日記に戻る | 2016年1月の日記に戻る

=2016-01-22=

因果関係を考えて、前後関係から認識と感情の必然性を分かっていた。

何がそのことを思う原因になるか、考えていた。

環境への自由な参加を考えて、基盤的な自由を信じていた。

受け入れて分かっていた。不幸な境遇や、他者の自由を受け入れていた。

思いやりと善悪が分かっていた。

考え方を変えていた。既存の考え方に囚われない人間だった。

意識から、場や歴史のことを考えていた。江戸時代の城下町や汽車の車掌などを考えた。

オープンソースのように文章を書いていた。

応用可能性を考えて、視点を変えて分かった。そういう、知性と理性のあることをいつも書いていた。理性批判のような、哲学的な知や世界の捉え方のような知性があった。

人生とは言うが、最初にDelphiをいくらかやって、LinuxのWikiを書いていただけだ。何もしていない。何もパソコンに関して出来なかった、馬鹿な人間だった。

相対的な自由を考えて、経験を知って、積み重ねて分かっていた。

価値観と影響力から、自由にすることの意味を考えていた。

猫は死んだ。猫が居なくなると、もう全部つまらない。この世界に好きなものが無い。

猫が死んだ分、自分が生きないと悪い。だが、そのうち、すぐに死ぬかもしれない。

自分は、まだ生きたい。もっと、色んな自由なことをしたい。

それこそ、怖いとは言うが、ネットにも学校にも、良い人間が多い。怖がらず、信頼すれば、皆も信頼してくれる。そういう風に、友人関係を作れば良い。

あとは、人間の意識を想定して分かっていた。

昔は、人間のことも良く分かっていた。異様な意識だったが、色んな知恵や経験のことから、人間のことが全部分かっていた。それを価値観だと言っていた。

猫が死んで、本当につまらない。悲しい。だが、そんなに悲しくない。あれは、皆に愛されて、充分満足して、生を全うした。涙は出るが、悲しくない。本当に可愛い猫だった。

人間のことは、仏教と思えば分かる。仏教で人間のことが全部分かる。

昔は、学校の延長線上と、インターネットで人間のことが分かっていたが、それでは分からない。そんなものは要らない。ただ、昔は本当に、人間のことが分かって、支配や実現が出来る人間だった。何でも自分の力で出来ると思っていた。

それは、そうでもなかった。最近の経験から言って、自分には、何も出来ない。

ここまで王が出来たなら、それで良いように見えて、王が馬鹿だからこういう風になる。

王は、本当に良い経験をした。皆の奴隷になりながら、本当に出来ることを全部やる、菩薩のような賢い王だった。王に見えない。きちんとした、賢い仏に見える。

あとは、ただ、悪いだけが残っている。あまりに悪い人間だった。

自分で経験を全部して分かっていた。全員分の経験、全員分の理性や精神があった。

あとは、自然に環境から気づいて分かっていた。論理学や関係を考えた。

それくらいを書いていない。本当に、環境で自由になって、放っておくだけで分かった。

そうでもない。本当に色んなことを考えていた。環境から自然に分かった。

条件法や仮定法を、自然から分かった。それは、オープンソースで分かっている。

考えているだけでは分からない。経験し、実践すれば分かる。

あれは、そういうところが全部分かる、賢い人間だった。その理由で分かっている。

物理でもすれば良い。物理をしていると、そういう風に賢くなる人間が多い。

抽象的なことは、複合し、包括し、数学的に意味を増やして、相互関係を考えていた。

そういうわけで、LinuxはWindows APIを実装すれば良い。UNIXでもWindowsでもあるOSになる。Windowsを馬鹿だとは言うが、包括すれば賢い。

