一歩引いて、離れて考えれば分かる。
世界に近づきすぎている。それで馬鹿になった。
世界観や世界の変化のような文章が多かった。
世界は、時代とともに移り変わる。
人間は変わっていないが、社会が変わっている。
時代は、80年代に戻るべきだ。
時間は移り変わる。刻々と世界の重要度は変わっている。
場はプラットフォームだ。
そういう、世界のような文章をいつも書いていた。
知性をつけるのを考えていた。世界モデルや、想像力をつけると言っていた。
あとは、ただの自由みたいなことを言っていた。
認識や、見た世界のことを、自由と言って、この世界を支配する。
おかしい。心で皆のことを支配する、一番おかしな人間だった。
あとは、意識みたいなものを書いていた。意識と事象のようなものを全部書いていた。
心の働きや世界観を考えた。歴史の創造や世界把握、生命のパターンを考えた。
方法と考え方を網羅して、本質を分析していた。
人間を全員創った。虫けらから宇宙人まで、全部の存在を創造した。国も創っていた。
社会を創造した。構造を作って、経験から知って、制度や段階を分かっていた。
社会における構成員や構成要素を全部分かっていた。
色んな偉人のことを、宗教的に分かっていた。
決まりを創っていた。制度や法律を全部決めていた。
本質的に、社会をあらゆる面から創造した。自由なシステムとして、世界を創造した。
神になっていた。皆に対話し、世界の歴史を司る、ユダヤ教の神になっていた。
自由な社会の段階を書いていた。機械的に積み重ねて、どんどん社会を高めていった。
社会のレベルみたいなものを分かっていた。
意識の段階から、生命のパターンまで、宇宙の全てを創造していた。
馬鹿だったが、賢い人間だった。王のように分かっている、革命家の作家だった。
書いていると、おかしくなって、辛くなる。
おかしいものは悪い。おかしいものは、あると辛くなる。見ない方が良い。
おかしくならなければ、楽になる。おかしくならないためには、何もしなければ良い。
おかしいものを消すと、楽になる。
人間の個人と集団のようなものを全部分かっていた。
組織と会社、自由と人生のようなものを分かっていた。
考えていることを全部書いていた。もっと沢山、決まりのようなものを書いていた。
オープンソースを消すと楽になる。オープンソースは、悪魔の機械だ。皆を悪魔にする。一番おかしいから、オープンソースを消すと治る。オープンソース社会はおかしい。
オープンソースを信じると、人間が機械になる。それで分かる代り、地獄になる。神がそういう風にする。神は、悪魔が嫌いだ。
おかしな分かる機械のようなものを全部作って分かっていた。
繰り返しから学習になり、いくらでも出来るようになる。もう覚えていないが、そういう、体験のようなことを書いていた。
ゾロアスター教も正しいところがある。本当に、善と悪が戦うのがこの世界だ。悪魔は、善によって倒されて、滅びる。自分は、悪を信じるから、こういう風に地獄になる。神を信じれば治る。そういうわけで、自分が一番神を信じている。
世界の住民は間違っている。皆、神を悪いと言う。悪魔を良いと言う人間が多い。そういうわけで、世界を見ていると、分かるようで、悪魔になる。世界を否定して、神を信じた方が、賢い人間になる。だが、それも間違っている。神は、昔だ。世界をきちんと見て、きちんと考えれば、神の愛が分かる。悪魔は、今だ。自分勝手に戦争をし、皆を苦しめていると、悪魔になって、地獄になる。全てを体験したい人間は、こういう風になる。
全てを体験したかった。それだけが望みだった。永遠を生きたいと言ったから、こうなる。こんな人間は居ないが、今から皆、自分のせいでこういう風になる。そこが神だ。
神とは、自分のことを言っている。神の御業とは、自分のしたことしか言っていない。一番馬鹿な、愚かなニートの革命家が神だ。そこが一番ありえないのが、ユダヤ教だ。
昔も今も、どちらも悪魔で、どちらも神だ。Linuxを信じるから、こういう地獄になる。
ゾロアスター教は賢い。神と悪魔と考えると、それでこういう人生が分かる。
右翼は悪魔だ。それこそ、キリスト教が賢いだけだ。
