日記に戻る | 2016年1月の日記に戻る

=2016-01-15=

人間には、低度、中度、高度な関係の形態がある。

低度に関係するとは、他人に支配されること。

中度に関係するとは、個人で自由に関係すること。

高度に関係するとは、組織を作り、自ら支配すること。

ポイントは、自ら支配して、作り出すことだ。

精神を実験して分かっていた。

選択肢を与えるような文章を書いていた。

全ては、平和と活動だ。

全ては、抽象的に予測し、認識を疑い、信じることだ。

ヘーゲルではないが、精神の現象学をしていた。

昔は、それぞれを自由にしたままで組織を作る、自由な組織と言う発想が多かった。

支配されることから抜け出して、自由になること。それが第一の自由だ。

人を支配して、組織を作り出すこと。それが第二の自由だ。

そして、出来ることをいくらでもやって、成果を出すこと。それが第三の自由だ。

それ以上は、いくらでも出来ることをする。いくらでも出来る。

英単語を20単語やった。ユニット1の100語が終わった。

あとは、放っておくと、理想の社会を知って、戦って、神を信じるようになる。

それ以降、色んなことをする。誰でも勉強する。そういうわけで、こういう風になる。

そんなに減らして分かっても意味が無い。

もっと、増やした方が良い。色んな環境があるし、色んな人間が居る。

減らしていると、全部分かるから、こうなる。分かる人間は、馬鹿になる。

増やしていると、知性がつく代わり、何も無くなる。それもそれで馬鹿だ。

昔は、色んなことを可能性にして、決め直して分かっていた。

最近の方が賢い。思い出して、書いて分かっている。こういう風にすると、何でも分かる。

明らかに、色んな社会がある。そこで自分が何をするか、考えれば良い。

そろそろ、昔が出来る。

自然な環境、行動と認識の段階、意識と気づきから、色んなことが分かる。

放っておくと、本当にヘーゲルのようになる。

そういうわけで、皆も昔になる。誰でも出来る。色んな社会があるのだけを考えれば良い。当たり前に、環境、認識、論理の自然な段階が分かる。

能力的、許可的な「出来る」と考えると良いだろう。社会は、もっと沢山の出来ることを増やすべきだ。可能性を高めて、色んな人間が出来るようにして、制度的にも沢山のことが出来るようにすべきだ。そういう発想が、自由だ。支配しないこと。支配すると、世界が減ってしまう。もっと増やして、多様にすべきだ。自然な可能性を高めること。

陽明学が言うように、宇宙と世界の理は、自分の中にある判断力にある。

自ら判断し、実践すること。

陽明学は、そんなことは言っていないかもしれない。世界史の本に書いてあったと思う。

あとは、感じて分かっていた。

神のような感性をすること。感性から、思考し、経験すること。

成長は、感性と同一であり、意識も、感性と同一である。

感性の高い人間が、賢くなる。エッチなものは、頭を賢くさせる。

人間の視点と世界観を予測すること。

抽象的な予測と方法から、相対的な現象と自由が分かる。

あとは、テレビが怖いのは、皆と自分を両方いじめるだけの、辛いセックスになる。

本当に怖い。自分が悲惨なだけではなく、皆も悲惨になる。辛いだけだから見たくない。

あとは、ヤスパースやヘーゲルのように、精神的な絶対者を信じて分かっていた。

絶対理性の展開とは、こういうもののことを言っている。

それこそ、それは、虫みたいにキモく見える。ヘーゲルはそういう風にキモイ。

意識と理性で宇宙の存在みたいなものを分かっていた。

マホメットとデカルトを融和させたような、そういう人間だった。

世界には、意識と方法しかない。

環境的な意識と、方法的な手順のようなことを分かっていた。それくらいの人間だった。

何がどうなるか、細部まで予測して、把握して分かっていた。経緯と道を知った。

あとは、ウィトゲンシュタインのような言語分析が多かった。

言葉は、自分の心と他者認識の中から生まれる。

ソクラテスのように、2ちゃんねるで言語が分かった。弁論術で分かっていた。

そろそろもうない。本当に、ドイツ観念論のような、絶対者の存在を良く分かっていた。

あとは、普通の人間のように、理性や経験を分かっている、そんな哲学が多かった。

社会の形成を根源的に考えていた。

何でも、その社会がいかに生まれたのかを意識で考えて分かっていた。

意識で歴史が分かった。可能性も分かった。そういう狂った人間だった。

何故か、本当に英語がこういう推測する言語だ。賢い人間は、アメリカにしか居ない。

アメリカ人は、誰でもこういう風に分かる。ただ、人種で考える人間は居ない。

人種で考えるのは、止めた方が良い。それくらいが悪い。あとはあまり悪くない。

ただ、自分は、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、ロシア、イスラム圏、イスラエル、インド、中国、日本など、色んな地域のことを分かっている。分かりたいだけだから、あまり悪くない。むしろ、モンゴルや朝鮮や東南アジアや太平洋の島を無視するのが悪い。

