フィルターをいくらでも変えて、変え続けて分かっていた。
どうすれば、どのように見え方が変わるかを考えていた。
革命家のキリストのようになった。
腹にフィルターが残っている。消した方が良い。意識が賢くなる。
あとは、視点ぐらいを書いていない。視点の構造と関係を考えていた。
ヴィトゲンシュタインは、言語によって表現出来るものを全て賢く表現して、限界のものを言語の限界とし、語り得ないものを沈黙すべきと言っているのだと思う。
かけがえのない、大切な社会をゼロから築け。
インフラ、言葉遣い、実体験から分かれ。
思考を辿って、全員を吸収せよ。
言葉で、構造的に考えると良い。
子供時代に大人と同じを体験すると賢くなる。
皆、全員、大切な人間だ。1人として、ないがしろにして良い人間は居ない。
全員に、全て教えたかった。偉大で、平等なことをしたかった。
全部の労働、科学、人種、体験をしたかった。
人種や国家など、何も違わない。皆、同じだ。何も変わらないのは、文化と偉人を見れば明らかだ。
国民は馬鹿で無い。むしろ、賢い人間の方が馬鹿だ。
自由な経験から感情で真理が分かる。真理は、知性だ。
ものは、人間に映ったものであり、他者の思うそれと、自己の思うそれは違う。
そういう風に、あとはフィルターを考えれば分かる。
また、経験と学習と知の積み重ね、正しい分析によって、認識は変わる。
基礎を作って応用を成り立たせ、関係を条件化し、その構造によって発想すれば良い。
科学的な真理と事実の分析が分かる。
そういう風に書くと、哲学者のように見える。
概念は操作と対応し、本質と対応する。そして、本質の本質や、概念の概念がある。行動は、その中で、知の属性を発揮する。そのように書けば、ヘーゲルみたいに見える。
ヘーゲルは、精神現象学で人生、法の哲学で社会を考えた。全部きちんと考えたが、キルケゴールは、心や魂などの人間的な要素が無いと言う。
その後に、サルトルが生まれた。僕は、あまり読んでいないが、若者向けの情熱家の思想だ。
あらゆる、本質、という考え方が賢い。
あらゆる条件下で、それが正しいことを証明し、実験せよ。
あらゆる本質は、その実在の、本来の姿とそれが取り得る可能性に帰依する。
そういう風にすると分からない。文字で読むよりは、自分の意識で考えて分かってほしい。
あらゆるものに質量と物理的な法則がある。
あらゆる、以上は、同じと違うを考えれば分かる。物理が賢い。あとは、関係と成立条件を考える。
物理法則は、別のどこかに行くと変わるかもしれない。それは、分からない。
条件を全部作ると、科学が生まれる。
賢い人間は、誰でも、昔から、どこでも、そういう風に考える。
変化を考え、答えを求め、予測する。昔から、数学が賢い。
あとは、あらゆる以外には、いくらかの、それ1つだけの、という風にある。カントが言っている。
可能性や類似性、相対性や確実性を考える。カントは、そういう悟性のカテゴリーを構造的に作っている。
あとは、無い、が分かると良く分かる。そんなものは、無い。
そういう、物理的な知性がつくと、あとは、社会を知って実験すれば分かる。そういう人間が昔の僕だ。普通、きちんと全部分かって、すぐに終わる。賢い子供に多い。
そろそろ分かった。
産業の歴史は、技術の応用と、手段と発想による実現、土壌による発明、社会による概念化と、手段の実現だ。
実現によって、もの、人、金、場、環境、共同体が生まれ、協力し、利用出来る。
今日までがあった方が良いなら、明日からもあった方が良い。つまり、書いた方が良い。その方が安心出来る。
いじめは、社会への反抗であり、社会をもっと人間らしくて素直に生きられるようにすれば、無くなる。
視点とは考え方と個人のことであり、場とは環境と集団のことである。
視点と場を知ることで、実存と本質が分かる。色んな人間を、自由な視点から吸収することが出来る。
ものや町は、時間とともに変わる。一度作ってしまえば、動く。働くことで、価値が生まれる。そういう風に、数学的に考えれば良い。
理想の世界や、本当の平等や自由を実現するためには、一度ゼロに戻って、ゼロベースで、社会の全てを知り、前提や可能性を知り、本当の思いやりとその価値を知り、能力をつけ、その社会の実際の姿と、人々の本当の望み、変えられる可能性と手段、社会を構築して変える方法を知らなければならない。