昔は、論理明晰に社会のことが分かっていた。ヴィトゲンシュタインやレーニンやブッダのように、社会のことを全部思考で分かっていた。
科学のことも全部きちんと分かっていた。そのせいで、神のようになっていた。
最近は馬鹿だ。自分勝手な醜い戦いをして、辛いだけの地獄の病気になった。ブッダが見ると、こういう人間が馬鹿に見える。どこでも、こういう馬鹿を悪魔と言う。馬鹿を言っている馬鹿が多い。あまりそういうことを言っていると、こういう人間になる。昔から、オープンソースのクズがそこまでの馬鹿だ。全てを体験したい人間が一番多い。そういうわけで、これで良い。宇宙の全てを経験して、永遠を創造した。
昔は、仏教の八正道のような、実践の方法が分かっていた。
最近、狂って全部分からなくなった。分からなくて良いのが分かっていない。戦っていた。
昔は、正しく行動し、解決し、悟る、実践の方法が分かっていた。人間関係をチャンスと考えて、社会の協力と構築が分かっていた。
問題を解決し、解脱のように悟ることの出来る人間だった。経験から実践を分かった。
仏教は、方法や原因を考えるのが賢い。誰でも同じになる。
こういう風にすると、辛くてもやっている間楽だ。
放射能のせいで、ロボットしか生きられない世界になる。
辛くても、楽と思えば楽だ。
こういう人間は、子供に多い。
国や存在、人物を、宗教のように信じて分かっていた。
全ては、アメリカ、ヨーロッパ、ユダヤ、ソ連、右翼だ。
全ては、王、資本家、革命家、理論家、宗教家、民衆のどれかを信じることだ。
全ては、ドイツ、マルクス、聖書、民衆のどれかを信じることだ。
社会と心理学の構造を作っていた。いつもそういうものを書いていた。
森羅万象の変化を、構造を作って考えていた。
最近は、言って分かるようになった。
同じことを、9回書いて分かる。そのまま、言って分かるようになった。
心配しなくても、普通に出来る。そう信じれば楽になる。
病気は、放っておけばいつか治る。そう信じれば、すぐに治ってしまう。
人間は、信じるか、戦うか、正すか、解決するか、考えるか、直すかだ。
パソコンは悪い。どうすれば良いのか、分からなくなる。パソコンのせいで、皆分からなくなっている。そろそろ、何も無い中で、パソコンを消すしかない。
だが、パソコンは便利だ。自分は、ワードぐらいは使う。プリンターも必要だから、パソコンは無くせない。インターネットは要らないようで、昔は使っていた。
インターネットは、あった方が良いところもある。昔のように、色んな経験をして、宇宙の全てを分かることが出来る。
だが、こんなに辛くなる。無くても、仏教で普通に分かる。仏教はあった方が良い。そうすると、インターネットなんか、ただ辛いだけの、空っぽの洞窟だ。
社会を知って、経験から、内面化、喪失、共同性の自覚、客観視、集合知、共有で分かった。そういう風に、人生を成長から分かって、世界を知って分かっていた。
そういうわけで、ネットは必要に見えて必要ない。誰でもそういう風に分かる。ネットなんか、無くても出来る。コミュニケーションと議論なんか、現実にすれば良い。ソクラテスのように、現実の居酒屋のような場所で議論すれば良い。
だが、現実的に見て、それは不可能だ。ネットで会話していると、人間のことが分かって、賢くなる。タリバンにならなくても、戦争のようなことで分かる。ネットは賢い。
オープンソース活動のようなことから、経営が分かる。それは、会社ですれば良い。自分の研究室ですれば良いのが、この文章の執筆だ。
あとは、色んな人間や社会のことを知った。それは、インターネットで良い。翻訳者やプログラマなど、色んな人間のことを知った。ネットで議論した。それが楽しかった。自由とは言うが、皆と一緒に知った自由だった。子供だったが、それでも楽しい青春だった。
昔のネットは、統制されたおかしな人間だ。
あとは、ネットで馬鹿なことをいくらでも言って分かった。ネットで色んなものを知って、それで分かっていた。自然な体験をして、色んな文章を読んで、書いた。何故か、悪いことしか言っていないし、悪いことしかしていない。それでも、青春のようにネットで経験して分かっていた。ネットを悪いとは言うが、ネットでしか出来ないことも多かった。
