意識していても、意識していなくても、存在や環境はそこにある。
意識は、人を動かす。
そのような、気づきのようなことから、この世界とネットなどの場を分かっていた。
説明から分かっていた。それが、「何を意味しているか」から分かっていた。
学校は意味が無いから、行かない方が良い。
学校は悪い。やっていることの意味が何も無い。おかしな支配をする。
存在やものを意識から分かっていた。
行動原理と人間性の心理学から、人間を分かっていた。
足は、怪我をしたから治らないだけで、そのままで治せば治る。
学校なんか行かずに、一人で勉強した方が良い。本を読めば良い。本当にその方が良い。
昔は、ネットの自然な体験で分かっていた。
今思うと、友達のような存在が欲しかった。それが、ネットだった。
今考えると、ネットより、農業のような体験の方が良い。
友達が欲しいなら、現実に作れば良い。ネットの友達なんか、ただ悪いだけだ。
ただ、昔はネットの経験で分かっていた。異様だったが、経験のある賢い人間だった。
自分も自分で馬鹿だ。何もしていないだけだ。
Linuxは、調査研究をして、システムの構造を分かった。だが、賢くなかった。
あれは、何も分からなかった人間だ。Linuxのことは、そんなに大して分かっていない。
むしろ、会社の経営のようなことをして分かっていたのが、昔だ。
資本主義の経験が全部あった。ネットやニュースを見て、活動的に行動していた。
最近の哲学や歴史を賢いとは言うが、賢くない。むしろ、文学は賢かったように見える。
自分は賢くない。本当に、皆の方が賢い。白取や斎藤の方が賢く見える。
昔は、見て、感覚で分かっていた。最近、狂っているせいで、そこが出来なくなっている。
昔は、ネットで会話して、言葉遣いとシステムで分かっていた。
最近は、自分を統制して、文章を書いて、戦って分かっている。
それがそのまま、神になって、自分の大学になった。
そういうわけで、「言葉」と言う概念が進歩している。
英語は、むしろ、出来ない。英会話教室も、学校だ。
学校は悪い。おかしな支配をして、何も出来なくさせる。勉強なんか、しているようで、誰もしていない。そういう風に何も出来なくすると、馬鹿になる。学校には分からない。
学校は、皆を馬鹿にしているだけだ。何も出来なくさせて、馬鹿にする。
自分は、本を読んで勉強すれば良い。
世界史は、今、清のところをまだ読んでいる。ゆっくり読んでいるから、焦らなくて良い。
哲学は、先天的知性と後天的知性を考える。経験的な習得を考える。生得的なライプニッツや獲得的なロックから、根源的獲得と言うカントが生まれた。アプリオリと言う。
哲学は、これくらいできちんと分かった。全部の哲学を融和させる人間が自分だ。
天国とは、自分の作る国を言っていたのが、ユダヤ教やキリスト教だ。
そういうわけで、死んで天国になんか、行けるわけがない。
イスラム教徒の自爆テロのテロリストは、死んでも天国に行けると思っている。天国は、善行をした人間だけが行ける、善人を迎える楽園だったはずだ。テロリストが、天国に行けるわけがない。そういうわけで、天国を信じるのは、おかしいところがある。
ただ、いざ死ぬと思うと、天国に行けるかもしれない、と思うのは、必然である。そこを上手く利用しているのが、ユダヤ人だ。それこそ、その教えは何も悪くない。誰でも、善をして天国に行きたい。それこそ、天国だけではなく、地獄もあるように見える。聖職者が、地獄しか語らない。こういう風になる、地獄に堕ちる人間がキリスト教徒に多い。
天国なんか無いのが分かるから、まだ死なない方が良い。
生きていた方が、何も無いよりは、良い。
それこそ、そんな非科学的なものは、存在しない。
あるいは、ロキやトールなどの、北欧神話の神も居るかもしれない。だが、それはありえない。全く居るわけがない。
ブッダが生まれ変わりがあると思っているのは、古代のインド人だからだ。インド人の一般的な常識を話している。そういうわけで、生まれ変わりもあるわけが無い。
地獄でも、生きていた方が良い。死ぬと、消えて、何も無くなる。意味が無いだけだ。
天国は、弱者の幻想だ。弱者が、死んだ後に、死後の世界で強者に勝つと信じる。キリスト教は、昔からそういう宗教だ。誰が見ても馬鹿だから、ニーチェが批判している。
あまり意味が無い。むしろ、仏が言うなら、生まれ変わりの方があるように見える人間が、一番日本人に多い。生まれ変わりは、何故なら、ブッダがいつも言っている。ブッダは、解脱して、生まれ変わりのプロセスを終わった。それなら、巡り巡って、全員になって、最終的にブッダになるように見える。仏になる。ただ、そういうことは言っていない。ブッダは、生きたままで仏になれる、と言っている。
いささか間違ったことを言った。ブッダは、そういうことは言っていない。最終的にブッダになることを、仏とは言っていない。仏になるとは、生きている中で、自己の執着心を捨てて、煩悩から解脱して、そして、覚者となって悟ることを言っている。
