日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-21=

環境で人間がどうなるか、ゼロから考えていた。

実際の人間の姿を照らし合わせることで、人生を分かった。

世界を知ることで分かった。

ネットで環境を実現出来るようになった。

価値観を分かった。

宇宙は不可知で、人間には分からない。知り得ることを考えた方が良い。

良く分かっていた。

2ちゃんねるで、ルール作りのようなことをして分かっていた。

辛い時は、頑張らない方が良い。

精神は、頑張らず耐えると治る。

言葉しか分かっていないようで、意識が分かっていた。

辛いを体験しないと、人間は治らない。頑張るのは治らない。

頑張らず、自分から苦しんでいると、すぐに治る。

頑張って楽をするのが悪い。辛い方が治る。

皆は治さなくて良い。

頑張って治す部分を消すと治る。

肉体が終わった。精神を治す。

考え方を変えるせいで、構造がなくなった。判断基準、条件と根拠の構造があった。

意味の無い人間なんか、居ない。意味が無い人間と思う間、自分が分かっていない。皆、自分と同じように生きている。人間に、意味が無い人間なんか、居るわけがない。

敵対したり、価値が無い人間と決めつけたりするのは、それが一番意味が無い。

天使になった男に書いてあるように、受け入れ、勇気を出すことで、友人になれる。

頑張って楽をすると疲れる。頑張らない方が良い。

自分の数学と言うが、言葉の関係、論理学、積み重ね、厳格な人間像を作っただけだ。

全部の生命になると、楽になる。

頑張らない方が良い。頑張るせいで、何も無くなっている。

ハイデガーのように、視点と存在を予想して考えていた。

今日はピアノがあった。作曲した自分の曲に、タイトルと詞をつけたい。今、考えている。

この星のどこかに旅に出かけよう。希望、真実、夢を探す旅へ。

この星のどこかで君が泣いている。何故こんなに悲しいの。本当の答えどこにある?

自分の心の奥底に、答えはあるよ。見つけてよ。

この星のどこかで笑ってくれた君が居る。

さあ、旅へと向かおうよ。背中の翼が待っている。

(後日注記:僕の作詞・作曲した歌が作詞・作曲した歌にあります。)

