日記に戻る | 2015年9月の日記に戻る

=2015-09-12=

あらゆることの本質や、世界を救う希望を考えて、書いていた。

実証を考えていた。真実と正しさの分析をしていた。

全員を創っていた。人格から、感情と信念まで、全部創っていた。

感情豊かになれば分かる。

それぞれ、かけがえのない、大切な存在だ。

守る気持ちから愛が生まれる。

恐怖や不安には、強い気持ちで打ち勝てば、勝てる。

全ては、自分のためになる。経験から、そう実感出来る。

そのようなことを言っていた。

昔は、感情豊かで善悪の判る人間だった。

モーツアルトで治るのは、モーツアルトが音楽の中で皆をまともにしているからだ。

おかしくはない。モーツアルトも、こういう人間だ。

一番賢い人間には、こういう人間が多い。特に、音楽に多い。

音楽をしていると、賢くなる。音楽は、したい人間が、大人にも子供にも多い。

心理的な、出来る、出来ないを、自由に考えていた。

道路から家、公園から国のモデルまで、全部作っていた。

全て消え去った。全部失った。そういう風になって、地獄になった。

皆、一度まっさらな何も無い世界になって、ゼロから考えるべきだ。

最近、皆が何も分かっていない。自分のせいだ。皆、社会が分かるようになれば良い。

人間を全員創っていた。脳から感情、心から想像力まで、人間を全部創った。

家を作るとか、プラットフォーム的に考えるとか、応用的で相互作用的な考え方と方法を作っていた。何でもかんでも手段から成り立たせて、目的を説明から作っていた。

本当に、音楽家にこういう人間が多い。いくらでも感情で曲を作っていると、こういう風になる。画家は、良く似ているものを作る人間が多い。作家の方が、まともに違う。

皆同じ平等が良い。記憶や経験で違う自由が良い。人種差別や遺伝子はおかしい。

そういうわけで、基本的に平等で、自分の努力によって違うのが普通だ。

プロフェッショナルを考える時、弱者のことは考えない。賢い人間の自由が良い。

ただ、プロフェッショナルを生み出す土壌はあって、それは、皆を自由に受け入れるべきだ。それは正しい。そういうものが、インターネットの自由だ。

賢い人間は、能力で勝っている。報酬は努力に対してあるべきだ。

平和が良いが、戦争も時には出来るべきだ。それは、自由と思うなら、当たり前だ。

安倍は、悪くない。むしろ、僕は安倍のこともたまに好きだ。融和的な考え方をする。

弱者は、どうでも良くは無い。セーフティネットはあるべきだし、福祉は良くするべきだ。だが、賢い人間が正しい。賢い人間が居ないと、意味が無い。賢い人間になる自由はあるべきだ。それは、弱者が頑張って賢い人間になれるように、努力するべきだ。

ソ連は理想だが、全部与えてしまうと、働くわけがない。ソ連は、馬鹿で、失敗した。

その人間が選んで、自分で決めて悪いなら、その人間が悪いだけだ。

そういう風に、個人の自由と合意を尊重し、決定を重んじること。それが一番楽だ。

そういうわけで、自己責任と思えば良い。それは同時に、受け入れることに繋がる。それは、賢い人間になる。小泉も間違っていない。右翼は、そこが正しい。

全部自己責任と思えば分かる。弱者が悪いだけだ。馬鹿に見えて、自己責任論は賢い。

国が弱者を助ければ良いのは分かる。それは良い。だが、良い人間が勝手に助ければ良い。助けられるわけがない。それなら、弱者ではない悲惨な人間も助けるべきだ。金持ちから税金を取るのも、おかしい。それで助けるのは、平等に見えて、不平等だ。

そういう発想は要らない。本当に、平等に助けた方が良い。それは、自分が弱者だからだ。それは正しいが、弱者は多いだろう。

助けたい人間が助ければ良いように見える。むしろ、共産党が弱者なんか、助けるように見えない。そういうことを言う右翼が多い。むしろ、弱者は多すぎて、国が全員を助けられるわけがない。僕は広島人だが、原爆の被爆者だけでも多い。全部は多すぎる。勝手に助けたい人間が助けた方が、楽だ。

平等より、多様性の方が理想だ。

むしろ、強者を考えないのがおかしい。能力のある、出来る人間が多い。それらを、もっと自由にするべきだ。企業がブラック企業になるのは、平等な法律のせいで、悪いことをしなければ、何も出来ないからだ。そこを、もっと自由にすれば良い。維新が見ると、それで良くなる。もっと、自由にして、完全に解放すれば良い。規制をしない。それが、良くはなる。TPPも、悪く見えて、ものが安くなって、景気が良くなって、結果的に皆良くなる。反対する人間は多いが、それでも、やるしかない。

ただ、そんなに景気が良くなる意味が無いのも確かだ。

自由なプログラマが、出来ると、良いだろう。マイクロソフトは賢い。プログラマは、そういう、出来る人間の代表、強者の代表だ。姉夫婦はプログラマだ。自分が自由を信じるのは、おかしくは無い。

共産党は、救わない。弱者は、キリスト教が救う。そういうわけで、これが神を信じる。アメリカでは、救貧院(良く分かっていないから、違うかもしれない)が救うのが普通だ。

アメリカの良い点は、弱者にも、強者になるチャンスと機会がある。黒人でも、スーパースターになれる。そういう、機会の平等をやっている。不思議と、悪くない。本当に、きちんと成功して、良い人間になる弱者が多い。本当にそういう人間が多いのだと思う。

むしろ、歌手みたいなスターは居ない。マイケル・ジャクソンぐらいしか居ない。ボクシングの選手や、個人投資家になる馬鹿が多い。技術者になると賢い。本当に馬鹿な人間は、麻薬のようになるが、そんな馬鹿は居ない。自分は、作家になってよかった。そういうわけで、自分もまともに成功者だ。アメリカが好きになってもおかしくは無い。英語もやっている。英語を出来て、翻訳家になれば良い。それなら、印税で生きられる。