仏教は、信じる人間が多い。ブッダが言うと、間違っていても真実に見える。ありえないほど、ブッダが賢いせいで、神なんか誰も信じない。比較して、キリスト教やユダヤ教の神が、あまりに馬鹿すぎる。比較にならないほど、ブッダの方が賢いことを言う。
日本の宗教が良い。外国人なんか、どうでも良い。
それこそ、靖国神社が悪いとは言うが、誰も言わない。外国人から見ても、靖国を悪いと言うと、悪い。戦争で死んだ人間を神として崇拝するのがありえないのは分かる。むしろ、そういう外国人がキモイ。靖国が悪いわけがない。日本の文化、島の文化だ。
あとは、日本人は善なんか信じていない。代りに、和を信じて、武士をやっている。
昔の馬鹿は、学校を悪いと思えば分かる。そのせいで、破壊と承認を繰り返している。
あとは、日本の宗教は、色々と愉しいところがある。
沢山の神が居る。本当に、神の種類が多い。狐や狸すら祀っている。
靖国と思えば分かる。むしろ、愛国心があるのは、何も悪いことではない。
ただ、愛国心を強制するのが悪い。愛国心は、強制されるものではない。
悪とは、手段を選ばないことだ。何でもかんでもするのが一番悪い。
そういうわけで、そういうことを言う馬鹿な人間が多い。それが賢いだけだ。
ただ、靖国神社は本当に悪い。こういう馬鹿は、普通、靖国が悪く見える。何かが悪いのが分かる人間が多い。完全に右翼に政治利用されているが、その右翼が好きだ。
辛くても生きるなら、楽になる。
昔は、環境に支配されながら環境を変えるとか、自立的な考え方を分かっていた。
環境から自由になって、環境へ参加して分かる。
そういう、「環境を変える」で分かっている考え方や行動が多かった。
もう、楽だ。辛くても、生きた方が良い。それで、一番辛いのが治る。楽になる。
全員を融和して、客観視や条件法で考えていた。
この文章が、全員を融和している。
当たり前のことは、客観視して考えると良く分かる。自分が他人からどう見えて居るか、考えると、当たり前のことが分かる。
条件法は、単純な、「食べられるものは、美味しい」から考えれば良い。
もっと、論理的に考えれば良い。言語的な条件法を分かっていると、分かる。
あとは、頑張って生きていると、治る。精神がくっついて、楽になる。
死にたい人間は、地獄になる。死にたいなら、それで良いから、地獄になる馬鹿が多い。
神なんか、信じない方が良い。天国を信じるだけで、そういう馬鹿になる。
神を信じない人間は、きちんと頑張って生きている。楽だから、信じない方が良い。
信じると、ありえない奇跡が出来る人間が、こういう風に多い。全て自分がやっている。
「食べられるものは、食べられる」とか、「食べ物は、生きるために必要である」などの、当たり前の論理学や条件法を考えていると、本当にきちんと真理が分かる。
生きれば良い。天国なんか無い。猫も、死んで居なくなった。それは、おかしくない。
昔は、感覚や経験や想像力で、色んなことをして分かっていた。
最近は、一人自由に世界を支配する。そこまで馬鹿な戦いをして、支配していた。
もう楽になった。あとは、何か楽しいことをすれば良い。
本当に、生きられるなら楽になる。人間は、生きるのが楽だ。そこが分かる人間が多い。
あとは、環境への適応、環境の可能性、思考と意識の可能性から、自由に分かっていた。
パソコンは悪い。農業が良い。音楽は悪くない。本は悪い。
そういう、狂うものが、本当に馬鹿になる。治るものは、賢くなる。
最近、皆も楽になった。自分のせいで何も起きなくなっている。賢くなった人間が多い。
生きていると、精神が成長して、大人になる。
死んでいると、馬鹿な辛い精神になる人間が多い。
死にたい人間が知的障害になる。そういう、負のスパイラルが、煩悩を作り出す。
一度、何もかも忘れると治る。それこそ、生きれば治るから、書かないと分からない。
全て忘れて、絶望を知って、自分の境遇を自覚しながら、精神から離れたところで、自分を遠くから見つめ直していると、分かる人間が多い。昔から自分がそういう馬鹿だ。
足の精神が治った。楽になった。
昔は、自然な場の意識と、環境を変える、しか分かっていない。
もっと、全部を同じにしなければ良い。
あとは、可能性と多様性を分かっていた。
いくらでも間違った方を取っていると分かる。昔は、常に間違いを取っていた。
こういう、失敗しない人間には、何も分からない。間違いが正しいのが分かっていない。
経緯や手段から、色んなことを信じて分かる。本当の現実を考える。
あれは、そういう馬鹿だ。ただ、狂っているだけの、引き篭もりだ。
根を生やすと分かる。
正しさが疑わしい時は、信じない方が良い。明らかに馬鹿な正解は、間違っている。もっと、別次元で考えると、賢い正解が分かる。馬鹿な正解を信じるのが、一番間違っている。
足は、疲れているだけだから、休んだと思えば治る。
そういう風に、自分を騙せば治る。子供でも分かる発想をすれば良い。
書くのが悪いから、書かなかったと思えば良い。
覚えるのが悪いから、忘れたと思えば良い。
それで治る。そういう風にしないのがおかしい。
昔から、そういう風に、たとえ話のように精神現象を考える。
