで良い。

認識と学習から行動の心理学を作っていた。

あとは、社会の構造を作って、色んな社会の可能性を考えていた。

社会所有を管理所有と言っていたが、それは止めた方が良い。ソ連は馬鹿な国だ。

日本が一番良い。これなら、社会のことを自由に考えられる。

自由な共有が良いと言っていた。それは止めた方が良い。共有は馬鹿だ。

社会所有とは言うが、それも自由だった。音楽アルバムやサッカーボールを与えると言っていた。所有を統一したいのはありえないが、町が美しく出来ると言っていた。

資本主義のままで計画経済をやるとか、税金で平等にするとか、どうでも良いことを言う。

社会主義は賢くない。社会主義は、理論から革命、実践まで、全部馬鹿だ。

昔は、社会のことは、色んな社会を見て、自由に実地的に考えていた。

社会のことは、もっと賢く考えれば良い。

何も読まないのがありえない。社会のことを何か読めば良い。

昔は、自由な権利で考えていた。昔、そういう人間が多かった。

最近居ない。何故か、最近は自由が馬鹿に見える。自由な権利が馬鹿なのは、アメリカ人はまだ分かっていない。アメリカ人は自由のままだ。

自由な権利は、テレビの自由、会社の自由、個人の自由と考えれば良い。

国家に関与されたくない。民主主義の自由の方が、社会主義より単純で良い国になる。

自由な行動、環境、関係、人間、存在などを積み重ねて分かっていた。

状況を推察して、本当に自由だけで全部分かっていた。

自由とは言うが、支配は嫌いで、平等は好きだった。平等の方が正しく自由を実現出来る。そういうところが分かる、おかしな民主主義の社会主義の自由だった。

あとは、独立性のようなことを考えていた。おかしな独立性の社会論だった。

価値観を推察して、自由から社会のことを、オープンソースのように分かっていた。

狂っていたようで、本当に知性のある、分かった人間だった。

経験と自由で分かった。賢いとは言うが、2ちゃんねるだ。本当にそこまで馬鹿だった。

共同体を自由にするとか、環境を自由にするとか、自由に考える理論が多かった。

資本論のように、師弟制度を作ったりしていた。

ただ、国家のようなものを作りたくて、全部作っていた。

構造から人員まで、全部作っていた。キリスト教の社会主義にすれば良いと言っていた。

今日そんなに書くのは、止めた方が良い。この文章は辛い。もう止めれば良い。

あとは、存在論の人生論のようなことを言う。

場を自由に作るとか、経験とは存在の可能性であるとか、そういうことを言っていた。

考え方のようなことをいつも言っていた。

そろそろオーズルも終わりだ。これ以上書かなくて良い。ただ辛いだけだ。

最近は、書いている方が楽になった。良く分からないが、書かないとすぐに狂う。

書いていると、治る。不思議と、書いていると強くなってすぐに治る。

昔は、本当に行動や経験から、ブッダのように全部分かっていた。本当に努力して悟っていた。昔は賢かった。覚えていない。フレイの哲学と歴史のせいで、馬鹿になった。

ブッダも、色んな辛い体験をしたように見える。昔は、そういう体験をして分かっていた。

自由は馬鹿だ。アメリカなんか、馬鹿の極みだ。

自由は止めた方が良い。テレビを自由にすると、悪い報道と番組にしかならない。

昔のように、自由を制限した方が良い。オープンソースもクズに見える。自由はおかしい。

もっと色んなことを考えれば良い。

花の絵は美しいが、本当の花ではない。模倣である。そこには、何らかの作為が存在する。

いつもそういうことを書いていた。もっと考えれば良い。

身近にある色んなことを考えれば良い。考えないのがおかしい。

現実から分類と考え方を見出すことが出来るとか、どうでも良いことを言っていた。

何故か、今日はあまり辛くない。病気になると、いっぺんに体が治る。今日は辛いはずなのに、楽だ。本当に治ったように見える。

この世界は、順序と多様性である。そういうことをいつも言っていた。

カントのように、抽象的に考えたい。

いくらかの、全ての、ある1つの、のような考え方から、何が何か、あるいは他の何かか、といったことから、かもしれない、でなければならない、と言ったことを考える。

それは、普通、昔のように、新しいことを知りながら、経験を知って、疑って、世界のことを知って、色んなことを考えれば分かる。

あとは、もしそれがそうだったら、それであるならば、でなければ、など、考えていた。

ものごとが確かにそうなる必然性から、数学的な命題を証明して分かっていた。

本当に、デカルトのように考えていた。それで、ブッダほどの真理に到達した。

賢い人間に見えて、賢くない。ネットの馬鹿な仲間を全部吸収して分かっていた。

自分は、前後関係が分かっていない。

自分のことを僕らと言えば良い。僕らは、こんなに沢山の仲間をやっている。

命題的に、教育や科学のことを考えれば良い。

機械の動力源や、光の特性など。パソコンは電気で動くとか、光は反射するとか、そういう命題のことを考えれば良い。

そういう風に考えないと、分からない。

