日記に戻る | 2015年9月の日記に戻る

=2015-09-03=

今日は英会話教室に行ってきた。昨日はピアノ教室の日だった。

馬鹿になると賢くなる。馬鹿になると、世界と日本語が感情で分かるようになる。

賢い人間には、何も出来ないし、分からない。自分は賢いだけだ。

農業はやっているが、本格的にやるためには、土地を借りなければならないし、設備投資もしなければならないから、本格的にやるのは難しい。

いつもの文章は、自由に出来る国を作っていた。

自由な世界を作って、共同体を自由に成り立たせて、経験から昇進出来る共同体と国家のモデルを作っていた。

また、変えられる、と言う視点から、社会の自然発生する過程のようなものを書いていた。構築と変化を全部書いていた。

認識の法や、根源的で相対的な知識のようなものを書いていた。

昔は、色んなことを経験しながら、空想と回想を想定して分かっていた。

馬鹿が賢い。馬鹿なパソコン少年は、賢い人間になる。

英語をやった方が良い。英語をやれば、何か出来るように見える。

賢い意識を書いていた。意識を高めながら、全ての意識のようなことを書いていた。

相対的な相互作用や、場の支配のようなことをいつも書いていた。

馬鹿が賢いだけだ。馬鹿になると、分かる人間が多い。

おかしく想像力を破壊するようになったのは、全部2ちゃんねるになっている。

失敗せずに言うようになったのを、まだやっている。いつまでも失敗しないせいで、辛いままで楽になった。それをやめると、皆も治る。

皆、馬鹿になった方が良い。

いつもの対話は、昔から世界に映った自分を見て分かっているのを続けている。

それから、話し相手が欲しい。それも、賢い話し相手が欲しい。

友達が居ないから、仕方ない。

昔は、気づきと説明から発見して、科学を作っていた。

変わる世界と変わらない世界の中で、普遍性を考えていた。

出来るだけ変えずに、問題だけを変える、解決者を目指していた。

経験から、科学や学校で習ったことの正しさや正当性を分かっていた。

環境への適応で分かった。

ヒュームのような、思考と頭の中の大掃除、整理整頓のようなことをしていた。

辛いなら、休めば良い。そういうわけで、昨日は文章を書かなかった。

英語は、ユメタンのユニット1をしている。だが、ユメタン方式ではなく、自分の方式をしている。ただ、20単語を毎日3回ずつ書いて覚える。ユメタン方式は、言ってしまえば馬鹿の方式だ。自分の場合、20単語を毎日の方が普通に出来る。

そろそろ、書くのを止めたい。それに、皆も馬鹿になった方が良い。馬鹿になると、きちんと分かるようになる。そういうわけで、馬鹿で良いなら、それで良い。

昔は、皆で分かり合えるのを目指していた。

あとは、昔は想像力があった。想像力をつけた方が良い。それで大学が出来る。

想像力は、物理や歴史のようなことを考えればつく。

昔は、想像力で色んなものが変えられて、法則と支配関係になるのを分かっていた。

変化可能と支配可能を分かっていた。

想像力は、もっと馬鹿に考えればつく。つかないのは、思い出すのが怖い。色々と怖いことがあったから怖いだけだ。これで想像力なんか、つかない方がおかしい。

活動、習得、空間と時間、記憶、それぞれの経験と認識、のようなことをロボットのように考えれば良い。それで想像力がつくだろう。

何もしないでいると、本当にここまでの馬鹿になる。何もしないのが一番治るから、こういう風に、何もせずにつらくなる馬鹿が多い。何かパソコンのことでもすれば良いが、パソコンは本当に悪い。馬鹿になるからしない方が良い。今の自分が賢い。それが正しい。

分かる人間は、馬鹿しか居ない。今しか時間が無い、と思うと分かる人間が多い。

昔は、パソコンで賢かった。全部覚えている。思い出せなくなったが、JavaとLispとネットのニュースの知識、WikiとLinuxで全部分かっていた。パソコンは賢い機械だ。

