平面的な人間になった。
何でも予測するのが悪い。
発見はもうしなくて良い。
発見みたいな文章が多かった。
何か言えば分かる。
労働の経験が全部あった。
ネットであらゆる労働をしていた。
コンピュータ業界のニュースを読んで、競争し、資本主義を知り尽くした。
自由がない。
昔は、自由の延長線上の哲学を分かっていた。
最近は、文章の経験がある。
色んな体験をしたかった。それをもう止めれば良い。
イスラム教は、貧者への喜捨を実行する。キリスト教も弱者を救うが、イスラム教はさらに優れている。
あとは、社会主義のようなことを分かっていた。
政治は、大統領の、血筋か選挙による変転である。
経済は、増える世界か、減る世界だ。
支配は、金か、党だ。
社会主義は、計画経済、国民公社、社会所有、平等分配だ。
自由主義は、自由競争、市場経済、金、自由資本だ。
そのように、社会主義と自由主義を比較して分かる。
頭の中が、そういう、国際的な経済の頭になっていた。
もう書かない。今日でもう終わりだ。
政党は、議論し、意見し、党と首相を支える。
そういうことを言っていた。色んな社会的な発想をしていた。
上にキリスト教の神が居れば良いと言っていた。
社会所有のことは、管理所有と言っていた。
そう言うことは言うが、むしろ、資本主義の方が好きだった。
競争と資本家の経営によって、全体が賢くなる。
政府は、小さな政府であるべきだ。
社会主義も、それはそれで参考になると考えて、構造にして理解していただけだ。
そういうわけで、僕は資本主義も好きだ。
社会主義者を全員創って、ロシアの歴史を書いて、国をモデルにして比較で分かった。
社会主義は、止めた方が良い。一番悪い。ただ、ほとんど社会主義しか書いていない。
あとは、人格や環境を全員分作っていた。毎日、1人人生を生きる。
本当に、もう何もしない。もう止めれば良いから、悪いものを書いているだけだ。
昔は、社会と地球のことを全部分かっていた。そういう全部分かるのを書いていた。
今日は、英会話教室に行かないことにした。行きたくない。
何か、賢い学問をやれば良い。賢いことが分からないから、分からないだけだ。
昔は、パソコンと数学と自分で作る科学で分かった。社会のことも分かっていた。
そういう、賢いことを全部分かれば分かる。そういう人間が、父親みたいに多い。
一度負ければ良い。そんなに勝つのは辛い。
勝ち負けは良くない。勝てば勝つほど皆が負ける。
皆を勝たせた方が良い。
自由に与えるか、平等に与えるか、上が決めるか、下が決めるか、どのように働くか、どうすれば自由に働けるか、どんな考え方で決めるか、のような社会のモデルを作っていた。
自由なまま可能性を高めて、支配者になれるように考えていた。
契約は変化の成り立ちであり、改革は変化の実行であり、それらは変化の実現である。
民主主義とは、国民が変化を執り行うことであり、多数派の民衆が支配することである。
そのように、何もかも言葉を統一して、説明して分かっていた。
平等は、多数派から独立した共同体であり、自由は状況に応じて適応することである。
ロシアの歴史を作っていた。
システムを全部作っていた。
無責任だったが、優しさや思いやりを書いていた。
自然や地球の変化、方法、経緯を書いて、社会の段階を分かっていた。
自由は、市場経済や競争など、多岐に渡る。そこでは、個人と市場の自由を尊重し、行動とそれぞれの自由によって、規制を緩和し、努力と能力と実現力に応じて、自由に金儲けを行う。それが、一番、賢いものをもっと賢く出来るし、自由になれる。
そういう、自由な経済のようなことを考えていた。
それぞれが自由になることで、自然に世界は進歩し、人は本当に努力して、この世界を全て見通し、理解し、理解を共有し、可能性豊かでそれぞれが許された経済を実現出来る。
もっと、自由な経済を知れば良い。それで賢くなれる。
自然科学をすれば良いように見える。数学は難しいが、生物学なら出来るかもしれない。
自由な社会とは、教育と資本の共有であり、向上であり、自由を許して、それぞれが自由に出来て、信頼して、民衆の手に政治と経済を委ねて、本当に賢いものが勝つようにすることだ。それが自由であり、自由はフリードマンが言うように、一番差別の無い主義だ。
そういう風に文章を書いていた。考え方や国家の構造のようなことを言う。
もっと、自由になった方が良い。皆、それぞれが自由になることで、この世界は発展する。
