社会や機械の、構築や関係の中での、意図を考えていた。世界における、さまざまな人間の意図を考えていた。
共感から分かっていた。内面化と共感から、人間を分かっていた。
プログラミングは、DelphiのGUIで、自動化と思えばいくらでも出来るようになる。
何でも自動化と思えば良い。それでコードが書ける。
そろそろ全部良くなった。もう何も怖くない。
昔は、コンパイラ、カーネル、シェル、パイプと入出力などから、UNIXのことが全部分かっていた。起動スクリプトやディレクトリ構造を知った。そういう、賢い人間だった。
戦争と革命は、世界を変える。
自然で、努力可能な経験を積み重ねることで、世界は変えられる。
それぞれの個人の努力と意志と合意によって、あらゆることを出来る。
そのような、左翼や右翼ではない、自由な考え方で世界を変えること、自由な発展、のようなものを書いていた。
最近、左翼や右翼になって分からなくなった。もっと、自由に世界を変えれば良い。昔は、そういうものしか書いていない。
自由な努力と合意によって世界は変えられる。工場は、自由なプロセスを共有出来る。そういうものを書きたかっただけだ。
あとは、ブッダのような、経験から悟る内容が多かった。修行のような解脱のプロセスを全部書いていた。涅槃までが全て分かる、マスターのような人間だった。
決めれば壊れるが、変えれば滅びる。そういう国の支配の考え方が多かった。
分散し、独立し、互いに関与する共同体を理想と言っていた。
教育は、きっかけを与え、自分の内から生まれる、欲求や発想を、自分の手で確かめ、内面化し、人生を歩み、色んな社会経験を積み、技術を教え、自分の手で道を切り開く、民主主義の学校にすべきだ、と言っていた。
あとは、可能性を信じていた。
想像力を高め、社会を改善し、自然に積み重ね、自由に考え、経験し、思考し、自分の可能性を高め、社会の可能性を高め、環境の可能性を高めること。
自由自在な段階の考え方から、未知を捉えることが出来る。
社会は、発想可能、理解可能、変化可能、実現可能、分析可能にするべきだ。
そのような、可能性のような文章を書いていた。
良く分かっていなかった。そのまま、全て言葉にして分かった。
言葉と想像力は逆だ。言葉にすればするほど、想像力が無くなる。想像力がある人間は、賢く見えて、馬鹿だ。言葉の方が賢い。右脳と左脳だ。そういう人間が多い。
あとは、相対的な知性や自然の考え方を言っていた。
ただ、神は居る。神と対話したせいで、居るのが分かった。
神が大洋のようなものだとしたら、人間は波のようなものだ。
宗教は間違っていない。仏教は、大まかに言って正しいが、正しく見えて正しくないものもある。宇宙を複雑な縁起の組み合わせであると言っているが、本当は単純な考え方で動いているのが宇宙だ。条件と原因は、多く見えて、少ない。
宇宙の法則は、言ってしまえば、既に知っているものを体験し、本来の自己を思い出す、と言うことだ。それが、神と人間との関係だ。
そして、もう一つは、全ては唯一無二の可能性である、と言うことだ。
あとは、状態と方法を考えていた。
未知を捉えることから、好奇心と愛が生まれる。
考え方から、見方が変わってくる。
勇気を持って皆を愛すれば、天国に行ける。
そのような、知恵のようなことも言っていたが、多くは、いつも言っているような、相対的な科学者のような状態と方法を言っていた。
迫害されるのを恐れるな。迫害されるのを恐れると、迫害よりも怖い、地獄に堕ちる。迫害を恐れないことで、神との合一へと達することが出来る。その方が、楽だ。
あとは、感情を考えると良く分かる。
愛を信じると、天国へ行ける。
自由を信じると、孤独の地獄になる。
戦いを信じると、修羅になって、神の地獄になる。
もう一度、最後に愛を信じると、涅槃に達することが出来る。
そのように、感情からありえないものを分かっていた。そういう人間は、多い。
もっと、普通に感情から自分の世界を考えれば良い。
孤独は、自由によって安らぐことも出来るが、戦っていると楽になる。
心の声は、きちんと正しく自分の望みを叶える。
人との関わり合いから、宇宙の真理を全て知ることが出来る。
