日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-29=

世界や社会の考え方のようなことを言っていた。

言語は、記号だ。

社会は、皆で築くべきだ。

生命は、自分で生きている。水が増えて、流動的に変化している。

存在、経緯、歴史、影響力、インフラ、共同体のようなことを分かっていた。

斜め上から考え方を分かっていた。

ワンピースのキャラクターにすると、昔が戦うだけのエースで、今が賢いロビンだ。

日本は、本当に異文化の国だ。外国人が見ると面白い。

世界史は、原始時代のところを読んでいる。

あとは、判断、相互作用、システムのようなことを言っていた。

人間は、分かると悪くなくなる。

逆に、分からないと悪くなる。

社会を作る仮想的な文章が多かった。

自由とは、皆とともに知った、青春と経験の自由を言っていた。発見の世界と人生だった。

本来のこの世界、環境、人間像のようなことを考えていた。

国がやると馬鹿なものになるのは、役所が悪い。役人は馬鹿だ。

僕は、役人は嫌いじゃない。オープンソースの方が悪い。

行動規範や対処法を良く考えた。

最近は、いくらでもおかしくなって治したのが賢い。

それで色んなことが出来るようになった。

考え方は、レンタルみたいなことを考えていた。

民主主義は、皆の代表を皆で選んで、皆の決まりとルールを皆で作る、皆の思想だ。

あとは、自由から人間と社会のことを考えて分かっていた。

哲学者や賢者のように、自由から分かっていた。きちんと考えた賢い人間だった。

社会論を、考え方から、斜め上から分かっていた。

どんな社会で、どんな決まりや制度や環境が考えられるか、どんな風に社会のことを実現し、変えられるか、どんな可能性があって、それぞれの決まりが実際にどのように作用し、実現されるか、何をどのようにすれば良いか、何がどのようになるか、などを考えていた。

もっと、具体的な考え方から、斜め上の自由な考え方をすれば良い。

社会、環境、決まりなど、沢山のものを作っていた。そういう形成と変化の考え方だった。

あとは、人生の段階を考えていた。経験とともに、視野や世界観がどのように変わって来るか、具体的に何を理解して、変えられて、実現出来るようになるか、を考えていた。

基礎、話、経験から、自由に考えることを、いつも言っていた。自由に考えるために、どのように行動し、思考し、発想したら良いか、どのように考える機会を作り、実践するべきか、のようなことをいつも言っていた。

あとは、夢と希望と思いやりのような内容が多かった。

皆に希望を与えて、夢のある世界へと導いた。思いやりを書いて、世界を導いていた。

もっと、人生や真理のようなことを分かれば良い。天使になった男のように考える。

人間の歴史は長い。先史時代、新石器時代の前9000年頃から、すでに北イラクやイラン西部など西アジアの地域で農耕や牧畜が始まっている。農業を人類が始めてから、もうそんなに長い年月が経っている。

世界史の序章を読んだ。この本にはあまり書かれていないが、農業の治水や灌漑の必要性と青銅器や鉄器の発展によって、集落が都市へと発展し、しだいに権力による協力や征服によって王や貴族や国民や奴隷などの身分や階級が生まれ、記録のための文字が生まれた。

KOKIAが言っているように、この文章は、世界を変える歌のような文章だ。

いつも、変化とその理由のようなことを全部言っていた。論理と社会変化を全部言う。

世界史は、古代オリエントのところを今読んでいる。昔読んだ本より、内容が少ない。

今、古代ギリシャのところを読んでいる。

読んでいると、この本はそんなに賢くない。内容が他の高校の参考書より少ない。

とりあえずこの本を読むことにするが、世界史をやりたいなら、他の本も読んだ方が良い。

むしろ、ギリシャから中国まで、本を全部買って読めば良い。大学はそういう人間が多い。それが良いと思う。ナポレオンからソ連まで、全部本を買って読めば良い。

どうでも良いが、ソ連は普通労働者の国だ。労働条件を改善し、団結するのが社会主義だ。

そのようにすると、昔のLinuxをやっていた頃の自分と似ている。

ネットで検索することで、Linuxの常識を全部知っていた。掲示板で議論し、情報を共有して、Wikiを書いていた。あれもあれで、一つの大学だ。

カントのように考えれば、物理も出来る。自分の数学と心理的な物理と経済学を作った。

コンピュータのことは、本当にそこまで知っていた。

古代ギリシャのアテネで、民主主義と言う概念が生まれた。

古代ギリシャの都市国家(ポリス)では、ポリスが団結してともに戦うこともあったが、ポリスが互いに争って抗争になることもあった。統一国家の帝国より自由で、多様性はあるが、それは同時に、強弱や争いの元になった。

