あるものを抽象的に捉えて分かると良い。
捉え方を考えること。
すべて作って、永遠に積み上げて分かること。
あったことにあったことを考えること。
自然や動物から守るために家がある。
生きるために食べ物を買い、給与を得るために働く。
治安を維持し、悪いものを処罰するために、ルールである法律と、審判である警察が居る。
基本的に勝ち負けの世界だ。
すでにある知を使って新しく知を作るのが基本だ。
世界を見て、あるところをすべて考えても良い。
法律だけは守らなければならない。
喜びは、ときに怖い。なぜなら、成功は一番何も出来ない。
すべては、発想と実現だ。発想とは、企画や常識であり、考え方と背景知識を知った上で、新しい発見をすることだ。実現は、たくさんの工程を通じて、理解から設計し、構築し、与えることだ。
世界は、発想と実現によって自由に変えられる。
自分の財産は守るべきだ。
人間は、自然のものから人工のものを作る。あるものは、最初からあるものと、手順と考え方、知恵と工夫、自然に発生する現象だ。
人間は、考え方を作ることで分かる。考え方とは、数学的なソートやストック、カテゴリなどだ。
人から学ぶだけでなく、自分で作りなさい。
皆、何も分からないから、自由は悪い。だが、本を読めば、誰でも分かる。
何かものを買えば手に入る。何かものが壊れればまた買う必要がある。
普通、楽と情報を提供するだけだ。楽は、自動車や家電製品で、情報は、本、テレビ、学校だ。
経営、企画、情報処理、金の管理、設計、実装、生産、が会社と金だ。経営は、競争と買収だ。企画は、新しい商品を考える。設計は、商品の技術的な規格と仕様、きちんと動く設計図を考える。実装と生産は、商品を実際に作る。あとは、マーケティングや顧客戦略などがある。
後は、現実世界で、自然の景観や、店、家屋やマンション、交通やインフラがある。それらは、美しい方が良い。ヨーロッパなどでは美しく統一する。日本は美しくないが、寺や神社、歴史的な建造物や伝統的な家屋で、日本的な島やサムライ、貴族の美しい建築美を見ることは出来る。
自動車は危険なため、バスや電車など、公共交通機関は必要だ。しかし、自動車くらいが便利だ。
競争は間違っていないが、植民地は間違っている。
皆を奴隷にして、良いわけがない。
虐殺や戦争も間違っている。
皆を殺して、良いわけがない。
競争は、死なないし、奴隷にもしないから、良い。
平等に、安全で平和な方法で、それぞれが戦うのは、あまり悪くない。
しかし、競争さえも否定すると、最下層のプロレタリア平等になる。
何も出来ない奴隷が平等だ。
それは、むしろ左翼の方が悪い。
右翼は、自由にして戦い、皆を奴隷にするだけ、色んな事が出来る。
それぞれが考えるため、強い。
平等は、さらに、全員一番辛くなる。
右翼や左翼の良い点は、指導者がきちんと考える。
金では、誰も考えない。
しかし、それはそのまま全体主義となって、戦争になる。
自然は、何かおかしなことが起きると、運命が起きる。
自然で全て分かるためには、理想と理性、経験と自由が必要だ。
しかし、抽象的にすべて分かってしまえば、神が訪れる。
革命家は、指導者となる。ドイツ人は、ユダヤ人となる。
運命は、戦うものだ。
運命は、理性と救世主だ。
運命は、革命と指導者だ。
自由とは、運命の1番最初に起きる、経緯だ。
それは段階的に、抽象的に、相対的に、実証的に生まれる。
平等は、運命の2番目に起きる、戦いだ。
それは絶対的に、革命的に、演繹的に、自由に生まれる。
それは、最後に、死が起きて、天使となる。
原因とは、物事の変化の源であり、変化に対応する変数であり、根源的で理性的な理由であり、物事を作り出す法則だ。
結果とは、物事の変化における実行結果であり、実験や実証の結果となる事実であり、変化に対応する関数であり、手段に対応する実現である。
原因を考えることは、演繹的に原因から結果を分かるだけでなく、帰納的に結果から原因を分かることも出来る。そこでは、たくさんの具体例と、根源的な世界観、思考や経験のトレースを行う。
誰が何を見ているか。社会はどう実現出来るか。
ひとつ言えることは、すでに構築した経験をある別の目的に置き換えて考えることが出来る。
自然な世界では、自由な工夫と創造性の共有により、全員に許された自由を手に出来る。
