日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-28=

治る間、何もせず、止まっていれば治る。

辛いのに慣れれば良い。

間違った考えの人間には、アドバイスするべきだ。だが、良く考えると、間違っているようで、間違っていない。間違った考えの人間なんか、いない。環境からそういう考えの多様性を考えることが出来る。

右翼と左翼の価値観を分析した。

意志を考えていた。

ドイツもソ連と同じように統制経済だ。

日本語は、必然的に単語から出て来る言葉を予想していると、機械でも理解出来る。

「部分が」と言う単語が出てきたら、必然的に「同じ」や「違う」、「変わる」などの単語が必ず出て来ると考えた方が良い。

そういう風に、単語から単語が必ず出て来ると予想していると、人工知能でも理解出来る。

経験から道徳心や思いやりのようなことが分かった。

周りから考えて、全部分かった。正しく考えた。

経験と思考から、自由より新しい違うものを取った。全員分思考して分かっていた。

出来るだけ自由にした上で、自由に皆のことを変える。

アドバイスや助言の他には、自由に皆のことを導いて、分からせるべきだと言っていた。

自由にするなら、助言を与えるべきだと、いつも考えていた。

機会を実現するとか、芸術作品は見て分かるようにすべきだとか、考えていた。

論理的な自由を考えて、考える部分と考えない部分を分けて考えていた。

芸術作品は、自由と表現であり、存在は、ただ在ると言うことを自由に体験することであり、社会は体験と習得と共生と構築である、と言っていた。

自由とは、決定と可能性である。

全部そういう風に、考える部分と考えない部分のことを自由と言っていた。

この世で最初に好きになったものを考えると治る。

普通、それは、ママだ。

ママが好きになると、治る。二番目に好きなものは、パパだ。

ママは、嫌いになる人間が多い。

ママが嫌いになると、それ以上が間違っているのが、人間だ。

江戸時代は、文化、特に絵画や服装を見ていると分かる。

男は、特に武士は、折り紙みたいな服を着ている。あれが、まともで成熟した日本だ。

昔は、本当に神ほどに物理が出来ていた。もう全部分かったのが自分だ。

明治が賢いとは言うが、まともな歴史で無い。急激に変わりすぎている。

今、日本が軍国主義になってきたところを読んでいる。

ドイツは、最初は大勝利をおさめていた。

いつも言っているが、経験から仮説と実験で分かっていた。モデルとはそういうことを言っている。帰納的かつ演繹的に、説明と実験とモデルと経験で分かっていた。

昔は、まともに人生を生きていた。

詩集のように生きていた。経験から知性を作って、色んなものを信じていた。

ネットで世界観を知り尽くして、知と社会観を築いていた。

世界を、決まりから分かっていた。

意味の無いことは、しない方が良い。学校の勉強は、意味が無い。

だが、一度学校の勉強をすると、知性がついて、きちんと出来るようになる。

正しいものは何なのか、考えていた。

本当の宇宙の姿、法則の姿は、目に見える姿とは全く違う。

議論と戦いをネットでして分かっていた。

江戸時代は、遅れてはいるが、成熟した、安定した時代だ。

日本は、結果的に、ヨーロッパとアジアが融和した、ありえない文化になった。

鎖国なんか、朝鮮もしている。

昭和は良いと言う人間が多い。馬鹿に見えて、昭和が賢い。平成はアメリカだ。

あとは、哲学者を自分にして、図鑑にして分かっている。それも良くは無い。

関係を良く考えて、予測し、作用と結果を知る。そうすると、知性がつく。

世界史を読んだら、また仏教の本が読みたい。

あとは、戦争は本当にしない方が良い。あまり大それたことをしない方が良い。

昭和の戦争なんか、一番悪く見える。ただ、地球人を全員殺したいだけだ。

あとは、心理学が多かった。環境、行動、認識を、欲求と学習と場から考えていた。

