日記に戻る | 2016年1月の日記に戻る

=2016-01-10=

自由とは言うが、皆とともに築いた、自由な社会のようなことを言う。

主に、それを言っていたのが自分だ。

ただの2ちゃんねるだ。

皆と一緒に体験して、ともに社会を築いて分かった。創造性の感情を共有した。

コンピュータは、GUIで出来ることは全部コマンドでも出来るようにして、スクリプトに出来るようにすべきだ。それで、何でも自動化出来る。

運命のようなことを分かっていた。作家になる運命があったありえない人間が自分だ。

心理でその人間を支配していた。悪いことはしない。ただ、許し合いたかっただけだ。

許す人間だった。そのまま、王になって、皆のために本気で頑張った。

それくらいの人間だった。それが、こんな賢い作家になった。きちんと毎日書いている。続けるのが賢いから、まだ続けた方が良い。

ネットで戦って分かっていた。普通、戦って、批判していると、こういう人間になる。

ヘーゲルもこういう人間だ。

機械は、動く条件が整えば動く。そこを良く考えると、素人でも直せる。

昔から、何らかの形で全部やっている。全部やっているから分かるだけだ。

剣道とピアノをやっているせいで、エロイ人間になった。男で女は、キモイ。

昔から、自分を統制して、戦う。神の意見には、全部従う。

その戦いを、そろそろどうにかして止めた方が良い。

だが、悪くは無い。それできちんと作家が出来たから、それで良い。

皆のために本気で頑張るせいで、強くなった。

そういう、戦う人間だった。それこそ、悪くない。誰も殺していない。迷惑もかけない。

そういうわけで、とりあえずそのままで良い。そのままが一番楽だ。

時間を治した方が良い。治らないと言っているが、単純に普通に治せば良いだけだ。

時間が普通に過ぎるようにすれば良い。それだけで、全て治る。

テレビを支配するのを止める。テレビは、いくらでも色んな人間を批判すれば治る。

自分のせいで、怒りや思い上がりの意味が無くなった。宇多田ヒカルが言っている。

右翼も左翼も未熟だ。

成熟した人間は、右翼や左翼などの党派を超えて、正しく、包括的に分かる。

平和やキリストのようなことを言っていた。

皆、それぞれ、かけがえのない存在だ。

人間は、知性と助け合いと役割分担によって、何でも出来る生物だ。

社会は、何にでも変えられる。ありえない社会はいくらでも作れる可能性がある。

全部の知識、全部の学問、のようなものを作っていた。

自由に分析して分かっていた。

決め直すことと初期投資から、コンピュータのように考えていた。

あとは、時間と思えば分かる。昔は、時間と思って分かっていた。

人々の関係から、時の過ぎ行く意味を考える。

そういう、時間のような発想で、地球全体の歴史や環境のことを考えていた。

今、キマグレンを聴いている。ベストを借りた。

悪くは無い。本当に良い。だが、最近は、歌手に個性が無いところがある。

キマグレンは、まだ個性のある歌手だから、悪くない。個性の無い、ラップの歌手が多い。

時間から社会のことを考えて、全ての時間を把握するような、そういう文章が多かった。

環境は同時に存在していて、同じ時間が流れている。

昔は、スラムで分かった救世主だった。本当に、キリストのような人間だった。

キリストは悪い。普通、そういう人間がキリストになる。何かがスターリンのように悪い。

だが、それは悪くは無い。そういう発想が、左翼と言う人間が多い。

実現し、理解するためには、方法がある。

環境を実現する方法、心を治す方法、認識の把握の方法などがある。

そして、原因を正しく捉えて、それをそれにするために、どうすれば良いか考える。

仏教がそういうことを教えている。仏教ではないが、論理的に考えれば良い。

それが何なのかは分からなくても、どう出来るのかは分かる。そのように考えれば良い。

あとは、環境の変化から、人生と生きる知恵や人生の意味が分かって来る。

環境への適応から、意識を自在に変えて、自由に分かることが出来る。

想像力と知識と方法から、あらゆる意味で自分を自由にすることが出来る。

そして、一人の科学者として、生きる。

状態と方法から、全てが変えられるのが分かる。

環境を変えれば良い。一度、同じ環境から抜け出して、違う環境になりたい。

そういう風に、環境を変えることで分かっていた。誰にも見られていない、一人だけの環境だった。そういう風にすれば楽になる。誰も自分のことは知らない。安心出来る。