そういう、どうでも良い包括のようなことを言う。それだけの人間だった。

冠詞を多様にして、文法は英語のようにする。そういう、全ての言語を作っていた。

昔は、他人より経験して分かっただけだ。そういうわけで、経験はきちんとある。

経験を考えれば良い。それで、経験的な理性的考え方を考えれば良い。

もっと、経験を考えれば分かる。

この世の全てが経験で、生きている。そういう発想が賢い。

あとは、どうでも良い馬鹿なことが多かった。ネットのログを見て分かっていた。

資本主義のようなことを経験した。経験したいなら、単純にそういうことをやれば良い。経験と言うよりは、社会的な行動や実践をすれば良い。それがそのまま経験になる。

そして、自分の環境を変えること。引き篭もりになって分かったように、学校に行けば分かる。新しい環境を知る中で、色んな未知の世界が分かる。昔はそういう人間だ。

いつも、自分を変えることが大切なのが分かっていた。聖書にも書かれている。自分を変えること。それは、本当に大切な宇宙の真理である。

この世の全ては、永遠で、生きている。それこそ、天国には、この世の全てが永遠にある。天国では、前世も来世も関係なく、全ての生の自分が、永遠に存在して、愛する人、すでに死んだ人と、今から死ぬ人が、一緒に居て、繋がっている。

それこそ、その人と他人の境界線は無くなって、魂として融和している。手塚治虫の火の鳥のように、生まれ変わった前と後の存在が、同時に存在する。魂が、ゲームのように遊びながら、自由に飛び回る。そして、夢の世界のように、永遠に繰り返す。

もっと、強固な「自分」と言う存在を作った方が良い。何故か、こういう、自分の無い人間は、猫みたいな普通の生き物に多い。自分を作れば、すぐに賢くなる。

この文章は忘れた方が良い。人種と思想しか分かっていない。一番悪い人間だ。

昔から、この文章は一番悪い。皆の生命力を退行させる。そこまでの馬鹿な滅びの文章だ。

天国では、中国人だった自分も、日本人だった自分も、猫だった自分も全部同じになって、他者との境界線も無くなって、永遠に飛び回って、また新しい人生を、神とともに決めて、前の家族だった存在と一緒に次の人生で生まれる。そういう発想をすると良く分かる。

天国は、本当にあると思う。それこそ、運命はあった。本気で戦ったせいで、作家になった。作家になったのは、明らかにありえない。運命はあるなら、天国もある。

それに、夢の世界の生も、1つの生に見える。その生も天国で融和するように見える。

それこそ、神は猫だったが、本当に居た。もっと賢い神も居るように見える。

天使も居た。天使とは、自分の人生を分ける言葉だった。

皆が辛くて、悪いのは、誰のせいでもない。この社会や環境の全員のせいだ。

だが、どこに問題があって、どこの誰が過失をしたのかは、考える必要がある。

だが、そこで誰かが悪かったのも、良く考えれば、環境や習慣に起因することが多い。

そういう風に考えれば良い。悪いのは、競争社会と自由だが、それを悪くないと言えるのも、また、自由だ。そういう風に、真剣に考えれば良い。自由だから悪いだけではなく、自由だから良くも出来る。自由には、理性が必要だ。そういうことを言っていた。

あとは、自由な関係と経験を考えていた。そこから、モデルを作っていた。

同時に、世界観のモデルを作っていた。モデルしかない人間だった。

そういうことを言いたかったのだと思う。

何故か、どこかのカルト宗教のようになったが、本当に仏教ほどに賢い文章になった。

もっと、色んなものを見れば分かる。見ないで分かるわけがない。

誰でもこれくらい分かるから、言ってしまえば、家族だけでも分かる。父親が競争社会が悪いといつも言っている。しわ寄せは、一番弱いところにしか来ない。

報道するテレビにも問題がある。昔から、自分はテレビやマスコミが嫌いだ。テレビが一番皆のことをいじめている。テレビは、いじめの元凶にしか見えない。ゲームも嫌いだ。

法律で罰するのも、あまりしない方が良い。一度ぐらい、悪いことが出来ても良い。誰でも、普通、間違いは犯す人間しか居ない。自分が一番間違いを犯している。仕方ない。

キリストも、犯罪者は赦すべきだと言っている。犯罪者も、そんなに悪くないだろう。

競争社会が健全になるのは分かるが、最近の競争は、働きすぎるだけ、それから、悪いものをいくらでも詰め込んで安くする。

そういうわけで、自由は正義では全くない。正義なんか、何も正義でない。

むしろ、ソ連を悪いと言うのもおかしい。平等で何も悪くない。あのまま永遠に継続して強制労働していると、きちんと豊かな国になる。自由が悪いだけだ。

それこそ、働きすぎより、汚職や腐敗の方が楽だ。楽だから、何も悪くない。

ただ、コミュニストが明らかに一番間違っている。法律で縛るのがおかしいだけではなく、平和も間違っている。時には、全員で戦うべき時もある。コミュニストはおかしい。

あとは、自由もおかしい。その人の自由な意志を尊重すると、結果的にその人のためにならないことがある。王の方が、国民の幸せを良く分かっている。未熟な人間には、何も分からない。成熟した人間の声を聞かないで、分かるわけがない。支配者や権威は、若者から見ると悪で、何も出来なく見えるが、もっと大人になると、本当に必要なのが分かる。