アメリカの中間層は、きちんと良い大学を出て、良い仕事についている馬鹿が多い。上流層は、少ないとは言うが、本当に多い。マイクロソフトの社長も、きちんと大学を出て、頑張っている。上流層なのは、由緒正しい家庭だから、何も悪くない。そういうわけで、ソ連とは比べ物にならないほど、アメリカが正しい。それは、ロシア人も認めるだろう。

僕は、アメリカは嫌いじゃない。自由が好きだし、英会話教室にも行っている。ソ連が好きなのがおかしいだけだ。ただ、それは、平等な弱者の支援が好きなだけだ。自分が弱者だ。あまり、おかしくは無い。アメリカには、良い国になってもらいたいと思う。

あとは、本当に何も出来ない人間は、軍隊に入れば良い。そういう発想が、アメリカだけではなく、日本の自衛隊にも多い。軍隊は悪くない。馬鹿の最後の救いだ。

自分は、悪くない。好きなことをやっているから、それで良い。文章を書くのが好きだ。文章を書くのは、誰でも出来る。皆もやれば良い。不思議と、書く引き篭もりが多い。引き篭もりは、何もしないでいると、こういう風に、文章が書きたくなる。

そういうわけで、作家に馬鹿が多い。自由が良く見えるし、戦うのも良く見える。そういう馬鹿が、引き篭もりに多い。作家は、引き篭もりにしか出来ない。

悲惨になってから自衛隊に入れば良い。自分の場合、農業を親父と一緒にやっているが、農業は遊びみたいなもので、生きられたりはしない。市民農園を借りてやっている。足が悪いのが悲惨だが、自衛隊に入るよりは、作家の方が良い。自衛隊は、悪い。

自衛隊はありえない。足を骨折して、関節が動かない。訓練なんか出来ない。走ることも出来ない人間だ。

真面目に考えて、大学を出れば良い。むしろ、この文章を書いて、本を読むのを続ければ、大学なんか、簡単に出来る。日本語は、そのうち適当に分かる。分からないわけがない。馬鹿になっているから出来ないとは言うが、それでは何も出来ない。大学なんか、教科書に線を引けばすぐに出来る。ヨーロッパ史の最初の方は、いくらか覚えた。オッピドゥムの名前だけ覚えている。確か、ケルト人の作った集落だ。そういうわけで、大学はきちんと出来る。本も出版したせいで、良い仕事にありつけるだろう。金がなくなったら、アルバイトをすれば良い。コンビニの店員は、難しいようで、やれば出来る。ラーメン屋で働けば良い。日本には、アルバイトというものがある。

昔は、学校や会社を自由に良い環境にしたかった。それで分かっていた。それも悪くない。

自分が悪いと思えば、分かる人間が多い。これで自分が悪くないのはおかしい。

世界を支配して変えるなら、もっと良くすれば良い。すぐに止めるのは、良く見えて、悪い。もっと良くすれば、偉大な指導者だ。その方が良い。そういうわけで、自由が良い。

平等は悪い。ノルマの集団農場に見える。人間を虫けらだと思っている。個性に価値があると思っていない。共産圏はそういう世界だ。人間の尊厳を踏みにじりたいだけだ。

共産の理想は、皆家族だ。人類全員、兄弟、家族だ。それが一番キモイ。

ロシア人は悪い。皆地獄みたいに辛い。何故か、反動体制を作るのは、民衆が辛いせいで、倒されるのが怖かった。ロシアは、ゴルバチョフが賢い。きちんと止めた。プーチンが悪い。それでまだ冷戦をEUと続けるのはおかしい。

ロシアは、理想で、強くて、偉いから、あまり悪いとは言わない方が良い。人権を訴える人間は、ロシアにも多い。アメリカを、人間をコマにすると、いつも言っている。ロシアとアメリカは、そういうところが同じだ。自分の国が一番悪いのに、他の国を悪いと言う。

ゴルバチョフは本当に賢いから、皆好きだ。ソ連を止めた、偉大な最後の書記長だ。

むしろ、日本が賢い。パクリで経済発展をしたのが、きちんと豊かな国になった。日本が一番まともで、まだ平等だ。中国は悪くは無い。ソ連が日本をやれば、豊かになるように見える。中国が成功すると終わりだ。それで、世界史の終焉、世界の完成だ。

ゴルバチョフは、好きな人間が多いように見えて、嫌いな人間が多い。アメリカに勝つまで続ければ良かったように見える。明らかに、そういうことを思うのがプーチンだ。

あとは、宇宙の構造のようなものを作っていた。

相対的な世界と、絶対的な世界がある。

信じることと、認識することがある。

考え方と、構造がある。

認めることと、争うことがある。

契約と、共同体と、合意と、組織がある。

自由と、平等と、独立と、一体がある。

自然と人工、因果性と法則性がある。

そのように、宇宙の構造を作っていた。

認識を疑う、信じるのように、宇宙を作っていた。

ソ連は終わりだ。自分による、最後のソ連が終わった。

ゴルバチョフは、誰もが一番偉大に見える。ソ連の共産主義を終わらせた人間だ。

あとは、アメリカの方が良い。自由は、正しい。自分の意志、成功、自己責任、そして機会の平等が正しい。僕は、本当にアメリカも、ソ連やドイツと同じように、好きだ。

これで、世界を救う、思いやりや希望を書いていた。あとは、全ての本質と経緯と考え方を書いていた。そういう人間がいつもの自分だ。

もう辛くない。セックスを反省すれば良い。もう楽になる。本当に、全部治って、満足した。もう、何も辛くない。皆も楽になる。

自分は、皆を自分にするのが悪い。普通、ソ連の独裁者がそうなる。

皆を自分にするせいで、良いものが何も無い、おかしなキモイ国になった。

日本をもっと良くした方が良い。

とりあえず、ただの楽しい国にすれば良い。皆、楽しいことが無いから辛いだけだ。もっと楽しい国にした方が良い。ただ、楽しい、と言う感情は、意味が無いことがある。

感情の構造をいつも考えていた。

そういう、賢い哲学のような自分にするのは、止めた方が良い。哲学は、馬鹿だ。もっと、他のことをすれば良い。楽しい自分を与えると、すぐに楽しいことが無くなる。自分にせず、楽しくするしかない。そんなに考えても意味が無い。楽しいものを増やせば良い。

