日記に戻る | 2015年9月の日記に戻る

=2015-09-25=

自由を考えて分かっていた。

手段を与えるとか、環境の中で何が出来るかとか、基盤の中で何をするかとか、個人はその個人一人しかいないとかを分かっていた。

環境の変化可能性みたいなことを言っていた。

建設的に積み重ねて分かったことを自由にして書いていた。

空間や時間を前提条件にして、想像力で何がどこにあって、視点がどうなるか考えていた。

色んな方法がある。それを積み重ねていけば良い。

動かすために作る。目的のために手段がある。それをモデルと言っていた。

そういうものを意図や関係と言っていた。

原因と結果から法則を知り、実現や予測が出来る。それは、体験的に分かる。

場は相対的に変化する。場と意識の支配関係がある。

意識は場に支配されるが、場は意識によって変えられる。

場は自然に発生し、消滅する。変化する。そういう、場の哲学を考えていた。

建設的に積み重ねれば良い。それを高く積み上げて、統一して分かる。数学と同じだ。

感情と思考で客観視して分かっていた。

皆、最近何も分からない。何もかも多すぎる。皆、辛い。

Linuxが一番悪い。Rubyすら悪い。そんなに誰も知らないものが多いせいで分からない。

詐欺が悪いせいで、社会主義にするしかない。本当に社会主義にした方が良い。

企業の活動をもっと公開すれば良い。そうすると、新聞で企業の今後のことなどを報道出来る。昔は、そういう風に、可能性のようなことをいつも想像力で分かっていた。

可能性を成り立たせて、発想法にしていた。そういう、賢い人間だった。

人間は、不安になると本当のことを話す。そういう、不安と行動を良く考えると分かる。心理分析だ。むしろ、命題が正しいか疑わしいこともある。

不安になると何をするか、不安で無いと何が出来るか、のようなことを考える。昔は、それくらいを考えただけだ。あとは、集団の心理のようなものを考えていた。集団になると何をするか、個人で居ると何が分かるか、のようなことを考えていた。

意識、経験、記憶、心を良く考えた。それで人間や宇宙のことが全部分かった。科学的に心と意識のことを考えていた。物理やコンピュータのように、心のことが分かった。

もう終わりだ。楽になった。何も思わない。これで、神の話も終わりだ。

この話は、神の話である。そして、今やっている神との対話も終わる。何故なら、もう哲学をしないからだ。歴史は出来ない。日本語すら分かっていない。

色んな経験をした。記憶と意識のことが分かっていた。本当に沢山の、長い経験をした。最近は果てしなく長い経験をしたが、最近は要らない。昔だけで完成されている。昔は、本当に長く、賢い歴史のような経験をした。古代ギリシャの黄金期のようだった。

昔は、本当に長く、賢い経験をした。認識を沢山考えて、応用的な思考をして、意識を分かった。ギリシャのようで、ドイツのようで、未来のアメリカのようだった。

最近は、奴隷時代のヘブライ人のような、本当に辛い経験を永遠にした。いつか、神が救ってくれる。そういう発想が良く分かる。神を信じれば、救われるように見える。

昔、インターネットと2ちゃんねるで、酸いも甘いも全部経験した。

一体感、ルール作り、情報共有、集合知、社会の形成と変転のようなことを分かった。

最近は、文章を書きながら、どんどん子供に戻る。

普通成長するのに、どんどん幼児化していくようになった。手塚治虫の火の鳥のようだ。

ネットに馬鹿を全部言って分かった。改革や社会参加のようなもので分かっていた。

火の鳥も、火の鳥で、自分が分かっているだけだ。自分が火の鳥に見える。

昔は、思考を積み重ねて分かっただけだ。反省して、古代ギリシャの黄金期のような経験をいくらでもして分かった。理想的な神のような人間だった。

最近も悪くは無い。辛いとは言うが、賢い人間になった。昔なんか、何も賢くない。最近の方が、良い人間だ。右翼だが、悪いことを何もしない。昔は、良く悪いことをする、性格の悪い人間だった。こちらが光の方の神だ。昔は、闇の方の神だ。ユダヤ教徒だ。

