日記に戻る | 2016年1月の日記に戻る

=2016-01-12=

もう、皆馬鹿になるな。

もう、皆のことを馬鹿にしない。

昔の文章は、認識出来ていることや存在出来ていることなど、哲学的な知性が多かった。

哲学的に、経験的に全て分かっていた。

気持ち悪くなると治る。

自然な経験から、何を自由にするべきか分かっていた。

もっと書くことがあったが、忘れた。さっぱり何も覚えていない。

止まると、治るのが怖い。そういう、治るのが怖いのを何か言いたかった。治ると死ぬ。

理性と社会は、昔も、今も多い。昔も、今も、理性と社会を考えるだけだ。

そろそろ、与えるのが悪い。ありのまま書かない。

世界を作り変えて、世界を支配していた。

考え方を自分で作って、自分で科学を作って、それで自分だけ分かった。

世界を変えたかったが、それはそのまま現実になった。

もう、ありのまま晒すのではなく、勝つ。

ありのまま滅びて行くのではなく、勝つようになれ。それですぐに治る。

安心とは、恐怖である。

不安の中では、安心と恐怖はイコールだ。恐怖を受け入れると、安心出来る。

それで、死ぬ。それは怖い。そういうわけで、安心と恐怖は本当に同じだ。

夢の世界と思えば良い。恐怖はそのまま安心になる。

あとは、この世界がありのまま滅びて行くのが治ると、すぐに安心出来る。

この世界は、滅びている。だが、代わりに、強がりや欲張りが無意味になった。

不安はそのまま安心になる。そういう風に狂えば良い。そういうものが怖い人間が多い。自分から不安になるようなことを言っていると、すぐに楽になる。そういう人間が多い。

辛くても、楽だと言えば良い。皆も辛いと言えば良い。そういう人間は、良い人間だ。

あとは、嘘を信じた方が良い。正しいことは、何も理想が無いものが多い。

理想の方が正しい。

そういうわけで、2ちゃんねるで辛さや悲しさを経験していると、良く分かる。

理想的に考えて、自由な方が良い。自由がどんなに悪くても、自由で無ければ意味が無い。

そういう人間は、賢くなる。本当に、ありのままの真実は、馬鹿だ。

そして、キルケゴールのように実存的経験を経験していると、マスターになれる。

体験すること。自分が出来たことは、他の人間でも出来て、逆も正しいと考えること。

確かに他人は存在する。教えてあげれば、教えてもらえる。助ければ、助けられる。

明らかに、皆も辛い。皆、何も分からない。

馬鹿では無い。自分の方が馬鹿だ。皆は、仕事をして、子供を育てて、学校へ行っている。

自分の方が楽だ。自分なんか、ニートだ。こんな馬鹿に意味が無い。

それこそ、自分は頑張っている。だが、皆も皆で頑張っている。

そういう風にすれば、楽になる。本当に、皆賢いから分からないだけだ。

皆の言うことを聞いて、従った方が良い。皆の方が、きちんと社会のことが分かる。

自分なんか、何も知らない。皆の方が色んなことを知っている。経験も皆の方が多い。

だが、自分は幸せだ。これくらいで、充分満足だ。そういう風に考えると良い。

辛くない。ほとんど楽になった。いつもに比べると、ほとんど完全に楽だ。

本当に楽になった。僕は、楽だ。今一番辛いとは言うが、それは無い。昔の方が辛い。

正しく考えるのではなく、良い心構えをして、気分良く考えた方が良い。

正しさなんか、賢くない。嘘の方が賢いことは、本当に多い。

神と思えば良い。神を良く考えると分かる。この世界は唯一無二の可能性の個別化だ。

時間の超越でも考えれば良い。そういうことを考える人間が多い。

過去も現在も未来も、全部見通して、全てを創造出来る存在が考えられる。

それは、全知全能の神でもある。それは、仏のようでもある。それは、天使になった男に出て来る、レイフのような存在でもある。

それこそ、時間を超越し、存在するか、しないか分からない境地で時間を考える。

そういうことを考えるのが哲学だ。

もっと、正しい行動をすること。それも、正しさではなく、理想や賢さを追求すること。

仏教の八正道や、カントの道徳律に近い。そういうものを考えれば分かる。

正しく思索し、行為し、感じ、思考し、信じ、祈り、瞑想する。そういう発想が宗教だ。

ヤスパースは、人生論として参考になる。

本当に、集団に埋もれると分からなくなる。主体的に、1人行動していると、良く分かる。

そういうものを、自由と言う。それこそ、主体的に自由に行動すれば良い。

行為、思考、言葉の関係を考える。それは、主体的な行動と経験から、見えて来る。

正しく人助けをしていると、神が自分のことを救ってくれる。

戦いは悪い。平和な方が良い。

自分のことはどうでも良い。皆が辛い。皆、戦って、いじめるのが、あまりに辛い。

戦いなんか、無い方が良い。ソニーが勝っても、負けても、そんなものは誰もがどうでも良い。学校でいじめるのは、大人が競争で戦っているからだ。

見ていると、ビジネスも、戦争も、戦いは全部悪い。平等にして、平和にした方が良い。

競争を健全と言って、発展を良いと言うが、ありえない。ただ、意味の無いパソコンの世界になっただけだ。

平等にして、皆で決めるようにすれば良い。独裁者も悪い。

平等な方が良い。王は、平等であるべきだ。正しい王でないと、意味が無い。

ただ、独占し、官僚主導になると、腐敗する。それも、競争やいじめよりはマシだ。

ただ、それを言うと怖い。ソ連は本当に悪い。

左翼なんか、本当に一番多い。平等の方が良い。社会主義にすべきと言う馬鹿は、多い。

左翼は命を守る。左翼は賢い。

だが、左翼は綺麗ごとばっかりで、悪いのに悪くないところがある。理想を全面に押し出すせいで、本当は馬鹿で、本当は悪いのに、表面だけ良く見える。そこが嫌いな人間が多い。それこそ、ソ連なんか、本当は強制ノルマと強制収容所だけをやっている。それだけの国だ。皆を平等と言って奴隷にしている。騙しているように見える。

