日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-31=

自然発生や可能性の、自然な考え方で分かっていた。

世界は、自然に起きている。自然発生で、積み重なって起きている。

奇跡なんかない。

全て理由があるようで、理由なんか無いこともある。だが、全て必然的だ。

実験して、試さないのが悪い。それで分かっていない。

社会の発展を考えていた。

ものの特性や性質を考えていた。

ものには、特性がある。特性には、連続量を持ったもの、そうでない意味的なもの、即自的なもの、対自的なもの、表現や形容的なもの、論理的なもの、自由なもの、不自由なもの、自然のもの、人工のもの、が存在する。

人間の認識と記憶、空間と時間は、特性を考えるための前提条件である。

特性を考えれば分かる。

コブクロが言うように、僕らは六等星だ。

自由に行動を予想して、自由なことをし、自由なことを考えていた。

皆は、もう分からなくなって分かる。それで、もう支配しなくて良い。

意識が治った。

意識は、意識しないでいると楽になって、賢くなる。

楽をするためには、意識しないこと。

昔は、様相を捉えて、意識で分かっていた。

経験と心理学で分かったせいで、神ほどに意識が分かっている。

心理学から哲学が出来た。

最近、カメレオンみたいな生物になった。動かずに分かる。

人間には、まだならない。ここらへんがカメレオンだ。

あとは、原因と結果のようなものや、言語学のようなものが多かった。

理科のようなことを書いたり、思いやりのようなことを書いたり、分析したりしていた。

あとは、生物のことを生命体とか、生命エネルギーと言っていた。

そういう風に、実際のその宇宙における姿を分かる。そういう文章だった。

学習のようなことから、経緯を分かっていた。人間がいかに変わるかを分かっていた。

ヒュームのような、おかしな知性の文章が多かった。

知性がありすぎて知性が無いだけの、キモイ文章だった。

それで、社会や宇宙のことを考え方で考えていた。メタから組織まで全部分かっていた。

最近は、心理を推測して分かっている。ありえない心理学を作った。

昔なんか、ただの2ちゃんねるだ。ネットで色んなことを頑張って、体験しただけだ。

あとは、知性や考え方が経験から分かる過程のようなことを書いていた。

皆は六等星に見えて、自分は五等星ぐらいに見える。ただ、そういうことを言うとつまらない。皆の方が賢いのに、自分の方が賢く見える、ありえない人間が自分だ。

四等星なんか、ゲイツに見える。三等星は、サルトルだ。二等星はナポレオンで、一等星は神ということになる。どうでも良いだけだ。ほとんどは六等星だ。

サルトルは賢くない。レーニン、バッハなど、偉人が三等星に見える。

四等星は、宇多田ヒカルとか、オグ・マンディーノとか、プーチンとか、現代の有名人だ。

数学は、普遍性と個別性、連続量、厳密性、法と可能性を考える学問だ。

定量的、定性的を考える。そして、計算は、カッコを組み替えるだけだ。

四等星、五等星と言っていると、本当にキモイ人間に見える。そういうことを言う人間が悪い。ネットにそういうものが多いせいで、最近そういうものが馬鹿なのが誰でも分かる。

あとは、精神は細胞全体にあるとか言っていた。そういう、非科学的で、同時に科学的なことを言う。宗教の科学みたいな人間だった。

昔は、ニーチェのようになって、皆が分かることや出来ることから社会を考えていた。

皆が考えていること、知っていること、信じていること、経験していること、認識していること、などを考えた。

皆の経験と自分の経験を考えた。

分かる、出来る、を良く考えた。

本当にニーチェのような文章を書いていた。ニーチェと同じだ。

生の哲学から、愛と希望のような文章を書いた。

そこまで大きな愛と希望だった。

不確かなものを恐れている。勇気を出して、試せば、安心出来る。

自民党は責任政党と言っていたが、安倍は無責任なところがある。

良く考えると、生物なんか、機械みたいなものだ。

違うのは、生きているところだ。

あまり考えない方が良い。グーグルはそういう風に悪い。

グーグルは、人間が機械より馬鹿に見える。機械が高度になりすぎたせいだ。

マイクロソフトは、独占を止めて、Windowsをオープンソースにすれば良い。

Windows 10が無料になったから、それで良く見える。

それが一番良い世界だ。WindowsカーネルでGNOMEやKDEが動くようになる。

グーグルは、昔の自分に見える。本当に分かっているから、悪いだけだ。

いくらでも悪いことを思いつくから、やっているだけだ。

Windowsは、オープンソースにして、皆で作れば良い。デザインがキモイのも直る。皆で作っていると、皆が賢いから、カッコいいデザインになって、沢山の違ったWindowsが生まれる。それで、高機能なバージョンや、高速で軽いバージョンを作る。

そうすると、Linuxなんかただの馬鹿だ。Linuxが消滅する。それは、悪いことではない。むしろ、融和すれば良い。LinuxのUNIXのソフトウェア資産を、全部Windowsカーネルと統合して、融和する。それが一番良い。VBからPerlまで、一つのシステムで動く。

恥はかいた方が良い。恥をかかないと、何も分からない。

昔は、匿名でいくらでも恥をかけるのを賢いと思っていたが、匿名には意味が無い。

実名で恥をかけば良い。そういう人間は、賢くなる。

そういう風にすると、賢いWindowsのバージョンや、カッコいいWindowsのバージョンが出来る。だが、むしろ、そんなものは、どちらの陣営が見ても要らない。独占の陣営は、独占だけをしていれば、それで良い。オープンソース陣営は、既に賢い。

