日記に戻る | 2014年11月の日記に戻る

=2014-11-03=

正しい方法と関連付けを自由に考えた。

正しく社会を考えた。

全体が分かっていた。全部の自由を分かった上で、一部を作っていた。

視点を変えて分かった。

言葉だけでなく、理屈を考えた。システムは、共生だ。

色んな視点で考えた。人間は、歴史の一部だ。石ころにも歴史がある。

ネットで精神分析と思考と言葉の実験をして、実感で分かった。理性的に感情で分かった。

だが、ネットは必要ない。

発展と未来を考えていた。憂国は、自由と希望が救う。皆が賢くならなければならない。

全てを作り替え、作り直して分かった。

あとは、議論や外国語、ルールなどが多かった。

情報共有と現実の声から社会を分かった。

共生には、助け合いの基礎と合意が必要だ。

自由な代表が法律と公共サービスを作る。それは、投票で行われる。

人間は、関心と意識だ。

農業は、一番必要な職業だ。

中世は、都市部の市民、騎士、農奴、ギルド、教会、王から成り立つ、単純な社会だった。

意思と比較から想像力で把握せよ。方法を成り立たせよ。

時は、過ぎ去る中で色んなものを残す。全ては、残り物だ。

本当の歴史は、どこかにあった。誰も知らなくても、確かに存在した。

自分自身や意思と照らし合わせて世界を分かった。

体験と方法を理性的に考えた。

もっと真面目に考えれば分かる。もっと前だから分からないだけだ。

ものを作る、共有する、工夫する、その上で、共生し、習得し、システムとサービスを作り、可能性を高める。

考えて、想像力を使って、意志から社会とものを作り、そのための方法を知る。そのための能力を高める。皆を知ることで、自分の可能性を高める。

結果で分かっていたのが、そろそろ要らない。

モデルは、説明モデルのことを言っていた。

想像力から方法が生まれ、判断力から選択が生まれ、自由な理性から法則が生まれる。

Linuxは、オープンソースで、無料なのが優れている。誰でも気軽に試せる。

バグも放っておくと、何故か直る。

作家は、おかしな発想をして、変なものを登場させれば良い。

あとは、取り得る可能性を考えれば分かる。

狂っているロボットになって、下積みとスケジュールをやった。それで出来ただけだ。

作り替えて説明する知性が多かった。

僕は仏教徒になる。むしろ、仏教の方が好きだ。賢い。

フレイヤは、仏教徒の日本人になる。

昔は、仏教のように意識を分かって、悟っていた。

最近は、生まれ変わりを何かの形で体験した。

僕は仏教が好きだ。

むしろ、キリストは、自分が救世主に見えて、おかしくなっているだけだ。

二人に分かれることは出来ないが、二つの心を作ることは出来る。

天国は無い。この地上が、既に天国だ。

神は居ない。神が居るように見えるだけで、そういうものは宇宙の法則と因果律によって起きている。

ユダヤ教はおかしい。選民思想で、神が国民を救うのは、悲惨な発想をしている。

神との対話は、自分が創った神が話している。神とはそういうものだ。

バッハの神は、バッハの音楽における神が現象として起きている。

般若心経の本に目を通した。あるでもない、ないでもない、空が書かれている。

ただ、細かい点が気になった。自分は、無理な欲求を持ちすぎている。賢者は、迷いのある状況に居ても、迷いのない心で居られる。そういう考え方を、最近しなくなっていた。

どうでも良いが、細かい点から、全体が分かる、と言う考え方は昔多かった。

仏教は、そういう、平静さと苦しみの無い心が分かる宗教だ。物理学や経済学のような、無機質なものではない、人間的な真理が説かれている。

ものごとは積み重ねだ。基礎をやって、応用を出来るようになる。ただ、昔の僕は、そこをイレギュラーな方法で分かっていた。応用をやってから、基礎を作った。そういう風に、普通の逆で分かっていた。