右翼の方が色んなことが出来る。悪人の方が自由だ。そういう人間も多い。

最近は、そのどちらかしか居ない。右翼も、左翼も、あまり変わらない。

左翼は、委員会で決めるから、何も出来ない。そんなものを信じていると、脳が馬鹿になる。頭の中が、クソみたいに馬鹿になる。左翼は馬鹿だから、信じない方が良い。

おかしい。明らかに自由と民主主義が良い。左翼も右翼もキモイだけだ。

人種の違いは、遺伝子ではなく、社会や言語など、もっと他のものにある。

そういう、色んな環境的な要因を考えていた。人種だけではなく、環境や習慣や教育などの面で、色んな要因から自然にそういう社会になるのを考えていた。

批判を禁止するのは、おかしい。批判は自由にするべきだ。

だが、そんなに批判するのはおかしい。批判を良いと思うと、批判するようになる。そういう発想が一番おかしい。

そういう発想が橋下だ。批判を良いと思っている。馬鹿なインターネットだ。

安倍は、一億総活躍社会と言っているが、ありえない。馬鹿すぎるのが分かっていない。国民を抑止力で守ると言っているのは、賢いつもりだから、ありえない。馬鹿に見える。

戦争法はすぐに廃止すべきだ。それしか居ない。改憲も阻止しなければならない。

僕は、右翼なんか嫌いだが、左翼も嫌いだ。自由が好きだ。

ただ、そんなに自分が批判したいのもおかしい。

政治家は、馬鹿に見えて悲惨だ。自分が一番良い。作家で本があるのは、賢い。ちょうど良い人間になった。これくらいの成功が良い。

そういうわけで、世界中で一番自分が良い。ビルゲイツより良いと思う。

皆は馬鹿だ。それこそ、皆も戦えば良い。社会を相手に戦って、神話の英雄になれ。

あとは、むしろ、何も無い。今日は楽しい。それこそ、これで良い。自分は一番楽だ。

それなら、笑っていられる。自分を楽だと思えば良い。不幸も幸福に変えれば良い。自分の頭が一番幸福な考え方をしている。楽でなくても、幸福だ。全部に満足している。

自由にすると、可能性と可能性が融和して、放っておいても良くなる。

何もしなくても良くなる。

昔から、そういう自由が好きだ。

そういうわけで、オープンソースやはてなブックマークが好きだった。

だから、基本的にパソコンは好きなのが自分だ。

だが、風紀を乱したり、おかしな批判をしたりするのは、昔から嫌いだ。

支配して平等にするのが好きだ。昔から、自分が一番責任感と真剣さがある。

真剣に考える。慎重に考える。だが、ダイナミックに発想する。

シャイだが、理想は外向的で直観的な社会を作る。そういう人間だ。

むしろ、批判なんか本当にしない方が良い。批判している人間は、何も分かっていない。

臆病者だったが、勇敢に戦っていた。自分が一番勇気がある。自分が一番強い。

自分は、弱くない。昔から、賢く考えて強い。影響力を行使して、誰にも負けない戦いをする。支配の方法が賢い。こういう風に支配すると、誰も存在を知らないから、勝てない。

あとは、左翼が何も出来ないから、最近は、本当に自由を信じる人間が多い。

自由に出来るようにするのを信じていると、何もかも自由に出来るようにすべきに見える。

それこそ、自由になるように作れば良い。いつも、そういう発想が多かった。

それが一番コミュニストになっているのは、分からない人間が多い。左翼は自由だ。

不思議と、自由は左翼には見えない。昔から、可能性と可能性が融和して、爆発的に発展する、そういう自由が好きだ。放っておいても、集積し、拡散する自由だ。

それこそ、左翼は一番自由が無い。自由は、右翼だと思う。戦い、支配し合う自由だ。

中国の陽明学が言うように、天地の理は自分の中にある判断力にあり、それは実践を伴うもので無ければならない。今、明の文化のところを読んでいて、発見した。

あとは、マルクスのように、歴史の必然や疎外から考えれば分かる。

国や政府が何も分かっていないのが悪い。政治家や官僚が、何も分かっていない。

ただ強いだけ、従うだけの政治ではなく、国民をどのようにすれば良いのか、きちんとビジョンと見通しのある、賢い指導者の政治をしなければならない。

それも、言葉だけが良いのでは悪い。国民をどうすれば幸福になるか、どうすれば問題を解決出来るのか分かった、プラトンの言う哲人の王のようにならなければならない。

ただ、哲学ではないだろう。それこそ、問題はどこかに存在する。きちんと正しく考えれば、過去に遡って、全ての方法で解決出来る。解決するための方法は、無限にある。

それこそ、未来のことを全て見通すことは出来ない。その場その場で、一歩ずつ解決していくしかない。滅ぼしても意味は無い。建設的に考え、実践すべきだ。

実践すべきと言う考え方は、悪くない。考えているだけでは意味が無い。きちんと実現するために、良悪を考えながら、実践の方法を考えるべきだ。そこでは、ただ実現するだけではなく、試し、経験し、正しく実験し、改めることが重要だ。