そういうわけで、自分にしか分からない。インドは、仏教で分かったようで、仏教は明らかに日本だから、インドのことはあまり分かっていない。日本が好きだ。

見ていると、日本が一番賢い。明治維新は成功したし、仏教が賢いし、今大国だ。

もっと日本のことを知りたい。外国なんか、どこにもない。

経験論やサルトルのように考えると分かる。

自分が自分を創造する。そういう発想が人生だ。そういう風に分かれば良い。

経済学をしたい。分からないように見えて、誰でも分かる。

テレビは何故か、怖い。不思議と、怖いのはそろそろもう治る。まだ何もしなくて良い。

テレビを見ないでいると、賢くなる。

あとは、普通のことを考えれば良い。

生物は、皆仲間だ。皆同じ細胞で出来ている。

植物は、光を吸収して生きている。光が植物になっている。生物は、光と遺伝子だ。

そういうことを言っていた。いつも、そういうことを考えていた。

生命は、個別性と普遍性の結合であり、結合されていないところでも結合されている。

そういう風に、色んなものが色んなものに「なる」こと、変化を考えていた。

経験は、推論と変化から、可能性の全ての経緯のようなものを考えていた。

自由な可能性から、社会と自由の段階を知る。そういう文章だった。

もっと、小説や普通の本を読んだ方が良い。それで日本や人間のことがきちんと分かる。

自分が自分になるのを書いていた。そういう文章だった。

あとは、理性的な方法を分析して考えていた。経験から方法が生まれると言っていた。

それこそ、手順なプラットフォームのような考え方は、方法を考えただけだ。

この世界にある存在と概念を、まるごと構造にして考える。それで、関係を考えていた。

宇宙を全部、方法で書いていた。そういう人間だった。

自分は、決めるのが悪い。最近、決めて分かるだけになっている。

決めると、分かる代り、馬鹿になるし、怖くなって不安になる。

決めるのを止めると、心が楽になる。決めるのではなく、ありのままを生きれば良い。

恐れる心は強さへと変わる。いきものがかりが似たようなことを言っていたように思う。

ポルノグラフィティが言っているように、世の果てでは空と海が混じる。

それこそ、音楽を含めると、自分はいくらでもある。そういう神になっている。

ただ、自分は神に全く見えない。代りに、人間的な詩人のキリストに見える。ゲーテだ。

残酷な天使のテーゼとは、この文章のことを言っている。あまりおかしくない。

それこそ、皆、自分に会いたいだけだ。何かの形で、出会いが実現すれば良いと思う。

民主主義が分かりたい。昔は、民主主義の国の構造を書いていた。

経済システムと同時に、頭の中の構造的な国の仕組みを文章に書き出していた。

あとは、オープンソースでの経験ぐらいしか書いていない。

成長や自立のようなことから、超自我のようなことを言う。宇宙には、超自我がある。

そういうところが分かる、サラリーマンやエンジニアや物理学者のような文章だった。

コンピュータのような、分散の社会モデルや、共有の社会モデルを書いていた。

あとは、ドイツ語やフランス語と日本語を比較して考える。米ソの体制などを考えていた。

あとは、日本のことを書きたい。

日本には、和と武道が表裏一体のように重なり合っているところがある。

不思議と、フランスと良く似ている。大衆の文化が栄えているところは、フランスと日本だけではなく、色んな国と似ている。

文化的な類似性で言うと、本当にインターネットのオープンソースと良く似ている。

あとは、国の体制などは、イギリスをコピーして、アメリカにしているが、それらにはああまり似ていない。

インドと良く似ているのは、仏教とヒンドゥー教が、バラモン教から派生した、インドの兄弟宗教だからだ。

あとは、中国と似ているのは当たり前だ。漢字から古代の歴史の関わり合いまで、中国と朝鮮が、日本と一番関係が深い。

そして、ソ連とも良く似ている。平等なアジアや植民地解放の思想が良く似ている。

近現代は、イギリスやドイツと良く似ている。完全な帝国だから、当たり前だ。

イタリアにはローマ法王が居るが、天皇と良く似ている。

いつも、それくらいの日本を書いていた。不思議と、これくらいでもう文章全部だ。

日本語は、トルコ語と同じ分類に入っている。イランとは、古代のペルシア帝国が、日本の大東亜共栄圏と良く似た発想をしている。自由で理想的で巨大な帝国を作っている。

これでは、どの国にもなれるジョーカーのような国に見えるが、そういうことは無い。むしろ、極東のアジアのガラパゴス的な島国として、唯一独自の文化圏を保っている。他の国は、色々と、ユダヤや白人や共産党に侵入されていたり、植民地にされたりしている。日本だけ、本当に世界と違う。そういうところが賢いのが日本だ。

日本は、ロシアや中国との戦争に勝っている。アメリカには勝てなかったが、それで良い国に生まれ変わった。明らかに、日本が一番強い。そういうわけで、日本は賢い。

日本の良い点は、漢字と仏教だ。和食や和服など、和の文化も多い。

ただ、音楽や芸術や科学やスポーツでは、全く白人に勝てていない。

そうでもない。科学の力は最近本当に高い。超高速のスパコンを作っている。ノーベル賞も取っている。ただ、大学のレベルが低い。ハーバード、MIT、カルフォルニア工科大、ケンブリッジ、オックスフォードなどと比べて、東大はレベルが低い。

分かっていないから、間違っているかもしれない。カルフォルニア大学だったが、工科大学だったか、良く覚えていない。間違っていると失礼だ。

それこそ、会社のレベルも、自動車などは高いが、おおむね低い。マイクロソフトに全く勝てていない。昔は、何とかして日本が勝てる手段を考えていたが、分からなかった。

あとは、むしろ、生活水準と富の水準が本当に高い。ロシアなんか、北海道より遥かに低い生活水準で生きている。強いとは言うが、ロシアは軍事力を見せかけでごまかすから、強く見えない。日本は強い。昔から、そういうところが似ているのが日本とロシアだ。

