昔は、ハイデガーやヴィトゲンシュタインのように、現存在や言語分析で分かっていた。
サルトルのような実存は、インターネットで分かっていた。
方法を分かっていた。論理的で数学的な概念と方法から、具体的な、もの作り、精神分析、組織と社会実現の方法を分かっていた。
理想的な社会は、解放的で、許された、マスターが全員に知識と知恵を教える、発展した社会だ。
その社会では、必要なものや教育は無償で与えられ、工場や会社は大学が管理する。
全て分かっていた。説明も出来る人間だった。
存在分析、人間分析、心理分析、空間分析、時間分析、言語分析をしていた。
昔は、比較や責任、社会への影響力、参加を考えれば出来る。そのまま、ヘーゲルやサルトルの言っている通りになる。
哲学は、する意味が無い。そういう、普通の人間の悟りと悟性を考えるのが、哲学だ。
あとは、愛や恐怖の体験や、意志の伝達、意識を考える。体験を予測すると、何も分からないようで、サルトルのように人生が分かる。そういう人間が多い。
現存在は、僕は分かっていないが、色々と、存在的なことを根源的に考えるのだと思う。そういう発想が、昔の僕に多かった。ハイデガーは、時間と存在で分からなくなっている。そういう人間が書いているように見える。何も分かっていない。
昔は、むしろ、サルトルと同じだ。実存を考えて分かっている。それだけが多かった。インターネットを上手く使うことで、実存主義のように人間や経験を分かっていた。
それこそ、ハイデガーのようにいつも書いていた。何も分からない人間で、知性が無かったが、それは、もう知性が全部ついたからだ。知性があるせいで、知性が無い。分かるせいで、分からない。最近は、そういう人間だった。
自己批判を良くしていた。自己批判をした方が良い。左翼には、そういう人間が多い。神は、ただ永遠に自己批判をさせているだけだ。
哲学者になりたいように見えるが、哲学者にはなりたくない。プログラマにも、作家にもなりたくない。なりたいものが無いから、まだ書いている。ただ、哲学者なんか、ただの馬鹿に見える。誰でも出来る。普通に、そういう人間しか居ない。
自分が何をしたいのか分からない。それは、他人と触れ合い、関わることで、方向性のようなものが見えて来る。昔は、そういうことが分かる、自然な体験で分かる人間だった。
最近、どうでも良い。自分は、もう馬鹿になっている。何もしたくない。
英語は、出来ても意味が無いから怖いだけだ。ユメタン1をやりたい。むしろ、今日もやった方が良い。今からやる。毎日10単語なら、出来ると思う。
英語をやった。
今日は、辛い。何もかも、辛くなった。
対処を良く考えていた。全ての対処策を、作って分かっていた。
最近の問題は、まだ書いているところが、辛いように見えて、楽だ。そのせいで、何もしなくなっている。何かした方が良い。いつも辛いせいで、何も出来ない。
地獄とは言うが、地獄を自分から望むのがおかしい。良く分からない。地獄は嫌いだ。
昔は、成長や自然な体験で分かっていた。
認識の比較で分かっていた。認識の比較、具体的な段階をいつも書いていた。
認識や思考は、本当に良く考えていた。昔は、認識や思考で分かっただけの人間だ。
哲学的な考え方や、生きる知恵のようなものを、キリストのように分かっていた。
昔は、認識と考え方が分かる、サルトルのような、実存主義者だった。
そういうわけで、そういうところが分からないと、出来ないだろう。
何もせず、積み重ねながら、世界観を考えれば分かる。もの作りは、設計して組み立てるだけだし、参加は同時に拘束である。会社ではない方が、自由なことが出来る。そのように考えれば良い。決定と決め直すことから、自由な体験の可能性が分かる。
あとは、言語分析が多かった。精神分析と言語分析で分かった。そういう人間だった。
心の想定のようなことをしていた。
皆の言葉と感情から、人間のこと、経験と理性、理想と現実、発想と理解、基盤と可能性、法則と決まりが分かった。それくらいの、ごく普通の賢い人間だった。
