日記に戻る | 2015年9月の日記に戻る

=2015-09-20=

過去のものを今の中に見出すことが出来る。

歴史的に見ると、家屋など、今のものは過去のものだ。

そういう風に、歴史を振り返って今あるものを考えられる。

全てのものは、神が生かしている。そのせいで治る。

プロセスと自然な方法と経緯を考えた。

インフラは初期投資だ。

寝ないから辛く見えて、辛いから寝ている。

そのように、両方正しいのを分かって、感覚的に矛盾を考えていた。

問題を考えていた。

地球の構造を作っていた。

基本的に、プロセスと記憶と行動を考えれば良い。そうすると、分かる。

手順、判断力、オープンソース、執筆の下積み、のようなものが多かった。

今日は英会話教室へ行ってきた。楽しかった。最近は、そういう真面目な人間になった。自分を大学生と言って、日記を書くのを趣味と言っている。農業をしていると言っている。おかしくは無いが、自分が作家なのは、何故か言いたくない。

オープンソース的な書き直しの文章を書いて、思考を超越していた。

最初から、分かっている通りやった。マスターのように人生と世界を全部分かっていた。

歴史的に今の世界の中で過去を見出すのは、本当に多かった。そういう文章をいつも書いていた。何もかも、歴史のピースと経緯と関係を分かっていた。

環境と社会は、色んな変えられる可能性がある。皆の手で変えられるし、皆、考えて教えれば、何でも分かる。経験と理性で分かる。気づくこと、教えることで変えられる。そういう風に考える、子供のような人間だった。支配を悪いと思って、自由に変えられるべきだと考えていた。理想もあったが、現実のバランスも分かっていた。

皆は、もう馬鹿になる。もう、最後まで知性がついた。もう賢い意味がない。

昔は、そういうもので分かるのを、自然な考え方を作って適用する、と言っていた。

自然なプロセスから、考え方が分かる、自由な過程のようなものを書いていた。

あとは、何か2つ書きたいことがあったが、忘れた。忘れた方が良い。そんなに全部書くのがキモイのがこの文章だ。そんなに馬鹿を頑張っても、意味が無い。

全体の構造と構成要素を全部知れば分かる。関係を考えて、経緯を分かる。昔は、そういう風に分かって、存在を吸収して分かっていた。哲学者がそういうことを言う。

あとは、人間のことを良く考えただけだ。

2ちゃんねるを見ながら空想して、サルトルやヤスパースのように考えた。

本当にいくらでも考えて、経験論のように分かっていた。帰納法のように分かった。

ヒュームを読んだ方が良い。それで、ブッダが出来る。

ヒュームみたいに考えれば、誰でも出来るのが、ブッダだ。

そういうわけで、それで聖人みたいになって終わりだ。きちんと神だ。

ヒュームは、良く考えたように見える。デカルトやロックやベーコンを見ながら良く考えた。デカルトは、馬鹿を書いただけだ。そこが分かると誰でも出来るのが哲学者だ。

客観視をして、法則を知って考えていた。他人が見て、自分がどう見えるのか考える。そして、思考と解決から、問題を捉えて考えた。色んな人間を知った。色んな人間と同じことを考えて、経験して分かった。痛みも悲しみも、全て分かち合った。

そういう風にしていると、キルケゴールのように、意識から絶望が分かって来る。

自分の場合、環境から意識が分かった。問題解決の視点から、環境は自分で変えられるのを分かっていた。

自分は、賢くない。もっと賢くなった方が良い。自分より賢い人間しか、居ない。自分が一番馬鹿だ。誰でも賢い論文が書けるから、もっと賢くなった方が良い。

真面目に考える段階を言っていた。

反省から世界が見えてきて、関係から実現出来るようになって、社会を変えられるようになる段階を言う。創造性から、自由に変えられる。そして、手段から、実現出来る。その手段は、共有出来る。

