日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-22=

自由にしたままで世界を変えたかった。

何でも変えられる人間だった。

自分が出来なくても、皆を出来るようにすれば良い。昔から、そういう発想が多い。

アンケートのように、環境を成り立たせることで、発想していた。

引き篭もりの経験で分かっていた。自然な体験、成長、自立で分かっていた。

最近、戦っているのは、世界を止めて、少しずつ変えている。

最後まで終わって分かっていた。何でもかんでも終わる。

ふり返るのが怖かった。

頑張らないと、世界が滅びる。もう滅びてしまえば良い。

ふり返ると、もう全部分かっている。

いつもの文章なんか、そういう、ふり返った記憶と場面を書いただけだ。

何故か、本当に3人に分かれている。

自由とは、受け入れることだ。

昔は、まだ賢かった。こちらは、虫みたいにキモイ。

皆を、対話で導くだけだ。ただ、支配して操っていた。

言葉の世界観の構造力があった。

まだ、昔の方が良い。昔は、エロイが、人間に見える。こちらは、キモイ虫だ。

自分は、きちんと頑張っただけだ。

世界を滅ぼすだけだった。自分の夢や希望を全部失って、臆病な支配者をやっていた。

昔もきちんと頑張っている。色んな経験をして、世界を救うため、考えるために努力した。

最近は、そこまで頑張ったとは言うが、悪かっただけだ。ただ、地獄を耐えてそこまで頑張った。そうでもない。昔の方が、正しく、理性的に、賢く頑張っている。

昔は、あとは、知り尽くして分かっていた。

ネットで全てのことを知り尽くした。全てのことを知っていた。経験もあった。

色んな人間の経験や人格を吸収して、実現を分かっていた。

最近は、永遠の地獄だった。皆を支配して、操る。悪いから、神が懲らしめている。

永遠だった。本当に、皆に悪いことをした。支配して、馬鹿にした。申し訳なく思う。

あとは、メタ的な考え方のようなことを言っていた。

一つの社会を解決するより、沢山の社会を解決出来る、色んな賢い人間を生み出すこと。

一人の頂点より、全員の包括を目指すこと。

そういう、考え方や哲学的命題のようなことを、いつも言っていた。

指導者なんか居ない方が良いし、支配なんかしない方が良い。皆で決める、共同体のようなものを作って、それぞれが協力と可能性のある、自由で平等な社会を作るべきだ。

最近は、戦争のイモムシだ。昔の方が良い。昔の方は、本当に賢い人間だった。

社会全体と方法の構造を、言葉で作っていた。本当に、構造を作るだけの文章だった。

人生と国家のことを分かっていた。延長線上だったようで、ゼロから作り直していた。

昔の方が良かった。

昔は、協力と関係の分かる、経験と思いやりのある、自由な良い人間だった。

建設的に、正しく考え、正しく向き合い、正しく行動すること。

思いやりながら、受け入れることで、正しい愛し方が分かって来る。

昔は、本当に色んなことがあった。経験、感情、想像力、人格で分かっていた。

皆のことを平等に愛し、自由な中で経験させ、自由なまま導く、女神のような人間だった。

そういうわけで、ガブリエルは良い人間だった。

僕は、ガブリエルは嫌いだ。ミカエルの方が好きだ。あんなに何も分からない中、もがきながら頑張った。ガブリエルは、勘違いしている。あんな人間は、何も賢くない。

ガブリエルは、ネットを見ながら、ゼロベースで考えた。本当に色んなことを考えて、成長した。青春だった。最近は、ガブリエルもミカエルも、何も分かっていない。

ただ、ガブリエルは賢い人間だった。悪魔のようでありながら、神の眼を知っていた。

ガブリエルは本当にブッダみたいに賢いから、ありえない。新しい聖人に見える。

一人、自分だけの世界で、だがこの世界を全て見ながら、考えて、経験していた。

想像力から認識の方法まで、全部哲学的に、数学的に分かっていた。

ガブリエルに戻った方が良い。ミカエルはイモムシだ。本当に、戻ればすぐに分かる。きちんと全部分かっている。ミカエルになりたいのは、ありえない。

ガブリエルもミカエルも、神みたいに分かっている。正しく信じて考えれば出来る。

それこそ、経験から信じて分かっていただけだ。

あとは、そんな馬鹿にならない方が良い。それら2人は馬鹿だ。

