自由や解放は賢くない。
ロボットの方が賢い。
皆、ロボットになって、賢くなれ。
また、楽になって、楽しい自由になれ。
その上で、理性的になって、感動せよ。
歓喜し、興奮し、興味を探究せよ。
昔は、日本を積み重ねた。
自由と手順と変化を積み重ねた。
条件的に考えた。
日本を思い出せばいい。
人間を思い出せばいい。
あとは、制限なく分かる必要がある。
人の上に人は立てないべきだ。
上が決めるのはおかしい。全員で決めるべきだ。
昔は、具体的な知と理解によって世界を分かった。
創造性を持ちながら、知を共有する。
革新性と平等を指向する。
皆、同じ方が良い。
世界は、発展した方が良い。
分かったことを思い出せばいい。全て分かっているのが自分だ。
世界の可能性と法則、とくにあらゆる世界で変わらない真実を考えなさい。
思いやりと優しさを持ちなさい。
足は、使わなければすぐに死ぬ。
間違っているのは、昔の狂う、頭の機械、歩き回る、怪我、治す、だ。
WikiとLinuxが昔の自分で、思い出すとまとめるが今の自分だ。
環境に適応すれば、すぐに死ぬ。
昔の精神分裂が悪いだけだ。
辛いのは、ストレスがたまっているからだ。
ストレスを出して、殺せば楽になる。
自分の今と世界観を考えただけだ。
昔の世界観を、思い出して考えた。
認識を作っただけだ。
現実世界が分かっていない。仮想世界は要らない。
学校が一番悪い。皆を馬鹿にしている。
肯定と否定しか無かった。判断とは、それだけをしている。
自分の知を、世界観と認識によって、全て教えていた。
意識を教えながら、導くだけで分かっている。
ポイントを押さえて、考えるべきところを考えれば良い。
例えば、電気は、つくとつかないが重要だ。
すなわち、電気を見て「ついている」と思えばその重要な点が分かる。
テレビは、何をやっているかが重要だし、
家族は、どこに居るか、と、何をやっているか、が重要だ。
殺さず、馬鹿をそのままにすれば良い。
脊髄反射や馬鹿な関連付けが悪い。
自由になるのが怖かった。
自由で何かをするのが怖い。
自由になりたいのに、自由になれない。
道を開拓し、経験を積み重ね、理解を築いて分かれ。
僕は、自由になりたいだけだ。
昔は、自由で全て分かった。
自由と経験と空想で、全てを自由に経験しながら分かった。
想定を積み重ねて分かった。
幾らでもするのは悪い。いくらかするべきだ。
意味を捉えて書いただけだ。
世界に、色んな事を言った。
支配ではない自由を目指していた。
後悔と反省の日々は、戦いの日々になった。
終わる方法を1つ残したまま、世界に知を蓄えさせ続けた。
世界と戦いながら、自分か、自分の逆、反抗と従属の選択を与えた。
意味を捉えて文章を書いた。
世界観と理由から、構造化して、変化を捉えた。
正しく考えると、きちんと分かる。
意味を捉えるとは、皆が考えるべき、選べる選択肢と、方法だった。
例えば、芸術を、表現と形容と自然と美しさだけではなく、意味や自由という考え方を付加して捉えることだ。
意味を客観視しながら、メタ的に捉えることに成功した。
世界の可能性は、発展と科学を疑って、ツリー構造の2行と対話の理由になった。
2行とは、肯定と否定だ。
皆への宣言は、自分を変えていく。
出来るだけ世界に出来る全てのことをした。
世界観と科学的な考え方を、経験から網羅した。
つまり、まず、肯定と否定がある。
そこで、1つ1つの考えられる項目に対して、変化と可能性がある。
その上で、自由にするためには、具体的な方法と理解がある。
また、全ての可能性に対して、自由と法則がある。
それをまとめ、判断することが出来る。
全て分かった代わりに、未知が無くなった。
ただ、つまらないだけだ。
分からない方が楽しい。
あるものは、人間世界と自然世界だ。
歴史、時間、国家と、空間、生き物、自然、ものがある。
法則的に考えると、まず、可能性の肯定と否定がある。
次に、変化を相対的に考えることで、仮定と結論がある。
そして、ものには、目的と手段がある。
人間の生きる空間においては、原因と結果がある。
そして、時と場合がある。
現実には、見える世界と、見えない世界がある。
自由には、出来ることと、出来ないことがある。
また、既に起きたことと、まだ起きていない仮定のことがある。
その上で、あらゆる目線を知りながら、沢山の世界を知る。
環境は、空間によって隔たられるが、中の空間では、それぞれが自由に環境を生きている。
総合的にまとめると、何をするか、将来的に何をするだろうか、過去に何をしていたか、がまず存在する。
その上で、関わりあうことで、個人個人が関係して、色んなことをする。
そこでは、変化と決定があり、協調と対立がある。
その上で、自由な環境と人生では、考え方と視点を変え、認識を考えることが出来る。
人間は、生きるために色んなことをする。
そして、応用と基礎が存在し、基礎を積み重ねることで、応用を可能にする。
その上で、応用的なことから基礎を振り返ることも出来る。
沢山の分野の知恵を組み合わせることで、人はあらゆる応用を可能とする。
その上で、金と生活を成り立たせる。
自由な中で、何が出来るだろうか?
