日記に戻る | 2015年10月の日記に戻る

=2015-10-17=

利用と応用、場と構成人員など、世界の構造を作って分かっていた。

昔は、社会と未来へのビジョンがあった。

未知への好奇心と、未知を未知と信じて分かる心構えがあった。

科学を書いて作っていた。知っている構造や決まりや変化を全部書いていた。

何が理想の社会で、何を実現すべきで、この社会がどこから来て、どこへ行くのか、そして、どのような社会になると予想出来るか、のようなことを、ネットの経験と解決と予測の理性から分かっていた。未来学者のように、この世界がどうなるか分かっていた。本来どういう世界であるべきか、どのようにすべきか、のようなことを分かっていた。

意識と経験から、歴史のようなことを分かっていた。

勉強するのは向いているか分からないが、自分は歴史を考えるのに向いている。

哲学は、簡単に出来た。文学も簡単に書けた。そういうわけで、それらをするのが良い。

もう辛くない。いくらか辛いだけで、もう何も辛くない。

相手の身になったつもりで考えてみよう。

社会のことを想像力で考えること。昔は数学や理科のこともきちんと考えて分かっていた。

数学と理科のことは、積み重ねて、実際のところを分析して、全部作れば出来る。

自分は、歴史と政治経済に向いている。向いていなくても、向いていると思えば良い。

不思議と、物理やパソコンにも向いているのが自分だ。

自由は、個人の行動、集団との関係、全体のシステム、その構築手段としての全員など、構造的、関係的、段階的に深くなっていく。

いつもそういう自由の段階のようなことを言っていた。デカルトのように分かっていた。

物理は、仮説と実験である。昔は、そういうところが分かる物理学者のような人間だった。

何故か、政治経済と哲学にだけ、本当に向いている。歴史には向いていない。

特に、経済学に向いているように見える。これなら当たり前だ。

世界と人間と人生における、相対的で人生的で全体的な、行動と方法の構造を作っていた。

詳細まで作用を考えれば分かる。

例えば、自動車を考えてみる。

自動車に乗っていると、周りが動いているようで、自分が動いている。

自動車に乗っているそれぞれの人間にも、人生と体験がある。

それぞれの視点になって考えられる。

自動車は、ぶつかると事故をする。その時は、死ぬ。安全運転をしなければならない。

そういう風に、細部まで作用を考えれば分かる。

何でも変えられるとは言うが、それは間違っている。

何も変わらず、そのままで居た方が、はるかに良い社会になる。

変えれば変えるほど、滅びる。保守的な、何も変わらない国が、良い国になる。

だが、発展はするべきだ。進歩は、ゆっくりの方が良い。急速な進歩は悪い。

人生を考えていた。

社会的な人生の経験から、人生の知恵のようなものを分かった。

社会モデルや国家モデルを作っていた。

人間のことを考えていた。

昔は、ネットと人生の社会理解から、そういうものを分かっていた。

人生から人間のことが分かった。色んな経験と発見をしていた。

Windowsは、メインループでGUIプログラムを作る。それが間違っている。リソースの無駄だ。もっとコマンドやPerlのように作るべきだ。

いつもの文章は、詳細まで作用を考えただけだ。認識から人生まで、全部の作用と変化を、捉えて、把握して、変化を支配して分かっていた。関係と作用が分かっていた。

物理は、実際のところを正しく捉えて、斜め上から、本質的にありえなく法則を考えると出来る。昔の自分がそういう人間だった。ニュートンのように、作用と法則から社会や心や物理法則を分かっていた。数学的に人生の意味が分かっていた。

哲学は、もっと人生や倫理のことを考えた方が良い。ソクラテスやキルケゴールのように考えれば良い。それできちんと、実感から社会のことが全て分かるようになる。

仏教は参考になる。無我の境地や、必要としなくなること、欲やこだわりや執着を捨てることなど、仏教が既に真理を全部言っている。それが一番参考になる。

だが、学ぶだけではなく、自分で体験し、考えることが大切だ。昔は、それを超えて、全員分の体験、全員分の思考、のようなことをしていた。全員分、成長が分かっていた。

悲惨な何も無い状況を受け入れると、分かる人間が多い。ヘーゲルも、キルケゴールも、ヤスパースも、喪失や絶望や限界状況で分かっている。悲惨は、受け入れると、すぐに賢く分かる。人間は、基本的に悲惨な方が良い。