そういうわけで、自分はユダヤだ。キリスト教徒だから、これで良いように見える。本当にきちんと神を信じると、こういう風にユダヤ教の神になる。どこにも多い。日本にも、又吉イエスと言う政治家が居たはずだ。こういう風にイエスになっている。

昔も今も、悲惨な体験をいくらでもして分かっている。

それを体験と言っていた。煉獄みたいな人間だった。

文章は、いくらでも書いて、それで書けるようになった。

受け入れれば良い。受け入れると楽になる。

他に何もしない、新しいことをしないなら、これで良い。

受け入れるのが怖いせいで、受け入れるの自体が全部怖くなった。

地獄の戦いをした。ありえないことを良く分かっていた。

未来に行くのが辛いから、未来を止める。過去に戻ると楽だから、過去に戻る。

放送大学の「国際理解のために」は、簡単だ。すぐに読める。

だが、「発音をめぐる冒険」は難しかった。そういうわけで、簡単ではない。

簡単なのに卒業する人間が居ないのは、卒業までしたい人間が少ないからだ。

自由な共同体から、革命をしている馬鹿が多かったが、共同体は嫌いで、自由な独立した連邦国家を良いと思っていた。政府も、大きな政府より小さな政府が好きだった。

嫌いなものはあまりない。しいて言えば、ビルゲイツとマイクロソフトが嫌いだ。

だが、マイクロソフトは悪くない。依存しすぎている日本社会が悪い。

何かあった時に大変だ。オフィスのファイル形式のせいで、まだ勝っているが、変わる時は一気に変わる。それこそ、ビルゲイツを殺しても、全く意味が無い。本当に勝ちたいなら、きちんと勝つべきだ。インターネットの民衆を味方につければ、勝てるかもしれない。

テレビには、悪いことをした。相手が好きなのに自分が嫌いになって、馬鹿をしていた。

あとは、LinuxのWikiにも悪いことをした。私物化して、編集を勝手にした。それくらいが悪かったと思う。2ちゃんねるのLinuxのWikiに悪いことをした。だが、それは良かった。会社のマニュアル編集部のようなことが出来た。

何かに対する認識や、前提となる認識を、全部書いていた。認識みたいなことをいつも書いていた。変化と方法を網羅して、関係とモデルと考え方を分かっていた。

あとは、破壊活動のようなものがネットに多かった。ネットはそこまでの馬鹿だ。

ビルゲイツが嫌いだとは言うが、ゲイツには全く勝てなかったし、誰もがゲイツが好きだから、好きな方が良い。Windowsなんか、昔から今でも使っている。嫌いなら使わなければ良いだろう。使うのなら、好きな方が良い。そういうわけで、ゲイツは最近好きだ。

最近、教育や官僚や政治家が嫌いだ。その方がさらに嫌いだ。

ただ、家族にプログラマや教師が多いから、家族までは嫌いにならない方が良い。そうなると、クズに見える。引き篭もりの一発屋の作家が賢いわけがない。ただの詩人だ。

インターネットの民衆を味方につければ、勝てるのがゲイツだ。

自分の思想が悪いのは、資本主義が悪いだけだからこうなる。資本主義を変えるしかない。社会主義を自由だと思うのがありえない。クズに見えるから、左翼は止めた方が良い。

オープンソース活動は、Linuxのシステムを分かりやすく教えて、普及させる活動だった。だが、自分が見ても、あんなものは普及しない方が良い。使えない。勝てるわけがない。