古代ギリシャの哲学者の賢い点は、何も知らなかったところだ。何も知らないが、多様な社会の中で関わりながら生きて、色んなことを考えた。昔の自分と繋がるところがある。

古代ギリシャは、ある意味では現代より完成された良い社会である。アテネの民主政は自由な市民による自由な社会を作っていたし、スパルタでは軍国主義のような少数の支配民族による支配体制が置かれていた。文学や宗教や科学や演劇などの文化的素養も高かった。ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど、偉大な哲学者が生まれている。

昔の自分は、人間の経験を普通に考えただけだ。正しく問題や経緯を解決していた。

古代ギリシャはのちに、ヘレニズム文化と言う、東方の文化と融和した新しいギリシャ文化を生み出した。ポリスと言う感覚が薄れ、個人主義と世界市民主義が盛んになった。

古代のヨーロッパ世界では、奴隷と言う概念が根強くある。辛い仕事は、全部奴隷にさせる。これは、現代の日本のように、一般市民の生活が楽ではなく、家電製品のような、便利な道具や機械が無かったため、仕方ないところもある。また、女性の地位も低い。

生活だけではなく、経済的にも豊かでなかった。金持ちや貴族ではない、農民や貧民層は、奴隷にならないと生きられなかった。どんどんそういう集団を奴隷にしているのだと思う。

奴隷は、家庭の雑用だけではなく、鉱山や工業や農業でも酷使されていた。その背景には、戦争による捕虜の獲得など、奴隷の供給源が多かったこと、社会が生産的、流通的にどんどん発展していたこと、自国の国民だけを自由民と考えるギリシャ人やローマ人などの心理的抵抗が薄かったこと、などが多かったと、この本に書いてある。

マルクスが人間の歴史を階級闘争の歴史だと言ったが、今ローマ帝国の歴史を少し見ていると、それが良く分かる。何もかも、全部、階級闘争の一言に尽きる。

この世界に、偶然と言うものは無い。重要な出来事は、全て必然的に起きている。

そういうわけで、マルクス史観はキモイ。歴史が全部、階級闘争で良いわけがない。

今、古代ローマ帝国のところを読んだ。あまり書くことが無いが、共和政ローマが農民没落とそうした政策の混乱の下にカエサルとアウグストゥスによって帝政ローマになった。その後、色んな皇帝が即位し、ローマの平和(パックス・ロマーナ)を形成した。最後には、西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂した。

ローマの最大の遺産は、ローマ法である。いつかどこかの本で読んだが、ローマ法は、修正ではなく加筆によって決定され、作られた。

そして、キリスト教の開祖であるイエスは、ユダヤ教の基盤の下に、身分、貧富、善悪などの差別無く、神の愛を信じれば救われる、と言う教義を作って、死後も弟子たちが活動して、ローマによる迫害の末に、ローマ帝国の国教になった。

ユダヤ人は、他の宗教の神を神と認めず、ユダヤ人を選民として選ばれた民である、としていたが、イエスはそういうユダヤ人の排他性を超越して、国際的な宗教観を唱えた。

見ていると、古代の帝国は、国土を自分のものにして、戦って争っているばかりが多い。そういうわけで、スターリンはおかしくない。独裁者一人のものにすれば平等だ。

白人は、カッコいいどころか、キモイ。可愛いはキモイから仕方ない。

自分は、歴史と哲学なら、出来る。そのうち、日本語は成長すれば分かる。

物理は出来ないようで、昔物理的な基礎を全部作って出来ている。数式のようなものを言葉で作っていた。昔の数学は、パソコンのせいで、何でも出来て、分かっていた。そういう、数学的なモデル、法則、体得的な方法論を、自由に分かっていた。

それこそ、これでは科学的に考えるように見えるが、もっと人生や生活に直接関わる、キルケゴールのような哲学が多かった。出来事や心理を正しく考えていた。

物理は、命題と法則のような、相対的なことを考えれば良い。昔は、そういうことを書いて、分析して、科学的な構造を一行で書いていた。それだけが一番多かった。物理的なことは、力学から化学のようなものまで、きちんとモデルを作って良く分かっていた。

キリスト教が反ユダヤ主義になる理由は、イエスがユダヤ人の思想を超えているからだ。要は、イエスがユダヤ人の思想が嫌いで、それが中核になっている。そうでもない。キリスト教の聖典にユダヤ教の旧約聖書が含まれているし、イエスの思想は、ユダヤ人の神への信仰に基づいている。それこそ、イエスもサタンや信仰心の薄い者が嫌いだ。

