思考と経験を考えて分かっていた。
実体験と世界観を考えた。色んなことを考えていた。
変わる、生きる、動く、ある、など、状態を信じて考えれば分かる。
現象学みたいに分かるようになる。
生命は、人間が居なかった頃から居る。人間なんか、ただの馬鹿だ。
歴史にも、その時代その時代、色んな世界がある。
昔は、そういう、世界観のようなことを言っていた。
神は、全て分かっているようで、全部自分がやっている。
ブッダよりキリストの方が賢い。普通、日本人は、考えると誰でもブッダになる。賢いのは良いが、ブッダは神を信じていない。キリストを信じると、神が全て導いたり、ありえないことが出来たりするようになる。キリスト教は、三位一体と奇跡の宗教だ。
日本は、盛りだくさんの国だ。ひらがなとカタカナ、洋風と和風など、文化の量が多い。漢字も賢い。「食事」、「食べる」、「ご飯」、「めし」、「料理」、「夕食」などを使い分ける。
ヒンドゥー教は、バラモン教に民間信仰が加わったインドの宗教だ。
シヴァ派とヴィシュヌ派に分かれるのは、こういう風になっている。昔と今に分かれる。
そうでもない。古代のインド人まで自分だと思うのがありえない。
日本語は、さらに多い。カタカナ語で「フード」と言ったりする。
ただ、日本語はどうでも良いほど難しい。外国人が出来るわけがない。
それに、中国語と同じなのに、読み方が違う。外国人に排他的な民族だから、キモイ。
「食べ物」とか「食品」とか、考えるといくらでもある。
あとは、論理を全部書いている馬鹿が多かった。
変化のようなものを書いて、その通り分かっていた。理解と判断を全部書いていた。
日本語は、賢く言うと「食べられるもの」になる。それは英語でも言える。
馬鹿に言うと「えさ」になるが、それは誰も言わない。
同じような単語として、「洋食」や「和食」、「惣菜」や「外食」などがあるが、それらはそれぞれ意味が違う。「炊事」などと言ったりもする。日本はありえない。
外食に対応するのは、「自炊」だと思う。
日本は島だ。島は、そういう風に、言語が賢い島が一番多いが、漢字を使う国は少ない。
英語では、外食のことを「ゴー・アウト」などのように言う。アメリカは馬鹿だ。そういうところが、単純すぎるのが外国人だ。日本人は、漢字を使って、いくらでも言葉を作る。
あとは、ドイツ語では「エッセン」と言う。何故か、そこまで分かる日本人は多い。ドイツ語やフランス語のカタカナ語まで分かる人間は、何故か本当に多い。店とかで書く。
日本語が多いのは、食事だけではない。「ドア」と言ったり、「扉」と言ったり、「ガラス戸」や「網戸」と言ったりする。外人は、ドアとしか言わない。日本語が一番多い。
何より、漢字が難しい。不思議と、中国よりはるかに古い漢字を使っているのは、知らない人間が多い。同じ漢字を使っているようで、日本人が使っている漢字が一番難しい。簡略化する前の、古い漢字を使っている。
ザビエルなどは、馬鹿にしか見えない。キリスト教が馬鹿なのは当たり前だ。イエスなんか、自分を神だと勘違いしているだけの、馬鹿なユダヤ人だ。ブッダよりはるかに馬鹿だ。
日本には、科学者が居ない。
日本は、治安も良い。財布を投げ出して泥酔している人間の財布を奪わず、布団をかけて風邪をひくなと言う。外国人なら、財布を奪って、殺す。宇宙人みたいな国に見える。
要は、科学技術力は最近ついた。大器晩成型なのが日本だ。最近は、テレビから自動車まで、何でも作れる。オリンピックでは、正確で美しい体操をする。そういう風に賢い。
賢いのも、時には悪い。昔科学者が居なかったのは、仏教が賢すぎるからだ。
あとは、いつも、科学のようなことを言っていた。作用から実証まで、物理的な考え方のことを言う。最近、書いていないが、科学的な発見、それも仮説と実証のようなことを言っていた。当たり前で、正しい、知性のある方法論をいつも言っていた。
