日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-19=

サルトルのように考えるとは、色んな人間の考えていること、経験、行動などを考えることを言っていた。それをモデルと言っていた。

そういうわけで、世界モデルを吸収するといつも言っていた。

メタ的な論理の構造や、国家の構造を作っていた。

認識、心理、自由、社会、人生、思い込み、国家、自然物、人工物などの構造を作った。

イスラエルやロシアの旗が見える。そういうものを経験した。

数学的な公理主義を、書いて、考えて作っていた。

ドイツは先進的だ。本当に新しい。日本なんかはるかに古い。一番新しいのはフランスに見えて、最近はアメリカだ。

ドイツ語は簡単だ。日本語と全く同じだ。

僕は、日本史と仏教が好きだ。それが一番賢いから、それらをする。

コマンドやカーネルなど、コンピュータのことを構造的に詳細まで知っていた。

コマンドとカーネルが切り替わる部分や、CPUアーキテクチャやプログラミング言語のフロントエンドなど、色んな構造的な実現とシステムの創造を考えていた。

昔から、自分の考えていること、出来ること、思うことから、人間のことが分かる。

社会や歴史と、自分との、関係や立ち位置で分かっていた。皆との関係で分かった。

全員を吸収して、その立場になって思考した。そういう風に分かっていた。

あとは、社会的に見て、独裁者と右翼が悪い。

そういうものを倒した方が良い。悪いものは、民主的に無くせば良い。

それぞれが共同体を作って、自由にすれば良い。それが一番多様性が生まれる。

そういうわけで、右翼を倒した方が良い。それが一番賢い人間になる。

昔、UNIXのコマンドなんか、本当に分かっていた。CoreutilsのWebサイトを見て、ソースコードを良く見ていた。Gentoo LinuxとLFSで分かっていた。

だが、作れなかった。そんなに簡単には作れない。熟練したプログラマが作っている。

パソコンを見ていると、サルトルなんか誰でも出来る。サルトルは2ちゃんねるだ。

僕は、もっと仏教のことを知りたい。仏教の本は、半分ぐらい読んだ。もっと読んで、日本史と仏教のことを知りたい。そういうわけで、今からが日本人編だ。

生命のパターンを創っていた。神のように生命を創造していた。

ロックのページを開いてほんの少し拾い読みをした。ロックは、「原因」と「結果」と言う言葉まで、きちんと定義して、説明して考えている。哲学は普通、そういう風にする。

自分も、全部の言葉を定義して、経験を書いていたことが多かった。

ロックと良く似たことをしている。

ロックは、拾い読みで良いから読んだ方が良い。そうすると哲学のことがきちんと分かる。

最近、哲学のせいで、一度何も分からなくなった。それこそ、普通誰でも分かる。

ロキに書いてあるから、人生はきちんと分かっているのに、分かっていない。フレイなんか、哲学で何も分からなくなっているだけだ。何も分からないのに分かるのが馬鹿だ。

ロックは、消えてなくなってしまったように見えて、無くなっていない、見えなくなってしまう現象のことを考えている。

それは、不思議と、馬鹿なものは分からない方が分かるから、そういう風になる。そういう発想は、大人になると分かる。子供は、そういうものが無い人間が多い。むしろ、それは逆になる人間も多い。子供はそういう風になる。

哲学は、入門本を良いとは言うが、入門本は悪い。ロックは、複合観念は考えているようで、考えていない。もっと色んなことを言っている。

ヴィトゲンシュタインが言語分析は、言っているようで、もっと色んなことを言っている。

だが、入門本になるのは仕方ない。原著なんか読めるわけがない。本当に読む人間は居ない。誰でも、拾い読みで知るだけが、原著だ。

昔は、環境と自然な体験から、ネットを知って、自然に気づいて分かっていた。

成長して、気づいて、視野を広げて、経験して、自然に出立して分かっていた。

野心はあったようで、むしろ、そういう風に世界のビジョンを分かっていた。

自然に出立する人間だった。

そろそろ、哲学は最後まできちんと出来た。あとは、ロックとヒュームを拾い読みすれば良い。思えば、ここまで長かった。ソフィーや白取さんの哲学入門で、本当に哲学はきちんと分かっている。ソフィーの世界と白取さんの本が一番好きだ。