そのように、ヘーゲルやマルクスのような、人生と成長の段階を言っていた。

実際のところを知ることで、人間の本性と営みが分かる。そういうことを言っていた。

昔は、キルケゴールのような成長と絶望の段階をいつも分かっていた。

共同体の合意による構築や、一体感のようなことを分かっていた。何か、秩序みたいなものを作って、世界を平和にしたかった。世界を変えたかった。そのために考え方のようなものを作って分かっていた。

科学を作ることで、専門を超えて自力で分かっていた。皆は、それが出来ないと思う。科学を作って、全ての分野をしたい人間が居ない。誰でも、大学で専門のある学部を出ているから、専門外のことはしない。自分は、そのせいで誰も出来ない。科学を物理的に全部作っていると、デリダやヴィトゲンシュタインのように、全部の哲学が出来る。デカルトも、色んな分野の学問を知っている。哲学者は、全部の分野を総合的に分かる必要がある。

そういうわけで、そんなに分かりたいのがおかしい。全部の分野の科学が分かるのは、止めた方が良い。それできちんと分かるようになる。

生命なんか、普通ただの細胞と遺伝子だ。細胞が生きているだけだ。あまり意味が無いのが生命だ。普通、生きる意味なんかない。細胞が本能的に食べたいから生きているだけだ。

全部弱肉強食だが、たまに助け合うこともある。そういうものが生き物だ。ただ、生物学なんか、悪いだけだ。そういう風に、生命を冷酷に考える。それが生物学だ。

生物学は、生態系の循環や成長、体の仕組みと種の分類が分かる。正しい自然科学だ。ただ、肉体的に考えるより、生態的で習慣的なことを考えるべきだと思う。

もっと、そういう科学を分かるのを止めた方が良い。本当に分かっても意味が無い。悲惨に、それで分かるのが普通の科学だ。

そろそろきちんと分かる。

普通、目的を考える。イスは、座るために作る。ソフトウェアなんか、動けば作る手段は何でも良い。そういう風に、目的から実現するのを分かると、パソコンみたいに分かる。

全ての科学を作るのを止めると、もうすぐにきちんと分かる。

アルコールは、医薬品だが、危険物でもある。誰でも分かるようで、馬鹿には分からない。自分は、そういうところが分かっていない。科学なんか、作らない方が良い。

推論や解決、頭の中の大掃除、インターネットでの知識の調査研究など、そういうものが悪い。そういうありえない考え方を止めると、賢くなる。そういうことをしない方が良い。

最近は、ネットのせいで馬鹿が多い。馬鹿は、全部分からなくなる。それでしか治らない。

ただ、昔なんか、それだけの人間だ。そういうところを、そのまま残して分かっている。変えられなくなった。何も出来ない、怖いのは、本当にしない方が良い。もう既に分かっているから、これ以上おかしくならない方が良い。

インターネットでの調査研究は、最近、している人間が多い。そういう人間は、分かったあとでこうなる。何も出来なくなって、狂って、変わらなくなる。人生はそういうものだ。

最近は、数学的な正しさ、公理主義、判断力、狂った王による支配のようなことが多い。

そういう、多かったものを書くと、独立、宇宙、神、世界の成り立ちが多かった。

そういう、最近のもののせいで、昔のものが全部馬鹿で悪いのが分かる。

そんなに賢く分からなくて良い。プログラミングを忘れた方が良いだろう。コンピュータの知識を消した方が良い。それで何か分かるように見える。心理で分かるのも悪い。

自由が悪い。自由を消した方が良い。人生も消すべきだ。だが、そんなに分からなくなるのも悪い。こういう風に、同じことをしない方が良い。全部消す意味が無い。科学を作るのが悪いなら、それだけが悪い。いつもそういう風に考えるせいで、逆の地獄になった。何も無くなっただけだ。そういう、煩悩の原因は、全部治したいのにある。