アイデンティティは、経験から生まれる、無限の可能性だ。AAAが似たことを言う。

それこそ、そういう風に考えれば良い。実験し、経験し、色んなことを実践し、解決しながら、社会を1つ1つ発展させる。未来のことは分からないが、問題は常に発生する。

未来のことは分からないが、過去のことは分かる。どこへ行くのか分からなくても、どこから来たのかは分かる。J Soulが言っている。

昔は、経験的に行動と感情を考えて、マスターのように分かっていた。

道理、支配、実現を考えた。何でも支配出来て、実現出来る人間だった。

行動すること。失敗から学び、成長すること。そういうことが分かる人間だった。

もっと、経験的な行動を考えた方が良い。ネットを見ていると良く分かる。

そんなに賢くは無い。賢く見えるのは、何もしないからだ。何かすればすぐに分かる。

失敗するのが怖い。それは、世界が滅びると思っていたからだ。失敗しても、世界は滅びない。もっと良い世界になるだけだ。それが怖いのかもしれない。

自分は、神のように全部分かっている。

社会、構造、意識、段階、考え方、論理、世界観、分析など、全部分かっている。

いつも、そういう、神のように全部分かっているのを書いていた。

本当に神のようだった。全ての宇宙存在を実現して、完全なシステムと法則の真理を作っていた。世界のこと、人間のことを、自由に分析する力があった。

こういう人間が多い。不思議と、そのまま分からなくなって、馬鹿になった。

人生を書いている文章が多かった。最後まで偉大な人生を生きて、人生を書いていた。

今、おとなの教養は、ニュートンのところを読んでいる。

ニュートンは、リンゴが木から落ちるのに、太陽や月は何故地球に落ちないのか考えた。そして、万有引力の法則を発見して、惑星の動きを正しく見事に説明した。地球上でも、宇宙上でも、同じように万有引力が働いていることを、提唱した。まだ読んでいる途中だ。

