見たものを考えれば良い。机上の空論は要らない。
動くや止まるが怖かった。
経験からすべて分かる。
他に勝つしかない。
それぞれの出来ることを積み重ねて、成り立たせれば分かる。
個人個人の自由を尊重し、国家に帰属させるな。皆の命と自由を守れ。
勉強は要らない。勉強は、する意味がない。
自由は要らない。支配しなければ悪い。
発展が馬鹿だから、世界が馬鹿になる。馬鹿な発想しかないからだ。
金では、何も出来ない。いくらでも家があるのに、出来ないのはおかしい。
会社は、馬鹿な会社しかない。それが安値競争をしているだけ、何も出来ない。
全員でコンピュータ技術や自動車を作ったほうが、賢いのが、ドイツだ。
また、ソ連は馬鹿ではない。戦車しか作っていないが、誰も何も出来ないだけ、良い。
まず、世界を知って、それぞれの出来ることと、その場合にどうなるか、を考える。
それから、世界と自分を書きながら、「出来る」を分析し、
条件的かつ論理的に成り立たせると良い。
例えば、税金で自由にするためには、国民公社を作ることを支援すれば良い。
また、選挙を行う国のまま、平等にすることは出来る。
しかし、それは腐敗し、適当で、何もしない国になる。
本気で全部頑張らなければ、負けるようにしなければならない。
革命政権など、誰も従わない国では、従わないものを殺すしかない。革命は一番悪い。
自由の悪い点は、競争はただ、安くして、買収するだけだ。
広告などに金を使うのも、おかしい。
しかし、基本的に問題は無い。平等で良い国や、自由で良い国しかない。
普通の安心、普通の楽、普通の自由、普通の同じが良い。
その上で、平和で、豊かで、発展するべきだ。
そういう基本を考えれば良い。
見て、あるものを考えれば良い。
机上の空論や、ネット世界、自分の昔は要らない。
そして、ドイツなんか、どこにもない。
ドイツがイスラムより嫌いなのはおかしい。
ドイツは、普通良い。普通、ベンツやBMWだ。
イスラムは、普通悪い。普通、タリバンやハマスだ。
あとは、ユダヤ人はイエス・キリストだ。適当に、何かが普通の馬鹿だ。
ドイツの悪い点は、ユダヤ人をみんなで悲惨にしている。
しかし、普通良い。
あとは、ドイツなんかどこにもない。
あるものは、日本と、店とものだけだ。
そういう普通の日本が日本だ。
テレビを見ないで分かるわけがない。
テレビを見ても、何も分からない。
音楽や、教科書、学校で分かるしかない。
普通、普通にある良いことが良い。
いつも自分にあることが良い。
何もしないで分かるわけがない。
友達との関わり合いや、仕事が出来ることなどが良い。
子供を育てたり、恋人とキスをしたりするのが良い。
何もなくて、分かるわけがない。
アメリカは賢い。普通、オバマやビルゲイツだ。
フランスはかっこいい。普通、デカルトやナポレオンだ。
だが、あるのは日本だ。
日本は、普通江戸の侍や舞妓さん、東京や京都、サラリーマンだ。
理由を分かり、経験し、世界を横断して理解せよ!
書き、読み、教えよ!戦え!
自由は、それぞれが出来て、考える。
しかし、自由競争とは、戦争のようなものだ。
戦うだけ、つまらない。滅びる。悪いものがあふれるだろう。
誰が見ても、人を殺すのは悪い。
それから、悪い危害を与えるのは悪い。
あらゆる他人に危害を加えてはならない。
そうすると、悪いことは出来なくするべきである。
職業選択を自由にし、言論を自由にしなければ、自由でないだろう。
しかし、経験を自由に選ぶことが出来て、沢山のことが金で可能になることも、自由だ。
発展し、資本を持ち、利益を得ることも、自由だ。
時に、強制労働や辛い労働の方が、発展してあとで楽になる。
自由な中で、それぞれが何を出来るだろうか?
また、自由にするために、どのような方法が考えられるだろうか?
全員を自由にするためには、教え、手段を与え、選択でき、
決められること、影響力を持つことが必要だ。
そして、全員を自由に統一する。
また、国家を自由にして、それぞれが日々することを自由に選ぶことも出来る。
会社や職業、学歴や教育、大学の専攻などが自由に決められなければ、悪いだろう。
また、政治家を自由に選挙で選ぶことで、自由に出来る。
また、金と権力の自由によって、従いながら自由を実現できる。
その上で、人生と人間関係を自由にすれば良い。
時に、自由を平等にすることが出来るだろうか?
また、分かるや出来るを合理的かつ自由に考えることが出来るだろうか?
あるいは、平等を自由にすることが出来るだろうか?
