数学は、インクリメントとループだ。
繰り上がりが出来ると、計算が出来る。それがコンピュータだ。
昔は、そういう風に、哲学を作っていた。数学など、森羅万象を成り立たせて創っていた。
言葉遣いと連想から分かっていた。
行動と感情を考えて、想像力と経験から人間のことを分かれば良い。
社会のことを分かっていた。全体主義と個人主義や民主主義などを考えていた。
最近は、辛くても止められなくなった。馬鹿なのが大人だ。
数学はインクリメントを書いてしまうと、他にあまりない。そのように、数学や物理を発見して分かっていた。
もっと自由な社会の発展のようなものを書いていた。啓蒙や改革、自然や多様性など、本当に自由な社会のことを書いていた。
同時進行の二重人格を止めた方が良い。それで全部楽になる。
完全に楽にはならない。これくらいで終わりだ。本当に楽だから、もう何もしなくて良い。
数学のように、哲学的な色んなことを分かる文章を書いていた。
自由、社会、心理、国家のモデルを本当に書いている文章が多かった。
この文章は、エロイ。女が見てもエロイせいで、女がおかしくなった。男が悲惨だ。この文章が女に見えて男なせいで、男がまともになった。こんな文章は馬鹿だ。
構造を思い出せば分かる。いつも、構造を書いていただけだ。
ものは原子と作用だ。社会は法律と制度だ。
もっと構造を科学のように考えれば良い。いつも、そういうものを書いていた。
最近の科学は、もう全部分かっている。物理ぐらい分かった方が良い。
日本の平和は、アメリカに守られているから維持出来る。集団的自衛権は、行使しなければ、日本は守れない。自衛隊を強くするのは、金がかかるから、出来ない。集団的自衛権は、行使するしかない。そのように考える右翼がまともだ。
安倍は悪くない。そんなに悪いとは言えない。違憲とは言うが、仕方ない。集団的自衛権ぐらい、あった方が良いのが、普通の国だ。ただ、安倍の言う美しい国は、醜い。
そもそも、アメリカに守られている現状がおかしい。
構造をそのまま書いているだけと、人生の段階をそのまま書いているだけが多かった。
裏で皆を支配するのがキモイ。皆が馬鹿になる。何故か、本当に虫みたいにキモイ。
安倍なんか、ただアメリカに守ってほしいだけだ。
日本はおかしい。あまりにおかしな国が日本だ。
共産党が見ると、社会主義にして中国とつるめば良い。それも悪くない。1つの解決だ。
だが、社会主義はありえない。安倍は一番楽な発想をしているだけだ。
日本はおかしい。経済発展なんか、自動車をモノマネして売っただけだ。
最近の日本の問題は、インターネットに右翼しか居ない。2ちゃんねるだ。一番おかしい。右翼は、国を滅ぼしたいだけだ。馬鹿な自由が普通、そういう風になる。
日本の良い点は、平和憲法だ。軍隊を持たず、戦争する権利を永久に放棄する。それをもっときちんと守った方が良い。自衛隊なんか、金がかかるだけだ。
そういうわけで、日本は右翼に見えて左翼だ。最近の平和国家が良い。戦争なんか、怖いだけだ。誰もが戦争は怖いと言う。安倍はおかしい。安倍はそういう怖い国が良く見える。
日本が何故そんなにおかしな国になるかと言うと、キリスト教を信じないからだ。聖書を信じないと、まともな善が分からない。そういう国が日本だ。ドイツが見て当たり前だ。
人間社会の営み、発展、変化を経験的に考えていた。
制度を経験から決める。
会社は世界を変える。
視点と見方を変えることで、新しいものを作る。
知識や理屈で分かっていることを、経験から知る。
金がある人間が金を儲ける。それが資本主義だ。
人によって価値観と判断基準は違う。
矛盾を考えると良く分かる。
悟性みたいなものを分かっていた。
皆それぞれに違った人生と時間軸がある。
世界は自分の中にある。
昔は、植物や動物のことをパターンと言っていた。
もっと他のパターンが無いのはおかしい。
あとは、宇宙人の歴史のようなものを作っていた。
宇宙人と対話した。
国家主義でない共産主義のようなものを作っていた。
市民社会の道徳的価値観は経験的であれと言っていた。
市民は社会のためにあり、社会は市民のためにあるべきだが、市民は社会や国家より上であるべきだ。逆であってはならない。それが民主主義であり、国民主権だ。
経験から国家は変えられるべきだ。