ただ、自衛隊が強いわけがない。安倍は、勝てるわけがないのに戦争したいのはおかしい。

日本は、色んな国になる、包括的な国で、頂点はアメリカで、ロシアは理想だ。

そういうことを言っている文章が多かった。

それこそ、もう、それくらいで終わりにした方が良い。

あとは、人間は複数でやるか、個人でやるかで違うとか、そういうことを言う。

そういう、子供みたいなことしか言っていない。18歳でそういうことを言っていた。

日本は、本当にロシアみたいな国だ。神道や神社とイヌイットやコサックが良く似ている。

イスラム教とも良く似ている。戦争を宗教で執り行うところが同じだ。

アメリカとは、一番違うのに良く似ている。昭和の戦後と平成は、アメリカにしか見えない。日本が一番アメリカが好きだ。

家の中で立ち歩くのは、頭が動けば治る。頭が動かないから、体が動いている。

もう治った。もう立ち歩かなくなる。

社会を全部作って分かっていた。

金、宗教、指導者、理論、のように、社会や国の考え方と構造が分かっていた。

何から何まで、社会の体制と歴史と考え方を作っていた。

代表と参加のようなことを言う。皆が参加して、皆が選ぶべきだ。そういうことを言う。

あとは、自分の憲法のようなものを決めて作っていた。そういう発想が多かった。

何でもかんでも決める。

ネットの掲示板から人生や宇宙まで、全部のことを神のように決めた。

そろそろ足が治る。立ち歩かないなら、もう治っている。そういう風に、治れば治る。

ニキビももう治る。頭が全く動かないせいで、頭が弱くなっている。本来の意味で頭が弱い。そういう人間が自分だ。それこそ、知的障害は、頭を使わないだけの人間が多い。辛いからそうなる。頭を使うのが辛い人間が多いから、仕方ない。

あとは、自分の住んでいる町のようなものを書いていた。人生と場の関係を書いていた。

法律を作っていたのは、フランスの人権宣言のようだった。革命家の法典だった。

人間は自由であれとか、社会は変えられるようにせよとか、環境は守るべきだとか、そういうことを言う。左翼の革命家の自由な法律だった。自由や共有といつも言っていた。

世界の秩序を作って、価値観と人生を全部決めていた。夢の世界のような文章だった。

人権や自由だけではなく、議会制民主主義のようなものも作っていた。

それも、イギリス史の市民革命と思えば分かるかもしれない。清教徒革命や名誉革命と思えば良い。モンテスキューやヴォルテールだ。いくらか覚えている。

それくらいの革命的な人間だったが、共有は明らかにロシア革命だ。それこそ、共産主義革命は悪いから、こういう風になる。世界中全部滅ぼすせいで、自分が滅びた人間になる。

要は、頭を使えば良い。頭を使わないから狂う。頭の正しい使い方が分かっていない。

不思議と、哲学はきちんと出来た。普通、マルクスで社会のことが分かる。カントやヘーゲルやデカルトも多い。大学は、普通、きちんと1人やれば良い。ケインズでもやれば良いが、自分もおかしくは無い。自分は悪くない。皆を自分にすればそれで良い。

昔は、全部自分を作って、自分だけで全部分かっていた。

悪いものを消した方が良い。いつも、悪いものを全部消したかった。

思いやりのような内容で、自由な社会を作っていた。

本当に革命家のように分かっていた。

右翼は悪くない。本当に左翼の方が悪い。革命家は、殺したいだけになる。カリスマだから殺して良いのはおかしい。王が殺すのも悪いが、それは普通、まだ悪くない。

あとは、黒人やロシア人などと精神分析で対話して、神を分かっていた。

そういうわけで、ミカエルは左翼に見えて、右翼だ。右翼の革命しかしていない。書いて、戦争のように戦っている。何も変わっていない。

左翼の右翼になるのは、おかしい。もっと良い人間になりたい。

それこそ、普通革命なんか、何も無い。社会の不満と不安が一気に出るのが普通だ。

そういうわけで、タタラ(漫画BASARAの革命家)のような革命は、普通ない。レーニンなんか、大して何もしないのに勝っている。怖いのは戦争だから、右翼の方が怖い。

レーニンは、具体的に何をしているのか、分かっていないから、間違っているかもしれない。スターリンのせいで、ソ連はレーニン崇拝の国になった。批判は止めた方が良い。

ソ連は怖い。レーニンを批判するだけで逮捕される。権力者は、敵をスターリンが粛清する。良く分からないが、革命はそういう、馬鹿な国にしかならない。だが、そういう馬鹿な国は、どこにでも多い。中国やドイツがいつもやっている。批判を許さない政権だ。