具体性とは、1つ1つの場合において、まず、第一に分かる知である。
1つ1つの具体的な発想や経験を積み重ねることで、色んなことが出来る。
抽象性とは、それを抽象的に捉え、覚えたものから演繹することだ。1つ1つの場合において、具体性の次に分かる知である。
知を作るためには、理由を実証する必要がある。
実証とは、その理解が正しいことを、数学的に突き詰めることだが、そこまでしなくても、あいまいな想定から、簡単に洞察して分かることも出来る。
具体性と抽象化は、あらゆる変化とあらゆる実際に関係し、社会と宇宙を捉える。
経験を言葉で考えることは、想像力と感情によって、積み重なる。
そこでは、色んなことを自由にしながら、沢山の発想を積み重ねて分かる。
芸術や音楽、文章、機械、英語などがそうである。
運命は、戦いと支配である。
継続とは、本気でやったことを続け、可能性と決定を経験しながら、作品を残すことだ。
運命は、前の自分を思い出しながら、前の自分を作り変えていく。
自由と記憶の創造と破壊がそこにある。
目的と手段は、「どうしたら」と「なぜ」から道具や機械を捉えることである。
知恵と工夫は、機械の発想である。
そして、自然と運命は、矛盾なく知を積み重ねることである。
矛盾とは、1つ1つの知が同時に二つ成り立たないこと。
良く考えると、人間はそれぞれ、きちんと理由を知って判断している。
その理由を全て網羅することで、人はあらゆる全員を、矛盾なく捉えることが出来る。
精神は、自分の生まれてくる前や、自分以外の全員やユダヤなどを知っている。
その全てを考慮に入れた上で、文章を書けば、あらゆる世界、宇宙、人間、神を知ることが出来る。
正しく捉えることによって、構成要素を知ることと、それを分類し考え方の枠にはめることで、きちんと理解することが出来る。
それは、世界観と認識を考えることによって、また、自分の記憶と認識を残しながら伝えることによって、自由という信念を世界に宣言する。
説明を考えながら、あらゆる可能性を理解し、人と対話しながら、環境やシステムを作りなさい。
全てを思い出しながら、全てを残し、全てを消し去った後で、全て忘れ、治し、全てを分かるため、もう一度文章を思い出すだけだ。
世界を積み重ねよ。
目線を全て分かれ。
積み重ねは、物理や社会や感情を、1つ1つ理解して積み重ねること。
分析しながら、正しいものを正しいと確かめる。
目線は、違った立場から世界を眺めること。
あるいは、全て分かった上で、色んな知を分かって分かることだ。
自由とは、全員とともに高まること。
自由とは、研究しながら洞察してひらめくこと。
自由とは、時に平等で、時に支配で、時に従うこと。
自由とは、変え、止め、教え、学ぶこと。
自由な中で、人は、愛することと信じることを学ぶ。
低い世界も、高い世界も、全て同等の法則が働く。
変化し、開拓することは、初期投資とリスクへの対処によって、全ての場合を想定する。
それは、沢山の作品を残す。
まず、人間がたくさんいた。
次に、機械がたくさんあった。
次に、作るための意思があった。
そして、知恵や工夫の会話と文章があり、沢山の発想があった。
全てを取り入れ、全ての創造性と楽しみを知った。
しかし、その世界は、何も無く、消え去るだけだった。
積み重ねを1人、皆と関わりなく行う中で、あらゆる全てを経験から分かった。
また、理性と理由によって、全てが分かった。
その上で、僕は世界に現れた。
僕は、何も分からないが、帝王をやった。
理性を失い、軽率な発言をする中で、心の中には誠の意思があった。
世界に全てを教えて、変えて、守って、安全に発展させたい。
それは、まず自分を全て教え、次に、永遠にアドバイスを与えた。
また、悪い敵を倒すために、支配者としての総司令官の一平卒を行った。
そして、それは永遠に、何か月か続いた。
後に引けなくなって、永遠に自分を守りながら、本当に世界に全て教えた。
その上で、最後まで終わった僕は、神との対話をした。
それは、自分が神になって、その自分が自分と対話する、というものだった。
永遠に自由を書きながら、宣言によって、自分はあらゆる面から成り立つようになった。
そのまま、ホームページを作って、政治的なことを書いていた。
そして、一番つらい時期に、僕は事故をした。