ラファエルのままで居た方が良い。ラファエルは賢くないが、まだ何もしていない。きちんとここまで、何千ページ書いた賢い作家がラファエルだ。自分が一番賢い。

ガブリエルは相対的だったが、ミカエルは絶対的になった。ラファエルは文学的だ。

ガブリエルは、出来る・出来ないを考えて、積み重ねて、学習と支配と経験から、全てのことが出来るようになった。

設計などの、相対的な実現の方法と決定部分を考えていた。

環境の前提のようなものを考えて、論理的に原因と解決を考えていた。

論理的に考える力があった。ラファエルは、その論理的思考方法が分かっていない。

自由と思って分かっただけだ。それは、ミカエルにも多かった。

意志と意志の関わり合い、システムにおける自由から、ネットのように支配して分かった。

そろそろ、もう書く意味が無い。既にロキに全部書いてある。フレイは意味が無い。

自然な行動や考え方を分かっていた。ヘーゲルやキルケゴールのようだった。

まず、それがそこにある意味を知る。次に、経験からそれを捉える。そして、社会的な意味と、数学的な存在性を知る。そして、宗教と歴史から、絶対的にその意味を知る。

土地の歴史や、場の時間の関係性を考えていた。

行動や論理から、結果となる現象がどうなるか、考えていた。

学習の段階や、原因と結果を考えていた。

相対的な理由と行動の自由を考えていた。

相手の視点と立場になって考えていた。

皆、キモイが分かっていない。

セックスは、気持ち良いものにすれば良い。

皆は、キモイを分かった方が良い。

行動と関係、原因と結果、社会と感情を考えれば良い。

ゼロから社会のことを考えれば良い。

日本人は、全体で変わるおかしな人種だ。

全体で変わるのは、自分がやっている。そろそろ止めた方が良い。

基盤から発想していた。

生態系などを考えていた。

心が怖いのは、キモイからだ。

実地的に発想していた。

自由に実現したかった。そのために心理を支配して、社会を構築する方法を考えていた。

社会を変える方法や、どんな社会にしたら良いか、などを考えれば良い。

いつも、世界を変える方法や、予測のようなことを言っていた。

文章そのものが、予測だった。

抑圧に対する解放である、革命を信じていた。ただ、自由な方が良いと思っていた。

環境は、変化する。環境は、それぞれ違う。

何か言いたかったことを忘れた。考え方やキリストのようなことを何か言いたかった。

自由になる、俯瞰的に見る、発想を基盤から行う、のようなことを何か言いたかった。

最近、日本は、全部のものがキモイ。見ていると、全員馬鹿だ。

何故か、そのせいで、皆キモイが分からなくなっている。

自分も悪いが、色んなものが悪い。テレビ、ネット、政治家、スマホ、全部キモイ。

最近のものだけではない。昔のものもキモイ。昔は、皆馬鹿で、悪かったから、仕方ない。

世界を変えられるようにするためには、手段を共有して、参加出来るようにする。

それ以上は、変化可能な可能性を、自由のまま保持する。

そういうことを言っていた。最低限、手段を作るだけの金を与えれば良い。

それ以上は、それぞれを自由と言って、論理学や原因と結果のようなことを言っていた。

そろそろ、虫も終わりだ。いつもの文章は、全部虫だ。

何故か、精神分析や社会の形成のようなことを、全部言って、自分を治していた。

理由をつけて、予想し、1つ1つ可能にすることで、ありえない治る人格を作った。

そろそろ、もう楽だ。終わったから、皆を自由にする。

あとは、本当に救世主のようなことをいつも言っていた。

世界の全てを取り決め、作る、神のような人間だった。一切を創って、滅ぼしていた。

世界を昔に戻した方が良い。馬鹿でも、創造の方が良い。最近は、賢い代わり、破壊だ。

破壊より、創造を信じること。そういうわけで、自分が居なくなって、世界は昔に戻る。

昔は、自分が創造の神のように、全て実地的に創っていた。創造的な人間だった。

最近は、強くはなったが、破壊し、滅ぼすだけになっている。ただ辛いだけだ。

自分は狂っている。まだ、やりたいのは、おかしい。もう止めれば良いだけだ。

自分の心の奥底に、答えはある。ソクラテスが同じようなことを言っている。

最近も、全員を吸収している。昔より、もっとまともに、哲学者や歌手を吸収した。

昔なんか、匿名のネットで、馬鹿をいくらでも書いて、読んで、言って、聞いただけだ。