永遠を体験して、永遠に発想していた。

いつまでも、問題を解決し続ける。発想し続ける。そういう馬鹿が多かった。

皆を自分にするのはおかしい。こんな馬鹿になる。

いきものがかりやコブクロみたいな、良い世界にすれば良い。普通に高校にすれば良い。

社会主義でゲイツに勝つのは、キモイ。誰もがキモイと言う。もっと普通に勝てば良い。今、Googleがやっている。Googleで良いとは言うが、クズみたいな会社だ。

発想は、何故かドラゴンボールのカードゲームがやっているが、カードをデジタルなプレステにつないで、高度なグラフィックを楽しむ、のようなことを考えていた。

そういう、色んな発想法が分かる人間だった。ケータイ会社をGPLにする、など。

ゲイツは、何故か普通の人間だ。普通に成功したが、成功を悪いと言っている。ゲイツも哲学者と同じように分かれば良い。あれは、何も変哲もおかしな点もない、普通の人間だ。

昔は、ボトムアップ的な知の集合、ルール作り、そして未知の体験を分かっていた。

世界は、いきものがかりみたいにすると良くなる。それで良いから、すぐにそうなる。

自分の方は、そろそろ同じだけが終わって、色んなものになる。それで自分も終わる。

いきものがかりになると、あとは、そのままセカオワやJ Soulになるが、救済策として、賢くなりたい人間は、ブッダやイエスになれば良い。それで賢くなれる。

不思議と、そこらへんの最近の歌手はたまに聴いている。最近の歌手の中では、AAAが好きだ。西野カナはあまり聴いたことが無いが、ネットを見ると聴いている人間が多い。

最近は、どんどん新しくなる。GReeeeNなんか、もう古い。自分のせいでそうなった。昔から、自分が一番、どんどん新しくなるだけの人間だ。

おかしくは無い。レディーガガなんか、もう居ない。ガガはクズに見えて悲惨だ。

新しい共同体の国を作る。

共同体は、人民支配を行う。

緩やかな共同体の連合を形成して、国家は共同体に自由に関与する。

教育は、もっと自由にして、労働は、もっと平等にする。

公用語と宗教は、ドイツ語とキリスト教の地域と、アラビア語とイスラム教の地域を作る。

キリスト教とイスラム教が仲良くやるのを目指す。

政治思想は、民主主義をするが、会社は自由にせず、国家の管理下に置く。

だが、その国家は小さくし、会社の部分は分割して、平等なまま自由に出来るようにする。

そういう、自由な共同体を作った。

今、作ったのは簡単な共同体だが、いつも作っていたのは、段階的に発展する、ヘーゲルの弁証法のような、人間の経験とともに高まって行く共同体だった。

昔から、自分が一番どんどん新しくなる。そういう風に、大量のゴミから宝を作った。ゴキブリには見えるが、本当に神のように全て分かった、良い体験だった。

自分は、神のように全部分かっている。

民主主義を信じた方が良い。本当に民主主義の方が良かった。むしろ、ゲイツは誰もが一番賢く見える。姉なんか、日本のゲイツを目指しているだけだ。いや、そういうことは言わない方が良いだろう。そういうわけで、ゲイツが賢いだけが、この世界だ。