そのためには、個人の権利を自由かつ平等に与えることが必要だ。
そして、自分の好きなことが出来るべきだ。
また、科学など、数学などの基本の分野から行うべきか、
あるいは工学などの専門分野から行うべきか、そういうことでも考えれば良い。
しかし、数学やパソコンであれば、覚えるだけではなく、
演習や研修を通じて、「すること」から分かることが出来る。
歴史は、年号を覚えながら、概要と説明を見ることで、出来事がきちんと分かる。
また、英語は、「話す」ことから覚えることが出来る。
それらは、単なる知識に終わらず、応用して、無数の分野を分かることが出来る。
また、科学的方法や弁証論から、世界のシステム的な理由を分かることも出来る。
それぞれの人間は、どのような人間か?
それぞれの感情は、どのような情報か?
そして、それぞれの組織と環境では、何が出来るか?
それを具体的に分かることで、実体験から分かることも出来る。
自由な中で、人は何が出来るか?
そこでは、可能性と自然から、最大レベルの改善と発展をもたらすだろう。
その上で、参加と意見によって、自由は拡大する。
そのしていることを最大限実現し、その人間を最大限伸ばすことが出来る。
世界を知るためには、認識と記憶から、対話で分かるしかない。
沢山の人間などと会話しているうちに、自由な戦いから人間は良く分かる。
しかし、分かってしまえば、自分ひとり、考えるだけで分かるものだ。
自由な世界を作るためには、世界の全体像を把握すること。
出来るようになって、能力をつけること。
自由な環境と経験から、良く分かること。
その上で、世界を知り、理由や抽象化から、説明して世界を知ること。
人間と体験、沢山の視点と発想法から、自由自在に考えること。
自由は、時に支配者や政府を容認する。
なぜなら、法律と警察の居ない世界では、自由すぎて、武装組織が勝つ。
全員の意見の一致によって、世界を守ることが出来る。
しかし、自由な世界では、個人個人が好きにすることを推奨する。
つまり、好きなことが出来て、好きなものが選べる。
そこでは、情報とアドバイスと会話があり、能力と経験による知性と努力があるべきだ。
しかし、良く考えると、自由は意味がないし、分かっても狂うだけだ。
不自由の良い点は、その方が平和だ。
それに、指導者は全てを可能にする。
また、時に衆愚制は、独裁者で解決できる。
しかし、人間は平等に自由を持っている。
従うだけは、つまらない。
それぞれを自由にして、それぞれの協調の取り組みの中で、解決出来る問題もあるはずだ。
まず、好きにすること。
次に、出来るようになって、良く分かること。
そして、科学によって知を発見し、経験と理性から分かること。
それから、組織の自由と命の安全があること。
それが、本質的な自由だ。
その到達点は、正義と選択肢である。
世界が一番良い世界になることである。
ここまで書いていると、自由が良い方で、不自由が悪い方に見える。
しかし、そうではない。自由は、悪い方だ。
普通の世界や、普通の科学や教育、普通の環境や組織は、
不自由による協調から成り立つ。
支配され、従い、それぞれが会話しながら、
真面目に取り組むことによって、良い世界が生まれる。
それこそ、真面目な方が、反抗よりも良いだろう。
しかし、自由に良い点はある。
最先端の分野では、自由が発展であり、革新が必要だ。
また、農家などでは、保守的なものが受け入れられる。
その二極を同時に満足させることが出来るのは、金と選択肢の自由によってのみである。
帝国は間違っていない。
一人考えれば、ヒトラーほど分かる。
それこそ、イエス・キリストを信じれば、全てがきちんと分かる。
そのように、ドイツやソ連は賢いのだ。
ソ連では、誰も反抗しない。そして、平等なユートピアを目指して、頑張っている。
ソ連を反抗とはいうが、自由の方が反抗だ。
アメリカには、反抗的な文化しかない。
それを無くすることで、良くなったのが、東側のまともで正しい世界だ。
あるものは、全部良い。皆、賢い。
しかし、本当にそうだろうか?