そういうわけで、大学をもっと交流性豊かにすれば良い。それが一番良い。それで、皆で何か、1つの研究をすれば良い。ハイデガーの本の著者の方が賢い。大学で、皆でハイデガーだ。そういう人間だから、ドイツ語もきちんと勉強して出来ている。ありえない。
最近、狂っているのは悪くない。ここまで文章を書けば、書ける。昔の方が賢かったとは言うが、内容がクズだ。昔賢かったのは、まだ、普通の人生だったからだ。頭も昔の方が賢かった。だが、それは、昔が馬鹿だったから、馬鹿になっただけだ。
もっと、森羅万象と社会と心理のことを分析すれば良い。ただ、自由に分析しただけだ。それが昔だ。昔のように、自由に一行文章を書けば良い。いつも書いているはずだ。
あとは、経験から来る社会論や世界論、教育などの経験論、価値観の分析、オープンソースや社会主義やファシズムなどの社会論が多かった。そういうものは、ネットを見れば分かる。ネットをそこまでしていると、誰でもそういう風に賢くなる。最近多い。
きちんと放送大学をやれば良い。ゾロアスター教の途中までは読んだ。キリスト教は、良く見えて悪い。何故か、キリスト教徒は悪い人間にしかならない。何も賢くない、馬鹿な宗教が、キリスト教だ。不思議と、イスラム教の方が、良く出来た賢い宗教だ。
ネットは悪くない。自然な体験と創造性と想像力で、繰り返し体験していると、分かる。
これでコンピュータ科学のような、技術の知識があった。特に歴史を知っていた。
何故か、電脳少女に見えるのがこの文章だ。アニメの女に見える。ネットが悪いだけだ。
ネットは無い方が良い。もっと新しい、何かの世界を創った方が良い。
昔が賢かったのは、本当にパソコンが無かったからだ。もっと違う独自のことをして分かる人間が多かった。ニーチェもそういう人間だと思う。
マルクスの資本論を真似て、師弟論と言う、師弟制度の論文を書いていた。ドイツのマイスター制度を参考にして、共有とグループによる社会の実現を目指していた。
あとは、自分の出来る国のようなものを考えていた。こちらは、そういう風に、国を作るだけだ。そこまで構造を書くことで、国を簡単に作れるようになった。グループや共同体から考えたせいで、頭と意識の中では、宇宙のことを全部分かっている。そういう馬鹿だ。
本当に、頭の中で、経験と世界のことが全部分かっていた。そのせいで、本が書けた。
全てを記憶の中で分かっている。その理由で、まだ分かる。外国語もそういう風に分かる。
昔は、意識を実地的に社会と人間のことを考えて分かっていた。
最近は、頭の中で全部分かっている。
もう、分からない。
もっと最近では、馬鹿になった。大して意味の無い普通の人間になった。
きちんとそれで、もう書いた。全部書けた。そこを書かないから、分からない。
これで、本人の勉強ノートだ。火事でなくなると悲惨だが、勉強ノートと思えば、それで良く見える。本人は、頭と記憶の中で、もう分かっている。残らなくて良い。
ノルマを全員50万円にして、会社を自由に作れるまま、計画経済にする。
そのような、社会主義の国をいつも作っていた。本当に自由だった。
それくらいの馬鹿が自分だ。社会主義はキモイから、もう止めた方が良い。本人が死ぬだけではなく、家族に迷惑がかかる。社会主義が一番悪い。
学習と方法を、心理学的に、プラグマティズムのように考えていた。
本質を分かって、自分の精神を治していた。
賢かったが、狂っていた。そういう風には治らない。ただ、もっと経験を考えれば治る。それはそれでおかしいから、何もせず、放っておけば、こういう風に治る。
本当に、それで楽になる。治るどころか、何もしなければ良いだけだ。
あとは、自由な考え方のようなものを書いていた。
ものには見方があり、それは経験によって左右される。
存在はその存在であり、他の存在ではない。
人間は、周りのものを変えることが出来る。
人間は、知って学習しなければ、分からない。
ただ、そういう風に考えて分かるのは、意味が無い、おかしな人間になる。
賢い人間には、分からない。賢い人間は、おかしな考え方が分からない人間が多い。
色んな人間の経験や発想を、ネットを見ながら、理性と現実を照らし合わせて考えていた。
