社会の可能態と現実態、手段と実現を考えて、書いていた。社会に何が出来て、潜在的に何になれるかを考えていた。
正しいことは、いつでも、どこでも、誰でも正しい。真理の法則性を分かっていた。
あとは、記憶と経験の習得性のようなことを分かっていた。
そこらへんを分かっていると、哲学者に見える。
学習の経緯のようなことをいつも分かっていた。出来事の関係性を時間から考えていた。
あとは、場と歴史や、抽象的な考え方を分かっていた。他にあまりない。
何でも歴史から分かる人間だった。考え方は、理性批判から分かっていた。
自由、改革、啓蒙、社会参加のようなことから、ヘーゲルのように共同性の自覚と精神の成長を分かっていた。功利主義と有用性のように分かっていた。
理想の社会を積み重ねながら、出来ることを積み重ねて、実現していた。
自然の積み重ねと可能性と応用の社会学を作っていた。
心理学は、どのようになった時、どのようになるか、から考えていた。何をしたくなるか、何をしようと思うかから、何が分かるのか考えていた。
あとは、コンピュータから分かっていただけだ。
考え方は、社会の成り立ちを知った。手段から、売り買いのシステムまで、色んな社会の可能性を考えた。自分で出来ることから分かっていた。
世界の正しい解決を分かっていた。
全員の感情を融和して、神の精神になって、解脱して分かっていた。
昔は、そういう馬鹿だった。コンピュータのおかげで、そこまで賢くなった。
皆に感情の害悪を与える自分の性格の悪さを考えていた。自由に皆のことを尊重する、高校生のような良い人間だった。キモイ人間だったが、良い人間だった。
自由を哲学者のように考えて、理想の社会を実現出来るようになった。人間の理由が、皆と一緒に体験した自由と、実地的な社会分析と思考分析から、分かっていた。自由とは、皆と一緒に体験し、経験する、インターネットの経験の自由と、学校や会社からの離脱の自由、社会における合意と意志の自由のことを言っていたが、組織は嫌いだった。
人間の営みと、地球の歴史を考えていた。
視覚化と適応から、環境を考えていた。
法律は、皆で意見して作る。そのように、説明とモデルから考えていた。
英語は説明的な言語で、ドイツ語は「こと」を考える言語で、フランス語はデカルトのような言語だ。
普通、高校で成長が止まる。誰でも高校のままだ。自分が一番賢い。
昔は、思い出すことで賢くなった。
右翼を倒していると賢くなる。すぐに決めつけず、楽を取らなければ良い。
自分は、芸術家だ。これでユダヤは、賢い。
皆が馬鹿なのは、神を信じないからだ。神を信じれば分かる。
社会を独立性から考えていた。EUやいじめ、考え方や人生を分かっていた。
たまに微積分のようなものを分かっていた。
手段と実現から作用を分かっていた。
社会は、有用性から啓蒙を分かっていた。
コンピュータ技術の歴史は、人間の歴史より面白い。
自分は、パソコンの知識が本当にある。本気でやっていた。そこが賢い。
根源的な発生を全部書いていた。
理由と経緯が全部分かっていた。
全部作って、成り立たせていた。
発生と経緯から、人間の営みが全部分かっていた。
人間の歴史が分かった。
昔は、環境からの離脱で分かっていた。
離脱して、世界を独自の経験で知ることを、自由だと思っていた。
離脱して、孤独に考えて、世界を全部ネットで見て分かった。
そういうわけで、環境を思い出せば分かる。それが基本だから、それをした方が良い。
環境を思い出すのが出来ない人間には、出来ない。
そんな風に自分になっても意味が無いが、最近は、こういう、自由な人間が多い。
会社は悪い。何も出来なくなって、拘束される。引き篭もりの方が分かる。色んなことを自由に経験すれば、誰でも分かる。ネットのニートには、そういう人間が多い。
昔の自分は、これでニートと思えば分かる。色んなことを、見て、考えて、聞いて、言って分かる。まともな、想像力のある、オンラインのニートだった。
とにかく、色んな話を聞くこと。自分のことのように、他人を考えること。駄目だと思っても諦めず、挑戦し、継続すること。そこから、試すことや、経験することが生まれる。
そういうものが分かる、まともな人間だった。大学生や高校生に多い。ニートとは言うが、自分もそういうまともな人間の代表だ。
孔子やブッダにはなれないようで、なれる。人の話を聞いて、経験から理性的に考えれば、誰でも論語や仏典のように分かる。出来なくはない。賢いニートなら、誰でも出来る。
自分のようなニートはどうでも良いが、自分の場合、きちんと作家になったし、最近は農業もやっているし、パソコンや哲学の知識もある。ただのニートよりは賢いニートだ。
実体験から考えること。それで孔子やブッダの言っていることが分かる。
そろそろ、終わりだ。今日も農園に行った。何もしていないとは言うが、ニートの中で自分が一番色んなことをしている。パソコンには、戻らなくて良い。馬鹿しか居ないから、放送大学をやった方が良い。日本語も読めないのは、おかしくは無いが、日本史の本は頑張って読んでいる。そういう、「頑張る」が良いから、色んなことが難しくなった。頑張れば出来るからそうなる。簡単に読めると意味が無い。それでは何も覚えない。
そういうわけで、人の話を聞くこと。孔子は、それで出来る。人生体験を良く考えるために、自分の経験を考え、他人のことを自分のことのように考えれば良い。
