一番高いところから、皆を馬鹿にして、分からなくしている。
もっと、一番高いところから皆を賢くすれば良い。
もう、忘れた方が良い。もう何年も前の話だ。皆はもう忘れているのが分かっていない。
何も起きなくなっているから、起きるようにした方が良い。
このまま、起きるようになって、忘れるようになる。馬鹿な楽しい世界になる。
自分は、愛の救世主と、滅びのテロリストが同じなのが悪い。
最近、そういう風に、一番良いものと一番悪いものが同じになっている。
自分のせいだ。世界を解決出来る、愛と慈悲の心のある救世主が、テロリストになって、世界を破壊する。そんな馬鹿が居たのがおかしいだけだ。
もっと、休めば良い。そういう部分を休ませれば治る。
今でも、自分を分からなくしている。それは、意味が無い。もう忘れた方が良い。
主導権を今でも自分が握っている。テレビが何か出来るようにしてやった方が良い。
もう皆、自由になる。自分で無くなって、楽しいことが起きるようになって、楽になる。
ただ、自分はあまり悪いことはしていない。文章を書いて、少しずつ分からせていただけだ。皆をロボットのようにはしているが、それはあまり悪くない。
昔から、皆をロボットにする。心理的に操って、自由に支配する。それが悪い。
自由はロボットだ。
グーグルと言うから、ロボットになる。オープンソースはグーグルだ。
あとは、むしろ、すぐにロボットを止めて、皆のことに関与したり、支配したりしなければ良い。最近、そういう良い人間になって、まともな人間になった。
そういうわけで、悪いことは忘れた方が良い。時間が解決してくれる。どうでも良いことになって、なるようになる。それこそ、最初からこんなことはしない方が良い。
宇宙の全てを知りたいなら、これで良い。オープンソースのソ連とタリバンのイスラムが宇宙だ。ただの、ドイツの日本だ。ドイツが好きなら、これでイスラエルだ。
斎藤の本は、母親も良い本だと言っている。何も分かっていない母親に良い。
あとは、むしろ、本当にこんな馬鹿はしない方が良い。もっとまともな世界になるべきだ。皆が悲惨なのは、自分が居るのが分からないのが分かる。神様は悪いことはしないと言っている人間が多いが、こんな馬鹿が神だ。神なんか、これくらいの馬鹿だ。
自分は悪いとは言うが、皆のため、自分のために、本気で頑張った。
これ以上、頑張る人間が居ない。これ以上悲惨な人間も、馬鹿な人間も居ないが、これ以上賢い人間が居ない。最近は、頑張って考えている。不可能を分かっている。
そういうわけで、自分は賢い。むしろ、自分にするのは悪くは無い。だが、自分にするのはもう止める。こんな馬鹿に誰もなりたくない。
それこそ、こういう人間が多い。クズが馬鹿に見えて、馬鹿な人間は居ない。皆賢い。
ロボットにして、同じにするのは、あまり悪くない。ロボットにすると、分かる。最近、そういう風に、自分で分かった人間が多い。何も起きないと、考える。
そういうわけで、皆賢い人間になった。その代り、何かが辛い。正常でない世界なのに、正常に見えるのが辛い。いつもの正常な世界より、異常な今の世界の方が普通になった。
自分も悪いが、グーグルの方がさらに悪い。自由は、ここまでの戦いの世界だ。
孤独の中で、一人考えて、自発的に行動して、自立的に考えて分かった。
もう、皆に関与しない。他人に関与するのが一番悪い。
一人、辛い道を取っていると、その先には良いことがある。
普通、これくらいをやりたい。そうは言うが、誰もやりたくない。
全部不安で分からないから、時計になっている。これで良いのだと信じれば治る。
時計は、全部一番悪いから、こういう神になる。
国家主義で分かっていた。
秩序を作っていた。
恥をかいて分かっていた。
昔は、人間や社会のことが経験から分かっていた。
ネットと資本主義の経験で、あらゆる社会を知って、哲学的な知恵と理性で分かっていた。