ただ、自由は規制すべきところもある。自由になればなるほど社会は分裂して、分からなくなって、滅びる。自由は、一番良いように見えて、一番悪い。
自由とはボトムアップであり、民主主義だ。それぞれが自由と影響力を行使しながら、それぞれが自由に社会を形成し、自然に積み重ねて発展させる。
そういうことを言っていると、無政府主義者に見えるが、それでも、ボトムアップ的な民主主義の思想は多かった。
学校も、同じように、社会の構築と変化を学ばせるべきだ。いつもそういうことを言う。
むしろ、政府が何かするのも悪くは無い。実現力があれば良い。自由とはそういうものだ。
創造性と自然な積み重ねにするのは良いが、最近はそれで馬鹿な国になったのが日本だ。総理大臣がコロコロ変わる上に、全部やる右翼になっている。
もっと、権力で日本を治めるしかない。それは悪くない。代表にすればそれで自由だ。
あとは、資本の共有とか、自分と同じことが出来る国とか、社会論が多かった。
これで良く考えて行動すると、ブッダのような、解脱が出来る。
昔は、それだけの賢い人間だった。そういう、マスターのような文章を書いていた。
経験の裏側にある、条件や方法を考えること。そして、経験から思考し、行動し、それぞれの役割と原因を考えること。何がどうなるか、関係を考えること。
もっと、もっと、色んなものを知って、良く考えること。行動的になること。
解脱は、それだけでは出来ない。精神のことを良く考えて、精神から脱出する必要がある。
左翼は悪い。もっと国には実現力があった方が良い。
そういう、実現力のある国のモデルを、EUのように考えていた。
もう終わりだ。解脱がしたいなら、永遠に2ちゃんねるをやっていると出来る。オープンソースと言うよりは、コンピュータのことを知って、ガーデニングや語学のようなことをしながら、仲間と政治やスポーツのことを話す。
経験論のように、ヤスパースのように考える。ヤスパースが大乗仏教のように見えるのは、解脱が出来ているからだ。そういうわけで、それで解脱が出来る。
楽しいことや苦しいことを経験しながら、皆と経験を分かち合って、自分の経験から皆のことを考える。もっと、神の愛とビジョンから分かれば良い。それが解脱に繋がる。
状態を知りながら、原因と結果を知り、それを変える方法を知る。それが何かを考えるよりも、それに対して何が出来るか、何をどうすることが出来るかを考える。
解脱は、そういう、自分の中にある殻を壊すプロセスだ。殻に閉じこもっている間は分からない。ネットで経験すると、良く分かるだろう。
そして、理想の社会を実現するために、大地に根を生やす。それが涅槃である。
自分は、煩悩が多すぎる。だが、それは悪いことではない。悩みから創造的行為を実現しているだけだ。こういう風に生きたいなら、生きれば良い。この道は、悪くも無く、良くも無い、普通の道だ。自分の好きなように生きるのも良いが、これも悪くは無い。
昔なんか、ネットでいくらでも恥をかいて分かっただけだ。色んなことをネットに言って分かった。悪いことも良いことも全部言っていた。世界を変えたい、みたいなことを言う。それ以上は、誰でも、ネットで経験していると、解脱が出来る。
心の裏の理由など、裏の世界や法則を分かっていると良く分かる。
自分の心から世界が分かる、ありえない人間が多かった。
何か賢い学問をした方が良い。日本史はつまらない。
昔は、ネットを見ながら世界のモデルを作った。
人間と社会のモデルを、積み重ねて作った。
だが、そういうありえない発想をもう止めた方が良い。中学生みたいに意味が無い。
高校生が馬鹿だから、中学生が好きな人間が多い。中学生には、真面目な人間が多い。
自分の場合、自分のクラスが悪かったせいで、分かっていない。勉強出来る人間は居ないが、どのクラスも平和で、普通に勉強している。自分のクラスが悪かっただけだ。
そういうわけで、学校なんか何も悪くない。普通、高校生が悪いだけだ。
フィヒテが言うように、宇宙は絶対的な超自我である。
不思議と、高校は賢くない。行っても辛いから、行かなくて良い。
学校なんか無い方が良い。文字と計算ぐらいは出来るべきだとは言うし、日本史と理科ぐらいはあった方が良い。そういうわけで、無い方が良いとは誰も言わない。
全部正しくするのが間違っている。全部正しいことを言うのが悪い。
世界はもう滅びる。それで足が治る。
本当に自由な方が良い。それぞれに任せるべきだ。必要なことを全部教えて、出来るようにするべきだ。選択は自分でして、必要なものを与える。何より、基本を教えるべきだ。