だが、普遍的な価値観を皆で決めたなら、それに従うべきだ。憲法がそういうものだ。
税金で平等にすると、誰も労働しなくなる。
だが、大企業などの取れるところから取れば良い。それはおかしくはない。
もっと、社会の営みを経験的に考えれば良い。
皆、活動の中で、色んなことを思う。
分配から発展、定住や組織化、文化や集団や集合まで、色んなことを考えていた。
社会主義は、全部正しいことの逆をやっている。
原因と結果から、存在の法則と、どのように存在しているのかを考える。
また、何かに「なる」、「なれる」と言う視点から、存在の可能性を考える。
そのように考えると、宇宙の真理が分かる。存在の真理が分かって来る。
社会には、可能性がある。それは、経験から考えることが出来る。
あとは、人間性を尊重する。人間性を尊重しない可能性は、ただのゴミだ。そういう発想が、ソ連だ。人間性を尊重しない可能性をやっている。
本当に自由が良いとは言うが、日本はおかしいだけだ。仏教は悪くは無い。宗教をインド哲学にするのは、賢い。だが、日本はおかしい。何も賢くないのに、おかしい。ただ、日本は先進国だから、皆本当に良いと言う。現代性と島の文化が融和している。
人間性を尊重した社会の可能性を考えること。それできちんと分かる。
フロアから、地下フロアによる大都市を考えられる。
地球儀のようなものを、コンピュータでデジタル上に作ることが出来る。
そういう、想像力のある発想をすれば良い。
原子力発電を悪いとは言うが、昔は、それでスマートアグリ(ハイテクな農業)をすれば良いと考えていた。強大な電力と自動化によって、皆に農作物を配給する。
僕は、原子力発電所には、反対だ。反原発だ。危険性が高すぎるし、事故の実例があったのに、それを無くさないのがおかしい。政府の判断力を疑う。
最近の政府は、暴走しすぎている。共産党も悪いから、民主党や維新の党が勝つしかない。自民党がマシに見えるのは、野党も馬鹿だからだ。日本の政治家は、三流だ。
日本は馬鹿だ。仏教も仏教で、地獄を低いと言いたいのは、自分のことを言いたい。こういう人間が一番多いから、昔の子供を賢いと言って、今の大人を馬鹿と言う。仏教は、そういう宗教だ。そうでもない。そんな宗教なわけがない。宇宙の真理を全部言っている。日本人は皆仏教が好きだから、馬鹿に批判されるのはつまらない。
記憶が不確かだが、ホーキングと言う物理学者が、宇宙は11次元あると言っていた。僕は、もっと沢山の次元があると思う。20次元、30次元、40次元あると思う。そういう風に考えると、人間はちっぽけな存在だ。
昔は、ネットで色んな文章を読んでいた。X51のオカルトニュースから、コンピュータ関係の文章、はてななどで見つけたブログを読んでいた。何故か、ログまで全部読んでいた。
日本史を読んでいるが、むしろ、読まなくて良い。日本史を読んでいる間、何も出来ない。
他の文章に変えた方が賢い。そういうわけで、日本史は読まないかもしれない。
おかしくはない。室町幕府の途中までは読んだ。仏教の本も、半分ぐらいは読んだ。
もっと普通の文章を読めば分かる。エッセイのような本を読んだ方が良い。
もう古いが、切込隊長や真性引き篭もりや電車男などは、過去ログまで全部読んで、好きになっていた。ネットの中で一番賢いブログだった。他に、掲示板やWikiを読んでいた。
いつもの文章は、生命のパターンのようなものを作っていた。
宇宙を全部言葉で創造した。
もっと適当なことを言えば当たる。
感覚から正しさのようなことを考えた。
歴史の過程のようなものを、体験的に分析した。
世界の全てを、還元的に考えた。
自由から自由を取り出して、融和して、存在可能性にして、全てを説明した。
あとは、人間の意識論のようなものを書いていた。
アマゾンで、ロックとヒュームの巻の世界の名著を買った。
原著だから、分からないかもしれない。安かったから、良いと思う。
これで、家には、プラトン、デカルト、カント、ヘーゲル、ロック、ヒュームの本がある。
ハイデガーの本もあるし、哲学史のような本も沢山ある。仏教の本もある。
アリストテレスや、フーコーの本もある。マルクスやユングやフロイトの本もあった。
神との対話シリーズや、聖書やコーランもある。
あとは、もっと文学を読んだ方が良いかもしれない。ニーベルンゲンの歌がある。北欧神話の本もある。不思議の国のアリスもある。もっと色んなものを読めば良い。
