日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-27=

国際的な、世界を変える方法のようなことを分かっていた。

ドイツの首相になって、自動車とコンピュータを無くす。

ロシアと戦って、核兵器がドイツに落ちて、併合するが、ドイツ人の方が多くなる。

参加のように、世界を変える方法を考えたり、可能性を高めたりしていた。

経験からキリストのように分かっていた。

レーニンのように、経験から社会を救える、救世主のような人間だった。

経験から社会を知って、改善出来るのを、経験と言っていた。

皆の延長線上の知恵を知って、哲学者のように分かっていた。

世界の可能性と変化を考えていた。

戦いは、全て失って、何も無くなった。恐怖と悲しみに耐えていた。

皆の方も、何も無くなった。見ていると、皆、心が何も無くなっている。

予想して、推論して、疑って、批判的に考えて分かっていた。

視点と場を成り立たせて、予想して分かっていた。

新しい世界を知る体験を考えて、未知を捉えて、物理的に人生を分かっていた。

思い込みや欲のようなことを、経験とモデルから考えていた。

この世界は、本当に皆のための世界になるべきだ。

この世界は皆の世界であり、皆で築く、皆のためになる世界だ。

全ては、皆の手で作り出せる。人間が分かっていることは、まだ少ない。

そういうことを、経験から分かっていた。

楽しいことも、辛いことも、全て経験した。

最近は、「あなた」や「ありがとう」や「さようなら」などの言葉で、いつまでも支配しながら、良いことと悪いことを交互に言う。いつまでもテレビと付き合っていた。

明治以降、日本は急速に欧米の制度や技術を取り入れたが、欧米への同化だけではなく、日本独自の発展をすべきだ。それは、今でも言える。欧米の科学を学ぶだけではなく、独自の科学や文化を作り出すべきだ。

経験から意識を自在に捉えて、心と場の相互作用を考えていた。

まるで神やマスターのように人間関係を分かっていた。

人間関係は、信頼とチャンスだ。恐怖で無く、勇気であるべきだ。

あとは、相互作用、関係、プロセス、経緯のようなことを考えていた。

社会、宇宙、心の、原因と結果や法則などを「どうすればどうなるか」から分かっていた。

その時、どうなるか。それは、どう出来るか。どんな可能性があるか。そのように分かっていた。いくらでも自由を考えて、体験から実験して、積み重ねて考えていた。

全部一度試して、全部一度経験して、行動と体験を全て分かっていた。

理由も考えて、色んなことを実現出来るようになった。

日本史は、第一次世界大戦のところを読んでいる。ロシア革命が起きたが、日本ではない。

第一次世界大戦で、連合国側は、この戦争を民主主義と専制主義の戦いだと意義付けた。これによって、民主主義の風潮が世界でも、日本でも高まった。

第二次世界大戦では、日本はファシズムや帝国主義についていたが、その前の第一次世界大戦で、すでに民主主義による専制主義の打倒が叫ばれていた。

日本でも、民主主義の風潮が広がった。そのまま、大正デモクラシーとなった。

民意による、国民のための政治、それが民主主義である。

明治末期から大正にかけて、ロシア革命とともに、社会運動、特に社会主義運動や女性運動などが活発になった。日本は、どんどん革新的になっている。

第一次世界大戦では、ドイツが敗北し、アメリカや日本などの連合国が勝利した。日本は、ドイツからいくらか植民地や権益のようなものを奪い取った。

この戦争で、ドイツは多額の賠償金を背負う。そのままドイツは左翼の民主主義になるが、賠償金を支払えないため、民族主義と戦争に訴える、第三帝国のファシズムになった。日本は、ドイツとともにアメリカなどと戦ったが、攻勢は半年で終わり、日本は敗北した。

日本は、第一次世界大戦での勝利と、新たに設立された国際連盟への加入によって、名実ともに大国の仲間入りをした。だが、西洋の大国と東洋の後進国との両方から、厳しい目で見つめられるようになった。

