死ぬ。遅くする。
誰も見ていない。
対処しなくていい。
神など、神でない。
独立を信じれば分かる。
あるいは、独立から信じれば分かる。
やったことだけでなく、普通になったことを分かれば良い。
自分は、子供で、政治家だ。
レッテルは悪い。
想像力をつけるためには、むしろ、間違いの方が正しい。
遅くすると、それだけでまともになる。
人間は、教えなければ分からない。
他の環境がどうなっているか予想すれば良い。
誰も知らないから、馬鹿で良い。
世界を司る、王をやりなさい。
世界をすべて知り、救いなさい。
世界を全て治すより、倒した方が、世界のためになる。
最後まで高まる自分を信じただけだ。
ものは、作り、使う。作るためには、考え方、仕組み、手順、材料、道具が必要だ。
発想を良く考えれば、いくらでも知を作ることが出来る。
自由は悪い。自由と言う人間は、自由すぎる世界の、自分の自由のことを言っている。
科学的に考えないと分からない。
支配からの自由は、反抗だ。
分からなくなる馬鹿は悪い。
世界は、創造性と単純作業だ。
大企業は楽だが、何も出来ない。
中小企業は、先進的で、専門的なことが出来る。
自分は、他を倒した方が良ければ、他は賢くなる。
自分は、何もしなければ楽だ。
芸術は、美しさの探究だ。
自然性と認識性が全てだ。
あるものは、実験と実証、習得だ。
議論しながら、客観視すれば、分かる。
人間に理性と自由を与え、情報と手段を与えるならば、他に要らないだろう。
情報を操作し、誇張して伝える人間が一番悪い。
普通言うことを言えば分かる。
高校は賢い。
大学はきちんと分かる。
ただ、普通を書いただけだ。
追いかけ、追いついて、逃げ惑う、をしているだけだ。
何かになるかもしれないから、種をまきたいだけだ。
良く考えると、安心できる答えがあるものだ。
裏にあるものを表にすれば分かる。
もう分からない。
元の方が正しいため、考え続けるより、ひとまず休んで、時間をかけてゆっくり考えた方が良いこともある。
人間は、経験だけで全て分かる。
沢山考えると、それだけで分かる。
僕は、「自由になる」を考える。
意識を知りながら、やることを覚え、精神を高め、皆を導いて、理解と知を分からせることが自由だ。
まず、知ること。次に、行動すること。あとは、戦い、議論することだ。
認識、想像力、記憶を増やし、言葉と思い出すことで分かる。
自己の改善は、そのまま、他の改善となって、他を導く。
創造とは、独自の工夫に魂をこめることだ。
実現とは、構造体のやり取りだ。
意味とは、意味のないものを排除した上で、世界を理性的にゆっくりと考えることだ。
世界は、時間とともに移り変わるものだ。
世界は、空間と現在、現実の共有だ。
感情で知るためには、現実世界と自分を照らし合わせるべきだ。
応用可能なものと、専門知識が賢い。
世界は、ものを作って売る。
世界は、ものと現象だ。
まず、出来るようになりなさい。
次に、環境から自由になりなさい。
次に、教育を振り返りなさい。
次に、自由を過ごしなさい。
次に、たくさんの体験と経験を重ねなさい。
そして、活動し、他を助けなさい。
考え方は、自分を自然に変えて、世界を把握する。
皆を自己に融和し、夢を見て、世界を変えなさい。
概念から構築しなさい。
イメージから考えなさい。
世界、自己、宇宙、社会を考えなさい。
人々がどのような環境で暮らしているか、何が関係しているか考えなさい。
思考を自分の手で発展させ、開拓し、世界観を一度すべて覆しなさい。
生きていく経緯を知りなさい。
自分の出来ることは何か、環境を変えるためには何が必要か考えなさい。
根元的な思想から、今の世界がどのように実現され、どのように発展させられ、自分は何を考え、実行出来るか、考えなさい。
自分はどのように生きていくか、新しく目の当たりにすることは、どのように考えて捉えられるか、考えなさい。
知り、理解しなさい。
感情、想像、理解を知れ。
この国のために何が出来るか、考えなさい。教育を変えて、可能性を考え、自分に出来る最大限のことは何か考え、実現するためにどんな手段が有効か考えなさい。
あとは、楽しさとネットだ。自分の出来ないことをやって、出来るようになる。それは自己を高め、愛のある発言をする。また、独りきりで出来ることで、自己を高める。自分のためになることを探し、自分の意思で本当の自由を突き詰める。