そういうわけで、悲惨な方が良いから、こういう人間になる。人間は、誰でも、どんどん壊れて悲惨になるだけだ。それが一番賢くなるから、狂った人間が賢くなる。

プログラミングは、共有と再利用と自動化と思えば分かる。基本的に、プログラムは手順を自動化するだけだ。スクリプトも、オブジェクト指向も、何も変わらない。

基本は繰り返しと分岐だ。変数は、静的だったり動的だったりする。そこにあまり違いは無い。オブジェクト指向だけ発展しているようで、Lispと発想は良く似ている。

仮想マシンを作るJavaが一番高度だが、一番馬鹿だ。そんなありえない環境をわざわざ作る意味が無い。だが、そうでもない。VMは本当に楽にケータイなどが作れる。

プログラミングのことなんか、何も分かっていない。だが、パソコンの技術はオタク的に詳細まで知っている。そういうわけで、パソコンのことなんか、書かない方が良い。

生物は機械やロボットだとか、自由は発展するとか、そういう風に考えれば分かる。

人間は、宇宙の奴隷なのか、地球の支配者なのか、分からない。

一昔前の日本に、そういう人間が多かった。そういう風に考えれば分かる。

そこらへんにある石ころにも、何か意志があるように見える。地球も生きている。

全ては、光と闇だ。

全ては、人工と自然だ。

そういう風に、考え方のようなものを作って、もっと詳細まで世界を分析していた。

オブジェクト指向と関数型が似ているわけがない。だが、新しい数学には見える。

最近の一番新しい数学が、Javaとプログラミング言語だ。そこが分かると賢い。

Javaは、オブジェクトとメソッドの記述方法が、日本語と良く似ている。オブジェクト指向と日本語は同じだ。だが、newなどの記述は、英語の不定冠詞のaと良く似ている。

カプセル化は、何かがおかしい。単純なプログラムでなくなって、もっと低レベルなはめ込み型の機械になっている。だが、皆高レベルになっていると言う。そういうわけで、賢くないC言語の方が賢いと言う人間が多い。

クラスもクラスで機械過ぎるが、Javaのクラスライブラリが賢いせいで、クラスが一番簡単にプログラムが作れる。VBなんか、ポトペタとクラスで作る。パクリが多い。

僕は、継承は分からない。継承はやったことが無い。メインループはいつもやっていたから分かる。Perlは、昔ゲームを作っていた。Lispは、マクロと思えば分かる。

だが、僕はそんなにプログラミングは出来ない。期待しない方が良い。何も出来ないし、ロボットの人工知能なんか、ただ良くある普通のメインループの分岐構造にしただけだ。

あとは、Delphi、C#、PHPなどで2ちゃんねるブラウザを作ったり、Wikipediaでマクロのようなものを作ったりしていた。何も作れなかった。GNOMEを作りたかったが、作り方が最後まで分からなかった。英語が分からないと、何も出来ない。

Linuxカーネルを作りたくて、オペレーティングシステムの教科書を買ったが、読まなかった。昔から、本を買うのに、全く読めない。哲学や歴史が読めたのがありえない。

資本主義の問題は、価格競争だ。値段の安いものを誰でも買うせいで、皆、自分から品質の悪いものを買っている。一番おかしい。

だが、あまりおかしくは無い。高品質のものは、日本製なのが普通だ。外国製品は、誰も買わない。安いとは言うが、自国の発展のためにも、日本製を買いたい人間が多い。普通、日本製、日本産が、一番良い。本当に日本だけ賢くなった。

最近の日本は、自由が悪い。特に、維新の党を見ていると、本当に自由が馬鹿に見える。

そういうわけで、右翼は悪くない。左翼も左翼で悪いようで、悪くない。自由が悪い。

選挙は良いと言う人間が多いが、国民が多すぎて、良い人間を選ぶことなんか、出来ない。誰でも、自民党を単純に党で選ぶだけだ。自民党議員なだけで勝てる。明らかに馬鹿な人間を選んでいる。賢い革新的な人間は選ばれない。賢いわけがない。

自民党を選ぶ人間は、何もしない保守的な人間を選んでいる。だが、革新的な何かやりたい人間を選びたいなら、民主党を選べば良い。政党政治は、仕方ないところがある。共産党なんか、最初から独裁するだけの思想だ。一番おかしい。