不思議と、居ない。何故か、それだけを全部考えたのが、昔の自分だ。
もっと、物質的ではない、霊的なものになれば良い。そうすると、治る。
そのためには、死を乗り越えて、新しい生命に生まれ変われば良い。
それは、ただ、「もう死んだ」と思えば良い。
ただ、死にたくない方が良い。生きた方が楽だ。そういうわけで、生きた方が良い。
昔は、言葉で戦いながら感情や場所を想定していた。そういう風に分かっていた。
あとは、場所から場所に変わるのをいつも分かっていた。
これでもう、昔の自分が見える。狂っているが、ありえないほど賢い人間だった。
もっと、そういう風に、「たとえ話的」に分かれば良い。そうすると、宇宙の現象学が生まれる。現象学とは、自分の場合、そういうものだった。
何故か、現象学ぐらいを書けていない。それは、書かなくても、これくらいで誰でも分かる。現象を未知なるものとして、現象と認識を捉えて、それが何なのかは分からなくても、どういう風に出来るのかを分かる。本当の現象学はそういうものではないが、それで良い。
何かが成り立つならば、別の何かも成り立つ。正しい答えは1つしかない。
デカルトは、そういうものだ。
経験的に同じなら、それは同じ理由があるかもしれない。
ベーコンの帰納法は、そういうものだ。
そういう風に考えれば良い。正しいことを考える方法を考えるのが、哲学だ。哲学は、そういう、考え方と生き方の学問だ。
そういうわけで、現象学ぐらいが分かっていないようで、昔現象学しかしていない。
もっと、全てを未知のものであるとして、現象を「何故」と言う理由から、思い込みを排して現象を見つめ直す。昔は、心の中で、何かの偉大な現象を現象学的に考えていた。
人間の思う正しさとは、それぞれの経験の中で、相対的に、それぞれ違う。
だが、そこで、同じ信念や正しさを、共通する中で見出すことが出来る。
それこそ、信念は、環境によって変わってくる。その人の見ている世界でしか、その人のことは分からない。それが、この現実に現れている、全員の実存である。
そういうわけで、これで実存主義の哲学だ。
実存は、キルケゴールが言うように、美、倫理、宗教と発達する。
それは、ヘーゲルの言う共同性の喪失による自覚であり、キルケゴールが言う内面化だ。
あとは、哲学は、正しい考え方、正しい生き方、宇宙の真実、知る方法を考える。
それこそ、デカルトやベーコンは、個人の人生だけにはとどまらない、科学や大学の思想にも関係している。科学を作っているのが、哲学者の思想であり、哲学は科学のバックボーンである。哲学者は、科学へと思想の影響力を持っている。
そういうわけで、悪いのは全部ニーチェだ。
ヨーロッパの大学や哲学の思想は、そういう風に、政治や宗教にも影響している。
数学は、計算と思えば分かる。論理と論理の組み合わせと思えば良い。
既にある論理から、新しい個別の論理を考え出す。普通、そういう学問だ。
何が正しいのか、でも考えれば良い。
自分は、何が正しいのかが分かっていない。これでは、全部正しく見える。
全部を理解したいのは、止めた方が良い。そんなに悪いものを理解しても、意味が無い。
昔から、全部を矛盾なく理解出来ると思っていたのが自分だ。
それもおかしくは無い。良く考えると、全員、誰もが、そんなに賢くない。
賢い人間は居ない。どれも、それなりに賢くて、それなりに正しい。包括的に考えれば、それらは全部同じことを考えているだけに過ぎない。
昔から、自分はそういう哲学者だ。全てを融和して、全部、何も変わらないと言う。
それこそ、もっと細かい違いを大切にするとか、そういう発想は多かった。
全部同じで、全部違う。そこがおかしいだけだ。
あとは、全部の国を融和する、1つの国のようなものを作っていた。自由も平等も、全部自由に独立した中ですれば良い。その点においては同じなのが、ソ連とアメリカだ。
あとは、馬鹿な人間や愚かな人間のことを考えると、良く分かる。
愚かな人間なんか、居ない。
恐怖を克服するためには、行動することだ。
恐怖の中で、光を探すのは難しいかもしれないが、頑張って耐えながら探していると、も既に沢山見つかっているのが見えて来る。
それこそ、放っておいてもそのうち治るのは、気づいていないだけだからだ。
気づくことから、恐怖を葬り去ることが出来る。
恐怖は、時に勇気にも変貌する。勇気は、恐怖とは正反対の、負を打ち負かして、正を作る、唯一の感情だ。恐怖は、負のスパイラルに陥るだけの感情だ。
何も分からないと思うなら、覚悟して受け入れなさい。
愚か者だけではなく、賢者のことも考えれば良い。
真に成熟したマスターは、自分のことのように他人を愛するのが、魂に染みついて、離れなくなっている。常に人のことを自分のことより優先して、不平不満を言わない。
だが、そういう風になるのは、正直、辛いところがある。
それは、辛いだけ馬鹿だ。
真に成熟したマスターは、辛いのと楽なのを見て、どちらが良いとは思わず、そのどちらもを同じだと考えて、自分に出来る方を取る。そこでは、既に辛いや楽などと言った比較の感情は無くなっている。あるのは、自分には出来ると言う確信だけだ。