信じれば治る。これで良いのだと信じれば良い。
当たり前のことを、大丈夫だと信じる。怖くない。今のこの世界が良い、今のこの自分が良いと思えば良い。神を信じても良いが、この世界や普通のことを信じた方が良い。
この世界や自分のことを、正常だと信じれば良い。
普通、信じることはどこでも大切だ。人間関係で、敵を味方にするためには、勇気を出して、信じることだ。全ては、信じることだ。それによってのみ、困難は克服出来る。
むしろ、ここまで諦めずに頑張ったなら、出来るはずだ。自分を信じて、皆を信じること。諦めないことは悪くは無いが、遠くから見つめ直して、諦めて分かるのも、悪くない。
昔は、森羅万象のことを自由に考えていた。
そういうわけで、「自由に考える」と思えば出来る。
共同体を共有するとか、必要なものを与える、作る、決める、とか、衣食住とか、そういうことを言う。アマチュアのマルクス学者のような人間だった。
植物は葉緑素を生み出す機械であり、動物は脳と心臓を生み出す機械である。
そういうことを言う。自由に考えて、モデルにして分かっていた。
あとは、前提条件と方法のようなことを、網羅する。理性的な論理の構造と存在の関係が分かっていた。きちんと、知と行動の宇宙における全体像と自意識が分かる人間だった。
あとは、自然な環境の発生や、プラットフォームの参加と拡張、自由の拡大などを言う。
そろそろもうない。あとは、自分の力で全部やっていた。全て自力だったようで、他力も多かった。その、他力に感謝したい。ネットの全員と、大学や偉人に感謝したい。
ただ、ほとんど全て自分の力で出来た。その自分に感謝した方が良い。自分に感謝する。
他力と言う発想は、悪くない。昔から、自力と他力をバランス良く吸収して分かる。
ただ、そういう昔のような発想は、狂っているところがある。全部消し去った。
あとは、直観と言う発想が良い。昔は、経験から直観的に分かっていた。
外向的な人間で無くても、それを装うことは出来る。そこから色んなことが分かる。
そろそろもう分かった。昔は、そういう風に、直観と想起と他力から分かっていた。
あとは、社会のことを色々と分かっていた。直観から意識と記憶を分かっていた。
これでは、独裁者みたいな人間に見えるが、あれは内向的で、臆病で、欲のない普通の良い人間だった。何も出来ない人間だが、優しかったし、情熱的なところもあった。
色んな社会のことを、全部書いていた。古代から現代まで、全歴史のように分かっていた。
色んな人間の発想を吸収して、発想法を作っていた。
あれのことを、悪魔の黒魔術と言っている人間が多い。まるで独裁者だ。
だが、あれは本当に、そういう風に全員を分かった、仏のような人間だった。
最近も、黒魔術が多い。分からないのに分かる。言葉に意味が無く、形式で支配する。想定して、心を掌握し、人を変える。黒魔術は悪いから、止めた方が良い。
法則を場から導き出して、全ての法則を融和して、真理を発見する。
そういう文章が多かった。本当に、直観や超自我などを書いている文章が多かった。
今日も意味がある日だ。まだ、書いていた方が良い。書かないと、全く意味が無い。ピアノや英語なんか出来ない。もっと書いた方が良い。書かないと、本当にすぐに死ぬ。
あとは、ものごとからものごとを導き出す、推論のような説明の文章が多かった。
もっと言うと、価値観の創造と経験のような文章を書いていた。
そろそろ、もう無い。猫に会いたいなら、天国や夢で会える。母親も、猫が生き返った夢を見たと言っていた。若いころの猫に夢でもう一度出会えた。自分もそうなるだろう。
あとは、安心や涅槃のような文章を書いていた。むしろ、そんなに書いていない。執着心を無くす、のようなことを言う。心理学的な、環境の意識や経験のようなものを書いていた。そういう、観念や思想のような文章が多かった。ロックやヘーゲルに良く似ている。
