日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-30=

意味を良く考えれば分かる。

ものは、いつでもそこにある。

ものは、いつでも変えられる。潜在的な可能性がある。

昔から、長い旅のような経験をしている。

昔は、悲惨な引きこもりのような人間だったが、賢くなった。悲惨な人間が賢くなる。

教育や社会をどのように変えられるか、全部分かっていた。

嘘や不確かなことの逆を言って分かっている。それを止めるべきだ。

信じないのはおかしい。

良いものが悪い。良いものを悪いと思うからこうなる。

もっと肯定的になれば良い。

皆が持つ意見は、全員正しい。そのように全員を分かっていた。

人間の価値観と法則を分かっていた。

自由な共同体、基盤、環境から、自由なシステムを作っていた。

昔は、心理学から哲学が出来た。認知行動療法のように、治って分かっていた。

ホームページを公開した。

環境は、自由にし、平等にし、支配し、変えられる。そういう、方法の網羅を書いていた。

社会主義は、所有の統一を考えていた。音楽アルバムを与えると言っていた。

マルクスは、資本主義の問題を分析した。共産主義にするより、資本主義を改善すべきだ。

昔は、未来のビジョンのようなものが、はっきりと見えていた。

社会のことも全部知っていた。哲学者や救世主のような人間だった。

昔から、環境のことを良く考える。参加と可能性や、自動化、環境の発生と構築、心理学や社会学との関係、意識の支配、のような、環境のプラットフォーム論を考えていた。

環境を作り出すことで、社会を自動的に発展させる。そういう、自由な発想が多かった。会社のようなものも、環境と参加から、感情と意識と経験で分かっていた。

感情や感覚で分かるのを、良く考えて分かっていた。おかしな心理学の経験論だった。

環境の中で、人間が何をするかを考えていた。

ネットで経験しながら、実存主義のように人生を考えていた。

最近馬鹿になったのは、分かってしまえば馬鹿で良いからだ。

昔は、ウィトゲンシュタインと同じだ。言語ゲームや像が多かったし、顔も良く似ている。

昔、経験から感情を分かって数学を作ったせいで、何も分からないのに分かっている。

狂っているから、止めた方が良い。

ウィトゲンシュタインをやっていると、全ての哲学が出来る。昔の自分がそうだった。

感情と意識を良く考えて分かっていた。

治すのは、意味が無いから、止めた方が良い。最近は、全部治すようになった。

いつまでもこのままで良い。ただ、楽にはなりたい。

今を受け入れればすぐに楽になる。辛いのは、拒否し、否定し、批判するからだ。

昔は、経験や意味を具体的に良く考えていた。自ら全てを経験して、世界にある人間の経験を考え、環境における行動や解決を考えて、成り立ちや意味や関係を捉えていた。

本当に経験を良く考えた。ソクラテスのように、4年間じっくりと経験を考えていた。

哲学者のように出来事や現象や経験を考えて、経験と認識を仮定して分かっていた。

もっと経験を考えれば分かる。最近考え方が分からなくなった。

最近は、子供に戻った。成長はしない。子供の方が賢いからこうなっている。

普通、認知症がこうなる。放っておくと、最後までやって死ぬ人間が多い。

自分の場合、賢いから認知症で無い。自分は賢い天才だ。

あまり言う意味が無いが、心の現象学が本当に多かった。

精神分析のように考えて分かっていた。

最近、書かないとつまらない。書かないと気が済まないようになった。

おかしく見える。書いても辛いだけなのに、まだ書きたいのはおかしい。

何も分からない。自分は、魂のレベルで、まだ書くことを望む。あまりおかしくない。

文章は、世界観を作っていた。

学習や方法や行動から、環境を考えていた。方法のような文章が多かった。

そして、政治のようなことを言っていた。

もっとこの世界を直視して考えれば良い。それですぐに分かる。ネットでもすれば良い。

自分は、悲惨な人間だから賢くなった。誰でも、悲惨な人間になれば賢くなる。

宇宙には、悲惨な人間しか居ない。まともな人間は、何もしていない人間が多い。

あとは、自由な経験と行動や、そこから来る社会性や共同性の自覚のようなものが多い。

自由な行動を書いていたのは、悲惨な引き篭もりだと思えば分かる。

引き篭もりの悲惨な人間の、行動、経験、社会理解、自覚のようなものを書いていた。

単純な行動を全部書いていた。

視点から、振り返って、反省して分かっていた。

あとは、相対的な原因の把握や、学習を習得していくプロセス、世界における学習と構築の論理、のようなことをいつも書いていた。そして、昔から考えていた。