あとは、死んだ部分は消した方が良い。それで思考が楽になる。

いつまでも文章を書きたいのはおかしい。もう止めた方が良い。

論理的に考えるなら、それがそこに生まれる原因のようなことを考えれば良い。

昔は、そういう風に考えていただけだ。カントのように考えていた。

そういうものの背後にある前提や構造を分かれば良いように見える。

あとは、自由と思えば分かる。何でも自由に発生して、自然に増える。それだけだ。

自然な人生から分かる経緯、体験的な経緯のようなことを言っていた。

そして、ネットを見ながら、思い出して、経験と想像力から環境のことを分かった。

賢かったようで、意味が無い人間だった。今の方が賢く見えて、いつも馬鹿だった。

空想して、発想すれば良い。そういう、自由な人間だった。発想法を作って、命題的な知性から、全てのことを全て作っていた。そういう、理性の構造を書いていた。

発想法から判断基準まで、色んなことを作っていた。本当に全部論理的に作っていた。

あとは、創造的な店、会社、ソフトウェアを作るべきだと言っていた。

Linuxは独自性を持つべきだと言っていた。

そろそろもうない。組織を作る手段のようなことを全部考えていた。

あとは、書くと治るとか、そういうことを考えていた。

不思議と、今楽だ。何も辛くない。胃腸炎で治ったように見える。

こういう風に治るのは辛い。

関係には、改善、背景、自由、論述の関係がある。

好き嫌いには、好き、嫌い、無関心、などがある。

そういう風に、色んな可能性の構造を作っていた。そういうものを確かに書いていた。

命題的に考えると、きちんと数学的に分かる。そこから、色んなものを作れば良い。

論理だけではなく、自由や手段や必要性から考えることが出来るだろう。

平等で自由な皆が出来る社会と思って文章を書いていた。

モデル、目的、具体例、システム、プラットフォーム、経緯、歴史、方法、推論、実験など、色んなことを考えて、作って分かっていた。

あとは、ネットで傍観者になって分かるとか、どうでも良いことを言っていた。

一歩離れた視点でものごとを見る。そろそろ、心が停止しているのが治った。

自分のことを本当に客観視していた。自分ではなく、彼だと思っていた。

自分のことを「これ」と言わず、「彼」と言えば良い。そこらへんが辛いだけだ。

あとは、自由を考えていた。社会の構造と人生を作って、自由な社会を考えていた。

教育、株式市場、市場原理、大学、学歴などを考えていたようで、考えていない。

日本の問題は、学歴と受験による教育の意味の無さと、ネットやオタクによる社会の幼児化である。そういう、社会経験による、社会の分析が多かった。

過去や現在の問題は、それより前、過去に立ち返って考えられる。

そういう、賢いことをいつも言っていた。

それぞれの人間に時系列があり、時間軸があり、ニュースなどは視覚化して考えられる。

いつも、そういう、時間と存在と体験の可能性を分かっていた。

オレンジジュースは、オレンジジュースと言う状態であり、可能性である。

いつもそこにあって、行動していたものを信じて、理性批判を分かっていた。

いつも、それはそれで良かった。そのことは、そうなるべくしてなる。いつものようなことを、きちんと疑えば、真実は見えて来る。

いつも、そういう、人生の真実のような文章を書いていた。

理性批判とは、理性の限界である。

視点や場のように、無いように見えて確かにあるものを考える。

サルトルやハイデガーのように、あるでもなく、ないでもなく、あるのになく、ないのにある、と言ったことを分かっていた。仏教のようでもある。

確かにそこに存在するものを分かっていた。像のようだった。

宇宙のことの次元の違い、多次元や高次元を、数学的発想を作って分かっていた。

数学的に、緻密に、厳密に文章を書いていた。

状態とは経緯の中における可能性だ。そういう、何もかも説明する知性が多かった。

知性は、無かったようで、あった。本当に知性が全部あるのに、馬鹿な人間だった。

昔は、知性と精神を全部作っていた。客観視して、人間を吸収していた。

パソコンは、美しくて簡単なユーザーインターフェースにするべきだ。

そういう、パソコンの発想みたいなものが多かった。数学や物理の発想も多かった。

パソコンは、会社を考えると良く分かる。アドビやオラクルなど。

あとは、地域と環境の違い、自然な関わり合い、のようなことを考えていた。

グーグルは、アンドロイドでグーグルマップが見られるのが賢い。僕は、昔から、組み込みシステムで動く地図を作れば良いと思っていた。

昔は、原因と結果や相対性から、全て自由に推論して分かる理論を書いていた。

環境や地域の中における意識のようなことを、ネットと想像力と環境想定で考えていた。

仏の慈悲や、神の愛を分かっていた。精神の裏側には、神の愛がある。行動と恐怖を克服し、経験し、条件と原因を知る中で、神の愛が分かって来る。治って分かった。支えとなる思考のようなものを考えて、思考の理由と、経験の裏の経験を全部考えていた。