まず、空間と人間と感情の把握である。
想定しながら積み重ねることで、あらゆる人間的な知恵を見出すことが出来る。
次に、言語で考えることである。
右脳だけではなく、論理で分かりながら信じることで、左脳は論理的に全てを積み重ねて分かることが出来る。
機械と道具には、作る、使う、壊れる、直す、買う、売る、捨てる、所持する、などの概念がある。
所有は、真の自由であり、また、選択は、普通良く考えられた過去の経験から行う。
人間の集団において、考えられることは、階層と支配である。
環境を変化させ、影響力と主導権を行使し、社会を変えるものとして、民衆と会社というものを捉えることが出来る。
その上で、階層と支配は、それぞれに「出来ること」と「地位」を与える。
しかし、人間は、皆平等であり、「立場を理解する」ことによって、平等な配慮を行うことも出来る。
では、人間を網羅してみよう
最初に考える手段として、意識を高める、思い出す、回想する、反省する、という段階がある。
次に、挑戦し、振り返り、学び、会話し、いつもに戻りながら、恥をかいて、経験する、という段階がある。
そして、世界を知る中で、文章を読み、書きながら、向上心と野心のもとに行動し、環境を変え続け、人を助ける、という段階がある。
並行して、さまざまなことを積み重ねる。
その上で、ひとまず最後としての段階は、世界へ教え、まとめ、残し、考えたものを実現して、積み重ねを達成し、全て分かることだ。
その中には、想像力と工夫の世界がある。
しかし、その上で、沢山の具体的な体験をする。
その上で、世界を未知のまま考えて網羅すれば良い。
まず、絶対性の肯定がある。
次に、絶対性の否定がある。
次に、相対性の肯定がある。
そして、相対性の否定がある。
同様に、自由、平等にも肯定と否定がある。
さらに、変化を具体的に知ることがある。
次に、変化を抽象的に知ることがある。
次に、変化を法則的に知ることがある。
そして、変化を自分の手で起こす、という段階がある。
また、知る、意外に、分かる、賢く考えない、などの段階がある。
多様性の肯定がある。
多様性の否定がある。
統一の肯定がある。
統一の否定がある。
可能性と実現性が、それぞれある。
原因と結果がある。
認識の変化について、新しいものを取ること、
古くても正しいかもしれないことを取ること、がある。
重要性とは、優先度だ。
全てを平等に考えて捉えることもあれば、
全てを自由に考えて捉えることもある。
また、未知を正しく考えることもあれば、
好き勝手に思いながら考えることも出来る。
正しい結果がある。
間違った結果がある。
確かめた、現実の結果から分かることもある。
会話や、感情的な経験から分かることもある。
理性的な、論理から分かることもある。
方法と、現実の世界の言うことから分かることもある。
普遍的なことと、自分の個人の場合で、分かることは違う。
1つのことから、全体を分かることも出来る。
理性と実際は違う。
同じ、と考えることから分かることも出来る。
違う、と考えることから分かることも出来る。
それが、何かに「なる」という基本から分かることもある。
しかし、それが何かに「なった」という応用から分かることもある。
具体的な結果と、抽象的な法則は違う。
しかし、きちんと順序立てて考えながら、きちんと分かれば、それは理由を推論で導くことが出来る。
また、言葉にすることと、言葉にせず感情と想像力で考えることで、思考は全てを悟る。
自然の答えがあり、人間の答えがある。
社会の答えがあり、自分の答えがある。
理性の答えがあり、実際の答えがある。
抽象的な答えがあり、現実的な答えがある。
可能性と、法則がある。
全ては、言葉で考えることと、数学で数と宇宙を正しく表現することだ。