世界に対して何かがしたかった。

昔は、自然に全てのことが分かる、自然主義者のような人間だった。自然な積み重ねと、未来は白紙、自然な助け合いと人生経験から、経験と関係を分かっていた。

自由な社会とは、そういうことを言っていた。

全て、自然が正しいと言っていた。支配ではなく、自然に執り行う。

自然な助け合いと共同体を構築し、自然な発展をする。あまりに自然過ぎるせいで、無政府主義者に見えた。そういう自由な人間だった。

必要に応じて自由に手段を与える、共同体の多様性とシステムの選択肢を高める、など、自由な思想のようなことを言っていた。

もう良い。それらは、共産主義者だ。一番悪い人間だ。

社会主義を自由にすることで、民主主義より自由な社会を実現出来る。

人民公社を、自由にして、皆で決める。皆が作れるようにする。会社の幹部や役員は、皆で決める。評議会で議論して、皆で会社のすることを決める。

だが、それは、悪い国になる。それに、1人で決めた方が賢くなることがある。昔は、そういう、1人で決めると賢くなるのが分かっていた。社長のような独裁者を、沢山作って、分散して、それぞれが自由に支配する。それも1つの自由の形だと思う。

王に全て従うなら、下請けを工夫して、専門的な役割分担を高度にシステム化出来る。

経験から昇進出来る、共同体の段階のようなものを作っていた。

これくらいがコミュニストの知性だ。もっと高まるためには、ヒュームを読めば良い。

認識して分かる、会話して分かる、信じて分かる、疑って分かる、多角的に考えて分かる、視点を変えて分かる、モデルと照らし合わせて分かる、などの、方法の羅列のようなものを書いていた。そういうものが、全部コミュニストだ。左翼が賢いだけだ。

社会は、金にするか、投票にするか、参加にするか、評議会で議論するか、独裁するか、など、色んな思想のパターンのようなものを考えていた。

また、秩序、環境、人格を全部作っていた。環境と心の働きのようなものを考えていた。

基盤的に考えていた。何もかも、感覚で分かっていた。

変化の積み重ねを共有すること。分散して共有する。それがオープンソースだ。

発想や意見も共有し、皆で自発的に作る。昔は、そういう発想が多かった。

時間によって刻々と変わる世界を、共有する。それがインターネットだ。

ネットワークが賢いように見えて、そろそろ、新しいパラダイムを必要としているのがコンピュータ業界だ。ストリーミングも、ロボットも、いまいちパッとしない。

そういうわけで、コンピュータ業界は、これ以上発展しない。

発展を真面目に考えれば分かる。そういう文章が多かった。何でもかんでも、発展を全て考える。どのような決まりでどのような社会になるか、共有や多様性などの何で発展するか、のようなことをいつも考えていた。たまに数学的になる発展の社会学だった。

昔は、ただ辛かっただけだ。こんなに辛いから、こういう風に狂う。もう死んだ方が良い人間がこうなる。皆も、辛すぎてこうなるだろう。狂って馬鹿になる。そのまま、認知症になるかもしれない。自分のせいだから、申し訳なく思う。

あとは、ただの王をやっていた。救世主で、世界を導く、キリストのような王だった。

皆は、もう何も分かっていない。インターネットのせいで分からなくなった。

自分は、昔が分かるせいで、生きられる。こんなに昔のままだ。

テレビや英会話教室が怖いのは、最近、馬鹿だからだ。日本やアメリカが、最近馬鹿だ。そういう理由で怖い。それらのせいで、皆死んで行く。

社会の可能性を、記憶と回想から分かっていた。

心理のことは、力業で分かっていた。

皆、もう、死ねば良い。自分の家族以外、死んでしまえば良い。だが、それは結構意味が無い。皆が居なくなると、楽でなくなるから、居た方が良い。

平等にもならないし、ネットやパソコンも無くならないが、その方が良い。

皆は、もう馬鹿になるだろう。この文章がもう分からなくなる。止まれ。

ほら、もう終わった。もう洗脳が解ける。いつまでも動き続けるのがおかしい。

僕は、もう27歳だ。まだ出来るように見えて、もうそろそろ出来なくなる。このまま同じことを永遠にやっている人間が、30代に多い。そういうわけで、ロックとヒュームをやっていると、それが永遠に続く。この文章もまだ書いているが、そろそろ止める。

