日記に戻る | 2016年1月の日記に戻る

=2016-01-14=

自然状態を考えていた。

国家とは、村社会が抱えていた、必然的な矛盾の解消である。

問題は、必然的に解決される。不自由は、必然的に自由になる。

ヘーゲルが言ったように、歴史は元には戻らない。

マルクスの間違いは、原始時代に戻ると言ったところだ。そうはならない。

問題はどんどん解決される。昔には戻らない。

パソコンは無くなるわけでなく、もっと良いものになる。

社会現象は、色んな関係とプロセスを経て起きる。それを考えて、行動した本人には分からないことも多い。最初に考えたものとは、はるかに違ったものが社会に起きる。

不思議と、これくらいしか本当に書いていない。

今の社会は、核家族化と少子高齢化が深刻である。村としての、本来支え合えるコミュニティの助け合いが必要性を増している。児童虐待や子供の貧困、格差などの問題がある。

昔から、そういう世界観を書いている。

オタクとか、古代と現代の移り変わりとか、そういうことを言う。

それくらいを書いていない。それで、そろそろ終わりだ。

人間は何も変わっていないが、周りの環境が劇的に変わっている。そういうことを言う。

そういうわけで、コミュニティの1つだと思えば、ネットも良いものに見える。

昔は、キリスト教の教会が良いと言っていた。地域のコミュニティが生まれる。ドイツには、教会があるから、ドイツはまだマシだ。何も無い、滅びた日本が悲惨だ。

学校も悲惨になっているのは、明らかに、学校しかないのがおかしいからだ。

ただ、ネットは明らかに、あった方が良い。金以外のものがあると、明らかに良い。

それに、2ちゃんねるは悪いが、ネットには賢い人間のブログが多い。

ただ、2ちゃんねるは本当に悪い。犯罪者みたいな馬鹿しか居ない。それが悪いだけだ。

今日は、英会話教室に行ってきた。

あとは、理性のようなことを全部言っていた。部分化から推論まで、色々言っていた。

アメリカや経済のことを知りたい。アメリカのことを知ると、英語が出来るように見える。経済のことを知ると、日本のことが分かる。何も間違っていない。

ものなんか、動くだけだ。人間なんか、方法の通りやっているだけだ。

昔は、動くようにするとか、自分で同じことをやるとか、そういう発想が多かった。

そういう風に考えれば良い。動くのと方法だけで、誰でも分かる。

そういう、馬鹿な科学者の方が、賢い宗教家よりも分かる。ものなんか、ただのものだ。

良く考えると、抽象的な予測、信じること、認識、記憶、可能性、方法しかない。

昔から、そういうことを言う。そういう風に、世界の網羅を人生と世界観から書いていた。

今日も、英単語を20単語やった。

色々と、何もしていないから、何かした方が良い。

アメリカのことはしたいならすれば良いようで、そんなことはしなくて良い。

経済の本を買いたいなら、それも悪い。もっと、普通に色んなことに興味を持てば良い。

あとは、カテゴリーや分類のような考え方を言っていた。

数学は出来ないとは言うが、この内容を数学的に作っている文章が多かった。

そういうわけで、これで数学だ。スピノザと良く似ている。

日本は、見ていると、意味が無い。インターネットとビジネスしかない世界になっている。

怖いのは、そういう日本が怖い。本当に意味が無い。

アメリカなんか同じだ。インターネットと自由なビジネスしかない。自由はおかしい。

自分も、組織や経済システムを良く書いていた。自由な個別性と人権から、普遍的な世界を作ったりしていた。社会の集団と個別化や、意識の段階のような文章が多かった。

あとは、環境や世界モデルと言った言葉で、人格や世界観のことを書いていた。

学習や原因と結果が分かっていた。

社会や政府のモデルから、神や宗教のことまで、哲学的、思想的、宗教的に分かっていた。

社会民主主義の政府と、自由民主主義の政府は、自由と言う視点の形態の変化だと言う。

そういうことを言う。いつも、そういうことを言っていた。

形態の変化とは言うが、いつもそういう風に、全部をまとめたようなことを言う。

可能性とは、環境の取り得る状態の変化だと言う。そういうことをいつも言っていた。

あとは、普遍性と個別性のようなことを分析していた。

どういう風に考えれば良いのか、それはどういう風に捉えられるものなのか、とか、そういう、理性的なことを言う。それが認識出来ていることの意味、のような内容が多かった。