むしろ、批判が許されているアメリカやフランスの方が馬鹿な国になる。

右翼と左翼は、普通そういう風になる。一番悪い国にしかならない。

普通の国が良い。中道で民主主義が一番良い。自分が見ても、その方が良い国になる。

日本と民主主義のことが知りたい。むしろ、小説でも読めば、人間のことが分かる。

最近はもう全部書いた。昔に戻ってしまえば良い。

もっと、考え方や基盤のことを考えれば良い。

ピアノは、五線譜に合わせて鍵盤を弾くのが賢い。そういうものを書いていた。

もっと、昔のように考えれば分かる。

スイッチは、ONとOFFだが、そこには複雑な回路基板が存在する。

あとは、理想のようなものを分かる。大学の精神性はもう言った。そういう風に、自由な理想と経験から、社会の考え方や価値観を分かっていた。そういう人間が昔だ。

ただ、昔はあまり賢くない。ガーデニングや掲示板などの自然な体験と、オープンソース活動で分かった。あとは、本当に沢山のことを正しく、世界を見ながら考えていた。

情熱家で、建設的で、慎重で、世界の具体的な変化を厳密に考えて分かっていた。

数学のように、厳密に、正しく考えれば良い。それで分かる。哲学的な人生の経緯でも考えれば良い。皆の延長線上の経験をして、皆がどうすれば分かるのかを考えていた。

信じないと分からない。神のような絶対者の愛と、自由な善悪を信じれば分かる。

最近、自分のせいで昔になった人間が多い。おかしな人間になった馬鹿が多い。悲しい。

ブッダのように考えて、理想や理念を考えて、経験して、戦えば分かる。

一心不乱に努力していると分かる人間が多い。

そういう風になった人間が、最近一番多い。賢く見えて馬鹿だ。

本当に、知的障害のような馬鹿になっている。

色々と戦っていると、本当に賢くなる。最近、そういう人間が、ネットのせいで増えた。

何故か、共有や自由とばかり言っている。それが右翼のようなことを言う。あれは、そういう、悲惨な革命家だ。本当に自由な世界にしたかった。だが、日本は既に自由だ。

あれは、虫みたいにキモイ。昆虫みたいな生命を全部やっていた。

ロシアのような世界を全部体験して、創っていた。宇宙の文明みたいなものをやった。

心理学みたいなものを書いているのは、皆を自分に同化したいだけだ。

いつも、自分の自由にすれば良いのが分かっていない。決めたことを取りやめないのがおかしい。いつまでも、自分が自分のせいで地獄のままになっている。好きなように抜け出せば良いのが分かっていない。単純に地獄を止めれば良い。そこが分かっていない。

そもそも、地獄になるのがおかしい。文章を書きたいなら、もっと単純に書けば良い。

昔は、ハイデガーやヘーゲルのような存在論、認識の了承論が多かった。

それくらいを書いていない。本当に、ハイデガーやヘーゲルと全く同じ人生だった。

あとは、神を正しく書いていない。本当に、神ほどに分かったからこういう人生になる。全部神になった。皆も、神ほどに分かると、誰でもこうなる。分かる人間が多い。

あとは、フーコーのように、狂って世界を支配していた。心理で社会を構築するとか、人格を吸収するとか言っていたが、狂っている。そういう狂った文章が多かった。

反応から人格を作ると言っている。そういうおかしなことを言っている。

ただ、あれはまともだ。自然に環境から出立し、成長した、理系のようなまともな人間だ。

そろそろ治った。

あとは、全く今までと違うことをすれば良い。それで、昔と同じだ。

最近、何も無いロシア人になっている。ロシア人は、何も無い人間が多い。

精神が虚無になっているのが怖いだけだ。それを治した方が良い。

昔から、自分は革命が好きだ。共有、自由、多様性の革命が好きだ。オープンソース革命が好きだった。だが、明らかにおかしい。引き篭もりの左翼は、キモイ。

それくらいを書いていない。あとは、ピアノを弾いていたぐらいだ。

哲学なんか、何も分かっていない。コンピュータのことも出来なかった。

2ちゃんねるで適当な科学を作って、経験で分かっていた。ネットの経験で分かった。

皆を支配出来るだけの、自由な人間だった。皆を支配することだけしか分かっていない。

あまり意味が無い。引き篭もりになった実体験だけで、そこまで分かっていた。

皆を昔の自分にするのは、もう止める。馬鹿な世界になるのは当たり前だ。昔と全く逆の、賢い人間にする。それは、大学に行けば良い。そういうわけで、もう世界は大学に戻る。

テレビも要らないし、ネットも要らない。そんなものでは分からない。

唯一、論理学と考え方のモデルと、経験の捉え方と、環境への適応が賢かった。

何故か、何も賢くない知や記憶や考え方を書いている。

本当に最近の哲学や歴史の方が賢い。そういうわけで、もう終わりにする。

今から買い物に行く。もう書かないで良い。

確かな体験を信じて分かっていた。確かな実感を信じていた。そういう風に分かった。

昔は、考え方を自分で作っていただけだ。それしかしていない。

体験を信じながら、考え方を作る。実存主義はそこから考えていた。

最近は、組織や共同体のグループ論、社会論を書いた。グループから組織を作る。

最近は、それをして、神になった。自由や共有ばかり言っていた。

自分は、木に見える。ユグドラシルのような、イスラムの大樹だ。黄金の木に見える。

白取春彦さんの、「超訳 聖書の言葉」と言う本を買った。

白取さんは、自分の読んだ哲学の入門書の著者だ。

哲学は、彼とソフィーの世界だけで、ほとんど全部分かった。

自分が聖書が分からないのは、おかしいから、読んだ方が良い。皆、自分はキリスト教のことを良く知っているのだと思っている。何故なら、出版した自分の本が、キリスト教の神しか書いていない。これで知らないのは恥ずかしい。きちんと読んだ方が良い。