昔、パソコンなんか、何も分かっていない。昔は、2ちゃんねるだ。最近の方が賢い。

自分は、神を信じながら革命戦争をした。イスラエルの王だった。

人種は、フランス、アメリカ、ソ連、イタリア、ドイツになった。それが自分だ。

今からが日本だ。このまま、日本史と仏教をやる。

むしろ、ロックとヒュームは悪い。経験論なんか、どうでも良い頭の中の観念を経験的に考えるだけだ。カントとヘーゲルの方が良い。人間の考え方や成長のことが分かる。そういうわけで、カントとヘーゲルをやった方が良い。ロックは要らない。そうでもない。明らかに、これぐらい哲学者を全部知って、ロックとヒュームだけをやるのが理想だ。きちんと教授が見ても、哲学が出来たように見える。オーズルに哲学的な内容が多いから、きちんと詩人の哲学者に見える。皆、ゲーテが良いと言うが。

良く考えると、カントとヘーゲルの本なんか、沢山買った。カント入門も、ヘーゲル入門もあるし、ドイツ古典哲学と言う難しい本もある。

歴史の本は、ヨーロッパの王朝と言う本が良い。ヨーロッパの中世から絶対王政までの王が、各国全て書いてある。

日本史を読んだら、それくらいを読みたい。拾い読みで良い。それできちんと全部この世界のことが分かる。

また、分厚いフランス史の本もいくらか読んでいた。続きを読みたいと思っている。

仏教の本も読んだ方が良い。もう半分ぐらい読んだ。それくらいを読めば良い。

日本史は、幕末と明治維新のところを今読んでいる。

自然な流れから、長州藩と薩摩藩は幕府と対立するようになり、列強の力もあって、江戸幕府は朝廷へと権力を譲渡し、江戸幕府は滅びた。

新政府は、封建制を解体し、近代的中央集権国家を作った。明治維新は、見ていると、カッコいい。皆、カッコいいから、明治維新が好きな人間が、日本に一番多い。

フランス革命と同じに見える。イギリスにしたいだけとは言うが、賢いのが明治維新だ。

日本は馬鹿では無い。明治維新なんか、フランスと変わらない。世界大戦でも、強かった。現代では、ヨーロッパなんかより、日本の方が強い。昔は遅れた国だったが、今賢い。

廃藩置県で、ある藩士はアメリカ人教師に対して、「これであなたの国やイギリスのような国々への仲間入りが出来る」と言ったと言う。それくらい、日本中に希望を与えたのが明治維新だ。革命は悪いとは言うが、賢いところもある。

明らかに、さらに遅れた国は、ドイツやソ連だ。いつまでも独裁者が勝っている。日本はまだ、賢い方だ。北朝鮮なんか、いまだに将軍国家だ。

新政府は、富国強兵を目指して、欧米諸国から新しい制度や技術を導入し、あらゆる分野で改革を進めた。

昔は、ネットで社会を知って、さらに他の社会を全部知って分かっていた。

自由を積み重ねて経験と行動で分かっていた。

本当に、ネットやゲームなんか、しない方が良い。賢い人間にならない。

ネットの馬鹿は、全員騙されている。日本なんか馬鹿なのが分かっていない。

あとは、日本では、そろそろ、共産主義ではない形で、何らかの革命が起きるしかない。政府は馬鹿になっている。だが、今の民主主義が一番良いと言う人間が多い。

ネットをしないだけで、こんなに賢い人間になる。そういうわけで、楽しいことなんか、無い方が賢い。賢い人間は、キモイ人間が多い。キモイが賢いだけだ。

ただ、自分がそれを言うと、おかしい。昔は、ネットで楽しかっただけで、分かっていた。だが、言うとおかしくは無い。昔楽しかったせいで、今楽しくなくても、楽だ。そういうわけで、いくらか何年か楽しいことをして、辛い地獄になって、楽しいことを何もしなくなると、賢くなる。不思議と、賢い人間は、それしか居ない。地獄に意味が無いようで、誰でもそういう風に、分からない地獄になって楽になる。それが楽園だ。それが賢者だ。