歴史の本も多い。日本史は読みたいが、むしろ、読まなくても良い。
あとは、言語的なモデルと説明のようなことを言う。
会社は、知恵を集めて製品を作るべきだ。そういう風に、馬鹿に考える。
テレビを見ていると、博識で全部知っている人間なんか、いくらでも居る。
それに、本なんか、いくらでも書いている人間が多い。
そんな人間にならなくて良い。自分は、自分で良い。姉も、馬鹿に見えて、賢い。そういう、普通の人間になれば良い。
本は全部揃った。金は、英会話教室とピアノにだけ使えば良い。英会話教室にだけ金を払う。それが一番理想だ。放送大学は、頑張って卒業するしかないが、本当に難しい。
あとは、記憶と感情のようなものを、根源的、時間的、関係的に考えていた。
もう、昔は全部書いた。もう忘れた方が良い。昔は、馬鹿な人間だ。そんなに昔を書いていると、馬鹿な人間に見える。
もっと新しいことをした方が良い。哲学は、ロックとヒュームをいくらでもやって、そして、英語とピアノをすれば良い。もっと新しい夢を持てば良い。
材料を使って、工場で作るのを、個人でやれば良いと思った。設計や生産手段を与えるべきだと思った。そういうものを、モデルと説明で考えていた。また、人生を考えていた。
テレビを見ていると、自分より賢い人間しか居ない。草野仁なんか、本当に全部知っている。知らないことが無い。そういうわけで、自分は普通の良い人間だ。
経験よりもっと正しい経験と言ったが、そういう風に経験のモデルを作って分かっていた。
賢い人間なんか、いくらでも居る。テレビは見た方が良い。テレビを見ていると、馬鹿にも賢い人間が多い。そこらへんが分からないと、何も分からないだろう。
言語と感情を考えて、ネットで色んなことをやっていた。皆の言葉と皆の感情で分かった。それくらいの普通の人間だった。これなら、賢い青年のような人間に見える。
昔は、アメリカみたいな経験で分かっていた。神も、アメリカで分かる人間が多いと言っていた。アメリカが怖いのは、誰でもアメリカは2ちゃんねるだ。そこが怖い。
そういうわけで、終わりだ。ロックとヒュームだけをやれば賢い。日本史はしなくて良い。読んでも、大して意味が無い。むしろ、内容が分かっていないところが多い。日本語が分からないなら、まだしなくて良い。自分は、そういう、子供みたいな馬鹿な人間だ。
神との対話は、まだ分かっている。喋るだけで分かるから、そういう風になった。
車で、色んなところに行くと、楽になる。要は、家にじっとしているのが悪い。家では、分からない。そろそろ学校に行った方が良い。何日間も何もしないのは、辛い。
あとは、言語的に考えれば分かる。
思弁哲学のように分かっても良い。
言葉の構造を作れば分かる。
部品がある、方法がある、種類がある、学習する、など、色んなことを言語的に考える。
どうすればどうなるのか、と言ったことがある。昔から、そういうことを言う。
環境と決まりぐらいがあるのが分かっていた。環境を網羅して、決まりを作っていた。
もっと構造的に、言葉で世界のことを考えれば分かる。
認識し、疑い、信じ、考える。そのようにすれば、きちんと昔と同じように分かる。
テレビは、見たくない。見ていると、何かが怖い。見たくないから、見ない。
本当に、言葉の構造は多かった。世界の構造と方法から、世界のことを全部分かっていた。それくらいを書いている文章が多かった。契約や環境から意識を分かっていた。
人間のことを正しく見つめていた。知らなければ分からない。環境は変えられる。他人は自分ではなく、全く違った人生を歩んでいる。そういうことを言っていた。
人間の本性的な行動を分かっていた。いつ何を思うか、するかだけではなく、いついかなる状況があるか、そこでは何をするか、本当は何をすべきか、のようなことを分かった。
世界の発展から、人間の本来の姿と変化を考えていた。時間が過ぎていく中で、変わるものと変わらないものがあると言っていた。
そして、この社会がどのようになっているか、経験と心理から考えていた。
プロフェッショナルを生み出す土壌だとか、感情と環境と秩序だとか、言っていた。愛と不安の中で生きる、人間のマスターのような本性をいつも書いていた。状態の段階から、人生的な知恵の何が分かるか、のようなことを言っていた。