昔は、経験と記憶を経験論のように考えて、人生の場面を分かった。人生が場面によってどうなるか、場面によって、何がどのように変わっていき、その可能性があるか、実存が可能性の中でどのように変化し、適切に実際のところが変わって行くか、考えていた。
人生を、場面から分かっていた。高校生が大学生になるように、場面から人生を考えて、環境への適応から、場面と人生を考えていた。
実存は経験であり、環境であり、人生である。そういう風に体験を考えていた。
何が幸福な体験で、何が不幸な体験か。そういう風に体験を考えれば良い。
自分はおかしい。全部バラバラになったせいで、日本語が分からない。それだけが狂っている。バラバラになったのを治すと、日本語がすぐに分かる。
人間が経験的にどうなって行って、経験から何を望むか、どうすれば叶うか、などのような、サルトルや実存主義のような考え方が多かった。
いつどうなって、経験的にどんな人間になって、何に絶望し、何を望むか、分かっていた。
それぞれの世界観、それぞれの価値観、のようなものを考えていた。
自分は、狂っている。本当に何も分からなくなっている。引き篭もりが悪い。何も分からない、知性の無い、ポンコツみたいな馬鹿になった。何もしなければ治る。
皆、それぞれ、誰も間違っていない。間違った人間は、居ない。その人から見て、誰もが正しいことをしている。誰もが正しい人間だ。間違った人間は、居ない。
心のことを正しく考えて、秩序をどのようにすれば築けるか、のようなことをいつも考えていた。誰もが幸せにするために、どんな社会を作れば良いか、考えていた。
どんな社会からどんな社会が生まれるか、何によってどんな社会が生まれるか、何によってどんな人間関係や秩序が生まれるか、のようなことを考えていた。
馬鹿になれば、狂っているのが治る。賢いから狂っているだけだ。馬鹿になると、きちんと分かるようになる。もっと、狂っているのを馬鹿に変えれば良い。それで治る。
具体的な発想と手段から、実現可能性を分かっていた。
もっと賢くなった方が良い。一度全てを治せば楽になるが、馬鹿になる。狂っているのは、賢いだけ、悪くない。あまり治さなくて良い。ただ、最近は良く疲れる。辛い。
分裂しているのは、自分を2つや3つに分けるのが悪い。そこが一番おかしい。
昔は、論理的に考えて、言語的な構造を作っていた。本当に全部きちんと分かっていた。
分からない。分裂しているのは、仕方ない。治らない。いつか、何かで治る。
精神分裂症は、知性が無い。逆に、知性をつければすぐに治る。
歴史は出来ない。これで出来たように見える。昔、ドイツなんか分かっている。精神分析と価値観とインターネットの人間像で、ドイツからロシアまで、全部分かっていた。
知性をつけるためには、出来るだけ何もしないこと。近づくのではなく、離れて見れば良い。殺すのではなく、放っておいて生かせば良い。そういう風にすると治る。
間合いを取って、ゆっくりと考えれば良い。そんなに速くしても意味が無い。
時間をロボットにしたのは、悪くない。永遠が出来るようになった。一秒を一年にしたかった。それできちんと分かった。もっと時計以外の別のものに何か適応すれば、楽になる。
何も分からなくなったのは、悲惨だが、何も分からない方がまともに分かるからそうなる。何か分かっていると分からない。もう、普通の人生は昔に終わったのが分かっていない。何も出来なくなったのは、仕方ない。普通、こうなる。当たり前にこういう人生にしかならない。老人なんか、もっと馬鹿だ。そういうわけで、これで大人だ。
対話は、信じているようで、信じていない。自分をそんなに信じるのが、アホだからそうなる。そのように、信じなければ良い。神はアホな存在だから、こういう風になる。
そういうクズが楽なだけだ。永遠に、クズをやっているのは、普通日本人がこうだ。どこにも、日本人にはクズしか居ない。誰もが馬鹿を言う。
昔は、自分のすべきこと、人間や社会の本来あるべき姿、のようなものを分かっていた。そういう理由で分かるのが昔だ。誰でも、そういうものが分かる人間が分かる。