ただ、昔は本当に楽しい体験が多かった。ネットで人生と青春を知った。高校生は、楽しい方が良い。本当に、ネットで沢山の経験をして、自然な出立のように分かっていた。

もう、楽しいことは要らない。もっと、色んな知識を吸収して、賢くなった方が良い。

地獄の革命は辛かった。あれは、辛い方が良い。全部悪いのに、何故か王のように賢い。あれは、おかしい。虫みたいにキモく見える。

ただ、あれは、本当に全て分かった、神のような人間だった。

たまに楽しいことを言う、楽に見えて裏では本当に頑張っている、良い人間だった。

日本を本当に高めただけだ。そういうことが出来る、賢い人間だった。

大学は、方法的に分かっていた。分からないようで、自分の作った知識だけで全部分かっていた。物理や外国語のようなものをしたかった。

永遠の中で、地獄のせいで何も出来なかった。そろそろ楽だから、何かした方が良い。いつもしなかったせいで、何もしなくなった。

ドイツ古典哲学を読むのが良い。難しいが、カントやヘーゲルなどが書いてある。

昔は、本当に、日本を賢くするとか、そういうことが出来る人間だった。

聖書が見て、神の御業に見える。神になると、こういう風になる。

何か、そういうことをした方が良い。むしろ、知っているだけは、そんなに賢くない。

日本人が見て、フランスやイギリスやドイツが同じ、あるいは賢く見えるのは、歴史や国の体制が同じだからだ。

特に、フランスが同じに見える。フランス革命と明治維新が同じだ。

フランス史なんか、する意味が無い。日本史と全く歴史の内容が同じだ。

フランスなんか、全く好きでないどころか、何も分からない。

ヨーロッパの王朝がしたいのは、悪くは無い。ヨーロッパ全土の王を知れば賢い。

ドイツ古典哲学は、見ていると、意味が無い。そんなに哲学をやる意味が無い。

ただ、フランス史はしたかったからすれば良い。フランスは、昔本当に好きだった。フランス語をやって、フランスに行きたい時期が多かった。ドイツも好きなら、やれば良い。

昔のモデルは、文章を読んで、思考や言葉や経験をモデルにしていただけだ。

もう、考えなくて良い。大学は終わりだ。こういう、大人になってから勉強している人間は、多い。放送大学に一番多い。27歳は、若く見えて、もうおっさんだ。

ドイツ史をやれば良いようにしか見えない。好きな国なんか、ドイツしかないだろう。右翼に見えるとは言うが、右翼には見えない。むしろ、哲学をやっているのを誰も知らない右翼には、見えないだろう。この文章を忘れれば良い。ドイツ史なんか、既に概要を分かっているせいで、簡単に出来る。

ドイツは止めた方が良い。ドイツは資本主義だ。社会主義は嫌いだ。

本当にフランスが良い。フランスに一番こういう馬鹿が多い。フランスは自由に見えて、平等も好きだ。フランスはまともな国だから、フランスの方が良い。ドイツには、クズな馬鹿しか居ない。本当に馬鹿な人間や集団が多い。吐き気がするほどキモイ。

書いて推論して分かる自分が多かった。正しい考え方で、書いて考えれば、何でも分かる。

フランスとドイツなら、フランスにした方が良い。フランスは、外国人の受け入れに寛容的だ。ドイツに居ると、悪い集団の同類に見える。フランスでも同じには見えるが。

もっと日本史と仏教のことがしたい。それなら、出来るように見えて、出来ない。

むしろ、そんな難しいことは何も出来ないのが分かっていない。

日本史なんか、ただ読んだだけだ。それなら、ドイツもフランスも読めば良いだけだ。

昔は、推論、経緯、実現、解決などを、正しく考えて分かっていた。正しく考えれば、何でも分かる。社会のことも、論理のことも、同じように作って分かる。

ロックとヒュームは悪い。何も賢くない。カントとヘーゲルにした方が良い。

姪は、手のかからない、おとなしい子供だ。賢くなるように見える。すぐに大人になるだろう。

姪は日本語をまだ話さないが、そろそろしつけの時期だ。女は、子供をしかるせいで、強くなる。男を大黒柱とは言うが、男の方が弱い人間しか居ない。ただ、女には、子供の味方になる人間が多い。男は、一人ふんぞり返って、女子供の敵になる馬鹿しか居ない。

