時間的な考え方が出来なかった。
僕は、馬鹿な支配者だ。全部自分が悪いか、野田が悪いかだ。
認識を治して分かっている。
時間だけを考えれば賢い。
何もないのがつまらないだけだ。
本気で考えても意味がない。考えずに分かった方が賢い。
言わないより、言えば良い。
良いのか、悪いのか、微妙なものが怖い。
分かるを消すと賢くなる。分かるのは、馬鹿だ。
知性をつけすぎて、何でも出来るのに何も出来なくなった。
それをする際に何を考える必要があるか考えること。
馬鹿を言っても、馬鹿になるだけだ。
何をどうすれば出来るか、出来るために何を考える必要があるか、また、何をしてどうなるか考えなさい。
普通、覚えて、知る。
普通、決まったことをする。
普通、メモをノートに取る。
普通、失敗しない。
普通、スケジュールを決める。
普通、みんなを覚える。
普通、問題なしに済ませる。
普通、対応する。
分かるだけ分かると、馬鹿になるだけだ。何も分からない方が、賢く分かる。
自由やコミュニケーションは悪い。独りきりで考える環境があっても良い。
分かることを書いても分からないから、分からないこと、すなわち逆を書けば良い。
世界にあるものは、生活に必要なものしかない。それぞれ、用途がある。また、人間にも役割がある。
また、紙幣で交換するために、それぞれ値段があり、職業と地位に応じて給与がある。
また、会社は、競争し、安値の製品を多量に作って、売る。
世界は、政治的、経済的、社会的に変化する。犯罪者や自然災害によって、ネガティブな出来事も起こるが、ポジティブな出来事として、スポーツなどにおける優勝などがある。
会社の新製品などもある。また、科学における賞がある。
役所やマスコミは、国を作る。犯罪者など、そうしたものから守り、ルールを作るのが国だ。
国は、生活のために必要なことをして、会社を自由にしている。
自由競争と金が自由であり、税金が平等だ。
すべては、方法と経緯だ。料理は方法で、歴史は経緯だ。それは、共有出来る。言い換えれば、構造と変化だ。
情報共有は、自動的なシステムを作れば楽だ。
それぞれ意味があり、重要な点が違う。
体験には、試練と楽、孤独と戦いがあり、悲惨でない楽な人間が賢い。
最近は、馬鹿な支配者がみんなを治すだけだ。もうやめる。世界には、公開しない。
増税すれば、誰もものを買わなくなる。パソコンだけで足りる。選挙の公約も守らない。
共産党だけは悪い。全員奴隷の、税金による平等だ。
増税してマニフェストはおかしい。皆財源が無いと言っていた公約を税金から行うのはおかしい。
僕のやったことと言えば、皆を馬鹿にしただけだ。教える代わりに、意識を馬鹿にする。
単純に自分の自由にすれば良い。それで分かる。
自分の自由と考えて、経験と他の人間と、世界や社会を考えただけだ。
あるものは、食べ物、便利なもの、楽しいもの、乗り物、やることだ。
言葉にして、すぐに終わる意味がない。
言葉にすれば分かるのは良いが、言葉にしない方が賢い。
そして、自由と想定しながら、やることを考えれば良い。
経験は積み重なって、知性となる。
学習と習得が、能力を高める。
意識と感情は、他の人間を知る。
予測と体験は、あることを全て把握する。
世界は、自由にすれば、それぞれの出来る上限の可能性が高まる。
しかし、自由にすれば、危険も増える。戦争は一番悪い。
自然な変化の積み重ねによって、世界は発展する。
皆でものを改善することで、世界は進歩する。
しかし、ロシアのような世界を破壊する行為は、全員で対処するべきだ。
それが、思考をトレースしながら、知と論理を積み重ねて、イメージと概念を知り、沢山の違う人間に変わった。
しかし、それは、書く人間となったのだ。
時間を考えなさい。
時に、自分を育てるだけではなく、壊す行為をした方が、良いこともある。
具体的なことを沢山わかって、思い出しても分かるものだ。
世界を治すことを目指しても良い。
どこかに消えた希望を取り戻すことを目指しても良い。
しかし、人間は新しい方が良い。
全てを書いて、神を信じること。
自分の自由にすると、それだけでまともな人間だ。
自分の自由にしないと、発見出来るから仕方ない。
最近したことと言えば、認識を改善した、言葉に適応した、理由を説明した、ぐらいだ。
僕は、日本人なのに、日本語が出来ていない。
日本人は、普通分かっていることを言う。
昔は分かっていた。
最近は、フランス人のように、分からないことを言って分かるようになった。
もう全部分かったから、分かっていることを言った方が良い。
ただ、分かっていることが無い。
フランス人に変わったのは、フランス語を適当に習ったからだ。
ものには、材料がある。
食料品も、日用品も、工業品も、全て材料がある。
その材料は、道具で加工することによって、構築が成り立つ。
材料を入手できる手段があれば、何でも自由自在に出来る。
そのため、材料と道具を簡単に入手可能にすることで、誰でも作れる、という自由もある。
同時に、それは会社のためにもなる。
材料の入手簡易化は、料理から工業製品まで、無数の分野に及ぶ。
それは、仕組みを共有すること、情報を共有することで、さらに拡大する。
工場を自宅で再現出来れば、何でもネットで作れるようになる。
しかし、間違っている。それは、品質の低下と、新規性の無い製品、インターネットのような烏合の衆を生むだろう。
情報共有は、さらに、コンテンツや設計に及ぶ。
ただ組み立てるだけではなく、無料で出来る範囲で、その製品を0から作ること。
その上で、コンテンツとしての情報も作れば良い。
しかし、これも、ただの模倣の製品を生むだろう。
また、日本や中国の例などを見ると、国家としての競争戦略にも、そうした品質の低下は見られる。
パクリ製品が、元の製品よりも安くて高品質で使いやすいのは、おかしい。
ドイツのものを、ドイツのパクリが倒すのは、おかしい。
言うまでもないが、そのような発想は、Linuxがする。
それに、手段を自由にしたり、共有したりしなくても、普通に会社が出来る。
あまり自由にしない方が良い。
自由にしすぎると、日本や中国、あるいは2ちゃんねるのようになる。
工場でやっていることを、自分がやりたいのもおかしい。
あとは、大企業と中小企業のように、企業の規模によって、生産のスタイルは違う。
ソニーのような拡大路線の大企業は、何でも出来るが、新しいことはしない。
すでにしている業種を拡大しながら続けることで、幾らでも儲かる。
しかし、大胆なことは出来ない。
競争と言っても、リストラやコスト削減を行うだけで、何もしていない。
しかし、賢い技術者と技術力がある。
中小企業には、何も出来ないが、大胆なことが出来る。
では、完全な自由を良いと言えるだろうか?
