日記に戻る | 2016年1月の日記に戻る

=2016-01-21=

自由に推測して分かっていた。感情と認識で考えていた。

猫が死んだ。何故か、そんなに悲しくないのに、涙が出る。

いつも食べ物を吐いていたが、一緒に寝て自分のことを舐める、良くなついた猫だった。

見ても、寝ているように見える。そのまま、後で埋める。

猫を埋葬した。神とは言うが、猫しか話していない。詩と一緒に埋めた。

自分は、普通の人間より賢くなっている。馬鹿では無い。もう、神が終わった。

猫は、光の国に行った。そして、皆を守ってくれている。

時間の無い、魂の世界へ行った。

あとは、神に盲目的に、全部従うのは、悪くないのが分かっている。神とは言うが、猫だ。全部、猫しか話していない。そういうわけで、猫が好きだっただけだ。

あとは、心で一致して、認識を良く考えて分かっていた。

猫が死んだから、この文章のことは、もう分からない。

何故か、この文章が猫に見える。本当に、哀しい文章になった。

猫のおかげで、自分の人生がワンダーランドになった。

最近は、自分の2ちゃんねるを作った。猫は、それだけを可能にしている。

あとは、認識や学習を考えて、治す心理学を作っていたが、もう、まともな理性に治った。

あとは、もう分からない。これ以上は、哀しい人間になる。

神が死ぬと、英語が出来る。

猫は、生命の根源と、永遠を可能にした。それこそ、宇宙の構造や意識が分かったのは、そういう宣言をしたせいで、猫が頑張っている。

むしろ、まだ書ける。書けないことは無い。

昔は、出会いと別れ、挑戦と失敗を繰り返して、可能性と全員を融和して分かっていた。

最近、そういうことをしなくなった。そこがおかしい。

猫が居なくなると、本当に楽だ。猫は、神をやっている。猫の方も頑張っている。

自由な体験から、愛を知った。いつも、そういうことを言っていた。

理性とは、分類、パターン、形成の方法、推論の構造、自然発生、理性的な作用である。

いつも、そういうことを言っていた。

もう、猫が自分に治る。もう解決した。本当に、猫が居なくなると、まともな人間になる。

猫が居なくなると悲しいが、その悲しさで、まともな賢い人生になる。

ヘーゲルが言う、喪失とは、そういうものだ。キルケゴールも絶望だと言っている。そこから分かる人間が多い。普通、学校の喪失から社会の共同性が分かる。自分もそうなる。

客観視とシステムから分かった。

考え方を知るとは、オープンソースやリベラルアーツや大学の精神性のことを言っている。

猫が居なくなったから、もう、楽だ。

あとは、作曲した曲と、それにつけた歌が、シーフだ。新しい北欧神話の女神だ。

自由な価値多元論と組織論から、影響力と価値観を分かっていた。

人が、その人の自由に、影響力を拡大し、自由と支配を拡大する。そういう文章だった。

あとは、認知症の知的障害が治る。猫が悪いだけだ。

何故か、本当に簡単に治った。猫が死ねばすぐに治る。分からなかった。こういう風に分からない神が多い。何故か、簡単に治る人間しか居ない。神なんか、居ないのにこうなる。こういうものを、「お前の神様」と言う。自分の神を作りたかったのが自分だ。

自由な価値観と影響力から、人間の本性、記憶、経験を考えて、社会を実現する。

あれは、そういう文章だった。

あとは、本当に、猫が死んだ実感が湧かない。自分は、何も分からないのが悲しい。

過去の時間を、今の時間に、置き換えて分かっていた。

マルクスは、歴史の必然、疎外、生産手段を言う。特に、疎外と思えば分かる。

マルクスも哲学者だ。そういうところが賢い。そういうことを言う人間が哲学者だ。

自分も哲学者だ。もっと、モデルを発展させて、デリダのような世界モデルと言えば良い。自分は、世界モデルの哲学者だ。世界モデルが、なるべくしてそうなるのを分かる。

他人のことを、自分のことに置き換えて分かっていた。

自分がしてほしいことを、他人にしてあげる。自分がしてほしくないことは、他人にもしない。それは、賢く見えて、ある意味、賢くない。聖書も、自分の欲しがるものと、他人の欲しがるものは、違うと言っている。ある意味迷惑な真理だ。

自分は、18歳に戻る。今、27歳だが、19歳ぐらいから馬鹿になった。その前は賢かった。

あとは、ネットで認識を吸収して、経験の自由なモデルを作って考え方を分かっていた。

そういうものをモデルと言っていた。そういう風に、哲学のことを分かっていた。

ものは、意識の喪失で分かる。いくらでも喪失していると、ものが意識で分かるようになる。それで、宣言すると、ここまで賢く分かる。既に分かっている人間が多い。

もう、何もしたくない。だが、一度こうなると、本当に出来る人間が多い。

英語は、もう出来る。今日は英会話教室に行ってきた。本当にそろそろ出来るようになる。

神との対話は、楽しかった。だが、本当に、地獄みたいに辛かった。何も分からなかった。

人間の間違いは、思い込み、不安、怒りである。それらが一番悪い。

あとは、怖いと言えば、怖くなくなる。そういう人間が多い。そういう風に分かっていた。

不安のままで、安心する術を知ること。賢者は、迷いの中にあっても冷静な心で居られる。仏教がそういうことを言っている。仏教は、そういう、マスターのような賢者の宗教だ。