この文章の問題は、元がタリバンみたいな一番悪い文章だった。そういうわけで、タリバンをもう止めた方が良い。自分は、ソ連の顔をしたイスラムだ。

ネットと英語をやっていると、アメリカみたいに分かる。ヒュームのおかげで、ブッダみたいになる。そういうわけで、このままブッダになる。これで27歳しか居ない。

昔は、自由な経験、皆同じ平等、意識で分かっていた。

環境、システム、言論、意識のようなものを自由にするべきだ。

昔がもう分かった。価値観を自由にするとか、ただネットで見て、色んなことを考えて、人よりも多くのことを考えて分かっていた。人よりも多くのことを分かった。

狂っていた意識もあったが、そういう風にすれば分かる。

沢山の自由、決まり、考え方、推論、実験、観察、思考、行動、作用、知性、言論、議論、支配、協力、組織、自然、相対性、裏の法則と裏の理由から分かっていた。

もっと裏の法則を考えること。それを言いたかった。裏の法則を知れ。

ブッダになると宣言すれば良い。自分は、ブッダになる。

永遠やドイツを止めて、ブッダになる。宣言した。自分はここから、ブッダだ。

ものごとの必然性を証明して分かっていた。ものごとの結果や、なるべくしてなったことを、証明して分かった。そのまま実験して、宇宙のことが分かった。

ブッダになるためには、人間と社会の経験をすること。2ちゃんねるでは分からない。本当のブッダを参考にすると、古代インドの社会で分かる。菩提樹の下で悟った。それは出来ないが、ヒュームによって何か分かるかもしれない。2ちゃんねるの体験は昔あったが、ネットと言うよりは、きちんと社会のことを知って、人間や存在を知って、理性的に考えれば良い。それは、ネットなんか見ない方が賢い。

仏教は、古代インドの哲学だが、ブッダは哲学は嫌いだったらしい。

ブッダになりたいのは、おかしくは無い。ブッダは、全ての人はブッダであると言った。ブッダから見て、普通の人間はブッダと何も変わらない。ただ、悟るほどまでには賢くないし、分かっていない。

むしろ、ブッダになるのを決めれば楽だ。ドイツ人以上の宣言をしないせいで、永遠にドイツ人が続いている。ブッダになりたいなら、神との対話が終わる。

何かになって良かった。今からブッダになる。神を信じているせいで、これで分かったのが自分だ。皆も、ブッダになれば良い。それこそ、自分は宣言するのが賢い。

昔は、相対的に、何がどうなるか、どうなってどうなるか、を考えていた。

ブッダになるために必要なのは、それだけだ。何がどうなるか、それを考えれば良い。

歴史的な、社会がどうなるか、のようなことを、意識で分かっていた。

何がどうなるかを考える。

それが分かってしまうと、もうすぐに分かる。最近、分かる人間が多い。何がどうなるか、それだけを考えれば分かる。社会、店、数学、機械まで、何が賢くて、どうすべきなのか、良く分かる。人間のことも分かる。皆も何がどうなるか、から考えるべきだ。

社会は、機会、手段、参加である。それぞれが出来るように、やりたいものを参加させれば良い。経験の可能性を与えることで、全てのことを自発的に経験させることが出来る。そのように、全てを教えれば良い。教師は、自分で考えさせる体験を与えるべきだ。