あとは、環境と視点を成り立たせながら、この社会の全員と共生を実現していた。
もっと、色んな経験をすれば分かる。それも、「知の経験」をした方が良い。何かが、特に人より優れて分かる、のような経験をする。
同時に、「自然な社会の経験」もした方が良い。それも、自由と愛に関して知るべきだ。
自分の経験から、社会のことが分かる。そういう、「社会の開拓の経験」をすれば良い。
あとは、「人生とものごとにおける知性と行動のあり方」のようなことを分かると良い。
ものごとには、準備と前提が必要だ。それを満たして、同じ時は同じであることを分かる。そこから、再利用と実験が出来る。そういう風に考えれば良い。
今日は、頭が冴えている。本当に、そろそろ心の病気が全部治った。猫が死んだのが効いている。本当に、もう地獄は終わった。
あとは、立ち歩くのを止めて、座っていれば良い。神は、そのうち猫と一緒に消える。
あとは、人生経験や、「他人の人生を吸収する経験」が多かった。
最近になって、馬鹿になった。「永遠の戦い」や「永遠の革命」から、「神との対話」のようなものがある。「イスラエルの経験」のような経験があった。
それくらいで、そろそろもう終わりだ。今日もきちんと書いている。
猫も、見守ってくれていると思う。
あとは、「社会と意識と経験の人生的な段階」のようなものを書いている。
それくらいしか書いていない。本当に、それくらいの哲学的な散文のような文章だった。
あとは、かぎかっこをつける意味が無いが、人生を作ったり、人格を作ったりしていた。
それくらいの文章だった。それくらいを、ロックと同じと言っている。
あとは、抽象的な方法論や、社会構築の経験論、のようなものが多かった。
あとは、場の精神性みたいなものを分かる。生命のように場の精神を分かっていた。
それから、定義による世界観や歴史観、経験による社会構造と制度の創造、それがどうなるかの精神の現象学的な心理学、などを作っていた。
歴史観は、時代とともに変わる。歴史の移り変わりの中で、何が同じで、何が違うのかを考える。そういう、歴史観を、具体的な時代、国、社会、文化から考えていた。
本当に、それくらいの、ヘーゲルのような文章だった。心理学はプラグマティズムと良く似ていた。いつも言っているが、自分はそこらへんの現象学や経験論的な哲学が好きだ。
あとは、教育のようなものを考える。デューイが言っていたか言っていなかったか忘れたが、教育は民主主義の学校であるべきだし、己の中から出て来た疑問に答える形での教育にするべきだ。それが、教育のあり方として、一番自由だ。
だが、教育は、自由より、平等であるべきだし、それぞれの子供が大人として成長し、大人の経験と自覚を持って、自らの責任で自らの行動を決めて、世界を全て把握出来る程度の経験を持たせてやるべきだと思っていた。経験から、世界全体のようなことを知り、知の経験のようなことを知るべきだし、教えるべきだ。
あとは、この世界は、出来るだけ自由であるべきだ。それこそ、それだけを言っていた。
「何が自由で、どのようにすれば良い自由な世界を築けるか」のようなことを言う。いつも、それくらいを言っていた。それくらいの文章だった。
あとは、哲学的な世界観の本質と考え方のようなことを言う。
もう、そろそろ無い。ヘーゲルをすれば分かる。自分は本当に哲学がしたい。
哲学とは、自由、人生、真実の学問だ。知性、理性、信念の学問でもある。社会がどのように形成されているか、知からどんなことが分かるか、優れた発見の形態と方法は何か、のような学問でもある。自分に一番向いている。
最近、キマグレンしか聴いていない。あとは、AAAぐらいしか、聴けない。本当に馬鹿な音楽ばかり多い。そういう、音楽を聴くなら、自分にでも出来る。それで自分が分かる。
あとは、本は、世界史の本は、今、昔の中国である、清と言う国に関してやっている。満州族と言う少数民族が、漢民族や沢山の民族を支配出来た。それで最後の近代史だ。