だが、ゼロベースは良くない。本当に価値あるものは、全て吸収し、きちんと考えるために、他の人間の意見をきちんと知るべきだ。
共同体は、正しい反省、手段の共有、社会の協力から生まれる。それが社会主義だ。
資本主義は、賢い会社とプロフェッショナルを生み出しながら、本当の実存的な知恵を共有し、全員の力で社会を変えることを、もっと促すべきだ。
社会は、全て変わるべきに見えて、もっとそれぞれの世界が平和になるように、全体は変わらない個人の変化を行うべきかもしれない。
あとは、時間や場所で分かる。意識が分かる。戦いと議論で分かる。神で分かる。
経験とは、頭や図面で考えるのではなく、実際に自分でやって考えることだ。
経験から社会を知り、見方を変え、感情と人間の実際の声から分かり、理性的に社会を捉え、概念と本質を理解し、本当のこの宇宙の意識を分かることが出来る。
自分でやってみると良い。経験すること。だが、意見を聞いたり、想像力を使うことは、悪くない。知識と方法を知って、自分の手でやってみる。それを言いたかっただけだ。
あとは、悟性を使えば分かる。心理的な認識や記憶などを、理性的に、経験や行動と一緒に考える。
あとは、作って考えるのが良い。実際に、自分の手で作って考える。
人間や社会が、それぞれ同じで違うこと、客観視し、主観視することが出来ること、を良く考えれば分かる。ブータンの国王が言っていた。
実現可能な発想をすると賢い。
具体的な考え方が多かった。
実現可能とは、コンピュータや資本主義などにおける、基礎と関係と発想と条件による、新しい実現だ。
もっと、沢山の実現したいものの実現方法と、自由な発想を考える。
そして、積み重ねの中から、世界における実現可能を知る。
また、構造的に社会を考え、分析することから、成り立たせて実現可能にする。
資本主義は、金によって何でも実現出来る。そのせいで、飛躍的に世界が発展した。金は、優れている。
考え方は、説明であり、知性であり、成り立ちであり、可能性の実現であり、目的の理解である。
考え方は、気づきと説明である。
植物は実をつけて増える。太陽の力で生きている。それぞれ、本当に生きている。
あとは、意味を考える。生きているとは、どういうことか?それは、何を意味しているのか?
そのように、数学的な考え方で、相対主義を考えれば良い。
良く考えると、驚きから新しい発見が出来る。
赤ちゃんの視点を考えたり、都市や年月を視覚化したり出来る。
あとは、具体例から法則と本質が分かるだろう。
だが、そんなに分かっても意味が無い。実現出来て、経験で知ることが出来なければ、意味が無い。
都市には人間が幾らでも居るし、他の町もある。それぞれ、色んなことをしている。
そういう、人間の多様性を、経験から理解出来る。また、楽しい会話をして、絆を培うことが出来る。
自分は、色だ。白い本、赤い書類、黒いノート、青いブログだ。
あとは、理想的な環境と共同体を作っていた。参加と協力を、経験から考えていた。
宇宙には、不思議で、分かり得ない、何かの存在と概念が多い。それは、思考すれば捉えられるものだ。
あとは、社会のことを分かれば良い。
経済政策や実現可能な発想をする。現実の社会を実地的に理解し、経験する。
それで、知性のモデルと変化可能なシステムにすれば良い。それくらいの方が良い。
生命は、体、記憶、種、精神、遺伝、環境だ。
僕は、パソコンが怖い。最近、テレビも怖い。日本はおかしくなっている。知りたくない。知らなくても、分かる。そういう発想が怖いのが、怖いと言う感情だ。
日本は、おかしくない。創造性のある世界になって、個人が勝つようになっただけだ。
世界は、感情の中に全て存在している。世界、即ち、自分の心だ。
歴史は、心の中にある。
世界とは、時代であり、感覚であり、全てを知り、把握する限界であり、その増減だ。
自由とは、論理だ。論理の実証と成立が、即ち、自由だ。
学習とは、論理だ。学習や、比較や、因果性が、即ち、自由だ。
そして、同じであることも、違うであることも、統一することも、好き勝手に居られることも、単純な行動も、高度なシステムや仕組みも、即ち、自由だ。
だが、自由が自由で居られるためには、他の何かとの関係と比較が必要だ。それが、可能性であり、存在だ。