心の深層を知って、ブッダのように分かっていた。十界のように経験を分かった。

何もかも分かっていたが、狂っていた。

最近の方が良い。最近は、戦いの末に、こんなに賢くなった。

何でも全部分かって分かっている。分かるピースを全部書いて分かる。

精神病なんか、そろそろ全部治った。本当に楽になったが、いつも辛かった。

もう止めた方が良い。止めたいのにまだ止めない。止めるわけがない。

煩悩や執着が悪いのは、昔分かっている。

天使になった男が言うように、恐怖は弱い心だけを攻撃する。強い心で立ち向かえば、必ず勝てる。恐怖は、死に至ることすらあるし、何もかも全てを奪うが、そんなに強くない。弱い敵だから、誰でも勝てる。そのためには、考えているより、行動するべきだ。

昔から、自分もそういう風に分かっていた。

あとは、神との対話のように分かっていた。神との対話は、僕が一番好きだった本だ。

そうでもない。ソフィーの世界の方が好きだった。

政府がこのままでマイナンバーをやるらしいが、自分はマイナンバーのことなんか、何も分かっていない。こんな状態でマイナンバーをやるのがありえない。皆、マイナンバーなんか分からない。皆誰も分かっていない。

安倍は悪い。安保法案からTPPまで、全部悪い。消費税ぐらいは分かる。一億総活躍と言っているのは、馬鹿にしか見えない。何より、戦争法案に平和とつけるのは、いやらしい。

安倍は倒れるだろう。共産党が勝つように見える。Linuxが勝つかもしれない。

昔は、言語的かつ論理的に分かっていた。

注文していた世界史の本が届いた。内容を見ていると、日本史よりはるかに賢い。

今、太平洋戦争の前のところを読んでいる。

軍国主義によって、議会は全く意味が無くなった。学校も軍国主義になって、大政翼賛会が発足した。日独伊三国同盟によって、戦争の準備が整った。

今、太平洋戦争のところを読んでいる。

日本には、大東亜共栄圏と言う理想があった。アジアの植民地を解放し、共存共栄の共同体の帝国を作る。成功すれば、ソ連より良い国になっていたかもしれない。

自分は、この宇宙に生かされている。そういうことが、昔も今も、自分が一番良く分かる。

アメリカにも強制収容所はあって、アメリカに住む日系人などを収容していた。大空襲が起きたように、戦争はアメリカにも悪い点が多い。

第二次世界大戦の章を読んだ。そろそろ、最後の章だ。戦後の、現代の日本の章になる。

これを読んで、世界史の本を読みたい。

何も無い世界にすると、狂っているのが治る。

そういうわけで、日本はもう何も無い世界になる。

本当に狂った人間しか居ないのがおかしい。そろそろ、そういう風に治る。

根源的、歴史的、相対的に、現象を考えて予測すれば分かる。

世界精神みたいなものが分かる。

歴史的に考えて、根源的なことを良く考えて、相対的な理由と現象学を知る。

江戸は、遅れているようで、天下の百万都市だ。都市としては、進んでいる。

太平洋戦争はあまり書かなかったが、この本にあまり書かれていない。

別の本で読んだ内容では、攻勢は半年で終わり、ミッドウェー海戦で敗北したせいで、敗北が決定的になった。東京での大空襲は、沢山の日本人を大量虐殺し、沖縄では熾烈な戦いになった。そして、政府は劣勢になっているのを国民に隠して、真実を教えなかった。

ただ、その後の占領下での日本は、初めて外国への占領を体験した。統治能力があるままで敗北したため、マッカーサーは間接統治を行った。混乱は少なく、戦後体制になった。

自分は、安心してリラックスしていれば、それで良いのが分かっていない。そんなに賢くなるより、まず安心して、ほっとした方が良い。望みは、休みたかっただけだ。

戦後日本を賢いとは言うが、ほとんど、民主的な国はアメリカ主導で作っている。戦後日本は、アメリカが作った国だ。それも、軍事力を破壊し、軍国主義から民主主義へと転換するという、弱体化政策だった。だが、それで良くなった。平和な民主国家に変わった。