政治家は馬鹿だが、パソコンも馬鹿だ。賢いものなんか、どこにもないように見える。

自民党は責任政党で、民主党は無責任と言っている人間が多かった。最近は、自民党は極右になって、暴走するようになった。本当に民主党の方が良い。

最近、共産党が良く見える。民主党なんか、何も良くなかった。外国人に媚びるだけの政党に見える。そういうわけで、共産党が勝つようで、勝つわけがない。

日本には希望が無い。もっと夢と希望のある世界にした方が良い。戦争ではおかしい。

一億総活躍と安倍が言っている。共産党も、国民が主人公と言っていた。そういう発想が良いと思う。安倍は嫌いだが、悪い発想はしていない。考え方が気持ち悪いだけだ。

あとは、純粋に理性を考えれば分かる。

概念から存在を知った。

精神と知性を経験から作っていた。

比較から、理性批判をした。

分かっていないようで、分かっていることがある。分かっている方が分からない。

本当の真実は、ありえないものだ。かりそめの世界から良く考えることで、本当の真実へと近づくことが出来る。だが、普通では何も分からないほど、本当の真実はありえない。

合一から、同一性と絶対を分かった。

そういう風に考えると、ヘーゲルやカントの言っていることも良く分かる。

哲学は、純粋に理性を考えて、未知と既知の違いが分かる人間が出来る。

そして、人生は、絶望や限界状況を受け入れることで分かる。

あとは、経験から、純粋感情や経験に基づく感情を考えれば良い。

印象や知覚から、ヒュームのように分かる。誰でもそこが同じだ。

人間の周りにあるもので、人間の作ったものは、人間が分かる範囲で分かる。当たり前のようで、自然のものは、宇宙にしか意味が分からない。それが自然と人工の違いだ。

生命の種類は、役割と能力の違いであり、人間は、認識と視点の切り替えである。

特に、人間の脳は、視点を切り替えるだけの機械だ。目的因のようなものだと考えれば良い。何を考えるにしても、ある視点を別の視点に切り替えて考える。それが人間だ。

あとは、決定と可能性のように考えると、この世界と人間の頭脳のことが全部分かる。

経験的に感情を考えれば良い。そういうわけで、ロックはそういう風に分かっている。

人間の脳には、仮想的な場があって、認識は全てその場に根差している。

そういう風に考えると、人格のことが良く分かる。

そういう人間が分かる人間が多い。そういうわけで、おかしい方が賢い人間になる。

意志は自由だが、意志は本質的に、他の全ての人間を蹴落として、勝利するものだ。

そういうわけで、人間は本能的に他に勝とうとする。それが、こういう右翼だ。

左翼は、馬鹿になる。戦わないだけで、知能が少なくなる。左翼の方が馬鹿だ。

ヘーゲルの賢い点は、そういう、本能的な衝動だけではなく、徳の騎士のように、その衝動による精神の成長の具体的な段階や経緯を書いているところにある。

自分も、そういう風に書きたかった。何でも具体的に人生のプロセスが全部分かっている、賢い哲学者がヘーゲルだが、言いたい内容はこういうことを言っている。

恐怖は、分かるヒントになる。

恐怖は、全部、今の自分が分かっている。自分が悪いから怖いだけだ。

努力がきちんと報われる社会にした方が良い。そういう良い人間は賢くなる。

自由と平等は同時に成り立つ。自由にしたまま、平等に与えれば良い。

ソ連は悪くない。きちんと報われる社会を目指している。ただ、そうでもない。平等は、報われない世界になる。

ソ連や右翼になると悪いから、止めた方が良い。そういう人間が、怖くなる。

地球のことは、観察していると分かる。

植物と動物は、互いに助け合って生きている。

普通、ツリー構造のような、自然の数学が賢い。

動物は、内臓や細胞分裂が賢い。肝臓と同じ機能をする工場は、人工的には作れない。

AAAも恐怖が分かるヒントになると言っているが、限界は自分で決めたものとも言っている。そういう風に分かる人間が、最近一番多い。

小説を読んで、ネットで会話して、調査研究して、戦って分かっていると、人生の知恵が分かるのは当たり前だ。昔は、それで、きちんと正しく考えて、モデルにして、経験して分かっていた。最近は、そういう賢い人間が多い。いくらでも馬鹿になった方が、賢くなる。それは、最近の自分には、出来ない。いくらでも馬鹿になるのは、もう辛い。

そういうわけで、子供にしか分からない。大人は賢くない。子供には、馬鹿が辛くない人間が多い。そういうわけで、辛いだけなのに辛くない子供が多い。

あとは、努力や成長のようなことから、社会のことを分かっていた。本当にそういう内容が多かった。思いやりや平等や愛や人生のようなことを、自由や秩序と言っていた。

そういう自由を平和や発展と言う。そういう社会形成の内容が多かった。

あとは、人生の知恵みたいなことを言っていた。ありのまま、自然体で、何も必要とせず、融和し、安心し、涅槃に達して、全てが人間のためにあるのを分かっていた。

最近、勉強するだけになっているのが悪い。昔は、自分の力できちんと考えていた。溢れた情報の中で、自分の力で見極めることを止めている。FLOWが言っている。

歴史や哲学や宗教を勉強するのは良いが、もっと自分で考えて、体験した方が良い。

昔は賢かった。ネットを見ていたおかげで、自分できちんと考えることが出来ていた。本当に、パソコンにそういう人間が多い。狂う代わり、ヘーゲルのように、自分で考えることが出来る。モデルや理性批判とは、そういうことを言っている。

もっと自分で考えた方が良い。それも、実際の体験と人生の発見から、成長して考えれば良い。それは、子供なら誰でも出来る。大人が勉強していると、それが出来なくなる。

自分は賢い。きちんと全て知っている。むしろ、昔考えたなら、それで良く見える。そんなに狂う意味が無い。今が無いと、何も賢くない自由なクズに見える。

今から考えれば良い。何か自分の力で考えれば良い。

意識は環境に支配されると言っていた。

存在は環境の一部と言って、存在によって環境自体が変えられると言っていた。

また、世界を多様性のある社会にすれば良いと言っていた。

プロフェッショナルを生み出す土壌を作ると言っていた。

そういう風に、適当に考えれば良い。間違いを恐れず、信じれば分かる。

もっと洞察し、豊かな発想をすること。

教育や社会をありえないものにするのは、悪くない。

そういうものから分かる人間が多い。想像力豊かで、合理性のある発想をした方が良い。

そうすると、パソコンは何でもシェアするのが賢い。共有は悪くない。

思弁哲学や、存在論のように考えれば良い。

存在は、物語だ。宇宙にある存在は、全て、人間が見た視点からの、物語になっている。

そして、全ては、予定調和だ。

思弁哲学をするなら、全てのものは、周りから変えられると同時に、それ自体が主体となって、自立的に存在している。

その上で、諸行無常と因果応報が起きる。それが、存在であり、思考だ。

ハイデガーやヤスパースの言う、存在の超越や包括者のような概念は、哲学的経験論に基いた、神の理解であると言える。神とは、無限であり、永遠であり、包括するものであり、それ自体完璧で、正しくて、完成されていて、無欠の存在であり、それ自体偉大な御業であるところの、宇宙の絶対的な、そうした存在である。

