どうなっているか、のような文章が多かった。
何かどうなっているか、から、状態と段階を、検査と実験から分かる。
実地的にどうなっているかを考えていた。
がんじがらめに支配されている。
批判に批判で応えるのを、いつまでも繰り返している。
単純なことや基本的なことを言えば良い。
不確かなことや、嘘に見えることでも、言えば分かる。
最初から正しいことを言うのがおかしい。
あとは、多様性のある自由な社会を作りたかった。多様な世界にしたかった。
文章を書いて、世界を支配して、どんどん自由で多様な世界にしていた。
それをもう止める。自由や多様ではなく、平等で統一された平和な世界にした方が良い。
僕は、日本人のユダヤ人みたいなものだ。
ユダヤ人は、自分がやっている悪いことが分かる。
日本人は、この文章の内容が分かる。
ユダヤ人が対立と厳格な戒律の民族になって、日本人は調和と自由の民族になった。
何故か、ユダヤ人の方が馬鹿だ。ユダヤ人は、罪を悪いと思う人種になって、攻撃的、反抗的になった。日本人は、和を尊ぶようになって、調和的、従属的になった。
ただ、自分を中心に世界を考えるのがおかしい。こういう馬鹿が神に見える。
あとは、自分がエロイのは、皆を機械にして、自分からロボットの王になっているのがエロイ。あとは、いじめながらいじめられるのに耐えている。孤独を自由と言う。エロイ。
ユダヤ人は、まともな人種だ。これの悪い点が全部分かる。
最初にこれを言い出したのは、ユダヤ人だ。誰でも、普通のユダヤ人がこういう人間だ。
神とは言うが、神はユダヤ人で、ユダヤ人は神だ。
日本は、逆に、神が嫌いだ。天皇が好きになった。これに王になってほしい。
そういう発想が日本だ。この文章の賢い点が分かる。それで賢いわけがないのに、本当に良い人種になった。言われなくても、自分から頑張って、見返りを求めず、全体のことを考える。ドイツが良く似ているのは、ドイツは、この文章がドイツと言う国に見える。戦争して、左翼と右翼が戦って、自由都市を作れば良いように見える。
時の政権に任せるのは、自由とは言うが、丸投げ的なところもある。
自由にその首相のやることや考えることに任せるべきだし、状況に応じて、臨機応変に考えるべきだが、丸投げすると、ヒトラーのような悪い人間が何でも出来てしまう。
そういう、矛盾みたいなことを書いている馬鹿が多かった。両方良いと言う。
それこそ、それは、両方は取れない。権力の自由なんか、無い方が平和だ。
自由が好きなのは、革命時代の自分と昔の引き篭もり時代の自分が好きなだけで、自由なんか全く嫌いなのが自分だ。
そういう、昔の自分が好きなのは、もう止めた方が良い。そこがイモムシに見える。
自由には、実現力がある。
そういう、国の構造から実現力や可能性を考えている文章が多かった。
自由とは言うが、社会主義にも実現力はある。金と選挙と逆に、統制経済で実現する。
自分は、三位一体だ。キリストと天使と神だ。最近は天皇に見える。昔はブッダだ。
あとは、社会主義の権力を考える馬鹿が多かった。
全員公務員で、社会所有で、評議会になるのを、考えて何でも出来ると言う。
皆で意見を集めて、議論して、自由に色んなことをして、自由な人生が生きられる、そんな社会主義の国を作っていた。
もう、社会主義は止めた方が良い。そういうものもイモムシだ。一番馬鹿になる。
皆で議論して決める、とか、そういう考え方みたいな発想が、昔から多い。
あるいは、支配して決めれば良いと言っていた。自由な支配者も悪くない。それが一番、実行力がある。自由は、一人で色んなことが出来る代り、皆で決めることは無い。
あとは、これで論理的に考える文章が多かった。
ものは、原子から生まれている。ものは、材料と方法から生まれる。人間は、知っていることしか分からない。人間は、全員きちんと存在する。
あとは、関係や基盤的なことを考えたり、数学的な命題と証明を考えたりしていた。
昔は、論理的に自由な環境と人生を考えていた。自由を論理的に考えて、集団と個人の論理のようなものを分かっていた。
正しい分析の方法のようなものが分かっていた。仏教の八正道のようでもあった。
あとは、2ちゃんねるで匿名の参加を考えて、レスごとの反応を考えて、客観視して、分かることと分からないことの比較をして分かっていた。
2ちゃんねるを悪いとは言うが、そんなに悪くない。良い人間が多い。最近、本当に中高生に多いのが、2ちゃんねるだ。LINEより面白いと言う人間が多い。
ただ、最近そういうものは嫌いだ。見ていると、怖い。ゲイツが悪いように見えるが、ゲイツは関係ない。明らかに、そういうものはアングラの社会悪だ。見ない方が良いどころか、誰も見ない。最近は、オタクや右翼が多い。ありえないほど悪い世界が日本だ。
最近は、ものを吸収して分かるだけになっているが、ものは、吸収するより、否定した方が分かることが多い。人間には、基本的に何も分からない。ものは、意識の中で存在する。
あとは、2ちゃんねるの具体的な社会が分かる馬鹿が多かった。
共有みたいなことを言って、自然な可能性と発展を考えていた。
国の自由では無い、国民の自由が好きだった。そういうことを言っていた。