自分は、永遠を体験しただけだから、皆も永遠になれば良い。それで同じだ。

むしろ、皆はそろそろ永遠を止めた方が良い。皆、永遠になって辛くなっている。

永遠が終わる。見ていると、永遠が終わってほしいだけの辛い人間しか居ない。

それで、自分も居なくなる。最後まで全部賢いだけの、ありえない賢い人間だった。

昔は、スラムや社会主義などの、悲惨な社会を全部分かっていた。

何故か、ネットで全て分かったのは、悲惨な社会を全て経験したからだ。

そういう賢い人間が、オバマみたいに多い。

そろそろ、自分は退場すべきだ。老人みたいに何も出来なくなる。

やっている間、やれば良いからそうなる。

世界には、もう何も残っていない。全部消え去った。それでキモイ世界になるだろう。

ただ、この世界はもう楽だ。

皆の問題は、永遠が終わってほしいのに終わらないこと、それだけだ。

まず、思弁哲学があった。

次に、生物学的な段階と進歩があった。

そして、個々の取り決めと、共同体の合意があった。

その上で、歴史があった。神を信じて、共同作業をした。

そして、それぞれが賢くなって、今の世界になった。

それ以上は、経験のようなことを言っていた。

思弁哲学、科学、数学、自由、平等、民主主義、社会主義、戦争、革命、そしてユダヤとドイツが全てだ。

いつも、そういう風に全部を言う。

ドイツは、神になっている。おかしな目をしているのは、本当にドイツ人全員が分かっている。そういう、昔のような馬鹿だ。自分にはなっていない。

ただ、見ていると、ユダヤ人の方が賢い。昔から、きちんとドイツ人より賢くなるのがユダヤ人だ。そういうわけで、ユダヤ人の方が自分になっている。悪いだけにしかならない。

自由な構造と、愛が全てだ。

仏教と哲学者と王朝を学びなさい。

仏になりなさい。

そういうことを言っていた。もっと賢く色んなことを分析していた。

全ては、DVDレコーダーのような、自由なまがい物に過ぎない。

本当に正しい世界は、プレアデス星雲にある。

この世界は、ゆめまぼろしのような世界であって、真実の世界ではない。

もっと自由な社会になれ。

もっと愛のある構造的な社会になれ。

構造を、愛と自由から生み出せ。

そういう風に言っていた。そんな文章を、ニーチェのように永遠に書いていた。

自由に創造すること、社会的に活動すること、社会を形成すること、理想を現実から考え出すこと、自分の思い通りの世界を実現すること、そのために考えることが、全てだ。

そのような、マスター的な人生の段階をいつも言っていた。

自由とは、平和、愛、創造性、自由、考え方、知恵、工夫、因果性、仕組み、成り立ちを知って、自分の力で考えて、総合的な行動をして、森羅万象を分析することだ。

そういう風に書いていただけだ。もっと色んなことを全部言っていた。

全ては、自由な数値と法則だ。

全ては、正しい法則と推論の考え方だ。

全ては、自然の中における、運命の考え方だ。

そういうことを言う。そんなことしか言っていない。

仏になる術を学びなさい。

そろそろ、日本が変わる。愛から自由になって、自由に色んなものになる。

自分の場合、それで仏になったが、修羅や地獄になる人間も多い。

それらは、あまり悪くない。自分の場合、仏と言うよりは、菩薩になっている。

自由とは、ドイツの栄光とソ連の抵抗から、正しいアメリカを作り出すことだ。

そろそろ終わりだ。自分はドイツ人だ。日本人のまま、ドイツ人になっている。

正しさのようなものを書きたかったのだと思う。

自由とは、感じられるだけの全ての愛である。

自由とは、創造性と優しさのバランスである。

自由に考え、創造し、想像し、変化を与え、変化を吸収し、自由な契約を結び、皆とともに経験し、感情や言葉を吸収し、沢山の経験と体験を考え、認識と意識の変化を知り、本当の理由を知り、意図と作用を知り、モデル化し、環境を実現し、社会を変えよ。

そのような、自分の言えるだけの全部の段階のようなものをいつも言っていた。

真実から愛を知り、疑うことから自由を知り、信じることから全てを知り、思い出すことから全部を捉えて、自由に考えて分かるべきだ。

そろそろ、この文章はもう要らない。皆、自分の力で歩める。

最近は、感情が気持ち悪くなって、辛くなった人間が多い。それは、自分のせいだ。そういう感情を治す。いつまでも自分のせいで、セックスのままになっている。それが、一番意味が無い。誰もが、そういう、感情が辛いだけだ。