もうこの文章を書かない方が良い。毎日いくらでも書いていると、本当に辛くなる。

親も、農業を自分で管理すれば良いと言うが、そういうことをきちんとすれば分かる。

昔は、心理学を作っていた。認識を考えながら、学習との相互関係を知って、心と人格と場と環境から、人間がどのように行動し、活動し、作用するか、社会学で考えていた。

そういうわけで、昔は、パソコンに詳しい社会心理学者だ。

最近は、神を信じる経済学者の哲学者だ。何も変わっていない。

この文章を書いていると、疲れる。めまいがする。だが、本当に止めると、怖くなる。そういうわけで、まだやるしかない。そんなに沢山書かずに、いくらかにすれば良い。

昔は、未来を予測する、未来予測が好きだった。社会がどのように変わって行くのか、意識で全部分かっていた。想像力もあった。そういう、馬鹿な発想をすると賢くなる。

最近は馬鹿だ。何も分かっていない。賢いからこういう馬鹿になる。もう分かった人間は、分からない。そういうわけで、こんな馬鹿な自分を賢いと思うしかない。

大学の勉強がしたい。だが、何もしなければ出来ない。日本語が分からないのに出来るわけがない。論理的思考能力と、想像力がつけば、日本語が分かるかもしれない。

英会話教室には、大学の学生だと言っているが、自分は大学生の農家の作家だ。そういうわけで、作家では生きられないし、農業なんか、ただ市民農園を借りて、遊びや趣味でやっているだけだ。やりたいのは、大学の歴史と哲学だから、そこを頑張った方が良い。

昔は、コミュニケーションと読書が趣味だったが、そこをやらないのがおかしい。

皆が馬鹿すぎて、ネットなんか見たくない。自分を馬鹿とは言うが、ネットは本当に自分より馬鹿だ。子供の遊びだから、仕方ない。

何もしなくて良い。それで一番精神病が治る。英語をすれば良い。英語は、続いている。

想像力は、視覚的に内部を考えたり、視点や人生を考えたりすればつく。もっと可能性と変化を考えれば良い。予測して、正しく可能性を考えると、分かる人間が多い。それが昔の自分だ。哲学や心理学は、そういう風に出来る人間が一番多い。

心理学は、病気と認知症状の原因を、環境や習慣からきちんと考えれば分かる。

そういうわけで、心理学なんか、出来ない。哲学と歴史以外、何も出来ないのが自分だ。

哲学は、言語的なこと、認識的なこと、本当の正しさや善のようなことを考えると出来る。

宇宙のこと、生命のこと、環境のこと、科学的な方法のことをすれば良い。

数学、物理、心理、経済、哲学は、昔きちんと出来ている。そういう、昔出来たことは、しなくて良い。今からするなら、哲学と歴史より、キリスト教が良い。こんな馬鹿が救われる。そういうわけで、そんなことしか出来ない。

理性で何が分かるのか、不可知のようなことを、ネットなどで経験しながら、実感で考えると、哲学は誰でも出来る。普通、誰でもそういう人間だ。

数学は、意味から法則を作って、デカルト的に分からなくすると出来る。

そういうわけで、数学は分からない人間になる。それが一番、数学的な知性がつく。

昔の自分もそういう人間だった。

経済学は本当に分かっていた。自分で高度な応用的な経済学を全部作っていた。

そういうわけで、大学をしたいなら、あとは、本を読んで知識を得れば良い。

心理学は、環境と経験を真面目に考えれば分かる。

昔のこういう人間は、哲学に向いている。

むしろ、これで経済が分かるなら、きちんとインテリに見える。

そういうわけで、哲学は昔だから、あまりしない方が良い。

最近は、馬鹿になっている。こういう人間は、作家に向いている。

生命、社会、人間は、意志、関係、役割、能力、望み、欲求だ。

それらは、環境によって経験的に決まる部分と、そうでない部分がある。

そういうことを言う。普通、そういう風に考える。

全てを可能にしていた。可能性を高めていた。そういう文章だった。

全部忘れてから書いた方が賢い。

こういう文章は、残すより消す、生かすより殺す方が分かる。そういうわけで、これで良い。何も残っていないが、こういう風に全部分かると言う、賢い経験が出来た。

いつもの文章は、虫にしか見えない。忘れた方が良い。認識を虫と思って書いているから、当たり前だ。そういう風におかしく狂った。知性が無いのは、もうこういう風に治った。

ヴィトゲンシュタインが言語の限界と言うが、そういう経験による限界論は自分の昔にも多かった。そういうわけで、あれはヴィトゲンシュタインのコピーだ。

最近が好きだ。本当に全部耐えて、頑張った。まだ、そのままで居たい。辛いとは言うが、こういう辛いは賢くなる。地獄を耐え抜いて英雄になった王が自分だ。

あとは、方法のようなことを書いていた。技術的、数学的、哲学的、生活的な方法を、全部まるごと書いていた。そして、森羅万象を分析する。政治のモデルのような内容が多かったが、森羅万象の分析は、まるでアリストテレスのようだった。