生命は、理性であり、環境であり、生態系であり、適応だ。それは、存在や可能性との関係であり、そこから、全ての人生と言語が生まれる。それが、天における宇宙の姿なのだ。そういう神話で良い。
歴史は自由であり、存在である。全てのものは、自由であり、存在の可能性である。
自由とは、比較であり、記憶であり、理性であり、現実であり、システムであり、多様性だ。
法律は、永遠に、全ての人間に対して、正義があって、公正で、公平で、理性的で、平等で、自由で、全員の意思で、全員が決められるものであれ。
会社は、自由に、全てのことを実現出来、全員に手段を与える、正しい変化と理念のあるものであれ。
国家は、愛と、正義と、幸せと、賢さと、正しさと、柔軟性と、一貫性と、実現性と、聡明さのある、全員のことをきちんと正しく考え、愛し、信じ、国民を利用せず、社会と市民のためであるものであれ。
社会は、強制せず、共有する、関与し、独立する、愛溢れる、幸せな人生と協力があるものであれ。
運命は、生まれた時から決まっているが、最初に決まっていることは、その人の人生は自由であることだ。
宇宙の意味もあるが、それこそ、物理法則と神は矛盾しないことが決まっている。
言語とは、言葉遣いと伝達の中における、理解の決定と限界だ。
宇宙は、自由である。
神は、偶然を支配し、栄光を与える。必然と言うよりは、必然の中での偶然であり、必然と言うよりは、偶然の神による支配と言うべきだ。神は、全ての可能性の中で、偶然の中を変える。
何が起きるかは決まっているし、それは、その人の能力と意志によって決まる。能力で出来ない限界のようなことは起きない。その人の出来る能力で、その人の望む意志によってしか、神は起きない。
精神には、最初から神の部分があって、神の精神は、あらゆることを望むように実現出来る。だが、何も分からなくなって、全ては崩壊し、その上で継続と努力があって、何事も無かったかのように神の体験は終わる。
神など居ない。そういう人間には、自分を唯一、神と思う馬鹿しかいない。それが、キリストの何かの化身のような、神のイデアだ。そんなに居ない。
現実の社会には、つまらないものしかない。やる気のある人間は、有用性と努力と真実の感情から、きちんと世界を分かって、色んなことが出来るようになる。やる気のない人間は、いつまでも何もせず、放っておくと、観察から何かを見出して、経験が分かるようになる。両方になる人間が多い。
この文章があると、色んなことが出来る。無意味なことをしなくなる。そういう人間が、この文章の僕だ。良い人間が増えたが、皆、馬鹿になった。
僕は、全てを知りたかった。もう終わりだ。もう、終わったはずだ。
良く考えて決めるのを、全部書いていた。
世界は、永遠と、平和と、自由があれ。
会社は、皆の意見を聞け。
人間は、愛と存在の幸福があれ。
世界と、会社と、人間が、幸福な国を作れ。
改善し、共有し、意見し、創造し、参加せよ。
それは、正しく、共生的な、自由な環境を作れ。
愛とは自由であり、理性とは平等である。
世界を統合し、分離し、結合せよ。
支配とは、指導者を生むことであり、世界を決定する王を生むことである。
だが、人間には、上も下も作るべきでない。
平等な共同体から、自由な国家を作り、世界を統一せよ。
自由とは、愛すること、悟ること、戦うこと、信じることだ。
神は、必要ない。原因と結果から、学習せよ。
自由とは、可能性と、自然な考え方による、体験と積み重ねだ。
会社は、独立だ。
会社を、全員の手によって改善せよ。
会社は、考え方と、自由から、可能性を実現せよ。
会社は、法律と決まりによって支配される。
世界の変化は、全て、自由によって行われる。
愛とは考え方であり、それは、世界を包括し、包み込んで変えることが出来る。
自由とは、可能性だ。
自由とは、秩序だ。
自由とは、予測と積み重ねだ。
そのように、世界を自由によって変えるために、考え方と可能性がある。
そして、世界を全て創造し、構築し、記憶を知ることが出来る。
関係を実現し、手段とシステムを成り立たせよ。
協力とは、共同体の実現だ。
協力とは、契約によって決まりを自由に作ることだ。
協力とは、同じもの、違うもの同士が集まって、多様性を構築することだ。