日記に戻る | 2014年11月の日記に戻る

=2014-11-06=

書くのか、書かないのか、悩む。馬鹿にはなりたくないが、楽になりたい。

まともな賢い人間になりたかった。

何にでもなれる精神が多かった。色んな人間を知って、色んな人間になった。

心は、死んでいる。サタンを消すと治る。

血が、適応出来なくなっている。昔、適応出来たのが、悪い。おかしなものばかり適応している。

昔の通り考えると、環境へ適応するだけの生き物が人間だ。

僕は、正常なものが正常でない病気だ。

正常なものが何なのか分かっていない。全部分かっているのに、分からない。

正常は、ただの馬鹿だ。

狂うと、すぐに治る。辛い人間は、狂った方が良い。狂うのを我慢しているから治らない。

血は、狂って気持ち悪くなると治る。そんなに正常になるのがおかしい。

最近、テレビを見なくなった。それがおかしい。それで分かるわけがない。

テレビは、つまらない。自分と関係ないのが、意味が無く見える。

僕は、ミニ四駆世代だ。プラモが一番好きだった。

テレビを見る。馬鹿になると言うが、今の方が馬鹿だ。自由が無くなるのが怖いだけだ。

これ以上まともになるのがおかしい。自分が一番まともだ。

テレビを見ていると、何も分からない、自由の無い人間になる。ただ、それが賢い。

まともな人間は、分からない。いかれた人間が賢いだけだ。

自由とは、好き勝手に行動し、議論し、経験を知り、出来るようになり、可能性を高め、実現し、支配し、自由に考え、変化を予測することだ。

その中で、分かることもある。

だが、自由は悪い。支配されなければ、分からない。自由では分からない。

悪い人間を倒す、という発想がおかしい。悪い人間なんか、居ない。

しかしながら、悪い人間を倒さなければ、賢くならない。

戦争は悪い。戦争が良いとか、必要とか、そういう風に分かる人間は、おかしい。

戦争は悪い。人間を殺す人間は、地獄に堕ちる。

戦わず、殺さない方法で、融和する道を考えるべきだ。

そのように、「しかしながら」で考えていた。

もっと、信じるべきだし、矛盾する命題についても考えるべきだ。

日本は、スイスのように、永世中立国になれば良い。それが一番平和だ。

軍隊の無い国だから、きっとなれると思う。

ただ、法治国家である時点で、既に中立とは言えない。アメリカと同盟し、資本主義の競争で豊かになりたい時点で、スイスと同じにはなれない。スイスは、どことも同盟せず、軍隊も持たず、会社経済も本気でしない。

自由に考えるのは、悪くない。

自由が好きなのに自由が嫌いなのもおかしい。だが、自由なんか、ただの馬鹿だ。

僕は、戦争だけが嫌いだ。死ぬのだけは、悪い。

昔は、相対的な自由を考えて分かっていたが、最近分からなくなった。自由が馬鹿に、分かるのに分からないから、そうなる。

奴隷はあまり悪くない。居ると、王と貴族が楽だ。だが、不平等は悪い。

奴隷は、明らかに悪いが、自由主義は普通に奴隷が多い。どちらにせよ、民主主義が良い。

価値観と考え方と変化を、相対的に考えるべきだ。

違いの中から共通性を見出すことだ。

全てを、同じものの中の違いと考え、変化の中で、発生し消滅する現象と考えれば分かる。

国の違いを人種と考えるのはおかしい。社会の変化と考えるべきだ。

災害や犯罪などのリスクに対処し、皆に必要なインフラを皆で作り、生活する手段を与え、皆が生きる生活を保障しなければ、国家とは言えない。

国家は、統一し、強くすべきだが、軍事的な力は必要ない。

奴隷で強くて、楽なのはおかしい。辛い仕事が必要なら、自由にすべきであり、あるいは、平等にすべきだ。どちらも同じだ。

自由はおかしい。平等の方が良い。中世のような単純な社会の方が、高度な社会より賢い。

しかしながら、明らかにそれは嘘だ。自由な民主主義社会が、一番高度で、賢い。

ただ、金よりも高度な世界を目指しているのが、ソ連だ。それはそれで、間違っている。

ただ、本当に自由は悪い。ネットやテレビを見ていると、低俗で侮辱的なものが多い。そういう自由が悪い。

自由は、悪いのに人格者になる。それは、悪くない。平等にも、そういう人間が多い。

平等の方が良いと思う。可能性や能力は、そのうち、平等でも実現出来る。

自由は、国際的に高度な資本に依存する。平等で自給自足の方が、賢い。

ただ、自由や平等を賢いとはいうが、皆、民衆は馬鹿だ。

しかしながら、もっと民衆を信じた方が良い。自分だけで考えていると、分からなくなる。賢い人間は、そういう人間が多い。

日本が好きなら、日本が良いと思う。むしろ、民主主義は、本当に良い文化だ。

奴隷、という発想が悪いが、本当の平等は、実現不可能だ。社会主義は、そういう、不可能を可能にする考え方だ。そのために、無理やり強引に平等にしたため、悪い政府で、全員奴隷になった。不可能を実現するためには、もっと考えなければならない。