自分だけで考えていると、良く分からなくなる。他人の意見も取り入れた方が良い。

いつも言っているが、誰か人間に出来たことは、他の誰にでも出来る。

あとは、この文章をカップルにする。宇多田ヒカルのような女と、キリストのような男だ。人生の方は、ウィトゲンシュタインと、ゲーテだ。その4人が自分だ。

あとは、色んなことを実践していると分かる。考えるより、まず行動だ。

自分がそこに居たとしたら、何をするか、何を思うか考える。

昔は、そういう風に分かっただけだ。そういうわけで、実践していると、分かる。

ものの作り方を考えて、学習や背景知識や自分の可能性を高めていると、分かる。

社会の可能性も良く分かる。

昔から、そういうものを書いていた。数学的な理性が分かる人間が多い。

あとは、社会の経験を積むこと。それも、他の人が言っていることを吸収すれば良い。

それで経験だ。皆の経験を知りながら、自分なりにやるのを考える。

考えているより、とりあえずやってみること。

人の言っていることを、良く聞くこと。人々が何に苦しんでいて、どんなことを望んでいるのかを知って、自分なりに解決方法を考えて、会話すること。

あとは、社会やものごとの道理が分かっていた。相対的な理性があった。

科学者のような相対的理性や、哲学者のような自由な社会のことを、いつも書いていた。

人と議論して、何が正しいか知って、恥をかいて分かること。

そういうわけで、2ちゃんねるでしか出来ない、と言うのは正しい。いくらでも2ちゃんねるで馬鹿にされて、自分のカルマを高めないと、賢くならない。

宇宙にカルマのようなものは、ある。ブッダは、輪廻転生のカルマのことを言いたい。

だが、現実を見ていると、生まれ変わらなくても、カルマのようなものは存在している。良い人間は、カルマが高まり、悪い人間は、地獄に堕ちる。そのように、カルマは現世にも存在する。そういう発想が、自分の天国、自分のカルマだ。

昔は、チャンスのようなものが分かっていた。解決や協力から、チャンスを分かっていた。何でも解決出来て、手助け出来る人間だった。本当に、人より人のことが分かっていた。

そろそろ、もう終わりだ。今日も書いていると、猫が喜ぶ。猫が死んで、それで書かないなら、猫も死にきれない。いつまでも書いていると、自分の中の猫が喜んでくれる。

現世カルマ論は、ある意味正しい。どこにも、馬鹿が辛いだけ、しか居ない。中学生時代辛かったのは、皆をいじめているからだ。引き篭もり時代良かったのは、苦難を乗り越えて、受け入れる、マスターのような情熱と理想があって、夢も高かったからだ。最近地獄になったのは、ヒトラーのタリバンがソ連で良いわけがない。そんな馬鹿だから、こういう風に地獄になる。仏教がいつもそういうことを教えている。地獄は、低い。

ただ、それくらい誰でも分かる。分かっても、正しくない。宗教的に考えるのはおかしい。必然的にそうなるだけで、宗教は正しくない。キリストが地獄に見えるのは当たり前だ。

それに、昔の引き篭もりは、良く考えている。分かった人間は、良いことが起きる。

人間のことは、欲を断ち切って、思い込みを無くしていると分かる。

仏教も、そういうことを言いたいのだと思う。

あとは、場の意識で分かる。相対的な場の意識を経験して理性で考えると分かる。

そろそろもう良い。同じことを言う意味が無い。環境的な意識をいつも分かっていた。

これなら、2ちゃんねるはもうしなくて良い。もっと、普通のことをすれば良い。

見ていると、2ちゃんねるは悲惨だ。本当に、自分のせいで何も分かっていない。

昔は、場や存在が確かに存在するのを分かっていた。確かに存在が存在する。私以外私じゃないの、とゲスの極みが言っているが、それも分かっていた。仏教の無我の境地も良く似ているが、僕の場合、全てのものは生命で、精神である、とヘーゲルのように考える。ヘーゲルに言わせると、歴史は精神だ。狂っているように見えて、哲学をやっていると、誰でもそういう風におかしなことを言うようになる。昔と全く同じだ。

