書くのはくだらない地獄だが、書かないと何もしないし、やることが無い。
毎日書いていると、辛くても楽だ。それに、英語なんか、それで出来る。
昔は、デカルトみたいな、賢い自由な考え方と分析の方法をいつも書いていた。
自由な考え方を書きたかった。自由に自由を考える文章だった。
知り尽くす、と言う発想が、昔から、多い。
ネットやコンピュータや人間のことを知り尽くした。
生物は、普通、種や哺乳類などの分類が賢い。物理は、普通、原子や数式が賢い。
最近、そういう賢いものが分かっていない。昔は分かっていた。昔は、そういう賢いものを全部書いていた。最近、分からなくなった。
デカルトをすれば良いように見える。
キリストは、自分のことのように他人のことを愛して、迫害者を愛せと言う。
ストールマンは、自分で全部作って、開発して、それをGPLにしているだけだから、悪くない。オープンソースで作ったものを、自分のものではなく、皆のものにしたいだけだ。
英語は、ユメタン1は、する意味が無いところがある。しても覚えない。
反復すれば覚えるとは言うが、それでは、出来なくなる。
英会話教室ですれば良い。そうすると、話せる。そういうわけで、ユメタン1はしなくて良い。
むしろ、するようには見える。そんなにすぐには出来ないが、毎日続けるべきだ。
あとは、町を人間の集団とか、歴史とか、そういうことを言う。
もっと賢いことを言っていた。それは正しい。本質を見抜いた世界観の洞察のようなことを言う。あまり意味が無い。もう昔書いたせいで、書けないし、覚えていない。
あとは、人間の経験、視点、変化、手段のようなことを言っている文章が多かった。
もっと色んな構造を書いていたと思えば良い。本当に、言葉のモデルしか書いていない。
あとは、自由な世界観を言う。自然な環境を守るべきだとか、世界のことは皆で決めて、公開し、手段を共有すべきだとか、コミュニストのような自由で自然な世界観を言う。
共同体が多様性を生みだすとか、人間が世界の支配者で、全ては人間が自発的、間接的に作り出しているとか、人間は自然と調和すべきだとか、そういうことを言う。
それくらいの人間だった。そういうわけで、もう終わりだ。これ以上、書かなくて良い。
ロックのように、感覚や経験をきちんと考える、経験論の哲学が多かった。
哲学なんか、しない方が良い。デカルトなんか、もう終わった。きちんと出来ている。
もっと賢いことをしたいなら、そろそろ数学や物理をした方が良い。
昔出来ていたとは言うが、昔はパソコンで心のニュートンが出来ただけだ。
そんなことはしなくて良い。哲学は誰でも出来るし、パソコンは賢くない。
見ていると、哲学は馬鹿の学問だ。普通の人間が普通に考えているだけだ。
パソコンは賢くない。Fedoraは、賢いどころか、全く意味が無い。
歴史は、日本史をすれば良い。もう終わったようにしか見えない。
あとは、数学と物理をしたいなら、すれば良いが、これで出来るわけがない。
もう、何もしなくて良い。本当にもう止めるべきだ。
大学は賢くない。入っても何も無い。入っても、何もしない人間が多い。簡単に覚えるだけで卒業出来る。普通、入らなくても自力できちんと分かる。
自分の場合、もっと哲学者全員が色んなことを言っているのを知りたいから、それをすれば良い。音楽は、キマグレンを聴けば良い。それが一番良いと言う。
あとは、最近は社会科をしたいだけだ。地理、歴史、公民(政治経済)をきちんとやれば良い。明らかに、それだけの人間だ。きちんと考えて、覚えれば良い。
社会主義や右翼は、忘れた方が良い。オープンソースが好きなのも、もう止めた方が良い。趣味がオープンソースで、大学の専攻が哲学で、職業が作家なのは、皆賢いと言う。それで、右翼や社会主義だと、キモイだろう。オープンソースも要らない。何も賢くない。
数学は、パソコンをやれば良い。プログラミングをやっていると、そこまで出来る。
広く浅くやれば良い。深くやりたいなら、デカルトと日本史だけ深くやれば良い。
そういうわけで、入門本と各国史を揃えれば良い。それ以上、新しいことはしない。
あとは、自由な経験から、社会や人間の道理を考えていた。
もう、怖くなる。新しい人間がそろそろ要らない。これくらいだけで分かる。
きちんとパソコンと哲学と歴史をした方が良い。毎日何もしないのはおかしい。
