日記に戻る | 2016年1月の日記に戻る

=2016-01-07=

今日は英会話教室に行った。

昔は、社会構築の経験のように、人生経験から世界のことを分かっていた。

そういうものを書いていた。

場の変化から記憶のあり方を知った。

自由な知識と理性から、自由になって、体験から分かっていた。

知識と知性を吸収して、色んなことを知って行って分かっていた。

色んなことをするのを考えた。色んなことをしながら、行動して分かっていた。

皆の延長線上の知識と理解を考えていた。

そろそろ、何もしなくて良い。そうすると、まだ書いていればそれで良い。

最近は、王を頑張っている。不可能を思い出すのは止めた方が良い。

あとは、昔は、価値観と意識を分かっていた。人生を分かる、異様な意識の人間だった。

サルトルが組織への参加を拘束だと言っているが、僕は逆に、拘束を上手く利用し、理解して、全ての環境のようなものを分かっていた。

組織への自由な参加や環境が分かる人間だった。自由とは、そういう自由だった。

あとは、支配して分かっていた。

ネットを見ながら、皆のことを何でも変えられる、分からせることが出来ると考えていた。

ボトムアップを信じていた。

それから、もっと自由なことを考えていた。昨日のことは忘れたが、自由な世界の変化の哲学のようなことを考えていた。変化可能と言う哲学だった。「出来る」から分かった。

昔は、仏教のように人生を分かっていた。普通に考えて、仏教の真理と同じになった。

おとなの教養を読んでいる。まだ、序章を読んでいるから、知識は入っていない。

何もしないでいると治る。こういう風に何もしないでいると、治る人間が多い。

昔は本当に馬鹿だった。一人だけで世界を支配して、革命のような戦争をしていた。

一人だけの革命だった。

それが、そのまま神になった。神が自分を懲らしめている。まだやっているのが悪い。

昔は、経緯、解決、証明のようなことから、人間の道理を分かっていた。

最近は、戦いながら自分を治す。

王のような体験をしながら、自分をありえない方法で治す。

想像力をつけて、意識を治せば良いと言う。

分からなくなりながら、そういう風に自分を治していた。

そろそろ、自分が見ても全部書いた。

何もしなければ治る。それで、もう神から自立して、自分で考えた方が良い。

神は、自分を、出来るようにしているだけだ。きちんと出来て良かった。

昔は、空間や時間的な人間の把握が多かった。

自由を考えて、人間の道理のようなものを考える。モデルを作って発想する。

そういうものが、自分の経験から分かった、不良少年のような自由な人間だった。

国家モデルのようなものを、昔から作っている。いじめを無くしたかった。

人生を考えていた。

池上彰は、自分自身の存在を知ることが、リベラルアーツのような、本当に教養のある人間として、本当の陳腐化しない能力をつけるために必要だと言う。

自分も、自分のことを知ることは良いと思うし、すぐに役に立つことよりも、長い目で見て役に立つことを学んだ方が良いと思う。

ハーバードやMITでは、リベラルアーツ教育を行う。本当に長い目で見て、賢い人間を育てる方法が分かっている。アメリカの大学は賢い。ただ、池上彰ではない。自分自身の存在を知るわけではない。それは池上彰が言っているだけだ。

ちょっと誤解を招くようなことを言った。大学の精神性と、リベラルアーツ教育は関係ない。リベラルアーツとは、総合的で一般的な、多分野の知識と教養を教える学問だ。

おとなの教養の、序章を読んだ。今から一章を読む。まずは宗教からだ。

昔は、気づくことで分かっていた。芸術とは模倣であると言っていた。

それから、関係やプロセスを考えていた。何がどうなるべくしてどうなるか、のようなことを、関係とプロセスから考えていた。パソコンのように考えていた。

昔は、ネットで色んなことをしていたが、最近何もしなくなった。

宗教のところを読んでいる。自然環境の違いからその土地の宗教が生まれたと書かれている。間違っていないが、神が怖いのは砂漠のせいではない。神を体験すると、昔から、こういう風に、神が一番怖いことをする。そのせいで怖いのが神だ。

