意味を良く考えれば分かる。
ものは、いつでもそこにある。
ものは、いつでも変えられる。潜在的な可能性がある。
昔から、長い旅のような経験をしている。
昔は、悲惨な引きこもりのような人間だったが、賢くなった。悲惨な人間が賢くなる。
教育や社会をどのように変えられるか、全部分かっていた。
嘘や不確かなことの逆を言って分かっている。それを止めるべきだ。
信じないのはおかしい。
良いものが悪い。良いものを悪いと思うからこうなる。
もっと肯定的になれば良い。
皆が持つ意見は、全員正しい。そのように全員を分かっていた。
人間の価値観と法則を分かっていた。
自由な共同体、基盤、環境から、自由なシステムを作っていた。
昔は、心理学から哲学が出来た。認知行動療法のように、治って分かっていた。
ホームページを公開した。
環境は、自由にし、平等にし、支配し、変えられる。そういう、方法の網羅を書いていた。
社会主義は、所有の統一を考えていた。音楽アルバムを与えると言っていた。
マルクスは、資本主義の問題を分析した。共産主義にするより、資本主義を改善すべきだ。
昔は、未来のビジョンのようなものが、はっきりと見えていた。
社会のことも全部知っていた。哲学者や救世主のような人間だった。
昔から、環境のことを良く考える。参加と可能性や、自動化、環境の発生と構築、心理学や社会学との関係、意識の支配、のような、環境のプラットフォーム論を考えていた。
環境を作り出すことで、社会を自動的に発展させる。そういう、自由な発想が多かった。会社のようなものも、環境と参加から、感情と意識と経験で分かっていた。
感情や感覚で分かるのを、良く考えて分かっていた。おかしな心理学の経験論だった。
環境の中で、人間が何をするかを考えていた。
ネットで経験しながら、実存主義のように人生を考えていた。
最近馬鹿になったのは、分かってしまえば馬鹿で良いからだ。
昔は、ウィトゲンシュタインと同じだ。言語ゲームや像が多かったし、顔も良く似ている。
昔、経験から感情を分かって数学を作ったせいで、何も分からないのに分かっている。
狂っているから、止めた方が良い。
ウィトゲンシュタインをやっていると、全ての哲学が出来る。昔の自分がそうだった。
感情と意識を良く考えて分かっていた。
治すのは、意味が無いから、止めた方が良い。最近は、全部治すようになった。
いつまでもこのままで良い。ただ、楽にはなりたい。
今を受け入れればすぐに楽になる。辛いのは、拒否し、否定し、批判するからだ。
昔は、経験や意味を具体的に良く考えていた。自ら全てを経験して、世界にある人間の経験を考え、環境における行動や解決を考えて、成り立ちや意味や関係を捉えていた。
本当に経験を良く考えた。ソクラテスのように、4年間じっくりと経験を考えていた。
哲学者のように出来事や現象や経験を考えて、経験と認識を仮定して分かっていた。
もっと経験を考えれば分かる。最近考え方が分からなくなった。
最近は、子供に戻った。成長はしない。子供の方が賢いからこうなっている。
普通、認知症がこうなる。放っておくと、最後までやって死ぬ人間が多い。
自分の場合、賢いから認知症で無い。自分は賢い天才だ。
あまり言う意味が無いが、心の現象学が本当に多かった。
精神分析のように考えて分かっていた。
最近、書かないとつまらない。書かないと気が済まないようになった。
おかしく見える。書いても辛いだけなのに、まだ書きたいのはおかしい。
何も分からない。自分は、魂のレベルで、まだ書くことを望む。あまりおかしくない。
文章は、世界観を作っていた。
学習や方法や行動から、環境を考えていた。方法のような文章が多かった。
そして、政治のようなことを言っていた。
もっとこの世界を直視して考えれば良い。それですぐに分かる。ネットでもすれば良い。
自分は、悲惨な人間だから賢くなった。誰でも、悲惨な人間になれば賢くなる。
宇宙には、悲惨な人間しか居ない。まともな人間は、何もしていない人間が多い。
あとは、自由な経験と行動や、そこから来る社会性や共同性の自覚のようなものが多い。
自由な行動を書いていたのは、悲惨な引き篭もりだと思えば分かる。
引き篭もりの悲惨な人間の、行動、経験、社会理解、自覚のようなものを書いていた。
単純な行動を全部書いていた。
視点から、振り返って、反省して分かっていた。
あとは、相対的な原因の把握や、学習を習得していくプロセス、世界における学習と構築の論理、のようなことをいつも書いていた。そして、昔から考えていた。
そして、具体的な人生を段階的に分かっていた。人生の経緯とプロセスを全部書いていた。