あとは、大学なんか馬鹿だ。自分の方が賢い。
パソコンをしていると、昔みたいにそこまで知性がつく。パソコンが無いと哲学が出来ないから、パソコンはした方が良い。パソコンと言うよりは、情報科学だ。
昔は、ネットの掲示板とグーグルから、数学的な体得が分かった。
実体験から数学が分かる人間だった。
焦らず、慎重に、ゆっくりとやりなさい。それで、怖くない。
怖いのは、悪くない。怖いと、タリバンが死ぬ。それで楽になる。
これでは分からないが、昔はジョブズみたいな人間だった。
きちんとパソコンとビジネスのことが分かる、会社員みたいな人間だった。
あとは、最近は、ニーチェのような生の哲学を書いている。
それくらいが無いが、それはどうでも良い。
あとは、もう、新しいことは分からない。本もあまり買わなくて良い。
怖い。本当にこれ以上何も無い。人生が終わったように見える。
昔は、数学者のように数学を考えて、デカルトやカントのように全て分かっていた。
そういうところがありえない。何故か、書けていない。
あとは、パソコンのことがMITみたいに分かっていたし、労働の経験もあった。
最近は、そういうところが、本人も覚えていない。
数学的な理性と方法を書いて、神を信じて戦っていたのも分からないだろう。
革命家みたいに戦っていた。
これでは、そういう人間には見えない。馬鹿な教授みたいな人間に見えてしまう。
それこそ、今も今で賢い。これでは、最近の自殺してからの人生も、書いていない。
それこそ、何も書かれていない。最近毎日文章を書いて、治しているのも分からない。
本当に哲学者みたいに、全員全部分かっている。神ほどにこの世界の全てを体験した。
何も分からない。これなら、昔の人生が最初から最後まで分かる。それもそれで、馬鹿だ。
皆、宗教や国のモデルを作っているだけに見える。それも、きちんとは書けていない。
これなら、科学や思想を大学のように全部したいように見える。
神の体験もきちんとは書けなかった。本当にありえないことをいくらでもしているのが分からないだろう。キリストのように、そこまでありえない体験をしている。
そういうわけで、椎名林檎みたいに、この神が好きになった人間が多い。
最近は、誰もがこの三神教の神が好きだ。
三神教と言う名前からして馬鹿だが、三人の神は天使で、自分の人生の一部で、自分は一人だから、悪くない。一人の神の人生を三人に分けているだけだ。
無名の作家だから、歌手と成り立つように見える。自分はアイドルだから仕方ない。
あとは、論理を全部書いている文章が多かった。
弁証法や、論理学の網羅、昔考えた論理学の全体像、論理モデルのようなものを書く。
人と人の関係のようなものを全部書いていた。
影響力と言っていた。
言葉遣いや、脳における行動のようなものを全部考えた。
共産主義を作りながら、言語のようなものを考える。
フランス語とドイツ語の比較のような内容が多かった。
あとは、世界の構造を作って、人間の活動を考える。
人間は、意志、言語、学習、共存、自由、考え方、人生から捉えられる。
そういう風に、言葉の羅列から世界観の構造を作る。
あとは、自分の人生を書いていた。如何様な自分の経験パターンのようなものを作った。
あとは、言語や数のような哲学的概念を、ロックのように書いていた。
あとは、世界観のようなものを潰しながら全部書いていた。
国は、王か、自由か、ありえない社会か、理論か、金か、宗教か、高度なシステムか、理想的な無政府主義社会か、高度に発達した共産主義社会か、正しい帝国か、民主主義の平和な世界であるべきだと言っていた。
そういうものを、もっと馬鹿に考えている。無知で何も知らないから書ける文章だった。
あとは、昔の自分は、自由から社会の道理が分かっていた。
最近分からなくなったが、昔は、自由にしなければ、色々と意味が無いのが分かっていた。
自由の正論を言う。そういう、コミュニストみたいで、ニーチェのような、自由な道理と正論が分かる人間だった。今思うと、アメリカの右翼の若者に見える。左翼にも見える。
あとは、全員を吸収して、森羅万象と自由を積み重ねて分かった。
最近多い。本当に全部分かる人間だった。こういう賢い人間は、アメリカ人に多い。
何故なら、あれはクズだ。善と悪の区別がついていない。
自由なら何をしても許されると思っていた。