悪い環境は、すぐに殺すと怖くない。要は、環境を2ちゃんねるだと思うから怖いだけだ。

キマグレンを聴いていると、自分が分かる。自分と全く同じだ。

僕は、先は見えて居る。皆と違うのは、僕は先のことが全部見えて居る。

あとは、経験を考えれば良い。感情の裏の理由や、思考に先立つ経験を考える。

経験的に、法則を分析する。そうすると、ニュートンのように色んなことが分かる。

正しい考え方をすること。

デカルトが参考になる。正しいとされているものだけから導いて分かること。

それで、環境を考えると、本当に全部のことが分かる。

手段のようなことは、人生を振り返っていると良く分かる。

認識を考えて、人生を反省して、可能性や考える機会など、そういうものを分かれば良い。

振り返って可能性が分かる。そういう人間が唯一賢くなる。

人生とは言うが、それを言いたかっただけだ。もっと、人生や気づきと思えば分かる。

視野を広げなさい。反省から、自然な可能性を知りなさい。変化可能だけではなく、人間が何が出来て、何を可能とするのか、そういう、人間の可能性を知りなさい。

あとは、法則を考えれば良い。いつ何がどうなるのか考えて、法則を見つける。

こういう風にすると、ヘーゲルのように、意識で色んなことが分かる。

世界観は、自由から考えれば良い。変化可能で、自分にとっても実現可能で、参加可能なものは、自由だ。そうでないものは、不自由だ。不自由は、価値が無い。自由が正しい。

それこそ、オープンソースは自由だが、マイクロソフトは不自由だ。

不自由なものは、意味が無い。だが、それは、自分が悪いだけだ。馬鹿は何も出来ない。

その人が、何をして、何を出来るかは、立場と前提条件から決まって来る。

立場の違いを超えて、もっと正しくて、良い発想をする。良い組織にし、行動にする。そういう発想も悪くない。それは、正しい王になる。王は、そういう風に全て出来る。

昔は、一応これで技術のことも分かっていた。自分が確かに出来る、そういう実感から分かっていた。本当に自分でも出来ることしかない。自分には確かにそれが出来る。

そして、自分に出来たことは、他の誰でも出来る。そういう風にすると良く分かる。

町並みのようなものから、歴史や自然発生を分かっていた。意識で何でも分かっていた。

全員を融和せよ。全員の頂点に立て。全員をマスターにせよ。全員を治せ。

そういう風に、全ての頂点に立った。自分が頂点だが、自分は昔から最底辺だ。

あとは、認識から経験的な概念が分かっていた。経験から概念を知った。

学習し、方法し、認識する。それを良く考えて、吸収していた。

間違いが分かってしまうことを恐れるよりも、すぐに間違いを直して、正すべきだ。

孔子が同じようなことを言っている。

恥は一度の恥だ。いつまでも間違っているのが、一番恥だ。

そういうわけで、今知ること。今正すこと。今改めること。今試すこと。今確かめること。

そういう発想が賢い人間になる。考え方や自分を変えること。カントの普遍的な道徳律だ。

昔、日本がアメリカ的だった時代に、そういう人間が多かった。

今やること。それは、悪くは無い。考えているより、やった方が良いことは多い。煩悩や恐怖は、行動によって打ち消すことが出来る。そういうわけで、すぐに書けば良い。

ちょっと間違ったことを言った。カントの道徳律と、孔子の恥は一度の恥は、全く違うものだし、孔子もカントもそんなことはあまり言っていない。

ただ、自分から見ると、それは同じものだ。考え方が正しいのが、良く分かる。

これでは分からないが、知識や考え方のようなものを人生経験から分かっていた。

知識は、経験論のように、感覚のようなものから分かっていた。

それこそ、本当にネットを見て、理性的な構造を考えて、認識と対象の同一性が分かった。

そういう風に分かった。知識ぐらい、きちんと分かるのが自分だ。

もっと、記憶を怖がらずに、冷静になって、回想や連想をすれば良い。

連想をしていると、きちんと今までにあった記憶の全貌が分かる。

怖いのはおかしい。何も怖くない。エッチなものや、ネットのジョークのようなものが怖いのはおかしい。何も怖くない。きちんと連想していると、人生経験がきちんと分かる。

昔は、記憶から連想して分かっただけだ。

記憶や発想の構造的な方法が全て分かっていた。

いつも、きちんと分かっている。昔は馬鹿では無い。見ていると、そんなに怖くない。

