プラットフォームと独立しか考えていない。
昔は、プラットフォームと情報、世界モデルで分かった。
それを思い出しながら、世界観を書いただけだ。
昔は狂っているだけだ。最近の方が、意識的にも、能力的にも賢い。
一年考えれば良い。毎日書くから辛くて馬鹿になる。一年考えて小説を書けば賢い。
人間がどこから来て、どこへ行くのか、とか、そういうことを考える。
ピアノは賢い。自分の弾いた音を聴いて、覚えていると、予測するようになる。
分からない普通、治らない普通で、人は賢くなる。
書かないと治るなら、あまり考えなくて良い。楽観的に好きなことをすれば良い。
革命は一番悪い。忘れた方が良い。
分かるを消すと分かる。
昔は、分かるのバランスを取って分からなくなっている。
最近は、反応して意見する代わり、全部分かった。
何もかも辛いと楽になる。歯磨きも楽に出来るようになった。
最近は、考えるのと書くのが楽になった。
あとは、世界を見て、環境想定をしている。それを書いただけだ。
人生を総括して、分かり方を言葉にした。
知を共有するのはネットの特性だが、最先端から古典まで、きちんと揃っているのはアナログな紙メディアだ。
ものや自然、宇宙の仮説と法則性を考える学問が物理学だ。
何故自己は存在するのか?
何故関わり合う人間は決まっているのか?
それは、分かり得ない不可知だ。
そういう分からないは、永遠に分からない。
金は、皆への価値を生み出す人間に与える代償だ。
愛情とは、安らぎと助けを与え、理解することだ。
単純に、すべてに肯定、否定、理由をつけただけだ。
価値を生み出すのは、金が欲しいからだ。金は、そのように発展する。
疲れがたまるのは、頑張っているからだ。
理想を追い求めることで、世界は発展する。
学校が破たんする理由は、学校以外の世界を知らないからだ。
社会も理解せず、自由も無い。
だが、学校は賢い。きちんと社会科をして、それぞれの地理や歴史を覚えている。
それは、僕は中学校内容のものを今でも覚えている。
ノルウェーの首都はオスロで、デンマークの首都はコペンハーゲンだ。
ただ、それ以上分からない。名前を地図で覚えただけだ。
人との関わりと自己の進歩を考えたに過ぎない。
良い環境を作るためには、経験と可能性から考えて、楽しくするべきだ。
しかし、本当に賢い人間は、環境に囚われず、自分の好きなことをしながら、賢くなる。
学校は厳しい方が良い。自由や平等以前に、学校は覚えるものだ。
理解と体験は、独りきりでは出来ない。沢山の仲間が居なければ、何も分からない。
ネットは要らない。人を狂わせ、意識を奪うものだ。
ネットとはいうが、システムとプラットフォームを考えながら、何もしていないだけの、孤独なオタクだ。それこそ、キモイ。
それは、むしろ、戦えば治る。
子供は、親が褒めながら、甘やかさせるべきだ。
ただ、若者は、辛くても継続して夢を追いかけるべきだ。
理由と説明を書いて終わりだから、それを書きたい。
それは、何も考えない方が書ける。
孤独な人間は、狂う。
戦う人間は、何も分からない。
しかし、戦いながら考えることで、自己を向上できる。
しかしながら、それは、ただの悲惨な人間になって、おかしなことをする。
考える人間は、まともになる。
世界を考え、書く人間は、全て分かる。
愛することと、勇気を出すことと、頑張ることは同じだ。
愛は、死ぬほど辛い。愛など、間違っている。
何故経験を積むのだろうか?
それは、自己を高めること、運命を信じること、概念を知ること、などのためだ。
経験を積んだうえで、会話すれば、分かる。
それは、ネットなど必要ない。
自分の頭の中で、永遠に理由と説明を述べて考えれば良い。
何故、全ての体験に価値があると思ったか?
それは、色んな物になりながら、色んな物を吸収し、努力することで、自分を包括させ、理解し、意識を高めることが出来たからだ。
認識や記憶とは何か?
それは、周りを把握し、自分の行動と結果を覚えることだ。
感情は、何故怖いのか?
それは、自分が間違ったことをしたために、環境を破壊する機械になっているからだ。
自分を分け隔てるよりも、沢山の構造を分かっても良い。
しかしながら、決め、1つにして放っておくことで、理解が増えて分かるものだ。
自分は何故悪いのか?