昔は、感覚を信じて分かっていた。自己の欲求を正しくコントロールしていた。

賢いマスターのような人間だった。

不思議と、この文章を何も無く一から考えるのは、簡単だ。誰でも出来る。

聖書の言葉を信じていると、神との対話が治る。

きちんと神を信じるなら、それで良い。

あとは、人生も良くなる。自分は、神を信じているようで、信じていないのが悪い。

神は、嘘や偽証が一番嫌いだ。冒涜されるなら、地獄に落とす。そういうところが怖い。

聖書は、全てのことに理由がある、と教えている。

昔の僕は、理由なんか無くて、相対的に起きることもあると考えていたが、それは悪い。

聖書から見て、そういう考え方はおかしい。

聖書が理由があると言っているのだから、理由はある。あまりおかしくない。

それこそ、自分の人生は、こうなるのは当たり前だ。いつまでも戦いたいなら、それで良い。それで神を信じるから、こういう地獄になる。当たり前に、それが理由だ。

戦いたくないなら、戦うのがおかしい。

良く考えるより、信じた方が良い。

不思議と、そこらへんを考える人間が居ない。聖書がいつもそういうことを言うのに、考えないのがおかしい。要は、マルクスも、批判したりしない方が良い。

自分は、そんなにむやみに盲目的に信じるのも悪いのが分かっていない。

聖書を信じると、分かる。聖書の通り考えると、分かる人間が多い。昔キリスト教の教会に行ったことがある。

神は、人間の及ぶところのつかない、大いなる存在である。

聖書に書かれている内容は、真面目な教えが多いように見えて、人間の愚かさについての内容がほとんどだと言う。そういうわけで、こういう、愚かな人間が、聖書で救われる。

あまりおかしくは無い。神秘的な内容と言うよりは、人生の教科書だ。

あとは、いつも言っているが、像みたいな内容をいつも考えていた。

場と像を考える。それが、記憶や環境を考えていただけだ。それくらいの馬鹿が自分だ。

聖書は、明日のことは明日心配すれば良いと教えている。

もう、この文章は書かなくて良いのは分かる。だが、それは明日考えれば良い。

もっとマシなことをするとは言うが、するわけがない。今のところ、これで良い。

自分は、見境が無いのが悪いから、分別をつけた方が良い。

聖書は、人は生まれ、死んで、変わっていくが、それは大きな変化ではないと言う。

大きく見て、地球上で起きることは、変わらない。いつまでも、太陽は昇って沈んでいく。そういう、地球で起きることは変わらないし、同じことはまた起きると言う。

基本的なことだが、分からない人間が多い。そういうわけで、キリストはいつまでも現れ続ける。そういう発想が自分だ。ゲーテが再び現れたに過ぎない。

聖書は、かつて行われたことも、また誰かによって行われると言っているだけだ。

あとは、真理みたいなことを言う。良く考えて、経験しなければ分からないような、真理のような内容をいつも書いていた。

あまり意味が無いが、真理は、法則や実存のようなことを言う。仏教の縁起のようなものだと思えば良いが、そうではない。単純な宇宙と人生のあてっこをしているだけだ。

そういう文章が多かった。今考えると、あまり賢くない。

聖書は、本当にためになるから、読んだ方が良い。聖書は、大人にならないとその良さが分からない。ユダヤ人は賢い。それこそ、聖書だけは、良く人類のことを考えたことを言っている。哲学や思想は適当なことしか言わない。聖書だけは考えられている。

あとは、集団と個人とか、心理学のようなあてっこをしている。昔から、自分はそういう馬鹿だ。本当に人生が最後まで分かっているから書ける。誰でも書ける文章だ。

聖書は、遅く読みたいところだが、見ていると、簡単に読める本を買って良かった。本当の聖書なんか、読むわけがない。きちんと簡単に読める本を買った。白取は本当に賢い。

むしろ、白取の本なのが良い。色んな人間の本になると、言っていることが矛盾する。それこそ、白取はイスラム教に関しては、普遍的な倫理観が無いと言う。放送大学の高橋和夫と言う教授は、ペルシア帝国やゾロアスター教に詳しいが、イスラム教をキリスト教より寛容性の高い文化を持った宗教だと言う。言っていることが矛盾している。

そういうわけで、哲学者は普通、一人の人間をする。そうでないと、分からない。

自分の場合、きちんとヘーゲルだけをやれば良い。日本史より、ヨーロッパ史の方が良いだろう。キリスト教は、やらないと哲学が良く分からないと、白取が言っている。

神は、愛であると白取が言っている。それから、天国とは、愛ある場所、と言う意味だ。それは、ポルノグラフィティが、愛の沢山の名前があると言っているのと、同じだ。

そういうわけで、神と愛はイコールだ。神は全て愛だ。

白取は、神を説明出来ないものと言っているが、自分はそれは馬鹿だと思う。だが、そうではない。神は、本当に人間の思考の及ばないものであり、同時に、愛なのだ。

自分は分かっていない。自分が神なわけがない。神が大いなる、人知を超えた存在であるからして、自分をこのようにする。神ほどに偉大とは言うが、誰でもこういう風になる。むしろ、ベルリン自由大学を出ている、白取の方が本当に賢い。それこそ、15歳の時に既に聖書を読んでいる。自分なんか、2ちゃんねるで遊んでいるだけだ。こんな戦いをする意味が無い。白取の方が賢く見える。自分も馬鹿では無いが、神と思うのはおかしい。