最近、夢が面白い。寝る時に見える夢が、面白くなった。たまにキモイが。
自由で誰でも分かる。分からない人間は、方法が分かっていない。方法を良く考えれば良い。数学と方法が分からない人間には分からない。だが、自由に勝つ余裕を与えるべきだ。
時間と手段が必要だし、自由に考え、全てのことを理解しようとする、心構えが必要だ。
そういう、自由な手段と心構えのようなことをいつも書いていた。
だが、老人には何も出来ない。若者をもっと自由にした方が良い。何か出来る。だが、若者を自由にすると、悪いことをする。そこのバランスを考える必要がある。
治るわけがないと思った方が治る。足は、消すしかない。
思弁哲学と自由で分かっていた。考え方と弁証法を考えて、無制限、無支配の、共産主義者のような自由で分かっていた。合意と許可、無制限と選択肢、システムと手段で分かっていた。そういうわけで、自由が好きなだけだ。戦う自由も好きだった。
それぞれの自由に委ねるべきだと思っていたし、自由の方が平和になると信じていた。そして、国家に支配されたり、従属されたりするのは、間違っていると信じていた。人間は自由で、国家に支配されるものではないと、信じていた。権威は嫌いだった。
だが、権力は否定しない。支配すると、色んなことが出来る。もっと支配が皆出来るようになって、流動的な階層を構築するべきだと思っていた。支配するのも、されるのも、自由で、それぞれの意志と合意に応じて行われるべきだと、信じていた。
ただ、不自由も嫌いではなかった。不自由な世界も、ある意味では可能性だ。
いつも、考え方や方法の構造を言っていた。
可能性を分かっていた。宇宙の全てに概念的な名前をつけて、分類し、把握していた。
信じる、疑う、実地的に考える、認識する、信念、全体像のようなことを言う。
他人に迷惑をかけないのが良い。それが一番良い心構えだ。
親や兄弟に迷惑をかけるべきではない。社会主義は悪いから、忘れた方が良い。
あとは、生きるのは辛いが、辛いのを受け入れて、頑張るしかない。
あとは、社会パターンのようなことを言っていた。金、指導者、宗教、理論など。
不思議と、戦争や国が亡びるのは、あまり悪くない。
それは、自衛隊しか死なない。自衛隊が悪いだけだ。
社会主義は、不思議と、悪い。逮捕されると、家族に迷惑がかかる。
若者には、分からない。オヤジには、迷惑をかけるのだけが悪い、しか居ない。
プロフェッショナルを生み出す土壌、のようなことを分かりたい。
それは、不思議と、夢や希望があると分かる。何かを知って、活動していると分かる。
物理は、異次元だ。もっと次元の高い物理学が生まれるだろう。
冠詞を多様にすると言っていた。それは、言語と自由と数学の関係を考えただけだ。
細胞には意志があるかもしれない。アメーバから分裂して生まれたのが生命だ。
人間は、神なのか、進化したのか。そういうことを考えると分かる。海が考えて作ったように見える。宇宙人が創った、という説もある。
プログラミング言語を日本語で行う。もっと、国際的な、記号のような言語にする。そういうことを言いたいように見える。
ネットワークを使って、本当に使いやすい、クラウド的なOSを作る。
まさに、パソコンが一番そういう発想が分かる。昔なんか、パソコンで分かっただけだ。
ものを、再利用・共有可能にする。
パソコンによるコミュニケーションを、もっとマルチメディア的にする。
そういう、おかしな発想をいつもしていた。もっと考えれば良い。
施設を再利用・共有可能にする。店を創造的にする。そういうことを言っていた。
自治体を流動的にして、簡単に新しい会社を作れるようにする。
そういう発想が分かる人間が一番多い。もっと、普通に発想すれば分かる。
オープンソースは、ソフトウェアのソースコードだけではなく、多岐に渡ることが出来るかもしれない。ハードウェアの設計図と製造工程、会社の経営方針、工場のプロセスと管理、大学の知の集合知のようなものを、共有して、バザール開発に出来る。
そういうわけで、オープンソースは、社会主義の実験体だ。ただの馬鹿だ。
はてながいつかはてなアイデアと言ってやっていたように、意見や発想をBugzillaのようなシステムで共有して、実現することは出来るが、それはプロの技術者から見て、技術者をロボットにしているだけだ。止めた方が良いだろう。
あとは、宇宙にはありえないものがたくさんあると言っていた。おかしな機械が多い。
あとは、自宅で自由に学習し、労働する、と言った発想が多かった。