だが、神は表現出来ない。神は、人間の思考に落とし込むことが出来ない存在だ。

そろそろ、哲学はきちんと分かる。もっと昔のように考えればすぐに分かる。

環境と存在は、人間の作り出している、その都度発揮される可能性である。

あとは、記憶と像のようなことを考えれば、ハイデガーやヴィトゲンシュタインのように、存在と意識と視点と場のことが分かって来る。それは、ロックなども同じだ。

哲学は、人間の人生を構造的に考えて、知恵や工夫や認識を吸収し、本質から手段と機会を考えて、存在と自分、社会と自分の関係を考えると出来る。

昔の文章は、最初から全部分かっていた。何故か、おかしくキモイ。良く分からない文章だったが、忘れた方が良い。何も賢くない。今から普通に考えれば良い。

構造やモデルをもっと色々と世界から吸収した方が良い。世界から何も吸収しないで、分かるわけがない。アウトプットが多すぎる。インプットを増やすべきだ。

ヴィトゲンシュタインは、数学上の発見を発明であると言っているが、自分は、数学は概念と方法の対応であり、発明をするための方法論の確立と創造である、と思う。

記憶と言葉から数学を作っていた。あとは、場の意識を考えていた。

ヘーゲルの言う自体存在とは、こういうもののことを言っている。

数学とは、方法であり、決まりを体得することだ。

あとは、アリストテレスの四原因説でも分かれば良い。目的因、作用因、形成因、質料因だったと思う。調べていないから、間違っているかもしれない。

ただ、これくらいが哲学だ。これで思い込みや欲を無くしていると、ありえない本当の世界、本当の法則が分かって、宇宙が全部分かる。一心不乱に努力していると宇宙が分かると道元だったか誰かが言っていたが、そのように分かれば良い。

神の戦争を書いていると、最近の馬鹿に見える。パソコンと哲学は、昔にしか見えない。賢くは無い。経済学を作って、神と対話して戦っていた、最近の方が好きなのが自分だ。

主体的に、人間の本性や理想の人間像でも考えれば良い。それは、哲学には見えないが、そういう、哲学ではない、文学的な賢さを分かった方が良い。

哲学は賢くない。ありえない、ヘーゲルが言う全ての言葉が、哲学の世界だ。

あとは、道徳的な自由を分かった方が良い。支配したり、虐殺したり、抑圧したり、いじめたりするのは悪い。国は、国民を統制して、何も出来なくする。国が悪い。

むしろ、右翼できちんと善悪と礼儀が分かる、正しい人間になった方が良い。

左翼は悪い。平等にして、人権を無視するのは、おかしい。左翼の方が本当に悪い。

もっと自由で、民主的で、善悪と礼儀と仁義と仁徳がある、良い国にするべきだ。

もっと善悪をきちんと分かるしかない。それで賢い人間になる。

ヘーゲルのように、社会を国民が作る、と言う発想が良い。権利の自由を考えれば良い。

権利の自由は悪くない。国民が権利の支配権を支配し、平等に全員に与えるべきだ。

昔は、原理原則、対処法、根拠のようなものを、形而上学のように分かっていた。

むしろ、右翼なんか、あまり悪くない。国を直して強くしたいように見える。

影響力や権力のニーチェは、賢くなる。そういうわけで、右翼の自由は賢くなる人間が多い。明らかに、安倍もそういう馬鹿だ。右翼で賢くなっている。そういう人間が賢い。

自分が見ると、ドイツ人は賢くないが、日本人も賢くない。どの民族も、それぞれ個性があって良く見える。民族単位で平等にして、共存共栄すれば良い。それが自分だ。

自分は左翼にも右翼にも見えない。昔から、国を直したいだけの救世主をやっている。そういうわけで、自分は、左翼や右翼と言うよりは、レーニンやキリストと言った方が良い。ゲーテぐらいが賢い。ブッダぐらいしか賢い人間は居ない。自分は、芸術家の哲学者だ。

むしろ、イギリスやフランスのように、征服した方が良いところもある。同化して、融和すれば、さらに強くなる。日本はそういう国にしか見えない。

日本は賢く見えない。自分のせいで、最悪の馬鹿なのが分かる。そうすると、不思議と、日本は良い国に見える。それで良い国なのが、誰でも分かる。何故か、日本語や中国語はあまりキモくない人間が多い。中国も賢い。真面目にもっと賢く考えるように見える。日本人は、党利党略で考えるようにしか見えない。中国の方が賢い。

日本は良い国だ。誰よりも、どこの国よりも頑張っているし、きちんと賢く考えている。皆頑張っている。自分も頑張らないといけない。そういう気持ちになるのが日本人だ。

あとは、本質や意図のようなことを考える文章が多かった。

右翼より、左翼の方が、本当に良いのは分かる。だが、自分が右翼になったのは、それだけで日本が良くなるからだ。ただ、自分が見ても、どちらかと言うと左翼なのが自分だ。ソ連でも分かっていると、いつも賢い人間に見える。