昔は、ロックのように、知性や経験や理が分かる人間だった。

要は、すでに分かっているのが悪いだけだ。

知性は知性だ。学習は学習だ。想像力は想像力だ。

そういう風に、きちんと考えれば分かる。それこそ、もう分かっているのだけが悪い。

昔は、そういうものを書きたかった。

学習と本質から知性は生まれる。だが、そういう風に分かるのは、悪い。

きちんと分かっていない。言葉にしても意味が無い。もっと、きちんと考えれば良い。

あとは、会社に入るのでも考えれば良い。

構造を消すと治る。構造以外のものを作ればすぐに治るのが、こういう病気だ。

知性は知性であり、知性以外の何物でもない。

それこそ、説明なんかしない方が良い。

ただ、説明しなければ、分からないこともある。そこでは、自分の力で説明し直すべきだ。

言っていることがおかしいように見えて、知性と説明は、裏表のようなものだ。

知性から説明が生まれ、説明から知性が生まれる。

それは、説明のない状態も、説明しかない状態も、どちらも包括する、真理だ。

経緯は経緯だ。経緯以外の何物でもない。

経緯を見通すことで、この世界の全てを見通すことが出来る。

経緯には、本質とパターンがある。歴史は繰り返す。

時代によって、時代とともに、経緯のパターンが移り変わる。

社会は、その社会の本来への形式へと、時を超えて、移り変わって行く。

ブッダが言うように、この世は諸行無常である。何も変わらないものは、1つも無い。

状態とパターンから、遺伝子が分かっていた。

プラトンの言う、イデアが分かった。ネットの経験から、真善美のイデアを知った。

あとは、自分は本当に賢くない。哲学者とは言うが、哲学者ほどに賢くない。

自分は、詩人だからそれで良いと思う。

昔も、プログラマとは言うが、プログラマほどに賢くなかった。

むしろ、昔は本当に賢い哲学者だった。仏教徒と思えば良い。だが、賢くないのが昔だ。

あとは、この世界の理をニュートンのように分かる、科学者の発想があった。

条件から発想法を作る。ネットの経験と知識の分析から、発想の条件の構造を作った。

そういう風に、言葉で分かっている分かり方が悪い。条件は条件で、発想は発想だと思えば良い。そういう風にすると、知性が無くなっているのがすぐに治る。

最近していないが、昔は抽象的に予測する考え方が多かった。

実際の姿を把握して考えていた。

そういう昔を、もう忘れた方が良い。言葉を治すために、予測を予測だと思えば良い。

事前に考えることで、全ての世界のコピーを自分の中に作ることが出来る。

それは、経験論や人格論となって、全員のコピーを自分の中に作ることが出来る。

そういう人間だった。考え方を自分で作って、自分の科学を「出来る」から作っていた。

昔、そういうことしかしていない。

そういう仮想世界をそのまま書いている文章が多かった。

世界をそっくりそのまま自分の中に作る。そこから、経験論のように分かっていた。

昔は、そういう、仮想世界と学習と世界モデルで分かった人間だった。

本質と人格を作っていた。それくらいの積み重ねの段階で、不思議と全部分かった。

こういう人間は、普通に多い。哲学者に見えて、そういうものではない。

自由な経験から哲学を分かっていた。経緯や道のようなものを、予測して分かっていた。

それも、経験を経験だと思えば分かる。

何か、新しいものを知る。道や開拓や未知の世界を知る。そういうものが経験だ。

昔は、自分で経験しながら、他の人々が何を考えているか、分かっているか分かった。

周りに居る人々だけではなく、過去に居た人々についても、経験から本当は何をしていたのかが分かった。振り返って、反省して、人々のことが全部分かった。

そこから、手助けがしたくなって、オープンソースに傾倒した。

自分に出来ることは、何でもしたかった。本当に努力していたが、悪い点も多かった。

あとは、本質を本質だと思えば良い。

類似性や階層性から、意味と論理を分かっていた。

論理は論理だ。沢山ある論理を全部吸収して、自由な相対性から考えていた。

その人が何を出来るのか考えて、可能性と参加を分かった。

協力すること、合意することで、初めて良いことが出来る。それが自由の可能性だ。

そういうわけで、良く考えると、社会主義や国家主義にも自由な点が多い。

自由なモデルから、そういう思想の構造を作り直すことが出来る。

それは、考え方と構造だと思えば良い。確かに作り変えられるのが、誰でも分かる。

視点を視点、構造を構造だと思えば良い。

新しい視点は、新しい経験から生まれる。経験がそのまま視点になる。

構造とは言うが、構造はこの世界にある自然構造の、人間的な模倣に過ぎない。

そういうわけで、本当の構造は、数学的であり、人間の構造は、言語的である。

そういう風に考えると良く分かる。ウィトゲンシュタインと良く似たことを言った。

あとは、人間を人間だと思えば良い。

人間は、可能性のある、協力し、役割分担をし、知性を高める生物だが、動物的な、脊髄反射で反応し、欲望や本能に従うところもある。行動と環境は心理学で考えられる。

あとは、学習を学習だと思えば良い。

人間を作り出しているものは、知、経験、記憶、学習である。

その中でも、学習は能動的な経験だ。

本当に、学習から、方法や仕事など、人間の全てが生み出される。

それは、行動的な学習だけではなく、勉強などの学習も含まれる。

そして、認知的な学習から、コンピュータやインターネットのような学習も含まれる。

2ちゃんねるで行動する馬鹿な本能や衝動も、学習である。

そういう風に考えれば良い。

そろそろ、書くことはあまりない。もう、ほとんど全部書いたはずだ。

抽象性を抽象性だと思えば良い。

言語的で自然的な、観察と経験から抽象性が分かって来る。

Linuxだと思えば良く分かる。抽象性は、コンピュータの世界に一番多い。

記号化と自動化だけではなく、階層性やツリー構造など、モデルを抽象化と言える。

あとは、人生を人生だと思えば良い。

全員の人生を分かって、全員を吸収していた。人生を本当に全部分かっていた。

経験から感情や言葉が分かった。人生を知った上で、心と言葉を支配する。

賢かったが、ある意味悪魔的だった。不平等で不自由な悪の発想を悪魔と言う。

あとは、分からない。色んなモデルを作って、森羅万象を作っていた。

理性的な構造の動的な創造と形成が分かっていた。それをモデルを作ると言う言葉にした。