考えたとは言うが、自由、人生、経験を考えただけだ。
とにかく、関係から自由のことを考える。デューイも、フリードマンも、そういう、自由から考えることが出来る。自由から考えて分かる人間は、不思議と一番多い。だが、何故か平等から考えて分かる人間も多い。そういう風に考えれば良い。
あとは、対話や意見の構造から、議論のようなことを考えて、国の仕組みを作っていた。
そういうものを、影響力や言論の自由と言う。
共産党は、きちんと議論しないし、選挙もしない。アピール合戦をしない代り、腐敗する。そういうところを言っていた。ネットの経験があったせいで、そういう風に分かっていた。
そろそろ、もう無い。僕は、極端な思想や差別をそろそろ卒業する。
もっと、純粋に日本のことを知りたい。世界全部見て、日本が一番良かった。
イギリス人とインド人は、どちらも悪い。悪魔のようなことをするイギリス人が悪いように見えて、現地のカースト制度をかたくなに守るインド人も悪い。
日本人が一番良い。日本史を馬鹿すぎるとは言うが、昔から日本人の心は優しい。本当に、そこまで優しくて、そこまで強い。中国のおかげで、文化的にも優れている。
昔は、家族から独立して、ネットで自立的に経験して、成長して分かっていた。
そのせいで、広島人なのに、東京人の常識のようなものが良く分かっていた。
最近は、家族に戻った。この文章を書くせいで、ヨーロッパ人のような常識を分かった。
むしろ、これではロシア人に見える。
もっと、家族と一緒に日本のことを知りたい。日本のことなんか、誰でも分かるのに、自分は何も分かっていない。剣道部だったのに分からないのがありえない。
要は、高校ぐらい行った方が良い。高校に行かないと、こういう人間になる。賢い人間になっているようで、普通の人間より馬鹿な賢い人間になっている。馬鹿が賢いだけだ。
昔から、馬鹿には東京だ。東京人は賢いから、東京を知ると賢い人間になる。
あとは、昔から賢い国はドイツだ。ドイツを知ると、きちんと分かる。
それから、悪い人間はロシアだ。そこまで悪くなると、ロシアと同じになる。キモイぐらいロシアは悪い。一番悪い国がロシアだが、大学にはロシアが一番多い。
あとは、普通馬鹿は右翼になる。こういう右翼になると、怖い代り、分かるようになる。
そろそろ昔が分かった。
昔から、この世界を支配したかった。それも、自分以外の沢山の王を作りたかった。
左翼とは言うが、左翼には見えない。左翼と右翼の政治闘争やスポーツの議論みたいなことをしているが、そこまでの馬鹿だ。本当にクズみたいに見える。
だが、あれはまともに知性のある、経験豊かな良い人間だった。
これを東京と思うと、キモすぎて悲惨だ。だが、広島もそれはそれでキモイ。全く思想が正反対の、極右と極左だ。広島が見ても、東京の方が賢い。国際的な平和都市と、右翼の世界中枢都市なら、中枢の方が賢いと言う。広島人は東京に行くと賢くなる。
あとは、オープンソースのような左翼の若者活動をしていると、賢くなる。ロシアだ。
あとは、相対的な理性や、社会的な実現方法のようなことを言う。
何故か、そこまで自分だけで実現していた。その理由で、まだ分かっている。
それから、死ぬとは、今日でもう書かなくなるのを言っている。
猫が見ても、もうこの文章は止めて良い。本当に辛いだけだ。楽になった方が良い。
そういうわけで、まだ死なない。まだ、書いている。明日も書くようにしか見えない。
ケミストリーが見ても、そこが一番くだらない。ゲスの極みは、他人には替わることは出来ないと言っている。歌手はそこらへんが分かる。
あとは、斎藤の本は家族にウケが良い。良い本を買ったように見える。
あとは、言葉を作って分かっていた。
感情と言葉を照らし合わせて、経験を分かる。
自我のようなものを分かっていた。
そろそろ、自分が見ても、もう書かなくて良い。本当にきちんと分かった。