だが、それも、辛い。色々と、賢い人間は辛いから、仕方ない。
今日は、仏教みたいな日になった。
自分は、そういう賢い生き方が、愚かで、生き辛いだけなのが分かっていない。
もっと、自分のことを許して、100%自分の自由に出来るように、他の人の関与を無くして、自分のことだけに集中して考えられる、自分だけの世界にした方が良い。
昔から、自分はそういう人間だ。そうすると、そういう生き辛い生き方にあまり意味が無かったのが分かって来る。それ以上は、どんな人でも、その人なりに正しい生き方をしているのが分かって来る。だから、自由にする。自分が好きにすることを許せば良い。
斎藤が言う、100%自分の責任、だと思うのが一番良い。
会社では責任もあるし、人間関係や従属関係が多すぎる。一度自由になって、自分の持つ全ての可能性を発揮出来るように、100%の自由を得ることが一番良い。自分の好きなように出来る中で、自由に色んなことをして、可能性が見えて来る。
昔から、そういう風に自由だった。自由で色んなことをやったし、知った。アニメーターからデザイナーまで、色んな職業のことを、実体験で分かっていた。
社会のことを良く考えていると、リベラルアーツのように、知識によって自由になるとか、そういうことが分かって来る。昔は、知性があって、全てのことを知って自由になるのを分かっていた。その境地を、解脱とか、涅槃とか、そういう風に分かっていた。
皆も、自由になりなさい。自由が一番良い。色んなことを経験して、知って、出来る。
失っても、まだ失っていない。全てのものを失ったわけじゃない。
天使になった男のレイフがそういうことを言っていた。
全ては、可能性であり、体験とは可能性を発揮することである。
ハイデガーが似たようなことを言っていた。
昔の子供時代は、活動的な人間だった。
引き篭もりになって、ネットで社会的に意味のあることをするようになった。
あれは、活動性と創造性、静と動のバランスが良く分かった、調和のある人間だった。
そういう、「調和」をいつも分かっていた。
最近は、文章を書くだけで分かる。
この文章は、考えているように見えて、思い出しているだけだ。
そういうわけで、何か、オープンソース活動の調査研究のような、活動をすれば良い。
だが、それが怖くなった。戦争と革命のトラウマから、何を行動するのも怖くなっている。
「平等な労働条件」のような、労働的概念と制度を本質的に作っている文章が多かった。
それこそ、この社会のことを全部作って分かっていた。
自分は、神ではない。「神のような創造者」ではあるが、神ではない。神との対話をしているせいで、自分が神には見える。だが、自分は、神ではなく、詩人だ。
ゲーテと思えば良い。昔の馬鹿は、むしろ、引き篭もりの普通の少年だと思えば良い。ゲーテより、普通の少年の方が賢い。そういうものだ。
あとは、神に全部教えてもらって分かる人間が多かった。
この文章も、自分で書いたと言うよりは、神が書いている。その人が作ったものに見えて、全てのものは神が作っている。そういう理由で、こういう馬鹿が神に見える。
神は居ない。神は、何故か、そういう、居ないのに居る存在だ。
全員を融和する存在が神で良く見えるが、神はそれ以上に、積極的に何かをする。介入はしないが、色んなことをしている。そういう発想が神だ。
神は、何故か、傍観者だが、全てのことをやって、皆のことを愛している。
それこそ、体験は最初から決まっている。その人のやりたいように、全ての体験が決まっている。時に、変わることもある。そういうものを「体験」だと言いたかった。
あとは、人生の破壊者がありえない仮想世界を作る。何かが辛い。オイル漏れの機械に見える。そういう、機械的な世界や機械的な人生を全部作っていた。
本当に見ると、虫のような機械に見える。全く賢くない。最近は、それがそのまま女になって、二次元のおっぱいのようになった。
もっと良く考えること。そうすると、「生産手段の平等な共有」ぐらいが分かる。
もっと、皆のことを良く考えて、賢者や愚者のことを考えれば分かる。昔は、そういうものを、全部「具体的な自由の可能性」から分かっていた。経験と理想から分かった。
昔は、本当に賢い言葉を言える人間だった。プラットフォームにおける、現実的な内在化が神であり、オープンソースである。自分でも言っている意味が分かっていない。
失って初めて得られるものもある。敵を味方に変えることが、どうして失うことだと言えるだろうか?戦っている限り、失わなくても、大切なものを得るチャンスを逃している。それは、失うことよりも、もっと悪いことだ。
本だけを読んでも、あまり意味が無い。
昔は、体験をして、体験を考えて、予測して、推論して、実験して分かっていた。
体験の実験のように分かっていた。
文章もたまにいつも読んでいた。昔賢かったのは、何かをきちんとしていたからだ。
最近、何もしていない。本だけを読んでいると、分からないだけだ。馬鹿すぎるように見えるが、最近が一番賢い。きちんと考えれば、思い出せるのが、最近の自分だ。