ものとは、光のエネルギーの形態であり、宇宙にある運動と力の形態の変化である。

そういう風に言う。あとは、「どういう風に」と言う発想が多かった。

それがどういう風になることから、どういう風に存在し、可能性を高め、自然なシステムに出来るかが、自由と理性の持つ唯一の意味である。

そういう風に考える。それくらいの、物理学者のような内容だった。

振る舞いを現象学的に考えている。ただ、分析のような内容を書いているだけだ。

そういうものを、概念からきちんと考えていた。それくらいを書いていない。そういう、物理のような内容も本当に多かった。

あとは、教育からビジネス、市場から組織やグループなどを、自由に考えていた。

それは今、どういうものになっていて、どういう風に変えられる可能性があって、現実的にはどう出来て、どうすべきか。そういうものを書いて、いつも提案と意見をしていた。

物理的に考えると、数学的な正しさ、定理と証明、実験と仮説と説明、生きている、生きていないと言う状態、人間が作れる、作れない、と言う状態がある。

それ以上、理性的な考え方を全部書いていた。

デカルトやカントのようで、ベーコンなどの帰納法のようでもあった。

今日は物理の日になった。

もっと、色んな発想を構造と考え方から書いている文章が多かった。

あとは、社会の発想と実現と、そして、人生から社会を作る、みたいな内容が多かった。

何でも人生から作る。人生にあるもの、人間的な真理のことが、考えて分かっていた。

人生とは、愛と真実の中で、信じ、疑い、感じ、考え、作り、使い、築くことである。

そういうことを言う。いつも、そういう、ニーチェのような、神のようなことを言う。

昔から、形態と振る舞いのようなものを、モデルで考えるのが自分だ。

ロックの言うように、知性で考えれば良い。いつも、そういうことを言っていた。

あとは、何をどうすれば自由になるか、融和するか、多様になるか、同じになるか、のような文章を書いていた。同じと違うだけをそこまで分かっている。

何でも全部融和するありえない文章が多かった。それでまだ分かっている。それが悪い。

あとは、感覚とか、具体性とか、そういうものを書いていた。

感覚は、反応的に分かると言っていた。

具体性は、自由から発想して、具体的なものが分かる方法を書いていた。

それこそ、言葉の意味通り、感覚や具体性を書いている文章が多かった。

心理学や経済学のような文章が多かった。

発想の仕組みから、具体的な発想のパターンや、情報共有などの手段を書いていた。

この文章を読んでいると、おかしく頭が賢くなる。

こういう、おかしな成長をいつも書いていた。機械的に積み重ねて、知性をつけた。

本当に良く育った。こういう成長が、おかしく見えるから、キモく見える。

あとは、反応みたいなものを書いていた。何かが馬鹿だった。

そろそろ、馬鹿になるのを止めた方が良い。こういう風に馬鹿になると、皆も馬鹿になる。

皆を道連れにして馬鹿にするせいで、皆おかしくなった。馬鹿に、賢くなった人間が多い。

自分はありえないことを言う。皆辛いだけになっているから、解放する。

皆、もっと自由になれば良い。

だが、それは、なりたい人間が居ない。このままで良いと言う。

そういうわけで、このまま世界が融和する。自分が意志を独りでやっている。

そういうわけで、もう良い。このまま世界は1つになる。自分からどんどん離れて行けば良い。そういうところが怖い。どんどん離れて、1つ1つ、それぞれになって行く。

皆、どんどん1人になって行く。

自分はそろそろ、意志を消して、馬鹿になる。それで、すぐに楽になる。

全員の意志をやるありえない人間が自分だ。

不思議と、スターリンがそういう風になる。

ただ、それは本当に辛かったから、昔からそういう発想が嫌いだ。

皆の意見をきちんと聞かないのが悪い。もっと、この世界を平和にした方が良い。

そこらへんを考えていない。むしろ、きちんと一人一人の人生を考えるのが自分だ。

そこが神に見えるから、これで神と言うことにすれば良い。

学習なんかしなくても、パターンを覚えるだけで出来る。そういう発想がこの文章だ。

そういうわけで、それを止めて、単純に、シンプルに繰り返すようにすれば良い。

それでもう書けなくなる。単純に、シンプルに繰り返すようになる。

イスラム教や神のように、全部分かっていた。そういう文章を書いていた。

全部の価値観、考え方、意識、心のようなものを書く。

意志がそろそろ多様に広がっていく。

ただ、辛いだけのテレビが終わる。

これは、機械的に繰り返しているだけの文章だ。

悪いものを全部消せば治る。

汗をかくと治る。今、風呂に入って分かった。汗をかいた方が良い。

皆を作り変えるのは、悪いから止めた方が良い。