トップダウンと強制は、国を滅ぼす。ボトムアップと自発的な参加が良いと言っていた。
あとは、今年は、新しいことをした方が良い。
自分は、もう治った。セックスは、もうしない。本当にもう楽になった。
このまま放っておくと、人生の色んなこと、人間の色んなことが分かる人間が多い。
いつも、そういうことを考えていた。それが昔のインターネットの自分だ。
場合と状況を考えるとか、経緯と経験を照らし合わせるとか、そういう発想が多かった。
自分の経験と発想だけで、全部分かっていた。色んな人間と同じになって分かった。
そろそろ、全部分かる。最初から、もう一度、まっさらな自分で、ゼロになって、分かり直すようになる。それで、きちんと全部分かる。
昔は、地球との一体だとか、そういうことが多かった。皆と一体になっていた。
あとは、最近は、馬鹿を超えて分かっている。認知症の先の先を行くと、どんどん賢くなって、知的障害が治る。こういう病気が自閉症やパーキンソン病だ。治る子供が多い。
あとは、世界を変え続けるありえない王が多かった。
最近、そういう王をやっていない。むしろ、やった方が良い。
日本のことを、もっと幸福で色んなことが出来て分かる国にする。
そういうことをいつもやっていたが、最近していない。王になって、支配すれば良い。
あとは、独立の構造に社会をはめ込むような、モデルとはめ込みの理論が多かった。
そろそろ、本当にもう書かない方が良い。もう終わりにするべきだ。
信じて終わりにすれば良い。そろそろ終わりだ。
最近は、寝る時の夢でも文章を書いている。子供に戻って文章をまだ書いている。
おかしくない。子供に戻りたいからそういう夢になる。同時に、文章を書きたい。
夢は、天国のようなワンダーランドが見える。ゲームのようだ。もう、天国がどんな場所なのか、分かった方が良いからそうなる。面白いとは言うが、本当に怖い夢が多い。
最近は、本当に面白い小説やゲームのような夢を見るようになった。
だが、キモイものが多い。ただ、たまに学校の友達や美味しい料理が見えたりする。
昔は、引き篭もりなのに労働と仕事の経験をしていた。そこから、マルクスのように考えることが出来ていた。それで、経験や価値観を考えて、神のように分かっていた。
そこが分かると分かる。それで、コンピュータのことを知って、実体験を考えて分かっていた。論理的に意味や集団と個人のことが分かった。会社に入った時に何でも出来るように、下準備のようなことをして、己の可能性を高めて、影響力を行使していた。
そして、歴史や数学のことが分かる。意識で歴史のことを分かって、体得していた。
積み重ねから、この世界と人生のことが全部分かった。
心理学と社会学を実地的に、具体例から作っていた。そういう馬鹿な引き篭もりだった。
あとは、認識をデカルト的に作って、人生的、哲学的に記憶や言語のことを考えていた。
人間の環境を、経緯と習慣から考えて、必然性を証明していた。
創造性と共有が好きだった。そういうことの具体的な実感を感覚的に信じていた。
そういう、善人だった。
自由が好きで、支配や平等の何も出来なくて強制するのが嫌だった。
皆、それぞれ自由に出来た方が良い。勝手に生きられた方が良い。そういう人間だった。
神のビジョンと経験による、本当の知性と正しい精神のようなものがあった。
あとは、世界観を考えて分かった。皆がどのようにすれば分かるのか、全部分かっていた。皆の経験のことが、詳細まで分かっていた。想像力や環境やネットで経験を考えた。
そろそろ終わりだ。これ以上、あまり書かない方が良い。
ウィトゲンシュタインやハイデガーのように、像や存在を考えていた。
思惟して、思索して、推測して分かる人間だった。
全ての観念と認識と記憶は、場から生まれる。あれは、そういうことを言っていた。
何も必要ない。必要なのは、日本語の能力と、想像力だけだ。
人間の色んなことを考えれば良い。
昔は、意志と伝達から社会の可能性まで、色んなことを考えていた。
意識で歴史と場を考えて、ネットの具体例から人々の実際の生活を知った。
そろそろ、賢くなった。そろそろ書かなくて良い。あとは、書かずに、いくらでも色んなことが分かるようになる。要は、そろそろ治るだけの分からないだけが終わった。
皆も、治るだけの分からないだけになっている。もう、治さない方が良い。
皆、もう治るのを止めなさい。それだけで、すぐに楽になる。自分がやっている。
もっと、責任や義務のようなものは、何も無いのだと思えば良い。
内面化、有用性、価値観、改革から、色んな社会的な発想と可能性が分かる。
ヘーゲルをやれば良い。ヘーゲルは、最後のこういう人間だ。
プラトンが賢い。プラトンの言う、哲人の王やイデア論は、こちらを考えている。
順番的に見て、ソクラテス、アリストテレス、プラトンが自分だ。
全くそれらには見えないが、内容的に最近はプラトンだ。プラトンは、まともな哲学者だ。
一秒で一年が過ぎる。逆に、一年が一秒しか経っていない。本当にそれが辛かった。
最近は、神の地獄だ。歩き回って、文章を辛いのに書く。本当に辛い、文章のアルコール依存症のような人間になっている。だが、それでネット依存症が治った。