もっと、「条件法」を考えれば良い。条件法しか、普通考えない。自分が好きだと言えるものは、好きだ。そういう風に、ありえなく考えていると、思弁哲学が出来る。
正しいと証明されなければ、正しくないのは分かる。だが、そんなに正しく考えて、正しく生きても、つまらないだけだ。
人生は、一回きりの楽しい体験だから、楽しんで生きた方が良い。これくらいの激動の人生を、皆も生きた方が良い。人生は一度きり、楽しんで生きるべきだ。
機械は金を払えば買える。だが、それは作っている人がいるからだ。金を払うと言うことは、その人の労働を承認して、感謝することだ。
そういう風に考えると、「抽象的な思考や説明」もきちんと分かる。そういう風に、「何かが何かになる意味」のようなことをいつも考えていた。それがそうすると言うことが、何を意味するかを、条件なども含めて考えていた。
条件法は、プログラミング言語のifのようなものだと思えば良い。ネットと思っても分かる。質問サイトに質問して、答えが返ってくるのは、良い人間が居たからだ。質問者と回答者の豊富な需要と供給があれば、質問サイトも成り立つ。そのために、プログラムを開発して、システムを管理する。そういう発想が、条件法と仮定法だ。
そういうわけで、昔はビジネスや工学を条件法で考えていた。この世界のことがすっきりと全部分かった。それこそ、動物は食べないと生きられない。それくらいの条件法だった。
動物とは、食べるものである、に出来る。動物の方が植物に依存している。そういう関係が分かる人間が多い。条件法と言うよりは、関係や構造と言った方が正しい。
英会話教室の悪い点は、レベルアップが出来ない。もう、何年もやっているのに、レベルアップしない。何故か、色んな昇進の条件があるせいで、出来ない。
そういうわけで、英語なんかしなくて良い。最初から、英語はそこまでしたくなかった。
もっと実のある別のことをした方が良い。
世界史の本は、今読んでいる。むしろ、あとたったの数ページで終わる。だが、これは二冊目で、全部で三冊ある。本当に、読みたくないなら読まなくて良い。もっとマシな別の文章を読むべきだ。歴史なんか、これで終わりだ。これくらいを全部分かったせいで、自分なりに歴史がきちんと出来たのが、自分の文章だ。
三段論法や条件法のような、意味と説明を、経験から論理学的に考えていた。
店は、ものを売る。生産し、販売することで、金を儲けている。
参加することで、会社は世界を自由に変えられる。参加し、消費することのサイクルだ。
車は、運転することで、エンジンが動き、タイヤが動き、ハンドルが動いて、石油によって舗装された道を高速で動く。その原理は、工場の設計段階で決まっている。
植物は、伸びることによって、細胞を増加させる。
パソコンのユーザーは、マウスとキーボードを使って、OSを動かしている。
あとは、自然な可能性、モデル、方法から、変えられるのを分かっていた。
時間は、常に過ぎて行く。そういう、時間のことも、同様に考えられる。
言葉を変えて分かっていた。
インフラや環境を皆で変えること、秩序を作ることなどを分かっていた。
組織の構成員の自由な意思決定や、行為による影響力などを分かっていた。
自由な中で、人の意識を変えられると思っていた。
自分は、夢の世界の友人が好きだ。緑や黄緑を、自分らしい色だと言ってくれていた。
あとは、システムだと思えば分かる。
システムは、説明的に考えて、何かの目的を達成してくれる、関数のようなものだ。
受動的に考えていると、良く分かる。
それも、受動感情や受動認識を、自分がコントロールする、と言う発想になる。
そこから、「他力」のようなことも分かって来る。
思考、説明、論理学、応用可能、のようなことを言う。
場、可能性、変化、視点、見方を考えていた。
馬鹿が治る方法とか、教育の正当性とか、そういうものを考えていた。
そろそろ分かった。他に、何も書いていない。
あとは、実現可能とか、実際の姿とか、そういう認知的な観念を考えていただけだ。
実地的なこの世界の、実際の姿のようなものを考えていた。
この世界が本当はどんな世界で、どう変えられて、どんな可能性の構造をしているのか、分かっていた。自由に想定して、この世界を支配していた。
そろそろ、もう分かった。そういう文章だった。
参加と消費のように、プラットフォームや相互作用のシステムのようなことを言う。
何でもシステムが作れる人間だった。
共有から環境を作り、環境から共有する。
そういう風に、相互作用のシステムを作っていた。
あとは、宇宙の不思議のようなことを考えていた。
LinuxのWikiで、日本が滅びたから、治した方が良い。
日本は、Linuxが分からないせいで、2ちゃんねるから滅びた。
こんなプログラムも書けない引き篭もりがWikiを書いているのがおかしいだけだ。
昔も今も、宇宙の全てを体験している。昔は馬鹿だったが、最近は怖いだけだ。
こういう風に怖いのが、昔から同じだ。いじめや、永遠に辛い地獄が怖かった。