世界は、諸行無常で、盛者必衰である。全ては移り変わる。この世界で、昔重要だったものは、今では重要で無くなる。だが、大切なのは、昔は本当にそれは重要だったことだ。そういう発想が日本史だ。今重要でない人物も、昔は重要だった。出来事も、組織も、権威も同じである。昔のものは昔は今だった。そういう風に考えれば良い。

ヘーゲルの言うように、歴史は進歩する。元に戻ることは無い。マルクスに言わせると、共産主義社会になるとは言うが、ヘーゲル的に考えて、未来は何かの進歩した社会になる。

昔から、自分は自分を壊して分かる。分かったことをもっと良く、正しく分かっている。

哲学やインターネットは、止めた方が良い。本当に、何も賢くない。

ヘーゲルの歴史観も、精神観も、論理観も間違っている。何故か、自分の方が正しい。

それは、自分の方が普通だからだ。ヘーゲルは、明らかに昔の馬鹿だ。おかしな逆のことを分かっている。今から、自分が分かる。それこそ、哲学は今からすれば良い。

認識や感情を、機械的に、壊して分かっている。それだけの人間だった。狂っている。最近、そういう発想が無くなった。もう既に、全部知っている。考えなくても分かる。

皆が悲惨だと思えば分かる。皆、どんどん悲惨になっている。この世界は悲惨だ。

自由的に考えると、悪いものも含めて良いものだから、もっと増やして、選択肢を与えれば良い。それは、間違っている。悪いものがどんどん増えているし、普通、判断力なんか、ない。そういう判断は、大人になると出来なくなる人間が多い。

ネットのニュースを見て、自由を分かっていた。それは、自由と言うよりは、ネット社会、大学の調査研究、会社のようなものだ。自由にそういうことをしていたのは、良かった。