イスラム教の怖い神は、こういう、導き、対話し、戦う神のことを言っている。

自分も自分で分かっていない。神の名前をむやみに唱えてはならないし、神の他に神を作ってはならない。三人も神が居るのはおかしい。そういうわけで、自分は賢くない。

ユダヤ人は、律法のような厳しい戒律を守る宗教を作った。神との約束であり、守ることによって、ユダヤ人という民族を神が守ってくれる。見ていると、自分のような発想が嫌いなように見える。姦淫が嫌いなのは、自分が嫌いだ。自分をしめ出したいだけだ。

ただ、三神教と言う名前は悪い。神がいつも、多神教は悪いと言っている。

この名前は悪いから、皆にも使わないで欲しい。

新しい名前を思いつかない。

オープンソースと神との対話教、のようにしても良い。長い名前になった。

ただ、自分はきちんと一人の神を信じて、最後まで対話した、唯一神の宗教の神だ。

本当に、一人の神が好きだ。そういうわけで、三神教と言う名前は悪い。

宗教にしない方が良い。自分は、文学者だから、神が三人居ても、文学だと思えば良い。

悪くないどころか、悪い。神が見て悪い。いつも豚肉を食べているせいで、イスラム教の神が怒っている。多重信仰も悪いと言う。アホな人間が自分だ。天罰が下っただけだ。

おかしくはない。神なんか、信じないなら信じなくて良い。

神との対話の神を信じているのは分かる。自分の本がキリストに見えるのも正しい。

だが、神の教えなんか、何も守っていない。信じるのが悲惨だから、信じなくて良い。

もっと良い宗教の名前を考えるなら、真実教のようにすれば良い。

オウムに見えるから悪い。適当な名前を誰かがつければ良いと思う。

自分の名前を使っても良いが、「神愛教」が良いと思う。

愛溢れる文章だから、それで良い。「しんあいきょう」と読む。

この文章を神の愛だと思えば良い。神は皆のことを自分のことのように愛している。

基本的に、悪い人間は居ない。悪い人間は、こういう人間が多い。

自分と思って、悪い人間を否定すれば分かる。何が悪いのか分かる。

昔は、戦争みたいなことがしたかっただけだ。普通だからそうなる。それが神になった。

最近の方が賢いのが分かっていない。哲学をやりながら、パズルのピースのような文章を書く。毎日書いているのが賢いから、こういう風になる。

昔は、場の雰囲気みたいなことを支配していた。それくらいの馬鹿だった。子供みたいな人間だったが、そういう風に賢くなった。経験は、そういう経験があっただけだ。

神愛教は良い名前だ。キリスト教の一派に見えて良い。この名前をつかうことにする。

神は、このように、皆のことを愛している。自分が一番、神の愛を信じている。

神の愛を信じると、戦いに負けなくなる。悪い戦いでも、神の愛を信じると、勝てる。

神の愛は、全てを許してくれる。ブッダが解脱と言っているように、神の愛には、人生に必要なものが全部揃っている。何でもきちんと分かる。神は皆のことを愛している。

神愛にすると、信愛に見えるから、そこが良く見える。自分が神やキリストを信じる愛に見える。それは悪くは無い。良い人間に見える。詩人に見える。

直観教や洞察教にしても良いが、それはあまりに昔に見えるから、止めた方が良い。

それこそ、最近で良いなら、対話教にすれば良い。それは意味が無いだろう。

あまり意味が無いが、昔は直観や洞察のような能力が多かった。

だが、考えると、信愛の方が重要に見えるから、それで良い。

最近の賢い点は、これを毎日書いているところだ。馬鹿に見えて、神みたいに賢い。

プラットフォームや相互作用のような「全部の考え方」みたいなことを言っていた。

構造と関係を網羅して、環境のようなものを作っていた。

昔は、場の意識から、その場所の光景のような人生経験を書いていた。