何かすれば良いのではなく、何かになれば良い。
なろうとしないのがおかしい。
自分を変えようとする、アクションを起こさないから辛くなる。
楽な人間になりたいなら、楽になろうとすれば良い。頑張って楽になれば良い。
そこが分かっていない。地獄に耐えるのではなく、なれば良いだけだ。
最近は、認識が怖くなっている。認識するだけで、辛くなった。
何も分かっていないのは、分かろうとしないのがおかしいからだ。
もっと意識を増やせば良い。それが正しい。誰でも、意識を増やせば賢くなる。
意識を増やすためには、意識の実験をすること。
昔は、そういう風に、問題を解決して、全て分かっていた。最近分かっていない。
意識の実験をすると、皆が治る。この世界が賢くなる。その代り、滅びて死ぬ。
僕は、多重人格のせいで、自閉症になっている。日本語が分からない、赤ちゃんのままだ。
多重人格を治すしかない。それで自閉症が治る。
経験とは、自由の中に道を作ることだ。
そういう、カッコいいこと、経験から来る知恵のようなことをいつも言っていた。
あとは、馬鹿なことを言っていた。何故か、世界征服のようなことを言っていた。
いつも、何も出来なくなって、世界を支配する。それが、スターリンのような王だった。
自由とは、存在し、認識出来ていることだ。
想像力で、時間と空間、成り立ち、場と集団、個人と主体性、機械や心理、のようなことを考えていた。想像力があった。世界モデルと同時に、様相を考えていた。
最近、想像力が無くなったが、昔は本当に、想像力と論理力を兼ね備えた人間だった。
地球が、今この角度で居られて、僕らが一緒の場所に居られることが自由だ。
そういうものは、本に書いてある。もっと思考、感情、想像力で考えれば良い。
物理とは次元であり、観測だ。
生物は、生きる力の考え方だ。
そういう、科学の発想と知恵ぐらいを言っていた。
不思議と、これくらいでいつもの文章は誰でも分かる。
いつも、認識と存在のようなことを言うだけだ。それを自由や体験と言う。
人間のことを体験と言って、詳細分析のようなことをしていた。世界把握だった。
信念とは、優しさ、強さ、楽しさ、協力、支配、議論だ。
信念、価値観、感受性、真理、自由、愛、不安、経験、体験、心が全てだ。
いつもそういうことを言っていた。
そろそろ、虫みたいに見えるのが治る。もう本当に分かった。木に見えるようになる。
経験を習得的だと言って、学習や活動を考えていた。それくらいの文章だった。
歴史は、抑圧と支配をどのようにしたら無くせるか、それはどうなるか、を考えていた。
数や表現や言語のようなことを自由に考えていた。
国家は意見であり、議論するべきだと言っていた。
アリストテレスのように、目的と原因のようなことを考えていた。
社会がどのように生まれるか、どんな社会がどんな社会になるか、を考えていた。
社会を全部作っていた。手段とシステムと環境から、あらゆる社会を作った。
何かをする前提、判断する前提のようなものを全部書いていた。
本質みたいなものを考えた。ヘーゲルのような思弁哲学だった。
宇宙の意識レベルのようなものを書いていた。
あとは、とにかく自由のようなものを考えていた。
非科学的なところもあった。宗教のように人生の段階を考えた。
ただ、皆を馬鹿にするだけの、悪い文章だった。
アメリカを農業地帯にして、ドイツとフランスに本部を置き、世界を征服する、と言ったような、悪いことを言っていた。
もう分からない。続きは明日書けば良い。
自由な存在と認識の考え方のようなものをいつも書いていた。
普遍性みたいなものを考えて、システムを作っていた。
契約のような文章だった。
オープンソースのような文章を書いていた。全て書き直して、書き足していた。
世界に自由を言って、世界を支配する。ただ、悪くは無くて、優しいだけの人間だった。
悟るだけの文章が多かった。
国家のようなことを書いて、世界中の国家の関係のようなものを書いていた。
世界把握や、心理把握のような文章が多かった。
そろそろもう終わりだ。今日はこれくらいにする。
心の構造と想像力が分かる人間だった。動物から山や川まで自然のことも分かっていた。社会のことは、全体像が見えていた。レーニンのように、社会を実現出来る人間だった。
あとは、オープンソースみたいな可能性の文章が多かった。知の集積や、社会の自然な可能性のことをいつも言っていた。
あとは、もうこれ以上、何も書きたくない。そんなに分かっても意味が無い。