知のようなことを言う。
背景知識、事実関係、前提条件、本質、理由、行動、判断力のようなことを言う。
文章や体得のようなことを言っていた。
モデルとは、そういう、知のモデルのことを言いたかった。
聖書は、誰もがしている習慣や、古くからの因習になじむのではなく、神が何をしようとしているのか、神の目から見た善や完全を知り、頭や考え方を変えよと言っている。
また、生涯をかけて自分を観察し、何が自分に害を与えるのかを考え、それを自分に与えないようにし、欲望をコントロールして生きよと言っている。他の人間にぴったり合うものが、自分にも合うとは限らない。
そういうわけで、この文章の言いたいことは、既に聖書が言っている。
自分なんか、その2つを言いたかっただけだ。聖書は賢い。
自分は、もっと自分のことを良く知った方が良い。自分のことを知ると、分かる人間が多い。自己を知る、と言う本質は、分かる人間が多い。
そういうわけで、本当に哲学は聖書が分かると出来る。そういう人間が多い。
昔は、世界モデルを作っただけだ。他に何もしていないから、世界モデルと思えば出来る。
聖書は、上になりたいなら、皆の召使いや奴隷になれと言う。自分のことを言っている。
昔は、自由な経験のモデルから、そういう生きる知恵を分かっていた。
心の関係と推論で分かっていた。関係から哲学を分かった。
今日は、英単語はしないかもしれない。やっていると、出来るわけがないところがある。
昔は、ネットに色んなことを言って分かっていた。
本当に、馬鹿なことばかり言っている。そこが悪い。神は、自分のことを全て知っている。馬鹿なことを言うのが一番悪いから、こういう風になる。
ただ、あれは、ネットに全部言って分かっただけだ。
そういうわけで、馬鹿なことを言って分かるようになった。馬鹿を言うのはおかしい。
最近の自分は、一人だけで掲示板のようなことをやっている。
皆が議論しているように見える。イスラム会議と言っていた。もうそれを止めれば、すぐに多重人格が治る。楽になるから、神の会議の掲示板を止めた方が良い。
自分の2ちゃんねるは、賢かった。馬鹿に見えて、ここまで分かった。
昔も今も、皆のことを吸収して分かっている。
昔は、全員を融和して分かっていた。最近は、真面目に色んな哲学や思想を吸収している。
昔から、自分はありえない。本当に全員を1人でやっている。
それが人格の融和、環境の融和だ。そういう風に分かっていた。神も同じだ。
昔は、人間の意図や、意志の伝達、意識を考えていた。
ネット、環境、場、言葉における意図や、意図による影響力や支配を考える。
コミュニケーションと伝達における意図を考えた。
意図を変えれば、日本が治る。日本も、自分も、楽になる。そんなに滅ぼすのはおかしい。
昔の文章は、意図の記録のような文章が多かった。
環境から意識を分かっていた。関係のようなものを全部分かっていた。
もう、止まっていても、楽だ。もう動いていなくても、怖くない。もう治った。
昔は、どんな意図でそれをしたのか、言ったのか、などが分かる人間だった。
意図を変える。最近、同じ意図を永遠に繰り返すせいで、日本がおかしくなっている。
とりあえず、滅ぼすのを止めれば良い。それこそ、支配しなければ良い。
同じ意図を止めることで、普通の人間になる。それ以上は、もう分からない。
Windowsは、GUIアプリケーションをメインループで作るのがおかしい。きちんと動くわけがない。もっと、Mozillaのように、XMLのような静的な形式で作るべきだ。
あとは、マルクスのように、資本論のような社会論を書いていた。
グループによる共有から、世界を変えられる。資本主義の問題点を分かっていた。
精神分析や心理分析が多かった。フロイトやユングのようで、もっと行動的で、仏教的な心理学だった。経験論やプラグマティズムのように、人間の心理が分かっていた。