あとは、インターネットをしながら、自分でも世界が変えられるのを分かっていた。
これが、普通、ブッダの通りになる。
四聖と六道の十界になって、四諦と三法印と八正道になる人間が一番多い。
何かをするためには、何かが必要だ。それを分かると、分かる。
自分のおかげで、悪い人間が居なくなった。
希望といつも言っていたが、希望の無い狂った世界になった。
希望のある、正常な世界にした方が良い。
経験から社会を考えていた。
社会のレベルを考えていた。
原因と結果を相対的に考えて、想像力で本当の理由や、第一原因を分かっていた。
生産手段を共有せよ。
デカルト的に、多角的に考えよ。
感情を実感で分かれ。
愛のようなことを考えれば分かる。
僕の言う、デカルト的な考え方とは、言葉などの意味を記号のように論理的に増やして考える、数学的な考え方であって、デカルトはそんなことは言っていない。
数学者のように考えれば良い。
これで実験して、行動して、試して、想定して、洞察して分かった。それを書いていた。
見ていると、農家からプログラマまで、皆希望がない。
日本を救いたいが、一人では救えない。皆と協力した方が良い。皆、何も出来ないのに、自分がそこまで出来るのはおかしい。
愛は、思弁哲学と思えば分かる。
自分なんか、弱い方が良い。これでは、独裁者だ。
老人は暑さを感じないと言うが、自分もこの夏は暑さをあまり感じなかった。空腹を感じることも少ない。
自分は、この年齢なら、まだ何か出来る。20代だ。老人が何か出来るわけがない。
最近、あまり食べたくない。吐き気がすることがある。昔から痩せている。
人間は、実証で賢くなる。実証すれば、増える。
昔なんか、実証を全部して分かっただけだ。
あとは、関係、想定、推論、場、像、記憶、作用、反応で分かった。
予測と学習から、知識と正しさを考えて分かった。
実証から予測出来る。そういうことを言っていた。
要らないものは、無い方が良いとは言うが、自分の場合、そこまで全部あった。
だが、何も無かった。何も無い方が、まともに増える。そういうわけで、無い方が良い。
貧乏人は、金が無くても何とか生きられるのは、闇屋みたいな悲惨な仕事になれば生きられるからだ。そういう風に生きられている人間が多い。下層民は、悪い。
昔は、インターネットと引き篭もりの経験で全部分かった。人間と社会の経験が全部分かっていた。オープンソース活動をしていた。
最近、戦いの経験が増えた。本当に、経験で全て分かった。哲学者のように経験と理性を考える。神を信じていた。そういう、まともな人間だった。
創造性を信じながら、意識で分かっていた。楽しいことや辛いことを、全て経験して、分かち合った。そのまま、オープンソースの手助けをして、資本主義を知り尽くした。経験から、社会を知って、社会の問題と構造を考えていた。
宇宙人のように成長した。大人のように、社会を知っていた。社会のことを全部知って、科学的に考える理性があった。何でも実現出来て、解決出来る、オーウェンやレーニンのような、革命家のように経験がある人間だった。
自分から負けて、相手を許すこと。信頼すれば、信頼してもらえる。
社会や価値観のようなこと、創造性や手段のようなことを、全部知っていた。
社会に対する知恵と工夫のようなものがあった。それで、人間を経験から吸収した。
それこそ、宇宙人のように、成長と経験の理性が全てあった。
宇宙人と言うと、小説でも書けば良い。ナメック星人でも作れば良いのが自分だ。
あとは、文章を読んで、書いて、会話して分かっていた。
遺伝子のような状態や記憶を信じて分かっていた。そういう人間だった。
キモくなって分かっていた。
最近は、本当に良い人間になった人間が多い。良いからそうなる。良い時代があると、誰でも良い人間になる。良い時代が無かった人間は、悪い人間になる。
記憶と真実から、人間を考える。いつ、何が正しくて、どんな関係が成り立つかを考える。昔は、そういう、ヘーゲルやハイデガーのような人間だった。法則の真実と、人間の実際の姿を考えていた。それも、キルケゴールと同じように、意識で分かっていた。
経験論は、感情と観念と意識にあるものを経験的なものだと言うが、自分は、宇宙的で、根源的な、イデアのようなものだと思う。だが、それでは分からない。