事実とは、世界を成り立たせる、1つのセンテンスの組み合わせだ。
事実は、現象であり、構造体を発生させる法則である。
事実は、自由であり、自然であり、変化であり、共同体だ。
その中で、皆で築く1つの達成とかけがえのないものが、理想の世界だ。
自由な経験と、理性がある。
不自由な経験と、理性がある。
その中で、過去を振り返ることと、未来を予測することが出来る。
時間と空間を横断して、考えることが出来る。
自由の無いものを否定することで、学校を否定することは出来るだろう。
しかし、学校における自由は、ただのいじめだ。
学校より良い環境を作るためには、さらに自由を無くすしかない。
あるいは、自由を高めて、優れた人間をさらに自由にすることも出来るかもしれない。
しかし、それは格差や軍国の教育となって、世界を滅ぼす。
良く考えると、作ると壊す、変えると保持する、決めると決めない、などがある。
網羅してみたい。
可能性を作る。可能性を壊す。可能性を変える。
可能性を保持する。可能性を決める。可能性を決めない。
さらに対峙する概念として、実現性がある。
すなわち、実現性を作る。実現性を壊す。実現性を変える。
実現性を保持する。実現性を決める。実現性を決めない。
そして、理性と現実、抽象的と具体的など、
沢山の概念を、「作ると壊す」で網羅することが出来る。
可能性を変え、決め、作ること。
構造体を変え、決め、作ること。
手順を変え、決め、作ること。
そして、自己を変え、決め、作ること。
認識を信じること。認識を疑うこと。
記憶を変え、決め、作ること。
そして、世界と関り、自己を向上する中で、目線を知り、視野を広げ、いつもあるものに対して沢山の把握をすること。
それは、当たり前のことを正しい知で考えることで、全体を把握し、見る角度を変え、視点を変えて分かるだろう。
全ては、認識と知だ。
全ては、起源と経緯だ。
全ては、自由自在な理由だ。
現実の認識と、仮想的な認識は、具体的な構成物と、概念を捉えることによって、分かる。
記憶や感情は、同じだ。
あとは、ものの名前、現実のもの、ものの種類がある。
人工物を作ることと、自然物を使うことが、全てだ。
認識を取り入れ、作り、理解し、可能性を考え、変化させ、積み重ねること。
経緯を取り入れ、把握し、全体視し、客観視し、具体化し、抽象化すること。
それら、認識と経緯だけで全てだ。
システムは、発想と情報の共有であり、答えを得るための手段だ。
国家は、安全な統治だ。
インフラは、生活を可能にする、公共の共有だ。
労働は、国に必要な全てを分担して行う、支配と自由と、権利と義務だ。
新しい発想は、視点を変えることで培われ、可能性を考えることで創造される。
芸術は、表現と形容と意味だ。
発想と芸術は、自由だ。
数学は、論理的な正しさであり、物理は、自然現象的な正しさだ。
歴史は、世界であり、王国と時代だ。
意味は、きちんと考え、きちんと分かって、積み重なる。
意味は、覚えて分かることと、論理的に把握することで、分かる。
現実を洞察しながら、意味を考えなさい。
沢山の場合と経験から、全てを知るだろう。
認識と経緯しかない。その上で、個人と全員しかない。
色んな人間を知らなければ、分からない。
認識を積み重ねた。
認識の変化を知った。
認識の原因と結果を知った。
認識の仮定と結論を知った。
経緯を全て知った。
世界の人間を幅広く見た。
そこから、環境や記憶、関係性や想定を行い、世界を全て知った。
最近は、認識で分かって分かった。
認識のあらゆるパターンを全て体験した。
認識を考えて分かった。
そこから、あらゆる文章が生まれた。
現実の変化の可能性を考えた。
照らし合わせて、現実を知った。
最近、書くことしか出来なくなった。
他のものは、残っていない。
書くとは、世界に色んな事を適当に言っている。