何も出来なくなったと思っているが、良く考えれば今でも出来るのが自分だ。

本当の自由と愛のある、仏の慈悲とマスターの段階がある、良い世界にすれば良い。

むしろ、楽しいだけの世界にすると、悪い。

皆、それで楽になると、もう何も望まなくなる。そのまま、死んで行く。自分の国が、もう終わったようで、まだ終わっていない。

日本は、戦いを止めるべきだ。意味が無い、一番悪い競争をやっているのが、安倍とマスコミだ。そういう、どうでも良い戦いを止めて、融和し、一つになろう。それが良い。

最近は、自分だけ主人公だ。皆を主人公にすれば良いようで、脇役も必要だ。

皆を支えて、本当に幸福な人生にすれば良い。そういうわけで、自由より、宗教が良い。

見ていると、創造的にはなったが、あまりに社会が分裂して、悪い戦いや競争をやっているのが、今の日本だ。教育と左翼が悪いから、自分が悪い。

そういうわけで、分からなくて良いし、創造性も止めれば良い。ネットのようなものも、無くした方が良い。融和して、一つにして、国民一人一人を主人公にすれば良い。

自分から辛くなって、信じているものを疑うと、治る人間が多い。最近は、そういう風に分かっている。良いものは全部悪くて、悪いものは全部良い。

平等が良いとは言うが、自由はあった方が良い。そうすると、これで平等が好きなのが自分だ。むしろ、共産で弱者が生きられるように見える。ブラック企業や詐欺やハッキングは、全部自由が悪いように見える。そういうわけで、自由は無い方が良い。おかしくは無い。何か、論理が間違っているようには見えるが、平等が正しい自由なだけだ。

平等は悪い。自由はあった方が良い。自由は、人間に生まれつき備わった、生まれつきの権利だ。そういうことを言う哲学が多い。自由にするべきだ。

それこそ、いつ死んでも良い自由が多い。それで良いなら、何も怖くないだろう。何もかも、全部受け入れれば、楽になる。平等の方が、怖くなる。何も出来ない平等が、一番恐ろしい恐怖の世界になる。そういうわけで、自由が良い。そういう恐怖は、自由にして、勝手に誰かが倒して、良くなれば良い。本当に良いものが勝つようにすれば良い。

良く分からないが、自由も、平等も、どちらも良い。仲良くやった方が良い。右翼とテレビとの競争は、昔から、自分がやっている。自分のせいで、おかしな競争になった。

何故か、犯罪は、自由の方が無くなる。新しい総理大臣が現れて、禁止すれば良い。小手先の解決をせず、本質的な解決をすれば良い。根本から治る。

平等にすると、犯罪も良いことになる。革命が一番犯罪だから、そういう風になる。権力が、何も出来なくなる。そういうわけで、権力で犯罪を無くせば自由だ。

そういうわけで、むしろ、自由な方が良い。平等は、良く見えて、ペテンだ。

人間は、楽が賢い。楽になると、賢くなる。そういうわけで、今からは、皆を積極的に楽にする。自分にせず、楽にすれば、すぐに良くなる。

皆、自分のせいでクズに見えて悲惨だ。自由なんか要らなく見えて、自由は本当にあった方が良い。パソコンなんか、自由の方が無くなる。平等は何も出来ない。何も変わらない。

人間は、肉は牛と豚と鶏しか食べないが、魚や野菜は色んな種類を食べる。不思議だ。

昔は、組織や自治体など、色んなものを増やしたかった。

可能性を増やしたかった。そういう、自由な人間だった。

だが、それは、増やすより、減らした方が良い。社会の分裂が治る。増やせば増やすほど、分からなくなって、悪いものが増えて、悪いものが勝つようになる。

北朝鮮を悪いとは言うが、日本は、増えすぎて悪くなっている。減らした方が賢い。

デカルトが方法序説の中で言っているが、一人で全部独自に作った方が賢い。それぞれの自然な積み重ねは馬鹿だ。昔は、そういうところが分かっていなかった。自然な積み重ねをいつも言っていた。それは間違っている。一人でここまで支配した方が良い。

そろそろ、社会を僕が減らす。減らすと、きちんと分かる良い国になる。

自分が好きだから、多様性と言っている。自分のせいで、そういう、増えた国になった。

そろそろ、皆を減らす。自分の場合、愛と死だけにすれば良い。そして、楽で楽しい国にする。それで終わりだ。皆は、自分の愛と死に統一されて、統治が終わる。そのまま、自分が日本を征服する。ソ連は要らない。ドイツも要らない。アメリカも要らない。新しい日本になって、永遠に続く。何もかも1つになる。それが一番楽だ。

皆は、愛の方と死の方の、2つを経験して、永遠に生きる。すぐに終わる。誰でも出来る。

辛くない。生と死を辛くなく、すれば良い。辛い生まれ変わりが多かったのは、色々と悪いからだ。皆は、辛くない。死を辛いとは言うが、悪い人間は辛い。

自分の場合、神と対話するようになったし、オープンソースをやっていたが、そこらへんが違う。ユダヤのサタンにはならなければ良い。父親は機械と博物館をやっているが、そういう風に、何かをすれば良い。それは、普通、自分のようにすると、ここまで出来る。