昔は、物理学者のようで、青春の成長の経験があった。

もっと、社会のことを分析すれば良い。ヘーゲルも、女の社会と男の社会のようなものを考えている。そういう発想をすれば良い。昔は、そういう考え方が多かった。

物理が少なかったように見えて、物理は多かった。物理的な考え方、方法、構造、知性、知識、根拠、発見、発想、実現、実証などの方法のようなことを、いつも言っていた。

それこそ、物理の分かる人間にしか、哲学は出来ない。昔は、物理的な知性のおかげで、神ほどに分かっていた。

自分は、日本史、フランス史、カント、ヘーゲル、ロック、ヒュームをやる。

それで十分だ。それをきちんとやった方が良い。

昔は、Linuxのマニュアルに分かることを全部詰め込んでいた。

あれだけで、誰でも分かる。皆、それで分かったようで、何も分からなくなった。

システムからコマンドまで、全部書いたつもりだ。

自分は、それくらいの馬鹿だ。

最近の自分は悪い。ただ、タリバンのように皆を馬鹿にしている。

神とは言うが、神を信じるだけ、馬鹿で悪いのが分かっていない。誰も信じない。

フランスの良い点は、文系の科学者が多い。文学者や芸術家が多い。

フランスで良いなら、デカルトの方が良く見えるが、僕はカントの方が好きだ。

そういうわけで、日本史とカントとヘーゲルをするしかない。

本なんか、すでに買ってある。ただ、拾い読みをすれば良いだけだ。簡単に出来る。

見ていると、カントは馬鹿みたいに理性的な考え方と方法が分かっている。推論の方法が分かっている。基本過ぎて馬鹿に見えるが、自分のようなもう分かった人間に良い。

カントは、きちんと賢者の考え方が分かっている。自分のような人間にカントを取り付けると、見違えるように賢くなる。子供が分かるのは、量が少ないからだ。大人は、カントを見なければ、分からない。大学の考え方が分かっているのが、カントだ。

ウィトゲンシュタインなんか、しない方が良い。賢くない。

言語分析なんか、昔普通にしている。

ただのカッコいいことを言うだけの、子供だ。哲学者に見えない。ただの子供に見える。

ヴィではなく、ウィと表記した方が良い。どこでもウィだ。

ただの昔だ。昔の自分が、本当にウィトゲンシュタインと完全に同じだ。誰でもこうなる。

昔は、どんな視点があるか、どんな見方があるか、どんな状態が作り出せるか、どのように実現の形態が考えられるか、のような、考え方のようなことを言っていた。

そういうものは、カントをしていると分かる。

日本史とカントだけ、本気でやれば良い。ただ、あまり本気にならなくても、出来る。

いつか、思いがけない災難に会うことがある前に、基礎はしっかりと作っておかなければならない。カント入門に、そういうことが書いてあった。

哲学なんか、拾い読みすれば良いだけだ。簡単だ。

昔は、考え方なんか、パソコンで分かっていた。考え方が分かっただけの人間だった。それこそ、カントやヘーゲルのような、科学的な考え方や、思弁哲学が分かっていた。

馬鹿に見えて、そういうものは賢い。そういうものは、賢い方が良い。

最近、馬鹿に見えるのは、そういうものでは何も分からなく見えるからだ。

そうでもない。カントと仮象の世界を知ることで、何でも全部分かるのが、批判哲学だ。

カントの言う、仮言命法と定言命法は、分かる気がする。善や道徳は、条件付きで相対的なものではなく、絶対的であるべきだ。それに、意志の問題は多い。カントは善意志を善であると言っている。僕は、意志だけではないが、それでも、意志による道徳は分かるところがある。それこそ、意志が無ければ、成り立たない道徳的事実も多い。だが、意志だけではないだろう。結果が伴うべきだ。ただ、それは分かっていない。カントはそんなことは言っていない。良く考えれば分かる。仮言命法、定言命法のように、あらゆる場合において、相対的な意志ではなく、絶対的な意志によって、道徳は作られるべきだ。

要は、道徳的命題は、その条件のために過ぎない、安易な意志ではなく、その結果のために純粋に理想を信じるような、自分の信じる困難な意志を受け入れることであり、そうするべきだと言える。何かの欲や野望のためではなく、その実現そのものが目的であるべきだ、と言うことが出来るだろう。カントは、そういうことを厳格な道徳性だと言いたい。

