日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-10=

欲を考えていた。

欲を否定すると自由になる。

欲求を考えた。いつ何がしたくなるか、考えた。

何も無く、何もしないから治らない。何かあれば治る。

治すのを頑張らない方が良い。治さないのが出来ない。

何故かを考えず、どう対処するかを考える。だが、時には何故かも考えるべきだ。

精神は、つけるより殺した方が良い。

治す前に戻した方が治る。

足は、つけるのを止めて、自然治癒で治す。

ついていないのには、それなりの理由がある。

普通、学校とゲームをする。何もしないのはおかしくない。それらの方が馬鹿だ。

まだ、書いていた方が良い。これを書くのを止めると、世界が滅びる。

昔は、全部分かっていた。

社会、自然、方法、人生、理性、心理のことまで、全部分かっていた。

本当に全部分かっている。そういう人間だった。

抽象的な考え方の段階のようなことを言う。

推論し、証明し、想像力を使って、多角的に考え、モデルにし、比較し、実験する。

そういう、抽象的な方法の段階のようなものをいつも言っていた。

レーニンのような、救世主のような人間だった。日本を救えるだけの経験があった。

アメリカは、マルチカルチャーの超大国だ。単一カルチャーの日本とは全く違う。

抑圧と解放を考えていた。

思い込みを考えていた。

皆に語りかける文章が多かった。悪い人間と良い人間に見えるのを、繰り返していた。

歴史とは、ルーツを知ることだ。そういう風に、何でもルーツと思えば良く分かる。

社会の原型とは、そういうことを言っていた。ルーツのようなことを賢く分析していた。

社会の形成の段階のようなことをいつも言っていた。

あまり分かろうとしない方が良い。分かろうとしない方が、楽に分かる。

ものと社会は、意志と経緯から生まれる。いつもそういうことを言っていた。

本当に信頼すると、分かるのが人間だ。

その通り理解すれば分かる文章を書いていた。

自分の文章は、人生と知を書いている。

自分は、辛い。テレビを信頼すれば良い。テレビがきちんと分かるようになる。

最近は、もう終わっている。皆、本当に辛くなったが、良い人間になった。

過去に戻れば戻るほど悪い。どんどん良くなっているのに、辛くなっている。

そういうわけで、悪い人間が楽だ。辛いと、悪い人間になる。

自分は、辛いだけに見える。誰もが、もう辛いだけが分かる。それで滅びるだろう。

自分の方は、楽になる。楽になると、良い人間になる。楽だと、何をしても楽だ。

昔から、社会のルーツと状態の心理分析を書く。それくらいしか残っていない。

皆を信頼しないのが悪い。そのせいで、皆分からない。

自由な社会論は、自由を成り立たせながら、それぞれが変えられるようにしていた。

独立や意志や合意を考えた。手段や選択を考えていた。

自分は、欲が無いのも悪いが、被害妄想のようなところがある。誰も自分の敵になっていない。皆、誰もが味方なのに、自分から敵になっている。そういうおかしな王になった。

宇宙人は、宇宙の全てを、自由、真実、人生だと言っていた。この文章のことだ。

自分は、知性が無い。知的障害のようになった。引き篭もりは、知的障害になる。

もう既に全部知っている時点で、意味が無い。そのせいで、知性がつかない。

学習は出来ない。怖くなっている。英会話教室に行くのも怖い。何も治らない。何もしない。

昔から、学習を既に全部している時点で、知性がつかなくなったのが自分だ。

悲惨だから、忘れるしかない。この文章が良い。簡単に、楽に忘れられる。

何もかも、全て忘れたい。テレビやネットも見ないのが良い。そういうものはもう良い。

昔は、経験、体験、人生、存在のようなことを、マスターのように分かっていた。