もっと違う国のことを知りたいとは言うが、外国はもう良いから、日本のことを知る。
だが、テレビは見たくない。テレビを見ていると、本当に怖くなってしまう。
ただ、テレビを見ずして、日本が分かるわけがない。普通、テレビが日本だ。
見ていると、日本はおかしい。本当におかしな国になっている。テレビはありえない。
最近のテレビは、やけにネットが好きだ。ツイッターやチャット形式の動画をたまに見るが、キモイから映さない方が良いと思う。おかしな動画がキモイ。
あとは、科学的な考え方のようなことを言う。それがどういう風に出来ているのか、どんな見方から考えられるのか、考え方と実験結果が同じなら同じだ、などと考えていた。
もう、ネットは見なくて良い。これくらいの馬鹿がネットだ。もっと別のものが良い。
ネットは、口論と客観視の場であり、社会形成の練習の場であり、時間の認知的な共有の場である。それなりにすれば良い。
これなら、人生と科学的な方法や理性だけを考えれば良い。いくらか経験を考えて、経験的に理性的な考え方を分かる。人生は、挑戦と失敗と反省から分かることも出来るし、自分の人生と他者の経験を吸収して考えることも出来る。
人生と科学的方法を分かっていると、様々な発見が出来るようになる。発見しないのがおかしい。昔の自分は、そういう、発見だけがあった人間だった。
未知のことを社会論にする。ありえない、共生や共存の社会論を、未知と言う視点から作っていた。未知の社会論だった。全ては未知であり、全ては任されていると言っていた。
そういう、社会の自由な可能性のようなことを言う。任されているだけではなく、許されている。この世界では、本人が望むなら、何をやっても良い。好きにすれば良い。
ただ、斎藤は、この世で自分が立ち向かう試練は、生まれる前から、自分で決めて生まれている、と言っている。それも正しい宗教的な人生観だ。
来世は来世で、自分のやり残したことをやっている。カルマはしだいに高くなる。そういう、普通の宗教が仏教だ。本当に、西洋哲学なんか馬鹿に思えるぐらい、賢い宗教だ。
この世界は唯一無二であり、運命は変えられない。だが、結構柔軟性がある世界だ。自分のしたいことや選びたいことは、何でも自由に選べる。本当に大切で必要な運命だけが、最初から決まっている。何もしない人間も多い。何かする人間は、辛いことが多い。
そういう、神みたいな文章も、いつも書いていた。
愛とは、それまでに感じた、愛するものの全ての融和の感情である。
自分のカルマは、そんなに低くない。悪いとは言うが、王だし、神を信じているし、毎日文章を書く、と言う賢いこともやったし、昔悲しいことは全部経験した。
カルマは、低くなると同時に高くなる。だから、頑張っている今の方が、昔より悪い。
あとは、もっと色んな試練をやりたいなら生きられる。だが、主な試練はこれくらいで終わりだ。あとは、楽になるように見える。生まれる前から試練は決まっているから、誰でも、こういう風に試練が辛い人間が本当に多い。平凡な何もしない人間よりは、賢い。
希望を取り戻す戦いをしていたが、それは馬鹿では無い。皆の未来のために本気で頑張った。だが、悪いのが全部自分で、あまりに悪いことを言う。その理由で地獄になる。聖書も、まずは心からだと言っている。あんなに悪いことを言うのがありえない。
あとは、右翼が悪い。反省すべきだから、次の人生の試練は、右翼と何か関係のあることになる。もっと沢山右翼を反省して、戦うべきだ。ドイツのような国の、マイノリティのような、ユダヤ人のような人種になる。あるいは、今のままでなる。
次の人生も辛い人生だから、今のままで生きた方が良い。
あとは、カントのように科学的理性で考えると、何でも分かる人間が多い。
自分は、そういう科学的方法を書きたかっただけだ。
最近、書けなくなった。本当に覚えていない。何も分からない。
