昔は、認識や経験とともに、環境や場を想定して考えていた。
意識から、環境や場を想定していた。
環境や、空間認識を考えていた。
人間がする色んな経験を考えていた。経験から、何を思うのかを考えた。
共同体の創造と変転を考えていた。
英会話教室に行ってきた。英会話教室が怖いのは、思いつく部分が怖くて、分かっている部分が怖いからだ。もう、怖くない。
今日は、放送大学の「国際理解のために」の教科書と、ロックとヒュームの本が届いた。
ロックとヒュームの本は、本当に難しい。だが、頑張って読めば、何か分かるだろう。
放送大学の本が良い。イスラム教やユダヤ教などの宗教と領土問題が書いてある。
中東にもキリスト教徒は居るし、イスラム教徒はキリスト教徒に対して寛容的だ。
そういう、イスラム教などに対する偏見の無い意見と解説が書いてある。
まだあまり読んでいない。だが、キリスト教徒が嫌いなイスラム教徒も多いように思う。
そういう、イスラム教徒に対する偏見を無くした方が良い。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、同じ神を信じている。それは知っている。
昔は、学習や原因と結果を予測して、環境を視覚的に考えていた。
また、方法を具体的に考えて、自由な中で何をすべきか、なすべきかを考えていた。
自分が嫌いだった。今考えると、今自分が好きなのが、一番良い。
それくらいの人間だった。最近の地獄は賢い。きちんと哲学が分かっている。
ロックとヒュームの本は、読めそうにない。精神現象学と同じぐらい難しい。原著は、読めないと思う。哲学なんか、自分はもうすでに出来ている。そういうわけで、哲学はもうしないと思う。歴史の本を読みたい。歴史なら出来ると思う。
昔は、言葉、経験、心、行動を比較しながら、人間のことを予想して、想定して分かっていた。全てのことを、事前に全部考えた。考え方と対処法が分かる人間だった。
哲学はもう終わりにして、政治経済と歴史をする。それで、もう全て終わった。
哲学は、これくらいが出来て良かった。むしろ、昔コンピュータ科学なんか、何も分かっていない。独自の調査研究をして分かった。自分は、そういうところが賢い。
認識を捉えて、それが人間の側にあるか、自然の側にあるか、個人か、集団か、のようなことを良く分かっていた。自由なモデルで分かっていた。
自分は、唯一オープンソースと哲学が出来た人間だ。
そういうわけで、政治経済と歴史をする。それは、賢い人間の方が出来るから、賢い人間になる。哲学者は、こうなる。ただの馬鹿になって、分かる人間になる。
そういうわけで、もう賢くなる。もう何もしたくないどころか、今からいくらでもやりたいだけだ。この文章は、もう書かなくて良い。
今、ユダヤ教のところを読んでいるが、ユダヤ教にはありえない戒律が多い。安息日には、労働は出来ず、車にも乗れない。だが、普通の人間がユダヤ人だ。ユダヤ人には、賢い人間が多い。
そういうわけで、哲学が出来たのは自分だけだ。頭の中の大掃除なんか、自分しかしないだろう。そういうものは、全てオープンソースのおかげで出来た。それが昔の自分だ。
Linuxのシステムは、誰でもすぐに作れると言う。コンパイラが難しいが、システムで難しいのは、シェルとパイプや入出力ぐらいで、あとは、Xが難しい。だが、基本的なシステムは、一か月で作れる。トーバルズとストールマンが頑張ったせいで、簡単に作れた。そういうわけで、明らかにマイクロソフトは馬鹿だ。誰でも簡単に作れるはずだ。
昔は、オタクが集まって作っていた。超一流のカーネルになるのは当たり前だ。無い知恵を絞ってオタクが考えている。本当のプログラマより賢い。
最近、もう終わった。GNOMEやKDEのようなものが、いくらでもある。オープンソースには、種類が多い。完成したのに使わない。何故か、LinuxのGUIはWindowsのパクリにしか見えない。誰でもWindowsが良いと言う。Windowsを使わずに、Linuxだけを使う人間は、一人もいない。本当にマイクロソフトが政治的に賢い。それは当たり前だ。
明らかに、簡単には作れない。トーバルズは賢い。ハードウェアを頑張ったように見える。そこは、人海戦術だから、オタクが賢い。ストールマンが頑張ってコンパイラを作った。あれは、自分の信念のために頑張る人間だから、頑張って作る。
そういう発想がオープンソースだが、キモイから止めた方が良い。そんなにキモくは無い。ApacheやPHPは皆賢いと言う。Linuxも馬鹿ではない。むしろ、Googleで良く見える。
UNIXに憧れる技術者が多いから、それらが作っているように見える。パソコンでUNIXは良く見える。本来のコンピューティングの再来に見える。だが、真面目に考えて、やっているのはマイコン世代の馬鹿だ。賢いわけがない。プレステのゲームの方が賢い。
どうでも良いから、Linuxは止めた方が良い。
あとは、哲学はもう全部終わって良かった。きちんと出来た。歴史と政治経済をしたい。
あとは、色んなことを経緯と歴史と思って分かっていた。
会社の歴史を知っていた。インテルやネットスケープなどの歴史を知っている。
最近は、日本語が分からないのが悲惨だ。それで歴史が出来ていない。日本語を分かった方が良い。これで日本語が分からないのは、パソコンと哲学のせいだ。そういうものは、狂って知性が無くなる。
