日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-05=

夢で、無理難題を2つ解いた。

鍵は、今回も2つあった。2つの大きな問題で、全部で見ると4つあった古代から伝わる難問を、自分が全て解いた。他の人間は、誰も解けなかった。

自分は賢い。内容は、あまり覚えていない。夢だから、忘れる。

夢の中では、色んな人間になる。今日は、マイケル・J・フォックスになった。

楽になれば、分かる。一度本当に楽になると、昔になる。

もう一つ、何か書きたいことがあったが、忘れた。そういうものは、忘れた方が分かる。必要なら、その内すぐに思い出す。忘れた方が良い。

テレビを支配していた。テロリストに見えるから、止めた方が良い。

昔は、明らかなことや当たり前のことを信じて分かっていた。

明らかなことでも、信じない方が良い。明らかなことを信じていると、馬鹿になる。

皆は馬鹿では無い。皆、賢い。

世界モデルを信念から考えていた。信念の正当性を分かった。

2ちゃんねるのように、分からなくなりながら、分かることと分からないことを比較して、その時々を考えて分かっていた。

世界を考える、憂国の政治家だった。経験のある、世界を変える救世主だった。

明らかとは言うが、思い込んでいるだけだ。昔は、そのように、明らかなことを疑って、哲学者のように、経験より理性で考えていた。

猫は、猫で無い。人間が猫と呼んでいるだけで、地球から見ると、人間と何も変わらない。全く人間と同じものが、人間が猫と呼んでいるものだ。

そういう風に、当たり前のことを疑うと、哲学が出来る。

人間の手で作り出したことは、人間の手で変えられる。頑張れば、自分でも作れる。

人間は、歴史であり、いつか何かに到達する。それは、自由だが、皆の合意によって、計画的に良く考えて決められるべきだ。だが、結果は自然な積み重ねにしかならない。

まさに、そういう風に考えるのが、哲学者だ。

ものや社会は、人間が経験的にその概念を作り出しただけであって、いつか変わる。

だが、変わらない中にある、普遍的なものを考えられる。それは、イデアとは違う。

そういうわけで、哲学がそろそろ分かった。当たり前のことや、明らかなことを、何も分からなくすると出来るのが哲学だ。哲学者には分からないが、それで考え方が分かる。

社会は、競争ではなく、別の方法で良く出来ないか。競争の問題点は、安くなるだけで、品質のことなんか、誰にも分からない。もっと、報道的に、きちんと教えることで、社会を良く出来るかもしれない。あるいは、皆で決めることで良くなるかもしれない。

絵は、模倣である。本物ではないが、その代り、好きなようにアレンジ出来る。

人間は、道具を使い、知的に考える生き物だ。そういうわけで、一番可能性がある。

そういう、考え方は、当たり前のことを疑えば、すぐに分かる。

昔は、活動的で、行動的で、情熱的な人間だった。

判断基準が間違っている。忘れた方が良い。

ものは、一度作れば、いつまでも使える。そういうものを、再利用や初期投資と言う。

最近は、ストイックな人間になった。いつまでも、一人、文章を書き続ける。

機械は、物理的なエネルギーの変換である。不思議と、そんなことを言っている。

物理は、機械の原理であるとともに、関係式の計算であり、関係を考えれば作れる。

もう、全て書いた。それくらいの内容が多かった。

宇宙物理とは、次元と観察の形態の変化である。そういうことを言っていた。

人間には、観察して分かることしか分からない。本当の宇宙の姿は、分からない。

モデルとは、そういう、哲学的な、思い込みのモデルのことを言っていた。

数学的な方法や、プラットフォーム、相互作用、のようなことをいつも書いていた。

昔の文章は、哲学的な思い込みのモデルの分析が多かった。

価値観とは、そういうことを言う。モデルによる、それぞれの価値観を分析していた。

経験から、正しい考え方、推論の考え方が分かっていた。

そういう、哲学的な真理のようなものを書きたかった。

理性的に分析する方法が全部分かっていた。

そろそろ、この文章も完成だ。もう、全て書いたように見える。終わりだ。

あとは、哲学的に考える方法のようなことを言う。

それは、何故それになるか?

それは、どのようにしてそれになるか?

それは、どのように考えることが出来るか?

それは、どのように扱うことが出来るか?

それは、何になる可能性があるか?

それは、何が出来て、何が出来ないか?