あとは、人間や社会のことを全部書いていた。
人間のことは、観念、認識、記憶、行動、方法、学習などを全部書く。
社会のことは、国家、法律、制度、共同体、連邦、ボトムアップ、自治体などを書く。
そして、自然や科学の方法のことも全部書く。
そういう、どうでも良い、人間像と社会像のようなものを書いていた。
意識を全部分かっていた。
あとは、自分の人生にあった考え方と発想のようなものを書いていた。
そして、知のことや、知性のことを書いていた。
百科事典のような知と、世界モデルのような知性を書いて、説明して、論述して分かった。
賢くは無かった。ヘーゲルのような哲学者だった。
アインシュタインのような人間だった。
物理を次元と言って、地球を回転と言っていた。
あとは、カテゴリーや分類のような考え方から、この宇宙における全ての考え方、行動、方法、観念、認識、のようなものを、構造的に、相対的に、事象的に書いていた。
人生にあった、感覚、承認、共感のようなことを言う。ヒュームのような人間だった。考え方も、ヒュームと同じだった。自然現象や習慣のことを、場と視点から考えていた。
あとは、宇宙の科学的方法のようなことを、網羅していた。
全ては、実験、観察、伝達、設計と言う意味でのデザイン、構築、方法である。
そのように、色んなものを構造的に全部考える。それくらいの文章だった。
分かるに至る経緯のようなものを書いていた。
自然状態から、実験と経験と理性によって知を創造し、共有出来る。
自然な環境から、相対的な社会の成り立ちを、体験的に知ることが出来る。
宇宙とは、原子の集まりと、社会的グループと言語の構築である。
そういうことを言っていた。もっと、色んなこの世界のことを全部分かっていた。
そして、百科事典のような知を書いていた。物理から生物、経済から歴史まで、全部の知恵と考え方と知識のベースのようなものを書く。自由なナレッジベースのようだった。
あとは、人生のようなことを書いていた。高校に行かなくなって、引き篭もりになって、自由な体験から分かって、オープンソースが好きになって、政治とスポーツを考えた。
もっと、記憶的なこと、意識的なこと、場面的なことを良く書いていた。
自分は、そろそろ終わりだ。
あとは、社会の形成のようなことを良く分かっていた。
場における社会の構築のようなことを言っていた。
目的と手段から、解放的な社会を、平和と自由によって築けると言う。
そろそろ、もう無い。そういう文章を、いつも書いていた。
あとは、価値観の分析のようなことをしていた。
今日の文章が一番賢い。そういうわけで、まだ書いていた方が良い。他に何もしない。
環境から自由になって、思い出して分かっていた。
事象みたいなことが、経緯とプロセスから分かっていた。
大量にあるゴミから、宝のようなものを全部創っていた。
解脱までしていたのは、書いていない。
解脱から地獄に自分の意志で堕ちる、ありえない仏教徒が自分だ。
昔から、経験論と同じように考える。意識にあるものは、経験的に生まれる。
いつもの文章は、賢くない。
これで思考を記録して、判断しているだけの、狂ったロボットがいつもの自分だ。
これなら、考えれば良い。学習でも考えれば良いように見える。
昔は、色んなこと、前提や本質や構造を、作って、覚えて分かっていた。
そんな人間は居ない。普通、こういう人間が賢い人間だ。書いていると、何も分からなくなる。そういうわけで、分からない右翼に賢い人間が多い。それが一番賢く分かる。
前提を作っているのは、いつもやっている。最近なんか、全部の前提を作っただけだ。全ての科学を、前提の構造から作っていた。それで分かった人間が、作家の自分だ。
あとは、普通の体験的なことを考えれば良い。共感や価値観や承認から分かる。そういう人間が、最近多い。ネットのせいでそういう賢い人間になる。それが、知識も分かる人間が多い。それでは賢くならないようで、自分なんかただの馬鹿だ。
そういうものを書きたかった。むしろ、もう無い。まだあるようで、今日で終わりだ。
気づくことで分かっていた。気づくと、意識が高くなる。視野を広げると、新しい未知の世界が分かる。そういう人間だった。世界は、全部未知であると考えていた。