社会の平和や発展が、どうしたら生み出せるのか、実現出来るのか、のようなことを、自由の目線から考えていた。何でも解決出来る、王のような人間だった。
昔は、色んなことを頑張っていた。
引き篭もりになって、色んなことを頑張ったのが自分だ。
色んな努力と経験、そして社会を知ることで分かっていた。
最近は、何も頑張っていないようで、ここまで頑張って文章を書いている。
自分は、頑張った。途方も無く、永遠のように全てを頑張っている。
そうでもない。何も頑張っていない。皆の方が本当に頑張っている。自分は馬鹿だ。
色んなことを努力しながら、力業で分かっていた。
いつもの文章は、段階的に、認識、相対性、自由、平等、社会、経験などの言葉を羅列していただけだ。そろそろ見える。
そろそろ、もう書かなくて良い。エッチな女に見える。そこが怖い。辛いだけだ。
あとは、引き篭もりになって、努力して、経験しただけだ。
自然な体験で分かった末に、社会に対して自分の出来ることをしたかった。
オープンソースのようなことをして、最後まで分かっていた。
そろそろ終わりだ。もう、書かなくて良い。
社会の全体像と価値観を知って、自立して分かっていた。
世界観を良く考えた。世界のことも、他人の世界観のことも、考えた。
ヤスパースやハイデガーのようだった。
そういうわけで、最近、こういう賢い人間が多い。
最近は、悲惨なネットの廃人が賢くなる。そのまま哲学者になる。
他人との関係としては、感情や認識の関係を考えて、経験から神のように分かっていた。
人間関係のことは、経験から分かっていた。そういう、経験論の哲学者だった。
あとは、全員を吸収して、全員と融和して分かっていた。
実体験から考える。ネットの経験は、賢い左翼のように社会のことが分かっていた。
あとは、スラムのようでもあったし、政治闘争のようなものも多かった。
社会のことは、まともに知っている。それこそ、最近もう覚えていない。
あとは、自由と創造性が好きだっただけだ。そういう人間が自分だ。
自由な体験、創造的な体験を信じていた。
悪い人間は、何も分かっていない。それは、自由に経験すれば治る。
そういう風に、悪い人間を許しながら、戦う、自由のような信念を持っていた。
全員の信念、価値観、経験のようなものから、全員の観念が分かっていた。
オープンソースの影響から、システムの共有や、機械の所有者への公開性が好きになった。
皆と一緒に知った自由が一番好きだった。
この世界が好きだった。この世界の全てを愛して、どんな世界になることも平等に愛していた。建設的に考えて、この世界をどうすれば良いか、どう出来るか分かっていた。
宇宙を知りたかった。何でも、不可知なことを不思議だと思って分かっていた。
科学を全部したくて、全分野の基礎を作っていた。国を全部知って、全員になりたかった。
全員になりたくて、ネットで全部の仕事をしていた。
全部の労働の経験があった。
経験を全部して、色んな行動や学習を全部分かっていた。
そういうところを書いていた。色んな体験を全部、総称的な文章にしていた。
あとは、根源的、相対的に感情を考えていた。
何でも感情を考えて分かっていた。
感情からこの世界の全て、人間経験の全てが分かった。
感情の物理、感情の哲学、感情の社会学だった。
そろそろ、つまらなくなる。もう全部書いた。あまり意味が無い。
経験と意味を良く考えていた。
ケミストリーが言うように、信じること、変わることが希望に繋がるだろう。
人を信じて、自分を変えること。それが一番正しい哲学だ。
昔は出会いのようなものが好きだったが、最近それはもう良い。
何も求めず、望まない。欲は無い。出会いのようなものは、もう要らないのが自分だ。
昔は、本当に救世主のような、哲学者のような賢い人間だった。
世界史を見ていると、カエサルがカッコよくて、ブッダが賢い。
カエサルは本当に賢い。ローマ帝国の最高の政治家だ。本当に天才みたいに出来る。帝政まであと一歩のところで死んだ。そして、ガリア戦記などの文章も書いている。
目的や役割を考えれば分かる。ものの意味や、行動の目的を考える。意図とはそういうことを言っていた。そういうわけで、それでまともな人間のように分かる。
昔なんか、目的を考えただけだ。場合と目的を想定して、状況や意味を分かっていた。
何か、出来るようになれば良い。そういうことをすれば良い。
強い人間は良い人間になる。弱い人間は賢い人間になる。
悪い人間は、大切なことが分かっていない。
普通、出来るようになることしかしない。料理や工作のようなことしかない。誰でもそういうことをするから、そういうことをすれば良い。