自分の記憶や、過去に書いた文章を、思い出して言っているだけだ。
運命と自然の、概念と本質と、現象と事実がある。
その上で、それぞれが捉える、認知と世界観がある。
それは、分からなくても起きる法則によって、支配される。
その中で、何かをやりながら、原因と結果と方法によって、その理由と説明を知る。
その上で、それが無ければどうなるか、変えればどうなるか、別の可能性を考えれば良い。
見て、あるものが全てだ。
行動とともに、良く観察して、工夫して行うことで、自由自在に目線を作る。
それは、方法と重なることで、また、考え方とコンテンツとして、全てを可能にする。
その知は、共有された情報とともに、自由な意思となって、手段と能力を向上させる。
そして、会社は参加と議論であり、国会は参加と議論である。
活動し、議論せよ。
人のためになる、何かを行え。
そして、恋人や友人とは、争いながら、相手のためになることをして、交流せよ。
変化とは、許可と自由である。
また、それぞれに許された、本来からあるはずの自由と、心理的な自己の裏にある理由を知ることによる自由だ。
そして、自由に色んな事をする自由は、学ぶことと挑戦し、反省すること、自分の記憶と認識の中にあるバックボーンによって、全てを体験し、自分を向上させる。
芸術と科学のようなことをすれば良い。革命や戦いのようなことをすれば良い。
歴史には、集団の意識と心理状態によって、その時その時に、色んな時代がある。
太平洋戦争は、勝つという自信と、白人の帝国やアメリカ・イギリスが悪いという、大義名分があった。
少ない枢軸国の連合だったが、敵は多くても、自由や平等に対しての帝国、という、本来の思想としての、勝利への確信があった。
そして、結果的に負けたのは、ただ、原子爆弾で負けただけだ。
ドイツには、ヒトラーのような、処刑する皇帝しか居ない。勝って次の帝となれば、ドイツは平和となって、良い国になるはずだった。
ヒトラーは、ソ連に負けた。ロシアに負けるのはおかしくはないが、社会主義の革命勢力に負けたのはおかしい。
そこまで弱かった。それに、ただ、ドイツは悪い国にしか見えない。
良く考えると、ただの開国したてのアジアの辺境の帝国が、アメリカなどと戦って、勝てるわけがない。なぜか、過去にロシアと中国に勝ったおかげで、勝つように見えただけだ。
思いやりと受け入れる心を持て。
こだわりやプライドを捨てて、相手との協調を目指せ。
環境とはいうが、世界を空想しているだけだ。
世界を空想して、認識と経緯を考えれば分かる。
世界を空想すれば良い。
世界には、自然や町、店や人々など、色んなものがある。
文章は、記憶だ。
一度、馬鹿を止めて、現実を見れば良い。
最近、アメリカとイスラムも、中国と日本も、どの国も戦っている。
行動も良いが、きちんと理性的に考えなければならない。
考えるよりもまず行動とは言うが、考えるべきだ。
方法と結果を照らし合わせながら、場合に応じて考えれば良い。
家なんか、どこも同じだ。ただ、良く考えると、結構違う。
あるものは、どこも同じようにある。
テレビやDVDプレイヤーなどが多い。
そして、仕事をするだけだ。
日本のために出来ることをしても良い。
自動車や洗濯機は、全ての楽を実現した。
パソコンは何でも出来るとはいうが、プログラマがコードを書かなければならない。
人間の作った道具であるため、人間が賢く扱わなければならない。
それぞれの立場と活動を見ても良い。
人間には、それぞれ、出来ることと出来ないことがある。
能力的に出来る・出来ないこともあれば、制約や強制的に出来る・出来ないこともある。
基本的に何も出来ないが、なったつもりで考えることは出来る。
政治的な解決として、教育に支配されている青少年が、自らの手で政治に参加し、変えることは出来ないか?