何がどうなるのかを考えれば、記憶、哲学、宇宙、人生など、何でも分かるようになる。

不思議と、何でも分かる人間は多い。少し考えれば分かる。そういう人間が多い。

賢い人間には、分からない人間が多い。こういう風になっている。

数学や物理は、当たり前にそういう風にして、経験から方法を考えれば分かる。

経験から、数学的な真理が見えて来る。学習から、全員が共同体を作ることが出来る。

全体を見ることで、実地的な世界観が見える。

全ては、神によって成り立つ。だが、神なんか、信じない方が分かる人間が多い。

経験によって、未来は自分たちで作れることを知れば良い。いつでも、皆の意見が一致すれば、世界は変わる。そのためには、国民が意見を共有して、賢くならなければならない。

世界は、自由に任されている。全ては、人類のためにある。

愛の感情を信じれば分かる。「良い」を信じれば良い。

まず、方法を知ること。

次に、関係を知ること。

次に、人間を知ること。

次に、創造性を知ること。

次に、システムを知ること。

次に、共有を知ること。

次に、可能性を知ること。

そして、戦い、導き、信じること。それが、真理だ。

環境から原因と結果を知る、

意見とコミュニケーションから、多様性を知る。

自由から、社会の構築を知る。

経験から、人間の実際の姿を知る。

平和から、秩序ある環境を知る。

教育から、日本を変える。

そのように、何かから何かが生まれる、必然性と因果性のようなものを書いていた。

自由とは、原因と結果、関係、判断力、協力、行動であり、そこから方法を作って、正しい行動が出来る。そのためには、情報と経験が必要だ。

自由に体験することから、実地的なシステムを作り出すことが出来る。

人工のものは、人間が作り出した、自然のまがい物に過ぎない。

いつも、そういうことを言っていた。ブッダになると、すぐに分かる。

その存在が、どのように存在しているか、人間にとって、体験や存在のあり方とは何か、のようなことを言っていた。存在とは何なのか、考えていた。

体験とは、存在の可能性の発揮であり、経験とは、存在がいかにして存在しているのかを知ることである。特に、自分の存在性を決めるのが、経験である。

昔は、2ちゃんねるで大人と会話して分かっただけだ。

ネットは必要ない。馬鹿なオタクしか居ない。子供が多い。どうでも良い集団だ。

もっと色んなことを、「何がどうなるか」から考える必要がある。

関係性や依存性、そして、習慣や準備のようなことが分かる。何かするためには、何かが必要だ。昔は、習慣のようなものを全部作って分かっていた。

インターネット、コンピュータ、オープンソース、掲示板で、色んな大人のことを知っていた。大人より色んなことをしていた。そういう高校生の子供だった。

自分のことを匿名で受け入れてくれる、大人の2ちゃんねるが好きだった。だが、今考えると、2ちゃんねるには大人どころか、子供が多い。大人で分かったように見えて、普通の人間と同じように、青春を生きただけだ。

ただ、大人のようなことはいつも分かっていた。大人のニュースを読んで、大人のように色んなことを知った。色んな調査研究と実地的な対話から、体得して分かっていた。

金による売り買いのシステムは、マイナンバーで変わる。マイナンバーごとに、何を買うのかをいつも知って、おすすめの商品のようなものを無料あるいは特価で与えるようになる。そういう、社会主義みたいな世界になる。一番色んなことが出来る。