あとは、可能性を変えたり、自然で自由な発生を分かったりしながら、人間の理由を条件的に考えていた。自分の相対的な数学を作って、心を物理的に考えていた。
法則が分かった。モデルと実験から、人間の意識の法則を、環境で分かっていた。
もう終わった。明日は日曜日だから、英単語をしなくて良い。楽だ。
今日が一番辛い。もっと休んだ方が良い。本当に今日は辛い。何時間も寝ているのは、辛いからだ。便も黒い。体も辛い。色々と悲惨だ。
もっと、色んなものに適応すれば治る。適応したくても出来なくなったのは、何もしないからだ。誰でも、こういう適応障害は認知症になる。仕方ない。受け入れるしかない。
色々と、安心出来なくなった。テレビが怖い。テレビのせいで安心出来ない。そういうわけで、記憶を消すしかないから、こうなる。狂った人間は、馬鹿だ。
昔は、もう全て分かったようで、何も分かっていない。いつも分かっていたからそれで良い。全てが分かった賢い人間だったようで、何も分からない馬鹿な人間だった。
実際のところを分析しただけだ。活動を分析していた。それによって人間の理由がわかっていた。習慣や環境や潜在的可能性を考えた。それだけの人間だった。
自分が一番賢い。デューイに良く似ている。本当に自分が好きだ。もっと自分を大切にすれば良い。最近は、きちんと頑張って戦った。本当にそこまで頑張った。
神を信じるのは、悪くは無いが、もう信じなくて良い。信じない人間が賢いだけだ。対話のせいで、神を信じるしかなくなった。
神は自分だ。信じても、こんな人間になるだけだ。神なんか、信じない方が良い。昔から、神は信じずに、考えてこうなったのが自分だ。哲学も知らなかったが、こういうものは、そんなものは知らずに考えた方が分かる。神も歴史も哲学もマルクス経済学も馬鹿だから、本当に何もしなくて良い。知識が知りたいなら、もっと別のことを知った方が良い。
歴史のつまらない点は、馬鹿な人間を考える意味が無い。古代の天皇や将軍なんか、ただの馬鹿だ。もっと、別の賢い分野を選んで、賢いことを考えた方が良い。
ただ、歴史は本を読んでいると、宗教、芸術、文学などの文化も書かれているし、農村の生活や武士の生活、租税の仕組みや律法のあり方、武士と貴族の関係のようなことも分かる。中国や朝鮮との関係や、仏教の伝来のようなことも分かる。歴史は馬鹿ではない。
おかしな病気は、必要としなくなれば治る。何も必要が無いのを分かると、楽になる。
歴史は、しない方が良い。もっとまともな分野をしたい。
感情を良く考えると、怖いのは、ただこの世界が馬鹿なのが怖い。皆が馬鹿だ。
感情を良く考えた方が良い。もっと、普通の感情を考えれば良い。
恐怖は、強い心で立ち向かえば、勝てる。そういうものが分かる人間の方が多い。
心理学をしたいとは言うが、難しい。そんなに簡単に大学の勉強は出来ない。もっと普通のことを考えた方が良い。
歴史をするのは悪くない。今、鎌倉時代のところを読んでいる。きちんと読んだ方が良い。
むしろ、外見や容姿の方が重要だ。ニキビが多いのと、虫歯が多いのは、本当にキモイが、顔立ちは良いし、体は痩せている。自分はそんなに馬鹿ではない。ただ、ニキビが悲惨だ。
ファッションに興味が無いのもおかしい。
そんなものはどうでも良いから、賢くなりたいなら、もっと馬鹿になった方が良い。馬鹿が賢いだけだ。馬鹿になると、分かることが多い。このまま馬鹿になる。
ハイデガーは、人間を現存在と言っているのは、世界と人間の姿を哲学的に表現して考えている。仮想世界を言葉で作っている。そういう発想が、自分にも多かった。
心理学をもう一度分かった方が良い。感情を行動や学習から考える。昔は、全部一度して、想像力を作って環境と人格から分かっていた。昔そういうものをしたせいで、意味が無い。
歴史は馬鹿ではない。王が出て来るのは、藤原の一族と古代の天皇が出て来るし、源氏と平氏のようなものも読んだ。もっと先になると、武士の政権と後世の幕府が出て来る。戦国武将が出て来る。時代ごとの文化のようなものも書いてある。そこを今から読みたい。