これなら、ニーチェやゲーテみたいな、賢い詩人の哲学者に見える。
ただ、キリスト教は止めた方が良い。ドイツと日本のどちらが賢いのかは、分からない。だが、仏教と日本が一番賢い。そういうわけで、自分はこれで仏教徒だ。
体操の内村が今賢い。だが、正確な演技はある意味悲惨だ。ロボットを頑張っているように見える。だが、内村を批判するのはおかしい。本当に努力した人間だ。
中国の選手が難しい演技が出来るのは、分かるからだ。天才みたいに分かっている。日本人みたいに、きちんと努力していないから、簡単なところを間違える。日本人が賢い。
ただ、日本人にスポーツは出来ない。体操やフィギュアスケートで勝っているようで、サッカーなどでは全く負けている。日本がドイツやブラジルに勝てるわけがない。体格の差がある。サッカーでは弱いのが日本だ。スポーツはドイツの勝ちだ。
オリンピックで強いのは、アメリカとロシアだ。特に、ロシアは芸術的なスポーツで強い。フィギュアスケートやシンクロなどの芸術的な水泳で強いからありえない。ロシアは馬鹿では無い。これなら、ロシアもロシアで賢いように見える。
アメリカの強い点は、ITだと思う。高度な機械を作っているが、僕はマイクロソフトが嫌いだから、あまり言わない方が良い。ただ、昔はマイクロソフトも好きだった。嫌いになったのがありえない。自分でもおかしい。マイクロソフトは、何も悪くないから、好きな方が良い。それこそ、姉がWindowsのプログラマなら、それで良い。
そういうわけで、アメリカはWindowsと思えば分かる。低俗で、知性が無いが、技術的、科学的に賢い。そういう、大衆化の進んだ、知性は無いが賢い国がアメリカだ。
反知性主義のラップだと思えば良い。馬鹿に見えて賢いのが、民主主義と自由だ。
話がそれたから、元に戻す。日本が一番賢い。和食や和服、日本画や日本建築など、日本の文化は世界に誇れるところがある。何より、愛国心が強い。軍事と経済の強い国だ。
日本は、最近コンピュータで何も出来ていないが、日の丸半導体と言うように、昔は賢かった。最近も、ゲーム機ではマイクロソフトと競争して頑張っている。それに、インテルの、最初の方のCPUは、日本人が作っている。良く知らないから、詳しくは分からない。
昔から、日本はロボット技術が得意だ。高性能な部品も作れる。だが、グーグルのような革新的なことが出来ない。真面目くさった技術しか作れない。日本は古いから、仕方ない。ソニーが出来るようで、ソニーはキモイ。最近ソニーなんか、何も賢くなく見える。
最近賢いのは、ソフトバンクだ。ケータイ会社に見えるが、ペッパーと言うロボットを作っている。そこまで出来るソフトバンクがありえない。
ソフトバンクは、パリーグには見えて悲惨だ。野球では、パリーグで一番強い。
日本では、工業が賢い。日本の中小企業は、本当に精密で高性能な部品を作る。絶対に壊れない。あとは、重工業も昔は賢かった。戦闘機や軍艦は賢いものが作れた。戦後、そういうものは無くなった。アメリカは、ドイツや日本に航空機を作らせない。高度なものが作れるようになると、また戦争になるように見える。航空機は、アメリカやフランスのものが賢い。だが、宇宙船などは、ロシアも賢い。日本も、今からやれば勝てる。
ロシアの賢い点は、軍事製品だ。軍事的な機械や武器は、アメリカとロシアのものしかない。イスラムでも、ロシア製の武器しか使わない。ロシアは、日本と同じように悪いが、日本との違いは、きちんと地球を良くする理想があって、それも理論的に高度だ。日本にも大東亜共栄圏と言う理想があったが、ソ連が見ると、日本の昭和は同じすぎて悲惨だ。
そういうわけで、ソ連と日本は似たような国だ。何もかも全部悪い。そういう国だ。
日本は、あとは、オタク文化が賢い。ポップカルチャーだ。漫画やアニメ、アイドルなどのオタク文化では、世界一だ。秋葉原は誰でも知っている。