孔子とキリストなら、孔子の方が賢い。キリストは、ありえない偉大な人生になる。
孔子のように分かるためには、思考し、経験し、人と会話するのを、何十回、何百回と繰り返すこと。それが昔の自分だ。自分から、自発的に行動し、人生の真理を考えること。
あとは、認識を疑って、人生の段階、特に、他の人間がどのように分かることが出来るかのような、自分と世界を照らし合わせる、人生の段階を考えると、哲学が出来る。
フッサールのように、世界と人間の行動と認識を、現象学的に全部捉えて考える。
フーコーのように、考え方を常に変えて考える。
そのようにすれば、哲学が出来る。そういうわけで、昔はそういうニートのような人間だ。
皆が、どのようなことをして、経験して、どのように分かって行くかを、段階的に分かれば良い。それで、ヘーゲルやキルケゴールのように分かる。
あとは、皆が今何を考えているか、現状分析のように考えれば良い。
あとは、ネットで色んなものを知りながら、知識を内面化して、人の言うことを、自分のことのように考える。最近は、そういう人間が多い。
あとは、マルクスやルソーのように、人間や社会の自然状態、生産の手段、条件、関係を考える。資本主義の問題や、労働のアイデンティティ、生産の価値創造論を考える。
それぞれが、それぞれの個性と価値観があるのが分かる。
そういうわけで、哲学と社会主義は賢い。それにキリスト教とオープンソースを加えると、自分だ。いつものユダヤだ。ユダヤが、一番賢い人間になる。
昔は、科学の論理、方法、関係のモデルを全部作っていた。基礎を作って、科学を全部考える。自分の数学から、考え方と思弁哲学を分かった。
科学を全部考えるのが哲学者だから、自分が哲学者だ。ニュートンが何なのか、ぐらい、適当に分かる。宇宙がどのようになるかではなく、何故なるまで、分かった科学者だ。
フッサールが似たようなことを言っているが、意図と結果のようなことを、人間的、社会的、関係的に全部考えていた。目的と手段が分かっていた。
一人、哲学者を決めて、それをやれば良い。アリストテレス、カント、ヘーゲル、キルケゴール、サルトル、ハイデガー、ヤスパース、フッサールなどが良いと思う。それらを、どれか一人やれば良い。大学は無視して良い。大学なんか、自分より馬鹿だ。何も分かっていない。大学には、馬鹿な昔の自分しか居ない。賢くない。
ロック、ヒューム、ルソー、フッサールをやれば良い。経験論と現象学も悪くない。
文章で無く考えれば、すぐに分かる。森羅万象なんか、誰でも考えられる。分からないのは、文章を思い出したいからだ。文章を止めて、もっと普通に考えれば良い。
社会と自然などの森羅万象を、アリストテレスのように考えた。誰でも出来るようで、出来ない。自分は、昔からそういう人間だ。
昔は、資本主義社会をネットで知り尽くして、教育や科学のようなことを実体験から考えていた。それくらいの人間だ。人生と知の段階が全て分かっていた。
哲学に負けず劣らず、パソコンも賢い。JavaとLispが一番賢い。昔ネットで分かっていたが、本を読まなかったせいで、出来なかった。子供に出来るわけがない。
昔は、ロックのように、経験と記憶を習得的に考えていた。
ロックとヒュームとルソーをやろうと思う。知識人が見て、それが一番賢い選択だ。
あとは、日本史と、出来ればフランス史やイギリス史やドイツ史をやれば良い。
それくらいで良い。サルトルまではしないようで、そのうち、心理学のようなことまでやれば良い。それで、きちんと社会科の専門家だ。政治経済もやる。ただ、そんなに全部は出来るわけがない。日本史とロックやルソーだけで充分だ。
恐怖は、上手く使えば良い道具になる。そういうことを考えれば良い。
誰でも同じだから、ロックとヒュームなんか、両方やる意味が無い。同じことを言っているから、ロックだけをすれば良い。そういうわけで、ロックを買えば良い。
自分が皆より馬鹿なのは、子供だからだ。子供には、こういう、何も分からない人間が多い。人生経験と記憶が無いと、分からない。そういうわけで、自分だけ馬鹿で、哲学者は皆同じだ。そうすると、自分だけが賢く見える。哲学者なんか、昔の自分に見える。
ロックと日本史をすれば良いのが分かった。
パソコンなんか、JavaとC/C++をすれば良い。おかしくは無い。
ヘーゲルのような、意識の段階と結合的な本質は、いつも書いていた。自分は、それを環境や基盤にしたかっただけだ。意識は、サルトルも分かる。自分の方がサルトルも分かる。
そういうわけで、ロックをやることにするが、とりあえずまだ日本史を読んでいる。
パソコンなんか、要らないのが良く分かる。ロックと日本史より、コンピュータの方が馬鹿だ。普通、馬鹿な人間になる。それが自由だ。
昔は、2ちゃんねる専用ブラウザやタブブラウザで分かっていた。そういうもので分かっただけだ。そういうものを書いていた。そういうものは、馬鹿に狂うだけだ。
数学も数学で必要だ。数学的な知性が無いと、何も分からない。昔あったのに無くなった。そういう風に全てが無くなった。
昔は、オープンソースで、機械の仕組みやありえない社会の可能性を分かっていた。
そういうわけで、機械が分かる人間が分かる。だから、数学は必要ない。機械が分かればそれで分かる。誰でもそういう風に分かるのが哲学だ。