ブッダが見ると、こういう人間が馬鹿だ。執着や煩悩を悪いと言っているのは、こんな馬鹿を馬鹿だと言いたいだけだ。逆に、キリストが見ると、こういう馬鹿で良い。信じるものは救われる。神の下では誰もが善人だ。だが、罪は悪いと言っている。赦すと言っている。
それで、終わりだ。あとは、歴史をもっとやりたいから、やれば良い。
仕事はしなくて良い。本当に、入ると何も出来なくなるし、単純作業は本当に辛い。
あとは、大人になれば分かる。成長すれば良い。昔は、ネットで大人から子供まで、色んな人間の言うことを聞いて、自分も言って分かっていた。
それが、善悪の分かるマスターみたいな人間になった。
もう、そろそろ終わりだ。もう書かなくて良い。もっと違うことをやれば良い。
まだ朝鮮を読んでいるのがありえない。一向に進まない。もっと、1つには決めずに、色んな本を読んだ方が良い。色んなことをやるのが良い。
昔は、これで無我の境地を分かっていた。
自然な意識と価値観から、振り返って分かっていた。そういう、異様な人間だった。
神は、大学で馬鹿が治ると言うが、中高生が賢くなるのを言っている。
神は、そういうことを言っている。
フランス人やドイツ人は、本当のそれらのことを言っている。
ソ連は、悪くは無いが、つまらない。何も出来ない、皆の委員会だ。
ソ連は嫌いな人間が多い。
自分は悪い。悔い改めるだけの人間になっている。キリストを本当に信じると、こうなる。神経症の狂った人間になる人間が多い。文字も普通、読めなくなる。何も分からない。
ドイツは忘れた方が良い。キリストを信じているだけで、ドイツ人になった。
もっと、日本のことを考えた方が良い。ドイツを考える人間は居ない。一番馬鹿なのが分からないのがおかしい。ドイツまで好きなのは、それこそ、異様だ。
昔は、そういう、異様な人間だと思えば分かる。
2ちゃんねるで認識のデータベースを吸収して、色んなことを環境の適応から発見した。
そういう、ありえない人間だった。
ドイツが見ても、悪いだけの王しか居ない。王は悪くて良い。
そういうわけで、全員善人だが、あえて言えば、右翼ぐらいが悪党だ。
神の下では、こういう風に平等だ。神は、全員を平等に愛している。それが自分だ。
あとは、ネットを見ながら、プラグマティズムの価値多元論のようなものを分かった。
本当に考えた。日本語だけを使って、モデルにしたり、人間の経験や成長や状態などを考えたり、経緯や関わり合いを考えたりして、本当にそこまで考えた。
あとは、これならヤスパースやデューイのようになる。当たり前の哲学者になる。
最近は、こういう風に全部書いて分かるようになった。
ユダヤ人も好きだ。マリアみたいな良い民族に見える。昔から、神はユダヤ人だ。聖書の通り、信じるものを救う。人生はキリストの言っている通りになる。
ドイツ人と比較すると、ユダヤ人が本当に良い人種に見える。そこまでの善人が多い。
あとは、戦争もしない方が良い。何もしないのが良い。スイスのような永世中立国になれば良いのが日本だ。日本に一番向いている。どこの国の文化とも違う。スイスが良い。
そうすると、日本が悲惨だ。
イギリスやフランスも悪い。ソ連とドイツは同じだ。何も変わらない。
もう、書くのは止めた方が良い。世界史が最後まで出来たように見えて良いが、もう信じて終わりにすべきだ。新年も、まだやっているのがおかしい。けじめをつければ良い。
科学や人生を実感で分かっている馬鹿が多かった。精神分析で分かった。
そんなものを書いても、何も賢くない。書かないとそういうものが賢く見えるのは当たり前だが、書いて馬鹿なのも当たり前だ。そこが辛いから、良い人間になった。
不思議と、詩集の本のブラーギを見ると、良い人間に見える。聡明で優しい、思いやりと堅実な努力があるように見える。そういうわけで、もっと良い作品を作った方が良い。
むしろ、自由が本当に良いとは言うが、ありえない。革命で滅びて何も無くなるか、強者が何もせず悪いことをするかだ。自由が賢いわけがない。普通、可能性は平等だ。
辛いとは言うが、最近放っておくだけで楽になった。それをまだ分かっている。
昔は、世界モデルを作っただけだ。それしかしていない。
知性のモデルを作って、考え方で経験を考えて、推論と環境への適応で分かった。
あとは、ネットで知恵と工夫や具体例を全部知って、一緒に会話して、創造性と労働を経験していた。それで、レーニンのような救世主になった。
神は、何も考えていない。誰しもにするように、普通にしているだけだ。パニックになって、神に頼るのは、もう止めた方が良い。自立的に考えるべきだ。それが出来ないだけだ。
自立的に考えるようになると、もう賢くなる。これなら、誰でも今からそういう人間になる。昔は、そういうところが分かる人間だったが、2ちゃんねるで自主性を分かっただけだ。全くおかしな人間だ。昔は忘れて、この世界をじかに見て、自立的に考えるべきだ。
昔から、そういう自立のようなことを書いていたのが自分だ。
そろそろ本当に賢くなった。書くのは止めなくて良い。書かないと、分からない。作家活動は続けた方が良い。
最初から、書きたくなんか無いからこうなる。仕方なく、書くしかないものを書いている。そこが馬鹿だ。書かなければ、賢くなって、楽になるのが出来ていない。