自由とは言うが、昔は、国家からの自由も、世俗や会社からの自由も、経験の自由も、合意や許可の自由も一緒くたにして、自由と言っていた。

おかしくはない。哲学的で反抗的な人間だった。

だが、右翼や左翼は悪くない。日本史を読んでいると、戦う時は、戦うのが国だ。それは、悪いことではない。右翼より、反日や左翼の方が悪い。戦争はいつの時代もある。

中国や韓国との関係が悪化したなら、それは戦う。それは、何もおかしいことではない。

むしろ、右翼より自由の方が良いところは多い。特に、経験や創作活動は自由にした方が良い。何をしても、結果的に自分のためになるのが分かる。それで反省するべきだ。

右翼なんか、悪いだけだ。誰もが自由と平等が好きだ。右翼は、むしろ、あまり悪くない。右翼も、右翼で、きちんと戦うなら、そういう、それぞれが好きなことを信じて行動する自由が良く見える。右翼も、左翼も、好きなようにすれば良い。社会の多様性も同じだ。

アメリカは、チャンスを平等に与えて、自由な社会にする。

フランスは、経験と行動の自由を重視して、ありえない社会を作る。

ドイツは、支配して、支配者による平和な社会を作る。

ソ連は、平等にして、共同体と秩序から、皆で決めて共同体の社会を作る。

それらは、違っているようで、違わない。どれも正しい。そういう、多様性が好きだ。

法律は、議論して決めるか、自由な契約にするか、金にするか、選挙にするか、王にするか、宗教にするか、理論にするか、など、自由な法律の決定方法のようなものを考えた。

ただ、戦争は悪くは無い。戦って勝者が自由にすれば、どんどん世界が強くなって、賢い国になる。賢いと強いは直結する。そういうわけで、右翼は悪くない。強い方が良い。

普通選挙は、納税額、財産、身分などの差別無しに選挙に参加出来る制度のことを言う。

自分は、選挙ぐらいが分かっていないから、そういうところを分かった方が良い。

最近は、国としての体制を維持するのが古いところがある。ネットなどの普及とともに、分散した共同体の連合のような政府にするのが一番賢い。

だが、そんなにありえない国にする意味が無い。フランスがペア選挙のようなことをしているが、フランスが何かやるかもしれない。おかしな共同体の連合になるかもしれない。

共産主義社会では、発展も変化も何もしなくなる。理論的に、景気変動が起こらないことを目指している。それから、私有財産も禁止する。左翼の方が、右翼より、悪い。

本当に右翼の方が良い。天皇制では、民主主義が無かったように見えて、内閣なんかきちんと組閣しているし、選挙で政党も選んでいる。戦前の明治や大正の世界は、きちんと自由な良い世界だった。天皇が何でも出来るように見えて、行動規範は憲法で決まっている。