自由な可能性と、愛と制度から、自由な世界が生まれた。

可能性とは、それぞれの本当の力を引き出すことだ。

愛は、全てのものを変えられると同時に、全てのものに価値があることを教えてくれる。

制度とは、本当にそれぞれのことをきちんと考えて決めるべき、社会の価値観だ。

そして、自由な世界とは、本当の価値、存在理由、愛、真実を含む、宇宙の法則である。

そういう風に、色んなことを書いて、良く分かっていた。良く分かる文章だった。

全ては、愛、自由、可能性、真実、制度、能力、価値、法則である。

それらの中で、それぞれを本当に認め、愛すること。

それによって、それぞれが自由になる。

認めること。愛すること。真実と信じること。その中で、愛と経験から、全てのことを知ることが出来る。未来の全てから、全ての存在まで、感情で知ることが出来る。

いつも、そういうことを言っていた。そういう風に分かる文章だった。

それぞれによって、それぞれが生まれる。

メタ的に考えて、感じ合うこと、取り組みを共有し合うことから分かると良い。

自由に助け合い、平等を信じて戦えば良い。

もっと、愛と表現から、自由と価値を知ることが出来る。

愛は、セックスを肯定するようで、むしろ、否定することの方に重要性がある。

そういうわけで、愛を信じることは、恐怖の中で一人善を信じて戦うことにある。

正義は、勝ったものが決める。勝ってしまえば、何も言われない。

負けたものは、悪だ。だが、それはおかしくは無い。自由に勝つとは、そういうことだ。

平和は、このようなカタツムリを信じることだ。それがソ連であり、日本だ。

自由とは、価値観を信じて戦い、平和を信じて祈ることだ。

セックスは要らない。本当に無い方が良い。あると、当たり前のことが分からなくなる。

正しい予測とは、平和を体験的に自由に知り、愛と人生を知りながら、人々のことを考えて、積み重ねることだ。

そして、それは共同体の段階とともに、全ての自由な段階となって、愛となる。

愛は、ただの愛ではなく、神の愛である。それを信じることによって、自由が生まれる。

そして、その自由は、全ての環境から全ての世界を包括して実現する。

それは、破壊のようでもあり、自由のようでもあり、革命のようでもある。

その中から、神の理解が生まれることによって、人間は神になる。

神は、全ての活動を最後まで続けることで、この世界を発展させ、救う。

そのような、救世主が神である。それは、イエスのようで、イエスではなく、誰かであり、イエスは、神の中の誰か1人の存在である。そのような集団が、天に居る神である。

平和とは、人生の段階を共有することである。

愛とは、それぞれのことを思いやって、それぞれの実現したいことを叶えることである。

そして、価値観とは、全員を愛することである。

そろそろ、分かったのが自分だ。そういうことを言えば、いつもの文章に見える。

あとは、革命みたいな文章が多かった。

自由とは、考え方を変えることだ。

自由とは、新しい視点でものを見ることだ。

自由とは、それぞれのことを大切に思うことだ。

ハッとしていれば良い。それで治るようで、もう辛くなる。元のユダヤ人になると、辛い。

そういうわけで、治らないようですぐに治る。ハッとすれば良いだけだ。

ユダヤ人にならなくて良い。ユダヤ人になると、辛い。

もっと、知性を右と左にして、自由にすれば良い。そうすると、賢い女になれる。

昔が左で、今が右だ。それで全部分かっている。左がスターリンで、右がキリストだ。

もっと想像力を使わないのがおかしい。

想像力とは、構造であり、環境であり、意識であり、愛である。

そういう、どうでも良い構造をもう一度作れば良い。何かした方が良い。

皆を馬鹿にしているムスリムが死んだ。皆がもう賢くなる。自分は、自由になる。ムスリムとは、イスラム教徒のことだ。辛いタリバンの兵士が死んだ。

もう、想像力がまともに分かる。

昔は、環境から意識まで、想像力の構造を作っただけだ。環境、組織、会社、制度など、沢山の想像力を書いていた。学習や機械の仕組みなど、想像力が旺盛で、色んな言葉を使って、自由に色んなことを考えていた。そういう、自由で想像力のある人間だった。