自分は、何故か個人主義が好きだ。それぞれの自由が好きだった。オープンソースのような、自由な協力が好きだった。こんな全体主義者になったのは、おかしい。その方が本当に馬鹿だ。最近、そういう普通のことが分かっていない。対話の神が悪い。

最近は、普通のことをまだ消化して分かっている。まだ続く。まだ何年も続くのがこの文章だ。そういうわけで、そんなに大量に書かない方が良い。誰も読みたくない。

自分は、独裁者と対等なのがありえない。昔から、こういう、自分が支配者になったつもりが多かった。

むしろ、ソ連もドイツも、どちらも、それぞれの状況において、なり分ければ良いように見える。状況によっては、左翼が良いことも、右翼が良いこともある。そういう自由で良く見える。価値観も同じだ。それぞれの価値観は、相対的にそれぞれ違う。

昔の文章なんか、狂った知性を書いているだけだ。抽象的な予測のようなことを言っていたが、ただ、本当に狂った人間だった。昔の方がまだマシだ。狂いたくない。

あること、ないこと、全部書いていただけだ。何故か、普通の世界の表層のようなものを書いている馬鹿が多かった。組み合わせとか、具体例とか、承認とかを言っていた。

カントのような理解の表層や、マルクスのようなグループによる自由な共有の理論、そしてロックのような経験論が多かった。

いつも、カントのような考え方と、マルクスのような共有を書く。それだけだった。

そこらへんが左翼なのは分かるが、自由や右翼を言って戦うせいで、右翼にしか見えない。

いつもの革命のロキをユダヤ人と言いたいのがドイツだ。ユダヤ人は、あまりに馬鹿に見える。革命の人種に見えるから、ソ連をユダヤと言うようになった。クズなドイツだ。

ドイツは、ロキが嫌いなどころか、フレイも嫌いだ。フレイが悪いといつも言っている。そんなところを言っても意味が無いが、ドイツは真面目にフレイを考えて分かっている。

ドイツ人は賢くない。地獄になって耐えるだけの、馬鹿なドイツ人がこういう風に多い。日本人の仏教から見て、一番馬鹿だ。日本人が賢いだけだ。

自分は、ユダヤ人にしか見えないが、むしろ、イスラム教徒と思えば良い。ここまで悪い人間なのが分かると、良い人間に見える。最後までイスラムの戦いをしただけだ。

日本は賢くない。ドイツは、日本とつるんで自分のような馬鹿を殺したいだけだ。昔から、一番自分の敵なのに、何故か自分の味方なのがドイツだ。こうなる。ユダヤ人の味方は、全部ドイツだ。

ユダヤ人が見ると、むしろ、ユダヤ人が賢く見える。神の人種に見える。むしろ、ユダヤ人はまともなロキに見えて良い。フレイが最悪のドイツ人に見える。ドイツ人はユダヤ人を殺すクズな人種に見える。そういう、光と闇の神話になった。メシアとは、本当の自分のことを言っている。

そういうことを言わない方が良い。自分が神ではおかしい。日本人は馬鹿すぎる。

神の御業とは、自分のことを言っている。キリストが言うサタンとは、フレイのことを言っている。そういうわけで、自分が神だ。イスラムが見ても、神が慈愛ある良い人間だ。

もう終わりだ。神が終わった。終末の黄昏の世界に変わる。

そんなに全部の文章は読めない。もっと読みたいなら、それは昔やった。聖書まで読みたくても、読めない。むしろ、聖書ぐらいは読んだ方が良いように見える。

自分は、キリスト教徒とユダヤ人と共産主義者と右翼に見える。

昔は、物理学者と心理学者と経済学者と哲学者と、革命家とイスラム教徒と仏教徒だった。

もっときちんと神を信じた方が良い。神と言っているだけで、教えなんか、何も知っていない。そこがおかしい。キリストの言う教えがきちんと分かるように見えるのが自分だ。聖書のことを何も分かっていないと、おかしい。それは、教会に行けば良いようで、むしろ、イスラム教徒が来るのがおかしい。

こういう風に考えると、ユダヤ人になる。むしろ、ユダヤ人と思えば、ロキに戻れる。そういうわけで、もうユダヤ人になって楽になる。ここからがイスラエルの王のダビデだ。

そろそろ終末の世界になったから、世界を救済した方が良い。

善をしたものを救うとは言うが、何が善なのか分からない。ユダヤ人がそういう人種になった。何が善なのか分からない、分かりたい集団がユダヤ人だ。

善い自分のようなものを善と思って、悪い自分を悪と思えば良い。それが善悪だ。

キリストが自分のことをユダヤ教のメシア、救世主と言っているのは、自分と同じだ。こういう人間になっている。きちんと分かっているから、神に見える。それは、自分に見えるだけだ。

