昔は、基盤を共有した多様性、パターンなどを分かっていた。
今日は、英会話教室に行って、関係代名詞の1つの言い方をやった。
英語は、全く分からない馬鹿の方が出来る。言語が分からない方が出来る。
英語は、一度英語の知性が死んだ方が出来る。全てして、死ねば出来る。
英語は、分かることを、きちんと全て言う、賢い言語だ。
日本語は、分かることを言わず、大切なことを言った後に、適当に付け足す。
それが悪い。きちんと、a boyからwalkingを言わなければ、分からない。
ものごとには、前提とものと考え方がある。
前提は理論と理解であり、ものは場と現実であり、考え方は視点と人間だ。
人間の分かったものは、人間には分かる。吸収出来る。
深層意識や学習意識などを、想像力で分かっていた。
自由は、社会のパターンと思想だ。
中央集権、地方分権、共同体、連邦などが考えられる。
あとは、教育を変えると言っていた。沢山の体験や実践から、自分でやって分かる、きっかけと手段を与える、自由にする、参加する、などを考えていた。
科学は、自分の理性による思考の体験によって分かる。それが理想の哲学者だ。
だが、人間はそれぞれ違う。自分のやったことと全く同じことをやれと言うと、無理がある。そのために、この文章を書いたのだと思う。これなら、自由に出来るだろう。
あとは、国を作るボトムアップな発想が多かった。国籍や貨幣、言語を共有し、分散させて関与させると言っていた。自由な共同体を、共有によって成り立たせると言っていた。
辛い方が楽だ。楽を望むから、辛くなって馬鹿になる。賢い人間は、頭を自由に使う。その方が辛い。辛い方が、楽に賢くなる。辛いのを望めば楽になる。
あとは、良い自由を書いていた。
選択肢を作り、比較し、試し、強制されず、合意と意志によって、共同体を作り、参加可能にし、自然に変化を積み重ね、実現力を高め、個人の自由にすることが、自由だ。
知と立場、人間、前提、感情、法則、原因と結果を吸収し、試せ。
モデルを作って、構造と構成要素、相対的な関係と理由を知れ。
試し、考え、想定し、実感し、感覚と理性で分かれ。
意志と関係の中で、自由と共生と意志と共有を知れ。
1つ1つのことを成り立たせて、自由な発想をせよ。
具体例と実感から、感覚の物理を作れ。
システムを構築し、考え方を知って、適用し、出来ることをやれ。
そういう風に、新しく、自由に発想すれば分かる。
全ては、吸収、概念、行動、結果だ。
情報をやり、工学をやり、物理と数学をやり、論理学をやり、心理学と教育学をやり、地学と生物学をやり、社会学をやり、言語学をやり、経済学と政治学をやり、語学をやり、文学とキリスト教神学をやり、哲学をやり、世界史をやった。その順にやれば良い。
昔は、アリストテレスのように、また、ヘーゲルやヴィトゲンシュタインのように考えた。
最近は、キリスト教やイスラム教のように信じて分かった。
また、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、アメリカ、イラン、中国、インドなどの国が出来た。それぞれの人種を体験した。
チュールがアメリカの男、トールがアメリカの女、ロキがソ連の男、ワルキューレがソ連の女、オーディンがドイツの男、フレイがドイツの女で、それぞれカップルだ。
あとは、実現したかっただけだ。変化を分かって、実現の方法や過程を書いていた。国や科学や宗教や言語を実現した。方法と実験によって、観察出来て、科学が創れる。
方法とは、考え方である。定義と説明から、全ては推論出来る。
数学と経験は矛盾するが、理性と経験は矛盾しない。
真理とは、知性であり、1人1人をありのまま、自然体に、その全てを把握し、知り、理由と数学的な体得から掌握することである。そこで、全ては、自由にも支配にも出来る。
共同体と環境を、法則と人間的なモデルと影響力によって、実現せよ。
あとは、学習から全部出来るようになった。認識の方法と、学習の本質から、概念的に習得と可能性を分かった。因果性から法則を見つけた。
それくらいの、吸収、実現、学習を書いていた。
あとは、自由な相対性と成り立ちがテーマだった。
多様な世界は、地域性と相対性と共有から生まれる。統一の方が多様になることや、平等の方が自由になることも多い。そのように、変化を全て書いていた。
あとは、集積と共有の考え方、基盤とシステムの考え方、協力と参加の考え方、自由な思考力や判断力の能力の向上と可能性、を書いていた。オープンソースの考え方に近い。
自由な国、支配者の国、平等な国、可能性のある国、保守的な国、革新的な国、単純な国、高度な国、出来る国、出来ない国、実現性のある国、連邦、共同体、など、考えられる国の形態が多かった。そういう風に、ドイツが多かった。