馬鹿になっているのは狂っているからだ。昔はまともだったから賢かった。昔の方が賢かったのは当たり前だ。ただし、狂っているのは昔がおかしいからだ。
単純に、「もし」や「ならば」と考えれば良い。昔と言うよりは、誰でも分かる。最近分かっていない。そこから、自立的に考えながら、思弁哲学をすれば良い。
そういう、認識の科学は、当たり前にカントやヘーゲルになる。それを書いていた。いつも、そういう、単純な「もし」から高度な人生と社会とシステムまでを書いていた。
あとは、自由な社会を考えていた。もっと、負けない信念を持てば良い。情熱が無いのはおかしい。腹の中に眠っている情熱と根性をたたき出せば良い。それで賢くなる。
あとは、誤解みたいなものを無くしていけば分かる。常識なんか、何も分かっていない。誤解を解く中で、残るものがある。それが、人生の次へと繋がる、新しい一歩になる。
あとは、守る気持ちが大切だ。このかけがえのない世界を、守り、愛し、導き、変え、築き、そして続けること。それも、全て、神の愛である。神の愛とは、全ての愛である。
もう終わった。自分は賢くなったとは言うが、これではスタートラインに立っただけだ。あとのことは、ロキに色々と書いてある。あれを読むと、昔の人生が参考になる。
もう覚えていないから、仕方ない。ロキに書いたごと、昔は全部忘れた。
あとは、色々と洞察して、狂っていると、人間のことが分かる人間が多い。
それこそ、哲学者はここから先のことを書いている馬鹿が多い。哲学者は大人だ。
自分は、これではただの子供だ。まだ何もしていない。もう一度したいと言うからこうなる。神を信じると、そういう、良い願いが全部叶う。悪い願いは叶わない。最初から、人間の人生を全て神が創っている。信じて、任せて、抵抗せず、受け入れると、良くなる。
今、そろそろ賢くなった。スタートラインなのか、ゴールインなのかは、分からない。
これなら、賢くなるように見える。今、僕は27歳だが、これなら50歳ぐらいまで、賢い時代が続いて、終わりの頃で何か分かる人間が多い。何も分からないが。
ロキを残したのがありえない。普通、ロキが青春だ。あれが18歳の人間が多い。
神を信じて、自分をストールマンだと言っている馬鹿が多かった。キモイが、神と対話出来て、いくらでも自分のことが分かっている、賢い悟った人間だった。
最近は、馬鹿も賢い。2ちゃんねるをやっていると、馬鹿でも賢くなる。全員賢い。
これが、2ちゃんねるをやる馬鹿が多い。色んな人間と話して、分かる人間が多い。
人生の知恵とは言うが、これくらいでもう終わりだ。
あと一つ、書きたいことがあったが、忘れた。最近は、忘れることが増えた。馬鹿になっているが、誰でも、老化した方が賢くなる。そういう人間が多い。
神のビジョンで、精神から脱出して分かっていた。ありえないブッダみたいな人間だった。
昔はもう要らない。今からきちんと分かる。ネットはしない。馬鹿は馬鹿で良い。
恐怖は悪くない。神は、恐怖を使って人を導く。怖いことを克服すると、理性がつく。
昔は、本当に革命家のヒーローだった。世界を支配して、導く戦いをした。
菩薩とは言うが、あれは明らかに悪い。自由な共有と多様性の革命を、1人でやった。
そういうわけで、ヘイムダルは悪い。フレイの方が、本当に良い人間だ。
最近、きちんと考えている。こんなに考えて思い出すのがありえない。あとのことなんか、今まで書いた内容だけで、誰でも分かる。だが、出来ない。馬鹿だから、しない方が良い。
そういうわけで、自分にしか分からない。こんな超人は居ない。本当に、キルケゴールみたいにこういう人間が多い。まともな賢い大人がキルケゴールやヤスパースだ。
ヘイムダルはおかしい。一人だけでおかしな革命をしている。皆を機械にして、馬鹿にする。殺されると思っているが、あれなら殺されるのは当たり前だ。あれも、あまり悪くない。ただ、自由なことをネットに乱発しているだけで、誰も見ないページでやっている。悪いから、本当にそういうことをしない方が良い。日本はすぐに逮捕する。
もっと、社会のことを考えた方が良い。
恐怖を克服すると、理性が高まって、賢くなる。成長する。怖いのは、何も成長しないからだ。成長しない人間には、分からない。自分を変える、と言う手段がいつでも与えられているのに、分からない人間が多い。そういう風に考えれば良い。
一度知識や理解を消して、何も無い頭で、先入観と思い込みを無くして、実存的に世界と人間のことを見れば良い。そういうことを言う人間が多い。哲学者にそろそろなった。
新しい経験と新しい思考から新しい感情が分かる。習慣は、先入観を無くすことで、抑圧や執着から、神の経験へと様変わりさせることが出来る。
あとは、自然に体験していると、カントのようになる。
人生は、環境の違いから分かる。社会制度は、問題に応じて皆で変えていく。それくらいの文章を書いていた。本当に、これくらいの文章だった。
社会を、理想から考えると良く分かる。色んな理想を作って、社会を心で考える。
心で社会や環境のことを想定しながら、理想の社会を経験から考える。
それは、人間性と仲間との絆を信じることで、和の精神になる。