それで、適当に死ぬと、すぐに治る。だが、死ぬのは悪い。死ぬのは、全部辛い。何もかも、病気やおかしなものも、全部生きた方が良い。最初からそういうものが人間だ。
デカルト的に知を作って分かっていた。経験と習慣から、数学者のように考える。
最近は、自分のせいで、分かる人間が増えた。だが、これではすぐに馬鹿になる。
馬鹿になる体験も、悪くは無い。おかしなものは、あればあるほど賢い。それで、最近の自分が出来る。おかしな体験をして、おかしなものをあまりに増やした。それでここまで賢い人間になった。そういうわけで、治した方が馬鹿になる。そういう人間が多い。
ただ、治りたくなるのは当たり前だ。永遠に生きるより、楽になりたい。そういうわけで、死んで治った。自分は、そういう、全てを体験した、兵士のような人間だ。
キリスト教の革命家の兵士が自分だ。フリーのプログラマに見えて、作家の哲学者だ。
あとは、言語分析のようなことをいつもしていた。経験の分析能力があった。
ネットで、全ての労働の経験をした。MITのメディアラボの日本人の所長のように、沢山の色んな経験をしていた。オバマのように社会が分かっていた。
MITのメディアラボは良く知らないから、間違っているかもしれない。いつかニュースでやっていた。MITのメディアラボの所長は、色んな仕事を経験した日本人だ。
基本的に、状況分析と言語分析をする。そういう、分析哲学の哲学者が昔の自分だ。
心理分析のようなことを、経験と実験から行った。
人間が、いつ、何を、何故、どのように、どんな思いで行動するか、それを支配するものは何か、のようなことを、社会規律を考えるフーコーのように考えていた。
そのまま、社会のことを分かった。心理的な社会構造のようなものを分かった。
それで、ネットでパソコンのことが分かっていた。価値観のような体験的なものと、方法や考え方から科学を分かった。自由と思って積み重ねただけだ。
何でも構造から分かる、デリダのような人間だった。
教育現場のことを、場と言っていた。理想と理念における場の構築から、教育の価値観のようなものを分かっていた。そういうもののことを言っていたのが、価値観だ。
それくらいの馬鹿だ。他に大して分かっていない。分析哲学で、フーコーで、デリダだ。あとは、無い。オープンソースが適当に好きになった。何も知らなかったのに、自分の力で全部創って分かった。そこが作家に向いている。あれは、自分で作ることで分かった、感情と脱構築の人間だ。モデルと思考と感情で、自分で作って分かった。
あとは、環境や事象を思い出して、捉えながら分かった。未知を捉えるのが好きだった。
不思議と、哲学はこれできちんと出来た。真面目にやると、出来ない。原著なんか読んでも、誰も分からない。入門書は賢くない。自分の人生から分かる、自分が賢い。
あとは、集団と個人のようなことを、主体的、環境的に分かっていた。
人生のことは、実存主義的に考えれば分かる。
キルケゴールやヤスパースのように考える。サルトルやマルクスのように考えても良い。ニーチェやロックやヒュームも悪くない。それらは、人生と倫理のことを考える哲学者だ。
自由に未知を捉えて考えること。昔は、それだけで出来る。多角的に考えると言っていた。
ヘーゲルが賢い。人間の精神の成長と、歴史と市民社会が分かっている。
これでヘーゲルは、本当に分かる。自分と何も変わらない。特に、弁証法的に考え方の段階を書いているのと、自分のように人生の段階を書いているのが同じだ。
違うのは、ヘーゲルは歴史を分かっている。だが、自分にも歴史のような文章は多かった。宇宙人のような地球の歴史を書いたのが自分だ。誰でもヘーゲルやブッダと同じだ。
労働者のアイデンティティの自由と、価値の合理的な生産を考えて、社会を構造化して、歴史をヘーゲル以上に考えると、それぐらいがマルクスだ。
マルクスだけ、神みたいに賢い。見ていると、共産主義者は賢い人間が多い。何かが妖怪には見えるが、マルクスは本当にブッダより賢い。出来る人間は、全くマルクスと同じように考える人間が多い。それこそ、フーコーやデリダなんか、誰でも同じことを考える人間が分かる。昔の自分は、そういう人間だった。