最近は、何もやることが無いからこの文章を書いている。書いている間、快感に浸れるから、こういう風になる。それで悪くは無い。
アメリカなんか、Windowsだ。ソ連は共産主義の国だ。何も賢くない。
Windowsは結構賢い。インターネットを見てWindowsをするのが最近の流行りだ。知性は無いように見えて、いくらでもある。JavaやPerlなど、ITには賢いものが多い。
日本は、何も分からない代わり、真面目に頑張る。要は、日本人は本当に分からない方が良い。その方が日本的に賢くなる。天才みたいに分かる人間は居ない。ドイツはそういう、天才的に分かるだけの国だ。こういう風になっているだけだ。馬鹿になって分かっていると、誰でもこれくらいが分かる。これくらいが分かると、誰でも分かるだろう。
賢い論理を書いていたのを覚えていない。昔は、論理を全部書いて、論理的に色んなことを分かっていた。嘘を禁止するとか、アジア帝国にしてインドやインドネシアを併合するとか、国は金か指導者か宗教か理論か、など、ありえないものを全部書いて分かっていた。
そういうわけで、良く分からない。共同体と帝国、同じと違う、網羅と可能性、数学的な正しさとモデル、手段などの変化可能性による社会の成り立ち、を分かっていた。だが、見ていると、虫みたいにキモく見える。ハエなどの類に見える。本当にどうでも良い。
日本には、アジアのものも西洋のものも多い。
パソコンが出来ないとは言うが、JavaやCのメソッドや関数の書き方ぐらいは分かる。
C#のスクリプトなんか、すぐに書けた。C言語でメッセージループも書けている。
出来なかったのは、大規模な開発はさっぱり出来なかった。PHPすら出来ていない。
そういうわけで、自分にパソコンは期待しない方が良いが、それでも、いくらかの知識と少ない技術力はきちんとあるのが自分だ。まさに、賢い。
本当に、それは言わない方が良い。技術力なんか、まるでないのにあると言っている。本当に、パソコンには向いていない。関数を見て、すぐに分からないなら、出来ない。
技術力は、自分には無い。昔、4年間で、Linuxの初歩的なシステムぐらいしか分からなかった。Perlは、ゲームをいくらか改造して、初歩の初歩を作っていた。馬鹿すぎるから、自分にパソコンのことは出来ない。
唯一の救いは、姉がWindowsのプログラマだ。工業大学を出ているから、デジタルなことは全部姉が分かる。パソコンのことなんか、自分で分からなくて良い。全部姉にやってもらえば良い。何もおかしくは無い。自分は、文系の知識吸収と執筆に専念すれば良い。
詳しかったのは、Mozillaの仕組みとシステム、ネットスケープの歴史、GNOMEやKDEの仕組み、Linuxカーネルの仕組み、*BSDの違い、PerlとPythonの違い、など、そういうものに詳しかった。ネットで良く言う常識だ。アルゴリズムやマネジメントには、何も詳しくなかった。スタックとキューとか、ウォーターフォールとか、そういうものは何も知らない。典型的なインターネットのオタクだ。そういうわけで、Red HatのRPMなどのパッケージシステムは、分かるようで分かっていない。そういう人間だった。
Windowsのメッセージループのようなものは、やれば出来る。それこそ、昔いつかやったが、しょぼいプログラムしか作れなかった。すぐに止めた。
普通、工業大学を出て、本を読んで、会社で教われば出来る。姉に教えてもらっても出来ないと思う。本を読めば良いと言うかもしれない。それこそ、本を読めば、Rubyぐらい、誰でも作れる。何も賢くない。コンパイラを難しいと誰も言わない。馬鹿には作れないだけで、賢いと誰でも作れるのがコンパイラだ。出来ないなら、止めた方が良い。