そして、具体的な人生を段階的に分かっていた。人生の経緯とプロセスを全部書いていた。

社会の平和や発展が、どうしたら生み出せるのか、実現出来るのか、のようなことを、自由の目線から考えていた。何でも解決出来る、王のような人間だった。

昔は、色んなことを頑張っていた。

引き篭もりになって、色んなことを頑張ったのが自分だ。

色んな努力と経験、そして社会を知ることで分かっていた。

最近は、何も頑張っていないようで、ここまで頑張って文章を書いている。

自分は、頑張った。途方も無く、永遠のように全てを頑張っている。

そうでもない。何も頑張っていない。皆の方が本当に頑張っている。自分は馬鹿だ。

色んなことを努力しながら、力業で分かっていた。

いつもの文章は、段階的に、認識、相対性、自由、平等、社会、経験などの言葉を羅列していただけだ。そろそろ見える。

そろそろ、もう書かなくて良い。エッチな女に見える。そこが怖い。辛いだけだ。

あとは、引き篭もりになって、努力して、経験しただけだ。

自然な体験で分かった末に、社会に対して自分の出来ることをしたかった。

オープンソースのようなことをして、最後まで分かっていた。

そろそろ終わりだ。もう、書かなくて良い。

社会の全体像と価値観を知って、自立して分かっていた。

世界観を良く考えた。世界のことも、他人の世界観のことも、考えた。

ヤスパースやハイデガーのようだった。

そういうわけで、最近、こういう賢い人間が多い。

最近は、悲惨なネットの廃人が賢くなる。そのまま哲学者になる。

他人との関係としては、感情や認識の関係を考えて、経験から神のように分かっていた。

人間関係のことは、経験から分かっていた。そういう、経験論の哲学者だった。

あとは、全員を吸収して、全員と融和して分かっていた。

実体験から考える。ネットの経験は、賢い左翼のように社会のことが分かっていた。

あとは、スラムのようでもあったし、政治闘争のようなものも多かった。

社会のことは、まともに知っている。それこそ、最近もう覚えていない。

あとは、自由と創造性が好きだっただけだ。そういう人間が自分だ。

自由な体験、創造的な体験を信じていた。

悪い人間は、何も分かっていない。それは、自由に経験すれば治る。

そういう風に、悪い人間を許しながら、戦う、自由のような信念を持っていた。

全員の信念、価値観、経験のようなものから、全員の観念が分かっていた。

オープンソースの影響から、システムの共有や、機械の所有者への公開性が好きになった。

皆と一緒に知った自由が一番好きだった。

この世界が好きだった。この世界の全てを愛して、どんな世界になることも平等に愛していた。建設的に考えて、この世界をどうすれば良いか、どう出来るか分かっていた。

宇宙を知りたかった。何でも、不可知なことを不思議だと思って分かっていた。

科学を全部したくて、全分野の基礎を作っていた。国を全部知って、全員になりたかった。

全員になりたくて、ネットで全部の仕事をしていた。

全部の労働の経験があった。

経験を全部して、色んな行動や学習を全部分かっていた。

そういうところを書いていた。色んな体験を全部、総称的な文章にしていた。

あとは、根源的、相対的に感情を考えていた。

何でも感情を考えて分かっていた。

感情からこの世界の全て、人間経験の全てが分かった。

感情の物理、感情の哲学、感情の社会学だった。

そろそろ、つまらなくなる。もう全部書いた。あまり意味が無い。

経験と意味を良く考えていた。

ケミストリーが言うように、信じること、変わることが希望に繋がるだろう。

人を信じて、自分を変えること。それが一番正しい哲学だ。

昔は出会いのようなものが好きだったが、最近それはもう良い。

何も求めず、望まない。欲は無い。出会いのようなものは、もう要らないのが自分だ。

昔は、本当に救世主のような、哲学者のような賢い人間だった。

世界史を見ていると、カエサルがカッコよくて、ブッダが賢い。

カエサルは本当に賢い。ローマ帝国の最高の政治家だ。本当に天才みたいに出来る。帝政まであと一歩のところで死んだ。そして、ガリア戦記などの文章も書いている。

目的や役割を考えれば分かる。ものの意味や、行動の目的を考える。意図とはそういうことを言っていた。そういうわけで、それでまともな人間のように分かる。

昔なんか、目的を考えただけだ。場合と目的を想定して、状況や意味を分かっていた。

何か、出来るようになれば良い。そういうことをすれば良い。

強い人間は良い人間になる。弱い人間は賢い人間になる。

悪い人間は、大切なことが分かっていない。

普通、出来るようになることしかしない。料理や工作のようなことしかない。誰でもそういうことをするから、そういうことをすれば良い。