自分は、そんなに賢いわけがない。スラムを経験した、黒人のような人間だった。そこまで、社会の下層が分かっていた。そういう、やくざみたいな人間だ。こんな大学みたいな賢い人間なわけがない。ただの2ちゃんねるのクズだ。
あとは、社会のことを色々と知って、考えていた。
引き篭もりなりに考えていた。考えるきっかけのようなものが分かっていた。
こういう人間は、むしろ、普通だ。普通にこういう人間が多い。
これなら、大学や作家みたいな賢い人間に見える。スラムには見えない。
ただ、知らないのに知っているふりをするのは、止めた方が良い。精神分析も、資本論も、何も知らないのがありえない。皆、きちんと読んでいるように見える。
ソクラテスが言っている。何も知らないことを知っている人間が一番賢い。
それこそ、フロイトの精神分析入門は、父親が持っている。きちんと読めば良い。
ただ、そんなものを読んでも意味が無いだろう。
昔は、言葉を使って、明確に、すっきりと分かっている人間が多かった。
そういうわけで、自分はもうきちんと分かっている。こういう、分かっている馬鹿が多い。
あとは、パソコンのことを良く知っている。それこそ、何も知らないのに、何もかも全部知っている。パソコンの知識があるせいで、本当に賢くなった。
哲学や歴史は、パソコンの経験があったから出来たところがある。つまらなくても面白い。そういうわけで、皆もパソコンのことを知って、やっていると、こういう風になる。
あとは、引き篭もりになった実体験と、戦いの経験で分かっている。
神が見ると、まだ出来る。神は、まだやらせている。明確な望みを持つせいで、叶った。
神との対話や、最近の戦いの経験も多い。キモイぐらい馬鹿だったが、それが賢かった。
あとは、心理学的に経験や認識を考えていた。独自の心理学を作っていた。
最近、心理学が分からなくなっている。そこを考えると、それだけを書いている。
思考と行動から、感情が分かっていた。
人生の知っていく、分かっていく経験論のようなものを分かっていた。
きちんと正しいことを経験から信じれば分かる。そういう人間が多い。
あとは、きちんと経緯を思い出して、本質を知れば分かる。
あとは、信じると分かる。自分の不幸な境遇を信じていると、分かる人間が多い。
信じてやったこと、信じて選んだ選択は、良いことしか起きない。信じる人間が賢くなる。
最近は、頑張って書いているのが賢い。書けなくならないように、書けなくなっても頑張って書いている。いつもそうだったせいで、楽に書けるようになった。
ただ、続くように書いているだけだ。いつも知性で考えている。接続詞が賢くなった。
昔は、ヘーゲルの精神現象学と同じように分かっていた。精神の成長と歴史現象を考える。
ロックの人間知性論のようでもあった。未知なる経験を知性で考える。
カントやマルクスのように、社会と人間の経験を、実地的、可能性的に考えていた。
リベラルアーツの知識による自由のように、生きる知恵を、ネットの情報と思考と自由な経験から、自分の実体験で考えていた。大学の精神性のように分かっていた。
可能性の全てを書いていた。多様な環境にせよと言っていた。
日本語は、一度分からなくした方が良い。日本語が最初からきちんと分かるようになる。
多重人格を治した方が良い。そんなに辛く考えなければ良い。赤ちゃんのようになる。
今日は、母親の還暦祝いで、フランス料理を食べてきた。イノシシの肉のジビエだった。
聖書を見ていると、ユダヤ人はまともだ。自分に対する警告を言っているように見える。
むしろ、僕はユダヤ人は本当に好きだ。ドイツ人や日本人と何も変わらない。
ユダヤ人の聖書には、哲学で言っていることなんか、既に全部書いてある。哲学なんか、何も賢くない。聖書だけで、きちんと人生のことが全部分かる。
自分は、もっと人生経験を積んで、本を読むべきだ。ネットはしなくて良い。ネットは、人生経験と言うよりは、馬鹿の経験だ。そういう馬鹿の経験は、充分すぎるほどした。