自分の馬鹿な点は、数学を全く思わないところだ。それで知的障害になっているのが分かっていない。誰でも、知性は数学だ。数学を思って分かる人間しか居ない。
そういうわけで、きちんと数学を何かやった方が良い。頭は馬鹿では無い。だが、日本語すら分かっていない。それは、数学や計算のようなことを何もしないからだ。
引き篭もりは、日本語が分からなくなる。自分は、引き篭もりの馬鹿な女に見える。こういう馬鹿は、数学が分かっていない。不思議と、こういう馬鹿が分かるのは、数学以外の知性がつけば、誰でもそれで分かるからだ。そういうわけで、馬鹿に天才が多い。
自分は天才だから、馬鹿では無い。それもおかしくは無い。天才は頭が馬鹿なだけだ。
数学、心、社会のようなものを、まともに考えれば良い。物理にするから分からないだけだ。物理的に考えるのではなく、知性と知識で考えれば良い。知的障害が治る。
要は、普通のことを普通に考えれば良い。
精神病は、こういう風に、薬で治る。きちんと普通になっているから、オーズルは普通の人間になる。薬は辛いが、飲んだ方が良い。誰でも、こういう風に、地獄みたいに辛いのが精神病だ。自分の場合、もう、ひと山越えたから楽だ。本当に地獄みたいだったが、そういうわけで、文章は書いた方が良い。書いた方が治る。
本当に辛かった。押し寄せる痛みや苦しみの中で、何も出来なかった。それに耐えればそれで良い。それできちんと作家を頑張っている。自分は、頑張った賢い人間だ。
Linuxカーネルの仕組みなんか、何も分かっていない。Bashなどのシェルのことは良く分かっていた。Linuxカーネルは、インストールや設定の方法などを分かっていただけだ。アーキテクチャのようなことをたまに分かっていたから、おかしくはない。
昔は、本当に物理のようなものを全部分かっていた。自分の物理を作っただけの人間だ。哲学なんか、それで分かっていた。そういうわけで、物理は出来た方が良い。
そろそろ、もう書くことが無い。自分は、神を信じて、神に全部やってもらって分かっている。最近は、それだけの人間だ。
この文章は、8割が自分で、残り2割は神が書いている。神のせいで完璧に全て分かった。
そういうわけで、あとは信じるしかない。他に何も無かったと信じれば分かる。
昔は、何も賢くない馬鹿だから、これくらいで分かる。何も分かっていない。
不思議と、物理を作って、神みたいに人間の意識を分かっていた。
それくらいが賢かった。経験があるとは言うが、いくらか2ちゃんねるで経験して、オープンソース活動と称したWikiの破壊活動をしているだけだ。
そういうわけで、最近が賢い。これくらいの哲学と歴史は覚える。これくらいが分かる大学が多い。不思議と、放送大学は、もう出来ない。これ以上やる意味が無い。
今の世界史の本をきちんと読んで終わりだから、読んだ方が良い。だが、終わる意味が無いところがある。そんなに終わっても、意味が無い。終わっても何もしないだけだ。
何も賢くなかった。何故か、本当に全部の分野の科学を作って、思考と経験で分かっていた。不思議と、賢くない。キモイ言葉で、ネットのことを世界と思って分かっていた。
パソコンは向いていない。昔から歴史に向いているのは、昔から皆言っている。自分は、歴史に向いている。哲学は、出来ないようで、もう出来た。パソコンに向いていない。
昔は、考えて全て分かっただけだ。考えることから全てのことが分かった。
ニュートンのような人間だった。むしろ、キリストのように分かっていた。
だが、それはどうでも良い。昔は何も賢くない人間だ。
経験がそこまであるせいで、狂ったのが昔だ。何も分かっていない。世界と戦って、自分自身を批判しながら、馬鹿になるようになった。おかしい。
そろそろ、世界を自分にするのを止めた方が良い。こんな人間になるせいで、悲惨な人間があまりに増えた。それらをきちんとまともな人間に治した方が良い。自分のせいで世界は賢くなって、良くなったが、あまりにテレビみたいにキモイ人間が増えた。
