昔から、世界を変えるような発想が多い。
生産手段、研究手段、社会参加、会社が世界を変える、のようなことを言う。
歴史、制度、経験のような視点で、世界の変化を考えていた。
社会、価値観、人生、経験のようなことを、何か言いたかったが、忘れた。
批判すると分かる。カントの批判哲学のように、批判していると分かる。
批判は悪くない。批判していると、分かる人間が多い。
批判ばかりしていると、ヘーゲルのようになる。
私を批判せよ。
自分を批判するのが怖いせいで、皆馬鹿になっている。
本当に、この神を批判するのは怖い。
自分にも、昔そういう発想が多かった。自分をコテンパンに批判することで、誰も自分を批判出来なくした。代りに、自分をいじめるようになった。それもそれで、辛い。
基本的に、悪い人間は居ない。悪い人間は、こういう人間が多い。
悪い人間は、馬鹿が多い。馬鹿は、悪くならないと、賢くならない。
戦争は悪い。無意味に死にたくない。だが、自分の意に反して、戦争し、戦うしかないことは、人生の中で1度ある。自分の信念を証明するために、意に反した戦争をする。
神との対話に書いてあるように、それは神聖な二分法である。
意に反した戦争は、しなければならない。それが、一番多かった。
日本語は、形容詞や名詞より、動詞が賢い。だが、形容詞は、子供から見て、分かりやすい。誰でも形容詞の方が賢くなる。
アポロンになると、何もしなくなる。ポセイドンになると、色んなことをするようになる。
世界の様相を考えていた。スピノザの言うように、世界を永遠の神の相から見る。
賢い人間を生み出す土壌を、環境、学校、宗教の視点から作る。それは難しくない。
部分化、命題、数学的方法、法則のような、理性のようなことをいつも言っていた。
右翼を批判していると、賢くなる。皆、右翼を批判すると良いだろう。
この世界の全てを批判すること。明らかに悪い存在がテレビのように多い。
テレビは、最近見ていると、おかしい。批判され過ぎるせいで、悲惨になっている。
批判なんか、しない方が良いところもある。ただ、傷つき、疲れるだけだ。
あとは、自分を批判し、文章を誇張し、心を支配するような、そんな文章だった。
あとは、ニュートン力学から自動車が生まれた、と言うような、推論的創造のような文章が多かった。ただ、厳密に言うと、自動車はガソリンとエンジンとタイヤで動いている。ニュートン力学ではない。タイヤで動いているのが違う。
だが、そういう風に、推論から世界の全てを創造していた。そういう文章だった。
この世界は馬鹿だ。政治家とタレントとマスコミとパソコンとネットを批判した方が良い。
この世界をその通り創った。自分の通りの世界で、世界の通りの自分だった。
その通り理解すれば、分かる、言葉の創造の文章を書いていた。
昔は、経験が多かった。いつ、誰が、何を経験して、考えているかを全部知っていた。
批判は、左翼や教育や低俗な文化関係者や宗教家や資本家や会社社長にも及ぶ。
だが、最近、そんなに批判して、いじめても、意味が無いのが分かる。
最近、自分は、批判なんかしない。全員を受け入れて、好きにさせて、自分で導いている。
これでは、経験的な人間に見えるが、昔はデカルトのような理性的な人間だった。
デカルトのように、理性、推論、実験、予測で分かっていた。
カントのように、理性批判で分かっていた。
ヘーゲルのように、弁証法的なものごとの道理の段階で分かっていた。
環境を推論していた。家には、外からは何も見えないが、中には人とものがあって、それぞれ違う環境の中で、皆、それぞれ生きている。ゲスの極みが言うように、私以外私じゃない。そういう、当たり前のことを良く考えて、推論すれば良い。
日本語が賢い。人間は、言語をきちんと頭で分かる。言葉を全部覚えている。
そういう風に、理性的な推論をして分かれば良い。