止めると、自分が辛くなって、皆も辛くなる。止める意味が無い。

このまま、悪いものを全部消して、良い人間になる。

自分が復活した。

あとは、経験論やデカルトのように考えると良く分かる。特に経験論が良い。

あとは、信じていれば良い。

何故か、三つ目みたいになっているから、消した方が良い。

セックスが辛いのは、遺伝子が同じだからだ。全く違う遺伝子にすれば良い。

そうすると、虫が治って、魚のようになる。

あとは、右脳になって辛くなっているから、左脳になった方が良い。

左脳が分からなくなっている。左脳は、感情では分からないものを分かれば良い。

むしろ、木になれば良い。木になると、安心出来る。

魚は、虫を食べる。そんなに居ないから、もう全部食べ終わった。

広島がおかしな暗闇になっているから、治した方が良い。

広島人には、何も分からない。

不思議と、広島以外はまともだ。そこがありえない。

怖いから、広島に根差してしまえば良い。あとは、なるようになる。

何故か、広島をおかしくしたのは、自分だ。

あとは、部分化とか、内部分析とか、分析の方法や考え方のようなことを言う。

テレビは、自分をいじめるだけの機械だ。それが分かると怖くない。

世界を治す。単純に、広島を良い環境にすれば良い。

もっと楽で、安心出来る社会にすれば良いだけだ。

あとは、人間のことや、森羅万象のことを、哲学的、人生的、人間的に分かっていた。

デカルト、スピノザ、カント、ヘーゲル、キルケゴールのように分かっていた。

経験から、信じることや精神分析や社会のことを分かっていた。

環境と体験と意識から、ブッダのように分かっていた。

書いていないようで、ロキに書いてある。フレイにも哲学として書いてある。

森羅万象は、まるでアリストテレスやダヴィンチのように、総合的な科学を作っていた。

創造性、多様性、共有が好きだった。

認識は、共感のようなことから、疑って分かっていた。

オープンソースは、狂っている。オープンソースをやっていると、狂った人間になる。

GPLもおかしいが、自分は、フランスでオープンソースを普及させると言う。おかしい。

あとは、皆を一体にしている革命家が多かった。

一体にしているだけで、悪いことはしていない。戦っていないし、誰も死んでいない。

むしろ、コミュニストだ。皆を騙す、ソ連の革命家だった。

あとは、まともに考えて分かっていた。社会と人生の道理を考えた。

見ていると、キリストと同じだ。キリストが言うのと全く同じように分かっていた。

本は、経済学の本と、聖書の本を買った方が良いかもしれない。もう買わなくて良い。

こういう風に、全部の論理を言う。

昔は、本当に論理的、相対的に人間のことが理由から裏側まで全部分かっていたが、その理由でこういう風に全部の論理と結論を言うようになった。

あとは、全部の経験を、仮想モデルを作って書いていた。それくらいの文章だった。

昔は、論理的、論理学的に、人間の心や経験やマスターのような真理を分かっていた。

何かをすれば、何かになる。そこが分かっていた。物理的に心と経験を考えた。

記憶から発想まで、全部分かる。

不思議と、こういう人間は本当に多い。キリストになっている。

それこそ、キリストを信じれば誰でも出来る。

最近、居なくなった。自分が破壊するせいで、この世界が丸ごと全部馬鹿になった。

一切分からない方が良い。その方が出来る。

皆、これから、この文章が一切分からなくなる。何も分からなくて良い。

この文章以外のまともなもので分かれば分かる。

経験論とは言うが、2ちゃんねるの経験があっただけだ。

それで、理性的に環境や意識を考えていただけだ。

本当にマスターのように分かっていた。神のようだった。

キリストのような経験をした。

自分から積極的にして、同じことをして分かる。社会経験をする。

もう、この文章は世界から消える。この文章の内容は、もう誰にも分からない。

良く考えると、行動や判断ぐらいしか考えていない。

考え方を変えて分かっていた。見方を変えて、全員の視点を考える人間だった。

その人の立場になって、その人より深くて広い視点で、掌握して分かっていた。

そこがエロイ。その人間本人よりも、他人の方が分かるのがエロイ。

これはそういう文章だ。そういうわけで、セックスも無くなって、キモイのも治る。

皆、もう美しくてカッコいい人間になる。自分のようなオタクは、キモくなる。

あとは、環境や体験を考えていた。自然な場の発生から、体験的な社会形成を分かった。集団と個人の意識から、その環境で何をどうするべきか分かっていた。

この文章が無くなると、すぐに分かるようになる。この文章は、分からなくしているだけだ。それこそ、この文章が神だ。神は一番悪い。皆のことなんか嫌いで、自分のために皆をクズにする。それが神だ。