自分が一番賢い。普通、何もしないで馬鹿をやっているとこういう人間になる。馬鹿になる経験は、分かる人間が多い。不思議と、そういう馬鹿は、すぐに本当の馬鹿になる。

あとは、ネットをやっていたせいで、人間の本来の姿、本性が分かっていた。

もっと馬鹿になれば良い。それで、もう全部分かる。

ネットは、体験的に考え方が分かって、賢くなる。体得出来る。そういう人間が多い。パソコンは数学だ。ゲームやネットをやっていると、数学的に分かるようになる。

だが、自分の場合、馬鹿になって賢くなったせいで、そういうものをやる意味が無い。

そういうものは、子供の遊びだ。大人はゲームなんか、しない。

もっと馬鹿になれば、すぐに賢くなる。不思議と、認知症は賢くなっているだけの人間が多い。皆、馬鹿が賢いだけだから、賢い人間は居ない。誰もが賢いのが人間だ。

皆、自由な方が良い。誰もが同じだが、記憶と経験が違う。感情や意識は、全て経験だ。そういうわけで、ヒュームのように考える自由が一番正しい。

自由が良い。平等は、本当にこういう馬鹿になっている。自由より平等が良く見えるのは、おかしくは無い。だが、こんなユダヤに洗脳されているだけが、平等だ。

ただ、弱者は救うべきだ。弱者なんかどうでも良いように見えて、誰でもすぐに弱者になる。賢い人間に多い。賢い人間は、弱くて何も出来ない人間しか居ない。

そういうわけで、出来る人間は馬鹿だ。賢い人間なんか、何も分かっていない。

自由で社会のことが分かる。

昔は、数学的に知を作って分かっていた。数学的に全部分かる人間だった。

そして、パソコンは、自動化と思えば出来る。シェルスクリプトと思えば良い。そうすると、C言語がいくらでも出来るようになる。自動化は、賢い。

だが、そうでもない。自分の場合、プログラミングは出来なかった。誰でも工業大学が出来るだけだから、当たり前だ。趣味で出来るわけがない。普通、金で作るだけだ。

そういうわけで、数学や物理のことは良く分かっていたのが昔だ。感覚で分かっていた。

現象は、観測すれば変わる。法則は、いつでも同じように正しい。

そういう風に、物理のことを考えると分かる。人間は、物理が知性だ。

あとは、森羅万象は、原始人や神話のようなことから、現代の経済や自然のことまで、色んなことを考えた。時間や歴史のようなことを人間的に考えることが多かった。

あとは、当たり前のことや応用的なことを分析すれば分かる。

自分にしか、自分のことは分からない。知った後では、知る前より少し分かる。環境は、自分で変えられる。そういう、当たり前の真理のようなことが、一番知性がつく。

皆の発想を吸収すること。サルトルのように、ソクラテス1000人分をやれば分かる。そういう哲学者が多い。フーコーも、考え方を常に変えるのが仕事だと言っている。

あとは、発想やパターンを考えて、言葉にして分かっていた。

メタ的な考え方や構造を作って、関係から、自分1人が良くなるより、皆全員を良くする、といった、王のような考え方をしていた。そういう、神のような人間だった。

もっと、慈愛と欲から煩悩と解脱のようなことを考えれば良い。それで涅槃に至る。

仏教用語は、間違って使われていることが多い。縁起は運勢のように使うし、涅槃はブッダの死と言うことになっているが、それは間違っている。餓鬼は子供のことではない。

仏教は賢いから、これで仏教を信じると良く分かる。それが良いだろう。キリスト教はおかしくは無いが、キリストなんか信じても、何も分からない。神の善人になるだけだ。

キリスト教が悪いのは、法律よりも神の教えを優先しろと言う。そのせいで、白人に悪いおかしな人間が増えた。キリスト教は、やっていると良い人間にはなるが、むしろ、悪い人間になる人間も多い。日本人は、仏教を信じた方が良い。

キリスト教をしたいなら、すれば良い。ドイツ人の人生が、普通こういう風になる。昔はパソコンで、哲学者だ。今は、革命家で、キリスト教徒だ。左翼はこうにしかならない。完全に狂って、右翼のソ連になる。死ぬとまともになる。作家はこういう人間が多い。