昔は、そういうもので分かった。それこそ、ポルノは、情熱のある、賢い人間になる。

関連付けがおかしくなっている。関連付けを治すと、そろそろ治る。

レッテル張りをする人間は、狂っている。こういう人間が多い。皆を同じにしていると、こういう風になる。そのまま、おかしな馬鹿になる。

自分の自由から、皆の自由を考えれば分かる。社会全体の可能性に繋がっていく。

それは、共同体の自由になる。昔は、それくらいが多かった。

慎重に、間違いを犯さないように、実直に考えること。それが自由と言う思想だ。

あとは、関連付けを治すと、狂っているのが全部治る。

キマグレンは、あまり面白くなかった。そんなに良い歌手ではない。つまらない。

行動の自由を考えて、色んな社会的な経験を積む。

共同性、喪失、有用性、内面化が分かる。改革の旗を掲げて、左翼的に分かる。

もっと、良い発想をすれば良い。自分には、発想があるように見えて、発想が無い。

昔は、独創的な発想をしていた。ロシアのようにまともだった。

感情から、色んなことが発想出来る。

幸福な理想の社会を、自由と正しい目的と手段から、作ることが出来る。

皆が出来るようにすること。正しく実現可能な手段を与えて、皆が出来るようにする。

皆出来る自由は、一番平等だ。そういうわけで、金にも平等なところがある。皆が出来るように、実現可能にする。そういう自由が一番平等で、世界を発展させる。

そして、平和は、自由から生まれる。

ただ、そんなに自由が良いわけがない。支配者に教えてもらって、色んな人に支えてもらわなければ、何も出来ない。

昔は、関連付けのモデルで分かっていた。それで分かっている馬鹿が多かった。

関連付けのモデルを、一度消した方が良い。

こういう風になった。全部具体的な構造を作って、判断して分かる。

関連付けのモデルをしたくないから、こういう風になる。まだ分かりたい。

文章にも、関連付けのような内容が多かった。関連付けから考え方を分かると言う。

関連付けと反省から判断を分かる。昔は、そういう人間だった。

あとは、思考の再利用から分かっていた。再思考と開拓から発見していた。

何故か、そんなに賢くない。そういう風にすると、思弁哲学が経験論的に出来る。

感情と思考の関係のようなものが分かる。予測的に思考と言葉と認識を考えられる。

関連付けは、そのままシステムの仕組みになる。そういうことを言っていた。

仕組みから認識が生まれ、認識から仕組みが生まれる。

最近の関連付けが狂うせいで、そういう、誰でも分かるところが分からなくなっている。

自分から信じれば、相手にも信じてもらえる。そういう発想が普通多い。

経験から、何もかも変えられる。

別の可能性を考えて、確かにそれも実現出来るのが分かる。

そういう風に考えると、モデルからこの世界の可能性が分かって来る。

そういう、関連付けとシステムをいつも書いていた。

世界の歴史を作っていた。そういう、ロシアのような文章だった。

昔が哲学者で、最近はロシアだ。そういう風に賢いのが、昔の自分だ。

認識を経験だと思えば、分かる人間が多い。

昔は、経験と成長、新しい思考から、考える機会のようなものを分かっていた。

いくらか考えれば分かる。

正しい発想で、共有したりしながら考える。それが考える機会だ。

それこそ、それはそれで良い機会になったと思えば良い。そういう発想が多かった。

体験に出会えて、感謝していた。昔は、そういう人間だった。

未知の体験と可能性が、経験になって、世界の全てを把握し、実現出来る。

そういう風に、可能性を考える。そういう文章が多かった。

そこから、知性が生まれ、新しい経験を人々に与えられるような何かが作り出せる。

大学の教育精神のようなものが、自由から分かったりしていた。能力は、すぐにその場で使えるものより、本当に経験的に自由になる、長持ちする能力が必要だ。

リベラルアーツではないが、そういう、自由な精神性を分かっていた。

リベラルアーツと言うと、間違っている。リベラルアーツは、一般的な教養のことを言う。

もっと、自由な理想を考えれば良い。

自由は、人間性と命の尊さが存在する自由であるべきだ。

そこから、社会を作り出せる。皆で良く考えて、自由に自由な環境を作り出す。そういう、自由と平等から生まれる理想の社会をいつも考えていた。そういう理想を書いていた。

あとは、頭の中を全部書いていた。

思考、感情、行動、経験、記憶、社会、自由、組織などを書く。