不思議と、これでJavaをやらせると、まともに情報の講義だ。皆、JavaやC/C++などは、自分でやってほしい。僕が教える意味が無い。自分でやれば良い。アルゴリズムのような講義は、放送大学でやっているから、見れば良い。ネットワークにはサイン、コサインなども多いから、やるのは難しいだろう。
日本には、戒律が少ないのが良い。ユダヤ人には、ありえないほど戒律がある。安息日には、エレベーターにも、飛行機にも乗れない。ユダヤ人はおかしい。
自分が何か言う意味が無い。自分は、賢くない。国家モデルは馬鹿だし、哲学なんか、何も賢くない。いくらかしか分かっていない。賢い内容はあまりない。自分は馬鹿だ。
申し訳ない。嘘を書いた。安息日には、エレベーターに乗れないのではなく、エレベーターのボタンが押せない、が正しい。この文章には、そういう、ケアレスミスのような間違いが多い。情報にサイン、コサインが本当に多いか、分からない。自分はただの馬鹿だ。
歴史は難しい。きちんと、読んだものを頭で考えないと分からない。子供が見ると、数学の方が簡単だ。数学は、教えられた通り計算するだけだ。歴史は、考えるのが普通だ。
自分は、日記と思えばこれで良いように見える。英会話教室では、自分のことを日記を書いている大学生で、親と一緒に農業をやっているといつも紹介している。これがその日記だ。
ただ、親は科学者と教師だ。もう、定年で辞めたから、それで良いと思う。自分が作家なのは言わない。作家と言うと、小説を書いているように見える。こんなものしか書けない。
昔、哲学のようなものを分かったのは、他人の視点に立って分かっている。それで、色んなことを考えて分かった。視点を色々と変えた。記憶を考えた。認識を疑った。そういう風に分かっただけだ。
あとは、色んなことを自由に捉えて分かっていた。
未知が多かった。新しい世界を知って、気づいて分かっていた。
そういうわけで、若者にしか出来ない。大人は、すでに成長が止まっている。大人には出来ない、子供の夢の学問が哲学だ。子供が賢いだけだ。
あとは、モデルを作るのぐらいが分かっていた。
歴史の良い点は、きちんと言葉を考えていると、日本語が分かる。
日本史は、覚えている人間が多い。政治経済も、大人になると、分かる人間が多い。数学は、馬鹿だ。意味の無いマスターベーションに見えるのが数学だ。
ただ、これなら数学をやれば良いように見える。子供は、算数をしていると日本語が分かる人間が多い。だが、すぐには分からない。子供も、すぐに日本語が分かる人間は居ない。色んなものを読めないなりに、想像力を使って読んでいると、読めるようになる。
ファシズムは、悪だ。本当にファシズムが好きなのは止めた方が良い。右翼は悪い。歴史をやっていると、そういうところがきちんと分かるから、馬鹿なのが治る。
そうでもない。歴史が一番、そういう馬鹿になる。
心理学は、治るように見えて、狂う。治る人間はたまにいるが、意味が無いと言っているのは、誰も治らないからだ。こんな狂っている人間が治るわけがない。
そういうわけで、心理学には意味がない。歴史と政治経済だけをやって、考えた方が良い。
ファシズムは、反抗して、世界を滅ぼすだけだ。右翼が一番悪い。左翼の方がマシだ。
自分は、これで右翼だ。きちんと正しい価値観を持っている。左翼や社会主義は、忘れた方が良い。昔の自分に多かっただけで、ソ連はある意味が無い。左翼は要らない。
そういうわけで、こういう馬鹿が日本に多い。左翼活動は悪い。もう止めた方が良い。
国際理解のために、をもう2章まで読んだ。
ユダヤ人は、ヨーロッパでキリスト教徒から、繰り返し迫害されている。ヨーロッパはユダヤ人の墓場であると言われる。一番悪いキリスト教徒が多い。白人はおかしい。
昔は、発見、経験、言語、思考、インターネットで分かる、情熱的で創造的な人間だった。
社会主義が好きなのはおかしくない。こういう人間が普通そうなる。
白人が悪いのは、人種的に美しいからだ。
酒は万病の薬だ。酒を飲むと治る。何もしないのが出来ないだけだ。しなければ良い。
昔は、本当に発見と経験が多かった。それで人生が分かった。それくらいの人間だった。
ものを自由に作ると言っていた。昔は、そういうところを全部考えただけだ。
社会は、制度、経験、法律、方法、共同体、などの自由によって生まれると言っていた。
そこには、全体像と構造化がある。そういう風に分かっていた。
昔は、方法と思考で分かっていた。方法を思考して分かった。
存在のようなものが、方法と思考から分かっていた。
狂わなければ、治らない。酒を飲んで、何もしなければ治る。何もしないのが辛い。
抽象的な構造と予測で分かっていた。学習と行動の関係を考えていた。
もう、足から手まで、全部治った。酒のせいで本当に治る。僕はワインが好きだ。
パソコンのような機械を作って、結果とプロセスを比較して分かっていた。
UNIXは、賢いコマンドを作るのが難しい。システムを作るのは難しくは無い。
ネットは、社会の実践の場になる。馬鹿なことを言っていると、客観視の練習になる。
あとは、コンピュータは拡張性と共有だ。
そろそろ、書かない。今日で、もう終わりだ。
明日死ぬのは、もう居なくなるのを言っている。もう、書かなくなる。
ロックとヒュームを読めば良いと言うが、読めるわけがない。超難解だ。
そういうわけで、誰も哲学なんか出来ない。自分だけが唯一出来たのが哲学だ。
回想と意識の経験で分かっていた。皆の延長線上のような経験を全部していた。
皆が、何を分かっていないのか、どうすれば分かるのかを考えていた。知の機会を考えた。