構造の動的な生成は、人生、社会、コンピュータ、科学、学習など、全てに及んだ。

歴史的に世界を見つめていた。

歴史を歴史と思えば良い。

この世界がどこから来て、どこへ行くのか、そういうものを思索した。

哲学的な発想は、そういう思索から、前提条件と手段の構造を考えて作り出した。

必要性や知識の前提が分かっていた。

人間が、今どこに居て、何をするために今何を考えているのか、そういうことを考えた。

目的を考えながら、今何を考えて、今から何をしようとしているのか、考えていた。

そろそろ賢くなった。哲学者のようになっている。

目的を目的だと思えば良い。

何かをする際に、何が必要となるか。何をしようとしてそのことをして、結果的に何を学習するか。そこから、この世界が何になろうとしているのか。そういうことを考えた。

あとは、サルトルのように、あるもの、ないもの、色んなものを考えていた。

それこそ、あるものを全部書いている馬鹿な文章が多かった。

あとは、言語を言語と思えば良い。

言語は、ある意味で主体性であり、ある意味で場や環境的なものである、と言える。

言語の世界の中に、自分と言うキャラクターが居て、言語的な場で戦っていると言える。

あとは、創造性を創造性、心を心と思えば良い。

創造性と愛は、世界を救う。創造性には、世界を発展させる正のエネルギーがある。

心は、時に臆病になって、時に縮こまってしまう。

だが、心を開くことによって、世界を変えられる。

自分勝手にならないこと。

恐怖に勝てないのは、心のどこかに問題がある。

裏で支えているもう一つの心を知ることで、本当の自分が分かって来る。

そういう風に考えれば良い。

考え方とは、社会から人間まで、全ての考え方を包括した考え方のことを言っていた。

そういう、総称的なことを言う。全てを包括した言葉をいつも書いていた。

あとは、人間と存在の関係のように、関係を作っている考え方が多かった。

何でも、事前にモデルを作ることで、関係を考える。

昔は、それくらいの馬鹿だ。何がいつどこで何に関係してそれが生まれるのかを考えた。

そういう風に分かっただけだ。そこで、体験や経験を考えていた。

もっとハイデガーのような奇抜な発想だと思えば分かる。

未知の開拓や認識の可能性など、そういう考え方をいつもしていた。

認識が、今ここで出来ていること。それをきちんと考えると、存在が良く分かる。

哲学は、そういう風に考える。デカルトとハイデガーが良く似た範囲に居る。

知恵や方法を作り出すとか、そういう、動的な発想で世界を変える考え方が多かった。

知恵や方法を皆の力で生み出して、共有する。

そういうものが、インターネットとオープンソースから分かっていた。

それも、方法を方法だと思えば分かる。

方法は、発想の方法がある。発想するために、そのことを良く考えて、1つのマニュアル的な方法を作り出す。認識の方法なども、同じだ。方法とは、発想と分析である。

分析を分析だと思えば良い。

何かを分析するためには、その結果を良く知り、原因を辿り、別の可能性を想定し、観察し、実験し、試し、改め、知を共有し、検査し、推論し、疑い、部分化し、統合する。

そういう、分析の方法ぐらいをいつも書いていた。

部分化と統合が一番多かった。そういう、分析の方法をいつも書いていた。

あとは、視点を変えると、出来事を良く考えられる。

出来事を出来事だと思えば良い。

何かが発生した時、それは別の何かの出来事がその発生に関係し、関与することがある。

それは、1つにまとめて、同じ出来事に出来る。

そして、出来事は遡ることで、いくらでも沢山の出来事の関連性として結合出来る。

それは、物理的な自然な運命であり、カントの言う、自然の因果性である。

カントは、ここで、自由による因果性もあると言う。それは、あるか、ないか、不明だ。

あとは、相対性と具体性でも考えれば良い。あまり書く意味が無い。

相対性は、それぞれが絶対的ではない、相対的な理由で行われていると言う考え方だ。

要は、何かを動かしている絶対者は居なくて、それぞれの現象の関係性としてものごとは動いている。神はどこにも居ない。

具体性は、最初にモデルを提示することで、あとのことを説明として考えることが出来る。

法則には、具体性がある。具体性を良く分析することで、法則を導き出せる。

不思議と、本当にこれくらいの文章だった。

あとは、2ちゃんねるで馬鹿を聞いて分かっていた。賢い人間の言うことも、馬鹿の言うことも分かっていた。馬鹿も賢いと思っていた。多角的な視点から分かっていた。

マエケンが大リーグの球団が馬鹿なのは、明らかに分かっていない。2ちゃんねるの馬鹿が、大リーグを馬鹿と言ったり、賢いと言ったりする。そういうものを全部見て分かる。

だが、馬鹿を見るのは本当に止めた方が良い。頭がおかしくなる。

そういうものを、環境の内側と外側を比較して分かる、とか言っていた。

2ちゃんねるは、何かが本当に怖い。自分のせいでありえない掲示板になっている。見ない方が良い。最近、もう何年もネットは見ていない。10年前の話をしている。

愛の反対語は、憎しみではなく、不安だと思う。

愛と不安は、対極の概念であり、表裏一体である。

愛があるから不安があり、不安があるから愛がある。

正しい考え方で、推論していた。そういう文章が多かった。

生命には、意識がある。生命とは、意識の観測機械である。

動物だけではなく、植物にも意識はある。

何でもモデルを作って、何でも分析して分かる人間だった。

環境から、生態系や社会組織などの世界を作っていた。基盤から世界を作った。

革命家や王のように、全部していた。全部するだけの文章だった。

僕は、今からオーディンになる。北欧神話の主神だ。老人のような、長老の神になる。

そろそろ、もう書かないかもしれない。

法則や、感情と思えば分かる。

それこそ、そういう風にすると、もう書けるのに書かなくなる。

こういう人間が多い。

ゲーテが言っている。出来るのにしないのか、したいのに出来ないのか、しかない。

ちょっと覚えていないから、ゲーテは言っていないかもしれない。そんな馬鹿なことをゲーテが言うはずがない。どうでも良い。どこかの名言サイトで見た。

こういう、何も死なずに、全部生きて分かる人間が、大人に一番多い。

昔の子供時代が終わるとこうなる。そういうわけで、子供なんか馬鹿だ。