社会主義者の良いところは、労働条件の改善のために全力で努力する。そのおかげで、現代の日本が働きやすい良い国になった。社会主義者も、そんなに悪い点ばかりではない。

大正から昭和初期にかけて、社会の大衆化が広まった。大都市化やサラリーマンなど、現代の日本のような、高度な大衆社会が生まれている。それこそ、現代の日本の形成期だ。

あとは、社会がどのように変化するか、と言った、社会や自然の変化の研究が多かった。

変化を考えると、止まっている日本が治る。

あとは、一秒を一年にせず、まともに一秒ずつ時間が過ぎれば良い。それで変化すれば、日本がおかしくなっているのが正常になる。自分のせいでおかしな国になった。

変化とは言うが、時間を考えただけだ。同じ今と言う時間を、全員が共有している。それが、地球と言う星であり、人間の人生である。そういうことを言っていた。

皆が、ありのまま、自然体になれる社会を作ること。昔は、そういう、ありえない理想の社会を、マスターのように考えて、唱えていた。

あとは、秩序や環境を作って、人格を書いている馬鹿が多かった。

数学は計算であり、言葉で作用的に出来る。工場や会社は競争の中でものを工夫して作る。

ロックが言うように、頭や心や観念の中にあるものは、全て経験しかない。

思い出すことは、経験であり、行動することも、経験である。

科学も、知識も、技術も、制度も、歴史も経験である。全ては経験なのだ。

そこで、想像力と知恵を働かせて、ものや社会を作る。

また、経験論的な人生や社会の理想を考える。そういう発想が、ロックだ。

行動、判断基準、社会形成、成長、経験など、大人のようなことを言う文章が多かった。

あとは、全て連続して、繋がるのが悪い。そんなに連続しても意味が無い。

そういう馬鹿な文章が無意味に多かった。ただ、日本の皆を破壊したいだけだ。

あとは、理性や考え方で、全てのことをどのように分かるか、いかにして全部のことをはっきりと分かることが出来るか、のような、理性の構造の文章が多かった。

あとは、世界観や経験のことを分かっていた。この世界にある、存在的な全ての概念のピースを分かっていた。パズルのような、理性ある、社会と世界の研究者の文章だった。

そういう、相対的なことを言っていた。承認や実験など、自分の今している、社会との関係、思考の法則性、考え方と経験のようなことをいつも書いていた。

考え方、社会システム、社会構成、構想、回想、理性、心のような段階を書いていた。

そろそろ、もう無い。あとは、人間像とシステムのような内容が多かった。

いつも、判断して分析するだけだった。そういう文章が多かった。

あれをそんなに考えるのは、もう止めた方が良い。皆を殺したいだけの、クズの文章だ。

そして、言葉の構造や全体像のような、言葉にする文章が多かった。

現実を見た方が良い。何も分かっていないようで、あれは分かっている。何をする意味も無く、すぐに治れば良いのが分かっていない。そんなに大切なものを欲しいと思うのがおかしい。大切なものを失って、執着心を止めて、すぐに止めてしまえば良いだけだ。