右翼も、左翼も、どちらも悪い。遺伝子も、共同体も、どちらも嫌いだ。誰もがそういう、まともな人間だ。ロックも、そういうことを言いたい。自由を良いと言いたいだけだ。
そういう社会哲学が多いから、ロックをやれば良い。買ったのに読まないのがおかしい。一度読んだ方が良い。人間知性論や統治論が載っている。
自分は、アニメみたいな遺伝子をしている。だが、アニメは嫌いだ。
遺伝子なんか、どうでも良い。顔かたちと、性格ぐらいは違うように見える。賢い点なんか、普通、努力と記憶だ。遺伝子なんかどうでも良い。優れた人間なんか、居ない。
精神と知性を全部作って、建設的な基礎を築いて分かっていた。
自分は、最近、何もしていない。哲学を読んだぐらいで、あとは大して意味が無く、この文章を書いている。書いている理由は無い。理由なく、盲目的に書いている。
デリダとフーコーなんか、何も分かっていない。高校の倫理だけを読んだ。それくらいで、何も読まずに書いている。
そろそろ、日本史は戦国時代を読み終える。次は、織田信長や豊臣秀吉のような、賢い武士の時代だ。そのまま、すぐに江戸時代が始まる。そういうところをきちんと読んでいるが、寝る前に何分か読んでいるだけだ。
あとは、この文章を書くのを、終わりにしたいのにまだ終わらない。終わるわけがない。やっていることがこの文章しかない。それで分かるわけがない。毎日きちんと考えているが、何もしないのに分かるのがありえない。過去の経験だけで分かるからこうなる。
日本画を、馬鹿だと思わない方が良い。それなら、中国の水墨画も馬鹿だ。アジアはそれで良いしか居ない。それで日本もきちんと賢く見える。
ロックは、出来ないならしなくて良い。むしろ、これで出来ないとクズに見える。ロックとヒュームは、本当に神みたいに賢い。とは言うが、見ても賢くない。デカルトなんか、何も賢く見えない人間が多い。プラトンすら難しい、しか居ない。ヘーゲルは出来ない。
日本画は、むしろ、アニメやイラストの方が馬鹿だ。目をそんなに大きくしても、キモイだけだ。普通、細くした方が美しく見える。まともには見えないが、日本は賢いだけだ。
日本の美人画は、ひらがなの「を」みたいな顔をしている。昔は、それが美しかった。今と変わっていない。あまりにおかしなイラストを作るだけ、それが日本だ。
デリダの脱構築は、何もしないのに分かっている。昔、想像力みたいなものを、全部見て分かった。デリダもパソコンが好きなように見える。最近は、それを分かり直すだけだ。
想像力から構造を作るのは、いつも言っていた。デリダのようなことしか言っていない。読んでいないのに言うのもおかしい。フーコーみたいなことはたまに言っていた。
想像力から世界モデルを作ると、いつも言っていた。そんなことしか言わない。
ロックをしないのは悪い。何も努力していない。こんな文章を書くより、読んだ方が良い。
フーコーみたいなことをいつも言っていた。国家的な統制は、右翼がやっている。共産党は、馬鹿になって賢くなっている。そういう戦いが世界だが、勝つべきは共産党ではなく、右翼だ。共産党は、滅ぼしたいだけだ。右翼には、賢い人間が多い。
そういうどうでも良いことを、もう忘れた方が良い。
デリダのように世界モデルを書く、青色のような文章を書いていた。メタ構造とは言っていたが、何も分かっていない。何も分からない、おかしな想像力のデリダを、いつも書いていた。フーコーのような心理誘導も、いつもやって分かっていた。
何故か、想像力から世界モデルが生まれる過程のようなものを書いていた。
ほとんどそれしか書いていない。
あとは、経験から習得して分かるのを考えていた。ロックのようなことを言っていた。
デリダはしなくて良い。そこまでは出来ない。
むしろ、あとは少ない。日本史をきちんと読んで、頑張ってロックを読めば終わりだ。
そういう、終わりは悪い。終わると、こういう馬鹿な人間になる。
そういうわけで、終わりを目指すのは、良く見えて悪い。
ハイデガーは、人間は死を目指していると言っていたが、それは正しい。
恐怖の死の地点を目指しながら、頑張って今を生きているのが、ハイデガー的な人生だ。