意識や状態や人生の段階のようなものをいつも書いていた。

それ以上は、もう無い。もう終わりだ。

こういう風に辛い人間が多い。休まない人間は、不思議と多い。寝て休めば良い。

昔は、瞑想や解脱から、精神からの脱出のようなことも出来ていた。

最近は、馬鹿だ。知性が無い知的障害になった理由は、何でも治すからだ。

そういうわけで、治さない方が良い。

自由とは、信じることだ。何か、神を信じれば良い。誰でも、自分の神を信じれば分かる。そういうわけで、皆も神を信じれば、それで良い。

あとは、おかしなありえない世界をいつも作っていた。

仮想世界から、仮想科学のようなものを作っていた。

状態分析は、感覚や心から自由な愛が生まれる、などと言っていた。

社会は、自由が平等な人生、愛、価値観、などから生まれると言っていた。

真実と正しさの予測的で自由な分析や、宇宙人のような文章が多かった。

森羅万象を考え方と言葉から全部作っていた。

宇宙の歴史や、人生の考え方、哲学的な知恵のようなものを書いていた。

あらゆる側面から、この世の全て、人間の全てを、自由に考えていた。

もう終わりだ。もう、分からなくなる。

文章はいつものツイッターのように書いただけだ。

ロキに書いてある。人生も書いてある。ロキの人生とツイッターがいつもの文章だ。

最近の日本は、皆全員辛い。

楽な人間が居ない。誰もが悲惨になっている。自分はまだやっていることが楽しいだけ、辛くてもマシな方だ。何の望みも希望も無い、辛いを頑張って耐えているだけの馬鹿しか居ない。ブラック企業が悪い。そろそろ、自由を止めるべきだ。最近はそれしか居ない。

皆を楽にする。皆、単純に馬鹿になれば楽になる。

それから、何も出来なくする。普通何も出来ない。それで楽になる。

いつもの文章は、考え方や知恵のようなものを全部書いていた。

相対的な環境の法則のようなものを、全部書いていた。思弁哲学と環境の文章だった。

そろそろ、皆馬鹿になる。それでしか楽にならない。昔は皆馬鹿だった。

昔は、性善説の自由のようなことを言う。自由から、皆の力で、平和で良い環境や社会を築ける、といつも言っていた。それも、自由と平等の価値観から作ると言う。

皆が馬鹿になると、良い社会になる。普通の楽しい世界になる。悪くなったのは、悪いのが賢い社会が多いからだ。自由が悪いどころか、賢いのが悪いだけだ。

弁証法は、論理学みたいなものを具体的に全部作っていた。永遠の体験をした。

もう、誰もが見るからに賢くなる。普通より、馬鹿な人間の方が、賢い人間になる。

馬鹿になった方が賢くなるのは、自分がいつもそうだ。知性が全部無くなって、放っておくと、賢くなった。賢い人間には、馬鹿な人間が多い。

今の方が馬鹿にしか見えない。もっと皆賢くなれば良い。そういうわけでもう賢くする。そうすると、それで本当に賢い社会になる。

自分も馬鹿だ。世界と戦って、馬鹿になった。だが、偉大なほど出来るようになった。そういう人間が賢い。ただ賢いだけの普通の大人には、何も出来ない。自分のような、作家の偉人が賢い。皆も、そういう馬鹿になるのが良い。そういう馬鹿は、馬鹿しか居ない。誰もが、馬鹿になるだけで出来る。それで賢くなる。

自分のやり方は簡単だ。いくらでも書いて、思考すれば良い。哲学を勉強しながら書くのも良いが、昔から、森羅万象の構造と関係をいくらでも書いて考えるのが自分だ。

いつも、人生を書いていた。人生が最後まで終わって、分かってから、全ての人生の変化と記憶を書く。それが一番多かった。多すぎて、書いていない。

皆は、バッハやダヴィンチのような偉大な人間になれば良い。そういう人間は、いくらでも同じことを繰り返ししている人間が多い。もう、ただの賢い人間は、終わりだ。最近は、辛いとは言うが、キリストやヘーゲルほどに賢くなった人間が多い。それしか居ない。