あとは、場と視点を想定して分かっていた。いつも言っている。

昔の自分が分からないのは、もう昔の自分はそろそろ十分だからだ。

そういうわけで、自分の人生すら分かっていない馬鹿が自分だ。

文章は、分析して世界観を書いていただけだ。誰でも出来る。

今、日本の高度成長のところを読んでいる。

そろそろ、昔の自分が見える。

昔は、想像力で変化を分かりながら、関係を考え、体験のようなことを実存的に考えた。

ネットで議論する経験から、沢山の経験を知って、行動と社会を一から考えることで、経験論のような哲学を自分で作っていた。

ヤスパースと思えば分かる。そのまま、デリダやフーコーのようになった。

社会の形成や手段のようなことを考えて、支配し、実現していた。

意味を考えて、思い出しながら、作用と関係から哲学的な発見を経験からしていた。

人生、数学、言語、意味、記憶のようなことを考えていた。

森羅万象のことを、自由に、正しい前提と根拠から考えていた。

役割と能力から、部品化して考えていた。そして、定義と推論から認識を証明していた。

日本史の本を、最後まで読んだ。長い読書期間だったが、達成感のようなものがある。

昔は、数学的な社会モデルのようなものを作っていた。

歴史のようなことを体験的に分かって、場の意識を考えていた。

日本史が終わったから、少し休みたい。次は、世界史の本を読みたい。

人生を数学的に考えていた。良く分からないが、実存や自由を考えていた。

テレビを支配しようとして、日本と戦っていた。それが悪かった。あまりに悪いことをした。テレビに実害は出ていないが、申し訳ないと思う。テレビが悲惨だ。

社会のことは、自由な行動や社会問題を仮定して、ヒュームのように分かっていた。

そろそろ終わりだ。これ以上は、何も無い。世界史なんか、すでに殆ど分かっている。

体験から具体的な社会のことを分かって、理性批判をしていた。

本当の法則や宇宙のことを、経験から分かっていた。

人間は記憶と人格であるとして、経験論やハイデガーのように記憶、人格、経験、習得、人生を考えていた。

もう、そんな哲学的なことは言わなくて良い。もっと違ったことを言った方が良い。

まるでストールマンのように、コンピュータのことが分かっていた。

歴史や経緯を知ること、人生や科学を知ることで、本当に全てのことが実感から分かった。

相手の視点に立って、立場や人格を吸収し、全員の感情を融和して分かっていた。

昔は、人生のことを良く分かっていた。何でも、人生が全ての場面と段階から分かった。

そろそろ、本当に終わった。日本史が読めたせいで、もう何でも出来るような気がする。

あとは、感情を実感して、想像力と広範な知識で分かっていた。何でも知っている。

冗談を言うと、人間は、死ぬと天使になる。天使になって、生きている人間を助けるようになる。それくらいを言うと、面白い神話に見えるから、言った。

あとは、善悪や自由のことを考えていた。

何もしないのや、放っておくのが一番悪い。国は、国として、きちんと国のことをする。だが、それは、強権的にはなってはならない。国民の公僕として、働くべきだと思う。

方法、考え方、歴史、出来事を分かれば、世界の本質が分かると言っていた。

そういう、ネットで分かった博物学のような世界観を言っていた。

そういうわけで、公共整備とか、分散した共同体とか、工場の自立化などと言う。

つまり、ネットで分かった人生を言っている。ネット世界と思えば分かる。

経験から承認と理解の共有で分かると言っていた。

あとは、もう、日本が分かる。一度日本史を読んだせいで分かる。

日本史は、繰り返し読んだ方が良い。白取さんの哲学の本は、何度か読んだ。全部通して読まなくて良いから、繰り返し、拾い読みをすれば良い。

世界史の本は、読まないなら、読まなくて良い。世界史のことはもうきちんと昔分かっている。近世、近代の絶対王政や国民国家の王や大統領の名前を知らないだけで、イスラム教やヒンドゥー教まで、特に古代をきちんと分かっている。だが、覚えていないだけだ。