あとは、これで自由は良く見える。昔から、自由に自由は無い。これが本当の自由だ。
もう、何も無い。明らかに、これでゴールインだ。きちんと哲学者が出来た。哲学も、きちんと出来て良かった。全てが出来た、AAAのような人間になった。
自分の力で考えれば良い。考える機会と言うよりは、自主的に考える、と言う方が正しい。
それこそ、普通、自発的に考えるのが賢い。
だが、それは、子供っぽいところがある。もっと大人で、経験から考えた方が良い。
子供と大人に、違いなんか無い。子供の方が大人で、大人の方が子供だ。それしか居ない。
人生には、試練は一度来る。だが、山場を越えれば、試練はそのまま才能へと変わる。
そういうことが分かる人間が多い。
むしろ、こうなると、昔の方が馬鹿だ。狂った2ちゃんねるは、何も賢くない。
もっと自分の経験から分かると分かる人間が多い。社会のことも、全て経験から分かる。
昔は、実現と手段しか考えていない。
昔は、あとは自分の力で全部経験しただけだ。それしかしていないから、それで出来る。
もう、全部新しくなる。そういうわけで、元旦からオーディンだ。オーディンは、もう全て分かっている。もう地獄から治ったスーパー超人がオーディンだ。当たり前に、主神だ。
ゲスの極みのような馬鹿が、最近増えている。最近、そういう馬鹿のせいで、皆も馬鹿になった。そういう馬鹿が悪いのが誰でも分かるから、ゲスは嫌いな人間が多い。
色々と、自分にも悪い点がある。上から全部言いくるめて、皆を馬鹿にした。ゲスが生まれる背景には、自分が悪い、と言うところがある。
それは、悪く見えて、良い人間だ。そういうものを、きちんと悪いと思えば、誰でも良い人間になる。自分の方が良くて、そういう人間を見たくない人間は馬鹿になるが、誰でもそういう人間だ。
これで哲学者とは言うが、ありえない。これで認識論や論理学や社会学を言っているから、哲学者には見える。こんな馬鹿は、いくらでもいる。子供から大人まで、最近はこんな馬鹿しか居ない。それも、自分のせいだ。
ゲスは、悪いとは言うが、遊んでいるだけだ。一番悪い遊びをやっている。
ゲスを悪いと思えば分かる。ゲスには悪いが、ああいうおかしな子供を悪いと思うと、それで分かる。そのために存在しているように見える。
そういうわけで、ゲスも良い人間だ。悪いとは言うが、あまり悪くない。そういう迫害者を愛していると、分かる人間が多い。ゲスが自分をいじめて、自分はゲスを愛する。
ゲスには悪いが、誰でもそういう風に分かる。ヒールの代表格だ。
むしろ、ゲスも色々と悲惨なようにしか見えない。いじめどころか、いじめられる側に見える。社会からつまみ出されて、適応出来ないのは、悲惨だ。辛いから、優しくすべきだ。
ただ、僕はゲスの極みも好きだ。あれも、きちんと賢いことを言っているように見える。
昔は、ありえない認識論が多かった。神の眼と言うよりは、全ての時間を見通す眼、見たいにしていた。そういうことを言えば、哲学者に見える。
信じるものは賢くなる。楽だと思えば楽になる。
神と悪魔は同じだ。神は、姑息に戦う方法を教えている。自分が一番姑息に戦っているから、戦っている。そういう、必要なところを全部やっている。手助けしているだけだ。
あとは、日本人は、一番死にたい人種だ。自分からどんどん死んで行く。
そして、認識は、フィルターと経験を記憶で分かっていた。そういうわけで、これで良い。
もう、書かなくて良い。もう終わりだ。書かなくなってからがオーディンだ。
認識論が多かった。真理のような認識論を経験から書いていた。
あとは、このまま堕ちていく。それで、すぐに賢いことが分かる。
小説を読んだ方が良い。小説を読まないから、賢くならない。
世界史は、もう読まなくて良い。アジアなんか、読みたくない。
あとは、もう昔は要らない。昔は消した方が良い。
あとは、馬鹿になる。これで馬鹿になる人間が多い。
昔から、自分は賢い。昔は、15歳で50歳のオヤジぐらい賢かった。
本当に、キリストみたいに、本当に賢い人間だった。
ネットの経験と理性的な考え方だけで分かった。色んなことを経験して、考えた。
だが、あれは悪い。善悪の区別のつかない、Linuxなんか何一つ出来ない人間だった。
善悪なんか、自由で分かっているだけだ。マスターみたいな善人だったが、その後に悪の極みのような革命をした。皆を倒したかった。おかしいだけの18歳だった。
最近が一番賢く見える。ロキが確か23歳で、今は27歳だ。本当にきちんと人生経験をして、賢くなっている。一度何も分からなくなったのは、馬鹿では無い。そこまでの自分が全部消えただけで、ただネットを消したかっただけだ。賢い人間になった。
おかしくはない。昔は、ハッカーみたいな、破壊者のようなネットのオタクだ。一番悪い。
15歳で、世界を変えてやると言う野心を持って、哲学的に社会のことを考えた。
17歳で、自分が破壊した、おかしなWikiを、自分の手で直すと言う、悪いことをした。
18歳で、世界に戦いを挑んで、おかしな革命をした。
20歳で、神との対話をした。
21歳で、本を出版した。もう全て分かっている。
23歳で、自分の全てを詰め込んだ、集大成のロキが書けた。