経験から、建設的に考えること。経験から分析すること。

分からないと最初から決めつけずに、分かるかもしれないと考えること。

あとは、何か言いたかったが、忘れた。最近そういうことが多い。

そろそろ、皆分かるようになる。きちんと普通に分かる。それで昔と同じになる。

最近、分からなくなった馬鹿しか居ない。それは、この文章の神が悪い。

神は、皆を分からなくする。そして、いくらでも永遠の地獄にするのが神だ。

まだ、悪魔の方がマシだ。悪魔は、神が嫌いな、善人の良い人間になる。それが悪魔だ。

ただ、そんなに悪魔になっていると、こうなる。地獄になる。最後の方の自分を辛くして分かるだけが、そういう、悪魔だ。オープンソースがそういうものだ。

あとは、現実社会のことも色々と分かっていたのが昔だ。思い出せば分かる。

見ると、昔の世界は全く違う。

本当に、攻撃的で反抗的な人間の多い、戦う怒りの世界だった。

最近は、温厚な人間が多い代り、馬鹿になっている。

そのまま、温厚にしたままで、分かるようにすれば良い。そういう発想がドイツだ。

昔は、自由になると分かると思っていた。そういう人間が多かった。

最近を見ると、明らかに自由は悪い。おかしなファシズムが自由だ。

皆も、それで分かっていない。自由は良いわけがない。自由は否定した方が良い。

昔の自分を裏切ることになるとは言うが、そういう人間が本当に多い。

自由は間違っている。平等や平和の方が良い。それが正しい。善人の昔の自分が悪い。全く意味の無い世界だから、自由と言っている。最近は狂っていない。自由はおかしい。

ただ、昔は本当に自由が良く見えた。自由で分かるように見えた。

それこそ、昔はそれだけの人間だ。

自由でいじめや抑圧を無くし、人間が人間的に成熟すれば良いと思っていた。

今見ていると、自由はおかしい。本当におかしな意味の無い世界になった。

自分が悪かった。本当に反省している。

最近は、昔の自分を今の自分が裏切るようになった。

そういうわけで、これはあまり悪くない。昔の自由が好きで、昔の自由が嫌いだ。

自由なんか、キモイだけだ。2ちゃんねる全盛期になっている。普通、最近はLINEだ。

それこそ、本人も自由な経験で成熟していた。

ただ、そういう自由な経験が怖い。二次元のセックスに見える。おっぱいに見える。

そういうわけで、自由が一番悪い。最初からこの人生を神が創っている。神は悲惨だ。

それこそ、宣言を全部叶えた。ドイツ人になると言ったから、なっただけだ。

昔は本当に良い人間だった。理想や思いやりの心もあったし、人間たちが何をして、行動して、経験すべきなのか、自由な自分の経験から全部分かっていた。

最近は、むしろ、きちんと頑張っている。こういう馬鹿が右翼の左翼だ。悪くは無い。

あとは、思考や理性に先立つ経験があった。

とにかく、全部の経験をした。実験して、試して、改めて分かっていた。

何でもかんでも経験しながら、ヘーゲルのような成長と人生を知った。

それこそ、本当に人生体験が全部あった。それだけの人間だった。

社会のことは、構造から理念まで、全部知っていた。理念のような発想が多かった。

本当に経験した、全ての修羅場を知った人間だった。

そうでもない。あれに、経験なんか無い。ただ、2ちゃんねるの経験があっただけだ。

本当に宇宙の全てを経験した。実地的に社会のことを考えた。ビジョンや理想があった。

思いやりから、本来の人間の安らぎを分かっていた。

要は、この文章が悪い。この文章は、悪魔の文章だ。皆がこれを分かるのがおかしい。

それこそ、書いただけで皆が分かるのもおかしい。それを止めると、その方が書ける。

皆、もうこの文章のことを分からないで欲しい。自分だけが分かるようにする。

とにかく、経験、可能性、価値観、と思えば分かる。昔はそういう人間だった。

自分なりの新しい発想をして、世界を変えたかった。

言語的に出来るようになった。それが一番多かった。

自分の出来ることは、他にも出来る。

知性を全部つけて、全部出来るようになった。昔は、そういう人間だった。

自由を全て分かって、心の平穏と自然な影響力による社会の正常を分かっていた。

時が過ぎる中で、残るものがあった。そういう風に、経験と体験から分かっていた。