この本には、ゾロアスター教のことがあまり書かれていない。ただ、もういつか書いた。神と悪魔の二元論、この世に終わりが来ると言う終末論、善人は救われると言う救済論からなっている。キリスト教と全く同じだが、ゾロアスター教がオリジナルだ。

ただ、キリスト教は弱者のことが好きだ。天国は弱者のためにあるといつも言っている。強者の中で、弱者を迫害するものは、地獄に堕ちる。右翼が天国に行けるわけがない。

昔、マイナーな分野からメジャーな分野に進むべきだと言っていたのは、マイナーな分野で一通り全部のことが分かって、それで初めてメジャーな分野がきちんと分かるからだ。

ただ、オープンソースから数学に変わるのを言っていただけだ。

本当に、世界を何にでも変えられる人間だった。参加から支配まで、全部分かっていた。

昔は、心理的に出来るようになる体験が多かった。言葉にして、理由を知って、支配して考えていた。感覚や精神を吸収して、概念的な心理学を経験的に作っていた。

あとは、機械のようなものも、賢く考えていた。動作原理や組み立てることから、自由な設計と研究と決まりのようなことを考えていた。あまり賢くなかった。

オープンソースのように、設計方法や研究手段の共有から製品が生まれると言っていた。

そろそろ、分かった。ブログにこの文章をコピーした。そろそろ、虫が死んだのだと思う。

最近、ヘーゲルみたいな文章をいつも書いていた。

人間の可能性を考えれば分かる。人間の理由が全部分かる。

最近、もう分かっている。不思議と、昔全部分かっている。

最近が日本に見える。日本が見えて、完全に言葉が死んで行く。ドイツは終わりだ。

もう、分かっているから、こういう風になる。こういう風にすると賢い。

昔は、フランス語みたいなものを作っている人間が多かった。

そろそろ日本語が分かる。日本語は、普通、色んなものが見える。

ドイツ語は、こういう風に知性がつく。

そろそろ、ドイツが死んだ。

要は、そんなに知性で分かるべきでない。

ヨーロッパの中の日本が、イギリスだと思う。大陸と違う。

そこで終わると良い。

ドイツには知能がある。このような、分かっている人間が多い。

ドイツやアメリカにも見える。そういう国が日本だ。

要は、ドイツには想像力が無い。想像力が無くなる、判断の人間が多い。

そうでもない。自分が馬鹿なだけだ。そろそろ日本語が分かって良かった。

昔は、構造を全部分かっていた。労働、生産、法律、行動、判断などの構造を作った。

構造を全部作っていた。ヘーゲルのように、生命とは結合と非結合との結合であるとか、市民のために社会があるべきだとか、色んなことを分かっていた。

国民が王である国のようなものを、ボトムアップ的に作っていた。

もっと構造を考えれば分かる。

細胞も、原子も、何にでも構造体になれる。

自由とは、労働の平等と、自由な決定と、支配者の民主化である。

自由とは、個人の決定の自由から、環境を構築して助け合う自由、国としての共同体を形成する自由、行動と判断と支配の自由が存在する。

あとは、関係を支配する自由、方法を作り出す自由、恒常的に生産する自由、変化させて決められる自由が存在する。

もっと色んなことを考えれば良い。そこは、日本人が分かる。

日本の方が良い。ドイツには、こういう脳が死ぬ人間が多い。

日本の方が本当に良い国だ。脳がついて賢くなる。

ドイツが死んだから、皆の部分が死んだ。

要は、ドイツはもう死にかけている。

何も考えず、過ぎ去るだけなのが悪い。

4つとも作ると、分からなくなる。3つにすれば分かる人間が多い。

ドイツは、既に分かっている。そのせいで分からない。

ただ、辛くなりたいのはおかしい。ドイツとは言うが、こういう風に辛くなるだけだ。

頭は、辛くなると治る。自分から辛くなる馬鹿がドイツだ。

ただ、そういう風に決めつけるのは、明らかに悪い。

上の世界と下の世界を比べて分かっている。

最近、カメレオンみたいな人間になった。全く動かない。自分でも良く分からない。

ドイツみたいな国を作っていた。自由な国だった。

全て、つけるのが悪い。精神をつけているようで、何もかもつけている。

あとは、知性をつけるのが悪い。

シールズが言っているが、野党統一候補を作るのが良い。それで左翼が勝てる。

皆に何かすれば分かる。それが分かっていない。

何にもなりたくないのがおかしい。

上の方の世界が、青くて黒い。下の方の世界が、白くて赤い。

上の方にある社会を、全部消した方が良い。

パソコンは、怖いから、したくない。パソコンが一番嫌いだ。