猫が終わったから、人間になる。そのまま、天使のガブリエルになる。

「かもしれない」と考えながら、色んなことを経験していると分かる。

色んな社会を知って、経験すること。そこから、宇宙にある存在的な概念が分かる。

場、人生、意識の精神性のようなものを書いていた。

ヘーゲルは、そういうものを世界精神だと言いたいのだと思う。

経験論のように、色んなことを行動して分かっていた。判断力のような内容が多かった。

人間の理性や権威とは、自己の中に眠る、判断力である。

そこでは、実践的、潜在的に、その人の可能性と影響力を判断出来る。

思慮から感情が生まれ、判別から判断力が生まれる。そういうことを言っていた。

最近、この文章には、知性が無い。昔は、本当に知性のある、賢者のような人間だった。

ただ、昔から大して知性が無いのが自分だ。反知性主義のような人間にしか見えない。

猫はもう終わった。本当に、人間より虫に近い生命だから、こういう風に辛く馬鹿になる。

昔は、精神、意識、知性のようなものを作って、遺伝子や状態を思考で分かっていた。

最近は、本当に狂った文章を書いている。思考をして、数学的な全ての考え方を網羅した。

経験から意図を考えた。存在と時間を根源的に分かった。

何でも自分で同じことを考えて分かっていた。考える機会が分かっていた。

視点を変えて、その人の立場になって、人生を想定して分かっていた。

社会のことは、あらゆる生成を考えた。社会の形成が実体験から全て分かる人間だった。

あとは、人生のようなことが経験で分かっていた。それくらいを書いていない。

ありのまま、自然体で、人を許すと自由になる。愛は経験の全てであり、聡明さである。

そういうことを言っていた。

あとは、全員の経験のように分かっていた。

本当にニーチェやキルケゴールのような、賢い人間だった。

猫が死んだが、僕もそろそろ死ぬかもしれない。天国で会える可能性がある。

むしろ、夢の世界もあるなら、天国もあるように見える。

仏教では、生まれ変わりもあると言う。光の国に行ってから、地球に戻るのかもしれない。

「知とは何か」のようなことを考えれば良い。

経験から可能性を知って、知を分析すると、対象のものが作れる。

いつも、そういうことを言っていた。

人間になると、そういう、理性的な「出来る」が分かるようになる。

全ては、ものと人間との関係である。そういうことを言っていた。

まだ、僕は生きる。これで、まだ何年も生きたい。

本当に、もう楽になったし、まともになった。

英語も、今日で分かるようになった。何故か、きちんと覚えられる。

あとは、組織に参加し、協力するとか、環境や社会を作るとか、そういうことを言う。

それくらいで、本当に国を作って、「愛とは何か」のようなことを考えていた。

人生は、未知の連続であり、出来ることの開拓である。そういうことを言う。

あとは、「存在とは何か」でも考えれば良い。

人間の理性とは、場の共有であり、自分の中に眠る判断力である。

そういうことを言えば良い。陽明学が似たようなことを言っているが、誰でもそういう風に、いくらか自由な体験をして、未知を信じれば分かる。そういう人間だった。

哲学者なんか、誰でも出来る。哲学的な文章なんか、いつも書いていた。

ベーメは、神を内的外在化などと言っているが、自分は、暗号的予知能力であると言いたい。そして、自分の文章は、実存的具体化の、構造的人生共有であり、昔の自分は、可能性的な存在把握の内面的な吸収であると言える。