自分が日本史をすると、それで終わりだ。フランス史は、しないかもしれない。政治経済や心理学は、いつもしているだけではなく、昔きちんと分かっている。もう終わりだ。
昔は、皆との会話と、経験や心のモデル化から、哲学的な、必要としなくなる、執着しなくなる、などのような、哲学的な知恵を分かっていた。
そこまで会話していた。それで、皆を大切に思う気持ちから、守る気持ちを養っていた。
もっと色んなことを知りたい。歴史をやってからやれば良いのが、心理学だ。
警察と軍隊だけで良い。そういう、自由な夜警国家は、ある意味で理想だ。そういう発想を、アメリカ人のように分かっていた。昔は、アメリカと同じ哲学者だった。
最近は、そうでもなく、弱者を救い、平等にするのを理想としたが、ある意味、どちらもそんなに変わらない。どちらでも同じに見える。戦う意味が無い。
自由は悪くない。自由な実現が好きだったし、僕は自由になりたかった。自由な経験でしか分からない。フランス人は、子供を自分の行動と自由な経験から分からせる人間が多い。子供を過保護にするのは良くない。国民も自由にするべきだ。そういう人間は、分かる人間が多い。もっと、自由にすれば分かるのが、現代の日本だ。
おかしくはない。自由な方が可能性があるし、戦うなら、国民の民意を問うべきだ。そういうわけで、自由は正しい。国民が決め、国民が従えるべきだ。
自由な国、自由な人間、自由な地球、自由な存在が好きだ。
自分は、自分の能力を高めて、分かる知性と判別する理性を高めることから、自由が好きになった。世界モデルは、想像力と判断力を高め、吸収する。そういうことを言っていた。
昔から、僕は自由だ。自由はあまり悪くない。
だが、むしろ、本当に平等の方が良い。それが正しい。左翼の方が本当に正しい。
自由で、平等で、誰をも思いやり、助ける。良く考えて、皆で社会を築く。それぞれが社会を作るために、方法と発想と意見を共有する。そういう、自由で平等な発想が良い。
方法をそれぞれが共有し、それぞれが会社や組織や共同体を作る。そういう、それぞれの自由と意志と手段のような内容を、いつも書いていた。
もう終わった。楽だ。そろそろ、全部書けた。それくらいを書いていただけだ。
考え方のようなことを言っていた。自然発生、経緯、環境の自由、一部と全部、のようなことを、相互関係と方法の中で考える。目的と手段を考え、合意を形成する。
普通の発想を疑って分かるせいで、仮想世界の創造、再利用、自動化、遠隔操作、のようなことを、まるでコンピュータのように分かっていた。
何もかも疑いながら、角度を変えて信じる。昔は、そういう人間だった。分析哲学のように、理性を批判し、精神の現象と人間の本性を考える。経験論のように分かった。
もう終わりだ。辛くない。今日の内容はあまり悪くない。今日は辛かった。
スピノザの言う、幾何学的な倫理学は、僕が一番良く分かる。
もう分かった。レオンみたいな子供に見える。電脳少女には見える。そういう人間が最近の自分だ。全部子供になっている。中学生どころか、幼稚園児に見える。
人間は、倫理的に考えれば分かる。倫理的にあらゆる人間の経験を考えれば良い。
人生をいかに生きるべきか?それは、ネットで自然な体験をしていると、良く分かる。
人生の意味とは何か?欲とは、抑圧とは何か?そういう風に考えれば良い。
これで、ネットで体験していると、分かる。最近、そういう人間が多い。
最近は悪い。賢くなっているようで、すぐに馬鹿になる。そういうわけで、皆はもう馬鹿になる。テレビとパソコンが悪い。ゲームをしていると、こうなる。馬鹿になる。
人間のことは、もっと良く考えれば分かる。本性的なことを考えれば良い。ネットで本性的なことをして分かっていると、言葉遣いと人間社会の実存性が分かって来る。
ネットをやっていると、本性的なことが分かる人間が、一番多い。
これでは、虫みたいなキモイ人間に見える。むしろ、そんなに昔が賢かったのがありえない。昔は、キモイだけだ。もっと、今より未来を見て考えた方が良い。