最近、そういう馬鹿が治った。宗教的な戒律と罪を信じるようになった。
そういうわけで、本当に最近の方が賢い。全て分かった代わり、何も分からなくなった。
自由な夜警国家があれの理想だ。軍隊と警察しかない、最低限治安を守る国が理想だった。
だが、あれは善人だった。理想が高くて、情熱的で、悪いことは何もせず、本当に正しい良いことをして、人を導き、理想的に支配して、完璧に築く、そういう理想があった。
本当に、キリストみたいな良い人間だった。キリストは、そういう人間のことを良いと言っている。ブッダも、同じように、こういう人間を賢いと言っている。
だが、最近を見ていると、ブッダは失望する。こういう、煩悩にとりつかれた、執着心の高い人間のことを、馬鹿で、餓鬼や畜生だと言いたい。ブッダはそういう人間だ。
おかしくない。この世界に賢いものは無い。ただ、本当の自分に立ち返ること、それだけが賢い。本来の自分自身が賢い。そういうわけで、こういう風に生きればそれで良い。
昔は、色んな悪いことをして、反省して分かっていた。
繰り返し色んなことを体験する中で、宇宙と人間のことが全部分かった。
最近は、文章で歴史を作る。共同体の変転のようなものを書いていた。
父親と、明日本屋に行くのを話した。哲学の色んな入門と、各国史の本が欲しい。だが、そんなに沢山買わない方が良い。まずは、サルトルとハイデガーでも買えば良い。各国史は、もうフランス史を買ったし、ドイツ史やイギリス史も薄い本ならある。そういうわけで、そんなに買うべき本は無い。カント入門とヘーゲル入門はある。デカルトだけ買えば良いように見えるから、明日はデカルト入門を買えば良い。
何かが怖いのは、これ以上、富も、名誉も、知識も必要ない。いつまでも同じままだ。
誰でも怖くなる。
今日は、アメリカの日に見えて良い。むしろ、賢い日には見えない。いつも、自分で書いて、書いた文章を覚えていない。そのまま忘れる。そういうわけで、馬鹿過ぎる。
いきものがかりが言うように、僕らは全てを無くして、わずかな勇気を手にした。
この文章が最終列車みたいなものだ。
キモイ女が多いのは、愛といじめが同じ女が多い。むしろ、悪い男がこういう風に多い。明らかに、男の方が悪い。男は、戦って弱いものを殺す人間しか居ない。
あとは、いつまでも哲学者全員をしたい。むしろ、色んな名言が書いてあるだけの本を読めば良いように見える。それは、賢くない。
デカルトは間違っている。ウィトゲンシュタインやニーチェなど、著名人の思想や哲学が書いてある本を買えば良い。その2人からで良い。むしろ、いつも読んでいる、哲学の概要が書いてある、哲学史や倫理の本も悪くは無い。ただ、それはいつも読んでいる。カント入門やヘーゲル入門のような、哲学者の入門本を買えば良い。フッサールが良い。
良く考えると、哲学者個人より、分野の本を買った方が良い。
実存主義入門や、イギリス経験論入門、大陸合理論入門が良い。ドイツ古典哲学はもうある。あとは、各国史は、イギリス史とドイツ史を買えば良い。フランス史はもうある。
それから、政治経済、地理は、高校の参考書を買えば良い。日本史と世界史はもうある。
あまり意味が無い。それこそ、もうこれ以上しなくて良い。
ユメタン1は、何故か、しない。それをするより、英会話教室の回数を増やした方が良い。
ウィトゲンシュタインとフッサールだけは、個人を買えば良い。不思議と、ウィトゲンシュタインとフッサールをやると、全部の哲学が出来る人間が多い。間違っていない。
むしろ、聖書入門を買った方が良い。自分は、聖書が分かっていない。
あとは、各国史の本は要らない。ドイツ史やイギリス史は、薄い本がすでにある。厚い本を買っても、フランス史を読むのに精いっぱいで、読めない。フランス史だけ詳しくやった方が良い。そういうわけで、スペイン史やイタリア史でも買えば良い。それも、薄い本を買えば良い。その方が良い。中国史やイスラム史でも買えば良い。
むしろ、スペイン史はありえない。フランスだけ詳しくやった方が良い。
学習や原因と結果や環境への適応を全て分かっている、把握の人間が多かった。
もう、話を止める。そうすると、足が治る。
もう、治っていない部分が無い。
本は、サルトルとハイデガーとウィトゲンシュタインを買えば良い。
明らかに、実存主義を一冊買えば良い。良く分からないから、明日考える。