おそらく、政治に子供、という発想が間違っている。しかし、当人であるはずの学生が、学校に関与出来ずに、強制的にやらされるのもおかしい。
抑圧も問題だが、ネットなどにおける、統制された自由は一番悪い。
ネット依存になると、何も分からなくなる。
学校は、数や歴史が無意味だ。
だが、学校は間違っていない。問題の無い学生から見れば、ただの普通だ。
法律を考えても良い。
殺人を禁止しなければ、タリバンの勝つ世界になる。
皆の手で法律を裁定し、犯罪者を処罰することで、平和な世界を全員で守ることも出来る。
教育は、スクールカーストをさらに自由にしても意味がない。
しかし、さらなる自由の無い世界にするのも、おかしいのが教育だ。
学校は必要ない。数学ぐらいが賢いが、歴史は問題外だ。
学校より、自分の方が賢かった。
ただ、数学は賢い。解の公式など、本当にきちんと値を計算できる。
言語は、聞きながら覚え、思い出すだけだ。
基本的に、単語で覚えるだけだ。
話を聞きながら、ロムニーをロムニーと覚え、オハイオをオハイオと覚えるだけだ。
英語の賢い点は、同じ「ロムニー」を何度も言わなくても、heだとかthe countryと言う。
正しさと間違いがある。
根源的な理由から、あらゆる問題を無意味にするような解決策を取ることもある。
しかし、着実な進歩と当たり前の努力によって、1つ1つ検討して解決することも出来る。
神になれ。イエス・キリストになれ。
神になれば、いつもの自分を思い出すことが出来る。
神は、「普通」という言語を使う。
神は、宇宙だ。
神は、全員だ。
全ては、理性と運命だ。
全ては、国家と人物だ。
全ては、ユダヤとイスラムとロシアだ。
全ては、革命と支配だ。
全ては、神と戦いと執筆だ。
何かを信じるならば、簡単な天使を信じなさい。
対話しながら、認識を全て変化出来るようになれ。
あなたは、選択肢があった時に、どうしますか?
選択肢を提示されるよりも前からある、自分の考え方や信念に従いますか?
冷静に判断して、重要な理由を作って考えますか?
それとも、正しく考えて、ベターな方を取りますか?
多数決や議論が出来るときもあれば、出来ないときもあります。
皆で決めることが出来るときもあれば、出来ないときもあります。
王や思想が全てを決めることもあります。
選択肢があるということは、本当に自由でしょうか?
個人の人格や自由、本当の救いとは、自由の上で成り立つのでしょうか?
それは、誰か偉い人が決める、慈悲や権力のようなものの方が、良いのかもしれません。
愛とは何でしょうか?
自由とは何でしょうか?
人を本当に幸福にするためには、愛情と分別のある、分かった人間や優しい人間が、きちんと出来ることが必要なのかもしれません。
あなたならば、世界をどう変えますか?
どんな世界で、何をどういう風に、どう改善しながら導けば良いと思いますか?
しかし、独りでは何も出来ません。
皆の力があって、従いながら助け合う沢山の仲間が居なければ、何も出来ません。
時に、賢さや正しさや優しさでは、問題は解決できません。
力と金が無ければ、何も出来ないこともあります。
何故、この世界には、理由も無く悪いものが多いのか?
それは、考えることすら出来ない、民衆の力の無さが表れているからです。
悪い世界ではありません。
普通に楽で、楽しい、良い世界です。
自然体で、ありのまま受け入れることも必要です。
その体験をそういうものだと思ってしまえば、辛い体験でも、受け入れることが出来ます。
それぞれの民族性や文化を否定することは、してはなりません。
皆のアイデンティティを尊重して、それぞれの個性を尊重するべきです。
分かるためには、把握することと想定することです。
把握とは、まず、見えないものまで全て捉えることです。
想定とは、見えるものをあらゆる角度から想定して、場合を考えることです。
世界の全てを書くと良いでしょう。
難しくはありません。
自分にあった人物や記憶、世界観を、思い出しながら書けば良いのです。
1人1人の世界を創って、人生を創造しなさい。
そして、1つ1つ、世界を分かりなさい。
世界の人物には、イエスからマホメット、ヒトラーから毛沢東、あるいはカエサルからナポレオン、チンギスハンに至るまで、沢山の人物が居ます。
その人物それぞれを、適当に分かると良いでしょう。
世界を救うために、分かるを続けなさい。
沢山の、自分が分かるならば他が分かるという考え方と思想から、共有的な考え方で、知識と分かるを積み重ねると良いだろう。
そして、運命と人生を2つに分けて、表現しながら説明して分かると良いだろう。
しかし、世界は滅びる。
その世界と対峙して、何かしなければいけない。
人間は、世界の未来を考える生き物だ。
同時に、自然の謎を考える生き物だ。
世界の未来として、考えられるのは、民主主義の穏健派、保守派、右翼と左翼だ。
そして、最近は、リベラルと保守、というものがある。
自由と支配の戦う中で、正しく強い世界で争っている。
自然の謎は、光と物質から始まって、宇宙や地球、エネルギーや原子など、多い。
また、数学的な謎は多い。