ナチス・ドイツなど、見るからに悪い。
大日本帝国など、意味がないほど悪い。
枢軸国や敗戦国を悪いとはいうが、帝国だから、良い。
それは間違っている。帝国だから良いだけで、一番悪いのがファシズムだ。
それこそ、ソ連やアメリカは、さらに悪い。
革命や自由では、ただの反抗者だ。
全部悪い。どれも全部良いのではなく、どれも全部悪いのだ。
全てやりたくて、全て自由に選択したいのは、悪い。
何故、僕は自由と言っていたのかというと、
環境から解放されて、自由にいろんなことを言える環境を目指したからだ。
手段と情報の共有が欲しかっただけで、ただ会社に入りたかった。
つまり、自由は、解放された環境と、会社への参加を同時に満たす。
しかし、自由は、世界を自然な発展へと導き、
また、所有されたものをその人間が支配できる。
しかし、そういう自由には、ただの「普通」が勝つのだ。
普通な世界の方が良い。
一つのことを続けて、何かを目指した方が、良い世界だ。
ネットの自由は悪い。皆が馬鹿になっている。
要は、自分が色んな事がしたかった。
手段や会社への参入、企画、情報共有がしたかった。
設計の共有と自由参加が賢く見えた。
そして、皆がそれぞれ、全員自由で、色んなことを体験し、経験した方がよく見えた。
しかし、それらは間違っている。
普通、それくらいで誰でも分かるし、分かってしまえば、何でも出来るものだ。
それこそ、自分の方が馬鹿だ。
あるいは、出来る人間は、分かる人間しかいない。
あとは、普通何も出来ない方が良い。
それこそ、殺す人間は、それ自体を殺すしか無く見える。
全部出来てしまうと、何も考えない。
何も考えなくても、出来る。
それこそ、普通のことを考えない方が、仕事が出来るものだ。
発想と世界の成り立ちを考えれば分かる。
テレビや新聞が無ければ、どうして情報が得られるだろうか?
テレビや新聞は、一番必要だ。
誰が見ても、遠くの人間や空間をその場で見ることが出来るのは、賢い。
テレビは、一番必要で、一番賢いものだ。
そういうものは、Microsoftなどだ。
不思議と、GoogleやAppleは必要ない。
モバイル端末は、要らないが、発展しているから、良い。
世界に対して、「なぜ」と問いかければ分かる。
なぜ、多人数で協力するのだろうか?
一人では何も出来ないが、皆になれば何でも出来る。
役割分担を考えれば、出来る。
それこそ、プログラムは、ウォーターフォールで作る。
あとは、自由なことが出来ない学校は悪い。
それこそ、何も出来ないから、分からない。
色んな事を経験しなければ、分からない。
「みんなのため」と思うことで、出来る努力もある。
「失敗してももう一度挑戦する」と思うことで、出来ることもある。
しかし、最初から出来なくても、おかしくは無い。
それで良いのが、自由だ。
沢山のことをやって成功するしかないから、馬鹿をするしかない。
結果的に続くものしか、続かないだろう。
神は、戦って、治したいだけだ。
それが永遠に続き、宣言する。
神は、ドイツ人で、ロシア人で、ユダヤ人で、イスラムだ。
それが、宇宙人で、黒人で、自分だ。
そういう話をしている。
神は、自分をフランス人とドイツ人に分けて、最高や完璧などの話をしている。
沢山の普通の会話をしながら、あらゆる人種と民族、国家を教える。
世界は宗教的かつ絶対的に成り立つ。
また、自分のなったものを全部宣言して、成り立たせている。
自由と言って、世界に意見を表明している。
自由な世界と、自分の言語と大学と思想を作りたかった。
三行で書きなさい。
あらゆる関連付けを行いながら、1つのことを全部の場合に適用しなさい。
思い出し、発想しなさい。
永遠を生きながら、自分を治せば良い。
全部決めて分かっている。
神になったつもりで、世界を創り、全員と対話する。
それは、永遠の戦いになった。
判断と意見から、宣言と適応になり、あらゆる頭を改善する。
それは、世界を捉えて、何も分からなくなりながら、永遠に楽にならなかった。
しかし、自分を治しながら、発見することで、あらゆることが分かった。
詩やものがたりを書き、大学を書き、いつもの自分を書いた。
神と僕は、あらゆる世界を考える。
1つ1つの可能性を仮定し、「かもしれない」「はずだ」と考える。
また、意味をすべて思い出しながら考え、
簡単に、「物理とは幾何学」のように、簡単に言葉で分かる。
そして、論理と判断を書きながら、あらゆることを判断する。
それは、永遠にあらゆる世界を、宣言しながら対話する。
神は、色んなものに替わって、例えばケネディやブッシュになる。
そして、数学だとか、政治だとか、国家だとか、色んな事を考える。
例えば、ヒトラーに勝つだとか、数学の文字はおかしいだとか、そういうことを言う。
また、古代のロシアや、イスラエルが話をしたりする。
また、色んな事を宣言する。
女になるだとか、ドイツ人になるだとか、言葉と戦うだとか。
また、色んな物を書いて作る。
信じながら正して分かる宗教だとか、定義を式とともに書く数学だとか、ロシアはアメリカに核兵器を売却すべきだとか、水槽にヒーターと扇風機を当てることで生命を生み出すだとか、そういうものを作った。
総理大臣になりたかったように見える。
分かっているから分かるだけだ。
昔の把握をさらに推し進めて、具体的なことを論理的に分かるようになった。
宣言は、そのまま分析に変わり、自分を自分で分かるようになった。
知性が無かった。全部分かっていて、想定内な代わりに、未知のものが無い。
それから、Wikiを読めばいい。Wikiに全て書いてある。