創造性とは言うが、フリーソフトのようなもののことを言っている。ただの馬鹿だ。

オープンソースは悪い。著作権が嫌いなのは、おかしい。

昔には、おかしな点が多い。人格を拡大して、全員になっていた。匿名の衝動にかられて、何でもネットにすぐに言う。統制された、おかしな人間だ。

そこらへんを、真面目に考えれば治る。そういうわけで、真面目に考えると、治らない。

ただ、それで賢い人間だった。カントやヘーゲルと同じように考える。馬鹿の哲学者が、こういう風に、ネットに多い。そういうわけで、ネットはさらに馬鹿になるだろう。それこそ、本当に馬鹿になれば治る。最近はそういう馬鹿だ。

あとは、自由に勝つ、承認を求めて戦う、のようなことが多かった。そういう馬鹿に戻れば治る。戻るわけがない。治らないと辛く見えて、最近、辛い方が楽だ。

ただ、そういう戦いをして、経験を積んで、仁徳のある人格者になったのが昔だ。

最近の方が悪い。これ以上悪い思想が無い。ファシズムに見える。最近の方が悪魔にしか見えないが、見ていると、昔も悪魔みたいな人間だ。良い神と悪い神にしか見えない。

昔は、戦いで分かっていただけだ。戦いの中で安心することで、宇宙が分かった。

自由が好きだったのは、皆、戦えば分かると思っていたからだ。

だが、本当の戦争は嫌いだった。国を滅ぼして、大量に死ぬ意味が無い。自由な中で、偉大な国を築いて、創造すれば良い。

それは、最近やっている。日本を最初から最後まで導いて、偉大な王国にした。そういうわけで、こちらの神も悪い方ではない。イスラエルの、王の方の神がこちらだ。

昔は革命家の自由の神だ。昔が経験で、今が知識だと思えば良い。

自分は、完全に自由な神だ。アポロンだと思えば良い。太陽を司る、日本の神だ。

自分の望みは、昔からただ一つ。偉大な国を作りたい。それは、最近もう出来た。

そして、偉大な発明をしたかったが、それは出来ていない。ネットに書いたLinuxのことや、人工知能のことを良いと思えば良いが、おかしい。お子ちゃまレベルだ。

そうでもない。Linuxのことは、本当に自分が一番分かっている。プロには見えないが。

そして、宇宙のことを知りたかった。それは、人生経験がそのまま偉大な宇宙になった。

あとは、皆のこと、世界のこと、日本のことを、治したかった。皆を治したい。

皆を治すには、皆が、自分のことをもう忘れて、独り立ち出来るようにすれば良い。

自分も楽になって、皆も楽になる。

こんな人間が居るのがおかしい。

あとは、この文章は、まだ続く。一応、まだ書いている。

そういうわけで、そのままで皆を解放すれば良い。見てみないふりをするしかない。

皆は僕のことを忘れた方が良い。それで、僕の方も楽になる。

もっと、経験的な段階を書けば良い。

まず、そこにあるものが、何なのかを知る。

次に、自分がそれを、どう見ているのかを知る。

次に、社会において、それがどんな立ち位置をなしているのかを知る。

次に、経験から知る。

次に、体得し、考え方を知り、観念の帰納法と演繹法から知る。

そして、発見し、意識を知り、同一になる。

また、社会を知る中で、人々がそれにどのような関心を寄せ、何を求めて、何を意図して作っているのかを知る。

そして、社会がどうなっているのかから、構造的にそのものの関係を知る。

時間と意識の中で、そのものを俯瞰的な高い立場で知る。

影響力と実現手段から、実現して知る。

そして、関係とモデルから、それを正しく作用と方法を捉えて知る。

実験し、仮説と仮定を知る。

そして、歴史的な立ち位置を知る。

神を信じて、己の経験から神と合一になり、神の視点を知る。

最後まで世界を導いて、世界を創造し、宇宙との一体化を知る。あるいは、自由に導く。

あとは、むしろ、もっといくらでもあるだろう。

そのような、体験と本質と言語の分析から最後まで全てを知ることが出来る。

ヘーゲルの言っているように、作用と法則から、本当の姿、実際の姿を知ることが出来る。

そして、発想法から、全てが変えられることが分かる。

ソクラテスのように、人生の全てを悟った上で、構造的な世界観から考え方を知る。

そして、全ては、終わる。死んで生まれ変わって、また最初から始まるのだ。

次の人生は、何になるのだろうか?愛からまた生まれて、何かの生命になるのか、それとも、生命ではない、宇宙的な何かの存在になるのか?