音楽と美術をしなさい。芸術は、賢く楽しい。
すべての源は、人間の最初、生まれた時に決まる。しかし、経験とともに、時間をかけて、自分は変わり続ける。
数はもともと宇宙にあり、それを式として捉えているだけに過ぎない。
言語における名前も、数学における式も、社会という概念も、自然科学もすべて、ただあるものをどう捉えているかに過ぎない。
世界は、人間の作り出した部分とそうでないただある部分に分かれる。
世界は、常に新しくなっている。何が今正しいか、間違っているかなどの再現性は、日が経つにつれ薄くなっている。
今は、こくこくと変化している。文字や記憶は、過去のものである。
影響力を持ちたがるのは、分断されているからだ。
心の動きが全てだ。
心とは全ての根本的原因・要因であり、全ての源であり、全ての原型であり、全ての最後の問題だ。
心が自分だ。心以外のものはサポートである。心があれば何も必要ではない。心だけが自分であり、あなたはあなたの心だ。
心のみが人生だ。心は全てから構築されている。心を構築することが全ての役割である。
心は命の次に存在する。その次に頭、精神、肉体が構築されている。心の動きこそ全ての最初の判断基準である。
心と体が正常であれば、情報のみがあれば良い。他はそこから作ることが出来る。
心とは全てである。生命とは心の集合体である。この、なんと素晴らしいことか。1つ1つの心が全てを決めている。どんな心であれそれは素晴らしい。
出来たと思って、自信を持ちなさい。
自信を持って取り組めば、何でも出来る。
何も出来なくても出来る。
世界を変えるのは悪い。
しかし、支配し、宣言し、戦えば、変えられる。
自由には、選択性、権利、身の安全があるべきだ。
自由とは、手段、金、参加と教育によって、自由を拡大することだ。
僕はフリーソフトの作成、Linuxの普及、社会の理解、言語と周辺の実感を経ただけだ。
そして、そのためにインターネットの情報を参考にした。
あらゆる全ては上手く行っている。
成長は脳を正常にする。脳の正常さがあれば何でも出来る。結局全ては脳だ。
脳にだけ全てが作られた意味がある。意味は脳の側にある。
脳を大切にしなさい。
そして、言葉は脳のツールだ。言葉を大切にするようにしなさい。
そして、想像力が言葉と脳を繋げているものだ。賢さを高めるには想像力を養えばいい。そして記憶と意識を高めていけば、それが全ての僕の経た経緯である。
僕が伝えたいのはそういうことだ。具体的なものを出したいが出てこない。
つまり、文法、想像力、記憶、意識が脳の全てである。
そして、全ては僕の人生でしかない。人のことは知らない。あなたにはあなたの人生がある。それを価値あるものにしてください。
好きは深く内部を知り、無関心は浅く全体像を知れる。
全ての行為は良いことだ。
好きになり、嫌いになり、無関心になり、再び理解しなさい。それが一番の適応だ。
書き、読み、忘れ、覚えなさい。試し、挑戦し、実践し、作りなさい。それが唯一の理解、習得、構築の方法だ。
最後に、環境を切り替えなさい。そうすれば何もかもうまくいく。
僕はそれを求めた。
歴史と認識が全てである。
社会は、人と環境で成り立っている。環境は法律と自分による構築、そして部外者、地域などである。
道具は、人のためにあり、だが、しかし、人は道具の使い方にも支配されている。ツールとしての道具として、特に言語、数学(これも言語だ)など、そしてコンピュータにおいてはユーザーインターフェース、OSなど、がある。全ては道具とそれによる目的に分かれる。道具と目的によって全てが創造されている。
農業もガーデニングも道具である。木工や鉄作業は明らかに道具である。そして情報も目的と道具である。プログラミングは考えをそのまま書き記した、目的でありながらの道具である。よって、このコンピュータにおいて、道具と目的は紙一重である。そして、絵画など、創造を目的とした道具は、認識を伝えるための道具として創作(表現)を道具(目的)として認識出来る。それは、科学についてもいえる。目的が道具化しているのは数学や語学もである。そして、文学や政治、教育、歴史については同じことが言えるのではないか。
ダウンロード可能なフリーソフトは明らかにそうだ。