モデルとは言うが、モデルは経験から分かった。構造や関係や方法は、全部、ネットで経験して、経験から分かったのが自分だ。
皆も、経験からモデルのような知性を考えれば分かる。とにかく、知覚して、実証して、思考して、会話して、体得すること。それで、経験からモデルが分かるだろう。数学者のように、概念と方法を考えれば良い。昔なんか、モデルと概念と本質が分かっただけだ。
あとは、相対的な認識や言語を考えれば良い。
そういうものを、ただ分かるのではなく、関係を考えれば分かる。そこが一番、最近分かっていない。もっと、応用的に、高い立場から、相互作用を考えれば良い。心の相互作用を考えている馬鹿が多かった。それで、予測や実証と言っていたのが自分だ。
人間は、確かに生きているし、動物も確かに存在している。そういう風に、当たり前のことを考えれば分かる。ハイデガーは、意識を存在と言うことにした。それは、おそらく、経験的に分かっている。実存主義は新しい哲学だが、間違っている。きちんと、それぞれを存在していることにする、ハイデガーの逆の哲学が正しい。それも、存在していないように見えるものも、全て存在している。そういう風にすると、感情と知性で分かる。昔は、そういうところを根源的に考える、意識と理性で分かる人間だった。
環境を視覚的に考えること。モニュメントのようなものを作る、と言う発想も良い。そういう、賢い発想を、良く考えていると、経験をモデルに出来るのが分かる。そうすると、ヴィトゲンシュタインのように、全部の哲学が出来る。それどころか、全て分かる。経験を疑って、モデルにして分かるせいで、同じように、デカルトなんか、全部分かっている。そういう、全部分かっている哲学者が多い。哲学者とは、そういう人間のことを言う。
もう既に、全部分かっていた。それが、意識や存在のことを言う。そうい文章だった。
理性的に考えれば良い。もっと、思考的なもの、発想的なものを分かれば良い。
メタ的に考えれば良い。王を生み出す王、水を流す水、言語を作る言語、のようにする。
あとは、自由になれば良い。自由になると、遅くなって、まともに分かるようになる。
哲学的な善を信じると賢くなる。感情が全て経験だと、善だ。人間を手段ではなく、目的と扱うと、善だ。あとは、「しかしながら」や「ならば」から思弁哲学をすれば良い。
その、善の信じ方を工夫すると、色んな哲学が出来る。カントからハイデガーまで、善の信じ方を工夫し、自由かつメタ的に考えるだけで、全ての哲学が出来る。
あとは、善とは何なのかを、愛や不安、感情の吐露、実践的な行動と経験から考えて、人間の本来の姿、存在のあり方を見つめ直すと良いだろう。
この文章は、色んなことを言っているように見えて、同じことしか言っていない。人生にあったことを言うだけだ。本当に色んなことが言えるようになったが、昔も似たようなものだ。色んなことが何でも言えて、教えたり悟らせたり導いたりすることが出来る人間だった。インターネットを見ていると、誰でもそうなる。まともな賢い人間になる。
昔から、戦いが多い。特に、ネットで戦っていると、仲間と一緒に議論することで、良い時間が過ごせる。楽に勝てるから、楽になる。そういう馬鹿な人間でもあった。死なずに戦うのは、悪くない。馬鹿な戦いをやっていると、賢くなって、分かるようになる。
もっと、哲学以外のことを考えれば良い。
環境は、基盤と拡張のプラットフォームだ。
分からない人間は、方法を知らず、経験が無いだけで、脳は馬鹿ではない。
遺伝子に差異は無い。脳も違わない。そういう、経験的なことが違う。
それぞれの生まれ育った環境で決まるから、平等にした方が良い。
ただ、そういうことを考えるなら、哲学以外のことを考えた方が良い。
いつも言っているが、未来のことは分からなくても、過去の今までのことは分かる。そういうことを考えれば分かる。
最近、皆賢くなったのは、馬鹿な議論と戦いの自由が良いからだ。本当に、自由が好きになった馬鹿が多い。テレビが普遍的な価値観なのは、おかしい。政治家にもそういう人間が増えた。テレビが嫌いで、ネットが好きな人間が最近多い。
戦いを悪いとは言うが、戦いでしか、分からないものだ。