実験と予測を良く考えて行えば、知性とモデルから、未知のことが発見出来る。
世界を、理性的に、推論から捉えることで、デカルト学者のように、全部のことが分かる。
確かに信じながら、疑うこと、正しい考え方をすることで、何でも分かる人間になる。
あとは、ヒュームと思えば良い。自然法則を良く観察し、何がどうなるのかを分析することで、知のどれぐらいの部分が人間が変えられて、どれぐらいが普遍的なのか分かる。
もっと、理性的に、論理的に考えれば良い。三段論法や因果性が分かって来る。
理性的に、デカルトのように、色んなことを理性で考えていた。
そして、それを書いていた。概念と本質の網羅から、論理学と認識の段階を書いていた。
デカルトが言っているように、本当に正しいと分かっていることから、間違いなく推論したものだけが正しい。ヒュームが言うように、複合観念はペテンだ。そういう風に考えるしかない。自分は、あまりに不確かな都市伝説を作る。もっと、正しいと思ったものだけを考えるようにした方が良い。確かなのか、不確かなのか、分からないものは要らない。
デカルトみたいな、何も分からない人間に、分かる人間が多い。
デカルトがあまりに分からなくなった。全て分かっているせいで、ありえないことを言う。デカルトがありえない考え方をするのは、おかしいと言う人間が多い。正しいどころか、考え方が間違っているところがある。そういうところが嫌いな人間が多い。
デカルトの哲学は、推論的な正しい考え方、我思う故に我あり、精神と肉体の二元論、そして生物の機械論などがある。それくらいの哲学だから、そこをきちんと考えれば出来る。難しくは無い。きちんとデカルトと同じように、正しいと分かっているものだけから、正しいだろうことを分かれば良い。それだけだから、つまらないと思う。
カントを賢いと言うが、カントは、科学的方法の基礎、特に物理的方法が分かるだけだ。
哲学的に考えていると、ものは名前が重要なのが分かる。人間の作ったものに、名前をつけるのが賢い。同時に、名前なんかどうでも良いのが分かる。本来、人間がつけた名前なんか、宇宙に存在しない。本来、宇宙に名前なんか無い。
あとは、法則はいつでも、どこでも同じなのが分かる。そういう発想が哲学だ。
人間が作ったものには、共通認識と意図があるのが分かる。協調から世界が生まれる。
昔は、学校が嫌いだったから、名前なんか意味が無いと思っていた。名前より、意味や道理をきちんと考えるのが重要だと思っていた。想像力で実際を考えていた。
最近、名前をつけるだけで分かるようになった。人生に名前をつけていると分かる。最近と言っても、もうはるかに昔だ。それで、戦いながら文章を書いていた。
ジュースの名前がグレープでおかしくは無い。ジュースは沢山あって、その中の一つがグレープジュースで、その名前がグレープだ。
デカルトは、そういう風に考えているように見える。デカルトの考え方は、本当に分かる人間が多い。馬鹿とは言うが、真面目にきちんと考えているだけだ。誰でも普通分かる。
グレープジュースと言っていると、馬鹿に見える。デカルトは、もっと高度で、複雑で、高尚で、同時に実地的で、実直で、正しい考え方をしている。
物理学とは言うが、ただの数学だ。そういう風に考えるのは、最初だけだ。もっと、人間のことを良く考えれば良い。色んな本を読めば良い。デカルトと同じにしかならない。
そういう、色んな本を読んでデカルト、が不思議と、大学に多い。大学の通り読んでいると出来る。入門本でもいくらかのことは分かる。それこそ、東大に入れば良い。
ものは、実体で、区別と特性がある。
宇宙は、空間で、いつでも、どこでも同じ法則を持っている。
それくらいを考えれば良い。不思議と、分からなくて良いことは、分からない方が良い。
分からないことがいくらでも分かるせいで、何も分からなくなった。