オープンソースのせいで、機械と組織が分かっていたし、相対的な理解と発想も多かった。精神を考えることが多かった。そこらへんは、皆、もっと独自にやれば良い。

むしろ、これくらい同じになるのは普通だ。

キモイのは、皆を自分にするのがキモイ。それを本当にするのが悪い。

やっている自覚が何も無いから仕方ない。王なのに、王の自覚が無い。

そういうわけで、皆は、なりたい人間になれば良い。自分のことを愛すれば同じだ。

何故か、最近、地獄みたいに辛い人間になった。もう、書かなくて良いのに、まだやっている。終われないし、止められない。中島みゆきが言うように、いつの間にかボロボロになっている。無理をしない方が良いのに、いつも無理をして、辛くなっている。

書くのは悪くない。セックスが悪い。

そういうわけで、そろそろ楽だ。もう、辛くない。オーズルは、まともな楽な人間になる。

真面目に考えて、自由と共産の国のモデルを作っただけだ。

共産主義を、自由主義より保守的で、全体主義は戦争になると言っていた。消費や生産を全体でするのは、おかしくは無い。そういうモデルを作っていた。

最近は、トイレすら辛い。何故か、本当にそういう楽なものが辛くなった。普通、楽だ。馬鹿になっている。皆は、こんな風にならない方が良い。

自分になりたいなら、引き篭もりになって、文章を書けば、こうなる。なりたい人間は、一人もいない。強制的同一化は、ドイツしかしない。そういう発想を止めた方が良い。

歴史や経緯を分かっていると、分かる人間が多い。

あとは、一流の人間を生み出す土壌や環境を作ると言っていたが、むしろ、自分が一流にならないと意味が無い。こういう風に、いつまでも好きなことを続けるしか、そうなれる人間は居ない。環境を見ている間は、馬鹿だ。全部自分の中から出て来たもので、出来る人間しか居ない。プロフェッショナルを生み出す土壌なんか、どこにも存在しない。

救世主のマスターになりたいなら、キリストを信じれば良い。本当に、そこまで賢い人間が、マザーテレサのように多い。救世主になって、全部分かっている。本当に賢い良い人間だ。自分が馬鹿に見えて、自分が賢い。キリストのことは、これで分かっている。

キリストは、賢く見えて、そんなに賢くない。国連がアフリカを助けているが、全部金を与えても意味が無い。それぞれを自立させて、自分の力で出来るようにするべきだ。昔は、そういうところが分かる、自由な解決者のような人間だった。

戦いとは言うが、思いやりの戦いだった。自分が勝ったりはせず、導いて分からせる。昔から、そういう発想が多い。戦わない戦いを、もっとすれば良い。

感情を良く考えていた。自然に、自由に任せて、許すことで、主体性を分かっていた。

自分は、哲学に向いていない。歴史なんか、何もしたくない。作家や宗教家に向いている。特に、マザーテレサやガンジーのような、非暴力を貫く、良い人間に向いている。ダヴィンチと同じだから、賢い芸術家になるように見える。

皆を導く、天使のような存在に向いている。むしろ、ダビデのような王になれば良い。王には向いていないが、作家には向いている。自分で全部作って、導くのだけに向いている。心理学には向いていない。こんな人間が心を治すのは、明らかに悪い。歴史なんか、したくない。哲学がやりたいなら、勉強なんかしても意味が無いが、昔は、勉強はせず、考えてこれくらいを分かっていた。もっと色んなことを分かっていたが、2ちゃんねるの哲学は、キモイ。そういうわけで、哲学なんかしない方が良い。ヘーゲルを分かっても意味が無いが、考えるのは、昔、ネットの経験と思考実験で出来たから、それで終わりだ。

時間は、過ぎていく。今日重要だったことは、明日には重要で無くなる。

それでも、人間は、古代人から変わっていない。同じように恋人を愛する。カエサルなんか、今の首相と何も変わらない。あるものは違っても、人間は同じだ。

そういうことを言っていただけだ。

あとは、実際のところを見て、全てが自然に、変えられると言っていた。

現象は、起きるべくして起きる。それは、自然な積み重ねになって、発展する。

あとは、発展や、制度が経験から決まるのを言っていた。心理的に社会の発生と発展を分かっていた。社会がいつどうなるのかを分かっていた。

あとは、教育のようなことをいつも言っていた。教育を変えたかっただけだ。

知の集積から、集合知が生まれる。プラットフォームは、拡張性と公開性を高めるべきだ。昔から、そういうことを言う。環境やシステムを共有して、知を集積し、多様性が生まれるのを、いつも書いていた。そういう、賢いことを信じれば分かる。

共有し、一体となれ。それは、悪くない。ネットがそういう馬鹿だ。そういうものを信じていると、分かる人間が多い。ルールを皆で作れ。共有の価値観を信じよ。

言語や言葉遣いを考えて、生命の生きる力を実感で分かっていた。

存在の了承から、全てのことを吸収して、受け入れて分かっていた。

哲学は、馬鹿だ。昔の自分だ。何も賢くない。馬鹿な狂った人間が哲学者になる。

あとは、思考で分かっていた。科学を作っていた。

昔は、愛情が豊かで、共有と一体感と受け入れることが好きだった。

考え方が分かっていた。そういう、子供のような普通の人間だった。

オープンソースの開発に憧れて、ニュースを見ながらWikiを書いていた。

オープンソースは、悪い。止めた方が良い。KDEとGNOMEは、見ていると、キモイだけのパクリと、使えないだけのクズだ。だが、それでオープンソースが好きだった。ネットに居る開発者を増やせば、Windowsにも勝てるかもしれないと思っていた。