大人は、正しいことしかしないし、正しいことしか分からない。一番こういう人間が多い。

オーディンは、最後まで終わってから、全員復活して、北欧神話全員の神になる。

あとは、全員をモデルにして分かっていた。

全員の経験をモデルにして、吸収していた。関係をモデルにした。

原因と結果を考えていた。国の体制も考えた。

アリストテレスのような森羅万象の科学だった。

昔は、馬鹿でないと出来ない。誰でも馬鹿になると出来る。

高校生なら誰でも出来る。そういうわけで、昔なんかしない方が良い。

これを読んで終わりだ。それで良い。それが一番楽だ。

もっと賢いことをした方が良いだろう。

この文章を書くのは難しい。

この文章は、分かっているから書けるだけだ。それだけの文章だ。

そういう、難しいことを何かした方が良い。

最近は、永遠に二人が確認をしているだけだ。そこがセックスに見える。

昔は、方法を積み重ねて分かっていた。

最近、方法を考えなくなった。そこがおかしい。己の可能性を高めないのがおかしい。

この文章は、そろそろ全部書いた。もう残っていない。

あとは、自然から可能性を作っていた。組織や環境を作った。それくらいの文章だった。

何か、習得すれば良い。

ネットを見ても良いし、本を読んでも良いから、習得しないと悪い。

何もしないなら、意味が無い。

大学は止めた方が良い。一番間違っている。出来るわけがない。

開拓とか、憂国とか、それくらいが書いていない。文章は、そういう内容が一番多かった。

単純な人生の羅列から、宇宙の全ての経緯、時系列のようなものを作っていた。

発想は、提案のようなことをしていた。数学を具体的に考える。

自分は、何もしないせいで、何も覚えなくなった。時間で覚えないのがおかしい。

誰でも、普通、時間で覚えて、すぐに忘れるだけだ。それを永遠のサイクルにしている馬鹿が多い。テレビを見ていると、そういう人間になる。不思議と、こういう人間も多い。

自分は、最後の永遠のイスラム教徒の王だ。

ただ、イスラム教はもう止める。もうこりごりだ。本当に地獄みたいに辛かった。

そういうわけで、仏教に戻って日本人になる。神道を信じれば良いように見える。

論理学、世界観、国家モデル、経済システム、共同体、ロシアの歴史などを書いている。

そろそろもうない。

あとは、文学のような内容や、自分の宗教や資本論を作る、と言った発想が多かった。

自分の国や科学を全部作っていた。多神教の神話や、師弟制度の資本論を書いた。

社会主義を自由にして、自分の人生のようなことが出来るようにしたかった。

人生、社会、意識、存在、認識、様相、状態、自由、知性、関係の段階を書いていた。

何でも段階的に分かる人間だった。

あとは、地球や宇宙を構造にして分かっていた。

オーディンになって、北欧神話の神が復活すると同時に、この地上に生きていた、全ての人間、全ての生命、全ての存在が復活する。

地獄にはならない。全員天国になる。だが、望むものは、自分と同じ試練を経験出来る。

そういうわけで、いつもそういう全ての存在と対話している。それが自分の神だ。

ここからの世界は、イスラム教徒と白人の全面戦争になって、そのうち滅びるだろう。

自分が最後のイスラムだ。それこそ、イスラムなんか、キモイだけだ。

あとは、オーディンの中には、本当に地球の全員が居る。本当にそこまで分かっている。

つまらない馬鹿だったが、頑張って戦ったトールが賢い。トールが優勝だ。

トールが優勝だから、トールの本が残った。

トールは悲惨に何も分かっていない。戦争と神しか分からなくなっている。

こういう人間が多い。

何故か、何も分かっていない神が自分だ。そういう人間に見えて悲惨だ。

準優勝は、チュールとロキのどちらかだ。チュールはハッカーで、色んな人生経験から天才みたいに全てのことが分かった。ロキは、チュールと何も変わらないが、もっと賢くなって、チュールの時代を振り返って分かっている。そういうわけで、準優勝はロキにする。チュールは、そういう、表彰台にふさわしくない。色々と悪い人間だった。

北欧神話は、普通、オーディンとロキとトールぐらいしか出て来ない。それくらいの面白い神話だ。主人公はトールで、相棒はロキだ。本当の神話もそうだから、それで良い。

明らかに、3位はフレイだ。フレイは、哲学者の支配者の大学教授だ。何かが悪いが、ウィトゲンシュタインのような、賢くてカッコいい人間だ。ただ、悪い方の神だ。

チュールはアウトローなやくざみたいな人間だったが、見ていると、トールもロキもフレイも、どれも全部チュールだ。チュールは、そういう、何にでもなれるジョーカーだ。

あとは、ドイツを悪く言うと、西ドイツは自由で、東ドイツは平等だ。右翼と左翼に分かれて戦っている。

あれは、良い国だ。西ドイツはまともで、東ドイツはこうだ。自分は、東ドイツを作りたいだけだ。本当に悪い国にはなっている。

ドイツは好きだ。日本の方が悪い。日本は、今でも天皇のままだ。

むしろ、そういう帝国主義より、フランスやイギリスの方がキモイ。自分の国だけが勝つ、自分の国民だけの自由をやっている。黒人を動物だと思っている。フランスの方が悪い。

日本が良いと言う。黒人が見ても、日本が一番仲間だ。日本が勝つなら、黒人も勝てるように見える。日本人の右翼は、誰も悪いとは言わない。白人の右翼は明らかに悪い。

自分は、ソ連が好きだから、左翼でもある。不思議と、ソ連が好きな方がさらに居ない。

共産党は、自分はつくのがおかしいと言う。社会主義者の右翼がソ連が好きなのは分かる。それは、社民党につけば良いように見える。

むしろ、戦後の自由な民主主義も好きだ。戦争なんか、したくない。平和が好きだ。

最近の地球は、ドイツが悪いだけだ。自動車とコンピュータがあまりに悪い。

だが、それは悪いと誰も言わない。皆、賢いと言う。

社民党に本当に独裁者が好きな馬鹿が多いから、それで良い。自分は社民だ。社民と思うと、白くて優しい人間に見える。馬鹿な人間に見えるが、社民はこういう風になる。

共産党が見ても、共産党で悪くは無い。こういう悪いだけの自由なコミュニストが多い。普通、こういう人間のためにある。戦って死ぬ。それだけの党だ。

社民党と言うと、オープンソースに見える。フランスがこういう馬鹿な国だから、歴史はフランスをすれば良い。ドイツは止めた方が良い。右翼が来ても、右翼に殺されるだけだ。