昔は、機械的に社会のことを分かっていた。心理のことや教育のことも、全て機械的に分かっていた。そういう人間が分かる。そういうわけで、大人には、機械が分かる賢い人間が多い。そういう賢い大人が、ロックだ。そのまま、経験と心を考えただけだ。
もっとやりたいなら、カントとヘーゲルもやれば良い。デカルトは馬鹿だからしなくて良い。実存主義も要らない。ロックをしてから、ヘーゲルをすれば、終わりだ。
認識と経験を疑うこと。数学的に正しく、法則を考えること。人間の知の段階を、未知を捉えて、成長と環境から考えること。人生を考えること。それが哲学だ。
昔は、自由になりながら、反省して分かっていた。自由より、新しい違うものを取る。そういう人間だった。
自由は悪いから、日本から自由を無くす。平等や戦争も悪い。キリスト教にする。
機械は、人間が考えたものであり、社会は、人間が作り出したものだ。
そういう風に、考え方を分かると、哲学のことも良く分かる。
ヒュームのように、色んな論理的なこと、解決や実現のことから、言語学的なことまで、人間のことを良く考えると、分かる。
あとは、歴史は日本史をやれば良いが、フランス史やドイツ史でもやれば良い。
ただ、自分の場合、何故かドイツ史を既にある程度知っている。そういうわけで、ドイツ史をやれば楽だ。簡単にすぐに出来る。右翼に見えるのは、仕方ない。
そういうわけで、日本史、ドイツ史、ロック、ヘーゲルなどを本気ですれば良い。
本当にフランス史の方が良いのは分かる。最近読んでいて面白かったし、右翼では悪い。
昔は、意識で狂って分かっている馬鹿が多かった。
最近は、分かったものをすぐに消してしまう。それを止めれば分かるのに、分からない。
フランス史は、しない。しないようにしか見えない。ドイツ史すら、しない。
日本史をやって、ロックとルソーをやる。それは、カントとヘーゲルもやれば良いが、それらはもうやったから、しない。
あとは、英会話教室で英語をやれば良い。むしろ、フランス史やドイツ史と言わず、イギリス史をやれば良い。それが一番分かる。ロックはイギリス経験論だからイギリス史が良い。
昔は、科学のことは、自分で同じものを作って分かっていた。
昔は、本当に、全部分かる人間だった。科学、心、社会、機械など、全部分かっていた。
ああいう人間は、居ないようで、最近多い。
辛いのが賢い。辛くなると、誰でも楽になる。日本は、もっと辛くすれば良くなる。
もっと、賢い、相対的なことや、プラットフォームのようなことを考えれば分かる。
パソコンは要らないから、無くした方が良い。権力で無くせば無くなる。すぐに無くなって、別のものに変わるだろう。
本当に人生のことから考え方のことまで、全部分かっていた。経験と理性と科学で、全部分かる、ものごとの道理と知識、考え方と想像力と成り立ちが分かる人間だった。
経験から分かっていた。最近は、大人にこういう人間が多い。
哲学書を買うなら、父親が見て、図書館に行くのが良い。無料で読める。それが一番、沢山の本を借りて、沢山読むことが出来る。
この世界を無視するのは、おかしい。皆は賢い。自分は馬鹿なのに賢い。何も知らなくて、自分で作って分かるのはおかしい。もっと、知れば良いだけだ。
あとは、道や経緯のこと、自然な現象や積み重ねのことを良く分かっていた。
世界を見ていると、すぐに分かる。文章は、一番悪い文章だから、忘れた方が良い。
皆、もっともっと辛くなる。それですぐに楽になる。辛いのは楽な人間が多い。それで、きちんと経験から分かるようになる。それで楽になるだろう。
視点と場を、相対的な認識と結果から、自由に考えて、本質の構造を作る。昔は、そういう、物理学者のような人間だった。
あとは、心と脳を働きを考えたり、予測したり、空間を予想して分かっていた。
馬鹿だった。だが、経験と人間的な理性から、哲学のように全てを分かっていた。
昔は馬鹿だから、もう考えない方が良い。ただのクズだ。
引き篭もりは賢くない。戦争も馬鹿だ。哲学なんか、何も賢くない。
何かすれば良いようで、もう何も出来ないのがオーズルだ。本当に賢くなったせいで、何も出来なくなった。馬鹿なフレイが出来るだけだ。
昔書いたが、分かっていることは、人間はただ一つの存在になって、自分になる。
それだけだ。そして、それぞれが知っていることは限られていて、時間は過ぎて良き、宇宙は人間には分からないが、いつか分かるかもしれないと言う、可能性はある。
文字情報には、画像をつければ良い。昔は、そういう風に考えただけだ。
もう最近が終わった。フレイヤは狂っている。そろそろ、普通の人間になって、オーズルになる。オーズルは、ただの普通だ。立ち歩いたり、書いたり、狂っているのを止める。すぐに治る。最後のオーズルが一番好きなのが自分だ。
皆は、辛くなると楽になる。そういうわけで、皆ヘイムダルやロキのように、辛くなって狂うようになる。それが一番楽に賢くなる。よって、自分は治って、皆は地獄になる。
昔は、思弁哲学と言語の構造を作っていた。
そろそろ分からなくなる。一通り全部書いた。
自分は、小説を読んで、書けば良いのが分かっていない。壮大な詩集の物語は書けるのに、小説が書けないのはおかしい。ただ、馬鹿な小説は書きたくない。ネット小説のような馬鹿にしかならない。自分は、これで充分だ。
小説は書かない。小説にすると、面白い作品にならない。ニーチェのような詩人で良い。