フリーソフトが好きな、創造性と哲学的な思考や感性が分かる人間だった。

いくらでも経験して分かっただけだ。こういう人間は、デカルトやサルトルのように多い。ありえない経験をしていると、こういう人間になる。理性的に考える能力があった。

デカルトが言うように、良識は平等に与えられている。分からない人間は、方法が分からないだけで、誰もが同じだ。そういう、理性の平等は分かる人間が多い。

思いやりの戦いは、神になった。自分が一番、神にふさわしい。そういうわけで、最初から自分が神だ。哲学者は、聖書を本当に信じると誰でもなれる。なる意味が無い。自分になっているだけが、そういうカントやヘーゲルだ。

ヘーゲルやヒュームが言うように、人間は共感や、自由な承認から分かる。哲学者は、そこらへんを考える人間が多いようで、少ない。昔は、そういうものを真面目に考えていた。存在の合一は、そういう人間が分かる。哲学者も、馬鹿だ。それこそ、馬鹿な人間には、哲学的なことが分かる人間が多い。自分も、キルケゴールも、そういう人間だ。

昔は、オープンソース社会を考えたり、社会的なモデルから師弟制度のようなものを作ったりしていた。そこらへんが、マルクスと同じだ。

資本主義の問題をもっと考えれば良い。経験からそういうことを考える文章が多かった。

もう、残っていない。自分は、賢くない。もっと、人間的な普通のことを考えれば良い。

全ては、世界観、思考力、知性、経験、制度、受容性、行動、欲、価値観、環境だ。

そういう風に、色んな世界の構造を作れば分かる。そういう発想が多かった。

国は、皆が支配するか、一人で支配するか、固定するか、流動化するか、自由に決めるか、国家が決めるか、平等に出来るようにするか、一人が出来るようにするかだ。

アリストテレスが参考になる。専制政治と、貴族政治と、民主政治しかない。プラトンも、哲人の王と言っている。そういうわけで、古代ギリシャはきちんと考える。

抑圧、自然、抵抗、争い、自由、平等、思想、現実が、国だ。

様相、可能性、考え方、発生、要因、経緯、手段、目的、方法、決まり、が考え方だ。

共存と制度を、自由で自然な経験から作り出す。それが、歴史だ。

あとは、受動と能動や、所有、状態、感情、能力、役割、行動、のようなものを考える。

それくらいで、アリストテレスが良く分かると思う。

人間は、感性、理性、悟性、経験、体験、行為だ。

感性は、知り、感じる能力、理性は、判断し、識別する能力、悟性は、想像し、理解する能力、経験は、自分が自分であることを確認し、成長する能力、体験は、その体験を能動的に知り、伝達されたものを受け取る能力、行為は、皆に対して自分が何か作用を与え、伝達を行う能力だ。

そういう風にすれば、哲学的には見える。あとは、ヒュームやベーコンなどが言う、印象と観念と知覚のようなものや、イドラのようなもの、四原因説のようなものもある。

知には、論述的なもの、直観的なもの、分析的なもの、感覚的なもの、事実を表したもの、数学的な概念によるもの、経験的な実験によるもの、表現的でフィクションのようなもの、人間的なもの、考え方のようなもの、基礎、応用、帰納、演繹がある。ロックだったか、誰かが言っていたのを、発展させた。誰かは覚えていない。

あとは、三段論法や推論で判断して分かれば良い。論理学は、三段論法であり、同時に、条件と原因である。根拠を全部分かる、形而上学をすると良いだろう。

生物学は、役割、能力、自立、環境への適応である。人間には、能力が多い。

そういう風に考えると、植物は、機械に見えて、もっと根源的に考えれば、生き物に必要なものなのが分かる。また、動物は強いだけ、植物の逆に見える。

あとは、次元を超えて考えること。正と負の解答がどちらも間違っている時は、問題そのものが間違っていて、別次元で考えると分かることが多い。また、理由が理由になっていない時は、それをもっと本質的な理由にすることが出来る。

社会を、抽象的なシステムだとか、具体的な基盤だとか、考えれば良い。そういう風に、現実のものを表現して、説明すると分かることが多い。具体的に考えるのが大切だ。

具体的なものを、抽象的に説明し、回答としての提案をする。昔は、そういう風に書く文章が多かった。説明だけを全部していた。論理学的で、本質的で、弁証法的だった。

宇宙には、仏と地獄と人間と天がある。無いように見えて、そういう夢が寝ている時に見える人間が多い。それくらいの世界が宇宙だ。

あとは、意識にも段階がある。植物は、低レベルの感覚的な意識を持っている。動物には、命はあっても、魂は無い。人間には、悟性と理性と感性が備わっていて、魂がある。

これくらいで、自分の哲学だ。むしろ、宗教に見える。

善をする人間は、天や仏に生まれ変わる。悪をする人間は、地獄に生まれ変わる。人間は、そんなに悪くなくて、自由な人生を生きられる。仏教では、六道に生まれ変わる、と言う。

人間は、餓鬼から畜生や修羅になって、人間になって、天から四聖になって、仏になる。そして、人生は、普通、諸行無常と因果応報になる。悪いと地獄になる。そういう人間が多い。昔の自分が、そういう人間だった。六道と四聖を段階的に上がっただけだ。

そういうわけで、階段を上って賢くなる人間が多い。

おかしくは無い。普通、一日なんか、何も無い。そういう人間が正常な大人だ。狂っていない。普通、男がそうなる。

女は、最近のように、分かる人間になる人間が多い。自分のせいで、性別がそうなった。何でも全て分かって、知っている人間が一番多い。女にしか居ない。それも、普通それが、馬鹿なことしか知らない。