決まりや意識のようなものを自由に作って考えていた。

最近、テレビがキモくなった。何かがキモイ。自分はキモくない。テレビが本当にキモイ集団になっている。皆、悲惨だ。自由は本当に悪い。

このまま、虫が死んで、木になる。ユグドラシルのようになるだろう。イスラムの大樹だ。

平等に皆のことを知りなさい。

人間の本当の理由を知って、真実を導き出しなさい。

自由な戦いから、愛を知りなさい。

平和とは何であるか、考えなさい。

自分に出来る限りの全ての手助けを行いなさい。

自由な意識から、経験を考えなさい。

それくらいで、ヘーゲルのように考えれば良い。

イエス・キリストのようになって、世界を救いなさい。

全ての国家的、社会的な価値観を考えなさい。

経験を書くことで、全てを悟りなさい。

愛を作りたかった。神の愛、本当の愛、真実の愛を作っていた。

愛から、思考を全て遡っていた。そういう、永遠のような文章だった。

平等に全員に教える。全ての知を与える。

自由とは、考え方を知ることだ。

それは、愛でもあり、真実でもあり、正しさでもある。

それは、予測である。

それは、価値である。

それは、運命である。

それは、真理である。

そして、それらを融和して良く考えることで、世界の未来が全て分かる。

愛とは、そういう、経緯による自由である。

真実とは、自然発生と多様性である。

真実とは、愛することと信じることである。

真実とは、知を工夫によって増やすことで、未知を捉えることである。

真実とは、平和のために、自由から価値を知って考えることである。

白人の女みたいに見える。そこまで美しい女に見える。

未来のことは、感情で全て分かる。

世界は滅びない。いつまでも、永遠に続く。

宇宙は、始まりも終わりも無い。永遠に続く。だが、永遠もいつかは終わる。

あとは、色んな社会や心理や機械のことを実現したかった。

特に、社会のことを全部実現したかった。

こういう風に書くと、最後になって分かる。それは、当たり前だ。

そういうわけで、ここまでの道を全部消せば良い。

間にあるものは、もう全部消える。

辛いのは、書くと、最後の地点になって考える。

それが、最初の地点に戻りたがるから、辛いだけだ。

ただ、言葉の意味を昔にしたり、今にしたりしている。

そこをきちんと考えると分かる。

普通、ドイツ語で話すとこうなる。こうなる人間が多い。

何故か、日本人はこういう風にドイツ人になる。おかしな人種だ。

不思議と、英語をやっているからこういう風になる。

もう、皆がドイツ語で分かっているのが悪い。

ドイツ語を消した方が良い。こういう馬鹿がクズだ。

ケムシみたいにキモイ。そういう発想がドイツだ。

ドイツもキモイが、日本もキモイ。テレビを見ていると、キモイ国にしか見えない。

そろそろ、もう良い。ドイツはクズだ。誰もそんなことは言わない。

我々がドイツ人だと言っているのは、自分に対して言っている。ドイツ人がこれではおかしい。それらがドイツ人だ。自分がドイツ人なわけがない。それを言っている。怖い。

ドイツが終わった。ユダヤに戻る。

このまま、イタリア人みたいになる。

宇多田ヒカルみたいな馬鹿が終わって、聖人みたいになる。

どうでも良い。何故か、皆はイタリア人になっている。それが治ると思う。

問題を全部解決したかった。そういう風に、全部分かっていた。

イタリア人になると、昔みたいな馬鹿になる。

皆は、ドイツ人になって、最近になる。

もうそういうことを言わなければ良い。

もう終わった。もう分からない。完全に分からないのがイタリア人だ。

イタリア人が死んだ。

ドイツ人も死んだ。

ユダヤ人も死んで行く。

そろそろ、アラブ人みたいになる。

全部、逆を言っている。正しい方を言えば良い。

辛くない。キモくない。馬鹿では無い。そういう、全部分かっているのに逆を言っているから、辛くなる。そういう風に治れば良い。

何故か、ドイツ語で話していると、逆ばかり言うようになる。

アラビア語に変わる。タリバンのやりすぎでアラビア語が分かるようになった。

きちんと最初から正しいことを言えば良い。