あとは、平和な環境や支配される環境、反抗的な環境など、環境を全部作っていた。
また、人間も作っていた。ユートピアが好きな人間、戦いが好きな人間、楽が好きな人間、偉大で賢いことをする人間など、色んなものを作るのが多かった。
脳は、想像力と構造力であり、目は意識である。認識と言語は、その中で、意思と概念によって生まれる。そのように考えて、知覚のようなものを書いていた。
生命は、環境への適応であり、地球の一部である。
ラテン語は形容であり、日本語は概念と概観であり、英語は単純な自由であり、ドイツ語は多様性である。
そのように、世界にある色んなものをそのまま書いて、自由に作っていた。
あとは、意志と所有などを考えていた。
男は記憶であり、女は精神である。宇宙は、相対性と集まりから生まれた。
表現とは、愛であり、自分の心を表し、意志と概念を伝えるためのツールだ。
もの作りは応用である。そして、協力による高度なもの作りが会社である。
国は、他の国に勝ち、国民の生活を助けるための、指導者であると同時に、基盤である。
国の文化を愛することは、悪くは無い。だが、他を虐げて、自分の方が上だ、と考えるべきではない。それは、ドイツであろうと、ユダヤであろうと、間違っている。
思考とは、自分を次へと変える道具であり、人を知り、ものを観察し、分析する、知の基板であり、人間の基礎であり、科学の自分による構築である。
思考、意志、関係、視点、相対性が、科学の全てである。
感性から世界を知ることが出来る。方法と感性によって、宇宙の意識が分かる。
分かったようで分かっていないことは、経験して、法則を科学的に知り、そして、見方を変えることから分かってくる。分かり得ないことを除外するだけで、良く分かる。
自由とは、言葉遣い、価値観、影響力、信念である。
特に、日本語的に考えることから、日本人の自由な価値観が見えてくる。
あとは、信念を全部分かっていた。
それから、C言語など、プログラミング言語の考え方と構造、UNIXなど、OSの考え方と構造が分かっていた。
もっと、色んな考え方を知りたい。
全ての可能性が分かっていた。決め直して分かった。
機械やシステムは、出来る人間にやらせるしかない。だが、どこでも、機械は悲惨だ。
社会主義の何が悪いかと言うと、楽な仕事が無くなって、皆辛い仕事になる。それが一番悪い。必要な仕事だけになるから、社会は良くなる。だが、誰も働かないから、廃墟になっている。社会主義は、悪い。自由な方が良い。
だが、コンピュータ産業なんか、要らない。それはそれで、おかしくは無い。
評議会に参加し、投票や議論を行えば、どちらでも同じになる。自由と平等は同じだ。
あとは、全ての可能性と状況、場合を照らし合わせて分かっていた。
状況を決定し、実験せよ。作用、反応、実感、法則を知れ。
確認したい病気になったら、確認する時に、一言、「これで良い」と言えば良い。それで、きちんと分かるようになる。
自由な知性で考えると分かる。所有し、意志を持ち、職業を選択し、会社に就職し、出世し、会社を作り、国を変え、政治家を選ぶ。ものを作り、システムを使う。究極的には、自分の手で全てするしかない。それを、他の人に任す、という自由もある。
コピーする時は「コピーする」、きちんと終わったら「終わった」、と言えば良い。そこを言わなくなると、誰でもおかしくなる。馬鹿は、覚えていない。
結果を見て、何がどうすればどうなるか、考えると良く分かる。思考の物理だ。
あとは、行動やすることの意味、手法の意味を考えると分かる。
そして、概念を階層的にすれば分かる。
そういう風に、方法と概念を抽象的に考えれば良い。
日本語の文法は、まるでオブジェクト指向だ。そのように考えても良く分かる。
もし、だったら、を考えて、証明や実証をすれば分かる。
こうも出来る、こうも出来る、可能性が分かる。
あとは、精神を作って、世界に居る色んな人間を作った。
意味を考えて、仮定した。
人生と反省から、経験で普通のこと、善悪や心のことが分かった。
何をしても分からない。2ちゃんねるは、見られない。死ぬほど怖い。
もう、何も出来ない。書くことは、全部書いた。
だが、それはおかしい。
他の人間は、2ちゃんねるなんか見ないのに、色んなことが分かっている。
他の人間に出来るなら、自分にも出来る。
賢くないのが悪い。もっと、突飛な発想をすれば分かるかもしれない。
かもしれない、だろう、と思わなくなった。それが悪い。
何か、かもしれない、と漠然に考えて、自由に行動すれば分かるだろう。
人間が人間であるという根拠とは、何か?