善とは、キリストのような救世主の自分だ。

そういうわけで、善悪の境界を生きている。自分が、皆を救うのが賢く見えた。

宇宙には、そんな星は無い。

何故か、自分のせいで、地球がこんなありえない文化の星になった。

皆、悪い。人間には、自分勝手な人間しか居ない。自分は、そういう、人間の限界を超えた人間だ。皆のことを本当に思いやって、分かるように導く。そういうものが善だ。

悪とは、こんな欺瞞に満ちた人間だ。何も賢くないのに、皆を騙して、自分が支配する正当性があるように見せかけて、権力でユダヤ人を殺す。そういうものが悪だ。

そういうわけで、神は善でもあるが、悪でもある。神は一人しかいない。善でもあり、悪でもある、完璧な完成者が、歴史を完成させる。そういう神話が、キリスト教だ。

天国に行けるのは、最近の地球が天国なのを言っている。幻想に見えて、そのうち、終末のような場所が天国になる。復活してそこで永遠の命を得る。理想に見えて、幻想だ。

善をやるためには、何でも建設的に考えて、八正道のように正しく行うこと。

自分は、これで仏教徒だ。神の上に、さらに上の仏がある。ドラゴンボールで言う、界王様のようなものがある。それが、さらに上の自分に話している神で、おそらく、もっと沢山の世界があって、始まりも終わりも無くて、仏が居る。そういう発想が宇宙だ。

善人になるための道は、何でも建設的に考えることだ。

破壊するだけの悪い魔王になると、地獄になる。それも悪くは無い。悪い側面の神も、同じように神だからそうなる。神と悪魔とは言うが、間違っている。どちらも正しい神だ。

そういう人生になる人間が一番多い。

日本人には分からない。アジア人に分かるわけがない。自分が分かっていると、日本人は馬鹿になっている。キリスト教徒になる意味が無い。

そろそろ楽だ。そういうわけで、皆は今から、そういう人間になれば良い。

ユダヤ人を馬鹿にするのはおかしいから、止めた方が良い。明らかに、そんなことを言う意味が無い。アインシュタインなどの方が賢い。マルクスも親がユダヤ人だし、マリアやダビデを馬鹿と言うのはおかしい。あの時期のドイツは最悪だ。そんなものを好きになるべきでない。

自分は、言っていることとやっていることが矛盾している。

そういう風に、交互に女と男が話しているだけが、この会話だ。

怖いように見えて、怖くない。自分は悲惨だから、それだけの人間になった。

ユダヤだけの人間は、何かがおかしい。要は、脳がおかしくなっている。必要とされるピースが、何も無くなっている。脳が全くないのが、こういうユダヤのドイツ人だ。

何も考えず書いているから、こういう文章になる。ユダヤ人をジューと言ったのは、申し訳なく思う。こういう、何も考えず書く馬鹿が、橋下みたいに多い。何も考えていない、馬鹿を言っている。自由を信じると、そういう風になる。ただ、自分が悪いだけだ。