数学的な方法、相互作用、判断基準、行動原理のようなことを言う。

そういう賢いことを言っていたのに、覚えていない。いつも、賢いだけを全部言っていた。

組織を作る前提のようなことや、社会の歴史的な変化のようなことを、自由から考えた。

そういう、賢い人間だった。最近、哲学と文章を思い出すせいで、分からなくなった。

もっと賢いことを考えれば良い。

この文章は、多く見えて、少ない。馬鹿しか書いていない。

普通に賢いことを考えれば良い。相対的なことを考えた、と言いたいだけだ。

共有や考え方のようなこと、環境や可能性や方法のようなことを、いつも書いていた。

ものの自然発生、歴史の積み重ね、プロセスの改善、環境の自由化、のようなことを言う。

そろそろ終わりだ。そういう、ただ「賢い」ことを全部言っていた。

あとは、システムと説明、共同体と国家の分散、帝国主義、のようなことを言う。

もっと色んなことを考えれば良い。もっと沢山のことを考えた方が良い。少ないのは、昔の文章なんか、ノート四冊しか残っていない。何年も沢山書いた文章の、ほんの少ししか残っていないから、少なく見えるだけだ。

本当は、もっと沢山の世界や自由や心理のことを言っていた。世界と政治を考えていた。

実験から帰納的に分かる考え方のようなことをいつも言っていた。

ロキは多く見えるが、ワルキューレには内容が無い。フレイはただの独裁者だ。哲学なんか、そんなに何も分かっていない。ロキが賢く見えるのは、フレイに知識があるからだ。ロキだけだと、ただの馬鹿に見える。ロキとフレイは、両方無いと悪い。

あとは、具体的な提案が多かった。科学や社会のことを提案していた。

愛や不安を実存的に考えていた。マスターのようなことを言う。

何か他に書きたいことがあったが、忘れた。

何も無いのがおかしいから、こんなに辛くなる。何かあれば楽になる。

何か信じれば良い。自分の場合、日本史とロックを信じれば良い。昔は、オープンソース、神、革命などを信じていた。文章を書くのでも信じれば良い。

何を信じても同じとは言うが、オープンソースは悪い。一番狂った人間になる。

ブッダを信じた方が良い。ブッダぐらいしか、賢く見えない。

哲学者は、皆馬鹿だ。何も賢くない。

自分は、皆から見ると、女神に見えて良い。

自分が分かると、皆も分かる。皆、そこが辛いから、もう分からせない方が良い。

あとは、マホメットぐらいを書いていない。コーランを見れば分かる。何かが悪い。

イスラム教は、悪く見えて、良い宗教だ。本を見れば分かる。

本当に神を信じると、ああいう風になる。最後まで分かって、死ぬまで戦うようになる。マホメットもそういう人間だ。

自分の本を読めば良い。イスラム教の人生が分かる。むしろ、普通の自由な人生だ。イスラム教徒は、馬鹿に見えてまともだ。誰にでも良い、寛容的でまともな人間が多い。

つけたり、休ませたりするより、やっていることをもっと楽にすれば良い。

タリバンは悪いが、どうせ死ぬなら同じ、と言う人間が多い。それは悪い。一番悪いことを言っている。ただ、戦争はそういうものだ。戦争が悪いだけだ。

何かあれば、楽になる。ブッダ以外のことを信じるなら、哲学者を全員信じれば良い。

もっとマシなことを分かった方が良い。タリバンなんか分かっても、全く意味が無い。

要は、オープンソースより神や右翼の方がマシだ。

そういうわけで、イスラム教や悪魔を信じるのが悪い。

そろそろ、もう分かることは無い。もう終わりだ。

数学でもやれば良い。日本史は、読んでいるが、つまらないからそんなにしたくない。

自分より、ドストエフスキーの方が賢い。それは、超えれば良いように見える。

不思議と、自分はこれで終わりだ。数学なんか、昔のパソコン時代に出来ている。神ほどに分かっている。英語は、最近、日本語が英語になって出来た。

もう、何も出来なくなる。またゼロから何かするしかない。そういう風になるから、これでそろそろ哲学編も終わりだ。フレイは、普通の賢い人間だった。

本当に数学をやった方が良い。やらないと、何も分からない。

昔は、言語的な数学の構造を作って、法則と関係を考えただけだ。

いつも相対的な構造を作っていた。そういう文章でもあった。数学的なことは、もう分かっているようで、もう全部忘れた。最初からするしかない。

歴史は、今の本を読んで終わりだ。フランス史なんか、しない。するわけがない。

強制的に数学編に変わる。哲学と歴史なんか、これでもう出来た。ソ連とドイツが分かっている。馬鹿に見えて賢いのが、最近の自分だ。

賢い人種なんか、インド人だけだ。昔から、そこまで数学が出来る。そのせいで、賢い発想が全部分かる。そういうわけで、ブッダが賢いものなんか、全部分かっている。そのせいで分かるだけだ。昔の自分がそうだった。賢いものが網羅的に全部分かっていた。