具体例から、知や現象や法則を考えた。

この文章には、具体的な知識が無い。それは、昔は、想像力とモデルで分かっていた。

子供が好きだった。子供のことを、救ってやりたかった。

馬鹿を分かっていると分かる。賢いことより、馬鹿なことの方が、正しいことがある。

新しい本を買った。「あなたが変わる315の言葉」と言う、斎藤一人さんの本だ。

他人は変えられないが、自分は変えられる。この本にそういうことが書いてあった。

カントは、人間の認識を経験的だと言っているが、もっと簡単に考えると、人間は知であり、知が無限に続くだけの、機械のようなものだ。

ただ、それでは意味が無い。そういう風に考えるのは、そんなにおかしくは無い。

斎藤は賢い。本当に、自分なんかより、遥かに賢い。実業家だと書いてある。本当に、あんなに良いことがいくらでも言えるのはありえない。

それこそ、昔の自分が、斎藤と良く似たことを分かっている。斎藤を見ると、それで終わりだ。昔の自分が同じように出来る。それこそ、もう終わっただけだ。

もっと、良い言葉を言った方が良い。出会いは、宝だ。誰でも、そういう風に分かる。

この本は、読んでいると良く分かる。

自分に起きたことは、100%自分の責任だと思えば良い。

間違ったことは、反省している暇があったら、すぐに直す。

この本は、本当に、社会経験と人生経験があるし、良く考えられている。

昔の自分と同じには見えない。だが、こういう風に分かる人間が多い。

斎藤は、本当に自力で分かっているから、ありえない。

僕は、昔は自力で分かっていた。経験をモデルにして、力業で分かっていた。

だが、最近、自力で何も分かっていない。全部他力で分かっている。

どうでも良いが、他力はそんなに悪くない。他力本願を悪いとは言うが、結構他力は悪くない。自分だけで分かるより、人の努力も含めて分かるのは悪くない。

ただ、昔ネットで分かっていたのは、本当に経験豊かだった。僕の本も、自力で分かっているから書けた。あれも、ネットを見て、色んな人間のことを吸収しただけだ。

おかしくは無い。誰でも自力でそこまで分かる。僕も、昔はそういう人間だっただけだ。

他人の判断で失敗しないより、自分の判断で成功を見つけて行った方が良い。

失敗しても、自分を責めず、結果を恐れないこと。

この本に書いてあることは、本当に、誰もがそうだと思う、良いことが書いてある。

斎藤も、中学しか出ていない、と書かれている。本当に、そういう賢い人間が多い。

見ていると、本当に良い人間だ。

自分もおかしくはない。自分は、神と自分の人生できちんと感動出来る。

そんなに違わない。むしろ、昔の自分と思うと、全く同じに見える。

書いては居ないが、自分なりに、自分で考えて、自分で行動したい。自分で成功したい。

そういう風にしていたのが、昔の自分だ。

この本を読んでいると、そういう昔のことを思い出せる。本当にネットの経験で分かった。

あとは、むしろ、猫の方が重要だ。失ってから初めて気が付く。本当に大切な存在だった。

それから、自分の悲惨な点は、これで治るわけがない。

書いている間、治らない。辛くなったせいで、悪くなっている。

治らないなら、もっと楽をした方が良い。辛いとか、治らないとか、愚痴をこぼさないのは良いが、絶望するよりも、もっと気分転換して、斎藤のように「ついてる」と思うこと。

自由な構造を作っていた。相対的に、実験、経験、判断、実現から分かっていた。

人間は、信じるものが高くなればなるほど賢くなる。

斎藤の本は、父親が良いと言った。読んでいると、元気になれる本だと言っていた。

あとは、自然な可能性を作っていた。可能性と世界観をモデルにしていた。

父親が良いと思うものは、自分も良いと思う。そういう風にすると、良くなる。

幸福になるためには、人の良いと思うものを知ること。それが、幸福への第一歩だ。

ありえない学習を沢山したが、それは悪くない。学習は、多ければ多いほど賢くなる。

意識は、消えると楽になるが、こういう風に、消えないまま間違ったことをしないでいると、賢い人間になる。失敗を一切せず、判断して分かる人間が、こういう神に多い。神を信じると、誰でもそういうイエスみたいな人間になる。神はユダヤ人だ。

斎藤が言うように、自分のためにそこまで頑張ってくれる人間は、自分しか居ない。

だが、自分は、無意味なことを頑張りすぎるところがある。そこが、母親と良く似ている。

また、意味の無いことを気にして、自分の責任だと思うところがある。それも同じだ。

人間は、信じると平和になる。信じることから、経験が生まれる。

あとは、猫が神なわけがない。神は神だ。それこそ、神なわけもない。そういう、おかしな自分の神を、消した方が良い。おそらく、神は、予知能力を持った自分のことだ。

音楽を聴いていると、神を忘れられる。対話しなくて要られる。音楽を聴けば良い。

神が終わった。神は肝臓だから、肝臓が治った。

猫が死んで悲しいのは良いが、良いこともある。猫は、吐いているだけだ。そこらじゅうを汚している。ニキビが治るし、パソコンを壊すものも居なくなる。

神を消して、猫も消して、ドイツも死ぬ。何故か、いつもドイツの猫に見えたのが猫だ。

もう、神を止めれば良い。全部神が悪いだけだ。

昔は、主体性と自発性のように人生を分かっていた。

最近は、個人主義から社会主義になって、国家主義になった。

そろそろ終わりだ。神が死んで、猫と一緒になる。猫は、対話するのではなく、優しくなでてやれば良い。猫を神にするのより、一緒に寝たい。自分はもう王になりたくない。

正しく理解すれば、キモイ人間は治る。昔は、それを客観視だと言っていた。

辛いことをすぐにすれば治る。辛くない辛いのを消せば良い。それで、がんが治る。

あとは、安らげるようにすれば良い。

休めないせいで、あまりに辛くなった。休めるようにすると、もう全部治った。

治っているのに、治っていない。そういうわけで、休めるようにして、それで終わりだ。

治らないのは、疲れているからだ。

もう全部治った。完治した。

昔は、孤独になって狂っている。その代り、全部分かった。

その孤独に戻る。孤独には慣れている。

今日はもう寝る。そろそろ、もう書かなくて良い。