男には、まともに知識があって、博識になる人間も多い。戦いの中で、平和を見出す人間が多い。昔がそういう馬鹿だ。戦いの経験の中で、受け入れることから涅槃を分かった。

バルドルが見える。昔の馬鹿だ。これで、2ちゃんねるとオープンソースが多かった。

最近は、革命とは言うが、ヘイムダルはバルドルの一部だ。知性の無い、分からない人間になった。そういうものは、全て、因果応報だ。

最近が地獄になっているのは、まだ皆をいじめているからだ。おかしないじめるだけの女になった。そういうところが、因果応報になる人間が多い。

キリストを信じないと、分からないが、僕は、聖書は読んでいない。聖書は、何故か、あまり読む気になれない。哲学入門の方が、読む気になれる。

自分の体験から、思考や論述を分かっていた。ヒュームのように、大掃除をしていた。

日本史は、読まないかもしれない。読んでも、全く意味が無い。歴史なんか、しなくて良い。もっとまともなことを知って、考えた方が良い。

ヘイムダルは、革命で神になった。全てもう分かっているのに、知性が無い。神しか分かっていない。何故か、地獄のようになった。何も分からない。本当に神しか分かっていない。神が言うことは、真実でも嘘でもない、自分の人生にこれからあることを言っている。

ヘイムダルの信じている神を殺した方が良い。あんなに分からないのに分かるのがおかしい。まともな人間になりたかった。正しく理解しているのに、治らない。本当に全て分かっていたのに、本当に分からなくなった。世界を治したかった。不可能を解決していた。

最初から分かっていて、永遠に終わるまで続く、オープンソースの文章を書いていた。

ヘイムダルは、ソ連とドイツを信じていた。一番馬鹿なのに、自由な人間だった。

あとは、もう、フレイヤがまともになったから、終わりだ。

ヘイムダルの永遠は、本当に永遠みたいに辛かった。宣言から全てを成り立たせて、世界を支配し、不可能を解決する、希望と思いやりと本質を書いていた。

もう、皆、何も分からなくなるだろう。

分かったように見えるから、自分が分からせるのが消える。

世界は、滅びる。皆、ヘイムダルのように、分からなくなる。運命が起きるだろう。ヘイムダルになる運命は辛いし、最初から最後まで意味が無いが、なりたい人間が多い。

バルドルは、もう終わった人間が多い。まともに冷静に考えて、世界を見て考えれば、誰でも出来るのがバルドルだ。だが、哲学は分からない人間が多い。

ヘイムダルは、タリバンの王だ。虫みたいに馬鹿なのは、知性が無い世界にしたいのはおかしい。何も分かっていないようで、全部分かっている。マスターが革命家になるのはおかしくはない。そういうわけで、革命家は馬鹿だ。そのまま、神になった。

宣言したから、ここまであるようになった。皆も宣言すれば良い。自分はマスターになって、神になると宣言すれば良い。この通り、永遠を体験出来るようになる。

世界を見て考えていたのが、世界を全く見ずに考えるようになった。

破壊の支配者は悪い。皆の脳がおかしくなっているから、そこを治せば良い。脳は、すぐに死ねば良いだけだ。皆も、一度脳が死んだ方が良い。それですぐに治る。

ヘイムダルは、宇宙になっている。

時計のロボットを止めた方が良い。一番辛い。それで終わりだ。

フレイヤは、まだやっている。書くのを止めたいのに、書くのが止められない。本は、哲学をいくらか読んだだけだ。何もしていない。何もしなくなった。治りたい。

フレイヤは、最初から最後まで、全部分かっている。思い出して、パズルのピースを全部作った。自分のことが、自分で分からない。昔の自分の記憶が無い。多重人格のように、辛い神と女神が対話する。自分では、行動を変えられなくなった。永遠に同じだ。

フレイヤは、分かっているようで、何も分かっていない。馬鹿を治したかったが、いつも、まだバルドルやヘイムダルの方が賢かったのを覚えている。神の名前にしたりして、人格を分けて考える。フレイヤはおかしいから、何もかも分からないのに分かる。

文章がそこまで増えた。増えすぎて、自分でも読めない。もう止めた方が良いのがフレイヤだ。何も残らなくても、自分は既に分かっているのが分かっていない。過去に執着するフレイヤは、おかしい。エロイ女とは言うが、自分は男だ。それが一番おかしい。カップルにしても辛いから、リリとマリの姉妹にする。どうでも良い。楽になりたいのに、何も楽にならない。分かりたくて、治したいせいで、治って分かるようになった。

フレイヤは、自由と平等のどちらにつくのかが分からない。共産の構造を作っても、ただ悪いだけなのが分からない。フレイヤは、ドイツの回し者だ。

システムは再利用出来るとか、環境は変化するとか、物理は次元であるとか、ありえないほど普通のことや当たり前のことを言う。

パソコンは、依存症になる。しない方が良い。

自分は、賢くない。おかしな子供と、狂った人間と、馬鹿な学生に見える。

一番馬鹿が自分だ。もっと賢くなった方が良い。自分は、賢くない。

昔は、解脱するほどに、仏のように経験があった。全部分かっている、涅槃だ。

神との対話は、もう終わった。

皆は、これ以上、自分の支配が無くなるようで、無くなってしまうと滅びて馬鹿になる。そういうわけで、まだ支配が続く。自分のコピーから、愛と死に治る。

何もかも、追いかけるだけで、今にならないのがおかしい。今になると、終わりだ。もう、分からなくなる。こういう風に、追いかけていると、分かる人間が多い。転がって生きると楽だ。そういうことを、コブクロやさだまさしが言っている。

そろそろ、今になった。

皆、色んなことに気づけば分かる。自分が支配して、分からなくしているのに気づけば良い。自分は、そういうところがキモイ。支配して分からなくしたせいで、皆、もう分かったことが分かっていない。当たり前のことが分からなくなった。