論理的な方法みたいなものを考えた。自由から人間と社会の道理を理解していた。

経験と関係から考え方を理解していた。

モデルとは、考え方と行動のモデルのことを言っていた。

もっと、行動を当たり前に考えれば良い。何かをするためには、前提知識が必要だ。

昔は、そういう、行動の前提条件が分かる、賢いプログラマのような人間だった。

行動の前提条件から、自由な社会の理想のようなものを考えていた。

社会は、それぞれに本当に必要なものを与えて、必要な手助けを与えるべきだ。

平等から自由な社会が生まれる。本当に、そういうことを言っていた。

ヘーゲルが言うように、市民のための社会、社会のための市民であるべきだ。

行動をモデルにして、前提や環境を考えると分かる。昔はそういうことをしている。

環境のために活動し、活動のための環境であれば良い。

あとは、考え方の構造を作って、知の世界を全部作っていた。

あれは、そういう文章だった。

真理のように、人間の行動や準備的な前提から、当たり前のことを考える。

人間が何なのか、世界が何なのか、知や記憶や個別性から考える。

そして、世界の構造を全部作って、人間の人格と人生を作る。

そういう文章だった。本当に、システムやモデルから自分の宇宙を創造していた。

あとは、宇宙と人生を決めて創造する文章が多かった。

宇宙には、空間と、時間と、物質と光の多様な形態があれ。

人生は、人間性と、正常さと、愛と、自由と、希望と、夢と、狂いがあれ。

そのように、宇宙と人生を決める。

人生は、愛から平和になり、普通になり、自然と運命から奇跡と必然性を知れ。

あとは、人生の格率のようなものを全部決めていた。

人間は、他を手助けし、自分のことのように他人のことを愛して生きよ。

自由を大切にせよ。秩序を大切にせよ。

平等を大切にせよ。反抗するな。

自然を大切にせよ。盲目的になるな。

時に科学的に冷静に考え、時に神の愛を信じよ。

時に愛し、信じ、時に疑い、思考せよ。

正しく、理性的に、建設的に考えて、破壊ではなく、創造せよ。

社会の秩序を大切にして、良いことをし、意見し、言葉にし、正しく考えて行動せよ。

愛とは、カントだ。自由とは、ヘーゲルだ。理性とは、デカルトだ。世界観とは、ハイデガーだ。可能性とは、サルトルだ。分析とは、ウィトゲンシュタインだ。

自由とは、社会における、共通の合意の形成である。

共同体は、全て、合意の形成である。

昔は、そういう風に、共通する1つの本質から社会を作っていた。そういう文章だった。

自由と言っていた。それぐらいの文章だった。

歌手を聴いていると、自分に会いたい人間が多い。自分が好きな人間が多い。

それは、実現出来ない。代わりに、自分と同じになるしかない。

何か考える。そのうち、何かの形で、自分の存在を知らせる。

会える可能性もゼロではない。むしろ、自分の本を読めば良いように見える。

本当に会う意味はあまりない。本を読めば良いように見えて、自分が自分に見えない。

要は、皆の人生の中で、僕に出会うようなことが何か起きれば良い。

自分と同じように、神と対話して、文章を書けば良い。そういうことが何かあれば良い。

文章は、場の歴史のようなことを言う。都市は歴史的に発展し、拡散するとともに集中する。そういう、場の歴史のような、法則性のある都市論や社会論を書いていた。

あとは、何でも実現して、解決する文章が多かった。方法的、構造的に実現していた。

そういうわけで、それぞれの人生の中で、そろそろ神が現れる。

自分と同じように、対話の神を信じると良いだろう。それ以上は、自分がしなくても、皆それぞれが、それぞれの力で実現出来る。それぞれがキリストのようになる。

あとは、構造的な発想や発見のような文章が多かった。正しい考え方で考える。