その後に、詩を書き、普通の方法で治すだけになった。
それは、出版と言う成功を手に入れて、その上で、もっと沢山の文章を思い出して分かるようになった。
抽象的な理解や経緯ばかりで何も分からないため、具体的なものが必要だ。
そうすると、パソコンは、コンパイラとOSだ。
もっとも基本的な部分を全て学んだ人間は、コンパイラとOSをやりたがる。
しかし、それは未熟な発想である。
世界は、自由な競争、自由な従属、平等を繰り返す。
世界には、自由、平等、帝王、従属の、完全と不完全の王が居る。
神は、いつも、自分を楽にして、分からせる。
自分が自分に言うのは、分かりたいからだ。
もう終わった。僕は幸せだ。
相対性は、1つ1つの真実、事実、現象を、それぞれの目線と立場に立って、適切に場合を考えることだ。
絶対性は、1人の王として、世界に教える全ての文章を書くことだ。
分かったことを全部書きなさい。オープンソース的に積み重ねなさい。
オープンソース的な積み重ねとは、世界観と自分を構造化し、考える部分を全てきちんと他が分かるように書いた上で、書き直し、新しく最初から述べなおすことだ。
その上で、記憶を破壊し、意識を破壊し、それを治す、ということをやった。
その上で、神とは、自分の精神分析の結果、神になった。
精神分析とは、自分の前世へと帰りながら、自分の昔を辿って、全ての思考をメモしながら、高まることである。
世界の支配とは、世界を治して、解放することである。
また、その上で政治と国家を書き表すことで、自分は全てが分かったのだ。
ロシアが僕に話し、僕はドイツに話す。
また、ユダヤ人やイラン人、ケネディやブッシュなどが多かった。
また、宇宙には、僕に従う星、僕に反抗する星、僕になる機械を作った星、僕の逆の思想の僕の星、僕と同じことをやった星、僕を逆戻りする星がある。
プレアデス星人は、僕と同じ歴史をたどった宇宙人で、自由系、平等系、アラブ系、アラブ系の自由化、イスラエル系が居る。
宇宙は27個あり、良い宇宙が23、悪い宇宙が4あり、この世界は悪い宇宙だ。なぜなら、人生というものがある。
全部の専門分野、科学の普通を学び、全部の職業、本、体験、思想、国を体験したかった。
それをそのまま、出来る範囲で行った。
詩や物語、歴史や政治経済、コンピュータ、自分の人生、哲学的な散文を書いた。
そして、自分の過去を思い出しながら、書いて分かるようになった。
さらに、精神を治したかった。
具体的な知識や方法、知性、情報、概念、表現、想像力を学びなさい。
習得し、試し、実践しなさい。
抽象的な概念を、具体的なことから知りなさい。
また、既に書いたことだけから分かりなさい。
人に教えるための、小学校を作りなさい。
変化を捉えなさい。
何がどうなったのか、思い出して考えなさい。
対話によって、経験を培いなさい。
自由とは、否定しながら肯定することだ。
全員を否定しながら、全員を肯定すれば良い。
そして、平等とは、皆を同じだと考えて、自分も一員だと考えることだ。
自由な中で、人は平等という概念を利用して、人と議論し、戦いながら、絆を培う。
そこには、勇気と愛があるだろう。
実際にやることから考えれば良い。
捉え方の具体例として考えられるのは、反省することと、再挑戦すること、あるいは、別の角度から見直すこと、考え直すこと、対話すること、戦うこと、支配すること、従うこと、反抗すること、教わること、教えることだ。
全ては、構築と習得だ。
構築とは、ものや存在を作り上げ、構造体や経験から分かることだ。現実の方の向上だ。
習得は、新しい能力を培い、自分を高める。自己の方の向上だ。
まず、単純に考えて、世界は自由な方が良い。
なぜなら、その方が色んな事が分かるし、賢い人間になる。
しかし、単純に考えて、それは馬鹿だ。
総合的に考えると、自由を無くす国家、という発想となる。
国家全体を考えた上で、指導者あるいはみんなで統一する、という発想になる。
しかし、そういう共産主義はもういい。
世界は自由であれば、賢く色んな事を分かる、楽しい世界を保持できる。
しかし、世界から自由が無ければ、平和な世界になる。
時に、自由には悪い自由が多い。マスコミなどにおける暴力やいじめ、セックスの表現や、ネットにおける児童わいせつやポルノ画像などがそうである。