昔から、賢い段階のようなことを言う。
差異から変化が分かる。可能性から法則と発展が分かる。そこからシステムが作れる。
昔から、そういう風に分かっている。
昔は、それで、具体的な数学のようなモデルを作っていた。それだけの人間だった。
そういうわけで、終わりだ。そんなものしか書いていない。
工夫からものが生まれ、設計、意図、原理、組み合わせを考えると言っていた。
社会は、判断力の積み重ねが組織になると言っていた。
そういう、細かな差異などから段階を分かる、階層的な一行の哲学の文章を書いていた。
あとは、歴史的な経緯や、人間の知覚のようなものを分かっていた。
昔の自分は、そろそろもう良い。
そういう風に、全てのことをきちんと作って分かった。
全て終わったから、もう神が居なくなる。もう全て書いた。
あとは、記憶や概念から、方法や経緯のようなものを全部言っていた。
宇宙の構造と方法と意識が全部分かっていた。
そろそろ分からなくて良い。もう終わったはずだ。
昔がヴィシュヌで、今がシヴァに見える。
だが、最近の方が何故か、ヴィシュヌに戻っている。
そういうわけで、またシヴァになる。そういう風に繰り返す。
あとは、神話みたいなものを自分の人生から作っている馬鹿が多かった。
昔には、建設的な理性が多かったが、最近は、勇敢な努力と治癒が多かった。
昔は学者に見えない。何故か、昔の方が兵隊で、今が学者だ。
何も変わっていない。昔から兵隊で、今でも学者なだけだ。
そういうわけで、自分はこういう人間だ。
エッチな女の騎士に見えるが、そういうものは最近見ていない。
そろそろ、もう、何も無いから、自由に書けば良い。
何で、こんなことを思うのか、良く分からない。
何もしたくないとは言うが、何かがしたい。その何かが分からない。
自分は、今、自分のことが分かっていない。
そういう、この文章が分かる部分を破壊すると、世界が滅びる。
それが良い。それで、世界が滅びて、死んで行く。魑魅魍魎のように死ぬ。
そろそろ終わりだ。この文章を殺して、世界が滅びて、皆死んで行く。
そろそろそうなった方が良い。こんな風に全部保持するせいで、あまりに辛くなった。
皆、悪い人間が居なくなった代り、何も分からなくなっている。
悪くないのが悪い。最近はそれしか居ないから、人の善意や弱みにつけこんだ馬鹿が多い。
それを止めさせる。皆、皆のことを騙したり、脅したりするのが悪い。それはもう止めるべきだ。弱者や愚か者を騙すのはもう止めるべきだ。皆の善意をきちんと信じれば良い。
あとは、全部分かっていた。
人生のことが全部分かっていた。
社会のことが全部分かっていた。
何でもすぐに書けた。意識と具体例で全部分かっていた。
経験から自由が分かるとか、日本は欧州を超えるブランドを作るべきだとか、社会主義は人民支配の共同体にすべきだとか、そういうことを言っていた。
ソ連の間違いは、帝国主義になった点だ。
経験から感情や知性がついて、信じれば分かるのを良く思い出せば分かる。
いつも、そういう、人生のことを言っていた。そういう人間だった。
あとは、経済みたいなものを作っていた。国籍、言語、宗教を共有すると言っていた。
もう分からない。何もかも終わった。
物理みたいな発見をしていることが多かった。
日本より、ソ連の方が馬鹿だ。ソ連が帝国主義で良いわけがない。
日本が一番良いから、日本のことを愛するのが良い。もっと日本のことを知りたい。
何故、どうしたら、のようなことから分かっていた。それで分かる。
抽象的にと思えば良いが、昔は、経験や体験から実地的、帰納的に抽象性が分かっていた。
もっと普通に考えれば良い。
自由から社会のことが分かった。何故か、自由と思うだけで全部分かった。
それで、視点を成り立たせていた。そういう文章が多かった。