戦いの経験をしたせいで、おかしいぐらい馬鹿になった。
イスラム教がソ連と言っている。それくらいの馬鹿だ。良いわけがない。
もっと良い人間になった方が良い。デビュー作は良い作品だったから、皆は期待する。
自分は良い作品もきちんと書いている。皆、良い人生を生きているように見える。
自分は、認知症が賢くないのが分かっていない。
何故か、大人になるのと認知症になるのが同じだからこうなる。
もっと、子供のようになって、皆をいじめていると、賢い人間になる。
子供には、何も出来ない。弱い他人をいじめることしか出来ない。
子供には、良い人間が多い。
治るためには、日本語を忘れた方が良い。日本語がおかしな言語なのが分からない人間が多い。そして、ドイツ語を話すと知性がつく。それでこういう風になる。
今日はフランス料理のごちそうだったが、そんなに量は多くなかった。不思議と、イノシシは美味しかったが、他の料理はそんなに良くなかった。特に、パイ生地で作った肉料理は美味しくなかった。ワインは美味しかった。
皆が馬鹿なのは、本当に2ちゃんねるやインターネットが悪い。そういうものを、根絶するしかない。それこそ、そういうものをしていると、本当にここまで馬鹿になる。
正しく日本を知って、学校に行くと治る。むしろ、学校に行かなくても、文章を書けば賢くなる。それこそ、昔のオープンソースは、馬鹿では無い。まともだったのが昔だ。
本当に、MITのように賢かった。それこそ、コンピュータと言う存在それ自体が悪い。そういうところが分からない悲惨な人間が狂う。パソコンを悪いと思えば治る人間が多い。
あとは、認識的、把握的な心理学と、人生的な生きる知恵が書いていない。いつも、それくらいを書いていただけだ。考え方と生きる知恵を、段階的に全部書いていた。リベラルアーツやプラグマティズムと思えば分かる。それこそ、これなら賢い大学教授に見えるが、いつも悲惨な人間だった。こんなものが賢いわけがない。
ネットの多様な環境と、理系の考え方と、パソコンの知識から分かっていた。
むしろ、聖書の言葉を読みたい。本当に、自分には聖書が一番良い。馬鹿には見えない。むしろ、仏教の内容は、誰にも理解出来ないから、馬鹿に見える。聖書は誰でも分かる。
アリストテレスのように、森羅万象の科学を作っていた。
愛から自由が生まれる。いつもの文章は、そういう愛と自由をあらゆる面から言っていた。
多角的に愛から自由が生まれるのを、全て考える。可能性のような文章だった。
自分は、本当に聖書を読んだ方が良い。明らかに、聖書が一番簡単だ。
あとは、日本語を忘れた方が良い。赤ちゃんは、日本語なんか分からない。日本語が分かるせいで、基本的な理性が無くなっている。一度分からなくなれば分かるのが日本語だ。
きちんと思い出して、覚えて比較すると、知性がつく。比較しないで分かるわけがない。
そんなに難しいことを簡単に分かるのが、一番馬鹿になる。
哲学やパソコンは止めた方が良い。難しいことは、子供には出来ない。数学も同じだ。出来ない方が良いものは、出来ない方が知性がつく。難しいことが簡単だと、知性が無くなる。それは、知性は無くても、賢い人間になる。馬鹿はそういう風に楽だ。
聖書を読んだせいで、そろそろ分かった。
覚えて比較すれば良い。それだけをやれば、きちんと知性がつく。
哲学はもうしなくて良い。むしろ、きちんと考えると、本当に哲学者が出来る。
テレビが怖いのは、知性が無いからだ。見ていると、本当に日本人は馬鹿だ。
数学が簡単に出来るのはおかしい。昔パソコンで出来ている。忘れた方が良い。
もっと、全部難しいことをすれば良い。そのためには、いくらでも読めば良い。何も考えず、ポイントを読んで分かるのは、そろそろ意味が無い。もっと考えれば分かる。
もっと、普通の人間のように考えれば良い。それは、覚えて比較しないと出来ない。