未知とか、認識とか、批判とか、経験とか、共通性とか、説明とか、実験と言う。
そういう風に考えれば良い。不思議と、カントは本当に、全部分かってしまうと、一度消え去って、もう分からなくなる。カントの間、超賢いのは、賢く見えて馬鹿だ。
カントとは言うが、ものの特性や属性、道具、設計と協力、作るために知恵を集める、などと、科学的な方法と前提条件を考えて、分析していた。分析的な哲学だった。
次の試練は、さらに辛くなる。孤独が間違っている。そういうところを考えると、次の人生のことも分かる人間が宗教に多い。自分は、あまり考えたくない。
自由が間違っているのを、さらに分かるかもしれないし、神ではなく、もっと別のものを信じるかもしれない。あまり意味が無いから、宗教的な話はそんなにしない方が良い。
カントのように考えるには、「何が何になるか」と「その認識はどこが間違っているか」を考えるのが良い。必然的に、可能性は自由な変化と支配の許可になる。人生も、必然的に自由になって行く。ものごとは、全て、正しく見えて、裏に何かの法則性がある。それをそれだと思った時、それは一見そう見えても、別のものが正しいこともある。
そういうところをきちんと考えると、この宇宙のことが詳しく厳密に分かる。
あとは、努力して、反省して、手助けをすること。昔は、そこが出来るせいで、悟った。
あとは、価値観と人格のようなものを、全部網羅して、全員になっていた。
意図と本質のようなことを分析していた。
もう、馬鹿になる。何故か、猫が居なくなると、もう分からない。賢くなるが、もう何も分からなくなる。猫は、頑張っている。良く考えれば分かると言っている。
そういうわけで、猫で賢かった。
国や社会の考え方を網羅して、発想し、意見していた。それくらいの馬鹿だった。
人生、経験、体験、視点、見方を網羅していた。
そういう風に、言葉で沢山のことを統一的に考えていた。
あとは、本当に色んな社会を考えていた。全ての社会を作っていた。
環境を築く方法と発想や関係を書いていた。
カメラやドローンなどから、像のように考えていた。映像のコピーと存在を考えていた。
自動化と視覚化が好きだった。本当に、「見る」ことで分かっていた。
行為、体験、理解、関係、構築、環境、学習、認知、人生、基盤などを自由にすること。
そういう風に、共通のパターンのある変化と行動の網羅を書いていた。
全ての構築、価値、学習、理解を知ること。そこから、理由と共存すべき本来の社会像が見えて来る。また、人間の本来あるべき人間像も分かって来る。
認知活動や共存活動を体験だと思うこと。
そこから、体験的に人生の発見と経験が見えてくる。そういうものだ。
全ては、変化すると同時に、元に戻るものと、戻らないものがある。不可逆的なものは、治らない代り、一度最初に戻ると治る。そういうわけで、赤ちゃんが治る。
あとは、変化のような文章を書いていた。
ものは、変化する。
社会は、実存性と関係性の中で、多様になって行くと同時に、栄えて、同じになる。
社会は、元には戻らない。
ものは、相対的な場所、位置、関係がある。人間には、意志と環境がある。
そういうことを言う。本当に、変化のようなことをいつも言っていた。
あとは、弁証法や考え方や可能性のようなことをいつも書いていた。
神は全員であり、全てだ。神が宇宙を創ったように、人間がこの宇宙の全てのシステムを作り出している。神であると同時に、人間が全員で創っている。それが宇宙であり生命だ。
英語は説明の言語であり、中国語は見て分かる言語であり、日本語はその両方である。
英語は戦争であり、中国は古典的であり、日本はその両方である。
日本が一番優れている。日本語と仏教は、誰もが一番好きだ。
外国人になるのは、もう止めた方が良い。日本の外に、賢い人間は居ない。