日本語みたいなものを考える。「の」と「は」の種類を増やし、減らせば良いと言う。
あとは、科学や社会の構造と方法みたいなものを考え方から普通に書いていた。
実験から心理が分かっていた。実験から社会構造が分かるプロセスを考えていた。
個人の自由から、集団の行動と形成がどのようになるか、教育の可能性、のようなことをいつも考えていた。思い出して考えること。
全て分かっていた。
何もかも全部分かって、正しく説明し、教えることが出来る人間だった。
もう分からない。最近、何も分かっていない。もっと何かした方が良い。
テレビが怖いのは、まだ何もしなくて良いからだ。日本語が読めないのも同じだ。まだ何もしなくて良い。本当に、そんなにしない方が楽になる。辛いなら、しなくて良い。
学習や秩序や考え方を作ることで、平和な環境を作る。そのプロセスを書いていただけだ。
もっとありえない社会を作れば良い。そういうものを成り立たせて作っていた。
人間は、何も変わらない。誰もが同じだ。子供と大人が違うだけで、誰でも自分と同じように賢い。昔の方が大人だから、昔が賢い。こういう人間が多い。
むしろ、日本史の本は本当に読みたいから、読む。本当に、読みたくなった。
昔から、秩序を作ることによる環境の平和を考える。
そういうところが分かる人間だった。
機械の仕組みは、コンピュータで分かっていた。きちんと全て分かる人間だった。
最近は、全部考える辛いが多い。書きながら全部考えるようになった。
そこが辛いから、全部考えるのを止めた方が良い。もう考えなくて良い。
もっと、少なく考えれば良い。それで治る。辛いのにそのままで楽になった。
小さなところから、ゼロから考えれば分かる。見方を変えていけば、着実に反省から分かって来る。偏見はあるべきでない。そういう風に考えれば良い。
社会的な関係と環境の中での、感情のあり方のようなものを考えた。受動や能動から行動と結果を分かっていた。昔は、そういう風に分かっただけだ。客観視で分かっていた。
あとは、場と時間と視点を良く考えれば良い。意識から、物理的に環境が分かって来る。
人間は、出来事と人生の関係と考えれば分かる。
社会は、一体感と共感から分かることも出来る。
これで、もう全てだ。あとは多かったが、馬鹿なことが多かった。
昔は、馬鹿なことを信じて分かるだけだ。そういう、賢い若者だっただけだ。
人間と人間の関係の中にある、認めること、了承すること、承認、のようなものを分かっていた。ヘーゲルがいつも言っている。そこから、主と奴が生まれる。
いつもそういうものを信じて分かっていた。その殆どは馬鹿だった。だが、そこから哲学が分かっていた。共有や革命や創造性を本当に信じていた。
あとは、具体的な学習と方法、言語的な方法と決まりが多かったのが昔だ。
もっと経験から馬鹿なことを信じれば、昔は簡単に出来る。ヘーゲルでも出来る。こういう人間は、普通に多い。物理学者のように分かっていたが、普通、人生はこうなる。
言葉や表現のようなことを、経験的に分かっていた。
環境を思い出して、論理的に意味と現実を考えていた。当たり前のことから分かった。
最近の方が賢いところもある。きちんと本を読んで、書いている。
教授の作家みたいになった。作家に一番多いのが、草野みたいに全部知っている人間だ。
昔は、推論のことを「正しい考え方」と言っていた。経験からそういうものを分かった。
もっと、視点を作って分かれば良い。いつもの文章は、そういう文章だった。
記憶を成り立たせることで、自由な社会の形成と人生が分かって来る。
ネットは、見ない方が良い。テレビも悪い。もう、何も見なくても分かる。もう全部経験した。もう、この世界を見る必要はあまりない。そういう意味の無い人間が自分だ。
色んなことを考えた。数学と経済と心理は、自分で全部作って分かった。そういうわけで、昔、学問が専門に分かれていなかった時代に、こういう人間が多い。デカルトも、こういう風に全部分かっている。本当に明晰に正しく分かっているのがデカルトだ。
あとは、人生のようなことを良く考えた。現実性、価値観、経緯などを考えた。そこから哲学が分かっていた。ヤスパースや経験論と思えば良い。誰でもそういう風に考える。
昔は、考えるべき点を全部考えた。対処、方法、作用、理由を考えた。いつ何をするべきか、から、どのようにすれば良いか、どうなるか、何故そうなるか、のように考える。