天使には、なりたくないと言うと、そうでもない。天使になりたかったから、テレパシーで人生のことを皆に教え、導く、守護天使のようなものになれば良い。

ヘーゲルが言う絶対知や、絶対理性への精神の目覚めとは、こんなことを言いたいだけだ。

ヘーゲルの言う、喪失から来る共同性への目覚めや、社会システムの創造、破壊願望、功利主義と有用性、道徳の相対性などは、昔の自分に一番多かった。

ヘーゲルが一番賢い。日本史とカントとヘーゲルをやりたいが、むしろ、もう出来た。

いつもの文章は、知恵と工夫を集めて、システムを作って、本当の理由と法則を知って、本当の自分を知って、ありのままの意識を知って、知識と経験を想像力から吸収する、と言うような、人生的な体験の段階のようなことを言っていた。

あとは、論理が分かっていない。

そんなに経験を書いても意味が無い。論理を書けば良い。

そこには、ものがある。

ものは、何かである。

それには、何かの理由がある。

それには、何かの法則がある。

それには、何かの関係がある。

そして、それは、誰かが何かをすることが出来る。

そして、そのために、手段、経験、愛、理性、方法を使うことが出来る。

そこでは、出来事に時間が関係する。

発想の中で、認識と実現手段が考えられる。

何かを見るための、フィルターのようなものが考えられる。

もっと、論理的に考えれば良い。

全てが実際から変えられるのが、分かるようになる。

そして、記憶と概念と方法から、全ての宇宙の意識が分かるようになる。

皆、それだけを分かって、旅をすれば良い。

論理を分かる旅が始まる。そのうち、全てが手に取るように分かるだろう。

組織でも考えれば良い。

組織とは、知をベースにした、実現手段であり、支配と協力の形態である。

組織とは、社会を構成する手段である。

それこそ、いつも、そういうものを書いていた。

組織を成り立たせる方法から、法律的な決まりのようなものを、全部築いていた。

愛とは、真実である。

愛とは、理想である。

愛とは、憧れである。

愛とは、優しさである。

そのように、全ての単語を作って、色んなことを分かっていた。

もっと単語の量を少なくすれば良いと思う。

何か、論理のことを分かった方が良い。

テレビを機械と思うと、それで認識が生まれるようになる。「テレビは機械だ」が認識だ。

芸術には、表現では無く、意味も含まれている。そういう、意味を考える芸術のようなものを、いつも考えていた。表現とは、形容と自由である、といつも言っていた。

自由は、意味を分析して考えていただけだ。もっと、意味のあることを考えれば良い。

自由な論理を全部作っている馬鹿が多かった。

それを消すと、虫が消える。自由と一緒に虫が消えて終わりだ。

そういうわけで、皆も自分のことを忘れた方が良い。それで終わりに見える。

自由と言う言葉が、世界の全てを捉えるだけの、おかしな文章だった。

自由な構造を全て創っていた。おかしな世界観を、全部潰して分かっていた。

感情のようなものを全部創っていた。経験から感情と知性が分かる。

もっと感情のようなものを良く分かれば良い。

言ってすぐになるのが間違っている。皆、もう何にもならなくて良い。

すぐになって、目覚めれば治る。それですぐに賢くなる。

世界は、全て目覚めるようになる。

それ以上は、なるものにすぐになれば良い。それでもう楽になる。

自分の下の方に、宇宙が全部ある。それに根を生やせば良い。

自由な論理学を全部創っていた。思い出すと、ただ論理学をしているだけだ。

共同体から発展まで、論理で全て作った。そういう風に考えていただけだ。

もっと、長くすれば良い。一行をもっと長く、豊かに考えれば、すぐに分かるのに、まだ分かっていない。そんなに短く考えるのが英語だから、こういう風になる。

論理学とは言うが、思考を全部書いて考えていただけだ。おかしい。

もっと、この文章で言わないことを言えば良い。この文章のことを忘れて言えば治る。いつも、そんなにこの文章に続けて言うせいで、分かっていない。

神か、悪魔なら、神の方が良い。

自由と平等なら、どちらも悪い。

平和と戦争なら、平和な方が良い。