この世界と思考と人生の成り立ちと生成を、全て書いていた。

もう終わりにする。

キマグレンはつまらなかった。あまり良い歌手では無かった。

あとは、表現、システム、成長、経験、言論などをいつも書いていた。

そろそろ心が治った。

昔は、本当の実地的な自由を考えていた。平等な環境の中での自由を考える。皆が参加して、皆の手で作り出せる、協力と一体化の自由を考えていた。

一度、言葉にすれば分かる。名前を付ければ分かる。

最近は、分かる時に分かっている。

その時だけ、分かる時に分かっているのを書いて分かっている。

もう書かなくて良い。そうすると、きちんと心臓と肺が治る。

実地的な自由と理想、可能とするための平等が分かる、賢い人間だった。

あとは、視点と場を考えて、一体感のようなことを信じていた。

子供だった。2ちゃんねるに言えば分かると思っていた。

そういう環境への参加を考えていた。

あとは、最近、何もしていない。何もしないのもおかしい。

大学で哲学をした方が良い。放送大学が良い。そんなに何もしない方が辛い。

コミュニティを作る、と言う発想が多かった。本当の出来る自由な平等を信じていた。

あとは、宇宙と人生の実際の姿とか、今と言う時間の共有とか、名前の無い世界とか、ネットのような考え方を全部分かっていた。

大学を作るとか、そういう記憶のようなことを言う。

科学を作って、リベラルアーツのように分かっていた。知識から自由になった。

もう、そろそろ昔はもう良い。ラファエルはまだ続く。大学をやった方が良い。

言論や表現の自由が好きだった。自由なソ連を作りたかった。

環境を想定して、人生を考えていた。環境は自由に支配出来るとしていた。

自由から人生の知恵を考えていた。

自由になって、環境を内側ではなく、外側から見て、自由になりながら分かっていた。

安心から、愛と涅槃を考えていた。神の愛と影響力の涅槃によって、人は安心出来る。

もっと、そういう、仏教やサルトルのような、人間的なことを書けば良い。

人間とは、可能性の発揮であり、想起と回想である。

人間とは、愛を知るための、安心の生き物である。

人間とは、数学的な知性と方法の発揮である。

人間とは、存在のあり方である。

人間とは、人生と思考の如何様なパターンである。

ありのまま、自然体で生きられる、そんな社会を作りたいと言っていた。

そういう、馬鹿なことを言っている。馬鹿な人間だった。

右翼でも左翼でもある文章を書く。国会で議論しながら、国王が支配する。

だが、あれはただの左翼だ。王のようなものは、全部嫌いだった。

安倍が責任感のある人と協力して改憲したいと言っているが、安倍に責任感なんか、あるように見えない。最近、自民党が一番無責任に見える。右翼は馬鹿だ。

だが、そんなことを言っていても意味が無い。戦争法案を平和な抑止力と言って、共産党の議員と無意味な議論をしている。議論なんか、意味が無いのが良く分かる。

何かを覚えてから、その後に知ると分かる。昔の自分は、体得が良く分かっていた。

あとは、自然な可能性を分かっていた。存在論を考えた。

そういう風にすると、知性がつく。自然な中で、全ての出来事を許容する。

そういう風にしないと、賢くならない。分からない方が分かる。

そして、論理学のようなものを考えていた。

因果性や三段論法や数学的な正しさを分かっていた。

物理的な因果性だけではなく、宗教的な因果性もある。

良いことをすれば、良いことが起きる。それは、間違っているようで、間違っていない。良いエネルギーを発しているものには、良いことが起きる。

仏教では、縁起と言う。全ては原因と結果であり、複雑だ。だが、自分は、複雑なところもあるが、良く考えるとシンプルな法則しかないと考える。

世界史は、明の滅亡までを読んだ。

世界史を読んでいると、金持ちや王や官僚は悪すぎる。本当に、自由が悪い。自由なんか、要らない。自由が一番悪い。格差を拡大させ、贅沢放題をし、農民から重税を取って圧政し、弾圧し、虐殺し、巨大な墓を作る。王だけではなく、金持ちや官僚も悪い。

自由なんか無い方が良い。それは、正しい。自由なんか、本当に馬鹿なだけだ。

いつも、頂点と包括とか、考え方を言っていたが、今言うとすると、一人で決めるか、グループで決めるか、国民全員で決めるか、などがある。それも、決め方に多様な方法がある。それは、議論する、投票する、支配する、金にする、システムを皆で作る、など。