最近は、支配して、戦争のようなことを文章でやっていたが、狂っているだけだ。分からないのに分かっている。知性が無い。そういう馬鹿が、ヘーゲルみたいに多い。
あとは、リサイクルは再利用だ。そういう、再利用や初期投資のように考えると、共有的なことが分かる。それも、悪くは無い。
真理とは、見つめ直すことだ。実際の姿を見つめ直して、新しい視点を持って考える。昔は、そういう人間だった。人間がどのように生きているか、何を知り、変え、経験し、支配するかから、人間がいつどのようになるか、そこではどんな真理があるかを考える。環境は自分で変えられるとか、自分は一人しかいないとか、皆は自分と同じだとか、知らないより知っていた方が良い、と言ったことが分かる。そのように考えれば良い。
思弁哲学から、思考と論理性が分かる。再思考と再利用の科学が生まれるだろう。かもしれないなどの可能性から、状態などの様相、レベルのような段階が分かって来る。
自由とは、コンピュータを使うこと、神を信じること、日記を書くこと、哲学を勉強することだ。そういう、どうでも良い人生の自由を良く書いていた。
昔、中学生時代賢かったのは、オンラインの難しいネットゲームをしていたからだ。
ゲームが出来るせいで、学校の試験は、勉強して覚えて高得点を取っていた。
その後に、オープンソースで哲学が分かったが、哲学は、ゲームと同じだ。
そういうわけで、2ちゃんねるが哲学が出来る。そういう人間が多い。
あとは、宗教が哲学が出来る人間が多い。キリスト教を信じていると、哲学者の方が分かる。教会には、そういう馬鹿が多い。そういうわけで、こういう発想が哲学だ。
あとは、人間のことを分かった方が良い。昔分かっていた内容は、もう忘れた。人間のことを何も分かっていない。欲や思い込みだけでは分からない。経験して、考える必要がある。昔の自分が言うと、経験に頼りながら、正しく信じ、正しく疑えば分かる。だが、それでは何も分からない。それだけで分かるわけがない。
自分を皆と同じだと考えて、皆も自分と同じだと考えれば良い。
テレビのアナウンサーが馬鹿に見えて、それはおかしい。アナウンサーは賢い人間だ。
キャスターやタレントも、馬鹿に見えて賢い。そこから分かるしかない。
友達が居ないのが悪い。ネットの友達ではつまらない。もっと普通の社会経験をした方が良い。社交に野心が無いのがおかしい。恋愛もしない、結婚もしないでは、分からない。
こういう馬鹿は、2ちゃんねるに多いから、見ていると、見るからに同じ馬鹿が多い。
高校ぐらい行った方が良い。ネットで言葉だけのコミュニケーションをしていると、本当に分からなくなる。そういう人間が狂う。自分の2ちゃんねるを作る意味が無い。最近の自分には、そういう発想が多い。自分だけで分かるようにしたかっただけだ。
ただ、明らかに、2ちゃんねるを見なければ分からない。そういうわけで、むしろ、そんなに分かる方が悪い。ネットより現実、オンラインよりリアルの方が良い。その方が楽だ。そういうわけで、賢い人間は居ない。サルトルやハイデガーは、2ちゃんねるだ。
ネットで人間を見て分かった。創造性と共有が好きだった。きちんと言えばそうなる。
もっと、何か、家族と付き合うしかない。家族が好きだ。友達を作った方が良い。
昔の賢かった点なんか、他にパソコンぐらいしかない。パソコンをしながら、ネットで人間を知って分かっただけだ。一体感や経験が多かっただけだ。
昔は、本当にヘーゲルみたいな人間だった。賢いのに狂っている。不思議と、自分はいつも狂っている。治るわけがないから、治りたい方が狂う。それが分かっていない。
人間を吸収して、全員になって、全員を融和させて分かったのが昔の自分だ。
むしろ、まともな人生が良い。それが一番幸福だ。自分より不幸な人間なんか、居ないように見えて、多い。まともとは言うが、皆辛い。辛い人生が、一番多い。
そういう風に言えば分かる。皆、辛い。
あとは、昔は現状分析をして、大学や会社のようなことを全部して分かっていた。
労働の経験から分かった。そういうわけで、仕事をしなければ、分からない。
仕事のようなことをしていると、ネットを見て分かるようになる。テレビなんか、手に取るように分かる。そういう人間が多い。昔の自分がそうだった。