考え方からこの社会と人生のことを全部考えていた。それだけの文章だった。

あとは、そろそろ何かが起きる。

この世界は、自分が居なくなると、半分ぐらい価値が無くなる。半分は自分だ。

ただ、そういう自己中心的な考え方は、自分を真実から遠ざけている。

ファンモンが言うように、自分の声や言葉や涙が、雨や風になる。自分はそういう、神のような人間になった。おかしくは無い。元はスラムのやくざだったのが自分だ。

あとは、人生の経緯を全部書いていた。

皆を自分にして馬鹿にする、悪魔のような人間だった。革命家の王だった。

自分が一番悪い。これ以上悪い人間が居ない。

最近は、それで良い人間になった。むしろ、神をきちんと信じているから、これで善人だ。

皆も神を信じて、宣言した方が良い。

良いエネルギーを持って、良い言葉を言っていると、未来が改善する。

運命的に、良い人生になる。

あとは、昔の言葉は、今の人生のことを言っているものが多い。

今自分の思う言葉に、未来の運命が刻まれている。

無限の知識、無限の知恵が怖いとは、今のことを言っている。本当に無限に地獄を耐えるのは、怖い。そのことを言っていた。永遠を生きるとも、ギリシャ神話が正しいとも言っているが、今のことしか言っていない。全部、未来のことを言って、信じている。

神は、自分だ。

昔、英語をやると馬鹿になると言って、数学をやると意味が無いと言っている。

それは、今やっていることを言っている。

昔の人生をフランス人と言って、今の人生をドイツ人だと言っている。

ドイツ人は、未来のことなのに、既に分かっている。それを、全てまるごと忘れた。

忘れるのが良いから、こういう人生になる。

ドイツの神とは、この文章のことだ。この文章を神だといつも言っていた。

世界史は、ようやく朝鮮を読み終えた。次は中国だ。明と清だ。

朝鮮語は、母音10、子音14を組み合わせたハングルと言う合理的な表音文字を使う。文法は日本語と良く似ているし、単語の発音も良く似ている。

大学の教育的な精神性のように、色んな考え方や理想を分かっていた。

何を書いているのか分からないようで、そういうものを書いている。

本当はそういうものを書いていた。全く覚えていない。

もっと、そういうことを言えば賢い。自分で無くても良い。

すぐに使える知識ではなく、長い目で見て、有効的な能力をつけさせる。

自分の経験とネットの情報から、そういうものを分かっていたのが、本当に昔多かった。

あとは、最近は、皆のために、出来ること全てを頑張っていた。

不思議と、外国人なんか、嫌いで良い。嫌いな人間が多い。

英語なんか、出来ない。英会話教室に行って、出来るわけがないのが良く分かる。

最近、右翼が悪いのをいつも悩んでいるが、そんなに悪くない。

悪い人間には、外国人が多い。暴力団、パチンコ屋、詐欺、ハッキング、全部朝鮮人だ。

ただ、殺すのは悪いと思う。それこそ、右翼の方が本当に良い人間になる。

賢い人間が右翼になる馬鹿が、こういう風に多い。右翼は、本当にこの世界に勝てる。

日本は悪くないだろう。日本は、右翼しか居ない国だ。

それこそ、アメリカ人はあまり悪く見えない人間が多い。アメリカ人に優しい日本人はありえない。何故か、漢字が読めないのに日本に居るのはおかしい。悪いから、追い返した方が良く見える。そういう人間が2ちゃんねるみたいに多い。これだ。

むしろ、明らかに日本人も一番悪い。イギリス人もフランス人も悪いから、トルコ人もイラン人も黒人もインド人も悪い。地球上、全部の人種が悪い。そういう発想が自分だ。

昔は、裏や未知を全部考えていたが、最近は戦いで全部している。

支配して、全部している。

そういう、全部しているのを殺すと、足が治る。

あとは、右翼や外国人を殺すと、足が治る。