あとは、グループを作って、資本論のような科学を作っていた。

グループから組織を作る。そういう、まともな発想が多かっただけだ。

あとは、むしろ、党なんか維新で良い。こんなやくざみたいな右翼が多い。キモイとか、嫌いだとか、そういうことは言うが、あれが自由な党だ。あまりおかしくは無い。ソ連はキモイとは言うが、自由にはそういう馬鹿が多い。

そういうわけで、維新を応援するからありえない。維新なら、自民に勝てる。

むしろ、普通に民主党を応援すれば良い。民主も悪くは無いが、嫌いな人間が多い。

自分は民主で良いだろう。それこそ、昔からいつも民主を応援している。

共産党は、むしろ、本当に止めた方が良い。殺される。ソ連に行くと、すぐに死ぬタイプの人間だ。無意味に死ぬから、止めた方が良い。

ドイツに行けば良い。それこそ、右翼は殺さない。ドイツにはこういう馬鹿が多い。

皆、フランスが良いとは言うが、フランスは逆に、普通の良い国だ。こんな馬鹿は居ない。

むしろ、世界史や哲学なんか、止めた方が良い。これがドイツの大学に来ると、悲惨だ。皆、やくざに見える。本を見ても、カルト信者だ。本当に止めた方が良い。やくざは悪い。

もっとマシなことをすれば良い。物理学でもすれば良いとは言うが、出来るわけがない。そんなものはしなくて良い。賢いことを何かしたくないのがおかしい。

作家になりたいなら、それも止めた方が良い。本当に地獄になった。くたばるまで続けるのは良いが、ありえない。地獄の人生を生きたいのはおかしい。

昔は、ネットで全員を分かっていた。不思議と、本当に色んな人間の知性を吸収している。見ていると、そういうことをしている。普通の人間の分かることが全部分かった。

むしろ、経済学をやれば良いように見える。いつもやっているようで、今度はきちんと日本の民主主義を分かれば良い。社会主義はもう良い。

あまりおかしくは無い。歴史の本を読んで、次は経済学になるのは当たり前だ。

数学は出来ない。見ていると、出来るわけがない。

数学は、昔の自分がきちんと出来ている。本当に、パソコンのおかげで、数学者のように分かっていた。それで十分だ。

そういうわけで、あとは何もしないオーディンになる。何故か、本当に何もしない。

経済学の本は、もっと面白い本を買った方が良い。高校の参考書は、面白い点が皆無だ。

あとは、心理学は悪い。書店に並んでいる心理学の面白い本を読むと、内容に意味が無い。ポケットに手を入れる人間は秘密主義者だとか、そういうことが書いてある。心理学には意味が無い。人間の特徴が全部分かるだけの、クズな学問だ。