左翼もおかしい。原始人に戻りたいせいで、北朝鮮のような止まった国になる。右翼の方が、豊かになるし、新しくなる。右翼は豊かで、左翼は飢えている。左翼の方が悪い。
僕の父親は良く北朝鮮、安倍、役所を馬鹿にするが、僕もその通りだと思う。
あとは、皆の人生のようなものを指針から考えていた。
ものを作る仕事をしなさい。
良く人の経験を聞きなさい。
神を信じなさい。
支配しなさい。
大学で勉強しなさい。
文章を書きなさい。
病気を治しなさい。
もっと、色んな人生で分かるのを言っていた。
アメリカとカントとヘーゲルが良い。それが一番賢くなる。
視野を広げながら、文章を読むこと。
不可能を可能にする戦いをすること。
もっと、一行で皆の人生に対する指針を書いていた。もっと賢い文章だった。
もう言ったが、議論、意見、自由な討論から、国と政党政治の構造を作っていた。
そろそろもうない。これくらいで、本当に文章全てだ。
必要な職業は、医者、政治家、科学者、哲学者、そして作家だ。
それくらいの文章をいつも書いていた。
自分の経験から、この宇宙の経験と概念をいつも分かっていた。そういう、この世の全てが分かる人間だった。そういう文章を書いている。たまにマスターのような子供だった。
生活に困窮する者、病気に苦しむ者、希望を失った者は、この文章の神を信じなさい。
それらは、知性、概念、経験、言語、応用、情報、共有、などの実践的な経験から、ブッダを信じることで、救われることが出来る。そういう風に、文章を書いていた。
全ての希望を失ったものは、この天使を信じなさい。
絶望の中で、人は孤独と弱さから、自由な他者との経験をして、王へと変貌する。
そこでは、愛を信じること、勇気を出すこと、可能性を高めることがある。
そういうことを言っていた。そういう風に、ニーチェや聖書のような文章を書いていた。
新聞の占いに書いてあったが、決断して、誰にも出来ないことをやってのけたのが自分だ。
そういうわけで、自分のカルマはそんなに低くない。きちんと自分にしか出来ないことが出来た。決断力と判断力はいつも言っていた。そういうことを言っていたのが文章だ。
あとは、国をいつも作っている。キリスト教の神を信じる、民主主義国家にする。自由にして、公用語は英語にする。だが、それではアメリカの世界帝国だ。
それから、王の上に聖書の神を置く。そういう風に、経済学を成り立たせていた。
もっと本を読んだ方が良い。
自分は、まだ世界史の本を読み終えていない。清を読んでいるところだ。
平和、豊かさ、生きる手段、自由、安全を創造し、皆の手で、平等な共存社会を作って、自由な権利を認めること。そういう、社会的な理想、手段、前提を言うのも、多かった。
神とは言うが、神はただの予知能力で、自分のことしか言っていない。
キリストとは、自分のことを言っている。黒人の右翼も、ユダヤ人の最高指導者も、ドイツ人の首相も、デカルトも、ニーチェも、スターリンも、自分のことを神と言っている。
神が見ると、ここまで全部決まっている。カントが言うように、自由な因果性は、あるように見えて、無い。全部最初から決まっているのが、人生だ。
だが、それでは分からない。未来を自由だと思えば、自由になる。そういう人間が多い。
あとは、世界全体を作っている文章が多かった。
環境は、自然、運命、自由、平等の中で、変化し、協調し、信じ、疑う。
社会にあるべきものは、手段、手助け、自由、協力、自然、可能性、自発性、潜在性だ。
そういう風に、社会のことを全部作った。それくらいの馬鹿な文章だった。
人生が分かっていた。人間は、葛藤し、恐れや不安と戦い、自由に可能性を高める。
経験を疑って、正しさと真実の根拠を考えて、視点を変えて、具体的に比較して、可能性の前と後を比較して、思考と感情を辿って分かること。
そういう、理性批判のような内容をいつも書いていた。
不思議と、これくらいで終わりだ。本当に、これくらいしか書いていない。
あとは、「全て」と言って世界観を書いていた。