その後は、27歳まで、4年間毎日文章を書いた。毎日、ほとんど休まず書いている。
そして、それで自分の人生だ。本当に良い人生だった。そういう人生を書いていた。
あとは、21歳で、足を骨折して入院した。狂っているのが楽になった。
本を出版出来たのは、一番良かった。あの本は、考えたようで、考えていない。ただ、賢い詩が簡単に作れるから、作った。多量に作った。そういうわけで、簡単だっただけだ。
あとは、哲学や歴史や政治経済のようなことを、27歳までの執筆期間の中で考えた。
引き篭もり時代、孤独なのに全世界を知っていた。ネットで世界を知って、身近なことから、色んな社会のことまで、全ての世界を知っていた。
詩は良い詩が書ける。英語も頑張っているし、本も読んでいる。自分は、本当に幸せだ。
ただ、これでは馬鹿な人間に見える。大して分かっていないように見える。
本当に馬鹿な人間だったから、それで良い。賢いせいで、コンピュータのことが簡単に出来ると勘違いした、馬鹿なネットゲームの知性のある人間だった。
昔は、反抗的な人間だった。そういう馬鹿が、バルドルだ。ただのクズだが、洞察力とビジョンがあった。哲学的ではない。あれは、マルクス的だっただけだ。
昔は、体験を全員分していた。遊んでいるだけだったが、創造的な経験で真面目に考えた。
最近は、学者みたいになった。革命で遊んでいるだけが、そのまま仕事になった。自分の糧になった。哲学と歴史の学者のようになっている。哲学者が本当に分かっている。
これから、何をするのか、まだ考えていない。マイナーなロックは、本当に止めた方が良い。フランス史も悪い。日本史とカントとヘーゲルをきちんとやった方が良い。デカルトでも良いが、自分にはヘーゲルが一番合っている。ただ、カントはあまりしたくない。
日本史とデカルトが良いと思う。デカルトをやっていると、本当にそこまで世界のことが分かる人間が多い。当たり前に、数学的、デカルト的に考えれば良い。
あとは、日本史なんか、しなくて良い。デカルトだけで良い。それが普通だ。
デカルトの方法序説と省察は家にあるから、読めば良い。方法序説はいつかいくらか読んだことがある。あまり難しくは無い。デカルトは、どこでも文体が簡単で、本が薄いのが有名だ。カントとヘーゲルは、大学でしか出来ない。純粋理性批判と、精神現象学は、本当に難しいし、厚い。それに、そんなものはしなくて良い。デカルトだけで、昔と同じになれる。それこそ、悪くない。Linuxやプログラミングとデカルトが同じだ。
デカルトをすることにする。ただ、原著は難しい。入門を買った方が良い。明らかに、原著には何も書かれていない。言っていることの意味も分からない。
だが、デカルトはそうでもない。あれは易しい。原著でも分かる人間が多い。誰もがデカルトをしているのは、易しくて、それで賢いからだ。
デカルトは、父親が言うには、間違いなく、正しく考える方法を考えた。考えて、疑って、書いた。我思う、故に我ありとは、そういうことを言っている。
デカルトで分かる人間が多い。むしろ、自分のような馬鹿には出来ないように見える。もっと賢くて、分かる人間が出来るように見える。そうだと悲惨だ。
ただ、カントとヘーゲルも捨てがたい。普通、カントのように考えていると、ヘーゲルになる。それで、分かる人間が多い。自分は、デカルトより、そちらの方が向いているところがある。フランスの理性やイギリスの経験より、ドイツの観念的な精神が好きだ。
カントとヘーゲルの本は、入門本がある。不思議と、読んでも面白くない。あまり新しい発見が無い。そうでもない。ヘーゲルは、自分が読むと、自分の人生みたいに面白い。
そういうわけで、デカルトだけやれば良い。
昔、Linuxの調査研究をして、UNIXの一般的なシステムが分かった。
そういう、研究のようなことをすれば、楽しい。それで賢いから、同じことをすれば良い。
昔は何も賢くない。何もしていない。肝心のコンピュータが出来ていない。あれは馬鹿だ。
だが、色んなことを考えた。それは、デカルトをやると、もっと賢く出来る。
ただ、デカルトなんか、分かるように見えない。冗談かもしれないが、父親も昔読んで、理解出来なかったと言う。言っていることの意味が分からない。
よって、哲学はしなくて良い。もう終わっただけだ。
何もしないなら、小説でも読めば良い。それで良い人間が多い。木田も若いうちにドストエフスキーしか読んでいない。その後に、何かに目覚めて大学受験して、ハイデガーの哲学者になっている。そういうわけで、小説を読むのが良い。何か分かる。
昔は、引き篭もりの実体験から思惟して分かる人間だった。
これでは、昔の馬鹿に見える。こんな馬鹿にデカルトは出来ない。
最近の賢い人間を見ると、デカルトでは簡単すぎるように見える。
難しいヘーゲルの方が良く見える。ただ、ヘーゲルはもう、自分で同じものを書いて終わったようにしか見えない。
そういうわけで、哲学なんか、しなくて良い。
もっと、普通のことを分かった方が良い。コーヒーやお茶のことを考えた方が、デカルトを考えるより、良く見える。
自分は分かっていない。東大に入ってしまえば良い。あとは、東大の教授が考える。