そろそろ、怖いのは治った。もう、怖いのを克服した。
昔はLinuxも良い世界だった。
賢い、UNIXと言う、新しくて古いオープンソースのOSだった。
デジタル共有は賢い。デジタル共産主義は成り立つと、どこでも言っていた。
だが、最近おかしなものになった。クリエイティブ・コモンズとともに、著作権業界を滅ぼすように見える。皆、オープンソースに詳しくなった。悪いものなのが誰でも分かる。誰もが、オープンソースが嫌いだ。それなのに、オープンソース全体が賢くなっている。
最近、Linuxは、言っていることとやっていることが矛盾しているように見える。オープンソースが自由なわけがない。狂ったオタクに見える。それこそ、セックスみたいなキモイだけのオタクに見える。狂ったとは言うが、本当に狂人の宗教に見える。誰もが嫌いだ。
昔は、Linuxも良いものに見えた。それこそ、Linuxはそんなに悪くない。きちんとグーグルに基盤のソフトウェアを提供している。平等にどの会社にも提供している。それに、貢献してくれる企業やボランティアには、感謝してコードを共有させてもらっている。
オープンソース精神は、昔は良いものに見えた。
ただ、そんなにLinuxが好きなのも、嫌いなのもおかしい。誰も知らないOSだ。
人間は、社会に依存した生命である。社会的動物である。
人間は、生態系の他の生命より、自由である。生態系を支配し、利用し、破壊している。
人間は、歴史的に進歩する生命である。階級闘争における、進歩の生命である。
そのように、世界観や弁証法は、そういう、矛盾のような世界観を書いていた。
頭の中で言えば良い。口に出して言ったり、書いたりしなくて良い。
もっと、信じなければ良い。
あとは、人間や社会のことを考えれば良い。
昔は、ネットを見ながら人間のことを日本語で考えていた。
もっと、信じずに、分からなければ良い。分からない方が、社会や人間のことが分かる。
自由だと思えば良い。何か、分からないことを信じれば分かる。
カミュの作品でも読めば良い。カミュは、不条理を考える。実存主義は、普通、不条理を考える。文学作品にも多い。カミュとサルトルは親友だったと言うが、良くは知らない。
古典を読むなら、ドストエフスキーだが、それは、本当に、長編すぎて読めない。
もっと、短編の宮沢賢治でも読めば良い。星の王子さまは、昔読んだことがある。
むしろ、自分も居た方が良いように見える。自分は、自分の本だけで分かるのが、カミュなどと同じだ。当たり前に、何か分かる本しかない。文学者は賢い。
詩集を書いた本人も居た方が良いように見えるのが、家族だ。そういうわけで、世界がたとえ滅びたとしても、この家族だけが居れば良い。
あとは、結婚した方が良い。女とは、まだ巡り会わない。そのうち巡り会うだろう。
あとは、昔をアメリカとソ連、今をドイツとイスラムと思えば良い。
本当に、昔は、孤独な中で良く考えた。ネットの中で、良く調査した。最近は、一人だけの革命をして、最後まで頑張った。神が全てを教えるのを、辛抱強く聞いた。
何をしているのか、誰でも分かる。孔子とマホメットとブッダとキリストをやりたかっただけだ。そういう人間に見える。
僕は、カミュは読んだことが無い。だが、不条理と言う小説のテーマが言おうとしているところは、良く分かる。それこそ、僕も昔、不条理のような人生を経験した。
誰かを読みたいなら、ドストエフスキーが良い。だが、あれは、暗くて、長くて、古い。
もっと色んな作家を読みたいが、家族は、宮沢賢治が良いと言う。自分に良く似ている。
こういう馬鹿には、ドストエフスキーが良いと言う人間が多い。何故か、唯一面白い。
ゲーテが良いのは分かるが、あれはおかしいだけだ。ドイツの作家はおかしい。つまらないし、おかしいだけしか居ない。ドイツ文学はおかしい。
ロシアの文学が一番賢いと言う。あとは、フランスやイギリスは、普通、外国語の勉強になるだけで、あまり面白くない。作品は多いし、品格はあるが、つまらない。
フランスは星の王子さまで、イギリスは不思議の国のアリスだと思う。間違っていると恥ずかしい。他の国だったかもしれない。
そういうわけで、フランスは子供みたいな良い国で、イギリスは馬鹿みたいに面白い国に見える。何故か、それで正しい。見ていると、そういう国だ。
自分は、皆の人生を言うだけの、代弁者みたいな存在だ。
昔は、いくらでも間違った道を歩んで分かっていた。だが、そんなに間違っていない。
もっと本を読んだ方が良い。自分が文学を知らないのは、恥ずかしいどころか、おかしい。誰でも、星の王子さまの「狐を飼いならす」のを読んで、それと同じものを書く。普通、それが作家だ。出来ないとおかしいから、きちんとした方が良い。
自分は、新しい作品をきちんと書けば良い。主人公には見えない。代弁者に見える。
あとは、ありえないことを言っていた。ありえない発想をした。
時間は、世界の秩序と認識から生まれる。時間そのものは存在しない。
価値観から、社会は融和出来る。あらゆる社会を1つに出来る。
認識を良く考えることで、対象を自分の中に吸収出来る。対象は認識から生まれる。