昔は、本当にそれだけで宇宙の対象を正しく言い当てるような文章が多かった。
ネットをしていると分かる。正しく経験しながら、正しく言葉に言い表すと分かる。
ものには、普遍性と個別性がある。法則の通りに起きる。それが、そこで、ものや存在に見えても、実際の宇宙では、違うことがある。法則がその通り起きているだけで、その存在が本当に見た通りのその存在ではないことがある。
それ以上は、難しくなってくる。発見は、帰納的、演繹的に行われる。帰納的に行うのがルネサンス以降の経験論だが、演繹的に行うのがデカルト以降の数学的推論だ。
実体と帰納、演繹だけを分かれば良い。それだけなら、分かる。
あとは、存在と存在の関係性でも考えれば良い。予測している、と言う現象は、人間と言う他者との関係があって、初めて成り立つ。他者が居なければ、物理学は成り立たない。
あとは、発想法と心の構造を考えれば良い。
言葉にする前に経験と記憶のようなものがある。実際の経験は思考に先立つ。それは、両方成り立つ。実際に経験してから思考が生まれる。逆に予測の後に実際の経験で分かる。
今から、英単語をやる。
ユメタン1は、全部で1000単語ある。ユニットは10あって、1ユニットで100単語覚える。僕は1日20単語、1単語につき3回書いている。50日で終わる。ほとんど毎日やっているが、日曜日は休む。たまに休むこともある。
英単語を20単語やった。今から、ユメタン0のCDを聴く。
英会話教室にも行っている。毎週木曜日に、週1回行っている。予約を取らないといけない。
歴史の王朝や時代がどれも時代の最後で混乱を極めているのは、良く考えると当たり前だ。混乱によって滅びている。最後の方で混乱があったと言うよりは、混乱があったから最後に滅びた、と言った方が正しい。
歴史の本は、まだ朝鮮を読んでいる。むしろ、英語なんか明らかに出来ないだろう。昔のパソコンの経験のせいで、英語的な話し方は良く分かっている。知性の通り言うだけだ。
昔は、アメリカみたいな自由な経験と社会で分かっていた。英語が怖いのは、その昔のアメリカの経験を思い出すからだ。
怖いのは治らない。英語は頑張ったから、もっと他のことを頑張れば良い。
歴史はつまらない。本なんか読んでも意味が無い。何か活動的なことがしたい。
英語は、日本語のカタカナ的発音で予想するのではなく、英語の発音で予想すること。
それだけで出来る。ハーフもクオーターも、全部英語的な発音で考えるべきだ。
実際のところを考えれば分かる。歴史の時代のように、また、数学のように、実際の対象の姿と、環境の実存性を考えれば良い。そうすると、モデルが生まれて、昔が出来る。
アメリカは分かっていないようで、昔分かっている。昔の2ちゃんねるの自由な環境が、アメリカそのものだ。スラムとギャングしか居ない世界だ。自分が一番分かる。それに、ジョブズやサンのような、経営者や会社のことも分かっている。
自分で会社のようなこともしている。オープンソースで、ニュースを見てWikiを書いて、掲示板などで分かった。技術的なことも良く分かっていた。
そういうわけで、もう全部分かっている。今から、皆アメリカみたいになる。
家族などに知られることなく、一人勝手に分かっていた。それを自立だと言っていた。最近は、誰にもそういうことを言わない。一人銀河のように全部経験しているのが、誰にも分からない。何もしていない子供みたいな人間に見える。それも正しい。何もしていない。
自由が好きだった。だが、それは、昔自由な経験が好きだっただけだ。
最近も、自由と言って、革命のようなことをしている。
自由は悪い。そんなに、一番嫌いな昔のことを言うのがおかしい。
キマグレンが言うように、昔の自分を言うせいで、自分のことが分からなくなった。いつのまにか、僕が誰なのか分からなくなっている。おかしい。