悪いことを言って分かるのは、戦争と思えばあまり悪くない。
常にポジティブで、楽観的で、寛容的な方が良い。
受容性豊かな人間が良い。
楽しさよりも楽で、何かあるよりも何もない方が良い。
問題があるときは、勇気を出すこと。
世界は、創意工夫と記憶の積み重ねだ。
創意工夫とは、1人1人の構成員が製品や作品を独自に工夫して、分かりやすく、使いやすく、機能があり、面白いものにすることだ。
記憶は、認識であり、理解だ。
その関わり合いで、世界はモデル化され、構造的な関係性として捉えることが出来る。
記憶と理解、実行と方法、工夫と創造が全てだ。
記憶と理解から発想し、情報の共有で方法を知り、具体的なひとつの作品を創造する。
インターネットの創造性とは、そういうものだ。
あとは、自分が神になった。
全て教え、支配し、戦い、宣言し、適応し、思い出し、記録するを、永遠に続ける。
あまり意味がない。神でないし、誰も支配されていない。
馬鹿な文章を書いているだけだ。
全員の理想を叶え、全員を豊かにし、全員を生かすのが理想だ。
知と理解は相互に関係する。何かを知ることと、理解すること、分かること、正しく考えることは、相互に関係して、1つの自分の体系的な基礎と応用を作る。
知と経験も相互に関係する。言葉や理解による経験は、想像力で社会を分かることによって、経験から世界を知ることが出来る。
人間は、運命と自然の中で、継続を頑張りながら、休むことなく活動する生き物だ。
理由とは、何かが起きる際に、その根源となる作用を与える法則や原因だ。
認識とは、人から吸収し、文章から吸収し、言葉にしながら積み重ねる、個人の中にある脳の視覚的な記憶と反応だ。
記憶とは、人間の生きている目的と理由であり、自分を自分と覚え、自分に自分の自由を与えるものだ。
自分の頭を自分のものにしなさい。
感情とは、世界を感覚的かつ実感的に知りながら、思考し、思い出し、知り、考えるための、自分の持つ唯一のツールであり、2つの大きな感情、死と愛から生まれる、思考と構造の体系である。
感情によって、人は恐怖を克服しながら、自分を治すことが出来る。
経験とは、自分の過去の全ての世界と人生を含み、自分を問題から解決して正常にする、学習の積み重ねだ。
想像力とは、自分の知らない他の世界をすべて知り、機械や数学の照らし合わせ、表現のイメージを行い、世界観を作る人間の能力であり、言葉だ。
言葉は、執筆であるとともに、読書であり、影響力だ。
構造化とは、その対象について、ある要素を全て網羅しながら、肯定と否定でそれを捉え、また、他のものとの関係性から、検討し、成り立つように論理を作ることだ。
神とは、自分がイエスとなって、自分に全ての不可知を教え、自分との対話とイスラムの戦いを行うことだ。
宇宙とは、自然なままで沢山のイデアになる、生命を司る環境だ。
言葉とは、人に伝達するために、最低限の説明を行いながら、他が分かるように積み重ねる、執筆だ。
関係とは、自分が相手のために助言を与え、解答を与え、出来る能力や考え方を与え、希望を与え、治すことだ。
世界とは、全ての自由が許された上で、何も出来ない不自由が与えられ、試練を超えるという唯一の宇宙の目的が果たされる場だ。
正しさは、実証されるものだ。そう思うだけで正しいのは、おかしい。
正しさとは、正しいと思う生き方をして、正しいと思うもののために努力し、正しいとされている皆で共有される知識や、考えるための体系を学ぶことだ。
キリスト教は、全ての自由で分かった人間が、イエスとなって認識で分かる宗教だ。
イスラム教は、戦いと修行によって強くなり、マホメットとして運命の試練を超える宗教だ。
自由とは、世界の全てを捉えるためのツールであり、体験と言葉によって、経験で分かる思想だ。
日本は、世界の全てを日本として作り直す。あらゆる全てを日本にして、日本を賢くする。その代わり、世界を馬鹿にする。
機械とは、宇宙の仕組みを元に、エネルギーや動力によって動作するように作られた、物質の構造体だ。
言語とは、人間の考える全てである。言語がなければ、人間は何も出来ない。
人間は、ものを作り、金を操り、食べ物を食べ、理性的に考える生き物だ。
環境は、記憶と適応だ。環境において、人間は、全ての知覚と自分の意思によって、自分の世界で生きている。自分の人生と未来を考える生き物だ。
