考えるための前提、構築のための前提なら、自由な方が良い。
自由に経験して、社会を自由に作る。そこに制限は要らない。自由に試して、自由な社会を構築するべきだ。
だが、具体的な社会の理想としては、平等な方が良い。
全ての必要なものを与えて、全員に平等に分配すれば良い。支配や階層は要らない。
自由と平等は、同時に成り立つ。
社会を構築し、実現するための前提は、自由であるべきだ。
理想や、構築される社会の思想としては、平等であるべきだ。
そういうわけで、自由に考えて、平等な社会を作る。それが理想だ。
完全な自由、何がどうなっても良い自由から、考える前提が生まれる。
完全な平等、無階層で、それぞれが全てのものを得る平等から、理想の社会が生まれる。
支配など、すべきでない。平等な社会を、自由な世界で作るべきだ。
自由な可能性の中で、平等な社会を作る。それが共産主義だ。
要は、可能性や考える前提としての自由はあった方が良い。
自由な経験や、自然発生と可能性の自由はあるべきだ。
だが、社会を構築するなら、平等な社会を構築した方が良い。
金ではなく、平等に分配し、支配のようなものは無い方が良い。
金は悪い。一度、全て滅びた社会を考えると良く分かる。
他が居なくなって、全て自分のものになれば、誰でも楽だ。
そうすると、皆が居るなら、当たり前に平等に分配すべきだ。
金なんか、どうでも良い。皆、世界に存在する資本は当たり前に平等に分配するべきだ。
自由な平等は、理想だが、結構キモイ。悪い面を何も見ていない。
現実的に考えて、自由にした方が良いところもある。会社や金の自由の方が、出来る。
実現性が高い。それは、自由に考えると、どちらも可能性として良い、と言うことになる。
それは、間違っている。可能性なんか、何もしていないだけだ。
選択出来る中で、きちんと良いものを決めて行かなければならない。
その時は、支配者の方が良いことになる。
全ては、自由に皆の手で変えられる。
自由を行う前に、判断し、議論する必要がある。それを、組織として行うべきだ。
いつも、そういう自由なことを言っていた。考える前提の自由が一番多かった。
だが、作る社会は社会主義的だった。平等で、自由に共有し、自然な共同体を作る。
それらが左翼だ。自由な左翼の革命家だった。最近、ただの右翼になった。
自由と平等は矛盾しない。可能性の自由を信じて、理想の平等な社会を作り、現実を考えれば良い。