昔は、物理的な作用、関係、行動、影響を考えていただけだ。
歴史を影響力から考える。そういう、フーコーのような発想が多かった。
もう終わりだ。自分はもう何もしなくて良い。本当に楽だ。そこまでを頑張った。
世界モデルを考えて、全員のことが全部分かっていた。
もっと、知性のある人間になった方が良い。テレビは、知性がつく代わり、何も分からなくなる。それが真面目に怖いから、見ない方が良い。テレビは悪魔だ。
昔は、推論と証明で分かっていた。推論や証明が分からないと、何も分からない。
ネットは、全部見て分かっていた。テレビが怖いのは、昔みたいに悪いからだ。
もっと、色んなものを見れば良い。
最近は、そこまで構造を作って、考えて思い出す。それで分かっているから、推論なんかしない。推論が分からなくなった。
推論が分からない人間には、何も分からない。自分がそういう馬鹿なのがありえない。
もっと推論の知性をつけた方が良い。それで、デカルトみたいにきちんと分かるだろう。
推論とは言うが、ただ当たり前にその状況を考えていただけだ。
数学的なことは、連想して、関連付けて分かっていた。連想と回想と喪失から分かった。
そこに居るなら、そこに居る。それは、どこに居るかによって違う。そこで何を思うか?ここと何が違うか?何をしているか?何を考えるか?すると、どうなるか?そういうことを、環境で推論すれば良い。そういう風に考えて、環境の社会学を作っていたのが昔だ。
あとは、環境や人生を想像力で考えて、学習から発想法を作っていた。
もう、想像力がついた。想像力は、皆の見ている世界の映り方を考えればつく。昔は、それで想像力があった。
そろそろ全部書けたように見える。終わりだ。
いついかなる時に、何が成り立つか、もっと別の可能性は何があるか、を考えていた。推論には見えないが、そういうものを数学的な概念と方法を作って分かっていた。
あとは、体験を考えれば良い。皆と同じ体験をして、考えて分かっていた。
そういうわけで、賢い作家が自分だ。もう何もしない。まだこの文章を書いていたい。
イスラエル的なもの、ドイツ的なもの、アメリカ的なもの、ロシア的なもののように、国で思想を考える馬鹿が多かった。真面目にそれが賢かった。本当に分かっていた。
もっと、イスラム的なことを止めて、アメリカ的になれば良い。それで治る。
行動、場、視点を考えれば分かる。場と視点を考える人間が一番多い。
人間の本質的な、未知と可能性のようなことが分かっていない。未知は、未知のまま保持すれば分かる。そんなに未知を潰すから分からないだけだ。
何も決めず、何も信じず、何も考えないのが賢い。反知性主義とは言うが、そういう風にすると、ニーチェみたいに賢くなる。そういう、馬鹿な人間は賢くなる。
何もしない、馬鹿な体験のまま、放っておけば分かる。そういう、馬鹿な人間にしか分からない。何もしなくて良い。何もしない体験のまま放っておくと、気づいて、予測して、感じて、思考して分かるようになる。世界のことをありのままに感じて、受け入れて、実感して、確かなことを信じて、社会を変えられるようになる。何もしないのも賢い。そういうことを言いたかっただけだ。
歴史を心理学だと思っていた。歴史は、人間の学習過程であると考えていた。制度も、決まりも、全部学習であり、経験である。そのような、説明のような文章が多かった。あとは、もっと心理学的に歴史を考えれば分かる。昔は、それくらいの人間だった。
何がプロフェッショナルなのか、どのようにすれば同じことが出来るのか、のようなことを、全部吸収して考えていた。
こういう人間は、昔多かった。昔を書いているから、当たり前だ。最近は、もう分からなくなった人間が多い。それは正常だ。これでは、分からなくなる。
社会は、自然にものごとを学習し、忘れ、実現し、破壊するプロセスであり、良く考えて、全ての時間における問題を検討して、総合的に考えるべきだ。それを書いていた。
もう分からない。社会を心理で実現しろとか、どうでも良いことを言う。ソ連は、人間の心を考えて作れば、良い国になる。心のことを何も考えず、強制した。それが不自由な共産主義の始まりであり、心のことを考えなかったのが全ての問題である、としていた。
