ノートに昔の文章があった。昔考えたことが、全部書いてある。
教育や宗教は自由になるべきであり、不安を無くすべきである。
必要なものを用意し、自発的に社会を構築させ、その上で特にきっかけを与えながら全体像を理解させ、縦横無尽に好きな経緯を取って教育を受けられるべきである。
宗教は共通の神というものをベースに、好きな教義を多様に得られるようにすべきである。
言葉と感じは社会を理解させて、主観的かつ客観的に、場を変化させて改善出来るような言葉を自由な環境と意識で理解させるべきである。
社会は、全てを同じものの違いだと考え、その上で想像力を発揮し、仮定や結果、反応と作用によって、インターネットなど、現実を生で感じデータを豊富に得られる場で、何が人に影響力を与えているかを考え、個々の人とその人生、そして人同士の繋がり合いがどのように作用しているか、そして、社会全体の構造がどのようになっており、どうすればどうなり、そして、何故そうなるかを考えることで、本質的な道具や環境と人の意識の変化と考え方の違いについて考えるべきである。
体制は、自由に変化され、そして維持されるようになるべきである。
今日考えたこと。
世界が平等になる方法を考えて、平等な自分を書いていた。
現実と理想を考えていた。
今考えると、宗教を多様な教義にするのはおかしい。聖書とコーランを同じ神で選ぶのは、自由が無いのに自由だし、イスラム教とキリスト教の本来の宗派に悪い。そういうことは、しない方が良い。
独立しやすい帝国を作るとか、そういう、自由なのに自由が無い発想は、昔に多かった。
僕は神を信じる。それでまともになる。
地獄のままで良い。昔は狂っている。
本という概念、内容という概念がある。
経験心理学を作った。
平等にするために、価値観を共有し、手段を与え、幸せな状態を教える。
認識し、記憶し、信じ、法則を知れ。
政党は、議論し、王を助ける。自由党、労働党、保守党があれ。
心理的に感覚と状況が分かっていた。
視点を変える、多角的に考える、心の声を聞く、戦う、議論する、調べる、実験する、などの方法がある。
正しい国か、共同体の国にせよ。
考え方をモデルにして、全部の知を分かっていた。
皆の歴史と記憶を洞察した。