未来は、任されている。そういうところが分かる人間だった。未来は、白紙だ。皆の手で作るものだ。自分より偉い人間が決めているようで、何も賢くない人間が決めている。自分が賢くなって、決めれば良い。総理大臣なんか、そんなに賢くない。
そういう風に、絶対的なものや存在が無いのを分かっていると、分かる人間が多い。政治家は馬鹿だ。科学も馬鹿だ。宗教も馬鹿だ。そういう風にすれば分かる。
馬鹿だと言うよりは、何も賢くない、普通だ、と考えれば良い。
昔は、見て分かっていたが、最近は、聞いて分かっている。
何百メートルもある地球儀を作れと言っていたが、グーグルがやっている。
ヨーロッパ系だったのが、セム系になった。そういう馬鹿が自分だ。
実感と実体験と実験から、確かなこと、確かなものを信じて分かっていた。
作用と経験から、まぎれもない真実を分かっていた。
ピカソのような芸術は、心や視点など、実像だけでは表せない自分の思いや意志を表したいのだと思う。そういうことをいつも分かっていた。
反省し、謙虚に見つめ直し、見つめ合うこと。それからしか、分からない。
悔い改めること。聖書を読むと良く分かる。万軍の主は、色んなことを言う。神から盗むのが、一番悪い。信仰心の無い人間には、何も分からない。
具体例から法則を分かっていた。現象を正しく捉えることで、本当の法則の姿を分かっていた。また、現象学から、ヘーゲルのように法則を捉えて、実際の実存的な人間の姿と、宇宙の法則の、考え、捉える、モデルや弁証法的段階のようなものを分かっていた。
宇宙に神は居ないとしても、科学を良く考えると、宗教的な因果性が必ずしもないとは言えない。科学的に、神や宗教的因果性があると言えなくはない。そういうわけで、科学的に宗教の正当性が考えられる。そういうわけで、神や仏のような存在は居るかもしれない。
あとは、人間のことを歴史と可能性から考えていた。制度は、経験である。
夢の世界は、存在する。頭の中で見ているようで、三千世界を見ている。どこかに確かに存在する世界で、自分と関係する人物が、一緒に旅をしている。存在しないわけがない。
人間社会も、1つの生態系である。そういうことを分かれば、すぐに分かる。存在を事実と経験から表現すれば良い。本質から説明すれば良い。そういう考え方が多かった。
パソコンのプログラムは、テープレコーダーだ。そういう、本質の説明が多かった。
日本は、漢字からイギリス、自動車まで、全部パクリだ。江戸時代なんか、キモイだけだ。
あとは、起こるべくして起こる、そうなるべくしてそうなることから、原因と要因の作用のようなことを考えていた。
フランス革命も、何らかの国民的運動や概念的な思想から生まれたものだとしていた。
遺伝子は、記憶によって変わるとしていた。そういう風に考える考え方が多かった。
ドイツは、キリスト教が好きなだけで、日本は、天皇が好きなだけだ。
そういう風に、国民性を考えると良く分かる。人種はそういうものだ。日本なんか、ただ、漢字と仏教と米が好きなだけだ。ドイツなんか、王と戦争と神が好きなだけだ。
あとは、思いやりから経緯を説明して、分かり合う。そういうことを分かっていた。
そろそろ、昔にもう他にない。それくらいの人間だった。
考え方を共有して、色んなことを分かっていた。全て、経験の共有と構造、モデルと関係を考えていただけだ。世界モデルを作って、全ての根拠と根源と動機を分かっていた。全ての信念を包括して、頂点と包括のような考え方を分かっていた。
コンピュータは、拡張と共有である。そういうわけで、オープンソースが一番モデルとして正しい。オープンソースは、日本的なところがある。そういうことを言っていた。
オープンソースは、独立した社会が沢山生まれるのが、ドイツ的であると言っていた。
UNIXは、プロセス、パイプ、入出力の、マルチタスクによる自動化である。
もうそろそろ、書くことはもうない。
共産党がドイツ的なのは当たり前だから、ソ連はドイツだ。つまり、自分はドイツだ。
コンピュータも、キリスト教も、全てドイツだ。ドイツが正しい。それは、悪いと言う。