昔の小泉の時代の社会問題を良く考えていた。それは、今を考えた方が良い。
想像力で、実際の姿から、見方を知り、視点を変えることで、色んなものが変えられるのを分かっていた。想像力で実際の姿を良く考えて、裏の理由や本当の法則を考えた。
本当の法則が、モデルから分かっていた。数学のことも、全部分かっていた。
何故か、もっと自由な社会論が無いのがおかしい。共産主義は、不自由な社会論だ。自由な社会論を誰かが書かないか、と思う。自由で良い国を完璧に考えて作れば良い。
昔は、そういう、自由で完璧な国を作っていた。制度や決まりを自由にして、経緯や意識を自由にし、選択肢と手段を与え、皆でシステムと価値観を作る。経験から社会のあり方を変える。問題は、マルクスと同じように歴史の必然だが、それで、正しい問題の解決方法は時間を遡って行くと無限にある。そういう風に考えていた。
自由は、人間に生まれ持って与えられた、自然の権利であり、誰も犯すことは出来ない。
だが、自由な中で、それぞれが何を支配するか、などを考えた。オープンソースは、所有まで支配しようとする、コンピュータ業界への対抗措置である。そのように考えていた。
あとは、独立した共同体にすべきだと言っていた。だが、それは間違っている。独立して自由にはなるが、独立すればするほど、上に反抗するようになる。独立なんかしない方が良い。全部同じで、従う方が理想だ。だが、そうすると、本当に自由が無い、怖い世界になる。いつも、日本がそういう国だ。平等も自由も無い。ただ従うだけだ。
日本は悪くは無い。島の文化性のせいで、治安の良い、安心出来て豊かな国になっている。日本人は頑張って機械を作るために働く。誰でも働くせいで小さいが経済大国になった。
ただ、独立性は、アメリカやドイツのような、連邦主義の良い国になる。地方の都市が発展して、多様性のある良い共同体になる。だが、それは先進国だから出来る。中国のような後進国は、全部同じにして、消して減らして行かないと、良い国にならない。開発独裁は、悪くない。アメリカが悪いとは言うが、アメリカが中国人のことなんか何も考えていない。自分の国しか考えない、アメリカの方が悪い。
独立させながら統一すると、本当に自由になるのがロシアだ。最近、社会主義を止めて、内部の共和国が自由になっている。
昔は、国のこと、共同体のこと、社会システムのことを、独立と共有から考えていた。
ロシアのように、共同体や国全体で、統一しながら自由になると、自由に参加と協力から独立して変えられる、本当に自由な国になる。
昔は、そういうものを分かっていた。それくらいがまだ多い。
あとは、自由な参加可能なコミュニティを作るべきだと考えていた。
日本は、外国人から見ると、アジアだから農業が多いように見えて、小さな島だから、シンガポールのように金持ちしか居ないように見える。それは、正しいところもある。だが、独自の日本文化があるのが分かっていない。日本だけ、常識が全て世界と違う。
ロシアみたいな、統一と平等な中での自由な価値観、参加による決定の自由は、昔考えていた。何故か、忘れていた。
あとは、欲と思い込みと偏見を否定する。自然に任さて、必要としなくなって、互いに分かり合う。そして、自由なコミュニティ、メタ思考、世界モデルを分かっていた。
そういうわけで、自分が一番自由だ。本当に自由が好きだった。
だが、自由は悪い。会社を作ってもすぐに潰れるし、教育のせいで受験競争しか出来ない。自由には何も無い。会社で仕事をしていると、大して何も出来ない。ネットの自由は、何もかも全部悪い。そういうわけで、自由は止めた方が良い。普通の平等の方が良い。
あとは、意識の変化、生産手段、ニーチェのような自由で分かっていた。
言っていることは違うが、考え方は同じなのが、ヘーゲル、マルクス、ニーチェだ。
そろそろ、書くのを終わりにしたい。ロシア的な統一と平等の自由を書いたせいで、もう書くことが無い。それで独立性を考えていた、ドイツ人のような人間が、自分だ。
あとは、何かをするのを考える。決定、創造、利用の関係を考える。
昔は、意識の変化、再利用と初期投資、環境と環境の関係から、色んなことを考えていた。
テレビを見ていると、全て知っている賢い人間なんか、いくらでも多い。
そんなに賢い人間にならない方が、楽だ。これくらい哲学を知っていれば、普通だ。