あとは、価値観、影響力、環境の変化を言っていた。不思議と、そういうことを言っていたのがいつもの自分だ。人生を知って、社会の構造を知れと言っていた。裏の理由を分析せよと言っていた。そういう、賢い学生や社会人が分かる。ニートや作家には分からない。
価値観は、客観視になって、法則になって、全体像になる。そういうことを言っていた。全体視から、全てのことを分かった。世界を高い立場から見下ろすように分かっていた。細部まで、考え方と人生は全部分かっていた。だが、つまらない人間だった。本当に自由な、ニーチェのような馬鹿な人間だった。
それで、社会参加とか、研究手段などと言う。そういう、人生的なことを書いていた。
学校に行った方が良い。普通、学校に行かない幼児がこうなる。何も分からない。
手塚治虫が賢いのは、こういう風に、全部意識で分かっているからだ。
あとは、博物学が多かった。色んな科学のことを、本当に良く知っていた。想像力から知識を吸収して、実体験から考え方を知って、科学の構造と基礎を作った。
本当に、仕事をすれば分かる。自分が何か分かるはずがない。自分が何なのかも分からなくなっている。こんな人間は、馬鹿だ。
放送大学を見ている。放送大学に浸っているのが良い。日本語が分かるし、色んなことが分かる。無料だし、賢い。放送大学漬けが良い。
Linuxは、本当のコンピュータの本流だと言っていた。そういうどうでも良いことを言う。
あとは、昔は、悪いものなんか無くて、皆良いものだと考えていた。そこがありえない。日本には、悪いものしかない。良いものしかないと言うと、何も分かっていない。
明日はピアノ教室で、明後日は英会話教室だ。そういうわけで、最近は学校にも行っている。そういうものを増やした方が良い。こういう風に分からず分かるのが終わって、きちんと分かるようになる。そういうわけで、また学校に行けば良い。
ネットや社会のことは、もう分からなくて良い。それで怖いのが治る。
今、放送大学の乳幼児心理学の講義がやっているのを見ている。
目の前の現象の裏にある、メカニズムの理解を、と言っていた。
そういうことを分かると賢い。
もう怖くない。
何も分からなくなるのが怖いが、それで日本語が分かる。日本が怖いだけだ。
ネットで社会を知ったせいで、今の社会とネットが分かる。色々と、悲惨に、ページや画像を公開して、書いたのが怖い。ハッキングも怖い。それをもう、分からなくて良い。
ネットも怖いが、今の社会も怖い。これで今の社会が分かるのは当たり前だ。王をやっているから、社会のことが分かっている。それを、もう止めた方が良い。分かってしまうと、怖い。誰も悪いことはしないが、皆はこういう人間が怖い。自分もそれらが怖い。
昔は、賢いものが全部分かっていた。皆も、そういうものを分かると良い。
再利用、相互作用、プラットフォーム、集合知、細胞分裂、意識、設計と組み立て、知識の集まり、組織の構築、方法、条件、原因、など。そういう賢いものを書いていた。
環境を自由にする、教育に考える機会と知る機会を与える、経験を分散した共同体にする、細胞の1つ1つにも意志はあるか、プロフェッショナルを生み出す土壌、のような、色んな賢いことを言っていた。それは、賢いことを全部分かっているから言えるだけだ。
そういうわけで、そこをしただけだ。
自由自在に全てのことを考え、自由を成り立たせる。そういう、自由な文章が多かった。
本当に社会のことが分かっているから、ありえないのが自分だ。
ものは、材料と概念を組み合わせて、知識と想像力で作る。それが工場であり、会社だ。昔から、そういうことを言う。もっと、方法的、経緯的なことを良く考えれば良い。
体験からこの社会を作るべきだと思っていた。
放送大学を見ているが、見ていると、心理学や情報には意味が無い。さわりしか見ていないから、何とも言えないが、それはしないことにした方が良い。歴史と哲学で充分だ。
ただ、そうでもない。乳幼児心理学に意味が無く見えるのは、当たり前だ。子供なんか、すぐに大きくなる。乳幼児は、すぐに終わる。あとは、情報は、アニメが出て来たせいで、嫌いになっただけで、数式を見ていると、サインやコサインがいくらでも出て来る。意味が無いように見えない。賢く見える。そういうわけで、放送大学を見た方が良い。