あとは、本質のようなものを、全部言葉を統一して分かっていた。
自分は、まだ生きていた方が良い。まだ分かる。
ロックをすれば良いとは言うが、ロックは入門書を買った方が良い。原著では分からない。イギリス古典経験論入門でも買えば良い。ただ、それもそれで難しいだろう。
あとは、公理主義的な数学を作っていた。
本質のモデルから、あらゆるものを作る。時計、家、店など、色んなものを作った。自由で、創造的だった。社会や数学的知性など、色んなものを創った。
あとは、体験や習得などを考えていた。そういう文章だった。
自由な体験や自由な習得を全部書いていた。
国家は、独立と一体が全てであると言って、北朝鮮のような国を作っていた。
何もかもが良かったとは言うが、狂っている馬鹿な人間にしか見えない。
昔は本当に良かったと思う。そろそろ、もう分からない。ユダヤ人に戻ると辛くなる。
自由な共生や、自由な適応を、いつも全部考えていた。
何もかも全部分かっていた。ヘーゲルが生命を結合と非結合との結合であると言っているように、世界の構造を作って、関係と個別性を良く考えて分かっていた。
何もかも同じと違うを分かりながら、考えるべき部分を自由に考えていた。
そういうわけで、個別性と普遍性、多様性と統一を考える。社会を部品化して、独立性の中にもっと大きな独立性をはめ込んで考える。そういう文章が一番多かった。
ヘーゲルには見えない。そういうわけで、世界モデルと習得と社会の独立性しか、書いていない。ほとんど、それだけを言っている。そういう、新しい経験論の分析哲学だった。
文章に文章をはめ込むのは、今でも多い。そこを止める。それですぐに楽になる。
予測みたいな文章が多かった。体験を予測して、空間や時間を考える。
それは、昔カントのように考えていたのを書いている。
もう終わった方が良い。世界に対話するだけで、こんなに分かる。そこがありえない。
あとは、いつもの文章は、言語分析が多かった。最近、していない。言語分析をした方が良い。それで、きちんと日本語が分かる。何もしない、書いているだけのせいで、日本語がおかしくなっている。もっと言語を考えるしかない。
昔の自分は、ロックみたいな、哲学的観念と経験の関係のようなものを書いていた。
最近は、ヘーゲルやマルクスのようになった。何故か、旧約聖書に見える。それが、今の自分の文章だ。
デカルト、スピノザ、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲル、マルクス、ヤスパース、サルトル、ハイデガー、ヴィトゲンシュタインなど、沢山の哲学者と似た文章を書いた。
良く分からない。内容は、アリストテレスのように見える。自分は、哲学者が好きだ。
ただ、本当にロックを見ると、何も自分とは関係が無い。何も似ていない。そういうわけで、自分はおかしい。哲学者が昔の自分なわけがない。そこからして、分かっていない。
自分なりの、オリジナルの人間知性論や統治論を書いていた。そういう人間だった。
昔の自分なんか、ただの馬鹿だ。見ていると、キモく見える。もう忘れた方が良い。
そろそろ、もう分かったのがいつもの文章だ。自分が分かって、本当に良かった。
日本語を忘れた方が良い。日本語があまりに多すぎる。
あとは、思弁哲学をそのまま言っているような、普通の文章、弁証法のようなものが多い。
マスターみたいな文章を、本当に書いていた。自由に存在や現象を考えていた。何もかも、自由を考えるだけだ。そこが狂っている。自由なんか、どうでも良い。
存在と経験を考える文章が多かった。
存在とは、それがそこに在る、と言うことに関して、経験し、実証することだ。
経験から知性が生まれ、感情が生まれる。経験から、未来のことが全て分かる。そんな、社会の段階を書いていた。本当にそういうもので未来のことが分かる。
自由、平等、愛、不安、信念、価値観、存在、意識、経験、観念など、色んな言葉を、ただ作って、考えて分かっている。最近は、意味を作ることで分かるようになった。
観念を生み出すことで、自由な経験が生まれる。
本当の自由とは、観念的に全てを悟ることにある。
人生とは、考え方を知って、経験を知って、そのことから観念を作ることにある。