つまり目的と道具とは方法に過ぎない。その物質的あるいはデジタル的な考え方に基づく具体化が道具としての方法である。よって、考え方はつまり方法である。
コンピュータにおいては、方法も目的も道具も考え方も同じだ。
結局、僕は道具の歴史を探究していただけだ。
そして、デジタルな道具の利点は、インターネットを通じて遠隔地との人とやり取りできることだ。そして、道具に支配されないため、オープンソース(フリーソフトウェア)が必要である。
掲示板やWebサービスも道具だ。
情報とは自分の力を増やす道具だ。そして、それによって操作される危険がある。情報は様々なところで飛び交う。皆、その情報を頼りに動いている。しかし現実は違う。そのことを分かりやすく伝えるためには、掲示板やWikiなどでの情報共有や、国籍を違えた外国人との交流も必要である。地域も、家も、その情報の異なる部分として捉えることが出来る。経済とは、考え方という情報を違えた場の違い、そして社会的な目線の違いである。そして、風上に立てば立つほどそのことも明らかになる。もっとも風上とはモデル化をどこまで可能に出来るか、そして、実際の情報(つまり作り出されたものから一番離れた、インターネットのような即座に生身の現実の分かる情報手段)をどれだけそのモデル化と組み合わせて知っているか、そして上の目線(例えば社会科学や政治)をどれだけ切り替えられるか、その上で情報に捕らわれない名前の無いものとしての物質世界(自然科学)をどれだけ様々な目線と考え方で見ることが出来るか、であり、最終的には記憶と意識、つまり記憶の意識と意識の記憶に分かれる。
認識も情報として考えられる。
具体的な例と感覚、感じと文の分かりやすさをどこまで出来るかが分かりやすく伝えるということであり、そのためには他の人の目線を考慮しなければならない。
全員に税を分配して、自由に利用させ、組織化を自由にして、1つの政府を1つだけ、小さく作れば良い。
民主化すればするほど自分勝手になる。そして、帝国化すればするほど何も考えなくなる。
民主主義とは何も考えない人間による自分勝手な分離政治である。
帝国はその逆である。つまり、考える人間による人のための政治だ。アメリカが矛盾しているのは、民主主義と人民による政治をいっぺんにやろうとしたからだ。
解決するためには、全員を政治参加させる以外にない。
つまり、共産党を発展させ、自らの労働時間の一部を政治にまわし、全員が議論するしかない。よって、共産主義になる。
だが、そこでは努力が起きない。よって、全てに問題があり、何も成功しない。
つまり、市場経済によるグローバリズムの競争社会を推し進めるしか道は無い。
そこでは必然的にナショナリズムになり、全部の国が敵対する。
総合的に見て、全ての会社の部署を統合し、地域間で競争させる。世界政府を実現させることによって、アメリカ的な分権を成し遂げるしかない。
そこでは必然的に社会主義が発生し、ソ連と同じになる。つまり、民衆の意思で崩壊する。
それが今のこの世界であり、アメリカは崩壊し、ロシアはナショナリズムになった。
会社の経営は情報の伝達である。仕事は情報の具体化だ。労働とは指示に従い、情報を共有することだ。技術とは考え方だ。要は、考え方、情報共有、そして習慣が仕事である。
経営の質とは、沢山の情報を共有し、考え方を取り入れることで、労働も同じ。だから会社は大きい方が良い。
だが、情報共有のスピード、考え方の新しさは小さな企業の方が勝る。
よって、Googleのように、大きくその上で速く新しい企業が理想的なのである。
まず、全ては、自分の中にある。
次に、全ては、今と言う一瞬である。
全ては、そこにあって、別のどこにもなく、別の場所には別のものがある。
そして、自分しか自分の世界を知らない。
自分は1人の人間であり、他の人と作用することが出来る。
そして、それしか出来ない。
自分は、独りでは生きられない。自分は、情報を得なければ何も知らない。自分は、環境を変えることが出来る。自分は、常に新しいことを知り、変わっている。人は、感情で行動を判断する。人は、自由を求めていく。人は、記憶を求めていく。人は、意識を求めていく。人は、成長を求めていく。
自分に当てはまることは、人に当てはまる。
全ては、モデル化することで実感して理解できる。その現実との組み合わせ(インターネットなど)と積み重ね、抽象化と連想が、自在な思考であり、それを蓄えることが思考力だ。