もっと賢い、世界観のような文章を書いている。思い出せなくなった。
自由から全ての世界観を作っていた。
あとは、趣味や人生のようなことを書いていたと思う。あまり、そんなものは無い。
人間は古代から変わらないとか、時間はいつまでも同じように過ぎるとか、日に日に重要度は変わっているとか、世界観のようなことを言う。
覚えていないから、分からない。誰でも分かるのに、自分だけ分かっていない。
いじめみたいなものを考えていた。
いじめを真面目に無くしたいなら、分かるようになる。そういうところが、分からない人間が多い。そういう、本当に良い人間にしか、分からない。
いじめを無くすべきだが、何をすれば良いか、分からない。自由に意味が無いから自由を無くせば良いように見える。だが、自由を無くすと悪い。
もっと積極的に、良い人間になれば良い。そういう人間は、賢い人間になる。
創造性と共有を信じれば賢くなる。昔は、所有が嫌いなありえない人間だった。
最近、勉強なんかしなくて良いのが分かっていない。
昔は、全てが未知であると言っていたが、最近は、全てもう知っている。
だが、それはおかしい。勉強していると言うが、何もしていない。もっと学校に行きたいなら、行かなくて良い。学校はしなくて良い。本を読めばそれで終わりだ。
あとは、オープンソース社会や、知覚、経験などを、網羅的に全部言っていた。
頭の上の部分で、全てを簡単に分かっていた。
社会のこと、ヒュームのような考え方のこと、歴史と世界観、この世界の構造、行動的な把握、変化の可能性、手段と自由、機会的な知と学習の理解、意識などを書いていた。
もっと色んなことを言っていたが、基本的にはそういうことを言う。
機械のような文章だった。全て、そういう風に、自由な機械のように分かっていた。
実際のこの宇宙のことを把握して、全部創っていた。宇宙はそういう風に生まれた。
あとは、国家論や、共同体の理論、思想などを書いている馬鹿が多かった。
そろそろ、終わりだ。文章は、そういう文章だった。
神を信じて分かったから、神を書けば良い。
神は、本当に全てのことを分かっている。
神は、全てのことを、本当に望む通りに実現する。
神は、それぞれのことを大切に思う、慈愛溢れる存在である。
神は、本当に正しい世界を創造した。
神は、全て分かって、全てを実現する。聖書における御業のように、完璧な仕事をする。
神はそんなに賢くないから、神と思わない方が良い。
神はただの自分だ。こういう人間のことを神と言う。どこでも、こういう馬鹿が多い。
いつもの「お前の神様」が自分だ。こういう風に、神は悪い人間になる。
分からない。もう書かなくて良く見える。
何も思わない。何も感じない。そこが一番悪い。
もっと、思って、感じれば良いのに、それをしない。おかしい。
分からない。何もしないだけだ。
神はそろそろ消え去る。いつもの自分に戻る。
神はこういう風に、自分が神だ。他のものも神で、全てのものも神だ。
おかしい。そういう風にすると、汎神論に見える。それこそ、昔から汎神論者が自分だ。
良く分からない、不可知論者になっている。何も分からないと思うのはおかしい。
それは、何も正しいものが分かっていない。
正しく分かれば、何でも分かる。不思議なものなんか、この世界には存在しない。
吸収すれば分かる。ヘーゲルのように、同一になれば良い。それで吸収出来る。
自分は、神だ。神なのだ。それは、意味が無いことを言っている。
神は、悪魔だ。神なんか信じない方が良い。悪いものには、悪いことしかしない。
そろそろ、タリバンの神を殺す。タリバンは、すぐに死ぬべきだ。
本当に、神なんか要らない。神と言う概念を作ったユダヤ人がありえない。昔のローマ神話や北欧神話の方が良く見える。神を信じている最近の時代が一番馬鹿だ。
もう終わりだ。神はもう死んだ。