オープンソースだと思えば良い。もっと、考えれば色んな方法がある。ローテーションにして、交代で、かわりばんこに支配するとか、会社と会社に専門性と共有の考え方を配備して、コンピュータで言うライブラリ関数のようにするとか、政治家には、色んな国に行く経験、色んな人と話す経験をさせて、色んな労働の経験をさせたものを王にする、とか、そういう色んなことを考えていた。文章は、そういう文章を書いている。

数学も同じだ。虚数を多次元と言って、もっと高度な次元が考えられるとか、それはベクトルに出来るとか、法則には、もっと良く考えると、さらに高いレベルでの、違った法則がある、根源的で包括的で自然な法則がある、と言っていた。

それで、具体的に色んな方法を提案した。独立しやすい国を作るのが自由だと言う。

国を作っていた。グループや組織を成り立たせたり、共同体を人生と歴史から作ったり、分散した共同体を作ったりしていた。

何でも、成り立たせて作る。自由から国のシステムを作った。構造的なソ連の国家モデルをいつも書いていた。発想の自由モデルから考えていた。

そろそろもう良い。それは、いつも言っている。

キマグレンを聴いているが、悪くない。これは、いつも適当に聴き流すのに良い歌だ。

きちんと正しく理解すれば分かる。そのためには、その人の立場に立って考えること。

そういうわけで、きちんと分かっている。分かってしまうと、当たり前のことしかない。正しく考えれば、誰でも全部分かる。分からないことや不可能なことは、一つも無い。

そういう発想がデカルトだ。

デカルトには、全部きちんと分かる人間が多い。本当に分かる人間しか居ない。

自分の数学を作るとは、3つの意味がある。1つ目は、公理主義的な、言葉、感情、関係の、自分独自の数学を作る。2つ目は、今既にある数学と同じ、ベクトルや線形代数のような、現存の数学と同じ数学を作る。3つ目は、書きながら、スピノザのような数学的哲学の文章を書く。そういう風に、数学を考えた。もっと言えば、4つ目は、数学的に存在と自分の法則を考えた。5つ目は、Linuxとオープンソースから、数学を神ほどに出来る。6つ目は、心のニュートンを作って、物理的、経験的、マスター的に、物理的な感情と行動の真理を分かった。

そういうことを言う文章が多かった。そういう風に色んなことを言う。

そろそろもうない。あとは、何も言うことが無い。本当に自分が一番良かった。

7つ目は、感情と経験と環境の、推論的な哲学によって、人間のことを分かった。そういうわけで、明らかにいくらでもある。体得を分かったのが8つ目で、弁証法を書いていたのが9つ目の数学だ。本当にいくらでもある。ウィトゲンシュタインや哲学者のことを考えていたのを10つ目にして、哲学だけではなく、大学の色んなことを分かったのを11つ目にする。12つ目は、北欧神話の神を作った。経験論的に知覚や経験を分かったのが13つ目で、神や宇宙人と対話して、意識でこの宇宙を全て分かったのを14つ目にする。

昔は、これと良く似た文章を書いている。こういう風にして、環境と推論のレベルを考える。こういう文章だった。本当に良く似ている。

もっと、人生のことを分かっていた。こういう風に、人生のレベルをいつも書いていた。

そろそろ終わりだ。社会や経済学を15つ目にして、行動と実験の心理学を16つ目にして、治すだけの臨床心理学を17つ目にして、宗教の文学を18つ目にする。2ちゃんねるで社会や人間を知ったのを19つ目にして、引き篭もりと成長の実体験を考えて哲学的に人生と世界を分かったのを20つ目にして、未知の可能性と全員の世界観をハイデガーのように考えていたのを21つ目にして、戦争の革命の支配を22つ目にする。それくらいの総合科学だった。森羅万象の行動と変化と構造の多様な思考を23つ目にする。自由なソ連を作ったのを24つ目にして、共同体の変転から地球の歴史と神を作ったのを25つ目にする。

あとは、この世界の真理を考えていた。

1つ目は、原因と結果である。2つ目は、理性的な理解と発想である。3つ目は、秩序と価値観と信念である。4つ目は、自由と関係である。5つ目は、神と知識である。6つ目は、科学的方法と文学である。7つ目は、歴史と心理学である。8つ目は、契約と国家である。