そういうわけで、賢いものなんか、誰でも数学で全部分かる。昔は、それを書きたかっただけだ。これくらいで誰でも分かる。賢い自分の数学を何度も何度も創っただけだ。

昔は、モデルと照らし合わせることで全て分かっていた。

これで数学をやると、本当に賢いものが全部分かる。この本は、そういう本だ。魔法みたいに全部のことが分かる。神に憑りつかれた人間だから、仕方ない。

そろそろ終わりだ。数学をやれば良い。皆も数学をやるのが良い。数学と自由によって、全てのことが分かるだろう。そういう人間が日本人にも多い。数学が賢い。

昔は、「ために」や「よって」など、数学的な言語でパソコン的に分かっていた。

最近は、何かの支配者になって、戦って導いて分かっていた。

歌手に教えるせいで、歌手が分かっている。

神は、傍観者だ。ただ傍観しているだけだ。

そろそろ、もう書く意味が無い。数学をすれば良い。最初から昔が出来る。

最近をするためには、数学は忘れた方が良い。それで、きちんと分かる。

証明が分からない人間には、何も分からない。昔は、証明や推論が分かる人間だった。

良く考えると、昔なんか数学的に分かっているだけだ。

数学を分かると、未知がきちんと分かるようになる。最近、分かっていない。哲学者には、そういう人間が多い。未知ぐらいきちんと分かった方が良い。未来は、白紙だ。

昔の数学的な体得と発想法や、最近の全部の論理で全部の論理が分かるや、弁証法などは、全部数学をそこまで分かっている。そういう発想を何かすれば分かる。最近は、自分の何かが憑りついたように、全てのことを全て創って分かった。これが神だ。

あとは、全部決めて、決め直して分かった。昔は、そこらへんが分かるキモイ人間だった。

良く分からないが、もう、昔の自分も、文章も、神も消えていく。もう終わった。最後まで全部分かった。そろそろ、何も出来ない。

日本史は、江戸時代の後半を読んでいる。そろそろ近現代になるから、面白くなる。

昔は、数字を神のように信じて分かっていた。自分をロボットにした。そのせいで、毎日何か分かるようになった。

数学をやっていると、狂う代わり、未知が分かるようになる。ただ、狂って馬鹿になる。

日本は、数字でロボットにしたのを止めさせると、すぐに倒れる。日本が終わる。それをした方が良い。自分のせいで、時計のロボットになっている。止めると、分からなくなる。

そういうわけで、日本のテレビも終わりだ。もう馬鹿になる。

いつもきちんと分かっていた。いつも、今言うべきこと、するべきことがきちんと分かっている、本当に正しい王のような人間だった。

世界が滅びた。数字で無い世界になる。楽になるようで、滅びる。おかしな世界になる。

昔は、永遠に生きたかった。人生に終わりなど、あってほしくなかった。

最近は、むしろ、そろそろ死にたい。足も怪我したし、ニキビや虫歯も悪い。心も辛くなって、頭も馬鹿になっている。そろそろ、死ぬのにちょうどいい。

経験と心の関係を考えて分かっていた。

あまり書かない方が良いが、共産主義は馬鹿だ。党一党独裁の平等で、王以外は無階層だ。そういう発想が一番悪い。とは言うが、歴史を見ていると、王の方が悪いことも多い。百姓一揆が起きるのは当たり前の状況が多い。ソ連は理想の最後の国を作りたかっただけだ。

ソ連は一番自由や資本主義が嫌いだ。だから日本人がソ連を信じるのは止めた方が良い。日本には、自由と資本主義が良い、しか居ない。自由が嫌いな人間が居ない。

王以外無階層だから、独裁者が全て決めるようになる。本当は評議会にしたかった。