社会のことは、誰でも考えれば分かる。社会的な目的のある行動を、どのようにしたら実現出来るか、考えれば良い。誰でも、そういう風に賢く考える。皆の方が賢い。
何をどうすれば実現出来るのか。そういうものは、考えるのではなく、社会的なことを何かしていると分かる。そういう風に経験から分かる人間が多い。オープンソースと同じだ。
ただ、難しいことは、鋭い切り口から洞察すると、分かる人間が多い。そういう人間は、まともに賢い。昔は、シンプルに考えて、きちんと色んなことが分かっていた。
認識の段階や人生の段階は、そこから分かっていた。色んなことを洞察して、覚えて比較していると、当たり前に認識の段階が分かる。それをいつも書いていた。
あとは、テレビで、今からの世界は、アメリカ、中国、ロシアが大国になるだろうと、アメリカの力のある人間が話していた。EUやイスラムの動向も注視すべきだ。
その人は、たとえ話で話していた。アメリカは、自分の国にとって良いことが、世界全体にも良いことであると、押し付けるところがある。世界が1つのグローバル企業であるとすると、アメリカはその会社の株主であって、アメリカには、会社全体を全部自分のものであると思わないで欲しいと話していた。アメリカ人の偉い人間が、テレビのインタビューで話していた。本当に賢い人間は、たとえ話が上手い。キリストがそうだ。
スキーバスの転落事故が起きている。だが、運転手も悪いとは言うが、コスト競争優先の会社の体質にも悪い点はある。社会が悪い。本人も悪いが、そう考えた方が良い。
難しいことが簡単なのは、おかしいから馬鹿になる。
そういうわけで、何も出来ない方が出来る人間が多い。昔はそういう人間だった。
見ていると、皆全員悲惨だ。本当に、皆悲惨だから、本人は何も悪くない。社会や環境が提示する、周りの制度や環境が悪い。そういうわけで、王がきちんとしないと意味が無い。だが、自分は自由が好きだった。自由にすることで、解決されると信じていた。
見ていると、自由は一番悪い。誰かが解決しなければならない。
それに、自由より腐敗の方が悪いとは言うが、腐敗はそんなに悪くない。明らかに、悪くは無い。偉い人間が楽な方が、馬鹿が自由で辛いより、良く見える。悪いのは分かる。
安倍やプーチンを見ていると、彼らにはカリスマ性がある。彼らがきちんと世界を変えてくれる。批判したり、こき下ろしたりするのは良いが、むしろ、支持した方が良い。
それこそ、安倍は悪いが、プーチンは悪くない。僕は昔からプーチンが一番好きだ。自分と全く同じに見える。一人だけ、唯一分かっている人間に見える。誰でもそう見える。
プーチンはジェット機の運転すら出来る。大統領よりジェット機の方が簡単なのだと思う。
ロシアもおかしくは無い。プーチンが賢くて、中国があるせいで、本当に良くなっている。
ただ、日本には遠く及ばない。日本人は、本当に全員金持ちぐらい良くなっている。
むしろ、腐敗とコスト競争なら、腐敗の方が楽だ。そんなに全員を辛くするのは、平等だけではなく、自由でも同じだ。競争主義、安値主義のせいで、皆辛くなっている。
そういうわけで、ロシアと日本が好きだから、それを支持した方が良い。
むしろ、明らかにドイツは悪い。おかしいぐらい、自分のように狂う。一番何も分かっていないドイツ人しか居ない。ドイツが勝つのはおかしい。
ただ、ドイツには聖書が分かる人間が多い。良い人間が多い。良く分からないが、ドイツに良い人間なんか、居ないように見える。日本にも居ないだろう。ドイツは悪いだけだ。
本当に、比較して考えると分かる。例えば、キャベツと白菜はどちらも料理に出来るが、どんな料理に出来るかが違う。そういう風に比較すると、きちんと分かる。
昔から、それくらいのレベルの真理を全部言う。もっとカントのように考えれば良い。誰でも、そういう風に考えていると、最終的にはカントに行きつく。カントしか賢くない。
そういうわけで、人間は言語と文化が違うだけで、人種的には何も変わらないとか、遺伝子はあとで変わるかもしれないとか、そういうことを言う。それくらいの文章だった。