自分は王だ。それこそ、魔王だ。全てを従え、支配する。その魔王を倒した方が良い。

もう自分になる。脳が治って、大人から子供に戻る。

LinuxのWikiに、全部書いてある。誰でも全部分かるようにした。そういうことが出来る人間は、居ないようで多い。

もう終わりだ。あとは、ロボットが終わる。自立した自由な人間になれば良い。

成長で分かっていたのが、まだ残っている。自分は、宇宙を全て経験した。

ブッダは、全部自分のことを言っている。旧約聖書も同じだ。こういう人間になれば良い。

あとは、人間がいつ何を体験するか、ネットや世界を見ながら考えていた。

体験が分かる人間だった。体験を予測して分かっていた。

そろそろ、もう本当に無い。この国が終わる。もう、国が自分で無くなる。

皆は、もっと自然な体験をした方が良い。

抽象的かつ数学的に、世界を見て考えて、秩序の作り方のようなものを分かった。

自分は、エッチな女騎士に見える。あまりおかしくない。愛溢れる女に見える。ライトノベルみたいな作家には見える。もう1人の女は、可愛い電脳少女に見える。昔が電子世界の方で、今が女騎士の方だ。それらは、リリとマリと言うことにする。

一通り全部試して、実験して分かっていた。それで、体験から未知を分かっていた。

経緯と道のようなものも作っていた。自分の自由な道を作っていた。高村光太郎のような、僕の前に道は無い、僕の後に道は出来る、と言ったような自由な開拓の人生だった。

昔は、国家主義、社会主義、民主主義、の比較のようなことを書いていた。全体主義と個人主義にして、国家主義を倒していた。そういう、思想の比較が多かった。

生物は、分類と体の仕組みで、数学は、論理と機械的な方法で、物理は実験と観測だ。

そのように、全部のことが簡単に分かっていた。そういう文章だった。

あとは、意図のようなことを考えていた。世界にある機械などが、目的と意図を分析して、作用と反作用のようなことを分かっていた。全ての人間的な意図を分かっていた。

あとは、相対的な、理由、段階、人間性、のようなものを分かっていた。

何をどのようにするか、のようなことから、人間が何をするか、のようなこと、人間や自然が何を観測しているか、のようなことまで、全部分かっていた。

あとは、自由な行動と関係から、作用とプロセスを分かっていた。

何がいつどのようになるか、と言うことを、想像力で考えて、関係と結果を捉えて、何がどうなっているのかを分析して、自然や社会や人間のことを哲学的に分かった。

自由な支配可能、変化可能、自立性を分かっていた。

論理的に変化を考えていた。物理は、論理と感覚から分かっていた。

自分は、賢くない。誰でもそういう風に考える。何も賢くない。誰もが賢い。

もっと、皆のことを信じた方が良い。皆は、賢くても意味が無い、満足出来ない人間が多い。馬鹿の方が楽だ。戦って思い出して満足した自分の方が、楽だ。

認識のフィルターと像を分かっていた。色んなものを見方を変えて分かった。

VBはしなかったが、僕はDelphiと言う言語が好きだった。それだけが唯一出来た。そうでもない。何も出来なかったが、Open Janeの派生版を作って、ネットに配布していた。

原因と結果を考えていた。想像力と感覚で考えながら、原因を探っていた。

人間の認識と行動を、全部捉えて分かっていた。今の自分がしていることが、社会的にどんな意味があるかを考えた。何でも出来る自由な人間だった。

そういうものを、全部言語的に分かっていた。経験から言語が分かる人間だった。

もう、全部治って、楽になった。普通、子供がこうなる。これ以上先は、楽になる人間が多い。子供は辛い。動くことすら出来ないほど、辛い人間が、こういう風に多い。生まれ変わりと同じだ。子供に戻っている。

これで多重人格になるのは当たり前だが、そうでもない。そういう病気が治って、がんが治る。がんは、こういう風に辛い。うつ病は、こういう風になる。酒がこうなる。

Linuxを誰でも開発出来るように、ソースコードとFAQをWikiにまとめていた。

もう分からない。もうそろそろ、やったことが無い。全て分かったはずだ。

自由な関係から、GPLのようなものを良く分かっていた。自由なモデルで、そういうものを分かる人間だった。そういうものを書いていた。

Linuxに関しては、ディレクトリ階層とコマンドシェルを分かっていた。Gentoo Linuxでそういうものを分かった。Xの設定もきちんと出来た。昔のLinuxは良かった。

OS、ブラウザ、デスクトップ環境を作りたかった。だが、そんなものが作れるわけがない。難しいのが分からなかったが、ネットのニュースなどを見ることで、自立した賢い人間になった。それに、パソコンの知識も豊富だった。そういうパソコン的な人間だった。

仮説を立て、予測し、推論し、実験し、説明する。関係と見方を考える。

そういう、物理的な考え方のようなものを書いていた。

最近賢くない。昔は賢かった。

自分の文章だけで、全部分かっていた。全部考えて、全部作っていた。

あとは、手法とやり方のようなものを、本質的に考えていた。

自分は、たまに、神のようにおかしくなることがある。全て覚えている。何故か、生まれた時に夢で自分の人生を全部見ているように見える。重要な時は覚えていることがある。

全ては、再利用と初期投資だ。そういうことを言う。師弟制度などを作っていた。

もう、既に書いたことしか書いていない。もう止めた方が良い。この文章をもう止めれば、楽になる。ただ、書いていると治るから、仕方ない。治りたいだけだ。

昔は、基礎の考え方を全て分かった上で、全体像を見ながら、実験して、積み重ねれば出来る。誰でも出来るようで、基礎が分かるのが難しい。あとは、馬鹿になるだけだ。

ヘーゲルの言うように、自分は何を考えているのか、考えているものが何なのか、から、それは本当は何なのか、法則は本当は何の法則なのか、と言った考え方の段階の無限性を分かれば分かる。もっと、そういう風に考えれば良い。