日本史は読むが、歴史までやる意味が無い。もっと、楽に考えて、馬鹿で良いと思った方が、楽に賢い人間になる。馬鹿で良い。馬鹿な引き篭もりで良いと言う。昔は馬鹿な中卒みたいな人間だったが、今ではきちんと哲学を学ぶ大学生だ。プログラミングは出来なかったが、作家になれて良かった。本当に自分は、満足している。幸福だが、あとは、書くのを止めれば楽になるが、まだ止めたくないから、止めなくて良い。
あとは、現状分析をしながら、コンピュータのことをしていた。
もっと思い出せば良いが、もう、昔の思い出はもう良い。新しく考えたい。
もっと、自由に、既成の価値観に囚われることなく、ゼロベースで考えたい。
色んなことを実験して、想定して考えれば良い。そこから知性がつく。
あまり、決めない方が良い。自由に任せた方が良い。その方が良くなる。
自然な体験をしたい。それは、今農業をやっている。農業は悪くない。
時が止まっている。
経緯を知ると、分かる人間が多い。普通、経緯を考えて分かる。コンピュータやテレビなどを見ながら、経緯を知ると、分かる。
安倍は、政治家は平和を願うだけではなく、行動していかなければならない、と言っているが、その通りだと思う。もっと良い行動をしてもらいたい。
これできちんと正しく考えると、哲学が出来る。
もう既に分かっているのが悪いから、一度全部忘れた方が良い。
哲学は、しなくて良い。これでインターネットを見ていると出来るのが哲学だ。
ただ、ロックとヒュームだけをやれば良いが、それはつまらないだろう。買ったから読む。
環境の中で徐々に覚醒し、価値観を知ることから社会を作り変える。
昔は、そういう発想が多かったが、それが哲学だ。そういう、馬鹿を考えれば良い。
環境から自然な体験を知り、想像力と知識を知り、関係を考え、経験し、コンピュータの技術を知り、システムを知り、世界を変え、自分のことを全て分かる。
そのような、環境から覚醒する段階のようなものをいつも書いていた。
それで終わりにする。もう、そろそろ書かない。このまま最後のオーズルになる。
あとは、コミュニケーションで人間を支配するとか、ルールを皆で作る体験とか、2ちゃんねるみたいな内容が多かった。
昔は、そういう、2ちゃんねるで全部分かった、青少年のような人間だ。
もう書かなくて良い。自分はもう終わりだ。不思議とこれくらいで誰でも出来るようで、出来ない。昔なんか、馬鹿過ぎて出来ない。今の方が出来る。今は賢い人間だ。
人生を考えていた。本に書いてあるようで、もっと人生を深く、高く、全部網羅して分かっていたのが自分だ。人生の段階のようなものが全部分かっていた。
全てのことを知った。全てのことを考えた。
全てのことを体験した。全てのことを分析した。
知性から経験を知った。可能性から秩序を知った。体験的に社会を知った。
成り立ちと仕組みを考えた。実現性と意識を知った。方法と学習を知った。
本当に、自分には何が出来るのかを考えた。反省し、取り組み、努力した。
皆の言っていることから、自由に信念と価値観を考えた。
経験をモデルにして、経験を疑った。発想から理想の社会を知った。
仏教のように、神の眼から悟った。解脱した。
自由な精神分析から、人生の価値を知った。
世界をどのようにすればどうなるかから、何をどうすれば良いかを知った。
記憶と回想の中で、場と歴史と価値観を知った。
視点と場の中で、自由な影響力を知った。
影響力の高みに立って、世界を変えた。
数学的な法則とモデルから、人間のことを知った。
自由な人生学から、全ての人間を吸収した。
世界を還元した。
世界の全てを経験から得ることが出来た。
ネットの可能性から、自由な一体感を知り、実践的な判断力を養った。
技術と社会と心理のことを知った。
科学を作って、手段と機会と可能性から分かった。
世界に向き合い、正しく社会を実現するための、方法と条件を知った。
自分の数学を作った。
全てを経験して、全ては自分のためにあると、マスターのように実感して考えた。
環境の理解と芸術の発想から、視覚を分かっていた。
経験より、さらに正しい経験を考えていた。
思弁哲学から、言語的な意味と意識を分かっていた。
人生を書くと、そういう風になる。いつも書いている。
もっと、自分以外の人生を考えれば良い。そうすると分かる。