あれは、大切なものを失っただけの、悲しい人間だった。

戦争は、しない方が良い。涙や怒りはあっても、笑いが無いと、誰かが言っていた。新聞かどこかで言っていた。戦争に笑いは無い。苦しんで、最後まで辛い思いをするだけだ。

発展とは、自然な変化が積み重なることだ。

共産党は悪い。共産党で、発展するわけがない。自然な変化が何も無くなる。

右翼で自由にして、自然な変化を積み重ねること。改善から発展するようになる。

組織や協力も、国の歴史や制度も、自由にした方が良い。

共産党に何か出来るわけがない。組織や協力は、自由にするしかない。会社は賢い。

共産党で無い、左翼になるのが良い。右翼も嫌いだ。

もっと、平和で、国民の人権を尊重する、民主主義の左翼になって、組織や協力の自由、独裁者で無い民主主義の実現を目指すべきだ。

共同体は、悪い。共同体では、何も出来ない。多様性も要らないが、統一も悪い。

国境なんか、無い方が良い。だが、皆反抗や支配が出来なくなっている。

自分は、科学者、低い共産主義者、普通の人間、右翼だ。それが会議をしている。

インフラを共有すること。特に、電気や水道や電話など、インフラは多い。

日本の賢い点は、食べ物を箸で食べるところだ。刺身を箸でわさびと醤油につけて食べるのは、外国人が見るとありえない。ラーメンも何もかも全部箸で食べる。

日本の賢い点は、フォークやスプーンも、普通に使う。そういうところが多いせいで、頭が賢い国になったのが、日本人だ。

ただ、負けているところは、スポーツなどで、人種的に体格などで負けている。頭では勝っているのに、体では負けているのが日本だ。

昔は、視点や環境を成り立たせて、心の深層や行動や認識を分かっていた。

自分が一番馬鹿だ。日本史なんか、高校の教科書だ。

最近は、怖いだけになった。何でも、「しちゃう」や「なっちゃう」のように、「ちゃう」をつけて話す。自分が見ても子供だ。

認知症は、賢いものを全部消すと治る。これで認知症の経験も多かったのが自分だ。

皆賢いのに、自分だけ馬鹿だ。それは、辛く見えて、楽だ。自分だけ賢い方が辛い。

馬鹿は楽になる。キリスト教の教会にでも行けば良い。自衛隊にでも入れば良い。

歴史がやりたいなら、大人がやるのなら、完璧に何度も読んで覚えれば良い。

色んな本を読んでいると、歴史と哲学なんか、誰でも出来る。

数学でもすれば良い。パソコンで分かっていたせいで、数学は既に出来ている。ただ、数学に関することは、何もしていない。数学的な考え方なんか、一つも分かっていない。

昔は、数学の分かる哲学者のような人間だった。そこに戻らないのがおかしい。自分は、過去の自分になんか簡単に戻れるのに戻らないのがおかしい。賢い自分になれる。

何でも決め付けるのがおかしい。いじめ問題なんか、とりあえず自由にした方が良い。処罰すれば良いと言うのは、結論が急すぎる。見ていると、結論が急すぎるのが自分だ。

社会主義にすると、意味が無いだろう。問題は、自由のまま解決するしかない。そういう風に考えると分かる人間が多い。人種差別なんか、それで分かるわけがない。フランス人が馬鹿だと言うのは簡単だが、それはただのレッテル貼りだ。

左翼や右翼には分からない。デカルトも、極端な思想は良くないと言っている。とりあえず、そういうものにはならない方が良い。結論を急ぐべきではないのが誰でも分かる。

人種差別は悪い。フランス人は、馬鹿だと簡単に言えるが、フランス全体が馬鹿なわけがない。日本と同じどころか、全く違う。それこそ、協調した方が、世界のためになる。

社会主義の賢い点は、考えていると社会主義と同じ発想になる。ソ連がそういうものを全部やっている。善良に、まともに、正しく考えていると、左翼になる人間が多い。

それは、左翼の方が賢い。左翼は、真剣に社会、幸福、人生、地球のことを考えている。

右翼は、馬鹿しか居ない。こういう、戦争のようなことで右翼になる馬鹿が、本当に多い。

白人も馬鹿では無い。パンやスパゲッティの方が賢く見える。明らかに白人は賢い。

社会のことを良く考えていると、共同体やコミュニティになる人間が一番多い。

そのまま、自由や多様性になる。賢い人間を生み出す環境を考えて、実現する。

昔は、意見を集約し、支配し、独立した会社を作り、環境を自然発生にするなど、社会のことをモデルにして分かっていた。

何故か、数学的なモデルにして、社会の成り立ちを照らし合わせて、構造的な社会の成り立ちと形成のようなものを考えていた。

いつも言っているようで、さらに、具体的な社会を関係的なモデルにして、成り立ちを分かっていた。そういうわけで、昔はもっと賢いモデルを作っていた。

価値観や信念のモデルを作っていた。考えて共同体や価値観になった馬鹿が昔の自分だ。そういう風に考えていると、影響力のようなことが経験から分かって来る。

存在の了承や超越のようなことも分かる。そういう風に考えると、ヘーゲルが出来る。

あとは、当たり前のことから推論すれば良い。そういう風にすると、頭できちんと分かる人間が多い。そういうわけで、デカルト、カント、ヘーゲルの言っていることが分かる人間が、哲学に一番多い。そういう人間がやると出来る。

何が正しくて、何が間違っているのかを考える。

経験とは言うが、そういう、良く考えて体験する経験が多かっただけだ。

経験から意識を分かっていた。キリストのように、社会の解決方法が全部分かっていた。

そういう、答えを導き出す思考の経験が多かった。社会のことも知っていた。

世界モデルとは、そういう、思考のことを言っている。考えていると、世界モデルになる。

そういう、考えたことを言っている馬鹿な文章が多かった。

オープンソースは、もっと独自性を高めて、独創的な発想をするべきだ。

だが、そうでもない。Windows XPの環境を引き継ぐような、普通の環境を作れば良い。

もっとそれぞれが自由の中で協力すべきで、そのための場を作るべきだと言っていた。

そろそろ賢くなった。そういう、考えたことや考え方を全部言っていただけだ。

カントの言う悟性のカテゴリーのように、判断と行動をきちんと考えれば分かる。

自分は、行動するためには判断力が必要だと言っていたが、そのように、自由から当たり前のことや必要なことを考えて、推論すれば良い。何をするために、どうする必要があるか?そのために、何が出来るか?何が出来るなら、どんな可能性があるか?