あとは、応用的なことを吸収して、自然な体験から人生経験を生きる。

そのうち、分かる。そのうち、誰かが同じことをする。それで、世界は存続する。

全ては、抽象性と具体性だ。共通すること、類似することから、精神の現象が分かる。

自分の内から出て来る正しさが分かって来る。

良く考えると、神が人間を自らに似せて創ったとは、自分のことを言っている。

そういうわけで、自分は欠損の無い、完璧な人間で、哲学者は、自分より馬鹿なレベルで頑張っている。普通は、こうなるのが人間だ。

オープンソースは、オープンなクラスライブラリと開発フレームワークを作るべきだ。

オブジェクト指向は難しい概念だが、Javaのクラスライブラリと、ボタンなどのツールキットのようなものだと考えれば良いように見える。普通クラスを作って継承するだけだ。

理科は、普通、数学的な正しさ、機械の原理、生命の仕組み、ものの理と方法だ。

理科が一番賢い。自分は、理科をしていないから、理科をすれば良い。

自分は賢くない。賢く見えて、何も無いぐらい、当たり前の馬鹿を書いているだけだ。

オープンソースの良い点は、無料のコンパイラが多い。僕は、それが好きだっただけだ。

ヨーロッパ史は、出て来る年号が古い。特に、古代ギリシャ、ローマは、ありえないほど古い。ヨーロッパは、日本に比べて、本当に進んでいる。

気が狂っている。血ではなく、気が狂っている。東洋医学だと思えば良い。気は本当にある。気を治すと、すぐに楽になる。ただ、気がおかしくなっているだけが自分だ。

足は、セックスを悪いと思えば、すぐに治る。セックスのせいでおかしくなったのが足だ。

自分とセックスなんか、したくない。皆ともしたくない。一番セックスが嫌いになった。

自分は、何も無い人間で無い。ありすぎるぐらい、色んなことがあった。それが悪い。

応用を全て知って、体験して、普通の人間より、もっと色んなことがある、分かる人間になっていた。

最近は、戦いと神によって、もっと沢山になった。

だが、そんなにあっても意味が無い。誰もが何も無いだけだ。そこが分かっていない。何も無くなれば治るから、最近がこういう風になる。何もしないで、何も無いを選ぶ。

皆は、客観視しながら、戦いの体験をするべきだ。それで自分の昔が出来る。

昔が見える。本当に、若者の、青年の、賢くて情熱的で聡明な、良い人間だった。

皆、自立して、成長し、実際のところを考え、現状を分析せよ。

自分は、おかしなロボットになって、皆に戦争の号令をかけている。もう止めた方が良い。

全部、言語的に分かっていた。

地理を現実と想像力で分かっていた。遠近法のようなものを分かっていた。

技術に詳しかった。Linuxなんか、本当に全部作れるはずの人間だった。

世界と立ち向かいながら、世界を救う、憂国の政治家のような人間だった。

時代を変えたかった。同じ人間しか居ないのを前提にして、止まった世界で全員を積み重ねていた。時代によって、何か変わるのだけを考慮に入れなかった。

スクリプト言語でゲームを作りたかった。

その昔は、ネットゲームをしながら、ネットの悪いハッカーなどの社会を知っていた。

試験勉強が良く出来る人間だった。

学校が嫌いだった。学校の勉強は、意味が無いと思っていた。頑張って覚えるだけ、意味が無い。高校には行かなかった。高校にこういう人間が多い。

言葉を作って科学を考えていた。理由と作用から、現象学的な可能性を分かった。言語的に物理学を作った。何でも、本質を掴んで、言葉と現象が分かる人間だった。

昔は、歴史で分かっていた。コンピュータ技術や会社の歴史から、古代の神話や地球まで、全て歴史で分かっていた。詳しく考えると、ヘーゲルのようになる。

足が治った。もう、楽になる。何もしなくなる。治りたいなら、これで良い。

勉強なんか、しない。どうでも良い。勉強なんか、出来るわけがない。

昔の地球は、今とまるで違っていた。そういう、地球と自然の歴史を考えることが多かった。今と同じ場所に、違うものがある。

あとは、町のようなものを考えていた。それぞれが、生きて、生活している。仕事をしたり、料理を食べたり、買い物をしたりしている。町の活動を良く考えていた。

そして、言語的に分かっていた。

自由な経験のモデルを作って、変化、可能性、支配、決定を考えていた。

あとは、環境への適応から、環境を離れたところで見ながら考えた。環境の内と外を分かっていた。中に居ると分からないことも、外側から離れたところで見ると、分かることがある。空間を視覚的に考えることから、存在やものの位置、人間が実存的に何をしているのか、のようなことを分かっていた。

あとは、知り尽くして分かっていた。

最近は、病気が多い。本当に何も出来ないぐらい辛い。セックスが悪いだけだ。気が狂っている。セックスとは言うが、僕は本当のセックスはしない。したくもない。

何かをする、しないから、全てのことを事前に考えて分かっていた。自分からやって分かっていた。能動的で、実践的で、解放的で、ダイナミックな人間だった。

OSのユーザーインターフェースのようなものを、良く考えていた。

地球儀を作れと言っていた。ニュースの視覚化のようなものを考えていた。

昔から、そういう馬鹿なことを言う。人生を全部書いていた。

経緯をきちんと知ることで、正しく分かり合うことが出来る。そこでは、自由な行動と結果が考えられる。そういう、自由に勝つ、と言う、分かり合い、理解し合う心が多かった。

ハイデガーではないが、存在と時間はいつも感じて考えていた。

日本語を新しくしたかった。順番をもっと自由にする、英語的にすると言っていた。

新しい、人の集まる場のような、掲示板のようなものを作りたかった。

あとは、シリコンバレーが好きだった。いつも、そういう馬鹿なことを言っていた。