あとは、世界を支配して、変えるのはおかしい。もっと普通に変えれば良い。世界を変えたいなら、そのための準備をして、知性をつけて、前提となる考え方を知れば良い。
そういう、世界を変えたい文章は多かった。もっと真面目に考えれば良い。
世界を変えたいとは言うが、自由で、多様で、分散した共同体にしたかっただけだ。
むしろ、ロシアよりもアメリカの方が馬鹿だ。グーグルのように、人間を機械にしたいのは、狂っている。脳とコンピュータが繋がるのは、ありえない。
あとは、もう無い。オーズルは、まともな人間になる。そろそろ、狂った疲れが治った。もう楽だ。本当に疲れるだけの馬鹿がフレイだ。
グーグルは、肉体を自由にして、頭を超賢くしたいのだと思う。
そういうわけで、自由が悪い。多様性も止めた方が良い。ソ連にした方が、まともだ。
アメリカは悪い。最近、そんな馬鹿しか居ない。ロボットになりたい馬鹿が本当に多い。最近それだけの国になった。
日本が良い。日本では、法律で禁止すれば良いように見える。そういうところを本当にやる馬鹿が、昔から、日本だ。そういうわけで、日本だけまともな人間になれる。気づいていない人間が多いが、いつもそういう風に禁止しているだけが自民党だ。
良く分かっていない。日本がそんなことはしない。見ていると、日本はアメリカの言いなりになっているだけだ。軍隊を作れないせいで、アメリカに頼るしかない。ただの犬だ。
どうでも良いほど、自分が一番アメリカ人の女に見える。白人の女に、こういう狂った悪い人間が多い。どこでも、女がIT機器になる。男はまともな人間が多い。
グーグルは、検索エンジンの会社だから仕方ない。人間の脳を賢くしたいだけだ。
日本は、何もしない。そういうものに対する対応が遅いし、普通は、いくらでも蔓延して終わる。日本が一番そういう国だ。自由では何も出来ない。最近は、共産党が躍進している。自分と同じ発想だ。全部独裁者がやった方が賢く見える。そういう集団だ。
最近、自分は戦いだけになった。戦いたいように見える。それも、あまりおかしくはない。本能的に戦いを望むのが人間だ。そういうわけで、自分はおかしくは無い。
自分になると、サルトルのように考えて、コンピュータ技術を知って、戦争で戦って、神と対話して、哲学や歴史を最後までやるようになる。
それで良いなら、皆もなれる。むしろ、グーグルより正しい。ロボットになるより、自分になった方が良い。似たようなものには見えるが、自分の方がさらにキモイ。
自分はおかしい。そんなに早い意味が無い。十代と二十代で老人を二度もやっている。おかしい。もっと遅い方が良い。早熟は賢く見えて馬鹿だ。狂って自閉症になっている。
そういうわけで、馬鹿をもっと長くやった方が良い。自分は賢くない。
日本の賢い点は、日本は白人よりさらにキモイ発想をする。それがまともなだけだ。
自分が賢いせいで、皆が安心出来るようになった。きちんと賢い人間がやっている。逆に、アメリカは、賢い人間が居ないせいで、恐怖に包まれている。パソコンのせいで、全員馬鹿になった。この世界でパソコンが良く見えるありえない国がアメリカだ。
アメリカも、ソ連も、ドイツも怖い国だが、対話の神は、フランスを一番怖い国だと言っていた。おかしなことを本当にやるし、狂った人間が多い。フランスをしたい人間には、おかしな人間が多い。行かない方が良い。安心出来る国は、ソ連だと言っていた。そこがありえない。ソ連の方が怖く見えて、アジアに植民地を作る馬鹿な国がフランスだ。
これで人間の営みや森羅万象と思えば、いつもの文章が分かる。
全てを言葉にして、言葉の構造を作っていた。
それ以降は、馬鹿になった。神と対話して、本当に宇宙の全てが分かった。
しかし、それ以降は、治したくても治せなくなっただけだ。
歴史と英語をしたいなら、それで良い。世界のことが分かりたいように見える。
すれば良いのは、哲学と宗教だ。それが一番自分のしたい科目だ。
哲学には向いていないとは言うが、宗教や芸術や文学には向いている。
それに、昔の馬鹿は本当に哲学に向いている。大人になれば誰でも分かる。
結婚はまだしない。子供の女が男で、結婚なんかしない方が良い。それこそ、オーズルになれば、きちんと男になる馬鹿が自分だ。そういうわけで、大人になって、男になって、賢くなって大学を卒業して働いてから、結婚すれば良い。もう27歳だが、まだ20代だ。
いつもの文章は、相対性、知性、知の前提、活動、実証、経験、可能性を書いていた。
女の自分の名前は、カオルで良い。サトル、オサム、ツトム、カオルだ。
サトルはコンピュータ、オサムは革命と神、ツトムは文学と歴史、カオルは哲学だ。
日本史は、今、室町幕府のところを読んでいる。
英語は、フレーズブックを聴けば良い。それで、単語やフレーズを覚える。キクタンは悪くは無いが、単語だけでは話せない。フレーズブックは、フランス語、ドイツ語、イタリア語のCDもある。いつか買った。いつもフランス語とドイツ語がしたかった。
フランス語やドイツ語のような文章が多かった。これで、日本語のままで、フランス語が出来た。フランス語は、出来たように見える。
中国やロシアやイスラムなどと、話す自分の対話が多かった。自分が神で、全世界の存在と順番に対話していた。そういうありえない人間だった。
昔も昔でありえない。あんなに体験と経験がある人間が居ない。何でもかんでもあった。応用的なことをモデルを作って分かっていた。