ネットで体験し、裏の経験を考えながら、前提条件、判断、行動、感情、目的、経験、理由、経験論、のようなことを考えていた。

何でも全て、正しく分かっていた。正しい理性と記憶の持ち主だった。

事前に記憶を作ることで、あらゆることを包括して分かる。

そして、治って分かっていた。その上で、治るために何を考えるべきか考えていた。

場の意識で世界と地域と歴史を分かっていた。意識と場を想定して考えていた。

胃腸炎で治った。何故か、本当に楽だ。このように、おかしくないのにおかしい人間は、何か病気になるとすぐに治る。それこそ、骨折で楽になった。

環境、経験、場、人生、社会のようなものを、成長と青春の経験から分かっていた。

狂っていただけだ。

経験と意識で全て分かる、ありえない引き篭もりだった。

引き篭もりの体験で分かっていた。何でもネットで体験しながら、自然な体験と成長、自我の発展、会社や社会のこと、オープンソース活動で分かっていた。

あとは、人生のことを書いていた。

中学生時代、友人関係に悩んで、学校の勉強を無意味だと思って、小学生に戻りたかった。

それが、引き篭もりになって、ネットで色んなことを経験して、発見した。

それは、そのまま、オープンソースと愛になって、世界を愛していた。

そして、戦いが始まった。何もかも犠牲にして失う中で、希望と優しさを見つけた。

一通り戦って、神との対話になった。そのまま、右翼と左翼の論理学を作った。

事故をして、骨折した。あとは、そのまま作家になった。哲学をやっている。

それは、もう止めたいのに止められない。まだ分かる。そういう人間が自分だ。

神は、永遠、生まれ変わり、宣言、対話、運命の全てを創造した。そういう経験をした。

実体験と環境で分かっていた。

環境は、内側と外側から、離れたり、近づいたりして分かっていた。

神を信じるしかない。今のタイミングで病気で治ったのは悪くない。一番楽になった。

本当に、心や頭や内臓が治る。本当に楽だ。もう終わりだ。

ネットで環境を見ながら、思い出して分かっていた。

楽しいこと、辛いこと、全部経験した。皆とともに自由を知った。

会社の経営や、オープンソースのマーケティングのようなことをしていた。

客観視して分かった。影響力を考えて、システムの全体の構造を分かっていた。

昔は、想像力でパターンのようなものを全部作っただけだ。

タリバンのような戦いをした。

子供だった。どこに光があるのかを探しながら、世界を知って、経験して分かった。

そういう、人生論が多かった。どこに真実があるのかを探して、経験から、世界観と知性を知った。そういう、人生論をいつも書いていた。

最近は、理由を作るだけが多かった。ただ、理由や意味なんか、無くて良い。

自分の存在や認識から、一歩離れて考えること。

何が正しいのかは、自分の認識が教えてくれる。

自由な中で、何を考え、行動し、作れば良いか考えた。行動的で具体的な自由だった。

自由な社会構造を考えた。

日本などの時代を考えていた。日本は、インド、中国、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ソ連になっている。特に、最近は自分のせいでソ連になっている。

日本は、色んな国に変わる国だ。変幻自在の国だ。

黒魔術を止めれば良い。黒魔術は、自分のことを言っている。

まだ黒魔術をしている。自分を破壊して世界を滅ぼす。あまりしない方が良い。

右翼に騙されない方が良い。右翼は、自分を殺したいだけだ。巧妙な戦術で、自分のことを破壊し、殺している。良く考えて、正しい姿を見せれば、勝てる。

自分の姿を見せないのが悪い。

皆、自分が本当は良いことをしているのが分かっていない。

昔から、悪いだけに見えるが、宇宙の真理を全部教えて、その通り信じれば分かる内容を書いていた。その通り理解すれば分かる。だが、理解を自分から阻んでいた。自分から分からなくして、この文章の価値を無駄にしていた。それでも、この世界を導いていた。

日本とオープンソースは良く似ている。パクリで、品質が良くて、自由なのが同じだ。

それで、オープンソース社会のようなものを考えていた。