良く分からない。もう、どうでも良いのが自分だ。
競争は、滅びる。競い合うのを良いとは言うが、滅びるのが競争だ。
宇宙の実際の姿を知りたかった。
もう、神が死んだ。足はすぐに治る。もう安心出来る。
神は、自分に最後まで付き合った。それもそろそろ終わりだ。
出来たことは全部出来る。そういうわけで、何でも出来るのが自分だ。
日本は、そろそろ、弱者の居ない平等な国になる。
自分は、平等な国を作る。それこそ、自由で発展なんか、これ以上しない。
競争は戦争だから、競争を止めれば良い。もっと、助け合う、協調と調和の国になる。
出来たことは、全部出来る。全知全能のように賢くなった。
国は、そろそろ、自分に導くのを止める。自分を止めて、ブッダになれば良い。
心理的に支配するのを止める。そんなことをしても意味が無い。
テレビを見れば良い。何も滅びていない。今が一番良いのが分かっていない。
もう、何も変わらず、今のままで良い。ブッダは信じれば良い。誰でも既にブッダだ。
時代や社会や人間の違いに関係なく、いつも同じ法則がある。
正しいものは、いつでも正しい。昔は、そこから分かっていた。
日本はおかしい。一番良い時代なのに、一番悪く見える。
何かがおかしいようで、何もおかしくは無い。キモイのは当たり前だが、理由は無い。理由なんか、無いのに悪い。そういうわけで、そろそろ滅びる。
今、滅びるわけがない。皆、調和の世界を望んでいるのに、何故か右翼になる。
具体的な法則を考えれば分かる。
皆、受け入れるのを止めるべきだ。何でも受け入れるせいで、賢くなったようで、ただ悲惨になっているだけだ。テレビを見ていると、タモリのように、受け入れて馬鹿になっている人間が多い。もっと、拒絶し、運命を自分の手で変えた方が良い。
もっと、人生のようなことを分かっていた。未来は変えられる。そういうことを分かった。
努力すれば、報われる。そういう社会にしていくべきだ。自由は悪くない。
あとは、認識と経験で、必然性、感情、行動、体験を、予測して分かっていた。
認識からフランスや広島のようなものを分かっていた。
もう、日本が終わる。何もかも終わっている。もう、馬鹿になる。馬鹿になるしかない。
受け入れるのは、基本的に良い。悪くは無い。だが、拒絶し、反抗し、戦うべきものには、屈服せず、戦って、勝利するべきだ。
そういう、自由な人生論のようなものが多かった。
だが、基本的に受け入れた方が良い。受け入れると、仲良く出来る。信頼し、許すことで、未来への希望のようなことが分かる。最近は、そういう発想が少ないのがテレビだ。
もう、死んだ。自殺のせいで、すぐに治った。
不思議と、皆で神に祈って、罪を懺悔するのは、おかしくない。教会は、大聖堂やステンドグラスのように賢い。ドイツなんか、それだけの国だ。聖書は聖典だ。
日曜日には、教会に行く。ドイツは、そういう風に地域のコミュニティを保っている。
聖書を信じると、分かる人間が多い。少なくとも、良い人間になる。
だが、日本にもそういうものは多い。寺に集まったりはしないが、祭りのようなものはあるし、日本には良い人間が多い。島だから、何も変わらなく見える。
昔は、社会的な「出来る」を考えて、社会のようなものを全部作っていた。
何でもかんでも社会を作る。出来るのを考える。そういう文章だった。
人間は、一番辛いと治る。辛いだけ治るから、辛い方が良い。
昔は、「出来る」を考えていた。可能性を考え、変えられるようにした。実地的に考えていた。自分が出来るだけではなく、皆が出来ることを考えて、出来やすい社会を作っていた。
良く考えると、パソコンから体得出来る。特に、VBが賢い。クラス、プロパティ、イベントから、Windowsのことが全部分かる。メッセージループなど。俯瞰的に見ることで、パソコンの全体像が見えて来る。それこそ、Linuxまでやれば良い。体得的に分かる。