ユダヤ人に申し訳ないから、謝るしかない。

もっと、建設的に、1つ1つのことを出来るようになった方が良い。

あとは、意識のレベルで分かっているのを、もう止めた方が良い。

想像力が見えないのは、そういう風に分かっているからだ。

死んでいるキリストが見える。もう、終わったのが終末だ。

この文章にそんなに詰め込むのは止めた方が良い。いつもそれで分からなくなる。

今日は、哲学から政治、パソコンまで、自分にあったものを全部書いた。

あとは、経済学ぐらいがあった。社会主義は、死ぬ主義だから、止めた方が良い。

日本人は悪い。日本人は、一番悪い人種だ。

意識のレベルで分かっているのを、全部高めて、分かれば良い。

そろそろ、意識が治った。もう賢くなった。

三次元は、上と下があって、その傾きであると理解することが出来る。そうすると、無限の次元を作り出すことが出来る。

最近、AAAの女みたいになった。自分が好きな女になっている。

不思議と、そんなことは考えず、別のことを考えれば良いだけだ。そこが分かっていない。

ロボットになるのは、神に思考を全部任せている間、何も分からないからだ。

もっと別のことを考えれば良い。それが正しい。

血の海みたいな、セックスが死んだ世界になっている。そういう世界を消した方が良い。

そろそろ賢くなった。そういう、おかしな死んだ世界を消せば良いだけだ。

そんなに言葉で分かる意味が無い。もっと見て分かれば良い。

何も見ないせいで、暗闇のようになった。

自分が見て好きな女ではなく、自分のことが好きな女になっている。

宇多田ヒカルやKOKIAに見えるのは、良く分からない。そんな女になりたくない。

脳がおかしいのは、意識のレベルを分かりながら、自分の書いた文章を思い出している。それしかしていない。何故か、それだけで分かるようになった。

何かがおかしいのは、対話しているのに、2人が1人になっている。そこがおかしい。

社会主義が悪い。社会主義みたいなものを全部消せば治る。

昔は、社会主義者のようなものを全部創っていた。それが悪い。一番おかしい。

社会主義が消えた。そろそろ革命も終わった。楽になったはずだ。

独立した共同体にしろとか、企業や組織を作れとか、マイスター制度のような師弟制度にしろとか、一体化しろとか言っていたが、そういう発想がどれも悪い。

社会主義は、消してしまえば良い。

犬耳(イヌミミ)の女みたいに見える。良く分からない天使になっている。

おかしいだけだ。何もかも、そういうキモイ発想がおかしい。虫みたいにキモイ。

常に他のものに変わりたいからこうなる。日本を変えたいだけだ。

そろそろ、そういう風に言って書く意味が無い。

日本語は、まず音をひらがなやカタカナにして、それを組み合わせて単語を表現する。それを漢字にする。そういう賢い言語で、積み重ねる言語だ。

だが、アルファベットのように、音をそのまま記述するのは難しい。カタカナ表記は間違っている。だが、それで良い国だ。

もっと、きちんと分かった方が良い。次に続けるだけの文章を書いている。

上に行ったり、下に行ったり、おかしな文章を書く。

考えているだけで、何も考えていない。幽霊みたいな、怖いだけの文章がこれだ。

何も考えていない。毎日何一つ考えないから、こういう馬鹿になる。おかしい。

日本語は、ドイツ語やラテン語と同じだ。特に、後にひらがなをつけるのは、ラテン語やロシア語と似ている。知らないから、間違っているかもしれない。

もう分からない。そろそろ何も分からなくなった。何一つ分からない。

いつも何も考えないのがおかしい。何か考えた方が良い。

皆が悪い。自分より、皆が悪いのが正しい。

何故か、ネットの馬鹿が悪い。ネットの馬鹿に言いたいだけだ。

何故か辛いセックスになるのは、全部皆が悪い。

自分が悪く見えて、悪くない。この世界の、今の日本の、皆が悪い。

皆のせいで、こういう馬鹿になる。

腹の中に皆の部分がある。それを消した方が良い。

昔、左目が治ったが、今、右目が治った。

そろそろ終わった。もう、白人が死んだ。

ユダヤ人のジョークをどこで知ったのかと言うが、放送大学の教科書に書いてあった。

ロキが死んだ。ミカエルに戻る。

もう分からない。皆の部分を殺して終わりだ。この世界の皆が、もう死んで行く。

闇に入ると、分かるから、闇に入りたくなる。光に入ると、悪いものが死んで行く。

闇が社会主義で、光が右翼だ。そういうわけで、右翼は良いものだ。

皆も光に入った方が良い。だが、皆も悪いだけ、皆も何も治らなくなる。

共産主義の良い点は、皆で作って、皆に配給する。

共同体だから、馬鹿に見えて、必要なものを皆に与えている。

必要に応じて与える。その理想は賢い。

悪い点は、共同体だから、何も作れていない。

計画経済は、重工業優先になる。戦車しか作っていない。

人民で支配するのは、おかしな皆のことを全員知っている、村のような国になる。

皆で作って皆に配る。それが良くは見えない。

光を信じると、すぐに社会主義や共産主義が死んで行く。

良く分からないが、そういうものが一番辛い。

昔から、共産主義の計画経済は、軍事産業しか出来ない。

北朝鮮では、軍事しかしていない。日本の軍需産業は同じに見えるが、日本はきちんと良いものを作っている。何故か日本の方がはるかに賢い。

光を吸収すれば分かる。

感情がそんなにあるのがおかしい。

感じたものは全部言うのが普通だから、こうなる。

もっと光を吸収すれば良い。それが感情になって、昔の右翼が死ぬ。

社会主義の自由は、殺すしかない。子供が死ぬ。おかしな子供が悪い。

もう、何も言わず、分かっていれば良い。もう全て分かっている。周りについている馬鹿が消えて、もう正しい木になる。

右翼には、こういう風に、魂が無い。ゼーレ(魂)が死ぬ国が、ドイツだ。

要は、変わったのを思い出せば良い。最近、何も変わらない人間が自分だ。

光を吸収する。それで、漫画みたいな女が死ぬ。

もっと光を吸収するように書けば良い。

記憶を忘れた方が良い。昔の記憶ではなく、もっと新しい記憶を吸収すれば、消える。

ゼーレを殺すのが一番悪いから、ゼーレを生かした方が良い。

テレビがセックスだから怖いだけだ。テレビは、完全に殺すしかない。