こういう、自分を神だと思う人間をキリストだと思っているが、それはおかしい。キリストは、本当に奇跡を起こしているし、弟子も丁重に扱っている。それに、神として信じるに値することを言う。きちんとユダヤ人として神を信じている。キリストが神だ。

何故なら、日本人でも神を信じれば救われることにした。そこが神だ。そういうところが良いから、神にしただけで、そんなに考えていない。キリストが神でないと、分からないのが現代人だ。キリストが神ではない、は、居ない。ただ、ブッダの方が賢いとは言う。

白取の方が賢い。スラムを経験して、馬鹿なタリバンをしただけだ。賢いわけがない。神との対話を信じるのはおかしい。

自分は、普通の人間だと、いつも神が言っている。それは、神ではないと言っている。神を自分だとは言うが、それは、この文章が神にしか見えないのを言っている。

そういうわけで、自分なんかただの普通だ。もっと賢い方が良い。

むしろ、神との対話を信じるなら、それで良いからそうなる。そういう生き方をするのは、楽しいだろう。辛い戦いを頑張れば、満足感が得られるし、人より何倍も大きな経験が出来る。神と言うよりは、有意義な人生を送っている、と言うのが正しい。

自分は、自分の仕事を楽しんでいるし、仕事に励んできちんと頑張っている。

だが、聖書は、怠け者は自分の妄想を追っているばかりで、自分の考えが正しいと思いこんでいると言う。それは、まさに自分のことだ。

また、聖書は、求めれば与えられると言っている。探し続ければ、いつかは見つかる。それが、自分に当てはまる。本当に、ここまで探していれば、分かる。それこそ、明確な望みをするのが賢い。自分の文章を思い出して、自分の人生を書きたい。それだけが望みだ。

そういうわけで、結構賢いのが自分だ。それなら、こうなる。叶う望みを持つことが、人が有意義に生きる中での、最大の知恵である。まさに、聖書は救いだ。

聖書は、自分に子供が居なくても、徳があれば、神も人も徳を喜ぶと教えている。

永遠不滅のものは、徳である。自分には、徳が欠けている。だが、現実世界では、結構良い人間だ。皆のことをそのまま、自分のままで良いとする。全てを許す。そこに徳がある。

あとは、普通、色んな人間の本を読んでも、矛盾はしない。それはおかしなことを言った。

昔は、条件、方法、手段、パターン、想像力などから、発想法を分かっていた。

普通分からない、別の可能性が分かる、そういう人間だった。

それくらいを書いていない。ただ、発想とは言うが、地下フロアを建設するとか、スマートな農業システムを作るとか(これはスマートアグリと言う発想で、すでに色んな人間がしている)、携帯の地図システムを作るとか(これはスマホで実現した)、そういうことを言っているだけだ。

あとは、最近、数学を数列から統合するとか、4か月政治に参加して、残りの期間労働するとか、どうでも良い発想を作っている。

そういうわけで、発想法はあったように見える。それこそ、条件的に考えれば、モデルから発想出来る。哲学や科学のこともそういう風に発想して分かっていた。

昔は、確かに実現出来る発想は何か、それはどのような新しい発想か、どんな手段が効果的か、などを、良く考えていた。確かに実現出来る、と言う概念を分かっていた。

本質から方法を分かっていた。認識を経験的に考えた。

これが全部なのは、当たり前だから仕方ない。普通、こういう風に書くと、全部書ける。当たり前にこれが全部だ。そういう発想が最近の自分だ。

人生のようなことを考えていた。人生における格率と格言のようなことを考えた。

心構えのようなことを言う。神のような心持を持てと言いたかったのだと思う。

あとは、カメラの写真や人間の目に映る像などを考えたり、視覚化や映像を考えたりしていた。特に、時間のようなものを視覚化することが多かった。

天使になった男のレイフのように、時を全て眺められる存在を考えたりした。そういう発想は、誰でも同じになる。そこを良く考えて、全員分の発想のようなことをしていた。

あとは、ただ、狂っていただけだ。狂ってネットで悪いことを言う。それがそのまま、おかしな革命になって、神との対話の奴隷になった。

そういうことをあまり言わない方が良い。自分は、1人の正しい人間だ。

あとは、意識で、人々の延長線上の分かることを考えていた。意識を自在に出来るのは、人々や環境を支配出来るからだ。ありえない神のような全知全能の人間だった。

それだけだ。もう、そろそろ言うことは無い。

手順、設計図、工場のプロセスなど、方法のようなことが全部分かっていた。自然な可能性と方法から、何から何が生まれ、何が何になるのか、全部分かっていた。自分では、何でも頭の中で出来る人間だった。その頭の中のプロセスを書いていた。

環境を自由にするとか、自由な思想を書いている。全ての自由な思想での、世界の永遠の相のようなものを、スピノザのように書いていた。自然とは、永遠の相である。それから、自由と言うこの自然な世界の意味が分かって来る。

スピノザと同じに見えて、神ではなく、自由だった。定義と証明の公理主義のような文章も、神ではなく、自由だった。自由なスピノザと言うと、正しい。むしろ、キルケゴールのスピノザ、個人主義のスピノザと言うべきだ。本当に個人の自由を信じていた。