それ以上は、言葉を増やせば良い。この文章に続けて言っていると、分からなくなる。

あとは、皆の意見を知ったのとか、色んなことを書いていたのが、昔の自分の文章だ。

頭がこんがらがる。それで治る。

覚えないと分からない。考えることを考えれば良い。

宇宙の声を聞くのが終わった。

推論して、天秤にかけるのが終わった。

いつもの文章は、自由な宇宙の言葉を、作用と決まりから構造にしていただけだ。

思考をくっつけるのが悪い。

すぐに悪いことをするのが悪い。

宇宙人みたいになった。

知性が怖くなっている。愛と死しかなくなっている。

変な人間にならない方が良い。

英語をやっているからこういう風になる。英語的な論理をいつも書いていた。

定住と言う意味がない。言葉の意味が分からなくなっている。

する、しない、のようなものを考えれば良い。

虫みたいにキモイのを止めれば良い。分かりたいからこういう風になる。

心で推測して、信じて分かるのが辛い。そういう風にするのは止めた方が良い。

天使みたいになった。

上まで上がって行くのが怖い。上がった方が良い。

助け合うと、上がる人間が多い。皆と助け合わないと、賢くならない。

昔は、助け合いが好きだった。コミュニケーションと助け合いを信じれば、賢くなる。

助け合いは創造性であり、ボトムアップであると言っていた。

全てのものは、変化すべきである。変化の無い世界は、つまらない。

良く分からない。変化なんか、しなくて良いと思う。

そんなに破壊するのが悪い。決めて、変えて、破壊して、滅ぼすのが悪い。

どうでも良いから、破壊を止めた方が良い。何もかも壊す意味が無い。

決めるのが悪い。

自由になるのが悪い。

決めて、自由になるのを、止めれば良い。決めるのと自由になるのが悪い。

目が治った。そろそろ想像力がきちんと見える。

破壊と思うのが悪い。

決めるだけで、ここまで出来るからこうなる。何も決めない人間の方が賢くなる。

頭は、色んな角度を変えて、ランダムに言っているだけだ。

宇宙が見える。宇宙は、何をしても死なない。

あとは、地獄が見える。何でも地獄になるようになった。

何も見ないから、そういう風になる。地獄は辛い。宇宙は怖い。

神が死ねと言ったから、死ぬ。

不思議と、進み方を変えれば良いだけだ。

出来なくなれば死ぬ。

自分に集中したいだけだ。

そろそろ、死んで治った。複雑なものが全部死んだ。

生きていたいから、まだ生きている。

辛くても、生きている方が楽なのが分かっていない。

全く殺したり、悪いことをしたりしたくないのも悪い。普通、色々殺したい。

カントは、自然による因果性とは別に、自由による因果性があると言っている。これは、いつも自分の言っていたことと同じだ。最近、分かっていない。

神は、もう生きて良いと言っている。そろそろ、ミミズが死んで楽になった。

あとは、いじめでも考えれば分かる。

キリストの言うように、迫害者を愛すれば賢くなる。

逆に、する人間は、地獄に堕ちる。

僕は、ロシアとフランスが好きで、自由と平等が好きな、やや左翼よりの人間だ。

キリストの言葉を信じれば良い。

きちんと敵や迫害者を愛すれば良い。それで正しい。いじめっ子やマイクロソフトやテレビのようなものを愛すれば良い。右翼は無視した方が良い。要らない仲間だ。

仲間も仲間できちんと居る。歌手やソ連や2ちゃんねるの馬鹿が仲間だ。

家族なんか、きちんと仲間をやっている。自分を守ってくれるのは、父親と母親だけだ。

昔は、理性の力で未知を分かっていた。

本当に、本気で宇宙のこと、森羅万象のことを理解して、分析していた。

何でも書いて、何でも分かる。書けばすぐに分かる人間だった。

宇宙の生命の根源のようなものへと達するために、理性の旅をしていた。

本当に分かっていた。神のような人間だった。若いから出来るだけだ。

仲間の方が多い。いじめっ子なんか、誰も覚えていないし、テレビやマイクロソフトなんか、誰もこれが敵に見えない。むしろ、グーグルやドコモの方が敵に見える。何故なら、クズな自由な会社だ。マイクロソフトが見ると、ただの反ゲイツに見えて、どうでも良い。