金は、無機質な経済手段だが、効率的だ。自由にすることで、チャンスが生まれる。それに、流動的に入れ替わるなら、奴隷でも貴族に見える。そういう発想だ。

平和が良い。むしろ、政治経済のような、世俗的なもの、世間的なものは、考えない方が良い。そういうものは、皆を不幸にするだけの、悪魔だ。

国家は家族だ。皆を生かし、協力し、助け合わなければ、自由とも、平等とも、言えない。

理想は、世界全員家族、兄弟だ。人類愛が無ければ、正しい経済学ではない。

自由は良い。生活に困らず、皆豊かだ。だが、反面、南米やアフリカの後進国は、悲惨な暮らしをしている。

何が本当に良いかは、分からない。自分の分かる範囲で、自分の分かる理想を信じるしかない。

自由にすると、会社の中で労働者が働いて、社会はものが増え、発展する。だが、平等で発展すれば良い。

平等は、自由に比べて発展の速度が遅い。だが、平等な計画経済で、平等な発展をする。

ただ、良い発展はしない。共産党は、強制移住や税の徴収、汚職など、どこでも最悪に悪い。

自由や平等を、悪いとか、良いとか言うだけ、分かっていない。分からない方が良い。そんなものは、誰にも分からない。

日本は、何でもごちゃまぜにする、古くて新しい、良い国だ。

ドイツは、良い国だ。戦う悪い国に見えて、平和な良い国だ。皆、平和なドイツが好きだ。

もう、分からなくて良い。分からないのが、一番賢い。

スイスを良いとはいうが、中立なだけ、何も勝ったり負けたりしない。意味が無い。平等の方が良い。

平等は、統一して平和になるが、明らかに、それは馬鹿だ。自由の方が、多い。

それ以上は、分からない。

ものが増える、減るとか、自由なだけおかしくなる、国家主義の方がまともになる、という発想は多かった。良く考えると、そんな風に考えても、当たらない。努力すれば、平等でもものは生まれる。

国や社会を成り立たせて分かっていた。

法律は、皆で決めるべきなのか?

会社や金は、好きなものを得られるべきなのか?

それとも、平等に配給すべきなのか?

社会システムには何が出来るか?

新しい思想は何か?

国を成り立たせると、国会や労働条件などが考えられる。

また、参加可能に出来る。

そのように、自由に国を成り立たせていた。

人間には、理性と現実がある。

人間が分かったことは、自分にも分かる。

方法と前提を知れば、何でも同じように出来る。

自由競争すべきなのか?計画的に決めるべきなのか?

間接民主主義にすべきなのか?国王にすべきなのか?

中央集権か?地方分権か?

数学と物理か?宗教か?

そのように、可能性を考えれば良い。

支配が嫌いなら、本当に支配者は要らないのか?

どのようにすれば平和になり、正しい社会になるのか?

国を強くし、勝ち、実現するためには、どうすれば良いのか?

あとは、科学を分かって、秩序を作るために、方法と理解を考えていた。

政府か、独立企業だ。能力か、指導者だ。議論か、選挙だ。

もう治った。全て終わった。

自治体か、国家か、会社だ。

皆のもの、皆の工場か、自分のもの、資本家のものだ。

あとは、神が全て教えた。全て分かっていたが、辛かった。

虫けらから、女が生まれた。

対話のキリストから生まれ変わって、全員を融和した。

政策的には、工場と農場を作って、パンを与えるべきだ。

農業を皆で分担してやれば楽に見える。

計画経済の強制労働は、後で楽になるかもしれない。

奴隷は、奴隷になれば生きられるように見える。

軍隊は、普通、地位の高い職業につける可能性がある。

併合してしまえば、後で平和になる。

そういう、空想的社会主義のような馬鹿な発想が多かった。

神は、自分が一番普通だと言う。

支配が嫌いだった。

逃れられなくなるのが辛い。簡単に、支配しなければ良い。

昔は、意識で異次元やエネルギーを分かっていた。

独り分かった上で、戦いながら皆を見守っていた。

もう休める。目覚める。治った。

限界を頑張れば治る。

環境と心がどうなるか分かっていた。

変化と可能性を積み重ねて、意見を聞き、社会を知り、自由意思を考えた。

何をどうすれば安心出来るか、発想出来るか、考えた。

自由とは、選択肢と競争と多様性があることだ。

自由とは、独立性と地域性と合意があることだ。

自由とは、強制的な関与がないことだ。

自由とは、自立と余裕だ。

そのままで放っておいているのを、変えれば良い。

良く考えて言えば良い。

僕は、ドイツとユダヤの神だ。

無意味に同じ体験をしなければ良い。

色んなことを考えて、発想し、理解し、議論する経験があった。経験で正しさを知った。

経験で全ての理由が分かった。

視点を変えて、視野を広げて分かった。