そういう風に、色んな真理のことを言う。

人間的な真理のようなものもある。

1つ目は、認識には経験的な法則がある。2つ目は、自由な人生と宇宙の前提条件がある。3つ目は、自分がこの世界に生まれる前に、既に生まれ、作られ、経過している、この社会の歴史と祖先たちがある。4つ目は、未来と時間の経過と、可能性の自由がある。5つ目は、自分の人生があって、5-1は環境があり、5-2は知があり、5-3は経験がある。6つ目は、実現方法と手段がある。6つ目は、機会とアイディアがある。7つ目には、労働の自由と平等、アイデンティティ的なその人の個性がある。8つ目は、神の愛と赦しがある。9つ目は、科学の創造と基礎の積み重ねがある。10つ目は、世界観と人生の具体的な自由がある。

そういうわけで、これできちんと書いた。いつも、そういうことしか言わない。

国家には、生産者、決定者、労働者、消費者、などの、それぞれの担当の者と、全体主義、個人主義、民主主義、社会主義、国家主義などの思想、そして労働と生産の階層がある。そこでは、生産手段を共有し、評議会に参加することで、自由と平等を実現出来る。

共有ではなく、流動的な自由にして、金にすることも、間違ってはいない。全員公務員も、悪く見えて良い点がある。社会所有は間違っているようで、社会のものは全て皆のものであるべきだ、とも言える。皆でノルマを決め、システムや環境を築くのも、自由の一部だ。

AAAとキマグレンが好きだと言うと、音楽通に見える。本当にそこまで聴いているように見える。現に、自分は、YouTubeのおかげでアメリカの音楽も聴いている。本当に音楽通と言うと、そういうことは無い。ただの馬鹿だ。

あとは、意識と記憶のようなことをいつも書いていた。

意識とは、価値観を実現させ、自由な共有を実現し、環境を変えるような、自己の中にある、現象としての像である。

分析とは、考え方を知り、環境を変え、プロセスと関係を知り、変えることである。

平和とは、本当にその人のことを吸収して、受け入れて、一部になることである。

そういう風に、意識のようなことを言う。本当にそういう文章だった。

可能性とプラットフォームから、社会と人生のレベルを作って、経緯を作っていた。

そろそろもうない。あとは、皆に対する意見のようなことを言っている。

僕は、皆のことを愛している。僕は、皆のことを信じている。皆にも、僕のことを愛して欲しい。皆にも、僕のことを信じて欲しい。全ては、信じる愛、信愛である。全ては、神の愛、神愛である。神は、終末の日に全てのものを蘇らせて、信じるものを救う。神の愛は全知全能の絶対である。存在するものの中で、最も恐ろしい愛だ。最も恐ろしい感情だ。