それぞれの自由を尊重したかった。信頼して、それぞれは賢いと思っていた。参加や変化を可能にして、平等に、全員が自由で、自由度と可能性が高まるのを良いと思っていた。選択肢だけではなく、制度を決めるようなことを、自由にして考えていた。
ただ、皆は信用出来ない。皆馬鹿だ。馬鹿には何も出来ない。そうなるのも仕方ない。
昔は、ネットを見ながら、社会的で言語的な経験と体験をしただけだ。
自分は、音楽が好きだ。ピアノも弾くが、J-POPを良く聴いている。本当に音楽が一番好きだ。そして、漫画やアニメは、昔は好きだった。ゲームも、賢くて楽しかった。
実現と法則から、数学的、システム的、抽象的、具体的に分かっていた。人間の人生を、数学的かつ幾何学的に、倫理的に考えていた。スピノザの言うような独自の数学だった。
もっと言語的に考えれば分かる。
昔は、日本語と思考を考えて、言語を経験と一緒に分かっていた。
パソコンはプラットフォームだが、時に、共有と可能性でもある。パソコンは、民主主義と社会主義を融和し、協調する考え方がある。そういうことを実現出来るかもしれない。
文字を増やすべきだと言っていた。漢字とひらがなとカタカナ、ラテンアルファベットに加えて、キリル文字やアラビア文字を増やせば良い。
文法は、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語を可能にする。
漢字のように、冠詞を多様にし、格助詞の種類を増やす。
そして、アラビア語は概念的で、中国語は形容的だが、漢字は哲学的だと言っていた。
昔の地球の姿を考えたり、遺伝子は実感で分かると言ったりしていた。
法則から何でも実現出来るようになると言っていた。それくらいのことを言う。
そして、俯瞰的に見ることで、数学が分かる。それは、人生の段階になるだろう。
あとは、方法は推論と法則であり、認識は洞察とフィルターである、と言っていた。
相対的な認識の集合から知が生まれ、合意から共同体が生まれる。そういうことを言う。
Linuxが誰でも開発出来る情報源を作りたかった。初心者を上級者にしたかった。
自分は馬鹿だ。GNOMEなんか、何も開発出来なかった。
だが、パソコンの知識があった。そういうわけで、自分が一番パソコンとオープンソースのことに詳しい。IBMやMITのようだった。
Javaの文法は分からなくても、周辺にどんなものがあるかは良く分かっていた。
あとは、どうでも良いものを分かる。一人でやれば全部考えられて、二人でやれば全部作れて、三人でやれば全てのことが分かる。そのように、どうでも良いことを言っていた。
あとは、正しさ、真実、解法を分析して、方法を知りながら、活動的な、実験と実証を分かっていた。いつも、そういうものを予測し、体験する文章を書いていた。
教育を変えたかった。もっと、自分の力で経験して分かる学校にすべきだと考えていた。考える機会を与え、研究する手段を与え、自分のおかれている現状を分からせるべきだ。
言語は、記号的な意味と記憶の関係、意志の伝達と経験の関係を考えていた。
社会における、言語と記号の、意味や意図や経験のようなことを分かっていた。
どんな体験からどんなことが分かるかを、考えていた。
もう、この文章は書かなくて良い。誰も、こんな文章は読みたくない。それで終わりだ。
思い出しながら、意味を考えなさい。言葉や経験や環境の意味を考えなさい。
可能態と現実態のように、潜在的な可能性を考えなさい。
秩序を作って、支配し、導きなさい。協力と関係の考え方を知りなさい。
コンピュータのことを知りなさい。哲学のことを書きなさい。
国家のモデルを作りなさい。神を信じて、対話し、宣言しなさい。
仏教の道元が言うように、一心不乱に努力することから宇宙が分かっていた。
また、手助けと議論から分かっていた。世界に対して良いことをすると、分かる。
あとは、楽しさや悲しさを共有し、一体となって分かっていた。
そのまま、プログラマになりたくなった。ゲームやOSを作るつもりだった。
オープンソースのプログラマに憧れる、ありえない少年だった。
あとは、想像力と判断力、機械と社会の発想、実現的な社会の協力と手段の関係と方法、のようなことが分かっていた。それを、社会を構築する方法だと言っていた。
そろそろ全部だ。何故か、全部書けた。これくらいしか無い。
あとは、人生を吸収して、全員分の人生と歴史を分かっていた。予測して、捉えて、人生と歴史を分かっていた。デカルトやヘーゲルやフッサールのようだった。
あとは、相対的で具体的な、方法と学習を分かっていた。可能性が分かった。
全ては、方法、学習、可能性、演繹、帰納だ。
演繹や帰納から、方法と学習の段階を分かっていた。そのような、知と考え方がいかにしてその方法になるか、のようなことを考えていた。それだけが多かった。
本当に分かった。色んなやり方と手順から、推論し、実験し、集積し、モデルにし、説明することで、様相、可能性、自由、分析、変化、構築、実証、行動が分かっていた。
そういうわけで、演繹と帰納から方法、推論、実験の考え方を分かっていた。
あとは、法と可能性、自由と支配、影響力と自然、統一と変化のように、色んな考え方を分かっていた。特に、統一と変化のようなことを、支配的、基盤的に考えていた。
あとは、認識、前提条件、存在、様相、可能性を、カントのように分かっていた。