普通、出来事や言語を分析するのが分析哲学だ。そういう発想をすれば良いようで、もっと普通の発想をした方が良い。文字や数は記号で、生命は遺伝子と分類だ。ものは形と色と大きさだ。そこでは、現象学が出来る。どうでも良いから、もっと賢い方が良い。
分からない皆のことを考えれば良い。
皆、大学や書籍ではない、もっと活動的で体験的な、考えるきっかけと機会を持つべきだ。
そして、自分の体験からこの世界を分かる。
そのために、ネットが使えるようで、使えない。むしろ、神を信じることの方が良い。
キリストの通り、狭い門、小さな門に入って、敵を愛していると分かる。
最近は、そういう人間が増えている。ただ、正しい考え方を経験から分かった方が良い。
放送大学は、どうでも良いようで、学校に行かないと分からないから、見た方が良い。
乳幼児心理学は、普通自閉症などの子供の病気を考える。精神科医や、小児科の医師がする。自分はしなくて良い。そんなことをする意味が無い。
情報にサインやコサインが出て来るのは当たり前だし、物理や生物にも出て来る。経済学なんか、同じだ。高校をしていない、自分が出来るわけがない。
ただ、自分の場合、これできちんと大学と同じことが出来た。そういうわけで、知らなくて出来ない方が幸せな人間が、こういう風に多い。本当の大学は、意味が無いだけだ。
あとは、国際ボランティア学と言うのをやっていた。ボランティアの経験や、途上国の発展を考える。そういうわけで、経済学は賢い。そういう、社会系の講義も多い。
放送大学は悪くない。自分より1つ上ぐらいの賢さをやっている。賢くは無い。東大の方がはるかに賢い。だが、そんなにすぐには賢いものは出来ない。自分の場合、オープンソースよりは賢くなった。そういうわけで、放送大学で1ランク上の人間を目指せば良い。
皆が、何故わからないのかを考えれば良い。正しく信じる方法を知らないからだ。
カントが理性批判と言っているのは、それを言いたいだけだ。
自分が分かって、皆が何故分からないのかを考える。昔は、そういう人間だった。
そういうわけで、思い込みと欲が分かる哲学者が多い。そういうものが一番分からなくなる。基本的に、執着せず、手放した方が良い。それで、あとは、東大みたいに賢くなる。
何事も、頑張ってしなければ出来ない。そこが分かっていない。
最近、悪くなって馬鹿になったせいで、悪いものが賢く見える。おかしい。悪いものは明らかに馬鹿だ。
ユダヤ人は、あまり言わない方が良い。
神はユダヤ人だ。それは、ユダヤ人と言う民族が神なのを言っている。
自分が分かるのは、ユダヤ人の聖書で誰でも分かるからだ。
知らない方が幸せなことは、本当に多い。
大学は、出来ない。本当に、頑張ってしなければ出来ない。そこが分からなかった。
不思議と、考え方とは、協力の考え方のことを言っていた。社会を実現して分かっていた。
父親が言うが、そんなに無理せず、継続して頑張れば良い。
あとは、忘れるしかない。考えず、忘れれば解決する。そんなに馬鹿を考えなければ良い。忘れて治る。世界のことや外国のことは忘れた方が良い。
誰も自分なんか怖くない。むしろ、こんな馬鹿が王をやっていると、それで良くなるから、安心出来る人間が多い。
皆、放っておくと、何かアクシデントが一回起きれば治る。それで洗脳が解ける。
フランスは、忘れた方が良い。行ってもただ悪い人間が多いだけだ。
いつもの文章は、抑圧みたいなことを言っている文章が多かった。
大学なんか、しなくて良い。やることや分かることが何も無くなってからすれば良い。
自分の場合、本を読めば良い。日本史は、3分の1は読んだ。あとは、ロックとヘーゲルをやれば良い。ただ、そんなにしなくて良い。やりすぎている自覚が無いのがおかしい。
もう、終わった。もう何もしない。
全部やめるしかない。ドイツやフランスのことは忘れた方が良い。
ロックなんか、しなくて良い。いつも分かっている。哲学者は、全員分かりたかった。
全部忘れるべきだ。何かになるだろう。どこでもそれは、同じだ。
日本にはもう何も出来ない。日本には、ここまでの馬鹿が多い。