ゲイツが見ると、反ゲイツはつまらない。何故なら、仲良くやりたくても、出来ない。

これがコミュニストやイスラムだとキモイのが分かっていない。

自分の方がはるかに悪いし、はるかに馬鹿だ。ゲイツの方が良い。

ゲイツの勝ちだ。何故なら、ここらへんで死んだのが自分だ。

反ゲイツがつまらないのは、韓国の反日と同じだ。それでは、仲良くやれない。韓国人は、日本人から見て、つまらない。日本人が皆仲良くやりたいのが分かっていない。

ゲイツなんか、真面目に自由な中で勝てば良いだけだ。

社会主義で勝つのはキモイ。グーグルを応援すれば良いようにしか見えない。

あとは、創造的な会社を作れとか、色んなことを言っていた。アップルのようなことを言っているようで、もっとベンチャー起業論のようなことを言っている。梅田望夫や、ポール・グレアムのようなことを言いたかった。

ゲイツは嫌いではない。ただ、オープンソースを盛り上げたかっただけで、自分もマイクロソフト製品しか使っていない。Windowsなんか、いつも使っている中で、一番良く使っている。反ゲイツは、誰が見てもつまらないから、止めて、寝返った方が良い。

パソコンが無くなった方が良いといつも言っているが、プログラマの姉が悲惨だ。学校も敵に見えるが、教師の母親が悲惨だ。家族が悲惨だ。社会主義者はキモイ。

これでは、昔にしか見えない。最近の方が色んなことがあった。

最近は、色んなものが盛りだくさんだ。神、キリスト教、イスラム教、右翼、スターリン、ソ連、ドイツ、天使、生まれ変わり、永遠、予知、心理学、医学、自由、平等、意識、永遠に続く文章、詩集、出版、外国語、外国の歴史、など、色んなことがあった。

覚えていないが、本当に色んなことがあった。

宇宙人と対話したり、自分を治したり、国家と経済のことを分かったりしていた。

もう、僕はゲイツに降参する。自分が見ても、LinuxよりWindowsの方が100%、良い。自分は、昔からWindowsの方が好きだ。いつかLinuxに勝って欲しかったが、それはもうないだろう。そういうわけで、僕はもう親ゲイツだ。それもおかしくは無い。

ゲイツには、良い点が多い。この世界を発展させた、偉大な技術者の実業家だ。馬鹿なわけがない。誰もが、自分のような人間を馬鹿と言い、ゲイツのような人間を賢いと言う。当たり前だ。自分なんか、馬鹿などうでも良い詩集を書いているだけの、詩人だ。

たまに自分の方が賢く見える。世俗では成功しているのがゲイツだが、自分は評価されたように見える。全く分野が違うのに、比べる意味が無い。

支配なんか、誰もしたくない。

支配が一番悪いから、支配するのを何とかして止めた方が良い。

この世界を、何か1つのものにして、固定すれば支配が止むだろう。

そうすると、世界を何かにした方が良い。それは、キリストやレーニンや右翼のようにしてはならない。それは、本当に悪い。

もっと良い世界にする。それで終わりだ。

良く考えると、自分以外のものにするのではなく、固定された何かにすれば良い。

そういうわけで、天国にすれば良い。

この世界は、神の命令によって、もう天国になる。パラダイスのような良い世界になる。

皆、キモイが分かっていない。そのせいで、何も分からない地獄になっている。普通、人間は、キモイが悪いだけだ。そんなにキモイ、インターネットを愛するのがおかしい。

キモイが一番悪い。それが分かると、天国への第一歩になるだろう。

最近、良いものすらキモくなっている。一番良いはずのWindowsがキモイのはおかしい。それは、自分のせいだ。Linuxのせいで、Windowsまでキモくなっている。