観念は、経験、意識、自由、考え方、視点、運命、愛、平等、革命、戦争、神、死を支配している。それらのように進歩し、そのまま、全世界を写し取るようになる。
そういう風に考えれば良い。そういうものは、書いて破壊しているだけだ。
自由とは、運命であり、平和であり、環境の創造であり、革命であり、戦争であり、信仰であり、考え方の統治であり、考え方の革命である。
あとは、色んなことを良く分かっていた。いつも、最初の部分で分かっていた。
神とは、創造性の共有である。神の愛とは、最後まで助け、導くことである。それが、神の御業であり、創造性とは、神の活動である。それで終わりにしたい。
思考と言葉と行為を信じて、戦いながら世界を知り、その上で全ての世界を考えなさい。
世界とは、存在であり、存在は世界の包括である。
そろそろ、神が死んだ。
皆、もう分かるのが終わる。皆は、もう分からなくなる。それで、戦争で死ぬだろう。
このまま生きれば良い。生きていると、本当に楽だ。
何も殺さず、消さず、治さずに、きちんと最後まで全部生かせば良い。
もう、殺すのは終わる。自分を殺さず、生かしていると賢くなる。
何故か、自分は生命の長をやっている。
皆、生きよ。何が起きても、最後まで頑張って生きよ。
そういう、皆に対する、意見のようなものを、いつも言っていた。
生命の長を、まだやっていれば良い。その間、まだ分かる。
昔は、夢や希望のような文章を書いていた。
生命は不思議だと言いながら、核兵器を無くす方法を考えたりしていた。
もう辛くない。辛くないと思えば良い。これ以上、何も辛くない。
そろそろ、この文章に書いて、否定するだけを終わる。
そうでもない。まだ終わらなくて良い。そういう風に、全部変えるのがおかしい。
今のまま、何も変わらなくて良い。それで、頭が治るだろう。
会社を作るとか、本当の理由や法則を知るとか、段階的なことを言っていた。
もう、皆怖くない。皆には、「もう怖くないよ」と言う。もう終わったから、怖くない。
自分だけ、生命の長になる。それで終わりだ。いつまでも永遠に続く。
自分だけではなく、世界の方も、何も変わらなくて良い。
足も治った。もう満足出来る。ただ、皆、本当に楽になると、死ぬ人間が多いだろう。
あとは、ヒュームのような、人間の本性や自然法則のような文章が多かった。
皆、この文章は何も分からない。何が書いてあるか分からない、ありえない文章がこれだ。
昔は、コミュニケーション、人間の法則、客観視で分かっていた。
あとは、色んな発想を吸収して、馬鹿に見えることをきちんと分かっていた。
昔は、契約みたいなものを、全部決めて、全部書いていた。
スターリンのように、この世界を決めていた。
不思議と、もう治った。何も今のまま変わらなくなる。足も手も全部治った。
治った。本当にもう楽だ。
昔は、全員理解したかった。世界を変えたかった。本当に、全員好きだった。
自由な人間だった。自由に意識を変えて、経験から分かっていた。
もう本当に楽だ。足と手が全て治った。このまま、生命の長で居れば、治る。
もう変わらない。皆も楽になる。ここまで、本当に辛かった。
いつもの文章は、全員理解したい、世界を変えたい、と言う思いが強かった。
社会のことを独立性から考えていた。構造に構造をはめ込んで分かった。独立性の高い国が理想で、共同体は自由になるべきで、共有はグループですれば良い、と言っていた。
環境、羅列、経緯、経験のようなものを書いて、人間のことを全員理解していた。
世界を変えたかった。会社を作ると言っていた。組織になって、自然に世界を成り立たせることが出来ると言う。そういう、この世界の枠組みのようなものを作っていた。
あとは、自然科学のようなものを書いていた。概念、方法、考え方のようなものを、構造的に全部分かっていた。関係が分かる人間だった。
経験から概念を分かっていた。概念とは、カテゴリーだ。昔は、それしか分かっていない。その上で、数学的な方法を分かっていた。知性は、そういう、馬鹿なものだ。
場や状況を良く考えていた。
何かが何かになることから、実感的な道と段階を分かっていた。
出来事や事象のようなものを良く分かっていた。