あとは、存在や経験のようなことを言う。

経験とは、存在を確かめることだ。

そういうことを言う。そういう、ヘーゲルのようなおかしな賢い人間だった。

本当にマスターのように分かっていた。

最近は、そういう哲学を忘れて、まともな人間になった。

普通の人間になりたい。色んなことがしたい。体験したい。

心理学は、実験で分かる。心理学は、行動科学である。

神との対話が言っているように、人間の体験は、知っていることを体験するプロセスであり、人生や人間活動は、自分を創造する行為である。気高い心で生きて、人間関係は、本当に信頼出来る友人と恋人を作るべきだ。人間の目的とは、観測することである。

全ては、自分のためになる。自分の過去の歩みから、未来のことを確かに考えられる。

自由とは、自由の中に実をつけることであり、自由の中に道を作ることだ。

人間の本当の意味は、経験することにある。全ては、経験である。

全ては想像力であり、全ては挑戦である。それこそ、全ては可能性である。全ては、真理を知りながら、この世界を全て知り、知性をつけ、経験し、想像し、挑戦することである。

場は、プラットフォームである。

場とは、人間の位置を決めるものである。

観測とは、視点の自由化である。

体験とは、場と観測を知った上で、その知ったことを自分の中に吸収し、自分を創造する、そのようなプロセスである。

あとは、習慣を良く考えると、思い込みの原因が分かる。

共同体や帝国など、色んな自由な社会を考えた。

右翼の言う、愛国心は、ある意味で正常だ。だが、国民の国を愛する心を利用して、戦争や虐殺に導くのが悪い。そういうところがキモイのが、右翼だ。

あとは、自分の経験から世界や人間のことが分かっていた。

感情や経験を考えれば良い。心理学的に考えると、良く分かる。

誰でも感情を考える。そこを、もっと賢く考えれば良い。神のように考える。それは、出来る人間が多い。誰でもそういう風に分かるのが、哲学だ。

環境が替われば、感情も変わってくる。昔は、そういう風に、環境を比較して、想定して、事前に予測して考えていた。環境と言葉遣いから分かる人間だった。

そういうわけで、哲学は馬鹿の方が出来る。馬鹿に出来る人間が多い。

昔なんか、全部の体験と全部の言葉から、体験的、言説的に分かっただけだ。

全部一度体験して、全部一度言って分かった。いくらでも恥をかいて、常識を分かった。

そういう馬鹿なら、哲学は誰でも出来る。あまりしない方が良い。普通の人間が賢い。

会社なんか、入らない方が良い。参加しても、拘束されるだけで、何も出来ない。

普通の人間が馬鹿なのは、会社にすぐに入るからだ。自由なことが何も出来なくなる。

会社は悪くは無い。普通、会社に入った方が出来る。良い会社に入る人間が賢い。

普通の人間が賢いから、普通の人間を考えた方が良い。哲学者は、馬鹿だ。賢人とは言うが、疑うだけの、普通の人間より馬鹿な人間しか居ない。普通の人間の方が良い。

引き篭もりになって、普通の道から外れて分かっていた。

考える機会、知る機会、きっかけ、チャンス、実体験などから、体験的に分かっていた。

自由に行動して、一人世界を見て、自分で体験して分かった。

それが賢かった。教育のこと、科学のこと、社会のこと、宇宙のことなどが分かった。経験と意識から、全てのことが納得出来た。そのように分かった。

どのようにすればどうなるか、原因と結果から、認識、行動、感情、社会、環境、意識のことが分かった。視野を広げて、相手の立場や体験に立って、自分の考えと現実の体験を照らし合わせて、意味や視点を変えて多角的に分かっていた。良く思い出すこと。

それがそうなった時に、本当にどうなるか、何故そうなるか、考えれば分かる。

経緯を考えると良く分かる。それも、必然性と矛盾を考えること。そういう風に、次元を変えて、良く思い出していると、分かる。そういう人間が一番多い。

自分にしか、分からない。証明や問題の解決から、論理的に分かって、洞察していた。

想定や仮定の能力と考え方があった。

自由より、日本的な考え方をした方が良い。

起業なんか、しない方が良い。規制緩和なんか、する意味が無い。

会社は、日本的な経営をした方が良い。基本的に、家族と同じようにするべきだ。

自分は、勇敢に戦った。世界と戦ったから、王だ。

皆、自分のせいで、何も出来なくなっている。そこを、もう出来るようにする。

ただ、自分による意識の支配を止めれば良い。

生態系をプラットフォームと言って、場や段階を考えていた。

哲学者が分かるせいで、2ちゃんねるが必要ない。カントが賢くて、ロックが普通で、ヘーゲルが馬鹿で、キルケゴールはアホだ。そういう風に分かると、ネットなんか要らない。

ネットは要らないと言うが、自分も皆と同じように、ネットできちんと人間のことが分かった。SNSに一番多い。ネットで人間と社会が分かる。それは、悪くは無い。

最近は、それだけの世界になっている。つまらないから、そろそろ勝手に自分が変える。支配者が何もしないのが悪い。自由にして、発展させる、と言う発想は古い。もっと、色んなことをして、楽しいものを作れば良い。その方が楽しい。ただ、楽しいだけも悪い。