人間の成長を知っていた。人間がいかなる時にいかなることを知るか、全部知っていた。

人間が、いつ何を経験して、いつ何になるか、何が分かるか、全部分かっていた。

人生の経緯の文章は、そういうことを言っていた。

状態の段階とは、そういう経験の経緯や道のようなことをいつも書いていた。

あとは、定義にしたり、精神をつけたり、理性批判をしたりしていた。

色んな知を数学的なモデルにして分かった。モデルとは、そのことを言っている。

世界のコピーを自分の中に作って、モデルにして世界観を分かっていた。

何かをする、と言うことに関して、段階を作った。発想する、判断する、行動する、実現する、事前に考える、知識を吸収する、経験から裏側を知る、など。

そういうことをいつも言っていた。そういう文章だった。

あとは、人生の自然な可能性を考えていた。それがそうなる時、どうなるか、どうすべきか、何をすれば何が分かるか、などを、視野を広げて、理性的、経験的に分かった。

人間の自然な可能性では、環境を守ること。そして、確かにそれがそれであることを、存在と認識から捉えること。その上で、思考によって吸収すること。

知性とは言うが、知性のモデルのようなものを作っていた。知性を全部作って分かった。

あとは、コンピュータの自由とプラットフォームが好きだった。

最近は、神との対話とは言うが、こんな馬鹿な人間になった。全部神を聞いているだけだ。

あとは、経験から正しさや認識や可能性を知った。ある意味では、それが正しく、その逆でも正しく、全部正しい。それを、決め直して分かっていた。

ただ、それは悪い。それでは、何も分からなくなる。

間違っていると思うことは、間違っていることにした方が良い。

いつも、全部分かっている。コンピュータのシステムのように、全部ある意味で正しい可能性を確認して、理解している。それが神だ。全く意味が無いから、普通の人間になった。

世界にあるものをネットで全部知って、成り立ちと自由から手段のように分かっていた。

それこそ、全部自分がそれをするのを考える。

昔から自己中心的な人間だが、そういうものを全部普通に正して分かっていた。そういう風に治った、悲惨な人間だった。学校が嫌いなようで、自分の方がもっと嫌いだった。

あれは、自分が好きだっただけだ。本当にそこまで自分が好きで、同時に嫌いだった。

最近はそんなことは無い。ツンデレには全く見えない。奉仕する悲惨な女に見える。

英語は、意外と難しくは無い。推測しながら話すと、話せる。

何を言いたいのか、はっきりせず、良く分からないままに、話しながら考えると話せる。

何故か、英語はそういう言語だ。そういうわけで、神を信じる人間が多い。

日本人は、はっきりと最初から言いたいことを言う。日本人は、何も信じていない。

そういうわけで、何を話したいのか、良く分からないままに、話しながら考えると英語が出来る。ただ、コミュニケーションと言うものは、そういうものだ。日本語と変わらない。

昔は、本当に悪い人間だった。ネットで悪いことをいくらでもして分かっている。

最近は、支配して、導く。本当に、イスラエルやロシアのような、神の経験をした。

今日も、もう寝る時間だ。続きは明日にする。

不思議と、英語はもう本当に話せる。話しながら考えると、関係代名詞の意味も良く分かる。英語は、話しながら考える。それだけだ。

最近は、具体的な理解を作って考える。

賢い人間は、バッハだけだ。バッハだけ、そこまで賢い。

バッハは、宗教音楽を荘厳にしただけだ。そういう、具体的な理解を作って分かる。

スターリンがソ連のことなんか、何も分かっていない。その理由で滅びたのがソ連だ。

それこそ、スターリンがマルクスなんか、分かっていないように見える。

そういうことを言う人間が多い。そういう風に、具体的な知を作って分かっていた。

構造と気づきと未知から、そういうことを分かっていた。

自分が白いと知ることは、白くあることより劣っている。誰かが言っていた。

相手の意図を考えれば、その人間のしたいことも見えて来る。それを意図だと言っていた。

掲示板で、相手の意図を考えていた。

今日はもう寝る。もう終わりにしたい。