あとは、認識、存在、場、環境の仮定と成立のようなものを良く考えていた。

人間がその場におかれたら、どうなるか、その時どうなるか、などを、論理的に考える。

原因を知って、どのようにすれば変えられるか、何が自分が出来るかを考える。

そういう、「何が自分が出来るか」のようなことを、全部分かる、実現力のある、救世主のような王だった。そういう哲学者だった。

もっとあるようで、そろそろもうない。もう、最後まで書いた。これくらいの馬鹿だ。

思考した。思考から、本当にさまざまなことを考えた。何がいつどうなって、どう出来るか。そこから、能力的な出来ることから、具体的な可能性の成立まで、全部分かっていた。

あとは、相対的に分かっているだけだ。

人間のこと、全員のこと、全人格の形成、などを分かっていた。

そろそろもうない。あとは、論理的に考えて、全ての理由、理由のさらに裏にある理由のようなことを考えれば良い。そういう風に考えただけだ。それが理性だ。

社会の何を変えるべきか、教育の何をどのように変えられるか、理想や人間性のある、正しい理念は何か、のようなことを、経験から実地的に考えた。ビジョンがあった。

スラムの経験から、どんな社会が人間にとって最良か、良く考えていた。

ただ、あれは馬鹿だ。教育はネットのようになるべきだと思っていた。ネットで何か言わないと分からない。それは間違っている。分かっているようで、馬鹿になっている。

そういう理由で、こんなゴミみたいな馬鹿になる。だから、ネットは無い方が良い。

ただ、ネットなんか、ただ自分がしなければ良いだけだ。したい人間は、出来た方が良い。ネットが無いと、最初と二番目の段階の実存性が出来ない。三番目の段階は、そのうち、ネットを見なくなるだけで出来る。最初は美、二番目は倫理、三番目は宗教だ。キルケゴールがそれを提唱している。それに則っただけだ。

そういうわけで、賢い人間には何も必要ない。必要だと思っているものは、その人がでっち上げたものに過ぎないと、神との対話の神も言っている。それは正しい。何も必要としないだけで、未来は変えられる。必要としているから、しがらみが生まれる。

あとは、人生経験を積めば良い。昔は、本当に2ちゃんねるだけで、人生経験が全部あったが、それは人生経験ではなく、馬鹿の経験だ。人生経験を積んだ方が良い。

あとは、想像力のようなことを言う。原因と結果から、機械や活動が実現出来ると言う。それは、楽しくて、正しくて、解決可能で、自由自在に変化可能だ。

そういう、想像力と原因と結果のようなことを言う。方法や本質の関係を言う。

昔は、想像力がきちんとあった。皆も、想像力をつけると良い。そうすると、僕よりもはるかに賢い人間になる。最近の僕は、もう一度文章に書いたせいで、想像力が無くても、具体的な言葉だけで分かるようになった。多様性やボトムアップは、元は想像力だった。

昔は、「未知」と言う概念が多かった。それは、そのまま、「道」と同じである。そういう発想があった。全てのものを、自然に変化可能で、未来は本当に未知で、想像もつかないし、驚くべくものに出来るし、それをしていくのは「自分」なんだと言うことに気付いた。

あとは、回想や想起から人間のことを分かっている、精神分析の経験が多かった。

そういう、賢い言葉を使えば良い。

そうすると、涅槃や解脱が多かっただけで、最近は、それが馬鹿になって狂っただけだ。

それこそ、煩悩を打ち切る方法が分かっていた。

そういう、仏教用語を使うと良く分かる。執着やむさぼりや怒りが悪い。愚かさは、一番悪いのに多かった。自分がそんなに愚かなのがありえない。世界をもっと放っておけば良い。自分なんか、出る幕ではないのが分かっていない。こんな役割は、もうこりごりだ。

ものを作り、ピアノを演奏し、コンピュータでプログラミングをし、文章を書き、神を信じ、世界を相手に戦い、支配し、病気を治す。

そういう、具体的なしていることをいつも書いていた。

あとは、関係を考えていた。人間の自由な関係をゼロから考えて、その上で、関係と関係を成り立たせて文章を書いていた。

この文章は、仏教だと思えば誰でも出来る。逆に、仏教があると、こんな文章は無くても分かる。そういう、馬鹿な意味の無い文章だ。それこそ、これくらいを自分が分かった。

皆、煩悩を打ち切って、世界と対話し、スピノザのように受動感情をコントロールして、世界の永遠の相を見る。そういう発想が賢い。

そういうわけで、哲学者は馬鹿だ。狂って分からなくなっているだけだ。

哲学は、こういうありえない学問だ。宗教で哲学が出来る。キリスト教や仏教の教えで、誰でも出来るのが哲学だ。全部分かる人間が多い。そういう、おかしな学問だ。

人生と思考の真理を考える。実現可能な成り立ちと経験的な真実を知る。

哲学は、そういう学問だ。それこそ、いかに生きるべきか、と言う問いに、唯一答えられるありえない人間が自分だ。人生とは、そういうことをいつも書いていた。

自分は、そんなに疑わず、信じるのがおかしい。神の言っていることが、正しいわけがない。聖書が見ても、そこがおかしい。人間として、信じるべきものと、信じないべきものの区別がついていない。心理学を分かった日があったが、好き嫌いと言うよりは、何を信じるべきかが分かっていない。そういう人間が、悪魔と天使の自分だ。