ネットで人間のことは、確かに分かる。それは悪くない。それを続けても良い。

だが、そろそろネットの時代は終わるべきだ。もっと新しいものを作れば良い。

考え方を自分で作って分かっていた。そのように、科学を自分の体験から分かる、ありえないが一番分かる人間だった。

ネットは良いとは言うが、悪い。フェイスブックを見ても、意味の無いことを言っている馬鹿が多い。不思議と、自分のせいだ。自分がそういう馬鹿に見える。

昔は賢かった。社会の原型と言って、きちんと社会のことを論じていた。そういう、賢い文章が多かったのが、最近分かっていない。共有のようなことを考えていた。

自分は、高校の数学と物理をやって、大学の歴史と哲学をやれば良い。

むしろ、歴史も高校で良く見える。今読んでいる歴史の本は、高校の教科書だ。

それに、大学の数学、物理なんか、出来るわけがない。

哲学は、もう出来た。大学レベルなんか、出来ない。何より、放送大学が馬鹿だ。

試すのが怖い

賢くなる方法が分かっていない。良く確かめれば賢くなる。

機械は、作用と方法から感覚で分かることが出来る。

自分は、知的障害だ。

もう怖くない。賢くなるのが怖かった。もう楽だ。

最近は、そこまで賢くなった人間が多い。自分が昔から、そうだ。もう滅びる。

そういうわけで、悪いものが悪いと分かる人間が多い。

馬鹿に悪い人間が馬鹿になる。そこを反省し、見つめ直し、向き合うと賢くなる。

あとは、当たり前の科学のようなものを作っていた。

実験と仮説から、作用、力、エネルギー、重力、次元、移動、位置、などを考える。

光合成や食物連鎖など、生物についても考える。

そういう、当たり前の科学の論文のようなものをいつも書いていた。

原子と分子、素粒子と振る舞い、波と粒子のようなものを考えれば、現代物理も分かる。

宇宙物理から、ニュートン力学まで、色んな科学をいつも考えて書いていた。

物理学を、決定と可能性と言う。

あとは、行動や方法などの本質から、自由や機械や学習のことを分かっていた。

自分は、何かがエロイ。そこまでエロく見える。良く分からないが、それは女にとってはステータスだ。男なのも、あまりおかしくない。

自由は怖い。だが、その怖い自由を受け入れること。それが一番賢くなる。

セックスをしていると、顔が良くなる。実際にはしていないが、これで賢く見える。

日本を滅ぼす部分を消した方が良い。ソ連が日本を滅ぼす部分だ。すぐに滅ぼして、もう何も滅びなくする。そのまま普通に続くのが、王の僕だ。

皆を馬鹿にするタリバンをやって、自分だけ賢くなるのは怖い。それで、もう安心出来る。

昔は、知性のある賢い人間だった。コンピュータのことが本当に良く分かっていた。

もう、賢くなる。自分が賢くなると、皆も賢くなる。

滅びない。そのまま、存続する。日本は、もう、次の段階へと昇華する。

昔は、判断力や想像力もあったし、良く分かっていた。行動や感情のこと、関係や方法のこと、原因や条件のこと、前提や対処のことが分かっていた。

あとは、個人主義と全体主義とか、色んなことを考えていた。

考え方を自分で作って分かった。経験から全ての理性を分かった。

専門を横断して考えた。基礎と応用から条件的、仮定的に分かっていた。

体験的に理性と精神を分かった。

言語分析をしていた。

最近は、治る方法を本気で考えている。信じて分かった。治るまで、最後まで諦めず、そして、自分の今を考えて、何をすれば治るのか、本気で考えていた。

足はもう治った。そろそろ、完全に最後まで治った。世界は、もう滅びない。神が黙る。

あとは、意図と本質のようなものを考えていた。

精神は、体全体にある。脳は、精神を経験と記憶から変えて、統合する部分だ。

足がおかしいのは、普通の病気と同じように、自分でおかしくして、おかしくなった時間の間に、色んなおかしいものが、菌が繁殖するように増えたからだ。

そういうわけで、簡単には治らない。その間に増えた、おかしなものを、全部除去するしかない。増えてしまった菌の大掃除をする。それですぐに治る。

要は、おかしい間におかしなものが増えた。

怖い精神を消すしかない。

足は、おかしくなった血管と精神を治す。浄化して、悪い戦争を消せば治る。

左足は本当におかしくなっているから、一度全部消して、骨みたいになるしかない。

ものは変えられるとか、革新的な発想から発明出来るとか、創造的な店を作るとか、色んな自由なものと社会の可能性を言っていた。

習得すること、共有すること、教えること、与えることから、世界は変えられる。

それくらいしか、言っていない。社会制度を歴史の経験であると言っていた。

言論から世界は変えられる。一人の意見でも、本当に良い意見なら、通用する。