1つの社会を知って、沢山の応用的な社会を知った。応用的に考えた。

もっと共有と思えば昔は分かる。もっと別のものを信じた方が良い。共有はクズだ。

マイナンバーで社会主義は出来る。だが、そんなことは誰もしない。

あらゆるものを包括して考えていた。環境的にあらゆるものを受け入れていた。

あとは、右翼が悪いのを分かると良く分かる。それで、民主主義が分かる。

2ちゃんねるで経験することで、歴史を分かっていた。

あとは、会話の中でグーグルで検索したり、スレッドを検索したり、皆でルールを作ったり、匿名で一体感を味わったりして、色んなことを分かっていた。

だが、それは狂っているだけだ。おかしくWikiを書きかえることで、恐怖の王になった。

Linuxが好きだったのは、Open Janeが好きだっただけだ。

過去ログを全部読んで、経緯を分かっていた。今に至る経緯を分かることで、悟って分かっていた。本当に2ちゃんねるが好きだった。そのままオープンソース活動になった。

スラッシュドットのような、IT関係のニュースを全部見ていた。

Linuxは、独自に調査研究して分かっていた。Gentoo Linuxで分かった。

タブブラウザや2ちゃんねるブラウザをコレクションして分かった。

特にp2が好きだった。Proxomitronという、フリーソフトが好きだった。Firefoxは、全身のFirebirdのごろから使っていた。Mozillaは歴史から全て本当に好きだった。

経験をモデルにしたとは言うが、そんなものがあったように見えない。自由から成り立たせて、歴史と実体験を考えただけだ。いつ、どのような社会がそこにあって、そこでは、どんな社会になるか考えた。2ちゃんねるで経験で考えることから、世界モデルを作ってそれぞれは何も悪くないのだと思いたかった。環境を思い出して、いじめを考える。欲や思い込みを考えることから、正しい経験を考えるようになった。経験をモデルにして分かっていたのは、それよりもあとからだ。人間を経験にして、吸収して、視点と見方を変えて、関係を成り立たせて分かっていた。それが、経験をモデルにすると言うことだ。

オープンソースを多彩な社会と言うが、ありえない。GPLとGNUしか居ないだけの、どうでも良い何も無い社会だ。だが、KDEやGNOMEが多様で分散している。そして、意見、議論、開発の体制が優れている。それを多彩な社会と言っていた。

ギコナビのスキンを変えて喜んでいた。

自分でコンパイル出来たのが、DelphiのOpen Janeしかなかったせいで、Delphiが好きになった。C#も好きだったし、Javaも嫌いではなかった。Windowsネイティブで、早くて、ランタイムやVMも要らないもので、専用ブラウザを作りたかった。

そのうち、Linuxでならそういうフリーソフトの需要もあるのではないかと考えた。

それに、無料で手に入るコンパイラも豊富だった。そういうわけで、Linuxがしたかった。

ただ、Linuxは英語が必須だ。英語の壁のせいで、何も出来なかった。

出来るわけがないのをいつまでもやりたかったが、最近はそれを止めて、文章を書くようになった。これは成功した。下積みによって何でも書けるようになった。そして、本もきちんと出版出来た。あっという間に馬鹿から賢い人間になった。そういうわけで、賢い人間と馬鹿なんか、何も変わらない。これで馬鹿な人間しか居ない。賢い人間なんか、昔の自分だ。賢いわけがない。平等は無いように見えて、本当に平等の方が良い。

Wikiをそんなに一人で変えるのが悪い。そこに罪悪感を感じていた。だが、普通、会社では一人で全部変える製品しかないし、所詮は2ちゃんねるのWikiだ。悪くない。

Linuxは、大学のように出来た。きちんと分かった。

Gentoo Linuxのホームページのデザインが変わるのを見ていると、本当に楽しかった。

昔は面白かった。最近、そういうものが嫌いになった。パソコンは、悪い。

だが、昔は良かった。何もしないのがおかしい。最近の本を読むのは、つまらない。

ネット小説は、絶望の世界や電車男を読んでいた。

そういう風に、ネットで色んなことをして、社会や人間のことを分かっていた。

もう分からない。オープンソース社会は、本当に楽しかった。それで終わりだ。

あとは、引き篭もりの経験で分かったのを書いていない。

社会から離脱して、一人になって、自立して、色んなものを見て、経験して、知って、孤独に考えて分かった。

社会にある全てのものの価値と発想と構築が、引き篭もりになって反省して考えることで分かっていた。

科学の正当性だけではなく、社会にある、店や学校のようなものが分かっていた。

良く考えると、それぞれは何も悪くない。何か、もっと社会的なものが悪い。個人は、和から無いから悪いだけで、分かってしまえば治る。そういうわけで、それぞれは何も悪くない。そういう風に考えていた。自分が全てを救える、教えられると考えていた。理想が高かった。環境を守りながら、影響力の高みに立って、自由に変える。