そういう風に、推論の知性で考えれば良い。それが、論理的な考え方と言うものだ。

コップはガラスである、は間違っている。陶器のコップも多い。いくらかのコップはガラスである、が正しい。

そこで考えられるのは、コップ、と言う言葉の指している条件と、ガラス、と言う言葉の指している条件の、範囲や属性の違いである。

そういう風に考えると、カントの言っていることが良く分かる。理性とは言うが、むしろ、世界にある存在条件と思考の関係、などと言うべき考え方だ。

一番考えた哲学者は、おそらくマルクスだ。資本主義の問題を全部考えた上で、共産主義社会の到来を予言した。本当に考えたように見えるが、成功しなかった。

フッサールのような現象学を考えると分かる。現象は、何なのか分からないが、現象だ。

そういう風に考えていると、シェリングなどの世界精神や、キルケゴールなどの実存段階が分かる人間が多い。あるものをそのままのあるものだとは思わない、むしろ、もっと高い立場、真実の立場から、それが何なのか考える、それが哲学だ。

そろそろ、第二次世界大戦の章になる。その次は現代の日本だ。あと二章で終わりだ。

あとは、「よって」、「ために」、「ならば」、「もし」、「だから」、「かもしれない」、「でなければならない」のように、言語的な哲学の考え方で分かっていた。

自然と宇宙と地球は、自然な変化の積み重ねと、宇宙レベルでの合意から生まれた。

細胞は、分子が自然に発展した。それは、物理では分からない、生命とものの発展の法則によって、行われた。物理ではない、何らかの法則は、本当に宇宙に存在する。

要は、宇宙には本当に生命の遺伝子と進化と種の法則が存在する。

物理では、まだ分かっていない。そういう、生物学的な、生命創造の法則が宇宙にある。

プラトンの言うイデア論に繋がって来る。

トマス・アクィナスは色々と正しい。理性でも信仰でも神の真理には近づけるが、理性には限界がある。アリストテレスを学んで、考える以上は、キリスト教を信じるしかない。それできちんと最後まで行ける。それこそがカトリックの教義のある一面だ。

あとは、方式や対処策のようなものを、パターンで多面的に分かっていた。

オープンソースは、そろそろ本当に勝つ。姉はプログラマだが、姉が見て、使えないことは無い。アマゾンを見るためぐらいには使える。

ただ、僕が見ても、普及なんかしない方が良い。それこそ、意味が無い。

進化や生まれ変わりの法則もある。そういう法則が、いくらでもあるのが宇宙だ。昔から、ブッダのように、そういう宇宙の法則が分かる人間が多い。

法律は守るべきだ。だが、法律を守れば何をしても良いというのはおかしい。キリストが言っているように、罪は罪だとして、守るべきことは全部正しく守るべきだ。

心の罪も、神は裁く。そういう風に考えると、この宇宙のことが良く分かる。キリストが言っている法則も多い。弱者を助けると、キリストを助けたことになる。馬鹿でも、助ける人間が賢い。そして、自分にして欲しくないことは、他人にもすべきではない。相手のことをきちんと考えて、配慮し、信頼し、互いに助け合うべきだ。