もっと、良く考えれば良い。哲学的に、普通に考えれば分かる。
原因と考え方を考えれば良い。テレビは、スイッチが入ったから映る。ただ、それは、明らかに馬鹿だ。おそらく、良く考えれば分かる。そういう風に作ってあるから、そうなる。
勉強して、本を読めば分かる。だが、そういう分かるには、意味が無い。
テレビやマスコミのようなもので分かる。日本がきちんと分かる。ただ、そういう人間は、ただの普通の人間だ。
もっと、賢い人間になった方が良い。昔は、パソコンのOSやブラウザを作りたかったのが賢かった。
もっと色んなことを考えて、具体的に考えれば良い。
お茶をお茶と言うのが賢い。あとは、抽象的な同じと違うだとか、記号的な意味を考えれば分かる。日本語は、知性だ。人間の知性は、言語だ。
具体的に、色んなことを考えて、ヘーゲルと思えば分かる。抽象的な方法と論理から、哲学が分かる。
ただ、哲学者は、無い方が良い。自分で一から分かった方が良い。考えて、分析すれば分かる。知の属性なんか、良く考えれば誰でも分かる。
人間は、物理的にしか分からない。物理的に認識を分かる。あとは、言葉と心があれば分かるかもしれない。
もう分かっているのが悪い。本当に正しいのかを疑って、かもしれないにした方が良い。
感情を物理的に考えれば分かる。
書くのや、この文章を分かるのが悪い。そのせいで分からなくなった。
普通は、善悪、方法、経験が多い。あとは、社会のことが多い。
論理的に分かるのは、むしろ、おかしい。もっと、普通に人生を分かれば良い。
本当に馬鹿な人間は居ない。皆、何かしら賢い。
実体験で、変化と心を辿って、視点と場を空想して分かっていた。
色んな体験の変化が、全て分かった。捉えて、世界観を分かった。
想像力で、全部見て分かっていた。変化を分かっていた。
マネーゲームが悪いとか、貨幣を統一せよとか、競争は悪いとか、想像力や認識、影響力とか、普通の色んなことを書いていた。
ありがとうとさようならで、普通の人間の感情を全部書いた。想定しながら導いて、全部分かることを教えていた。
自分なんか、ただの馬鹿だ。いつも狂っているし、何も分かっていない。
この文章を読むと、怒るようになる。本人が、怒るべきなのに、怒らずにふさいでいるから仕方ない。
皆を守る気持ちから、神の愛が分かる。平等の方が良い。
皆の良識と賢さは、平等だと思う。
支配や組織を悪いと言うが、学校やテレビのように、本当に必要なものはある。
いじめなどの社会問題を考えれば分かる。何か、自分なりの信念で考えれば良い。
ネットのように、タグやキーワードで分かるのは、賢い。
カテゴリーや分類、原因と結果、法則性と三段論法を考えれば分かる。仮定せよ。
あとは、システムを書いていた。成り立たせて、説明や考え方のようなことを言う。
頭は、上の方に上がればすぐに楽になる。いつまでも動くのは、何をしても治らない。普通、普通に動く。自由が無く、疲れていて、いつまでも続くのが辛いだけだ。
あとは、本当に共有が多かった。
人の意見を聞けば分かる。社会を知って、人の言うことを聞いて、経験する。それで、ソクラテスやサルトルのように、きちんと普通のことが全部分かる。
あとは、治るのが多かった。
頭をさらに組み替えて、止めて、全部同じにして、血を治せば治る。
その体験はそういうものだと思って、馬鹿になれば治る。
想像力をつけて、思い出せば治る。
だが、そういう治るは意味が無い。治らなくても普通になる。
言うべきところを言えば治る。まともに分かる人間になる。
何とかして、絶対に治りたかった。
肝臓で治すと治る。あとは、体力をつければ良い。ただ、耐えるしかなかった。
単純な自由の時、判断力が無ければ、正しい知見のある行動は出来ない。
また、考え方と知性によって、想像力を高め、世界の中で活動することが出来る。
方法と概念によって、また、自由と相対性によって、考え方と知性を高めることが出来る。
倫理的な自由において、道徳と世界の中での影響力が、社会を変えていく。
自由は、1つの結果を残すために、活動し、行動し、理由を捉えることが出来る。
現状を理解せよ。
そこから、世界が分かり、変えられる。
ものを作り、残すために、方法が必要だ。そこでは、知性と学習によって、習得と体得の考え方と意識が生まれる。
現状分析ともの作りだけにすれば分かる。昔が出来る。