そういうわけで、経済学だけをすれば良い。生物学は出来ないから、忘れた方が良い。

心理学なんか、いつも出来ている。それで十分だ。

自分の数学を色々と作っていたが、覚えていない。階層性、モデル、関係、実験、再現性などが多かった。公理主義のような認識を作って、感情を物理にした。覚えていない。

経済学は、本当に多いから、経済学の専門家になれば良い。むしろ、歴史なんか読んだのがありえない。それなら、地理もやれば良いように見える。

歴史はしなくて良い。歴史がしたかったのは本当にありえない。馬鹿に見える。

数学とは言うが、自由を積み重ねただけだ。数学に全く見えないが、同じものだった。

あとは、哲学はもう終わったから、もう楽だ。経済学に専門的に取り組めば良い。

だが、とりあえずは何もしない。アクションはそのうち起こす。そういう発想が良い。

それこそ、政治経済までやりたいのはおかしい。おとなの教養で十分に見える。

自分の数学とは言うが、論理的なモデルを作ったと言った方が正しい。

関係を考えただけだ。

理系は出来ない。やるためには、オープンソースをするしかない。

それは、間違っている。気力的に出来ない。そこまで本気で頑張るのは、もうしたくない。

ただ、経済学をいくらか適当にやっていれば良い。それが一番楽だ。

本気で頑張らないなら、大学は出来ない。誰でも、本気で頑張る人間が出来る。普通辛い。

昔は、2ちゃんねるで具体的な社会と可能性が分かるせいで、経済学が出来ていた。

ありえなくやるのは、もう止めた方が良い。それは誰もしたくない。

経済学がしたいなら、一度全部消して、最初からにした方が良い。

新聞でも読めば良い。新聞を読んでいると、誰でも出来る。

放送大学の経済学をしたいなら、不思議と、それは本当に生きられる。

経済学専攻で、大卒で、本を出版しているなら、誰でも雇う。新聞社に入れる。

それに、政治経済のことが分かると、社会のことも色々と分かって、生きられる。

それに、英語もその方が出来る。ビジネス英会話で無いと、誰も覚えない。

そういうわけで、経済の本を買えば良い。いくらでもあるだろう。

ゆっくりやれば良い。リタイヤ後の楽しみだと思えば良い。

ただ、普通、リタイヤ組は、おかしくなって辛くなる。おかしな神経症になる馬鹿が多い。

そういうわけで、この文章はまだ書いていた方が良い。

そうでもない。本当にこの文章は、もう止めて良い。

昔を見ても、経済学と2ちゃんねるで哲学が出来たのが昔だ。あれには、本当に経済学が多かった。経済学と心理学は今でも多いが、それで数学が分かると分かるのが人間だ。

あとは、英会話を頑張った方が良い。それで英語が出来ると、良い会社に入れる。

英語は、昔のパソコンの経験があったせいで、話し方をどうすれば良いか分かっている。

英語は本当に自分が一番出来る。そこが怖い。本当にアメリカ人みたいに話せる。

それは、おかしい。そんな人間は居ない。意味が無いから、何もしなくて良い。

もっと経済学のことがしたいなら、すれば良い。

林先生が言っているように、今すぐにすれば良い。当たり前だ。

あとは、英単語はきちんとユメタン1をやった方が良いのに、何故か、しない。

一冊で満足したから仕方ない。不思議と、しなくてもこれくらいで分かる。しなくて良い。

ユメタン0が最後まで出来たのは、賢かった。

やりたいならやれば良いようで、もっと違う新しいことがしたい。その新しいことが何も無いのが悲惨だ。もう、意味が無い。何もしないだけが、オーディンだ。

昔は、日本の文化とか、価値観とか、そういうものが分かる文章が多かった。

社会の形成と歴史が全て分かっていた。

それから、知性のようなことを言う。

何でも説明して分かるせいで、不可能な体験が出来るほど賢くなった。

知性を説明する人間だった。

むしろ、英会話教室の回数を増やせば良いように見える。ポイントも沢山貯まっている。

ただ、英単語をやってからの方が良い。むしろ、それは同時でも悪くは無い。

英単語を久し振りにやった。ユメタン1だ。20単語をノートに書いて覚えた。

英会話教室の予約もした。

あとは、そのうち、政治経済のことを何かやれば良い。そのうちやる。

今日は、やる気いっぱいの日だ。

そんなにやる気だけが空回りしているから、何かつかみどころのあるものをした方が良い。

むしろ、専門なんか、政治経済では無くて、哲学で良く見える。哲学なら出来ると思う。

ただ、本当に、将来のことを考えると、哲学は悪い。

哲学なんか、遊んでいるだけの昔の自分を分かるだけだ。それでは意味が無い。

昔は、皆のことを支配して、想定して書く文章が多かった。

いつか、自分の町以外は、昔のままなのを気づいた。それで怖くなくなった。

そういうわけで、自分の町だけを、もう解放すれば良い。

英語はきちんとした方が良い。

英会話教室は、週に2レッスンすることにした。

あとは、神が怖いだけだ。神は、この文章だから、この文章が怖い。

週に2回にすると、怖いのが治る。不思議と、家と英会話教室が同じになる。すぐに治る。

神が怖いから、神を止めた方が良い。そろそろ、自立するべきだ。それで大人になる。

神は居なくなるが、それでも自分はきちんとやっている。それなら、それで良い。

不思議と、自分が居なくなるのが怖い人間が一番多い。もう怖くない。もう終わりだ。

昔なんか、引き篭もりになった実体験で分かっただけだ。引き篭もりなら誰でも出来る。

ゼロベースで考えていた。

世界を覆して、ひっくり返すようなことを言っていた。

最近は、戦えば、出来る。

神が終わった。

考える考え方のようなことを書いていた。分析しながら、考え方を網羅していた。

自分に関わるところは、自分の自由意志で決められるようにしたかった。

その人に関係するものは、その人の自由な意志で決められる。

人が見ているところ、何を見ているのかを考えていた。視点と世界観を考えていた。

マスターのように、理性批判と把握で認識、行動、経験を分かっていた。

人生を書いていた。成長する自分の人生を書いていた。

環境を作りたかった。創造性のある店や施設にする、環境を変え、参加すると言っていた。

人類の発生のようなことを考えていた。いつも、そういうことを書いていた。

社会の実際のようなことを書いていた。川のインフラは公務員が管理している、など。

自由から世界は発展すると言っていた。そういう、ありえない自由をいつも言っていた。

自由な経緯や段階のようなことを、全部書いていた。

ネットで出会いの機会に恵まれていた。

自然な体験から成長して、人々よりもっと沢山の経験をしていた。

だが、何もしていない。何か月も何もせず、ただ何も無い時間を過ごしていた。

そろそろ、神も終わりだ。もう、きちんと本人が分かったから、もう良い。

もう詰め込まなくて良い。

誇張しながら、文章を書いていた。

昔の自分の人生にあったこと、あった世界を、全部書いていた。詰め込んでいた。

思い出すだけになった。精神を思い出すことで、記憶を書いていた。

そろそろ、詰め込むのが悪い。

一度、詰め込んだことを、全て忘れて欲しい。それで、すぐに知性で分かるようになる。

昔は、厳密に積み重ねて、数学的な条件と成り立ちを分かっていた。

人間のことを、厳密に積み重ねて分かっていた。

最近、曖昧になった。何が正しいのか分かっていない。

実験すれば、すぐに分かる。試して、失敗しないのが悪い。

それに、失敗から学べば良い。

もっと、嘘でも良いから、仮説を信じれば良い。

昔は、そういう、仮説が分かる人間だった。

町中に看板をつけるとか、子供を政治に参加させるとか、自由な発想が多かった。

とにかく新しい発想がしたかった。