明らかに、それは無い。会社でしか作れない。コミュニティが開発なんか、出来ない。それに、オフィスや開発ツールまで無料にはならない。オープンソースは、キモくなる。

そういうわけで、また一つ恥をかいた。そういう恥をいくらでもかけば賢くなる。

昔は、心理、経験、人間、社会、言葉、などを、物理にして分かっていた。

物理で全て分かった。本当に、物理学者の天才のような人間だった。

それをもう一度すれば良い。現象を予測し、推測し、推論する。それで分かる。

何故か、何も将来のことや未来のことを分からないのがおかしい。

もっと、物理的に考えれば分かる。最近分かっていない。

いつも、そういう、物理的に分かる世界観を全部言っていただけだ。

作用と反応から論理学、理由の段階から経験論、世界観と歴史まで、論理的に分かる世界観を提示していた。それだけの人間だった。

そして、新しい発想や意見を言う。そういう文章だった。

楽になると、出来るようになる。

基本的に、何もしなくて良い。何もしないのが楽だ。楽になると、出来る。

何でも作ると思えば良い。ボロ雑巾を作るのも面白い。

あとは、普通、必要なことをするだけだ。

機械の高度化とIT化、そして便利な家電製品の登場によって、人々はどんどん何もせず、そして何も出来なくなっている。

プログラミングなんか出来ない。高度すぎる。コードも公開されていない。

どんどんコンピュータ化が進むことによって、人々は何も自分で出来なくなった。

そして、炊飯器や洗濯機や掃除機など、楽な機械が登場することで、人は何もしなくて良くなっている。

そういうわけで、人間は何もしなくなって、出来なくなった。

ダンボールでの紙工作なんか、普通しない。考えても、そんなことしか出来ない。

Javaなんか出来る人間は居ない。資本主義は何もしなくなって崩壊するかもしれない。

また、人間の精神性においても、幼児化やオタク化などの退行が進んでいる。

最近は、子供も暴力的になってきている。おかしいのが日本だ。

いつもの文章は、そういうことを書いていた。

消費生活においても、価値観の右翼化が進んでいる。王が従えて、いじめるようになる。

ただ、そういうことを言う人間は、右翼が多い。左翼が悪いと言う人間が多い。

最近はおかしな食べ物も多いし、気候もおかしくなっている。自然環境に悪い、プラスチックの石油製品なども多い。温暖化の問題もある。

ただ、一番悪いのは、やっぱりパソコンだ。何より、自分で作れない。直せない。昔のテレビなんかの機械は、賢い子供なら誰でも分解して、部品を取り換えて、直すことが出来た。最近のIT機器は、何も直せない。コードが公開されていない。

そういうわけで、僕はパソコンが嫌いだ。それこそ、ネットなんか、犯罪みたいな悪いものしかない。2ちゃんねるは犯罪に見える人間が多いが、犯罪ではない。オタクだ。

それこそ、そういうことは、右翼だけではなく、左翼も言う。アメリカを倒したいイスラムはおかしくは無い。イスラムは、石油で金がある。悪いのはアメリカとイスラエルだ。

右翼は退廃芸術を悪いと言う。左翼はブラック企業を悪いと言うかもしれない。

社会も、過度に自由になっておかしくなっている。詐欺やサイバー攻撃が多い。

だが、今が一番良いと言う人間が多い。何も変えない方が良いと言う。何かがおかしい。

自由とは、皆に対する愛である。

自由とは、経験し、考え方を変え、創造性を信じることである。

自由とは、皆とともに経験し、皆のことを考え、思いやることである。

自由とは、環境から自由になることである。

昔は、そういう風に、自由と言う言葉で、自分のことを最後から遡って書いていた。

最後から最初を書く。読むだけで最後まで分かる。そういう人間だった。

経験、帰納、環境、物理、歴史的に分かっていた。

本当に、物理学者のように物理を分かっていた。

もう書かなくて良い。もう楽になった。

昔は、帰納、演繹、プロセス、関係、必然性で物理を分かっていた。

自分は、本当に歴史に向いている。歴史をやるのが良い。

あとは、世界観や認識のようなものを作って、モデルで物理を分かっていた。

物理とは言うが、きちんと正しく考えて、積み重ねて、作って分かっただけだ。

哲学をすれば、昔の自分みたいな発想が分かる。哲学者は昔と同じだ。

そういうわけで、哲学と歴史に向いている。

昔は、2ちゃんねるの経験のおかげで、本当にそこまで分かっている。

哲学もやった方が良い。要は、哲学は2ちゃんねるだ。オープンソースだ。

哲学には、人生経験がある。本当に簡単に出来たのが、哲学者と哲学史だ。

あとは、数学的で相対的な方法のようなものを書いていた。

決まりと環境を作りながら、全部実験みたいなことをしていた。

心を物理にして考えていた。

意図のようなものを全部考えていた。

もっと、経験や思考から来る言葉のようなものを書いていた。本質と言っていた。

あとは、世界観や、システムを築く、のようなことをいつも言っていた。

そして、認識のモデルや全体像のようなことを言っていた。認識の全体像を分かった。

要は、自分の人生が歴史だ。

オープンソースが好きだったのは、現代や未来が分かるからだ。

ただ、UNIXなどの技術の歴史が好きだった。マルクスも好きだった。

自分は、歴史に向いている。このまま、全世界、全時代を知れば良い。それが良い。

ヨーロッパは、昔から近代的だ。過度に現代的なところがある。アジアは古典的で、アフリカは原始的なところがある。

古代インドのところを読んだが、この本は、悪い。何も書かれていないところがある。まだこの本を読むことにするが、この本は結構、何も重要なことを書いていない。