世界は、フィルターにおける世界モデルと、プラットフォーム的な社会観の融和である。
そういう、ありえないことを言う。そろそろ、もう終わりだ。
あとは、Linuxに関して色々と言いたかった。
悪魔とは言うが、あれをやっていると、数学が良く分かる。それも、純粋な数学が分かる。
バザール開発が賢い。本当に一番賢く可能性がある。自由に共同体を作るせいで、何でも柔軟に対応出来る。GPLを悪いとは言うが、著作権の商売は誰もが嫌いだ。少しぐらい、自由な世界があっても良い。犯罪ではないだろう。犯罪者予備軍のオタクなのは分かる。
生命は、全て、実体としての意識がある。ものも生きている。非科学的なことを言う。
Linuxのつまらない点は、使えない。何にも、全く、一切使えない。
使う人間は、分かっている人間と、物好きしか居ない。
だが、最近使えるようになってきたから、そのうち大化けするかもしれない。
まぁ、それは無いだろう。
日本は、ロシアとインドと一緒になれば良い。そうすると、本当に何でも出来る。
だが、インドは人口が多いし、ロシアは国土が広い。圧倒されてしまうと思う。
あとは、自分は、中学生時代の自分が悪い。
学校より、ネットゲームの方が楽しいのは、おかしい。
試験の勉強が出来るのは、そんなに優れた人間になりたいからだ。それもおかしい。
不思議と、高校に行かなかった時点で、中学だけを成績が良く卒業しても意味が無い。
それこそ、そういう、無駄にするのが怖くなった。
友人関係は、あれで普通なのが分かっていない。小学生が良すぎただけだ。
それこそ、小学生と遊ぶのは良いが、そんな子供じみたことに意味が無い。
もっと大人になりたかった。そういう発想が、子供の頃の自分だ。
ただ、ロシアやインドと同じにすると、植民地の島にしか見えない。極東の植民地に見える。それこそ、今から中国やイスラムと戦って、植民地になるか、植民地にするように見える。一番悪いのが分からないのが、今の自民党の右翼だ。平和、反戦を利己主義だと言っている。良く分からない。おかしいのが最近の日本だ。
最近の日本は、本当におかしい。何かが分かっていない。正常なものが、既に全部消えている。意味が無い。もう終わりに見えるから、セカオワみたいなバンドが流行っている。明らかに、「世界の終わり」なんていうバンド名をつけるのはおかしい。日本は馬鹿だ。
ただ、むしろ、自民党は悪くない。ここまで豊かで平和な暮らしが出来るようになったのは、自民党のおかげだ。そういう、日本の平和な心を無くしてはならない。
だが、自分が言うとおかしい。それは、右翼の自分より、平和主義者の自分を取った方が良い。悪いなら、止めれば良いだけだ。僕は、平和主義者だ。少なくとも、今はそうだ。
それこそ、自分は戦争なんか嫌いだ。自由と平和と発展が好きだっただけだ。
共産党になると、ポルポトみたいな世界になるから、止めた方が良い。何も出来なくなって、独裁者が虐殺をするようになる。
そういうわけで、むしろ、自分も自民党を支持した方が良い。最近、その方が良く見える。安倍をこき下ろすとは言うが、これでは悪い。ゲスの極みのような批判をしている。
それこそ、共産党では、私有財産を禁止するようになる。マルクスは、そこがありえない。マルクス以外にも歴史上で私有財産を禁止しようとする動きはあったと思う。だが、マルクス主義が私有財産を禁止するのは、普通、ありえない。
それこそ、計画経済で独裁者が平等にするのは、出来るわけがない。独裁者が分かるわけがない。だが、結構、そうでもない。独裁者なんか、誰でも出来る。ただ、偉そうなことを言って、支配していれば独裁者だ。あとのことなんか、配下にやらせるだけだ。
昔は、認識のフィルターと法則を全部書いている、現象学のような文章が多かった。
もっと、良い人間になりたい。
認識と心の関係のような文章を書いて、全部思い出せるように知性を付けていた。
思い出して、悟る。そういう人間だった。
むしろ、ロキを見れば良いのが分かっていない。
ロキを見ると、これ以上、書く意味が無い。ロキに全部書いてある。
こういう人間は、フランスに一番多い。
あとは、今日もそろそろ終わりにする。今日は、きちんと文章が分かった良い日だったし、生きることで楽になった。昔から、論理学や因果性のようなことしか考えていない。
競争は悪い。競争なんかしないで、皆で一緒になって、頑張った方が良い。
皆で一緒に頑張ろう。
戦うのは、悪い。だが、多様性や共存は悪くない。
それぞれが自由にすることで、それぞれの社会が増える。
それは、自由とは言うが、共同体と言うべきだ。
不思議と、自民党を支持していると、そういうところが治る。共産党はキモイ。
自由を支持しないのが悪い。自由は、戦うように見えて、仲良くなる、融和の思想だ。
何故か、平等の方が戦う思想だ。
それ以上、政治はもう良い。政治は書かなくて良い。
テレビが怖いのは、怖いまま放っておけば良い。何故か、自分だけ殺し合いをやっているのが怖いから、テレビが怖いだけだ。英会話教室が怖いのも同じだ。