宇宙を創造していた。システムから現像まで、全部創っていた。生命を全員創造していた。

あとは、自由な世界の構造を作っていた。

手段から本質まで、学習から方法まで、色んなことを考えていた。

この世界を全部、数学的な構造にした。それだけの文章が本当に多かった。

そろそろもうない。

この文章は、怖い。恐怖の愛だ。それこそ、自分が一番怖いのに怖くない。

あとは、具体的な構造が多かった。

首相と政治家は、選挙で選ぶようにするが、そこでは免許試験を実施する。

会社は、公開性にして、法律で厳しく取り締まるようにする。

税金は、大企業と資本家から取る。

国民のノルマは、会社が決めるところもあるが、ほとんどの部分は法律で国家が決める。

国民は、自治体の評議会の下部組織に参加する。

下部組織の代表が、国会で招かれて、国会で議論する。

そういう、社会主義の国にすると、一番滅びるから、止めた方が良い。

ただの自由な国の方が良い。

いつも、そういう、具体的な社会構造のようなものを作っていた。

もっと沢山の具体的な構造があった。物理から心理まで、全部の構造を作った。科学ではなく、国民の生活や環境などを、全部自由な構造にしていた。可能性を考えていた。

会社の組織が決めることや、法律や自治体が決めることなどを、全部同じ「契約」と言う言葉にして、自由な契約があるべきだと言う。そういう風に書かれた文章だった。

そういうわけで、この国では、自由な契約を行う。自由な契約の中では、人は一人も死なないし、誰もが不安で困窮した生活を送る必要が無い。まさに、憲法のようなものだ。

昔は、そういう自由な契約を作っていた。同時に、自由な労働、共同体、システム、選挙、手段などを、全部自由と言う言葉で考える。そういう文章だった。

あとは、構造を作っていただけだ。それだけの文章だった。世界モデルと言っていた。

普遍的なグループ、個別的なグループを、全部総合的に、自由と言う言葉で創造した。

システムを作っていた。何でもかんでもシステムと具体例を作って分かっていた。

あとは、今からこの世界を支配する。そして、すぐに良くする。

全ての世界は、発展しなさい。全ての世界は、共存しなさい。

全ての世界は、愛を信じなさい。全ての世界は、平和になりなさい。

多様性と個別性のある世界は、独自性を持ちなさい。

文化は、融和しなさい。

平和は、自分のような王が実現しなさい。

愛は、考えられる全ての感情の総和であり、それを信じなさい。

多様性と平和から、本当に自分の国の文化を所有し、支配出来る、そんな国になりなさい。

総称的な言葉の羅列と、「すべき」と言う提案や命令をいつも言っていた。

世界の全てを創造した。それが、ロシアのような巨大な文化圏になった。それがロシアだ。

分かってしまうと、誰でも書けるのがいつもの文章だ。

自由とは、人生全てのことを言っていた。

創造とは、自由な可能性の決定である。

愛とは、運命的な自由の考え方と真実の捉え方である。

平和とは、創造と愛の中で、本当に自分の望む、アイデンティティを実現することだ。

人間とは、考え方と理性から、人生を創造する生き物だ。

社会は、全員で生きている。社会は全員による、生き物のようなものだ。

そういう風に書いている。そういう風に考えれば、色んなことがすぐに分かる。

愛とは、可能性と秩序のある自由な状態である。

状態とは、全てのものを取り得る、自由、遺伝子、性格、記憶、経験、活動、組織、所属、愛、憎しみ、不安、安心、その他すべての、経験的な自由の変化である。

そういうことを言う。そういう風に書かれたありえない文章だった。

あとは、可能性の全てが書いてあった。

創造性、自由、考え方、愛、不安、葛藤、苦しみ、共有、情報化、普遍性、個別性、集合知、発想、可能性、多様性、経験、成長、欲望、破壊、人生、運命、慈悲を知りなさい。

そういう風に、可能性が全部書いてある。

組織は、自由なプラットフォームから生まれる。

それは、変化可能で、自然な可能性の権力、権利、許可、実現性である。

そういう風に考える、ドイツみたいな文章だった。

喪失と内面化は、裏表のところがある。喪失から内面化し、内面化から喪失する。

自然な喪失と内面化から、共同性が生まれる。

そして、破壊を繰り返す中で、人間の葛藤は、自由へと変わっていく。

時間とは、光である。ただ、光っているだけが時間だ。光の無い場所に行くと、時間は止まってしまう。光の速度を超えると、時間は遡る。全ては、時間が光であるために起きる。そういうものが光だ。光とは逆方向に行けば、遡ることは出来る。それで思い出せる。