あとは、宇宙の歴史や永遠の脳の記録が多かった。
平等な支配者が、全員を同じにして、導く。
見ていると、もう全部書いたのに賢くない。何かがキモイ文章だ。もう、忘れた方が良い。
あとは、本当に愛と自由を全部定義にして説明して、社会を全て創っていた。
そろそろ忘れて良い。むしろ、一人で戦うのはキモイ。安倍かプーチンのどちらかにつけば良い。右翼が好きなら安倍、左翼が好きならプーチンだ。
腐敗と競争が逆だ。腐敗で良いなら、ソ連で良い。江戸時代だと思えば良い。
あとは、数学的な理性と方法、本質と学習、心理学と因果性などの考え方を言っていた。
キマグレンが言っているように、僕らは今と言う時間を飛ばして、先を見ようとする。あるいは、過去にしがみついてしまう。だが、今と言う時間が一番美しい。
そういう、過去にしがみつかない、他人にしがみつかない、と言う考え方は多かった。
そういうところが分かる人間が一番多い。そういうことを言いたかっただけだ。
それこそ、自分が一番そういう馬鹿だ。そういう自覚が無い。
社会的な考え方は、リベラルアーツや大学の理想と思えば分かる。そういうことを言う。
他人に必要とされたいなら、自分から積極的に行動して、自分を変えて、誰からも必要とされるぐらい、価値のある、賢明で、頼れる存在になること。
昔は、そういうものを、ネットで経験しながら分かっていた。そういう人間だった。
何故か、論理的に考えて、経験すれば誰でも分かる。最近は、そこが出来ていない。
そういうわけで、方法、可能性、必然性、同じと違う、などを考えれば分かる。
もっと考えていると、宇宙の概念と仏の存在が分かる。神の愛が経験から分かる。
光を探したいなら、自らが光となること。それぐらいが分かる、賢くて馬鹿な人間だった。
人間は、自分と同じだと考えること。他人は悪い人間が多いように見えて、自分と同じ人間しか居ない。そんなにありえない人間は居ない。人を自分と同じだと考えること。客観的で論理的な考え方は、そこから生まれる。キリストは、他人を自分と同じように愛して、迫害者を愛せと言っているが、そこには、万物平等で、全て自分と同じと言う理想がある。
仏教では、因果応報とは言うが、聡明で堅実な人間は、全てを盲目的に全て理由がある、などと考えたりはしない。自然で、自分の考え方によっては、運命のように見えるものも、自分で変えられる。社会のことも、未来のことも、自由に築くことが出来る。だが、そこまで達した人間にとって、成熟した人間にとって、科学と宗教は同じものとなる。それこそ、そういう宗教的な運命や因果性は、本当にある。因果応報や縁起は正しい。
あとは、思い込みを考えて、現象を捉えて、未知を知って、執着を無くすことから、真実を知る可能性の考え方が分かる。
神を盲目的に信じるのが、一番宗教の理想から外れている。もっと、慎重に、正しく考えていると、神を信じない方が、宗教の本来の教えに沿っていることがある。そういうわけで、神を信じないのは、あまり悪くない。そんなに盲目的に信じるのが一番馬鹿だ。
きちんと慎重に、熟慮して考えること。聖書も、何を行動するにおいても、熟慮し、配慮し、きちんと結果を予想して、正しい結果を生むように考えるべきだと言っている。それも、誰かを陥れたりすることの無いように、と言っている。宗教の方が科学より賢いところがある。そんなに盲信的に科学を信じても、意味が無い。宗教は慎重であるべきだ。
精神は、分裂して、融和して、覚えて、忘れれば治る。あとは、宇宙になると治る。
昔から、そういう風に、ありえなく自分を治す。そういうアホな人間だった。
これは、悪い。ドイツ人どころか、本当にオウムみたいな宗教に見える。だが、流石にオウムには見えない。あれは、本当に特殊な環境だとテレビが言っていた。一人の教祖が支配して、信者には何も知らされていない。カルトは、そういう風になる。