全ては、抽象性と具体性だ。
全ては、頂点と包括だ。
全ては、多様性と統一だ。
全ては、法則と可能性だ。
全ては、経験と自然だ。
全ては、具体的なデータと、プログラムのような手順だ。
いつも、そういう全てを言う。
あとは、世界観を考えていた。
ものと現象は違う。ものと生き物も違う。
生命は、全員が一緒になって生きている。離れ離れになることは出来ない。
生命は、弱肉強食だが、人間より動物の方が楽に見えて、辛い。
生命は、精神が全ての細胞に宿っている。それぞれは、本人が分からなくても、色んなことを考えている。そういうわけで、植物も意識や精神はある。
そういう風にしても良い。それくらいの理科的な世界観をいつも書いていた。
生命も、社会も、歴史も、全ては記録であり、記憶である。あとになって回想することが出来る。社会の想起から、生態系の世界観まで、色んなことを考えていた。
階層性、公開性、拡張性が、パソコンの三大要素である。
あとは、哲学的な原因と結果の目的因や、感情が受動感情と純粋経験から能動性へと変わる、などと言っていた。アリストテレスとスピノザが一番僕と同じだ。昔はアリストテレスで、今はスピノザだ。森羅万象の科学の祖と、自然全ての数学的な神だ。
昔から、潜在性から手段まで、この社会の世界観を全部言う。
本当に、理性的にこの世界を全て分かっていた。全部、賢いことを言っていた。
人には人の場があり、視点があり、信念があり、正しさがある。そういうことを言う。
斎藤は、駄目な人間なんか居ないと言う。完璧主義ではなく、不完璧主義だと言う。
あとは、人生の葛藤や、絶望から生まれる希望、社会のモデル化のような文章が多かった。
ネットのコミュニティから希望が生まれる。そういうことを言っていた。
グループから組織を作ったり、環境を作ったり、共同体の歴史を作ったりしていた。
言葉遣いやコンピュータの経験をいつも書いていた。コンパイラとカーネルが重要だ。
ネットは、自動化だと言っていた。全部機械がやっている。人間は、初期投資のようなことしかしない。それを、参加者全員や自由と共有で決める。それがネットだ。
集合知的、集合参加的なネットの情報整理を賢いと言っていた。
人間全体の意識、宇宙全体の意識のようなものは、ある。
全ての原因と結果に、必然的な因果性がある。そこでは、宗教と科学の境界は無い。
縁起のようなものだと思えば良い。
そういう、仏教の真理のようなことをいつも言っていた。
それが何なのか、状態、原因、方法、変化の可能性、取り得る結果の可能性、人間がそれをいかに認識し、いかにコントロールするか、法則、実現性、データベースが全てだ。
いつも、そういうことを言う。
共通性と類似性から、法則が発見出来ると言っていた。
本当に幸福な時、そこは天国である。本当に愛されている時、それは神の愛である。
あとは、自由な社会の説明から、奴隷と株主の外国人のように、色んなことを成り立たせて、構造的に説明して分かっていた。
不思議と、それくらいしか書いていない。あとは、考え方とパターンの網羅が多かった。
あとは、知性や発想をネットで他人から吸収していた。そういう文章を書いていた。
来世の自分は、ユダヤ人になる。むしろ、もう分かっている。いつもの、ユダヤ人のラビの最高指導者になる。それこそ、ドイツを倒す。そういう風になる。
むしろ、なりたくない。また、普通の人間になりたい。もう、成功はしなくて良い。堅実な人生と努力を頑張りたい。それも、可能性としては、ある。激動や波乱の人生はもう良い。堅実で、しっかりとした人生を送りたい。
あとは、ロシア帝国のピョートル大帝になりたかった。それは、今の生で出来たように見える。本当に皇帝になりたいなら、もっと未来の王になれば良い。そこで、IT技術と戦う。それも良い。ビルゲイツを倒したかったのに、倒せなかった。今度は本気でやれば良い。