本を読みたいなら、入門をすぐに読めば出来る。誰でも出来る。見れば、賢いことが全部書いてある。見ないのがおかしいだけだ。あまり意味が無いから、つまらないだけだ。
東大に入れるわけがない。つまらないから、放送大学で単位を取るしかない。
自分は、つまらないのに悪いから、虫みたいにキモイ。こんな馬鹿には何も出来ないようで、色んなことが出来たから、自信を持った方が良い。
デカルトは、こういう、自分で色んなことをきちんと考える人間が出来る。
今日はまだしないが、ユメタン0が終わったから、ユメタン1をすることにする。
本格的に、難しい単語が多い。
反復は、しない。何故か、したくない。最後まで終わってから反復することにする。
ユメタン1をやってから、ユメタン0に戻って、知らない単語だけすれば良い。
要は、反復なんか、しなくても出来る。しても覚えないから、しなくて良いだけだ。
Linuxに関しては、コミュニティや掲示板を見たり、Wikiを書いたりしていた。
文章は、物理的帰納法と、ウィトゲンシュタインのような明晰構造ぐらいを書いている。
やることが無い。数学をやれば良いように見える。哲学は、もう完全に終わっている。
自分は、賢い。きちんと頑張っている。そこが賢いのが自分だ。
これなら、自分の文章なんか分からずに、人生と宇宙のことが分かるだろう。
皆の経験と自由と人生を考えて、構成員と組織と合意の経済学を作っていた。
何故か、本当に経済学のようなものを作っている。マルクスより賢かった。
洞察力と想像力と論理的に考える能力があった。
英単語は、まだ続く。これで、もう確実に出来る。
自分は、本当に100%出来た人間だ。
あとは、経済学とは言うが、2ちゃんねるで社会論みたいなことを分かった。
色んな労働的な経験があった。それで、社会の生成のようなことを全部分かっていた。
そういう文章を書いていた、馬鹿が多かった。
英語をやりながら、数学と政治経済を少しずつやりたい。それが一番生きられる。
実現と生成の経済学から、具体的な社会を知って分かっていた。そういう経済学だった。
心理学も多かった。全員の心理を知って、全員を吸収して、支配出来る人間だった。
あとは、「かもしれない」などを考えて、未知の発見を分かっていた。
カントと同じだった。未知の発見を、既知の推論から分かる、哲学者だった。
あとは、もう無い。あとは、単純に戦っていたぐらいが多い。
そろそろ書くことも無い。完全にそれくらいしか書いていない。終わりだ。
あとは、プラトンのような発想を、自分の身近な経験から分かっていた。
もっと、忘れた方が良い。これ以上は、新しいことはしなくて良い。今あることだけを、堅実に続ければ良い。昔のことは、そのうちきちんと正しく分かる。
社会や環境のことを、実際の視点に立って、方法や経緯や判断力から分かっていた。
あとは、普通に世界のことを言う。
人間や社会の個別性と普遍性や、時間における移り変わりなどを書いていた。
そして、理性的に考える。
何故、どうしたら、どう出来る、そうであれば、なければ、などを考えていた。
むしろ、デカルトなんか、したくない。一番おかしく見える。
数学もしたくない。政治経済はしたい。英語もしたい。歴史はしたい。哲学はしたくない。
そういうわけで、経済学、歴史、英語をすれば良い。
本当に、そうした方が良い。数学は、しなくて良い。昔パソコンで分かっている。
高校数学なんか、一切したくない。出来なくなるのは、出来るのが馬鹿だからだ。
学校で数学なんか、教えない方が良い。その方が賢い人間になる。
大人になると、そこまで忘れる人間が多い。昔証明なんか、きちんと中学生時代に分かっている。今さらしなくて良い。数学は要らない。Linuxの方が本当に賢い。
自分の行動から具体的な社会まで、社会哲学を具体的に作って考えていた。
ヘーゲルは、そういうことをしているように見える。それこそ、法の哲学も賢い。
良く分からないが、あとは、成長しながら、人間の段階的な人生のレベルを分かった。
それと、色んな人間が、経験的に、それぞれただの馬鹿なのを分かっていた。誰も、賢くない。ネットには、ネット歴が未熟な人間が多い。それをネットの経験で吸収していた。
あとは、本当に考えただけだ。本当にそこまで考えていた。
ネットの環境だけで、本当に経験で全て分かった。体験的に世界観を知った。
情熱や革命的衝動から、全ての価値観と人生を知った。そういう人間だった。
あとは、社会の考え方のようなことを言う。
一体と独立、頂点と包括、経験と理性、1人で行うか、集団で行うか、などを言う。
そろそろ無い。そんなものをいつも書いていた。結構、ある意味、数学的だった。
あとは、意志や記憶や関わり合いを考えた。それで出来たのが哲学だ。
ネットで経験していると、本当にヘーゲルと同じことを全部やるようになる。
社会的な経験と目的が、行動から分かって来る。
制度とか、習慣とか、法則とかを、ヒュームのように考える哲学的思惟が多かった。
客観視など、ものごとを正しく見る方法から、哲学が分かっていた。
何でも、実際のところ、宇宙的な真実を考える。社会についても同様に思索していた。
ヘーゲルのように、精神の成長を考える哲学が多かった。