そういうわけで、僕は自由は嫌いだ。今の世界の問題は、全部、自由が悪すぎるだけだ。
ただ、人権的な基本的自由は、あった方が良い。全部同じでは、機械に見える。ロックのような哲学的な経験の自由を分かっていると、それがイギリスやアメリカの思想だ。
ただ、昔は本当に賢かった。自由な行動と経験、人間の相対的な行動の自由で分かっていた。本当に、哲学者全員分より賢い、神のような人間だった。
おかしく、アメリカがそういう国だ。アメリカと一致する。アメリカには、そういう、クズみたいに賢い人間が多い。本当に神みたいに賢いクズしか居ない。
何も賢くない。あれは、何もしていないだけの、何も出来ない引き篭もりだ。
そういう哲学だった。アメリカは、賢い国だから、いつも一番アメリカが好きだ。
ただ、昔から見ても、自由は嫌いな方が良い。何故なら、普通、マイクロソフトやマスコミが自由だ。それらが嫌いなら、平等の方が良い。
アメリカが見ても、こんなものがアメリカなわけがない。
アメリカ人は、自由は誰もが嫌いだ。アメリカが見ても、自由は嫌いで良い。
英語の賢い点は、theをつけて「その」と言う意味にすると、具体的なそれだけではなく、他の同じものでも成り立つ。そういう、抽象的で数学的な言語だ。
フランス語は、もう出来ない。英語が出来る。
治ってしまうと、歴史や哲学はもう出来ない。治ると、忘れるようになる。ロックなんか、もうそのうちすぐに忘れる。世界史の登場人物は、もう、覚えなくなる。
まともになると、逆に、数学や英語が出来るようになる。文系は、そういう風に、おかしな馬鹿な人間になる。そういうわけで、今からは、数学、英語、政治経済が出来る。
英語のtheは、概念的ではなく、具体的、対象的なものを指すことが多い。これなら、aも分かる。何か、1つの具体的なもののことを指す。英語はそれだけの言語だ。
歴史は、本を読んで、書きながら、何もしないでいると出来る。
歴史は、おかしな人間にしか出来ない。それこそ、世界史はおかしな出来る人間が多い。
哲学は、普通の人間には出来ない。昔みたいな人間が出来る。
数学は、まともな人間なら、誰でも学校で出来る。
英語は、きちんと単語を覚えないと出来ない。難しいようで、書いてCDを聴けば良い。
あとは、政治経済は、普通、仕事をしていると出来る。ジャーナリストにしか出来ない。
そういうわけで、大学は何もしないでいると出来ない。全部出来て良かった。
学校へ行って、数学をするのが良い。引き篭もりの経験はもう十分だ。
アメリカやドイツは、2ちゃんねるが分かる。それしか居ない。ネットがアメリカだ。
日本語は、そろそろきちんと分かる。治って日本語が出来る人間が、一番子供に多い。治るまでが賢いのが、人間だ。そういうわけで、普通は何もしない。それで良い。
政治経済なんか、社会主義で良く見える。事前に全部作って、全員にほぼ無料で配給すると言っていたが、それは大量生産の方が良い。そういう経済モデルをいつも作っていた。政治経済は、本気で考えたのが自分だ。昔は、自由とモデルと経験で分かっていた。
そういうわけで、そろそろ数学と物理をした方が良い。普通、化学、生物、地学もするから、すれば良い。本は、父親が全部持っている。大学は放送大学で良い。
もう、これで文系は終わりだ。神のように分かっている、哲学の好きな理想の学生だった。
理系なんか、すぐに出来る。理系は、まともに覚えると、体得的に分かる人間が多い。
昔は、経験から理系的な考え方が分かる人間だった。
自分の経験から科学が分かっていた。自分で発想して、方法と考え方を経験から知った。
画家のセザンヌが、自然を円筒、球、円錐として捉えるべきだと言っている。
昔は、そういう、芸術のようなこともたまに分かっていた。
数学は、初歩から分かるしかない。イコールから考えれば分かる。