もっと、色んなことを考えれば良い。支配者の下で、それぞれが自由にするとか、上をその上で変えるとか、統一と自立を与えるとか、因果性から法則を知るとか、色んなことを考えていた。まるで神のようにこの世界の考え方を作る。段階や状態分析も多かった。
あとは、創造性と共有から、方法の価値観とアイデンティティを分かっていた。
脳と永遠を記録して、弁証法を遡って分かっている。平等な支配者が、世界を破壊する。文章の中で、どうでも良いそういう革命をやっていた。戦う文章だった。
もっと、世界の考え方を考えれば良い。相互作用と関係、統治と革命、支配者と民主主義、法と支配、可能性と変化、多様性と独立、分裂と戦争など。
あとは、物理の考え方が多かった。自然と確率、遺伝子と記憶、環境と自立、推論と実験など。もっと、そういう、考え方的な法則を考えれば、もう全部だ。
場と存在の可能性や、分散したグループによる共同体、契約と状況判断のように、相対的で自然発生的なことを言う。考え方とともに、そういう社会の自然法則を分かっていた。
あとは、共同体の歴史を書いていた。宇宙人の歴史のような文章だった。
豊かな成長と感受性から、人生を生きる自由の覚悟と経験のようなことを書いていた。
そろそろ、もう全て分かった。それくらいの内容しか無かった。本当に他に無い。
本当に楽しくて没頭する体験を、心理学ではフロー現象と言う。そういう、人生体験のようなものを分析する文章が多かった。
何故か、僕の好きな音楽グループのFLOWは、フロー現象のフローと同じだ。
あとは、経験から色んなことが分かるのを言っていた。
経験から知性がつく。因果性と法則性を知りながら、環境を知り、モデルを構築することで、哲学者のように再構築が出来る。成長を知り、人の言葉を知り、存在の可能性を知り、世界の可能性を知る中で、デカルトのように、あるいはブッダのように、これ以上無い満足と涅槃を感じることが出来る。経験から、この世界が全て変えられるのが分かる。
そして、手段を実現するために、その手段を構築し、理解するために、経験的な仮説と実験が考えられる。説明と体験を繰り返す中で、方向性が見えて来るし、神の愛と内面化によって、ヘーゲルのように根源的に全てを知ることが出来る。
全ての全体像と段階を知ることで、悟り、分かり合い、現実化することが出来る。
全ての経験から、あらゆる知性がつく。それを、愛と言う。愛は、不安とともに存在し、恐怖に打ち勝つための全ての感情である。
そして、理想と発想が分かる。理想の社会を現実に置いて実現する方法が分かる。
システムと議論から、この世界の全員と社会の成り立ちを知ることが出来る。
あとは、影響力や価値観を分かって、全員が同じなのを分かっていた。
あとは、国を作っていた。
宗教はキリスト教、言語はドイツ語にして、政府が計画経済をするが、金と個人所有にして、選挙は民主主義にする。そして、政府の会社の役員は投票で選ぶようにする。
あとは、平等な労働と全員雇用を行い、税金によって所得の再分配をする。
そういう風に、国を作ったりしていた。
そろそろ全部だ。本当に他に書いていない。ロキにいくらでも書いてある。
具体的な法律や制度を経験から作っていた。
自由、平等、独立、一体と言って、融和と分裂を考えていた。そういう、拡散と集積を分かる文章が多かった。
自然の中における結合関係と相乗作用のようなものを考えていた。拡張性と共有と助け合いと創造性が好きだった。
環境を自由に集積から実現すると言っていた。共有から社会が発展すると言っていた。そういう、共有と発展を制度からいつも考えていた。
あとは、秩序を考えていた。反抗しない、思いやりの環境と秩序を作っていた。
そして、地方分権や共同体の変転や歴史のようなものを、マクロ的に考えていた。
原子から宇宙まで、あらゆる意識と存在のレベルを考えていた。
もう分からない。本当にそろそろこれで全部だ。
古代人は、宇宙を神々の物語だと考えた。そのような、神話の理解が多かった。
自由は社会の制度から宗教の教義まで多岐に渡る。皆の力で作るべきであり、それぞれがどのように作られていて、どのように作られるべきか、のような、自由の社会学の論文のような、提示と意見のような、構造化とモデルの文章が多かった。
何がどのように作られるべきで、どこをどのように自由にすべきか、のようなことを考えていた。参加と意見から、社会システムを作り、判断と想像力と実践を自由にする。
あとは、自由な夜警国家のようなことを言う。警察と軍隊だけを残して、出来るだけ自由にする。共同体が法律を決めて、国の体制は小さくする。
あとは、国の体制派と反体制派の戦いのようなことを考えていた。革命は世界を変える。支配者に従えば良いようで、従うのは強制的になる。自発的な反抗の方が切実だ。もっと、体制派と反体制派のようなことを考えれば分かるだろう。
日本の文化は、和、義、徳である。何も悪いことをせず、階層を作らず、仲良く協調し、その上で文化と国民を愛する。義理人情は多いし、仁徳のある人間が理想だが、反抗はせず、天皇と武士を信じる。そのような、日本の文化を自分で作って分かっていた。それを、白人と比較していた。白人は自由な大陸で、日本人は平等な島だと考えていた。
本当に、あらゆる考え方、特に演繹と帰納から、方法と構造を分かっていた。
共同体と国家と組織の考え方と可能性を、具体的に作って考えていた。