宗教、経済、社会、場がそれによって理解できる。
コンピュータはテキストである。
そして、工夫とはシステムの種類の変化である。
全ては、宇宙の仕組みを使って作られている。
環境理解、認識、関係性が全てだ。
目線とは環境認識と想定であり、場とは認識と関係性だ。
目線と場を逆にして捉えることが出来る。
つまり、人は他の目線に拘束されながら、自身の場を目線として用い、そして他の場に適応する存在だ。
適応と拘束は逆だ。
そして、適応出来れば、必ずしも拘束される必要はない。
第一の自由は適応であり、第二が習得、第三が理解、第四が構築だ。
習得できることで自由に理解でき、そしてそこから構築できる。
そして構築されたものについて理解し、適応させるために習得することがこの世の唯一の自由だ。
違いを理解すれば、構築、理解、適応、習得しやすい。
あとは、そのモチベーションだ。
運命とは、神から与えられるものではなく、自分で作るものだ。
自分の新しい目的とやったことによって、作り出される経緯と段階が人生と運命だ。
人間は、本来、続けることで、幾らでも出来る生き物だ。
成長とは認識の変化であり、思い出とは漠然と世界に感じる未来への意思である。
思い出を作ることによってしか、人間は幸福になれない。
また、過去を全て愛することで、良い人間になる。
その上で、世界に対して意思を持ち、変える意思と正す意思を持つことで、人は成長する。
また、体験は世界を把握し、経験は能力を生み出す。
世界とは何か?それは、実現性と可能性による、常に新しく移り変わる、理想だ。
理性とは、最後まで全てを統治し、判断し、変革することに、冷静に取り組むことだ。
世界は基礎と応用だ。
基礎的な分野である、数学や哲学から、応用的な分野である、政治経済などへと進む。
学校は、世界に知と理解を広める組織だ。
その中で、人間はあらゆる自由と不自由を経験する。
その上で、学校は、人を育て、また、宇宙に関する新発見をする。
しかし、変えられるときに変えるか、あるいは変えないかは、指導者の判断だ。
指導者が居なければ、何も変わらない。
学校が間違った環境になっているのであれば、指導者の判断が間違っている。
あらゆる知識は、積み重ねながら認識と理解を共有することによって生み出される。
理解を作るためには、背景となるバックボーンが必要だ。
理解とは、事実を空想し、伝達し、残し、教える、出来事と方法だ。
方法を知り、出来事を知り、積み重ねることで、人は全ての理解と認識を知る。
労働は、平等であるべきだ。
ある人間が、働くのに金を得られず、ある人間が、働かないのに金を得られるのはおかしい。
しかし、保守にも一理ある。
ソ連は失敗したし、自由は成功した。発展は全て自由にあり、ソ連には何もなかった。
そうした基本的な事柄はさておいて、労働は、むしろ自由であるべきだ。
給与を努力に応じて支払わなければ、誰も働かない。
ただ、自由の間違いは、悪い会社が多い。
悪い会社は、社員への待遇など、全てが悪い。
会社とは何なのだろう?
会社にも、それぞれの業種がある。
ITから製造業、デパートや農家など、沢山の職業がある。
全て知ることは出来なくても、空想することは出来る。
共通しているのは、どれも金だ。
違うのは、会社が提供するものや製品が違う。
それから、それぞれの業界で、優良企業と劣った企業がある。
会社の世界は、勝ち負けだ。
基本的に、世界は、覚えて知るだけだ。
やることを覚えて、決まったことを常にする。
しかし、単純作業や肉体労働などは、辛い。
情報処理や経営者が楽だ。
だが、時に低い仕事の方が楽なこともある。
自由では、全て格差になる。そこが悪い。
学校が悪いのは、格差があるからだ。
マイクロソフト会長のビルゲイツは、結構素晴らしい人間だ。
技術者として、稀代の発明品を作った。
Windowsシリーズは、庶民でも使える計算機の、さきがけとなって、世に登場した。
ゲイツは、技術者でありながら、経営者だ。
マイクロソフトは、世界のOS市場で最もシェアを持ち、
ゲイツは世界一の大金持ちになった。
しかし、そこに疑問は存在する。
コンピュータの可能性は、アナログな機械や単なるコンテンツにとどまらない。
パソコンはテキストでプログラムを書ける。
だから、コピー出来るし、ネットで共有出来る。
