日記に戻る | 2014年11月の日記に戻る

=2014-11-16=

キーポイントは分からない方が良い。

分からない方が分かる。そんなに分かる意味が無い。

大学の勉強をした方が良い。本を読みたい。

それぞれの違いから概念が生まれる。

それぞれの自由から関係が生まれる。

認識と経験を考えることから正しい見方が生まれる。

自由にやって、考える結果から、可能性と変化が生まれる。

知と概念は対応し、知と方法と経験が対応する。

前提条件と方法から実現出来る。

最初に全て決めて、戦った。

都会や農村は、環境の多様性であり、自由な共同体だ。

意識で場所などの発見と法則を分かった。

自由に許すことから、慈悲の心が生まれる。

反抗は時に、意識を高める。

言葉で戦って、日本を守っていた。

言葉にして分からない方が良い。車を車と言わず、人が乗っていると考えれば分かる。キーポイントが言葉で分かる人間は、馬鹿だ。

共同体は、合意と契約から生まれる。

もう書かなければ、賢くなって、大学が出来る。

自由とは思いやりであり、真実の愛だ。知り、信じ、愛し、守ることだ。

感情を良く考えれば分かる。

芸術作品は、表現であり、模倣品だ。本物のそれではない。

環境は、基盤だ。関数や機械は、変換だ。

認識で花の絵を花と認識出来るのは、記憶と経験による、経験的なものだ。

だが、自然界に花が存在し、それを識別する点で、感覚的なものであるとも言える。

社会には、可能性がある。色んな可能性と、取り得る解決の方法がある。

賢い人間は、解決の方法を複数の中から選択出来るだろう。

機械は、エネルギーの応用と具体化だ。

あとは、後天的な経験か、先天的なものかを考えられる。人間は、生まれた時は白紙で、全て自由に決まるようで、遺伝子によって決まる部分もある。

視点と場は自由に生まれ、人間と関係し、作用や反応をする。そこをきちんと考えれば、昔が分かる。

あとは、記憶や想像力を考えれば分かる。感情や場を想定して考えれば良い。

自分の感情や想像力、経験、記憶、知、理解、気持ちや心の動きから、世界を考えられる。

世界は、構造的かつ実地的に考えられる。

世界は、自由な意志と手段によって、変えられる。

自分の人生から、世界の全てが分かる。

あとは、心と理性と体験の、普遍性と個別性を考えれば分かる。

インターネットは、社会のことを知って、社会の変化を知るために、役に立つ。

インターネットとコンピュータは、自由なシステムだ。

自由は、行動的なものから、倫理的なものへと進歩し、次第に宗教的になる。

現実と理想、理性と感性、経験と記憶、そして、啓蒙的な精神と自由な理想の感情によって、新しい社会の可能性を考えられる。

ものごとの可能性と、利用の際の概念、そして、人間の思い込みを良く考えれば良い。

あとは、人間がどうなるのか考えれば良い。普通、それを考える。

人間が、時と場合、将来と過去において、一体、どうなって行くのか、どんな自分を取り得るのか、考えれば分かる。社会のことや心理のことも分かる。

あとは、科学的に考えれば分かる。科学的に考えないのがおかしい。

証明出来ることだけを考えれば良い。

皆の意見を参考にすれば分かる。

光やものは、人間が名前をつけた、自然にある、一定の法則を持った、観測可能なものだ。

数式が賢い。数式で何でも分かる。

宗教は悪い。平等や支配も悪い。科学的な自由の方が良い。だが、自由は悪い。

アメリカのものが悪い。そろそろ、アメリカは負けた方が良いのかもしれない。

大切なものを大切と思い、騙したり殺したりするのを悪いと思えば、感情によって色んなことが分かる。悪い人間は、悪い。悪い人間は、馬鹿になる。

真剣に考えると、悪いものが悪いだけだ。

思いやりを持って、誰にも平等で、自分の出来ることを精いっぱいやる、それが賢くなる。

大学はすべきでない。大学なんか、しない方が出来る。

大学をせず、良く見ていると、その方がハーバードのようになる。

世界をよく見て、調べていると分かる。

技術から日常が分かり、実感と想像力から世界が分かる。

目的を持って文章を読み、作り、調べ、書き、自分の手で研究せよ。

昔は、そういう風に、自分で世界を見て、研究して分かっていた。

大学なんか、しない方がそういう風になる。ソクラテスのハーバードは、大学に行かないだけで出来る。

最近は、馬鹿になった。大学のせいだ。そんなに、きちんと分かりたいのがおかしい。思い出して、網羅して、全て考えて、書くようになった。

世界を見て、子供のためを考えていた。自由にして、オープンソースに参加すれば良いように見えた。それくらいの人間だった。

議論すれば分かる。そのまま、実体験で分かるようになった。

法則、可能性、学習を思い出して、意識と反省で分かっていた。