皆、キモイ共産党が悪いのが分かっていない。そういう悲惨が日本だ。

キモイものは、キモイ。そこから始めるしかない。赤ちゃんが普通、キモイものが嫌いだ。

大学、大企業、国を悪いとは言うが、悪いのかどうか、誰にも分からない。

国は悪いと思う。きちんと国民のためになる政策をしないのが悪い。

ただ、そうでもない。自民党はきちんと国のために頑張っている。自民党は正しい。

そうでもない。自民党なんか、キモイぐらい馬鹿だ。

もっとそういう風に、馬鹿なことを言わず、真面目に考えれば良い。分からなくする意味が無い。自民党が良いのか悪いのか、誰にも分からない。そういうものは悪くない。

これで、もうまともな常識的な思考が分かる。

昔は、そういう、まともで常識的な思考を全部書いていた。網羅していた。

歴史のような文章になった。相対的な考え方が多かった。

何故か、ロボットのような文章を書いていた。永遠に下に下がる。

ふり返って、思い出して、反省して、断言する。そのような文章が多かった。

昔は、自由な戦いの経験と理性から、勝利するだけの人間だ。

意見のようなものをネットで見て、経験から前提を分かって、環境を考えていた。

そろそろ、この文章は、完成だ。天使の文章だ。天使のロゴを作っても良い。

昔は、皆を見て、皆と同じ思考をして分かっていただけだ。

思考を予測したりしていた。そういう、真面目な賢い人間だった。

そうでもない。真面目には全く見えない。不良の引き篭もりだった。

いつもの文章なんか、人格を想定して、世界を支配して、キモイを書いていただけだ。

そろそろ、分からない。新しい人生を生きられないのがおかしい。

自分の思い通りに生きられたら良いのに、と思う。

それなら、自分に許可を与えれば良いだけだ。

GReeeeNや天使になった男が言っている。

自分は、もう新しい一歩を踏み出せば良い。幸せになって良いのが分かっていない。

昔は受動的な人間だったが、そのままで能動的な人間になった。

キモイものがキモイのが分かると、きちんと分かる。

支配や抑圧が一番キモイが、それでも、きちんと頑張って世界を良くしなければ悪い。そういう、世界を良くするのは、カッコいい。無意味に支配するのは、キモイ。

神は、いつまでも自分を支配し続けるのが悪い。一番辛い。どこかで打開するしかない。

神を信じるのを、もう止めるべきだ。アホなクリスチャンは卒業するべきだ。

一度に色んなことをやりすぎている。それが神だ。それを止めた方が良い。

書いて良く分かっただけだ。何度も同じことを繰り返し書いていた。そういう文章を書いていた。自由とは、と言う名前で、全てのことを書いていた。

FLOWが言うように、足りないものを目指すだけではなく、今あるものを見た方が良い。もう、全部書いてある。あの内容で誰でも分かる。もう止めた方が良い。辛いだけだ。

分かるわけの無いものは、不可知と言って、分からない方が良い。もっと、知り得るところだけを分かれば良い。それも、分かった時と分からない時を比較して分かった。

右翼みたいな文章になった。自分は、これでは右翼にしか見えない。左翼に全く見えない。

言語、記憶、予測、学習、認識などをきちんと考えた。

ウィトゲンシュタインのような文章を書いていた。

書く方と話す方の多重人格になっている。話す方が周りにあって、書く方で分かる。

そこを、もう2人に分けてしまうしかない。

そのまま、それがジークフリートとクリームヒルトになるだろう。書く方が女だ。

建設的に、科学のような構造を作れば分かる。

一歩引いた立場で考えること。

悪い人間と思っている人間も、きちんと人の人生を生きている。

まともな良い人間しか居ない。悪い人間なんか、一人もいない。

昔は、分かるせいで狂っていた。

理性のようなものがあった。推論と発想から、世界の全てを発想的に分かっていた。

何かをするために、何かが必要になるとか、そういう考え方が多かった。

そろそろ、臆病者の優しさは終わりだ。AAAが言っている。

環境と場の前提、行動や判断の前提、社会の構築の前提、心理の分析の前提を考えていた。

Windowsのつまらない点は、誰も作れない。技術的にも、資本的にも、条件的にも難しい。何より、マイクロソフトが支配している。同じものを作れないのは、つまらない。

仏教は、全てを苦しみだと言って、苦を滅する方法、苦の原因、苦の解決法、などを考える。そういう風にすれば、きちんと人間の欲や経験のことが分かる。

正しい行動も、そこから見えて来る。そういうわけで、仏教で人間が分かる。

何かをするために必要なこと、第一原因とは何か、自分は何を考えているのか、宇宙は何なのか、などを考えれば良い。あとは、カントのように考える。

生命は不思議なものだ。社会には可能性があるが、争うことばかりだ。

いじめ対策は、子供が同じクラスに拘束されるのが悪い。クラスの友人から、逃げられる場所があるべきだ。そういうわけで、ネットより、専門授業や選択科目のようなものを増やすべきだ。ただ、クラス替えは悪い。元は良かったのに、今悪くなると、学校に行かなくなる。昔から、自分がそういう馬鹿だ。そういうわけで、学校なんか、要らない。