ヘーゲルと同じだから、ヘーゲルと思えば分かる。2ちゃんねるがそういう風になる。
あとは、もう無い。そろそろゲームオーバーだ。もう書けなくなる。
考えたのは、引き篭もりという時間的な余裕と、パソコンと言う研究手段があったからだ。
ネットで、マイクロソフトに対抗するために頑張っていた。2ちゃんねるを味方につければ出来るように見えた。だが、それは悪くは無かったが、行いが良くなかった。Wikiを自分勝手に改変して、自分のもののようにした。それはいつも反省している。
あとは、善悪のことを理性で分かる、カントの道徳論のような人間が多かった。
Linuxのために、本当に頑張っていた。子供だから出来る発想が一番多かった。
あとは、2ちゃんねるだけではなく、ブログやニュースなど、会社員のように色んな情報源に接していたが、昔は2ちゃんねるブラウザで、皆のレスを見るのが好きだった。
あとは、もう無い。フリーソフトやゲームが作りたかった。今考えると、一番馬鹿だ。
基盤を自動化するとか、遠隔操作にするとか、自動的に処理すると言う発想が好きだった。
今日ももう寝る。色々と、新年にはなったが、楽しいことはあまりない。
今年は、姪がそろそろ日本語を話し出すかもしれない。それが一番楽しみだ。言い聞かせれば、僕の本も理解出来るかもしれない。そうすると、僕の人生から、参考になることが何かしらあるだろう。それで、賢くなるかもしれない。今のところ、まだ話せていない。
あとは、瞑想や悟りが多かった。哲学的に思惟しながら、精神を経験から分かった。
最近は、完全に裏で支配しながら、世界に悪いことを言って、革命のようなことをしていたが、それは、自分が見てもおかしいぐらい悪かった。それこそ、いつか、本当の解決をするはずで、それは本人である自分しか出来ないと思って、それで戦っていた。
もう、止めた方が良い。その戦いは、今、そろそろ終わりにする。
皆、自立して、生きよ。世界は、停止し、治れ。
それくらいで良い。戦争と革命が多かったせいで、認知症みたいな馬鹿になった。
あとは、価値が多かった。価値の共有を考えていた。人生で、価値を考えた。
そういう、価値の共有のモデルのようなものを作っていた。
今日も、そろそろ寝る時間だ。もう、これ以上書かなくて良い。もう止める。
あとは、共感、有用性、悪、のようなものをいつも実感で考えていた。
改革と啓蒙と時代の必然性が好きだった。いつも、それくらいを文章にしていた。
本当に変わる、ダイナミックな時代に生きた、1人の思想家だった。そういう風に、この社会のことを、広く、深く知っていた。それを書いていた。
歴史は、出来ない。哲学をやった方が良い。
あとは、ゴミのような文章を量産していた。皆の経験を書いていた。
馬鹿と一緒に居ると、馬鹿になる。昔は、2ちゃんねるを見て、色んな人間と付き合ってはいたが、馬鹿と一緒でないせいで、賢くなった。高校生は、馬鹿になる。自分は、一人独立して活動することで、哀しい代り、本当に賢く理性的に人間のことが分かった。
あとは、ボトムアップ、独立、多様性、共有など、社会生成的な文章を書いていた。
文章で会社を作ったりしていた。論理的に考えて、その立場になって発想していた。
そして、真理の考え方のようなことを言う。色んな場所に実地的に存在する考え方を、全体の構造と網羅を作って、分析して考えていた。人生と社会実現を考えた。
昔は、現実社会的、現実人生的に、哲学的に考える人間が多かった。
重要度をつけて考える。左翼のデモより、戦争の方がはるかに怖い。
あとは、挑戦して考えていた。
もう、多重人格になる。不思議と、10分ぐらいで、別の人格が話している。怖い。
もう、死んだのと同じだ。そろそろ楽になった。
現実世界の社会と人生の道理のようなものを考える。そういう哲学者だった。
マスターのように、行動や経験や心理が分かる人間だった。
今日も、もう寝る時間だから、終わりにする。そろそろ、信じて終わりにすれば良い。
理性的、実地的に、行動、経験、結果、関係、必然性、必要性、意味を論理的に考えた。
そういう、自由で現実的な社会の理を分かっていた。
実地的に考えて、国家モデルを作った。そして、それぞれがどのようにすれば可能性を高められるか、成り立つか、などを考えていた。そういう、道理の分かる人間だった。
それくらいしか書いていない。そういう文章が多かった。
昔はもう分かった。場を意識で、根源的に、空間的に分かっている。反省して、その場に立って、空間を感じて分かっていた。
新しい神話にする。多重人格は、ギリシャ神話の神を使えば良い。ゼウスとヘラとポセイドンとアポロンが対話している。不思議と、そんなに居ない。本当に4人ぐらい居るような気がする。もっと居るかもしれないから、アルテミスやヘラクレスも居るように見える。神は、そのギリシャ神話を正しいと言っていた。交互に、10分ぐらいずつ話している。いつも、辛いだけのポセイドンと、悪いだけのアポロンが、怖い。
昔から、自分は極めて人間経験が多い。こんなに人間的な人間は居ないと思うほど、人間的だった。だが、そうでもない。壊れた機械のようになることが多い。
多重人格は、繰り返しになっているだけだ。最初から、順にローテーションするだけだ。