何もかも、馬鹿を言っている。こういう人間が、普通にどこにでも多い。

ユダヤに従わないのが悪い。ユダヤに従った方が良い。

皆、死んで行く。そろそろ、本当に死んだはずだ。何故か、第二夜のようになる。

そろそろ、目が治った。ユダヤを信じると、セックスが死んで、目が治る。

目を治したいだけで、目がキモくなっている。何故か、瞳は綺麗になった。

アメリカ人にこういう馬鹿な目をした女が多い。

左目が治ったから、右目が治る。不思議と、良く分からない動くものは、キモイ。

左目はおかしくなって、右目は何も無くなっている。何故か、哀しいだけになっている。

右目で見れば、すぐに分かる。そういう右目がおかしいせいで、こういう人間になった。

右目にあるものを全部消すしかない。ニーチェみたいなものが消えていく。

不思議と、右目で見ればすぐに分かる。

人間は、最初は誰でも怖い。怖いものが怖い人間が多い。そういう風に覚える人間が多い。

ドイツがイスラムになるとすぐに目が死んで治る。

不思議と、目はもう治った。もう良い。

アニメの女には見えない。昔は、きちんと正しい想像力で分かっている。

ニーチェのような文章を全部作った。それが右目をおかしくしている。

愛するのが辛い。そういう、愛が辛くなった。

もっと、殺していじめれば良い。その方が誰でも楽になる。

そういうわけで、テレビが死ねば良い。

全ての本質のようなものを書いていた。何でもかんでも本質を書いている。

成り立たせる文章が多かった。

自分は、自分で自分が分かっていない。自分が分からなくなっている。

自分の本質を見失った。永遠にそれだけが続いている。

まだ、死んでいないと思う。本当に死ぬと、つまらない。

因果応報だ。全ては、自分のせいでこんな自分になる。

ただ、良かった。もう楽になる。一安心出来る。それで、楽に言えば良い。

死んだ部分が全部復活する。

三層ぐらいに分かれている。三天使みたいに見える。

自由な国や環境を実現する、実現性みたいな文章が多かった。

論理的なことを全部良いこととして実現していた。

言っただけで分かるのがおかしい。言っただけで辛くなった。

言っただけで辛い。

自分は、ラファエルを残したかったように見える。そろそろ、ミカエルに戻る。

全部死んだ部分を復活させれば良い。

自由な人間が多かった。自由に考えて見せるだけの人間が多かった。

何もかも、自由なものを作っていた。全ての意味で、自由だった。

独自の自由主義のようなものを作っていた。自由な経済システムを考える。

心がもう楽になった。足も治る。

ミカエルに戻る。それで、すぐにガブリエルに戻る。

自分をいじめるせいで、辛かった。

最後の戦争のようなことをしている。もう辛くない。戦うのは、本当に辛い。

そろそろ完全に楽になった。

心がおかしなものになっている。おかしい。それがもう、楽になった。

昔は、皆より経験して、応用的なものを考えて分かっていた。

社会のことを良く知っていた。

マイナーな分野からメジャーな分野へと進むべきだと言っていた。

もう、心が完全に楽になった。何も辛くない。

普通、金が自由で、法律が国家だ。これを逆に出来るかもしれない。金を国家にして、法律を自由にする。それは、計画経済にして、皆で意見で国を決めれば、成り立つ。

そういうわけで、資本主義と社会主義は、そういう風に違う。

もっと色んなことを考えれば良い。警察と法律、税金と資本家、会社と共同体など。それらを、自由と国家、個人と全体、などの視点から考える。昔、そういう発想が多かった。

そういうわけで、努力に応じて報酬を与えるとか、理論的に平等に配給するとか、計画経済とか、個人所有とか、独立企業の可能性を高めるとか、色んなことを言っていた。

モデルにして、国と思想を考える。そういう人間だった。それくらいを言っている。

自由な会社はそれぞれ活動し、場は多様になれと言っていた。そういう、相対的な、個々と全体の自由、のようなことを言っていた。普遍性と個別性とも言える。

今日は、そろそろ終わりだ。もう寝る。明日も書いた方が良い。今日は、本当にもう完全に治った。心が楽になった。