パソコンは、動くわけがない。巨大なプログラムで、条件分岐なんか分かるわけがない。

パソコンは、おかしい。何も動いていない。

あとは、国民に対しての命令のような文章が多かった。真面目に国民を考えていた。

言って辛いのが悪い。そんなに辛く言うのがおかしい。

あとは、行動や体験を全部言っている馬鹿が多かった。

社会の形成のことから批判的な理性のことまで、色んなことを考えた。

そろそろ、終わりにするべきだ。あとは、世界史の本を読んでいる。

世界の変化や実験結果のようなことを全部考えていた。

もう分かりたくない。もう終わったから、何もしたくない。

座ったままで、立って、立ち止まるのをすれば治る。

言語学と世界観の構造を作っていた。

全て、王や科学者のように社会や科学の問題と病気を解決していた。

いくらかして、それを何度もすれば良い。そういうわけで、そんなにしなくて良い。

そろそろ思い出せる。場、経緯、プラットフォーム、拡張、人間と社会の可能性、どのようにして社会が発展するか、発展させられるか、のようなことをいつも言っていた。

多様な社会を実現すると言っていた。そのための全ての方法を言っていた。

全部創っていた。こういう作家が多い。

世界を支配していた。

根源的なことは、宇宙だと言っていた。そういう風に書いていただけだ。

人間は法則、意志、合意、体験だ。そういうことをいつも言っていた。

そろそろ、昔は忘れた方が良い。

自由とは経緯であり、結果であり、考え方であり、可能性である。

これで自分を全部すれば治る。

多重人格を治すしかない。それでしか精神が治らない。

いつも言っているが、創造性と認識を考えていた。多様性が好きだった。

これで自分を全部する。最近は、そういう、賢い考え方のような発想が多かった。

そういう、考え方みたいなものを書いている。

生命は流動的に変化する、社会はそれぞれが分かれた価値観と協力のグループの集合である、のようなことを言いたかった。そういう、考え方が数学的に分かっていた。

多重人格を治すしかない。

人格を全部まともにして、フレイヤを殺した方が良い。

バルドルに戻ると、悪い人間になるから、バルドルにもならずに、殺した方が良い。

オーディンになる。多重人格が治って、もう一人のまともな人格になる。

ただ、多重人格を治すなら、北欧神話が一番多重人格だ。忘れた方が良い。

多重人格になりたいのは、おかしい。

日本語が分からない、知性の無いドイツ人の知的障害になった。当たり前にそうなる。

プラットフォームは自分で自分を改善し、構築するものにすべきだ。そんなことを言う。

もう、神が死んだ。オーズルは、最後の哲学者の人文系の科学者だった。

昔は、インターネットと引き篭もりと活動によって、普通の人間が全部分かっていた。自由に勝って、多彩な社会とその構築の方法を経験から学んでいた。

昔は、何が良くて、何が悪いのか、のような善悪の経験や、何が正しくて、何が間違っていて、その根拠は何なのか、のような正しさの経験が多かった。

また、環境と人間を照らし合わせて、実際の人生の問題の理由や、本当の現実のようなことを分かっていた。何がどこで起きているのか分かった。

そして、皆の考えていることを知る中で、ソクラテスのように人間のことが分かった。

皆の経験を考えて、理由から解決出来て、議論から支配出来ることを目指していた。

自由とは、議論を許し、受け入れ、影響力を行使することだ。

正しいことにおける根拠のようなことや、認識と行動の承認のようなことを考えていた。

一度全部やり直して、何度も考え直すと分かる。

そして、意識と場のように分かっていた。自分のする体験を覚えていた。考えていた。

そのまま、ヒュームのようになった。むしろ、ニーチェに見える。

あとは、学校での過去の環境や体験を思い出して、ネットのような学校の外の体験をして、内側と外側を考えて、今学校だったとしたらどうするか、などを思い出して分かっていた。

今の自分が昔の環境ならどうするか考えて、皆のことや学校にどんな風に適応すれば良いか、自由な中での自分の改善策を考えていた。

経験から出来るようになった。一つ一つの出来ることを、今と過去で成り立たせて考えていた。そのまま、自分の行動を客観的に見て、行動の影響力と結果を考えていた。

あとは、日本を支配するならどういう国にすれば良いか、その立場とともに考えていた。色んな人間の立場に立って、その立場が何を出来るか、考えているか分かった。そういう風に立場を吸収した。