ただ、守れるわけがないとは言うが、キリストは、そんなに不可能なことは言っていない。

宇宙には、仏教の法則が本当に多い。人間は、六道に生まれ変わる。一味のように、水は虹となり、川の水は海になる。縁起は、条件や原因が相互に作用し、複雑に絡み合う。

キリスト教を信じると、本当に分かる。教会は何でも分かる。聖書を信じると、分かるようになる。

ただ、自分は悪くない。もっと悪い人間が教会に一番多い。

それこそ、今の自分はまだそうでなくても、未来の自分が、それも本来の自分のような自分が分かる。キリスト教は、分かる宗教だ。仏教は、もっと賢い宇宙理論が分かる。

ここまでの人生におかしい点が一つもない。神はそれを普通だと言っている。

何も分からない、会社員や学生のようなものを想定すると良く分かる。

人生のマスターのように、そういう人間を考えて、想定しながら吸収して、全員を包括しながら吸収していた。全員が分かる人間だった。社会はそういう風に分かった。

皆のことを、かけがえのない大切な存在として、自分が努力することで、教え、導き、与え、解決出来ると思っていた。何でも出来て、はっきりと分かる人間だった。

皆で手段を作るとか、方法を作るとか、知識を共有するとか、再利用と方法から世界の成り立ちと形成を分かるとか、哲学的で社会的な知恵をいつも書いていた。

あとは、議論して分かっていただけだ。

仮想世界を作って、世界に映った自分の姿から分かっていた。

社会的な、世界を良くする方法を考えていた。

何から何まで、全部実現出来て、善悪も分かって、助けたり教えたり出来る人間だった。

全部、ネットで人に教えることから分かった。

何でも教えられることから、経験を積み重ねて、創造性や自然な体験を分かっていた。

社会的な行動や体験のようなものが分かっていた。

心の法則から、人間とは何なのか、ネットの体験で全て分かっていた。人生経験があった。

自分のことを深く知るためには、自分から出て来る己の正しさを知るしかない。

社会のことを心理から実現して、幸福で安心出来て、楽しい社会を作れるようになった。

最近は、ありのまま自然な社会を作るべきだと言っていた。

発展する環境を作ると言っていた。それも、放っておけば自然に発展する、自動的な発展のことを言っていた。放っておけば発展する、と言う考え方が多かった。

それこそ、オープンソースやWikiのように、何もしなくても発展するのを分かっていた。

日本史を見ていると、意見の違いや政策の不一致で殺すのはおかしい。

あとは、日本は、そんなに急進的に変わった国が、良くなるわけがない。すぐにボロが出る。そういう時代が、昭和の戦前だ。軍部が台頭する代わり、国際社会から孤立した。

今読んでいるところでは、日本はどんどん国家主義になった。ジャーナリズムや新聞も日本の軍事行動を賛美するし、満州国が国際連盟に認められないと、国際連盟を脱退した。そのように、日本は国家主義とともに世界から孤立した。政党政治でもなくなった。

民主主義の次は、右翼だ。そういう風に歴史は繰り返す。神が言っていた。

軍部が台頭したのは、軍隊をそんなに強くし過ぎたからだ。当然の結果だ。

普通、本当に軍事独裁政権になると、民主主義はカケラから無くなる。そういう国が多い。日本のその時代も、そういう時代だったのだろう。

世界から孤立した日本は、ドイツやファシスト党の率いるイタリアに接近した。それらが、持たざる国、孤立した国の集団だ。

アメリカやイギリスなど、国際連盟のメンバーが、満州国を悪いと言うのはありえない。イギリスの植民地を悪いと言わないのは、不平等だと思う。ただ、そんなことを言っていると、馬鹿な右翼に見える。あまり言わない方が良い。満州国は明らかに悪い。

王や内閣で無い、新しい国の形を考えられる。

そこでは、グループによってインフラを作り、金ではない何かによって生産と消費をする。

昔の文章は、そういう風に、ゼロから国の成り立ちのようなものを考えていた。

戦前は、民主主義ではないと言うが、内閣のようなものはある。だが、軍部の台頭が多い。

本当に、そういう、ゼロから社会のことを全部作る文章が多かった。

可能性と成り立ちを全部考えていた。

そして、地球と理性の科学のようなものを作っていた。自然の変化と形成を考えた。

科学と宗教のようなものを作った。科学は、全体の構造と気づきや説明から作った。宗教は、自分の人生にあったものから、神話のような世界観を作っていた。

そして、歴史のようなことを言っていた。

ユダヤ教を信じる、自由の無い国を作っていた。

社会や教育の自由を無くすが、戦争は出来なくするとか、革新的な発想が多かった。

公用語は、フランス語、ドイツ語、ロシア語にすべきだと言っていた。それが一番賢い。

社会と人間の可能性を全部作っている文章が、一番多かった。

全ての上に立って、影響力の高みから、世界を支配して、導いていた。

テレビは敵に見えない。テレビから見て、自分は何も敵でないし、自分はいつもテレビを愛していた。テレビは自由の味方だ。

馬鹿は、まともなことが何も出来ないだけだ。普通、馬鹿になると、まともなことが何も出来なくなる。