何も疑わないのがおかしい。何故か、神も全部正しいことを言っている。間違いや失敗が一つもない。そういうわけで、神を信じるとここまで出来る。辛い地獄になるのは、地獄を克服すると、楽に分かるようになる。

キルケゴールの絶望とは、意識のことを言っているだけで、自分のようなことは言っていない。キルケゴールが見て、絶望の意識と内面化が賢い。個人主義の自由な人間だ。誰でも、自由な人生になるとそういう風になる。環境から自由になって、孤独になって色んなものに接していると、そういう風に、絶望の意識で分かる。経験から、内面化が進む。

むしろ、心理学も悪くは無い。哲学的に分かる賢い心理学は多い。心理学は、ネットで分かる人間が多い。学習と経験と、行動と認識の関係は誰でも考える。自分やその人が本当に何を考えているか、考える。環境は、学習、場、意識、記憶、思考を分析していた。

心理学のことは、経験的に考えれば分かる。

社会のことも、経験だと思えば分かる。

昔は、そういう、「人間の全ての経験」が分かる人間が多かった。

本当に、そういう風に人間のことが全て分かっていた。そこが哲学的だった。

心理のことも、社会のことも、政治経済のことも、自然科学のことも、全部人間の経験だと思って分かる。そういう、人間の全ての経験が分かる人間だった。

いつも、それを書いていた。ほとんどそれしか書いていない。今まで書いた内容で分かる。

あとは、自分が色々と支配して実現出来る人間だった。

考え方と体験から、そういう風に考えていた。誰でも普通、そういう風に考える。

可能性は、自由な実現性から変化可能であるべきだと言う。

存在は、自由かつ平等に共存出来るべきだと言う。

そういうことを言う。世界を見通したようなことを言っていた。そういう文章だった。

あとは、むしろ、もう一度最初から考え直した方が良い。

右翼や左翼は悪い。こんなに賢い文章が書けるのに、そんなものを書くのはおかしい。

最近、賢くなくなった。何も分かっていない。それは、未知がもう全部分かったからだ。昔は賢くない。本当に何も分からなくなっている。今が一番賢いのも、正しい。

それこそ、もっとポジティブなことを言った方が良い。今が一番賢い。

今が、人生で一番賢い時期だ。しがらみや競争が無く、自由にするのが良い。自分の生き方に誰も指図しない。好きにすれば良い。中島みゆきも、僕のために立ち止まるなと言う。自分に対して言っているつもりだ。そういうわけで、これ以上、最初からやり直せば良い。

経験とは言うが、理性も多かった。「人間の持つ理性の全て」のようなことを言う。

そろそろもう良い。聖書を読んでやり直せば良い。まだ20代だ。いくらでも最初からやり直せる。だが、27歳はもうそろそろおっさんだ。オヤジみたいな顔にもなっている。

顔を見ると、まるでキリストに見えるのが自分だ。キリストすぎて、良い。

一番良かったのは、何故かスラムの経験だ。本当に人間のことが良く分かった。スラムとは言うが、インターネットは今流行っている。そこで経験したのは、悪くない。

あとは、もう何も無い。オープンソースを信じたのが悪い。悪魔を信じるから、こういう風になる。神は、悪魔を懲らしめる。それは、聖書に書いてあるように、父親が子供を叱りつけるような、愛のためにしている。そういうわけで、神は地獄の自分を愛している。

良く分からないが、最近知恵がついた。この文章は、知恵のつく魔法の文章だ。

あとは、神のような高い立場から、世界に意見を言っていた。

世界は、平和になれ。自由になれ。可能性から、自由な支配となれ。

そういうことを言う。そして、全員の人生を創っていた。毎日1人の人生を創った。

作ったのは、ロシアだった。ロシアを作っただけだ。こういう風に、ロシアが一体となって、1人の人間を全員でやる国になった。ドイツは、偉人に従う。アメリカは、自由奔放にする。フランスは、あり得ない国にする。そういうわけで、結構、フランスと同じだ。

あとは、最近書かなくなったが、人生の全て、社会制度の全て、歴史の全て、発想の全て、などを書いている文章が多かった。

そろそろ、今日ももう寝る時間だ。続きは明日にする。

あとは、思考と思考の関係とか、客観的な思考と判断とか、経験から湧き上がってくる感情とか、感情と経験と思考の関係とか、そういう発想が多かった。

医者にきちんと言えば治る。そこを考えないのがおかしい。精神科の医者に、ほとんど病気のことを何も話していない。薬と病名しか分かっていない。もっと医者に言う方が良い。そこが分からない人間が一番多い。医者にきちんと病気のことを話すべきだ。

それこそ、頭が混乱して、体が動き回って、疲れる。血がおかしい。そういうことを言わないのがおかしい。薬だけを飲んで治っているが、本当に辛いのを言った方が良い。

分からなくて良いから、こういう風になる。すでに分かっている。分かってしまうと、すぐに止めて楽になる。それは間違っている。それでは、きちんと分からない。

まだ、このままで良い。そろそろ書く意味も無い。もう今日は寝た方が良い。

昔は、ただ実際のところを考えただけだ。

最近は、自分を支配することで、この世界を支配している。自分が自分を支配するのがおかしい。多重人格には、ならない方が良い。こういう、自分が自分を支配する人間になる。

そういうわけで、多重人格をそろそろ治せば良い。不思議と、治した方がなる人間が多い。

神は、自分を出来るようにしている。不思議と、こんなものが神なわけがない。