カントにも、ヘーゲルにも、そういう道徳論は多い。

ただ、もっと理性的なところを読んだ方が良い。きちんと分かる人間が多い。

常識より、現実や実際を見た方が分かる。古代に生きていた生物は、生物学なんか知らない。生物学ではなく、全くそれぞれ自由に生きている。生物学が生物なわけがない。

むしろ、日本史もカントもしないようにしか見えない。出来るわけがないだろう。

考える方法から、様相、想定、抽象性、比較を分かると言っていた。矛盾から様相が分かる。いつも、そういう、カントのような考え方を言っていただけだ。

昔は、本当に色んなことがあった。色んな経験をした。最近、何もしないだけだ。

皆と一緒が楽しかった。孤独だったようで、まだ仲間がいた。

青春は、全て、楽しかっただけだ。

人格がおかしかった。だが、そんなにおかしくは無かった。

ガブリエルは、おかしいと思えば分かる。ああいう馬鹿は、おかしい。自分1人の方が楽な人間は、居ない。あれは、Linuxが好きなだけの、馬鹿な人間だった。

考え方を自分で作って、心理学や歴史のように分かっていた。ヘーゲルと同じだ。

社会の形成のようなことが、経験から分かっていた。

場を根源的に、考え方と意識から分かっていた。言語や記憶も全部分かっていた。

いつどうなるか、全部考えて、全部の場合を経験して分かっていた。

孤独が好きだった。あまり意味が無いが、おかしな人間だった。

ただ、皆と一緒の経験は、多かった。会社員のように、人生と仲間を分かっていた。

天使になった男と言う本に書いてあったが、敵を信頼しても、失うのは全てじゃない。広い視野から見つめると、全てではないと言うことが分かる。

そういう風に考えれば良い。昔の自分なんか、そういう風に考えただけだ。

天使になった男には、さらに色んなことが書いてある。

希望を失うとは、ただ十分に遠くを見ていないだけのことだ。

恐怖は人を退け、敵を作る。勇気は人を受け入れ、友を作る。

もっと、そういうことを分かった方が良い。そういうことが書いてある、自己啓発書のような良い本は多い。そういう本を読んだ方が良い。

戦いはつまらない。周囲に助けを求めれば良いのが分かっていない。そういう人間が多い。

一度死んだせいで、死ぬ意味が無い。そろそろもう今死んだのが自分だ。まだ生きている。

自分の全てに責任を持てば良いとは言うが、他人にすがることは、そんなに悪いことじゃない。ただ、責任を持つことは、正しく希望を持つことに繋がる。

自分の敵対する人間と仲良くするためには、勇気がいる。だが、それは悪いことではない。

恐怖を克服するための最も効果的な方法は、自分の人生に責任を持ち、自分の失敗を人のせいにしないことだ。天使になった男に書いてある。

それは、その通りだ。人生に責任を持つことで、自分の失敗は、大きな社会的な失敗や恐怖ではなく、ただ自分自身を困らせるだけの、ただの問題になる。

自分もポールと同じように、経営者やビジネスには向いていないが、大きな夢を描くリーダーに向いている。そう見える。ビジョンがあるように見える。

自分は、芸術家で、聖職者で、作家だから、仕方ない。

自分の得意なことは、自分でやり、不得意なところは、得意な人に助けてもらえば良い。

昔から、自分は一人だけでやろうとするところが多すぎる。皆と一緒にやれば良い。独裁者の天才はつまらない。バランスのとれた協力者の方が良い。

ただ、社会や環境を一人で作ることには向いている。それを、皆と一緒にやれば良い。

天使になった男は、本当に良い本だ。昔、半分と少しぐらい読んだ本だ。

昔は、自分一人全部出来るようになったが、協力的な知恵は分かっていた。

独裁者は本当につまらない。自分一人全部出来るのを目指すから、こういう風になる。

ビジョンはあるように見えないが、実地的な夢や希望のようなものは多かった。総理大臣と言うよりは、宗教家と言った方が正しい。善悪と社会経験からビジョンのようなものは確かにあった。本当に、未来も過去も、横断して貫いて見るような人間だった。