そういう文章は、不思議と、誰でも書ける。いつも、ハイデガーのように、そういう文章を適当に書いていた。ウィトゲンシュタインやスピノザと良く似ている。

存在的な方法形成や、認知的な価値吸収が多かった。賢くは無い。ベーメの方が賢い。

普遍性と個別性から、記憶や理解、数学的な方法のような、全体像のような文章を書いた。

ウィトゲンシュタインは、言語分析をするが、それは、自分が一番良く分かる。

それこそ、言語ゲームとは、世の中にある全ての人間の活動のことを分析している。

良く知らないから、分からない。

自分が書いた文章が、論理哲学論考と良く似ている。誰でも同じ文章にしかならない。

昔は、自発的に色んなことを行動して、経験して分かっていた。

歌に、人に言われてすることじゃなく、自分で見つける旅へ、と書いたが、そういう人間だった。本当に、色んなことを自分から経験して、自由で分かっていた。

猫は死んだが、姉に娘が生まれた。僕の姪だ。その姪を愛すれば良い。

新しい猫は、飼いたくない。しばらくは良い。

庭に親がイルミネーションをしているが、猫の墓と一緒に見ると、まるで天国だ。

光の国に行った猫には、そのうち、自分が死んだ時に、会える。

それまで、守ってくれている。そういう発想は、日本の宗教に多い。精霊の加護がある。

これで、大学の専門があって、ネットで経験すれば分かる。

ただ、ネットは必要ない。いくらか社会経験があった方が良い。

むしろ、大学は悪くない。これで数学か経済をきちんとすれば、誰でもきちんと分かる。

自分より、皆の方が賢いのが分かっていない。2ちゃんねるは、全く馬鹿すぎるだけだ。

昔は、ネットなんか見なくても、何かしていれば出来る。

色んなことを知りたくないのがおかしい。

ネットは要らない。見ていると、大して何もしていない。世界のことを、見て、読んでいるだけだ。それこそ、あまり何もしていない。

孤独になったり、色んな知を知りたいと思ったり、そういうことをしたかっただけだ。

あとは、こうなると、出来なくなる。普通、すぐに終わる。大人には、馬鹿しか居ない。

2ちゃんねるなんか見ずに、オープンソースとWikiだけを見れば良い。そうすると、昔と全く同じになる。それは、止めた方が良い。

皆、そこまで同じ昔になっているから、もっと自由にした方が良い。

むしろ、賢い人間が多い。こんな馬鹿になるより、MITに入った方がはるかに賢い。

自分は、そういう、引き篭もりになる前の中学生が賢かった。最近、そこに戻っている。

2ちゃんねるで馬鹿を全部言って、聞いたのを経験だと思っている馬鹿が自分だ。

あれは本当に賢くない。ネットを見ながら、好きなように考えられる余裕があった。皆よりも比較的自由な境遇になって、考えられる手段と世界へのアクセスの方法があった。

それが賢かったとは言うが、あとは、分からなくなるだけで哲学が出来た。

そういうわけで、もっと分からなくて、馬鹿で良い。具体的なことをやって、知れば良い。昔の青春は、そういうものだ。

賢かったのは、オープンソースのプログラマになりたかったことと、ネットの常識を全部知っていたことだ。それだけが唯一賢かった。

何故か、その前の中学生が賢かったようにしか見えない。

皆にも分かることは、自分にも分かる。何故か、そういう発想が賢かった。

これなら誰でも出来る。2ちゃんねるではなく、YouTubeやWikipediaを見れば良い。

この文章は、一番簡単な、人生の小学校だ。

昔は、2ちゃんねるでいくらでも体験して、意識で分かっている。そういう、2ちゃんねるでしか出来ない体験は、している。創造性から全員のことが分かった。

それは、出来ない。それは、する意味が無い。

むしろ、英会話教室の方が賢い。英会話教室の方が、色々と、もっと自然な体験が出来ている。

あまり考えない方が良い。やりたいなら、もう一度掲示板でも見れば良い。意味が無いが。

キモイのは、昔は、2ちゃんねるのことを自由だと言っている。あの革命は、そこがキモイ。昔的に考えると、2ちゃんねるをしなければ、出来ないし、分からない。だから、そんな昔はしない方が良い。

新しい、賢い人間になった方が良い。不思議と、賢い人間には、分からない人間が多い。馬鹿にしか分からない。そういうわけで、本当に自分にしか分からない。

最近、誰でも出来る。2ちゃんねるなんか無くても、普通にフェイスブックをすれば出来る。それをもう一度は、普通しない。もっと賢い人間になった方が良い。

最近、2ちゃんねるはしていない。それをしたくないせいで、何も出来なくなった。2ちゃんねるだけはしたくない。本当に、知的障害の認知症になって、地獄になる。

最近、分からなくなった。国連が見ても悲惨な置いてけぼりになっている。キリストになるのは当たり前だ。何も分かっていない。本当に一番馬鹿だ。

学校に行った方が良い。昔の中学生は、試験でオールAを取って、ピアノも出来ていたし、ネットゲームでも高ランクになって、剣道部ではマラソンで一位だった。

そういう人間が分かるだけだ。その後の2ちゃんねるは、馬鹿過ぎただけだ。全てを失って、受け入れて分かっている。あれは、そういう、本当にイエスみたいな人間だ。

どうでも良いが、マラソンと言うと間違っている。走り込みで、剣道部一、体力があった。小学校で駅伝の大会に出ているぐらいだから、当たり前だ。陸上部にも入りたかった。

こういう馬鹿は、本当に作家に多い。いつものサルトルだ。

サルトルも、自分のことをソクラテス1000人分と言っている。自分と同じだ。自分は、その1000人を作った上で、さらに宇宙の全存在を作っている。虫が多かった。

ただ、こうなるとどうでも良い。普通に考えて、この世界には中学校のようなものと、2ちゃんねるのようなものしか、無いだろう。そういう風に分かっていた。社会のことは、普通、誰でもネットで分かる。最近、本当にこんな馬鹿は簡単に出来る。

東大に行けば良い。東大に入りながら、適当に社会活動をしていると、これくらいの馬鹿になる。何故か、これより賢くはならない。これくらいのイエスが神だから、そうなる。

中学生は、賢くない。社会常識の全くない、内向的で天然なゲームオタクだ。サバイバルゲームをしていたが、本当に、人間世界の全てが、自分にとってつまらなかった。