それぞれの経験が分かる、実地的な、賢い研究者や王のような人間だった。
あとは、意識的な構造を作る、言葉の構造の文章が多かった。
最近も書けば良いが、最近は、戦って、神を信じて、経済学を作っただけだ。
自分を治したかった。
永遠を生きて、宣言して分かった。
社会主義と右翼を書いて、悪いだけを書いていた。
いつもの文章を書いて、知性をつけていた。
不可能を可能にした。
全てを言葉にした。
神を信じて、対話のスターリンによって、精神分析で分かった。
歩き回る地獄だった。
恐怖を治したかった。
宇宙のことが全部分かっていた。
知性の無い馬鹿になって、機械のロボットになっていた。
ロシアからドイツまで、全部分かった。
社会のことを、自由、平等、などから、批判的な構造を作って分かっていた。
何かをしたいなら、技術と知識と手段が必要だ。
そういうものは、学校でも得られるが、良く考えて、ネットを見れば分かる。
そういう、手段と知識を得るきっかけと段階と経緯のようなものを書いていた。
最近、何もしていない。哲学をしているように見えて、何もアクションを起こさない。文章を書いて、英語やピアノには行って、農業はしているが、何も行動らしきことをしない。
日本史を読んでいる。そろそろ、戦国時代に入る。武将が出て来ると思う。
日本史は、読んでも分からないところがある。ロックとヒュームは、まだ届いていない。
全ては、事実、現象、実像、実体である。そういうことを言っていた。
何故か、そういう文章は、虫みたいにキモイ。もっと忘れた方が良い。あまり意味は無いが、それくらいしか書いていない。
最近は、おかしく心で分かって、治るようになった。それがおかしい。
考えて、昔の精神に立ち返って分かるようになった。
それを止めればすぐに精神が治る。心と精神で分かるのはありえないほど分かる。
全ては、神の内にある。神の内に見ることが出来る。
哲学者と狂った王と英雄の物語の詩でも書けば良い。そういう、あったことを書いていた。
やれば良いのは、ロック、カント、ヘーゲル、マルクス経済学、聖書、そしてフロイトだ。
それらをやれば、きちんと分かる。
バークリぐらいがこうなる。バークリは、何かが全くおかしい。神しか分かっていない。
幾何学的な作用と数列的な関数から、数学は数列と言う概念で新しく作ることが出来る。
そういう、数学などの新しい発想をいつもしていた。
日本語を作りたかった。今考えると、ドイツ語を模倣するのが良い。
国は、キリスト教とフランス語にして、民主主義のまま平等にすれば良い。革命的な変化を国の中で包括して、独立しやすくし、分散した共和国の連合にする。
人種は、遺伝子によるものではなく、国の文化や文化的な経験によるものだ。
そういうわけで、ドイツなんかより日本の方が賢い。
黒人は馬鹿ではない。見ていると、英会話教室の白人も黒人も何も変わらない。
賢いのは日本人だ。それこそ当たり前だ。日本には、賢い文化と社会がある。
記憶は遺伝子であり、遺伝子は記憶だ。記憶とともに、遺伝子も変わって行く。
生命は、環境への適応で、生態系は、多様な生体システムを生み出す、自然の力である。自然と生命は同じであり、ヘーゲルの言うように、生命の非結合は結合である。
あとは、知性で全部分かっていたのがいつもの文章だ。
この文章は、イモムシみたいにキモイ。いつもの文章が、そこまでのキモイ虫だ。
そういうわけで、いつもの文章は忘れた方が良い。
そのまま、浄化して終わる。馬鹿なセックスを浄化すると、もう楽になる。
生態系は、機械だと思えば分かる。特に、アプリケーションのプラットフォームと同じだと考えれば良い。そうすると、経験から意識が分かる。植物にも意識はあると思う。
心で分かっているのが悪いだけだ。それが神との対話だ。
心で分かっているのを止めると、もう足が治る。もう、喋るのを止めて、黙るようになる。
アマゾンで買った世界の名著は、ロックだけではなく、ヒュームもあるのが良い。哲学は、誰でも普通ヒュームで分かる。ヒュームが一番賢い。
ヒュームは、ブッダと言っていることが良く似ていると、ソフィーの世界に書いてあった。そういうわけで、ヒュームはブッダほどに賢い。それできちんと分かる。
次元を良く考えていた。
なりたいものになれば良い。そこが分かっていない。
もう、心で分かっているのを止めると、自分で考えるようになる。