人間は、肯定し、否定し、分かり、知る生き物だ。
人間は、戦い、習得し、努力し、学ぶ生き物だ。
人間の世界には、己の向上と安心だけがある。夢を持つ人間は、世界を知る意志を持つことが出来る。
夢の無い人間に、意味は無い。何もかも成功し、夢が無くなる、あるいは失敗し、諦めると、何も出来ない終わった人間になる。
夢は、単純で、大きな夢が良い。努力する中で、継続としての自分が賢くなる。
失敗は、しない方が良い。何か、失敗するだけで分かることは多いが、失敗のない、きちんと成功だけをする人間も良い。
なぜなら、失敗だけをしないなら、何でも出来る。
コンピュータは、OSとコンパイラだ。
コンピュータは、テキストが動く機械だ。
コンピュータは、インターネットだ。ただの馬鹿だ。
相対性と抽象性は、1つのことを多角的な視点から眺める、視覚的なツールであり、具体例から把握出来るようにすべきだ。
沢山の知を全て実体験の中で分かりたい、それが階層化だ。
愛と自由の使者となって、世界を司りなさい。
天使となって、世界を支配しなさい。
革命家となって、世界と戦いなさい。
神に従い、宇宙を脱出しなさい。
そして、世界を決め、神として、世界と対話しなさい。
指導者となり、自分で発想するために、文章を書きなさい。
指導者を愛すること。
世界を平和にすること。
そして、自分の過去を全て愛すること。
その中で、全ての治すと、理解があるだろう。
理解を全て言葉にする中で、沢山のことを、馬鹿なままで考える。
それが賢くなり、治ることで、全てが分かる。
機械となって、知性無く分かっても、賢いものだ。
ヒトラーには、全て教えた。
神には、あらゆる普通の話をして、導いた。
神が導くのではなく、神を導く。
その上で、神として、沢山のものと話した。
共産主義者には、帝王となって戦った。
ユダヤ人には、神として愛した。
ドイツ人には、沢山のことを教わった。
そして、ケネディなどと沢山の知の交換をした。
ドイツの旗は悪い、など、色んなことを言った。
世界を狂わせただけだ。
世界が自由になった。
昔は、ただのインターネットだ。
Wikiを自分勝手に変えながら、ポルノを見ていただけだ。
世界を治したかった。
希望を取り戻したかった。
世界は、何も無くなった。
自分がキモイから、自分はキモイ方が良い。
皆、自分がキモイし、皆、自分になっている馬鹿が賢いのがキモイ。
生産的でなければ、意味がない。
意味の無いことを永遠にして、他人にまとわりついているだけの、目標が達成できない馬鹿は、キモイ。
他人から知恵を吸収するだけで、生産的でない人間は、キモイ。
あとは、日本人なのに日本が嫌いなのは、キモイ。
あとは、特に何もない。まともな人間であるべきだ。
皆と同じ方が良いし、学校ぐらい行った方が良い。
賢い人間は、きちんとまともに自分のことが出来る人間だ。
恋愛ぐらいした方が良い。
何もないだけで、文章を書いているだけは、キモイ。
皆、それぞれ違うになった方が良い。
賢くなって、その上で違う方が良い。
皆、一番賢くなるまでは、同じでいい。
その代り、何かになりたくなったら、何かになった方が良い。
それは、それぞれ違う方が良い。
皆、数学的に考えるのは止めなさい。
コンピュータなど、使うのを止めなさい。
もっとあいまいに、言葉で色んな事を分かりなさい。
僕と違う人間になるためには、引きこもりにならず、Linuxを嫌い、ロシアや革命を嫌い、外国人を嫌い、馬鹿をすぐに止めて、宗教など信じなければ良い。
仮想的な人格を消せばいい。
あるものは、分かるからある。
判断しなければ、知性がつかない。
書かなければ、分からない。
仮想的な人格を殺せば、すぐに楽になって、多重人格になる。
ものとものを組み合わせる想像力を使うこと。
環境から解放されて、ゆっくり考えることが必要だ。
時間と自由と経験が必要だ。
ネットと時間と自由と情報が必要だ。
何かするならば、プログラミングを学んで、Wikiを編集すれば良い。
分かりたいならば、Linuxやはてなを知れば良い。
最近は、永遠に戦いながら、仮想人格を作って、言葉にしながら結果をまとめれば良い。
軽率な発言をしたのと、自分を悪く見せたのが悪かった。
それは、反省しながら、自分の理想を述べるだけになった。
新しく何か分かりたかった。