掛け算は、足し算に直すことが出来る。3×3=3+3+3=9である。この時、項とその個数が重要なのが良く分かる。誰でもそういうものは、小学校で分かる。
そこから分かるしかない。それこそ、その次は普通、分数と小数点を分かる。
分数は、時計や速度と思えば分かる。
分数は、掛け算の逆演算だ。25×4=100を、逆にしたのが、4分の1だ。
あとは、図形の面積や幾何学的な並行などを分かる。
引き算は、足し算の逆で、マイナスを処理する。
引き算は、たまに賢いところで出て来る。面積の差を出すのに出て来る。
あとは、普通、文章題が多い。割り算や掛け算を言葉で考えるだけだ。
もっと、証明やパズルのようなことをすると分かる。
ゲームをしていると分かる人間が多い。それから、普通、学習漫画を読むと分かる。
本屋を見ていると、ドラえもんの算数の漫画の本が売られている。そういうもので分かる。
大人が読むのは恥ずかしく見えるが、分からない方が恥ずかしい。
昔は数学も得意だった。その頃のことを思い出すと良く分かる。きちんと理解して、想像力で考えれば良い。塾には行かなくて良い。昔、塾に行かなくても出来ていた。
数学が出来ないと、日本語も分からない。日本語は、定義や証明をしないでいると、本当に分からなくなる。人間や社会のことも、定義と証明で分かる馬鹿しか居ない。
学校では、式の展開や因数分解を教えるが、それは分かっても意味が無いし、高度すぎる。
もっと低度な算数を良く考えた方が良い。いきなり因数分解をしても、何も分からない。
面積は、掛け算で計算する。2×4も、1×8も同じだ。
靴は、2足で1つだと考えると、掛け算が良く分かる。
5組の両足揃った靴の数は、2×5=10と考えれば良い。そういう発想が単位だ。
掛け算の値は、全部同じになる。数えるのも、面積にするのも、数的には同じだ。
物理学は、もっと単位のようなものから考えると良く分かる。
センチメートル、グラム、秒だったと思う。CGS単位系だったかと思う。
普通、物理なんか、算数と同じだ。文章題より、もっと単純な式で考える。
明らかに、証明のようなことを考えれば良い。ここには書けないが、「明らかに正しいと言える」、そういう思考の筋道を考えて、提起すれば良い。それが証明だ。
そのために、「正しいことだけから導いて考える」、と言うことをする。
証明は難しい。最近、証明をどういう風にすれば良いか、分からなくなっている。
数学は、それくらいの方が分かる。高校以上すると、数学が分からなくなる人間が多い。
二次関数や三角比なんか、ただの機械的な技術とロボットだ。
そういうわけで、中学生までは賢い人間が多い。高校に入ると、馬鹿になる。
そういうものだ。そういうわけで、高校数学なんかただの馬鹿だ。
大学数学は、普通難しい。数学者になるのが普通だ。数学者がやっているから、結構馬鹿では無い。ただ、父親と思うとつまらない。父親が典型的な大学の物理の科学者だ。
昔は、パソコンで数学が出来ていた。神みたいに賢くなったが、それで狂った。
こういう人間に数学は出来ない。真面目にきちんと考えれば、分かるのが分かっていない。
昔分かったせいで、分かっていない。真面目に見て分析すれば分かる。事前に予測すれば良いだけだ。明らかに、そこが分かっていない。知識だけの馬鹿はおかしい。
最近そういう馬鹿になっている。ありえない。昔は、自分の目で見極めること、それだけが分かった人間だ。こんなに文章を書くせいで、馬鹿になった。
代わりに、全部知っている。最近も馬鹿なのに賢いから、これで全員に見える。
高校数学をすると、何も分からなくなる人間が多い。
数学が馬鹿では、分からないのが人間だ。
昔の自分の方が、数学的な思考がきちんと出来ている。不思議と、そういう人間は多い。