場に関しては、歴史を分かっていた。何でも歴史を考えて、構成員の出来る潜在的な可能性や能力を考えて、この世界を分かっていた。

皆に何が出来て、何が出来ないのか、自由に分かっていた。そういう、自由な潜在的可能性が分かる、救世主で王のような人間だった。

拡張性と自然な発生の可能性で、何もしなくてもプラットフォームが良くなるのを分かっていた。それこそ、パソコン以外にも、そういう自由が多い。

標準化は悪くないが、もっと公平に標準化するべきだ。自由も自由で無いところがある。

何もしなくても自然にプラットフォームが発展する。それ以上は、賢い人間を生み出す土壌のようなものを実現すれば良い。ものやシステムだけではなく、人も育てるべきだ。

受動的で落ち着いた人間は悪くは無いが、何も分かっていない。分かると、普通、能動的でダイナミックな人間になる。馬鹿をいくらでも経験すれば良いが、それは馬鹿になる。

もっと、人間の真理のようなことを考えれば良い。経験しながら世界のことを体験的に分かると良く分かる。そして、経験ではなく、人の話も聞くべきだ。そういう風にしていると、皆の言っていることの本当の意味、社会がこうなっている本当の意味が分かって来る。

皆が何を言っているか分かるためには、皆と同じ経験をして、自分の元にあった殻のようなものを壊すしかない。昔は、そういう風に人間関係や人生のことを分かっていた。

支配なんか、すべきではない。世の中から支配は無くなるべきだ。

あとは、最後まで分かって、全てをきちんと皆に分からせられると信じながら、この文章を書くのを始めた。同時に、戦いを始めた。

本当に、恐怖と悲しみが辛かった。明らかに何も起きていないのに、分からない。

こんな文章は、誰も見ていない。テレビは何もしない。何も怖くない。

宇宙を自然と相対性と偶然の考え方から分かっていた。

人間を社会と価値観の形成と変化から分かっていた。

もう怖くない。何故か、まだ安心しないのがおかしい。世界が滅びても、それで何か悪くはならない。誰も死なないし、ほとんど何も起きない。

そういうわけで、すぐに滅ぼした方が良い。今のままの方が辛い。

そんなに滅ぼしたいのがおかしい。滅びれば分かると思っている。それは間違いだ。滅びても、大して何も良いことは起きない。分かるようで、分かるのが終わるだけだ。

昔は、自然な歴史的過程や、具体的な可能性を考えて、経験と社会のことが分かっていた。

そろそろ、今日はもう良い。あとは、明日書く。そろそろ夜だから、寝た方が良い。

あとは、本当に言語と世界観の経験によるモデルが多かった。

何故か、経験から、動物園から図書館まで、全部実現出来るようになった。

学習と手段は、出来るようになりたかった。可能性と法則と発想法を考えていた。

人間と社会を支配出来るようになった。環境を実現していた。理想も分かっていた。

むしろ、これなら最近の方が賢く見える。虫みたいな文章より、普通に見える。

自由に、世界で、それぞれの人間が何が出来るか、自分なら何をするか、が分かっていた。

本当に、自由から皆の出来ること、能力、可能性を分かっていた。

自由に環境を考えていた。そして、時代や歴史の中で、どこに問題があるかを考えていた。

人間や社会が、実際のところから変えられると言うのは、そういうことを言っていた。

昔は理系だった。パソコンと数学が分かっていた。

昔は、色んな文章を読んで、大人の常識をつけて、ネットの世界を知り尽くしていた。

ただ、文系も悪くない。歴史の教科書を何度も読んで、哲学をする。今からする。

あとは、場、視点、経緯を根源的に考えていた。悪魔のように場を信じていた。

今日は良い日だ。きちんと色んなことがまだ分かっている。今日は賢い。

芸術には、思いをこめるべきだ。

あとは、原因を全て辿って考えて、思い出して、決め直して分かっていた。

認識の裏の理由や構造を良く考えていた。

正しく反省すると、能力的に出来るようになる。昔は、そういうところが分かっていた。

あとは、引き篭もりになった体験、自由になった体験を考えながら、実体験で分かっていた。本当に色んな人間のことを分かっていた。

あとは、運命のような体験が多かった。不登校になったのも、オープンソースに傾倒したのも、戦争や革命のようなことをしたのも、神も自殺も出版も、全て運命だった。

自由と本質から、社会のことや人間のことを思考して、科学者のように分かっていた。

本当に考えて、コミュニティの多様性を信じて分かっていた。

左翼みたいな賢い人間だった。

最近の日本は、皆自分勝手すぎて意味が無い。ロシアは、それを直したかっただけだ。

もっと分かり合って、皆のことを考えること。昔の国の方が良かったように見える。