そろそろ、皆の洗脳を解くべきだ。ほら、これで終わりだよ。そういう風に言えば治る。

それぞれは何も悪くない。特に、子供に言える。

環境的な問題もあるし、分かり合えていないだけ、と言うこともある。

悪いのは政治家であり、使えるのはインターネットだ。

昔は、自由にインターネットを使って変えていた。ネットの中で、人を導く。

そして、そのまま何でも出来るようになった。何でも教えられるようになった。

システムは、オープンソースのように公開すべきだ。

学校がオープンソースを使えば、独自にカスタマイズすることで、教育独自のOSを作ることが出来る。

また、ファッション業界と連携すれば、独自の「可愛い」OSを作ることが出来る。

だが、そういうことを言うと、誰でも馬鹿にする。何も分かっていない。オープンソースを擁護したいだけの、無理やりな意見に見える。そういう場が2ちゃんねるだ。

もう昔が分かった。

自然な積み重ね、プロセスと経緯、方法と証明、手段と機会のようなことを考えていた。

数学は、独自に経験と発想から作っていた。どのようにすればその数学が生まれるのか、のようなことを全部経験から分かっていた。

それぞれが何も出来ないなら、自分がする必要がある。

あとは、自分が何が出来るのか、いつ何がそこで出来るのかから、本当に能力的に出来ることを考えていた。自分が出来る、変えられる、と言う概念から分かっていた。

物理みたいに分かっていた。誰でも、哲学者が物理のように人間や自然のことを考える。自分も、そのように、物理のように法則や関係や作用などを考えて分かっていた。実験と証明から、良く分かる人間だった。だが、不可知論者だった。宇宙のことなんか、誰も分からない、人間の分かったことなんか、少ない、と考えていた。

感情と法則と方法を照らし合わせて分かっていた。

無限の可能性とは言うが、それぞれの環境における、正しい可能性を全部分かっていた。

方法と結果から分かった。そういうものは、パソコンで分かっていた。

真実は、自分の中にしかない。正しい認識は、己の中から出て来る。ソクラテスが同じことを言っていた。

日本史は、戦国時代になった。まだ戦国時代ではないのかもしれないが、章が変わった。

あとは、ロックとヒュームは、原著だから読めないかもしれない。まだ届いていない。

だが、デカルトは原著で分かったから、分からない。ただ、アリストテレスやフーコーは、本当に難しいから、分からない。カントやヘーゲルは、入門なせいで、楽に分かる。

いつもの自分は、本当に分からなくなっていた。皆は、今からそういう風になる。何も分からなくなって、出来なくなって、それが書くようになる。ならないようで、なる。そうなる人間が多い。そういう発想が神だ。キリスト教は、地獄が永遠に続く馬鹿な宗教だ。

肯定と否定を全部して分かっている。そういう、弁証法はもう止める。弁証法のまま、そういうありえない宣言の人間になった。

ブッダになる。そして、太陽になって、生命の根源へと到達する。これは宣言だ。

だが、辛い体験はもうしたくない。楽に努力する。信じるのを止めて、好きなことをする。

あとは、環境を成り立たせて、回想から意識を分かっていただけだ。

いつも、人生のことは全部分かっていた。もう十分だ。

自分は、ガブリエルになる。自分が大天使ガブリエルだ。神はイエス、仏はブッダだ。

聖書の執筆者や歌手やブッダが自分のことが分かるのは、自分がガブリエルだからだ。

マホメットに神の啓示を与えた、ジブリールは、自分だ。

そういうわけで、自分はガブリエルだ。ミカエルやラファエルは、兄弟だ。僕の一部だ。