そういうわけで、近世、近代だけをすれば良い。それも悪くない。

日本史を読んだせいで、日本が分かる。何故か、本当に分かる。

宇宙にはそういう、分かる法則が多い。何故か、物理の通りにはならない。キリスト教や仏教のような、信じている宗教の通りになる。

そういうわけで、キリスト教を信じたのが賢かった。何故か、弱者や貧者のように生きた方が、賢い人間になる。ただ、そのせいで、地獄を望む。地獄は馬鹿だ。

それはどうでも良い。あとは、日本のことが分かる。

世界史をきちんとすれば終わりだ。同じシリーズの本なら、読めるように見える。何も分からなくても、とりあえず最後まで読んだ方が良い。それで何か分かる。

昔は、学問を全分野分かって、技術的に全分野出来て、社会のことも分かっていた。人間は、そこまで分からないと、分からない。唯一自分が分かったから、自分に神が訪れた。そこまで分かれば終わりだ。そういうわけで、最初に戻って繰り返している。

自分のせいで意味が無い世界になったから、自分が神だ。世界に対して、本当に良いことをすれば良い。出来るのにしないのがおかしい。

最近が何も分からない地獄になっているのは、いつも、今の自分には何も出来ないのが分かっていない。必然的に、出来ないだろう。出来ないなら、しなくて良い。

そういう、不可能が分からなくなった。何でも可能に見えるのがありえない。

世界史の本を読みたいと思う。また古代に戻るのがつまらないが、それは仕方ない。

良く分かって、吸収して、自分の精神に取り入れれば分かる。昔の、そういう、哲学的で非科学的な人生と思考の知恵を思い出した方が良い。そういうものが分かる人間が多い。

あとは、行動規範を作って、言語モデルのようなものを作っていた。

その関係や論理を考えることで、この世界の全てのことが総じて分かった。

物理のように考えながら、サルトルやヤスパースのように人間のことを考えた。

そういうわけで、もう忘れた方が良い。それくらいしかしていない。

あとは、価値観やシステムのようなものから、人間や社会のことを良く分かっていた。

創造性とは言うが、経験のようなことをただ分かっていただけだ。

ただの2ちゃんねるが多かったが、ネットのせいで多彩な社会経験を全部知っていた。

自分の賢い点は、テレビも、ゲームも、ネットもしない。

それに、右翼を悪いとは言うが、書いているだけでは悪くない。

そういうわけで、時間的な余裕もあるし、善人のような思いやりもある。そういうわけで、自分にしかこういうことが出来ない。それで賢くなった。

社会のことや科学のことなんか、昔全部知っている。皆は、そこが出来ないせいで、何も分からない。最初から意味が無い人間が多い。テレビにはそういう世界が多いから、見たくない。怖くなって見られなくなったのは、本当に見ない方が良いからだ。