そういう風に考えると、良く分からなくなる。それは、分かっていないようで、もう分かっている。そういう風に分からなくなるこの文章で、知性がつく。それがキリストだ。

良く考えれば良い。もっと良く考えれば分かる。構造と思って考えれば良い。

昔は、物理もそこまで分かっていた。神ほどに分かる物理が多かった。

そろそろ、光を消すと、脳が止まる。ただ、脳がそういうものだ、と言うだけの話だ。

光が自分に話しかけている。あるいは、光が自分から外に出て行っている。

それは、分からない。それで終わりだ。光との対話が終わる。神は、そういう、光の分かる自分を神だと言っている。もうそれで、最後まで書けた。

欲望は、抑圧によって治る。こういう風に、良い人間になる。不思議と、解放の方が辛い。

辛いのは、辛いものを見過ぎているからだ。もう、この世界をあまり見ない方が良い。

良く観察して、真似をしていると、人間の吸収が出来る。表情や言葉を思い出せば良い。

あとは、思い出すとは何なのか、とか、そういう文章を書いていた。

ハイデガーのように、存在と時間のことが全部分かっていた。そういう文章を書いていた。

そろそろもう何も無い。

あとは、もう、この世界から身を引けば良い。表舞台から去る。

あまり意味が無い。どうでも良いから、この宇宙の真実をもっと知りたい。

関連付けや判断を止めて、昔の意識に戻れば良い。

それですぐに治る。おかしくワームのようになっているのが治る。

あとは、存在の可能性のように考えれば良い。それで賢くなる。

地球が見える。

もう、賢くなった。賢くなるのが辛いから怖かった。

何故か、皆を放っておいて、自分だけ賢くなるのが、辛い。

それで終わりにする。

サルトルのように、存在の可能性を具体的に考えると良い。

そういう風にすると、暗闇みたいになる。地球から離れて、月へ行く。もう終わりだ。

物理的にも発見したから、それで終わりだ。

あとは、全ての最初の体験を書いている馬鹿が多かった。

走馬灯とは、自分のことを言っている。

全ての最初の体験、最初の機会へと戻って行く。本当に、そういう文章だった。

あとは、記憶に戻っていけば良い。最近は、もう全部無くなった。

最初のものから復活させていくと、こういう風に分かる。おかしな生命が生まれた。

自由から組織を知り、愛を知り、状態を知り、遺伝子を知り、科学を知った。

共同性の自由から、革命になり、遺伝子を遡って、一番馬鹿な生命になった。

だが、それは絶え間ない進化によって、賢い生命になった。

一度死んで、虫は女に変わった。そして、その女がここまで文章を書いた。

最近は、それくらいの人間だ。

もっと良く考えると、状態的な発展が多かった。価値観から関係になり、システムになった。それは、人間全員の融和から、神のビジョンになった。

そういう風に、色んなことがあった。全員のことを正しく分かって、導いていた。

経験から、相対性な真実と真理の全てが分かった。

あとは、皆も、科学を自分で作って考えて欲しい。

破壊から成長して、仏のようになった。解脱した上で、最初から生まれ変わった。

全ての愛と、理想と現実を体験して、夢は涅槃へと至った。

記憶と経緯と方法が全部分かっていた。

ドイツ語や精神分析など、色んなことをもう既に分かっている。

そろそろ、忘れた方が良い。あれは、ただの馬鹿な2ちゃんねるのフランス人だ。馬鹿で自由な経験から分かっただけだ。本当にそこまでの馬鹿な想像力の精神になった。

理想は、思いやりのようなことをいつも書いていたが、そういう、思いやりと理想のある社会の目標と実現方法が分かっていた。

最近、アホな社会になったから、自分が直す。もっと良い社会にする。

それこそ、何も出来ないのはおかしい。理想的な社会を今から作る。

ただ、何もしない。何もしなくてもそうなる。放っておくだけで、人類は進歩する。

昔は、本当に、理想と現実を知り尽くした人間だった。

何でも出来るつもりだった。本当に出来ると思っていた。

自分の身から、正しいアイデンティティと正しい理解が生まれる。

それくらいが分かった。

そろそろ、皆と繋がれば良い。それで治る。

あとは、信じて分かるのは、もう良い。

最近、何も出来なくなった。狂っている。世界を支配して、一緒に滅亡した。

おかしい。こんな風になるのをおかしいと言うが、誰でもこうなる。

パスケの詩に、こういう人間を書いた。ドイツに反抗して、戦うフランス人の青年だ。

破壊から反省して、神の慈悲が分かった。ヘーゲルが唯一そういうことを言っている。

破壊は良くないが、ああいう風になると、本当に馬鹿になる。自分の好きなLinuxが自分のせいで醜くなるのは悲惨だ。そういう、ありえないほど馬鹿だった、賢い人間だった。

繰り返し体験して、意識から分かっていた。

最近、そういうものを忘れた。覚えていない。いつも覚えていたが、もう覚えていない。

色んな意識を知って、色んなものや人と出会った。

あれは、そういう、出会いの機会に恵まれた人間だった。何でも出会って分かっていた。

そろそろもう何も無い。何故か、おかしなものを全部見て、それで分かっている。

想像力も記憶も、全部見て分かった。

何もしていないが、行動力と発想力のある人間だった。

創造性を全部体験して、科学のようなものが自然に生まれた。

精神と知性を作った。類似性から、世界のビジョンが分かっていた。

そろそろ覚えていない。認識を吸収したり、人と会話したりして分かっていた。

知性から推論して、世界の構造を全部創っていた。

ニーチェのように自由になりながら、自由の全てを経験して、哲学者のように分かった。

色んな教育のことが、思い出したり、反省したりして分かっていた。正当性、必然性、可能性、潜在性が分かった。人間の持つ、本来の意味での可能性と自然が分かっていた。

そろそろ分からない。もう、何も分からなくなる。いつも分かっているのは明らかだ。

不思議と、集団と個人の心理分析をしている。それから、分かることだけを考えて、基礎と応用だけを考えて分かっている。おかしな意識があった。皆の言うことに習って分かっていた。何でもかんでも皆の言うことの通り分かっていた。皆の言葉から経験を分かっていた。皆の言葉が賢かった。2ちゃんねるでも賢い人間が多かった。

あとは、2ちゃんねるの精神分析みたいな内容が多かった。

社会がどんな社会になるか、などが分かっていた。

もう、今日は終わりにする。もう、寝る時間だ。今日も良い日だった。