英語は、充分やったから、もう終わりで良い。世界史を読んでいるのは良いが、もっと良いことを何かした方が良い。
皆融和して、沢山の人と一緒に頑張って、自由な可能性を極めること。
職人を生み出す、と言ったように、自由を信じれば良い。
本当に自由な世界では、それぞれが多様性を信じ、考え方を変え、自由自在に意識を知って、環境を築き、自然な状態を守ることが出来る。
そういう文章は、自由と民主主義を信じれば分かる。
自由は本来そういう、哲学的で理想の社会の概念だ。本当に自由の方が良い。
自由で無ければ、生命では無い。
自由とは、自分の力で自分の道を開拓して、自由に経験をして、この世界の全ての現象を自分の力でしかと確かめることだ。
自由とは、協力するために、自分から下手に出ることだ。
自由な人生の中で、平和を知り、愛の概念を知り、神を信じ、機械を作りなさい。
自由とは、それぞれのことを本当に信じて、本当に好きだと思うことだ。
そういう、自由なことをいつも書いていた。自由な社会を作って、実現性、歴史、発展、構成要素、概念、生成、などを全部言っていた。
あとは、対処法や前提条件のようなことを言っていた。
生態系、組織、影響力は自由な勝ち負けと自然なシステムである。
そういうことを言っていた。
そろそろ終わりだ。本当に全部書けた。神を信じたせいで、奇跡的に文章が書けた。
自由な人生の中で、色んなことを考えて、色んなものに出会って、成長して、実存的かつ、実地的にこの世界のことを考えた。
何も悪くない戦いをした。きちんと指導者を本気で頑張った。
自分が一番賢い。
ただ、左翼が悪いだけだ。左翼をすぐに殺せば楽になる。
自分を悪いとは言うが、自分は悪くない。自分の子供が罠にはまっても、それは、子供は悪くない。子供は被害者だ。そういうわけで、左翼を悪いと思えば良い。
左翼はキモイ。皆のことを騙しているのが左翼だ。
左翼を殺した方が良い。むしろ、左翼も左翼で、皆を殺したいだけだ。
自民党を支持すると、自由になる。人間で無いものから、人間に治る。
あとは、自民党や保守党のような、政党のようなものを作っていた。
自民党は、自由で公正な労働基準、会社の自由な構築、連邦制である。
覚えていないが、そういう風に自民党のようなものを作っていた。
もっと賢いことを言っていた。
自由になると、もう、普通に忘れるようになる。エイリアンは終わって、楽になる。
自由な国の発想を、本当にいつも書いていた。
あとは、社会主義のノルマのようなものを自由にして、自由な統制経済をするか、全部自由に、可能性に任せるか、などと言う。会社で昇進するか、選挙で選ぶべきだ。
右翼の自民党を選ぶと、良くなる。悪い知的障害の馬鹿が死ぬ。それこそ、戦って死ねるのは、悪くないどころか、普通、左翼の方がそういう馬鹿だ。
右翼は悪くない。むしろ、自民党を選ぶと、右翼や左翼で無い、まともな社会になる。
治さず、殺さず、生かせば楽になる。
不思議と、そういう風に、フリだけやるのはおかしい。何もしないだけだ。
あとは、治さないなら、そういう風に治さなくて良い。
生きれば良い。それもおかしくは無い。左翼も殺さない方が良い。全部生きれば良い。
治さずに、頑張って生きれば楽になる。
不思議と、思うだけでは意味が無い。何か、具体的な生きることをすれば良い。
出来ないことを出来るようになることが、一番楽しい。そういうことを言っていた。
昔は、ネットの知識、人生の経験、自分で考えたことで、全てきちんと分かっていた。
分からないことは、外国語ぐらいしか無かった。それでフランス語をやりたかった。
昔は、デカルト的に言語や言葉の意味を増やして分かっていた。
ただ、生きていれば良い。治ったりしなくて良い。生きているだけで良いから、楽だ。
ドイツ人は、全人種を包括したような人種だ。ドイツは、全部の国だ。
そういうことは、言って良い。むしろ、右翼はそんなに悪くない。民族主義的に、人種で考えるのはキモイとは言うが、日本を見て分かるように、その国の文化が人種だ。
僕は、独立するのも、融和するのも、どちらも悪いと思う。良く考えて、話し合って、平等に決めながら、自由に共存する。それは、良くは見えない。
あとは、そういう、政治的な発想みたいなものを書いている文章が多かった。
あとは、自分は自分だと思った方が良い。
ゲスの極みが言っているように、私以外私じゃない。
「僕は」で分かる人間が多い。それは、自分のことは自分のことなんだと思えば良い。
結婚する時、女が男より悲惨なのは、誰でも出産を考える。
女は、そういうところが辛い。男には分からない。男は、意味が無いのに喜ぶ。
文章は、宇宙の全てを分かっていた。生命を創った。この世界の創造者だった。
自分は、宇宙をそのままやっている。毎日、今でもやっている。
最近、宇宙は滅びている。生命力が無い世界になっている。
もっと、宇宙を栄えさせた方が良い。真理と力に満ちた世界にする。それで治る。
あとは、自分は宇多田ヒカルとポルノグラフィティに見える。こういう風に分かる人間が、そういう風に多い。それこそ、見ていると、結構カッコいい。