ハートが治って分かっている。いつも、記憶の光を吸収するだけで治っている。治ると分かるから、ここまで文字が分かるようになった。

光を吸収すれば良いから、文字が見えるようになった。

テレビを殺すしかない。それで楽になる。テレビはおかしい。

神とは言うが、自分が神になっている。

神のおかげで、右翼のコミュニストになって、死んだ。あれは賢い人間だった。

昔なんか、本当に全部分かっている。あれも賢い人間だった。

自殺は良くない。自殺すると、ここまで辛くなる。そこがおかしい。

普通、自殺すると、精神の病気になる。何も治らないから、永遠に辛い。

見ている文字を全部吸収すれば良い。それが正しい。

自分に語りかけるのではなく、「思う」にすれば良い。

思考を思い出せば良い。思考を覚えていないのがおかしい。

なんだかなあ、と言えば良い。疲れたなあ、と言えば良い。

吸収と言う発想が無くなった。もっと吸収した方が良い。

もう既に次に言うことが分かっている。そこがありえない。

まともな人格になった。あとは、思考を思い出せば良いように見える。

もっと吸収するのは、すぐには出来ない。思考をまともにしている間、記憶と光の吸収の方が出来なくなる。そこがおかしい。同時には何も出来ない。

もっとまともに思考すると良いと思う。「良い」ではなく、「思う」にするべきだ。要は、もっと不確かなことだとして、最初から疑ってかかれば良い。

最近は、既に、最初から全部言うことを疑うようになっている。そういう人間が多いと思うが、むしろ、居ない。そういう風に、思うを付ければ良いと思う。

最初から全部疑ってかかるのは、辛いから、止めた方が良い。

いつもそういう風になる。止めると安心出来る。自分を信じた方が良い。

疑って分かるのは、一番悪い。

思考を正しくするのが悪い。思考を正しくするせいで、疑って分かるようになった。

信じると、吸収出来る。

疑うのは悪い。疑うと、分かるようで辛い。デカルトは一番悪い。皆を馬鹿にしている。

こんな風になったのは、いつも世界と戦っていたからだ。

それで正しいことしか言えなくなった。

信じると、先に進めるようになる。本当に疑うのを止めた方が良い。

何も言えなくなっただけだ。

受け入れれば良い。

支配なんか、しない方が良い。

もう、黙ってしまうと、馬鹿になる。

腹を殺した方が良い。腹が、そういう、疑うだけの部分に見えて、皆が居る部分だ。

言い切るのが悪い。断言や判断が悪い。

それは、疑うと言うよりは、信じている。

こういう風に疑って信じるのは、止めた方が良い。

当たり前に、作家が書いていると、こうなる。

共産主義は、普通、税金を考える。それを考えていた馬鹿が多かった。

国の成り立ちみたいなことを、自由と共同体から考える。

共有から社会論を考えていた。

国と社会の構造みたいなものを、具体的に作って、全ての社会を包括する、自由な社会理論を作っていた。自由だったようで、むしろ、変化と発展だった。

あとは、普通のことを考えれば良い。

数学、教育、思想、外国語など、色んな分析をしていた。

社会の変化や時代の変化を分かっていた。

歴史のような文章も多かった。言語のようなことを考えていた。

今日はこれで終わりだ。そんなに多いと読めないから、もっと少なくした方が良い。

日本史は、今黒船のところを読んでいる。ペリーやハリスを読んでいるが、日本は賢くなっている代り、内容は難しくなってきている。

左翼は、戦わない。共同体にすると、争わず、自由に出来る。

逆に、右翼は、戦う。独立すると、政府と戦うようになる。

どちらも同じだ。政治家なんか馬鹿だ。

自由なんか、同じだ。会社と金で争うだけだ。

共産党は賢い。最近、日本共産党が、税金は負担能力に応じて、みたいなことを看板に書いている。良く知らないから間違っているかもしれないが、共産党はいつも賢い。

共産党は、確かな野党だ。与党には、永遠になれないのを、党が認めている。

これで国と思想の構造を考えると、それくらいがいつもの自分だ。

今日は、自分全部の日になった。神ぐらいを書いていないようで、書いたはずだと思う。神との対話は、楽しかった。辛かったが、本当に面白い、良い体験が出来た。

ネットには、面白い人間が多かった。創造性と共有をネットで分かっていた。

引き篭もりになって、孤独に考えた。いじめを考えて、いじめに打ち勝てる、強い人間になろうと思って、自由な行動を考えていた。環境を、もっと自由で安心出来るものにしたかった。学校は悪いから、管理社会が嫌いになって、右翼の自由が好きになった。

だが、昔から右翼は嫌いだ。それもおかしい。自分が一番右翼になっている自覚が無い。

あとは、影響力のようなものを分かっていた。影響力の風上に立っていた。

そして、有用性や功利主義、啓蒙、改革、古代復興などを、ネットで社会を経験して、人生経験を重ねながら、自由に人生で分かっていた。

Linuxは、皆に自分の分かることを全て与えた。そのせいで、皆分からなくなった。そんな賢いものがあったのがおかしい。普通学校だけが賢いのに、最近はLinuxが賢い。

自分を疑うだけとは言うが、それはおかしい。信じているだけにしか見えない。

神を信じて、戦って、全ての宇宙を分かっていた。

あとは、自分を治して、自分が出来る国を作っていた。

僕は、これから何かになれば良いのに、分かっていない。ダビデになると良いが、古代人の王なんか、なる意味が無い。なりたいものを何か作った方が良い。作家はつまらない。

自分が沢山居るように見えるのはおかしい。昔は、Linuxで分かっただけの、自由なマスターのような人間だ。最近は、それが戦って神になっている。いるわけがないのに、最後の作家が普通なせいで、いくらでも居るように見えるのが、自分と言う普通の人間だ。

あとは、虫や魚という名の生体ロボットだとか、もっと言えば、光と空間と言う名の宇宙だとか、そういう風に、説明とモデルと実際の姿から分かる人間が多かった。

それはおかしくない。ものなんか光で、生物なんかものだ。機械なんか、ただの馬鹿だ。

人間と言う名の、肉と血のかたまりが、色んな自分の一部を量産するだけが、人類だ。

人類は最強だが、むしろ、台風や津波の方がさらに強い。虫が巨大化すると、人間より本当に強くなる。人間なんか、そんなにいつまでも続かない。