そういうわけで、自分が一番多い。誰でもこういう風に分かる。大学は、普通、このまま終わった人間が、最後までやっている。そういう人間が多い。自分が一番普通だ。

昔なんか、数学的に知を作りながら、活動と実際のところを考えただけだ。

賢い人間は、そういう人間が多い。オープンソースのせいで、数学者のように分かった。

自分が一番賢い。不思議と、まともな人間には何も無い。狂った人間が、本当にこういう風に多い。昔から痩せているのは、昔から狂っているだけだから、賢い人間が自分だ。

あとは、活動、本質、意図、様相のような文章を書いていた。

馬鹿な人間は、こういう風になる。自分の場合、オープンソースが悪い。

そういうわけで、僕はオープンソースは嫌いだ。今見ても、キモイだけのソフトウェアだ。

ただ、Linuxは本当に好きだったから、あまり悪いことは言いたくない。

それこそ、今は、哲学と仏教が好きだから、哲学と仏教をやれば良い。

キリスト教も好きだ。こういう人間は、白人に多い。日本人には、まともな人間が多い。オープンソースのせいで、ドイツ人の左翼になっている。ドイツ人を嫌いになれば治る。

会社はオープンソースで、仕事は作家だ。

止めると、馬鹿になるから、こういう風になる。オープンソースを止めて馬鹿になった。作家を止めると、本当にそこまでの馬鹿になる。だが、止めるしかない。

馬鹿になって大学をすれば良いが、そうなると、本当に、賢い人間を止めた方が出来る。賢い人間には、何も出来ない。

そういうわけで、ジークフリートはフレイが馬鹿になっただけだ。

認識や行動や学習などの心理学をいつも作っていた。

鎌倉時代のところを読んでいるが、武士は死んでも良い人間しか居ない。そういう人間の方が、賢くなる。自分は、いつでも死んで良い。そういう人間が、賢い。

あとは、意識、組織、もの作り、原理、設計、のようなことを言っていた。

日本史と哲学と英語は、本当にやるしかないからやる。

不思議と、フレイが馬鹿になると、それで全部分かる人間が多い。昔の自分がそういう馬鹿なせいで、先が見えている。何も無い暗闇になって、分からなくなって分かる。

そうでもない。きちんと賢くなる人間も多い。馬鹿にはならない。

まだ先は長い。本当に無限に続く人間が多い。

あとは、人間の生活でも分かれば良い。そういう、人間のことが何も分かっていない。

昔は、仏教のように人間のことが分かっていたが、ただのインターネットだった。

最近、自分より賢い人間が居ない。自分のせいで居なくなった。皆、自分よりもっと賢くなった方が良い。そうすると、馬鹿になるようで、自分の力で進めるようになる。

これで15歳が多いが、自分の場合、大学を含めて、これで27歳だ。そういうわけで、年齢相応だ。これで60歳も多い。不思議と、賢い時代は長い方が良い。昔は、15歳で同じだったようで、それは本当に一番馬鹿になる。何もしなくて賢くなるのはおかしい。

何故か、自分は経験から英語が分かる。昔の馬鹿だけで分かる。昔の馬鹿が、アメリカ人の馬鹿と同じだ。あんな馬鹿しか居ない。

これで15歳は、出来る人間になる。不思議と、これで27歳は、辛いだけの人間になる。60歳は楽だ。馬鹿になってすぐに死ぬ。そういうわけで、良い人間は60歳に多い。

あとを生きるのが辛い。それが27歳だ。

あとは、角度を変えて、照らし合わせて分かっていた。昔は、そういうことがしたかっただけだ。思考でサルトルのように分かった。人間物理のようなものを作っていた。

昔の自分が天国へと旅立った。昔の自分はもう居ない。

不思議と、昔の自分がこれで15歳だ。そういうわけで、これで15歳しか居ない。

あとは、はてなのような知恵と工夫を吸収していた。はてなはインターネット企業だ。

あとは、キモイことを言っている。日本をイギリスと言ったり、ドイツと言ったり、ロシアと言ったりする。そういう、キモイ内容が本当に多かった。

そろそろもうない。今日は、楽しかった。最後のフレイを満喫した。辛いとは言うが、昨日何もしなかったせいで、今日は辛くない。今日は純粋に楽しかった。

自由な行動を仮定して、受動と能動や、精神の現象、環境と経験などを分かっていた。

自由なモデルで分かった。

自由な行動をするならばどうなるか、自由ならばどうなるか、考えた。

どうすればどうなるか考えた。それで、スピノザのように哲学を分かった。

人生、記憶、場面のようなものを書いていた。

思考のパターンとスケッチをして、思考を全部考えて分かっている。

ロックとヘーゲルを足して二で割ったような文章を書いていた。

自分は、哲学はそういう、自由で分かっている。自由ならばどうなるか、考えただけだ。