そこから、パソコンの可能性を生かした、豊かな考え方が生まれる。
Windowsの世界は、それを会社の中に閉じてしまった。
LinuxがもしWindowsと同じ地位、あるいはそれ以上の地位につけば、沢山の豊かな考え方が生まれるに違いない。
ハードウェアの種類も増え、現実のソーシャルなありようも変化する。
単なるオープンソースの知恵の記録と入手、組織にとどまらず、集合知的なものを含めた多彩な文化が芽生えるかもしれない。
この考え方は、間違っている点がある。
なぜなら、会社であっても、可能性は豊かだ。
会社経済を行った方が、社員の生活が守られ、豊かな世界になる。
また、実現力は、どう見ても、LinuxよりもWindowsの世界の方が豊富だ。
Linuxは、IT産業を腐らせる、麻薬のようなものだ。
FLOWは、もう聴かないことにした。
プレイリストからFLOWを消した。
あとは、Linux、左翼や右翼、学校や自分、馬鹿な哲学、神も要らない。
何もかも、悪い。
意味のないものは要らない。意味のあるものだけ考えれば良い。
一番要らないものは、神とLinuxだ。
自分だけにあったのであれば、自分の中だけで所有すれば良い。
人とそうしたものを共有する意味がない。
推測だけの間違った内容がたくさん書かれています。注意してください。
反射は素粒子の力による光を曲げる作用だ。
素粒子は光の屈折を作り出すものである。
素粒子とは光に常に力を与え続けるものだ。電子も同じだ。それで量子力学の全てである。
波長の違いによって光が電子に取り込まれるか反射するかが決まる。素粒子の与える力の波長との相互作用であり、要は原子核における素粒子の数によって反射するか電子に吸収されるかが決まる。
それが色だ。
分子とは電子の力がくっつきあったものであり、それは、要は素粒子の波長との兼ね合いであり、そして物質とは光と力だ。
つまり宇宙とは光と力だけで出来ている。
では、力が光を曲げるものであるとして、光とは何か。それは存在の全てである。つまり光とは神だ。
そして、その普遍の法則でこの複雑なようで単純明快な世界が出来ている。プラトンは光をイデアと呼んだ。
そして、光の次元が宇宙の次元である。空間は光である。次元は光である。全ては光である。
要は、光と言う波の粒子とその向き、そして向きを変える点だけでこの宇宙は出来ているのだ。この空間は波(粒子)でなみなみいっぱいになっている。つまり光がエーテルなのだ。
細胞とは光を吸収するための装置であり、そして自由の生命は自分を常に作り直す。
全ての知性は環境理解と想定だ。
時が変化する中での物質の特性の一致がその物体の認識である。
つまり、特性が常に違えばそれは認識出来る。それは人間だ。
人間は、認識出来る特性の常に違うものだ。
人間は、特性は常に違うものの、人間として常に認識出来る。顔の認識はそのためだ。
目は光と空間を認知するためにある。
空間は波である粒子の動きと場所を決める。
原始人は、独りで生きていない。みんなで生きている。集団生活をしているから、楽だ。
頭を変えるしかない。
何も分かっていない。
常に最高に頑張る意味が無い。
本当に頭を変えるしかない。何も分からないのに辛い。
予想するだけは馬鹿だ。本当に何も分かっていない。
GCCのある理由は分かる。Visual C++以外で作りたい。しかし、あれは劣っている。Linuxのプログラムが遅い理由は、GCCではないか。
皆を良くする意味がない。
戦う意味がない。
客観視する意味がない。
元に戻る意味がない。
昔に戻りたいのがおかしい。
最初から、何もする気が無い。
本気でしていない。
世界は、誰も見ていない。
自分は、誰も見ないのに、世界に宣言しても、狂っているだけだ。
神など、居ない。
神は、ヒトラーか、スターリンだ。
自分が神だ。自分は、そこまでの馬鹿だ。
自分の分かったことが、他に分かるわけがない。
他が自分になるわけがない。
書くより、読んだ方が良い。
自分は、何も分かっていない。覚えないと分からないのが分からない。
信じていない。ただ、予想しているだけだ。
神のせいで何も分からなくなった。
昔の分かるは、いつか全て終わっている。
分かるが死んだ。最初から分かるしかない。
ドイツやアメリカ、ソ連は賢い。良い国だ。そこらへんが分かっていない。
マルクスも賢い人間だ。