日本には、馬鹿しか居ない。

世界史は、しないならしなくて良い。それこそ、昔読んでいた世界史の3冊シリーズの、近世、近代の巻を見れば良い。その方が良いかもしれない。

昔は、自分なりの観念的、方法的、法則的、哲学的な、方法論や分かり方のようなことをいつも言っていた。

社会的な承認とか、認識の方法とか、本質と行動の関係とか、そういう、ヘーゲルのような、観念的な方法論、考え方のようなことをいつも書いていた。

そして、社会のことや段階のことと関連付けながら、平等な思いやりから平和な社会が生まれ、実証から自由な多様性が生まれる、と言った、社会論のようなことを言っていた。

それくらいの文章だった。賢くは無かった。

メタ的なモデルとか、人生の吸収とか、考えていることを全部言っていた。

あとは、共同体の形成や、社会の可能性のようなことから、社会論を作っていた。

社会のことを、まるごと全部、詳細に考える。そういう社会論だった。

あとは、思いやりや優しさのようなことを永遠に書いていた。

また、自由のようなことを全部作って、いつまでも推論していた。

そして、森羅万象を分析して、構造を全部書いていた。

世界史は、同じシリーズの本を読むことにする。不思議と、家の中で一番賢い本だ。

最近は、神みたいなことが出来ている。皆を支配して、分からせて、導いて、罪を全部救っている。昔から、自分が神だ。

こういう人間が、ユダヤ人に多い。そういうわけで、僕はユダヤ人は、好きだ。

自然体、ありのままの社会を作るといつも言っていた。

昔は、戦いながら、人間の支配のようなことを考えていた。何でも支配して実現していた。

こういう人間は多い。むしろ、これより賢い人間が本当にどこにでも多い。

こういう人間は、典型的な馬鹿なサルトルだ。ネットに一番多い。

ロキを見ないのがおかしい。ロキにすでに全部昔が書いてある。

自分の文章が大量に多すぎて、全く自分の文章を見ないで書くようになった。

自然法則も含めて、全ての宇宙のことがはっきりと分かっていた。

鮮明に全て分かった。そういう、ヒュームのような分かった人間だった。

狂っていたが、社会のことも分かっていた。社会の問題や、どのようにすべきかなど、問題の解決や、体験の自由な支配のようなことが、全部分かっていた。

ロキとフレイは、どちらもキモイが、同じぐらい多い。何故か、比べる意味が無い。

ロキとフレイを比較すると、本当にそこまで分かる。そういう人間が最近の自分だ。

何故か、最近の自分が分かっていない。歌手が最近をいつも歌っているが、最近も多い。

自分は、もう安心して、止めれば良いだけだ。もう何も辛くない。

あとは、社会のことを真面目に考えれば良い。

当たり前に、社会のことに対して何かすれば良い。だが、戦争や社会主義ではおかしい。

それでは話が急だ。もっと、自由な中で、色んなことをすれば良い。

そのためには、考えて、勉強して、努力する必要がある。

もっときちんと建設的に考えれば良い。ネットのせいで、最近誰でも分かる。

昔は、これで救世主のように考えただけだ。

世界史は、もう既に出来ている。むしろ、読むわけがない。

日本史が読めたのがありえない。

ただ、何も頑張らないと、意味が無い。その理由で馬鹿になった。何も頑張っていない。

まともに何か頑張りたいなら、本を読んだ方が良い。それが正しい選択だ。

昔は、社会に何か起きるのを、歴史的に、考えて経験して分かっていた。

最近は、イスラエルの王のようになった。

本当の歴史を読むと、つまらない。何も起きていない。

自分は、変わらないのがおかしいだけだ。変わるようになると、すぐに治る。

昔は、自分を変えるとか、啓蒙的な考え方が多かった。考え方を変えるように、自分を変えることが分かっていた。ヤスパースのような人生科学だった。

何も無くして、何もしなければ治る。死ぬ時に死ぬ。辛く見えて、治さなければ楽だ。休む時に休んだ方が良い。休めないと治らないし、辛い。

休めばすぐに治る。休んでからすれば良い。とりあえず今治さず、休めば良い。

そろそろ心も治った。もう辛くない。

そろそろ全部治った。

神との対話や、自分を統率する会話が出来なくなる。もう、会話は出来ない。

視点と場を考えていた。

自分の会社、言語、大学を作りたかった。

創造性と、経営、そして言語作りのようなことをしていた。

数学的に考えて、想像力から、感覚で実際のところや、対象の姿を考えていた。

捉えて、デカルト的に把握して分かっていた。

理想の社会は、宇宙人のように分かっていた。社会的に何をするべきか分かっていた。

そういうものを、全部自由から考えていた。

皆との体験と皆の言葉から、経験と自由を考えて、感情を分かっていた。

足は、支配を止めればすぐに治る。

治すのではなく、治さなくすれば良い。その方が治る。すぐに治るだろう。

辛いまま休めば良い。それですぐに全部治る。治るのは当たり前だ。

宇宙の声を聞いている。

あとは、英語のような、論理的な分析の文章を書いていた。アメリカのようだった。

全ての始まり、全ての終わりのような文章が多かった。

世界の構造を作って、構造をそのまま言う。そういう風に、いつも同じを書いていた。

裏では、おかしなことをしている。世界をロボットにして、馬鹿にしていた。

昔は、思考や認識の裏側の、構造や経験を全部作って分かっていた。全て、経験から理性を分かっていた。