結構、良い詞になったようで、もっと考えた方が良い。

曲は、結構良い歌になったと思う。

昔は、本来の自分に立ち返って分かっていた。本来の自分に戻ると、素直に、ありのまま、全てのことが正しい姿で分かる。知性が復活して、安心出来る。

皆も、本来の自分に立ち返ると良いだろう。

理解と理性の構造を作っていた。

ネットを一度止めると、こうなる。馬鹿になって、おかしくなる代わり、賢くなる。

皆も、ネットを止めた方が良い。

神との対話は、もう終わる。あとは、自分で考えるしかない。

自由とは、好きなように出来ることだ。

そういうわけで、発想や具体化の自由な理性を書いていた。

構造と自由から、知性をつけていた。

真理は、当たり前のことを良く考えて分かっていた。

人間は、一人では生きられない。

人間は、分かっていないより、分かっていた方が良い。

人間は、本当に良いことが何なのか分かってしまえば、良いことをする。

人間は、無知が一番悪くて、愚かさが一番馬鹿だ。

あとは、人生に基づく言葉の羅列のようなものが多かった。

平等、知性、愛から、社会は生まれ、基盤と人生、思いやりと思い込みが分かる。

きちんと分析すること、想定と感覚と思考から、人生の発見が分かる。

そういうことを、全部人生を分かってから、全部言っていた。

ソクラテスのように考えて、マスターのように分かっていた。

キリストがこういう人間に見えて、サルトルに見える。

ソクラテスが、正しい認識は己の中から出て来ると言っている。自分と同じだ。

あとは、古代ギリシャの哲学者のように、全ての知恵を分かっていた。

モデルを作って包括し、人生の経験を正しく捉えて考えることで、哲学者のように、それも、全ての哲学のように分かっていた。

城たいがの、夢が叶うを読んでいる。こういう、賢い人間が多い。

失敗は、心の成長のために必要だったからだ。

幸福だと思えば、幸福になれる。思いこめば、なる。その通りだと思う。

自分のことを本当に言っているのではないか、と思うことがある。

悪いことや心配を考えるのではなく、良いことや勇気や、喜びや尊厳のあることを考えるべきだ。いつでも笑っていること。地獄でも笑っていられる人間が、賢くなる。

強さ、勇気、尊厳、そういうことを信じれば良い。

自分のことをけなさないで欲しい。自分ほど幸福な人間は居ないと言う信念から、正しい幸福な人間になれる。運命は、変えられる。自分は、幸福だ。

幸福だから笑うのではなく、笑うことによって幸福になれるのだ。

人種は、言語だと思っていた。フランス語を話すなら、フランス人だと思っていた。

そうすると、中国人、スペイン人、アラビア人などが多いことになる。

昔から、そういう風に分かっていた。最近は、具体例や概念から分かるようになった。

戦いながら書いている、馬鹿な文章が多かった。

そろそろ、本当に死んだ。何故か、死んだのにまだ生きている。

哲学は、人生経験から分かっていただけだ。

経験のことを良く考えた。それで分かっていた。発想法を作って分かっていた。

足が辛くなった。歩いていると、痛む。そういうわけで、誰でも辛いからこうなる。

人間は、死んでも、何かの形で生きている。

そういうわけで、生まれ変わる。生まれ変わるのは、必然である。

いつも、生まれ変わりの体験を良くしていた。そのままで生まれ変わっていた。

自分の場合、そのように、そのままで生まれ変わる。

死ぬ必要が無いから、まだ死なない。

そういう発想が自分だから、ブッダは自分のことを言っているように見える。

神に見えて、馬鹿なのが自分だ。自分のことを地獄や煩悩と言っているのがブッダだ。

人種は、遺伝子でなく、文化のようなものであると考えるべきだ。

死ぬと、過去に生きた全部の生を覚えている。そのまま、普通、虫に生まれ変わって、その後に、もう一度人間になる。そのようなプロセスを、永遠に繰り返す。

ブッダは解脱と言っているが、それは、仏のような高度な場合に起きる。ブッダぐらいしかそうはならない。誰でも、きちんと虫をやって、次は違う国の人間をやる。

虫が終わったから、自分はこのままドイツ人かイタリア人になるだろう。まだ、人生は最後まで決まっていないが、神はそこまで知った上で創っている。神もきちんと居る。

あとは、世界を支配している馬鹿が多かった。

神を居ないとは言うが、きちんと神みたいに、全てのことが分かって、全てのことを作っている馬鹿が、本当に居る。自分ではなく、こういう風に居る。

あとは、皆も人生が終わった人間が多いから、皆も虫になれば良い。

そのうち、虫は永遠と同じように、終わる。そこで、誰もが違う国で生きる人間になれる。

そういうことを言っていると、もう終わりだ。すぐに終わりが訪れる。また馬鹿になる。

あとは、色々と、すごい内容を書いていた。良く覚えていないが、凄いと思うことをいつも書いていた。色んな方法論や可能性が多かった。

そろそろ、もうドイツ人になった。子供からやるなら、分からなくなるが、子供からやる意味が無いから、大人からやれば良い。

最近、僕はピアノが好きだ。特に、作曲が楽しい。音楽を聴くのも好きだ。他に好きなことは、あまりない。この文章を書くのと、あとは、飼っている猫が好きだ。

ドイツ人になると、虫が居なくなる。虫が話しているだけだ。

良く分からないが、全ての生命になっている。それに、ドイツ人は既になっている。

あとは、世界の決まりのようなものを全部創っていた。

そろそろ、終わりだ。宇宙は、これの通りの世界だ。だが、信じるしかない内容が多い。

法律、システム、プラットフォーム、環境のようなものを作っていた。

人間は、そんなに多くない。虫や魚や植物の方が多い。

地球儀とか、シミュレーションとか、遺伝子とか、そういうことを言う文章が多かった。

言語、把握、学習、想定、支配、のようなことをいつも考えていた。

テレビは、本当に怖いから、見られない。フェイスブックもしない。

あとは、社会の解決を考えていた。そういう文章が一番多かった。

怖くなった。もう、虫が死んで、終わった。虫は、永遠に馬鹿な話をする。

あとは、ハイデガーやウィトゲンシュタインのように、記憶や意識を分かっていた。

アリストテレスのように、科学を作って考えていた。

足は、頑張らず、辛くして、意志を無くすと治る。

頑張って治るわけがない。死を耐えるだけ、何も治らない。頑張って楽をするのが悪い。

自分の意志で治すのはおかしい。それで治らなくなった。

頑張らないと、すぐに治る。

動いている間、治らない。動かなくなると、すぐに治る。

動くのが辛いだけだ。

最初から、分かるわけがないこともある。何もしない方が良いこともある。

そういう風に、自分やものごとの、相対的な、知り得る限界で分かることが出来る。

最初から、しないものはしない。そんなに出来るわけがないことは、出来ない。分かるわけがないものは、分からない。

そういう風に考えると、きちんと分かる。方法と理解の構造が見えて来る。

何もしない方が良いことは多い。何かしたい気持ちを抑えることが大切なこともあると、天使になった男の中で書かれている。何もしないのは、難しいが、大切だ。

足は、つけて治すのを止めた方が良い。精神をつけると、おかしく辛くなる。もう一度、バラバラにした方が良い。そうでもない。もっと別の方法で治せば治る。

足は、作り変えれば治る。そのまま、この世界が全て治る。

もう治った。あとは、自分を切り替えれば分かる。多重人格ほど、深刻ではない。

人間はその都度己の可能性であると、ハイデガーが言っている。そう考えれば良い。

天使になった男に書いてあるように、敵を作ることは、相手のことを良く分かっていないからであり、勇気を出して、自分の本当にしていることを教えることで、味方に出来る。敵は、自分のことを良く分かっていないだけだ。

昔は、そういう風に、人間関係のことを人生経験から分かっていることが多かった。

臆病と勇気はどちらも恐怖から生まれる。良く考えると、恐怖を味方につけることすら出来るのに、恐怖は幻想と執着を使って、自分を攻撃してくる。打ち勝つには、強い気持ちで立ち向かうこと。そして、行動することだ。