文章では、「いちたすいちは」の「は」を「で」に変えて、「いちたすいちで」にすべきだと言っていた。おかしくは無い。1+1と2は、本当は違うだろう。「は」ではなく、「で」とするべきだ。ウィトゲンシュタインも、数学的発見は、発明と言うべきだと言っている。
3c=9の時、c=3なのを分かれば良い。計算して分かるのが普通だ。
数学は、それくらいの楽しい学問だ。ただの馬鹿だ。昔の自分の方が分かっている。
二ケタ以上の暗算は、出来る人間が多い。
昔の自分が作った数学は、公理主義の関係式を作っている。
見ても、2ちゃんねるしか作っていない。馬鹿すぎる数学をいつも作っていた。
昔は賢かったが、二度は出来ない。こういう風に出来るのは、もう一度したいからだ。
cではなく、xなのが分かっていない。3x=9にすると、賢く見える。
不思議と、こういう風に書くと、それで全部分かる。数学は、これ以上は、自分の部分だけで分かる。学校が本当に要らない。自分の文章だけで全部分かる。
昔は、国家モデルを作って、社会の意図を考えていた。
良く分からないが、そういうものを作っている。もう忘れた。
そういうものは、自然に無くなった。もう、覚えていない。
もっと違うものを何か考えた方が良い。哲学は万人が考えるから、こういう風になる。
自分しか分からない、自分しか考えない、そういうものを作った方が良い。
僕は、この文章で、皆を育てている。皆は、僕の子供で、赤ちゃんだ。
そういうわけで、皆には、自分から自立して欲しい。それで、この世界は、治る。
ネットも同じだ。自分になっている。最近、自分のせいで賢く育った子供が一番多い。
昔は、数学的な理性や方法を全部考えていた。
最近は、とっつきやすいところから考えている。
最近、最初からロボットになっているのは、誰でもロボットだから、それで良い。
皆がもう要らない。
分かる時に分かる。
分からないのをそんなに望むのがおかしい。
手足がついていない。勝手に動いている。
要は、体を意識しないのがおかしい。
あとは、怒ると悪いことが起きる。あまり怒らない方が良い。
最初から、文章を最後まで分かっている。それを言いたかった。
自分は、体を意識しないのがおかしい。体が無いから、虫みたいになっている。
ハートは、体だから、体を意識すれば治る。
もう、皆に繋がっている部分が要らない。そういうわけで、そういう風に治る。
自分が白いと知ることは、白くあることより劣っていると、誰かが言っていた。
おかしく全部分かっている。
アメリカ人になると怖いのは、全部もう分かっているからだ。
日本語と朝鮮語は、文法がほぼ同一で、「てにをは」もある。
日本語の文法がおかしいのは、朝鮮の影響があるのかもしれない。
昔から、より良い社会を目指して頑張っていたのが自分だ。
昔は、色んな社会を経験して考えていた。
最近は、何かの理想のようなものを、全部書いていた。
良く考えると、物質の存在すらおかしい。物質なんか、存在しないように見える。
バークリがそういうことを言っていた。
朝鮮語が漢字を取り入れて、なまったのが日本語だと思う。
存在しないと言うとおかしい。もっと、おかしな存在が存在していると考えれば良い。
存在はおかしい。良く分からない。何かがおかしいのが、岩石の星と、炎の星だ。
原子より、もっと大きな原子が無いのがおかしいから、物質は全部原子で、原子の集まりが太陽系なのかもしれない。良く分からない。
何故か、あまりにおかしいのがこの世界だ。そういうわけで、不思議と言う人間が多い。
それこそ、細胞なんかある意味が無い。
夢の世界なんか、どこかにあるように見える。
分からない。細胞があるぐらいなら、宇宙をもっと広げて、拡大して見た時に、何かの存在がそこにあるように見える。それは、何か、我や自分のような存在だと思う。
周りの人間のことを考えないのがおかしい。
人間を支配するのが悪い。そこを止めると知性がつく。