あるいは、全く自由の無い世界を良いと言えるだろうか?
答えは、イエスでもあり、ノーでもある。
タリバンが戦う世界は、悪くない。
ただ、戦うだけの自由は、存在するべきだ。
しかし、そこまで極端な自由は悪い。
しかし、現に2ちゃんねるというものもある。
あれも、悪くないのだろうか?
おそらく、抑圧のある若い人間を救っている。
自動化された認識と経緯の共有は、面白くは無いが、おそらく楽しい。
自由は、戦うだけであっても、あるべきだ。
なぜなら、戦う自由が無い管理社会で、権利が無いと、何も出来ないだろう。
他人に危害を加えない方が良い。
平和な方が良い。
自分は、他人を変える、とか、他人をロボットにする、とかが悪かった。
まともになって、思い返し、見つめ直せば分かる。
まともとは、ただ馬鹿なだけだ。
悪い方が、賢い。
まともになりたいと、馬鹿になる。
何も分からなくなると、革命するようになる。
僕は、誰にも危害を加えない方法で、文章を書いて残しながら、支配した。
それが、自由な革命だった。
あとは、世界を信じて、希望を取り戻すために、「必ず出来る。必ず分かる」と信じて、世界を救うために文章を書いていた。
それは、狂っていて、何も分からなかった。
それは、皆に悟らせ、意識と思考力と可能性を与えるものだった。
それは、変化させ、世界を発展させるものだった。
あとは、信じて分かる、は、認識と世界観と想像力を、書きながら積み上げる力となった。
それは、あらゆる対象と、その理由を、2行で説明した。
肯定と否定で、思い出しながら批判し、判断し、誇張し、比べることで分かった。
そのうち、神は全てを1度分からなくさせた。
最初から、全て、宣言だった自分と世界の関係は、心の声となり、そのまま、自分と神の関係になった。
世界のあらゆる真理と真実を教え、世界を支配し、僕の統治としての日本、広島を作った。
それは、馬鹿になることと事故をすることで、まともになった。
今の自分は、きちんとまともに分かる。
タリバンと、ユダヤと、共産主義と、極右が一番悪い。
良い人間は居ない。賢い人間は居ない。
ゲイツやゲーテだけが賢い。
時間の無い人間は、おかしい。
時間的に考え、時間軸で思い出さないのに、単なる普通の知恵で治しても、馬鹿なだけだ。
ただ、時間だけを考えた方が賢い。
時間を分からなくなった理由は、戦いながら分からなくなったのもあるが、世界の時間を止めて、時計の機械となったからだ。
革命は一番悪い。
何も出来ない反動体制では、団結して暴力的に戦うための革命派が起きる。
しかし、誰も従わない革命政権では、国民を統制するために、軍主導の反動政治を行う。
何も変わらない。
あとは、発想の共有だ。
オープンソースは、発想の共有としては、正しくは無いが、ある意味優れている。
皆の改良したパッチを全て取り込むことで、予想だにしない機能拡張が出来る。
しかし、それは、きちんと動くだろうか?そういう問題はある。
発想は、世界、宇宙、人間、心理、社会を知ることによって培われる。
発想法は、試し、予測し、自由自在に、理由と根源となる原因を突き詰めながら、メタ的に積み重ねることで行われる。
それは、文章を読み書きすることで、きちんと構造的かつ抽象的に分かるようになる。
あとは、ネットでの情報共有において、バグ報告や機能提案を集積する、Mozillaのような発想は出来るだろう。
また、自動化されたシステムであるFacebookなどで、情報を共有することは出来る。
しかし、ネットは、ある程度以上の質を保っている新聞や書籍などに勝つことは出来ない。
間違った情報や、クズが多すぎる。
ただ、最近は、そんなに劣っていない。
きちんとある程度以上の質にしようとしているのが、Wikipediaだ。
勇気を出し、思いやることで、人は自由なまま平等になれる。
理解と考え方、経験と、ものやシステム、組織、環境を作ることで、世界は自由になる。
では、どんな時代でも変わらない普遍的な事実とは何だろうか?
それは、原始時代から続く人間の本質であり、他を愛する力だ。