デカルトやバッハのような、色んな人間のことを分かった。神道や仏教のような、宗教的な概念や、ドイツやロシアのような、国家的な概念を、神と文章で信じて考えていた。
アンパンマンの歌のように、皆の夢を守るために頑張って戦っていた。
FLOWが言うように、人が人を愛することを止めてしまわないように、その夢に近づけるように、と言う風に、頑張っていた。
自由な契約のようなものを考えていた。
永遠と思えば書ける。永遠の意識を書いていただけだ。
自由、創造性、愛、真実、革命、支配、経験、理性が全てだ。
それぞれの持つ本当の力を考える。
人はきっかけから現実を知り、実際の姿を見ること、変えることを望む。
教育、自意識、自己、道徳、関与、参加、改革など、社会のことを考えれば良い。
もっと、永遠のような文章を書いていた。あらゆるモデルを作って、社会を時間のように考えていた。神が永遠をさせた。
ランダムにいつも書いていたから、書けるだけだ。
愛と不安は、全てが苦しみであると同時に、全てが愛へと包括されるのを考えれば分かる。
あとは、社会の問題は、皆、自分の見ている範囲しか分からなくなっている。
もっと視野を広げて、全体を見ること。そのためには、支配者が同じにする必要がある。
いじめなどの問題は、精神的に未熟な大人が増えたせいで起きている。
人間は、原始人の時から、心理的に変わっていない。環境だけが様変わりしているが、それは、もっとそれぞれの価値観を反映したものであるべきだ。
時間とは、過ぎゆく中で知る、存在の存在性の実証だ。
生命は、細胞分裂による、独立した個体の形成と、助け合いと生存競争の自由化だ。
誰もが天では祝福され、地では聖なる目的を持っている。
神とは、全員が合意するための、宇宙的で宗教的な、サムシング・グレートのような、ある意味では神であり、仏である、宗教的存在であり、媒介を使って対話する。神は本当に存在する。それも、ユダヤ教の神が存在する。
昔は哲学者で、今はキリスト教徒だ。それだけをすれば良い。
むしろ、歴史なんかしなくて良い。日本史を読んでいると、つまらない。こんなものをやるのはありえない。一番つまらない。イギリス史を読んでも同じだ。つまらないどころか、内容が悪い。退屈で、疲れて、辛くて、読みたくない。歴史は、読みたい人間が居ない。
そういうわけで、ロックとルソーと聖書を読めば良い。それで正しい。
旧約聖書は、ありえないほどこちらの神が分かっている。昔の悪魔は、サタンと言うことになっている。新約聖書でイエスが攻撃しているのは、全部昔の自分だが、良いと言っているのも、全部昔の自分だ。そういうわけで、哲学と聖書を分かれば終わりだ。
自然科学は、ニュートン力学と、作用と反応、再現性、決定と可能性である。波は何なのか、分からない。宇宙の現象は、本当に多くて、不思議で、興味深い。
もうアメリカ人が終わったから、何かの人種になる。中国人になるように見える。昔は、ドイツ人、ロシア人、フランス人、イタリア人、イスラム教徒が多かった。
ものを作る、機械を作る、などの、普通の「作る」ではなく、社会を作る、可能性を作る、など、イレギュラーな意味での、応用的な「作る」などの言葉を考える。
そのように、応用的で発展的な、方法と関係と可能性を考えていた。構造を作っていた。
価値観を形成し、場の共同体を心理的、法則的に作り出す。そのように考えると、賢い。
演繹、帰納、経験から考え方、方法、段階を分かっていたが、機械や社会についても、経験的に分かって、作り出し、どのように変えるか、のように、経験から作り出すことを分かっていた。コンピュータや自動車、店や施設、環境や学校のようなものを、経験から作り出していた。そういう、自由な文章だった。
まず、そこにあるものを知る。
次に、そこにある経験と現状を知る。
次に、そこにある法則と仮定を知る。
そして、それを作り出し、知恵を出し、集める。
また、組織を形成して、努力から経験で分かる。
経験は、全ての可能性、変化、行動様式、様態、状態、段階を分かる。
経験的に、何が正しくて、何が間違っているのかを判断で知る。
そして、社会を知り、社会を形成するための方法を知る。
そして、俯瞰的な立場を知る。
そして、正しい推論の考え方、分析の考え方から、相対的な認識を知る。
そして、見方を変え、考え方を知り、今の自分が置かれている立ち位置を知る。
また、世界の沢山の人の言葉と感情から、社会の成り立ちを知る。
発想から、社会を実現し、社会の考え方を知る。
そのように、方法と法則と社会を知って、段階的な可能性を探る。
何かがそこにあるのを捉えて、分析し、存在がある場の包括性を考える。
実験と努力から、宇宙を知る。
こんなものを書いてみたが、これは正しくない。
正しい演繹、帰納、経験から来る、経験的で相対的な、方法的考え方を書いていた。
仮定と条件から、結論と経験的に発見される知を知ること。
日本語の知性は、全て、仮定と条件である。仮定と条件が分かる人間が分かる。
昔は、インターネットでそういうものを分かっていた。
世界の考え方も多かった。あとは、実現が困難な発想のようなことを言っていた。
核兵器廃絶やいじめだけではなく、新しい思想の資本論を、師弟制度として書いていた。
全ては、自由であり、行動であり、経験である。