記憶を思い出せないのがおかしい。これで思い出せば良い。
昔を見ていると、意識を消せば正常になる。
記憶の順番がおかしくなっている。
既に、自分になるのが分かっている人間が多い。
人間味のある世界にしたい。
あとは、楽しいことがあった。絵を描いて、色々と良かった。
金は、交換のルールである。グループによる流動的な価値の交換である。
日本語は、つけるだけの言語だ。
むしろ、朝鮮語より日本語の方が先に見える。漢字の方が先にあったように見える。
不思議と、こんな関数論は要らない。テレビを描きたいなら、10の次を11にして、11から次へと行を移って、折り返して描けば良い。それでグラフィックは今の関数で描ける。
意識を思い出せば良い。
意識を消すと、意識がつく。
もう、意識は全部分かっている。
あとは、分かるのを拒否すると、まともになる。
夢の世界で分かっている。怖いのは、キモイものが本当に多いからだ。
文字が見えるのは、モデルを右にしたり左にしたり、方向を変えているだけだ。
モデルの意識を消すと治る。
モデルの中に自分が居るのがおかしいだけだ。
文字が見えるのは、紙芝居のように、場面を変えているだけだ。
愛と平等から自由な社会が生まれるのを、いつも書いていた。
脳がまだ動いているのは、皆をまだ馬鹿にしている。それを止めれば良い。
昔は質実剛健で、最近は限界まで頑張っている。
昔は本当におかしなハッカーのような人間だった。
もう、皆が居なくなる。自分は全て治った。ただ、何かを覚えていない。
それこそ、具体的なものを何も覚えていない。
それは、思い出さないから、そして、何も見ないからだ。
要は、フィルターを見ているだけだ。フィルターが死んでいるだけだ。
フィルターが機械的に分かるようになっている。
フィルターを見るだけで、そこまで分かるようになった。
それは、分かっていないだけだ。フィルターを一度全部消した方が良い。
昔なっていたものが怖い。犬とか猫になっている。本当に悪いものになっている。
昔と同じことをするのが怖い。継続的に同じことをしなくなった。
この文章には、全てのパターンを詰め込んでいる。そこが賢いだけだ。
もっと、昔を思い出して、同じことをした方が良い。それが本当に怖いのが自分だ。
昔は狂っている。この世界が狂っていた時代、新聞などでおかしな犬などを見て、そういうものになっていた。本当に、昔のこの世界は、悪い。消した方が良い。
あとは、環境へ適応して分かっている。
不思議と、これくらいで環境に適応出来る。
昔なっていたものを忘れて、新しい環境にして、フィルターを忘れれば良い。
不思議と、明日になるのと同じになった。
毎日、あまりに要らないものを作る。その、要らないものを消すのが辛いだけだ。
そろそろ、この世界は終わる。
普通、マルクスには疎外が多い。こういう人間のことを疎外と言っている。
マルクスを分かっているようで、マルクスぐらいを分かっていない。
後の哲学は分かった。マルクスは、難しい理論的なことを知らない。
意識とは言うが、2ちゃんねる全員分の意識みたいなもので分かっている。
あまり意味が無い。もう、神みたいな賢い人間に替わった。
意識や感情を融和するのが悪い。昔は、そういう馬鹿だ。全く覚えていない。
最近の戦いがあったせいで、何も覚えていない。治るわけがない。
治すのが悪い。意識を高めて、殺して治している。それが本当に辛い。
いつも、そういう治すのが多かった。
昔の文章は、そこまで思考しただけだ。
それが、考えるようになって、そのうち、治って、対話するようになった。
最近は、不安になっている。何もかも不安だ。
もっと思考すれば良い。だが、それは本当に、もうしたくない。
思考が辛いのは、この文章が悪い。
そこを止めると、おかしく喋るのが治る。ただ、思考なんかせず、動いていれば良い。