それは、辛くて、馬鹿で、終わっているからだ。
しかしながら、自分の文章や現実での態度を度外視して、皆が見る自分は、出版できた、賢い人間で、皆に優しい良い人間だ。
猫や家族に良いのも良い。
数学や作文、パソコンは全て、ピアノから出来た。子供のごろにピアノを習ったのが良かった。原因や結果を理解することで、数学は照らし合わせて論理を理解し、作文はある程度以上の「良い」をあらゆる視点から作り、パソコンは仕組みと考え方を知った。
間違っていない。全て、正しい。
ものの関係性は物理学で分かる。
物理学は、実験と理性による、分からない上での推論だ。
子供時代、学校はしない方が良いかもしれない。ただ、自分は、勉強しなかったし、他は賢い方が良いが、僕は勉強しなかっただけで、色んな事を独りで出来た。
ただ、書きたい人間、考えたい人間は、高校の数学や英語はあまり必要ない。
ただ、最近は、学校の方が良いと思う。
なぜなら、自分は数学的な考え方も出来ないし、漢字も書けない。
それこそ、大学は賢い。大学は、普通きちんと全て分かる。
自分になるよりも、最高の人間になるべきだ。
戦いは、何故存在するのか?
それは、平和で自由なだけで、他のことがどうでも良いからだ。
小さすぎる国を除いて、首都は(正しいかどうか分からないが)おそらく全て覚えている。だが、数学は覚えていない。スウェーデンの首都はストックホルム、フィンランドの首都はヘルシンキ、ドイツの首都はベルリン、フランスの首都はパリ、イタリアの首都はローマ、イギリスの首都はロンドン、スイスの首都はベルン、オーストリアの首都はウィーン、ロシアの首都はモスクワだ。学校は、賢い。
ただ、そんなものは調べれば良い。それに、首都だけで賢いわけがない。僕は、あとは、国旗ぐらいが分かる。
理由と説明は、昔自分の考えた理由を全部書いただけだ。
すべて、理解、体験、認識、あるいは目線と場から考えられ、説明できる。
自由とは、愛を与えるためにある。
なぜなら、自由は、自己愛であると同時に、助け合いだからだ。
そのように書いている。
そうすると、自由は、学校の苛めと同じだ。
自由は、差別し、批判し、何も出来ないのに、最初からになるだけだ。
つまり、愛と苛めは同じだ。
愛は、反するべきだ。
自由は、無くすべきだ。
さらに、システムと視点から、全ての人間を説明することが出来る。
学校では、優等生も不良も、どちらも何も分かっていないのが悪い。
分かるためには、独りきりになって、哲学者のように人間世界を全て考えるべきだ。
自由と理解は、経験と感情に積み重なって、プラットフォーム的に全てを把握する。
それが、きちんと書きながら、支配し、戦うべきだ。
しかし、時に分からない普通の方が良い。
馬鹿ばかり分かっていると、賢いものが何も分からない、馬鹿な子供になる。
そういう人間は、意味を求めたり、疑ったりしないのが悪い。
常識など、間違っている。欲を持たなければ、何も分からない。
人間が安心するための条件は、すべてやっていることが終わることだ。
それは、おそらく、分かるものを全て分からなければ、訪れない。
つまり、怖いだけで分かる人間は、まだ安心しない方が良い。
怖いだけで、馬鹿が無く、分かるが続く。本当に、馬鹿な方が分かる世界だ。
理由と説明は、人間の理解や体験だけではなく、生産的な分野や創造的な分野にも及ぶ。
独創性は、発想の転換から生まれる。
独占で、発想は生まれない。独占と模倣が、一番悪い。
自由が無い世界では、何も出来ず、社会はどんどん悪くなる。
しかし、それは国王が悪いものを処罰すれば治る。そのように成り立つ。
同様に、自由な世界、平等な世界などは、全て、成り立つようにすれば成り立つ。
自由と平等を同時に実現したかったが、それは間違っている。
生産性は、本当に知恵と工夫だけで成り立つだろうか?
そんなことは無い。経験、習得、技術、能力、金、合理性から成り立つものだ。
1つ言えることは、合理性は正しくない。
合理的でないものに、賢いものが多い。
昔の文章をそのまま書いても意味がない。
新しい文章を書けば良い。
変化は、全てのものに起きる。
タイムラインとして、進歩をFacebookのように表示することも出来るが、基本的に、時間はそれぞれの人間の間で分断されている。
その関係性を成り立たせる、助け合いや金は賢い。
ただ、全てのものは、作られて、破壊される。
変化と時間によって、色んなことを実感的に考えることが出来る。
例えば、想像力で物理や機械を考えることが出来る。
変化は、時に間違っている。
きちんと考えて何も出来ないからと言って、何も考えずやれば良いと言うのもおかしい。
考えるべきことは、あらゆる状況に対応できる、予測知だ。
その上で、想定して、日本を守りながら、自分の国に変えることは出来る。
しかし、それはつまらない。誰がやっても同じだ。
知恵は、書かなければ残らない。
誰も分からないようで、分かっている人間は多い。
普通、書き残さないだけだ。
考え方とは、本当は何なのだろうか?
それは、おそらく、前置詞と理由の言葉を発展させたものだ。
その言葉の通り、沢山のものを繋げて考えれば分かる。
具体的な、言葉の無い現象に、1つ1つ名前をつけるだけが、考え方だ。