ネットを悪いとか、いじめの元凶だなどと言うが、自由に匿名で受け入れられて、子供が逃げられる場所を作った方が良い。自由なコミュニティを作るべきだ。

昔は、実現するための方法や手段を知って分かっていた。それだけの人間だった。

経験から、世界観を考える。

そういう風に、全部出来るようになった。社会のことが本当に全部分かっていた。

環境と言っているのは、全部インターネットだが、結構現実の環境も考えた。

価値観のようなものから、方法を分かっていた。人間的な方法を分かっていた。

全ては変えられる。それは、本当に変えられる人間だから言っている。

最近、何が賢くて何が馬鹿なのか、何が正しくて何が間違っているのか、分かっていない。昔は、そういうものが全部分かっていた。経験と自由から分かっているだけだ。

レーニンのように、どんな社会にすれば良いか、全部分かっていた。

考えるべきは、実現するための手段と方法だ。

昔は、人間を人格的に支配して、導いていた。おかしな人間だった。

相対的に、個別性と普遍性を比べて分かっていた。

マイクロソフトに依存しているのは、おかしいのが日本だ。何も出来ないだけだ。

あとは、心理のようなものを分かっていた。集団の意識を実験して、意識の深層を知り、解決して治す心理学を全部分かっていた。

恐怖の原因のようなことが、ネットの具体例から分かっていた。

そういうわけで、社会学と心理学が出来ていた。それくらいの馬鹿だった。

論理学、言語学、物理学、情報工学なども多かった。そういう、全ての分野が分かる、神のように分かった、ジェネラリストの哲学者だった。

あとは、認識を考えていた。経験的に、色んな人間の認識を考えていた。

認識と環境、認識とプラットフォームの相互作用のようなものを考えていた。

認識から可能性を考えていた。ハイデガーのような人間だった。

思い込みを無くすためには、考え方と見方を変えること。そういうことを言っていた。

守る気持ちから勇気が生まれる。本当に大切なものは、失ってはいけないのだ。

最近、それが分かっていない。見ていると、右翼は、失ってはいけない大切なものが分かっていない。そういう理由で、皆を利用して、騙している。皆を馬鹿だと思っている。

宇多田ヒカルのように、その人になったつもりで分かっていた。自分は、全て分かっているから、全員分かるつもりだった。

宇多田ヒカルは、もう分かっているのが分かっていない。既に分かっている。普通の人間に見えて、自分と同じように、全く普通の人間でない。そういう人間になっている。

良く考えると、自分の脳の裏側、心の中にこの世界は存在する。それはハイデガーだ。

むしろ、フッサールとハイデガーは良く似ている。存在の意識か、認識の現象学かだ。

フッサールも、人間の認識をきちんと捉えているのだと思う。それも、全員分捉えている。

最近の自分は、論理的な思考能力が無い。昔はあった。学校に行かないからこうなる。正しい考え方が分からなくなっている。学校に行った方が良い。

大切なものを守る気持ちを持つこと。最近はそういうものを書いていることが多かった。

思いやりや道徳のようなことを自由と言っていた。

なぜ、どうしたら、のようなことを考えていた。

説明の文章が多かった。なぜは理由や動機で、どうしたらは方法や作用である。

そういう風に、説明するだけの文章が一番多かった。

経験とは、存在と可能性であり、その中で、自由を発揮することである。

そういう、体験的な、マスターのような文章をいつも書いていた。

当たり前のことを比較すれば分かる。昔は、それを分析だと言っていた。

普通の人間を馬鹿だと思わない方が良い。哲学者なんか、馬鹿だ。普通の人間が賢い。

ただ、哲学者も馬鹿だと思わない方が良い。自分が一番馬鹿だ。

おかしくはない。賢いのは自分だけだ。

この文章は、本当にスターリンに見える。作家には、独裁者が多い。

感情と意識の裏側を、実体験と皆の言葉で考えていた。ネットはそういうものだ。

ありがとう、さようならで、世界を支配した。しかしながら、なぜならで、弁証法化した。