あとは、一体から独立を知った。逆も出来る。独立から一体を知れば良い。

昔は、体験や人生のことが良く分かっていた。判断基準と結果を知って、根拠や成立を分かっていた。

全てを解決する、イスラエルのような王が多かった。

仏教には、怪しい本やページもある。注意して読んだ方が良い。

仏教は賢いというが、宗教だ。嘘を教えて、騙すから、注意して信じなければならない。

むしろ、僕は、科学者に向いていたはずだ。科学の方が良いかもしれない。

もっとまともで普通のところから、日本を分かった方が良い。

日本食は、味噌汁とご飯だが、最近はいくらでも外食などの食事がある。普通、日本は食べ物から分かる。

テレビを見れば良いとはいうが、最近のテレビは、馬鹿だ。一番悪い。

政治家は、民主主義だ。選挙は、元タレントも悪いが、世襲も多い。民主主義は、馬鹿だ。

本当に、科学の方が良い。もっと、自分の分野を、文系から理系に変えれば良い。いつも、理系は得意だった。

経済や政治、歴史や哲学、文学や宗教は、これ以上する意味が無い。

キリスト教が悪いのは、単純に宗教が悪いからでもあるが、キリストがおかしな人間だから、仕方ない。

もっと科学の方が良いとはいうが、仏教をきちんと知れば分かる。

賢い人間は、最初からきちんと1つ1つ分かる人間が多い。

一度ゼロに戻った方が良い。天才は天才ではなく、皆同じだ。

下がって辿りながら、分かった心になって、1つ1つ反応して、想定して書けば、トールのように書ける。

平和を作るためには、自由な取り組み、努力、合意、信念、理想、向上心、創造性、考え方と自由が必要だ。

そのために、知性と同時に、信じ、感じ、受け入れる心が必要だ。

僕は、愛と、平等と、慈悲が好きだった。

もっと、愛とは何か、意思とは何か、存在とは何か、平等とは何か、考える心が必要である。

それは、愛と真実の理性であり、経験である。

その中で、それぞれの意思と許しを与え、社会的な地位と権威を与えるとともに、そういうものではない、本当の真実と賢さを与えることで、平和な社会が生まれる。

そして、その社会は、悟りと理解の自由の中で、平和と平等の経験を作り、ソクラテスのような真の賢さを持つ、自由な人間を生み出す。

何故、自由とは、そんなにも高度なものなのに、低度なものなのか?

それは、人間が、自由の中で出来る、一切の高度な経験を、知らないからだ。

自由とは、教え、共生し、経験し、信じることで、基盤と関係を実現し、論理的な意味を成り立たせることだ。

この文章には、意味が無い。トールは、意味のない言葉の羅列を言うだけだ。

自由とは、愛や平等だけではなく、理性と相対性であり、啓蒙と共生の知恵であり、協力による実現である。

そこでは、理由の分析と正しさの分析、方法の分析から、実現出来る可能性を探ることが出来る。

それくらいで充分だ。もっときちんと理性的に考えて書くと、それがいつものトールだ。

自由な相対性とは、意思、協力、実現、成り立ち、可能性の発揮である。

そのために、行動し、意見し、共有し、知り、思考し、疑い、感じ、信じ、考えることが出来る。

全ての本質は、考えるだけではなく、感じることや、信じること、空想や想像力から得られることも多い。

問題を解決するために、会社を作り、国を直し、教育を変え、実現性を高め、独立し、統一し、研究し、学習し、問題を捉え、努力し、表現し、継続し、決定し、組織を作ることが出来る。

共同性とは、システムの問題を解決しながら、生活のための手段と、理想の国を目指すことだ。

それで終わりだ。そういう馬鹿を書いていただけだ。

会社を作り、記憶と手段と考え方を知り、方法と知恵を吸収せよ。

考え方と行動の結果から、思考で説明することが出来る。

メタ的な考え方から、知性がつく。

そして、経験と想像力から、因果性と法則が分かり、方法を作ることが出来る。

悟ることから経験し、想像力を高め、世界を経験から知り、共同性と意識を知れ。

自由とは、考え方を考え、思考することだ。

自由とは、世界を愛し、共同性を正しい理想の下で知ることだ。

それくらいで、終わりだ。

可能性から、手段と理由と意識を知り、自由に実現することが出来る。

考えることから、勇気と慈悲と経験の心を知り、実践することが出来る。

あとは、共生を考えれば分かる。

家は生活空間であり、空間は共存だ。人間は、視点であり、手段だ。

人間の可能性を全部考えれば分かる。人間は、学習し、共生し、手段と考え方を作り、支配し、組織を作り、体系を作り、思考し、芸術を作り、労働する。

社会を作り、システムやインフラを作り、協力し、歴史を作り、世界を変え、真実を発見する。

身近な可能性を全部考えれば分かる。習得し、考え、感じ、表現し、共存し、関係を構築し、発想し、助け合い、許し合い、愛し合う。

そういう内容が、本当に多かった。

文章は、世界が分かれば分かる。世界が分かっていない。

テレビを見て、認知や行動を考えれば分かる。

ありのままや平等が良い。自由が悪い。ただ、決めつけるのは良くない。

色んな発想をすれば分かる。

皆の望みを叶えるべきだ。

平等を分からせることしか、平等にする道はない。

本当の平等は何か、考える必要がある。

本当に平等にするために、どうすれば良いのか?

自由や平等は、与えられるものではなく、自分で掴むものだ。

平等は自由であった方が良い。支配せず、階層や組織でないべきだ。

賢い人間が支配者になった方が良い。だが、それは平等でない。