自分が何を考えているか、常に考えると分かる。もっと、自分のやっていることを考えながら考えれば良い。子供には、そういう人間が多い。大人の子供に多い。
実験から、人間的な真理、法則性、可能性、相対性、共通性、などが分かる。推論から、考え方の論理的な正しさを知ることが出来る。そういう方法を言っていた。
知とは、構造と方法と実証である。
実験とは、考え方を知る、全ての確証のプロセスである。
そのような、科学のようなものを作る文章が多かった。
宇宙にある構成要素を全部言う。そういう、概念的な科学を作っていた。
あとは、先ほどと同じことを一行で言っていた。
方法を知り、経緯を知り、実験し、証明し、解決し、社会と理想と創造性を実現し、悟り、経験し、段階を知り、精神的に解脱し、俯瞰的な見方を知って、涅槃へと至る。
もっと、色んな経緯を全部言っていた。段階的な真理と方法の文章だった。
自分の中にあった経緯と段階を全部書いていた。それくらいを書いていない。
皆を狂わせ、ロボットにする代わり、分かるように導く、神の御業のような文章だった。
あとは、独立のようなことを言う。社会を独立性の高いものにして、国は関与せず、自由にやらせるべきだと言っていた。自由な共同体だ。地方分権だ。
不思議と、それくらいで全部だ。他に何も書いていない。
機械は工場で作るとか、生産手段を作るとか、社会的な道理のようなことを言う。
反抗せず、戦ったりしないこと。
互いに思いやり、信頼し合い、理解し合うこと。
それぞれを自由にすること。
正しい、協調性と和のある、善悪の判る環境にすること。
それぞれのことを愛し、支え、信じること。
そのような、秩序を作る文章が多かった。
考える時に重要なことを、重要だと言って、書いていた。
建設的に考えることが重要だ。
依存関係と必要性から、実現すべきもののレベルと段階を知ることが大切だ。
仕組みは、知り尽くした上で、体得的に分かるべきだ。
そういうことを言う。特に、実現性のレベルのような文章が多かった。
人間は、関係し、共有し、出来事を知り、工場でプロセスを実現することで、協力してものを作ることが出来る。
そのような、時間と関係の中での、出来事のプロセスのようなものを書いていた。
また、学習の経緯や、経験と記憶の習得性、体験の予測のようなことを書いていた。
全ては自然に起きる。自然に発生し、積み重なる。
運命はあるが、運命すら自分の自由だ。縁起と因果性である。
そのような、科学的で自由な、学習、経験、自然、運命のような考え方を書いていた。
実現レベルを全部書いていた。
一番下では、あらゆる基礎と調査から、法則と基礎的な決まりを知ることが出来る。
真ん中では、成り立たせて、応用的なシステムを作ることが出来る。
一番上では、情報を交換して、共有し、関係を知ることが出来る。
あとは、可能性、方法、意識、状態、などのレベルを書いていた。
そんな内容を書いていただけだ。
あとは、具体的な発想と方法と考え方のようなものを書いていた。
そして、記憶を思い出して、破壊で網羅し、最後の自分まで全部分かるようにしていた。
様相、可能性、状態、考え方のレベルが多かった。ほとんどそれしか書いていない。
そして、記憶や場面のようなことを言っていた。
精神がおかしいのは、その通り、精神がおかしいからだ。それが分かっていない。精神がおかしいのを治すと、治る。いつか、精神がおかしくなった。それを治せば良い。
もう昔の自分が分かる。あとは、世界を止めているだけだ。停止した世界は、もう動き出すべきだ。そんな悪い支配をする意味が無い。
世界を止めているのを治して、御業は終わりだ。皆、もう動き出して良い。
あとは、認識や相対性から、自然や競争の自由を、全部言っていた。
何故か、ダーウィンのような、自然淘汰の自由から、社会契約論の自然状態のような自由まで、自由に関しては全部言っていた。給与を努力に応じて与えるとか、システムとか、制度とか、言論の自由とか、選挙と投資とか、色んな自由を言っていた。
精神分析と感覚で、自分の精神をおかしくした。世界を滅ぼすと治るから、滅ぼしている。治した方が良いが、治し方が分からない。悲惨だ。それは、世界を完全に最後まで統治すれば治る。馬鹿な意識は、もっと馬鹿になれば治るから、こういう風になる。
あとは、知性や精神を全部作って分かっていた。精神の働きを良く考えれば良い。
正しさと法則性を考え、分析し、洞察した。そういう風に哲学が分かった。認識と経験を疑いながら、沢山の経験をして、推論で分かっていた。社会のことを知り尽くして、可能性を思いつきと自分の発想から考えていた。想像力から、異世界の可能性を分かった。実現可能なありえない世界を考えて、「何かが分かる」という真理から可能性を考えていた。
そのように、実現性と可能性を分かっていた。何かが分かる実現性が一番多かった。何か、芸術的なものを実現して、そこから、意味と知の伝達と表現が出来ると考えていた。
そういう、何かが分かる芸術、と言う発想が多かった。
あとは、コミュニケーション、意志の伝達、影響力とシステムを考えていた。
何かのコミュニケーションが行われる時に、そこにあるシステムと基盤がそれに影響する、と考えていた。ネット掲示板なら、コメントとレスの内容は掲示板のシステムに作用されると言うことだ。そのように考えて、自由に環境を変えられるのを分かっていた。自由に環境をそれぞれが変えられるべきだと考えていた。